身辺話題三つ

2017/ 09/ 26
                 
 一つ、インスタント食品

 「日清のどん兵衛」が爆売れしているらしく、大変久しぶりに買ってみました。

 日清の どん兵衛 4種類

 スーパーマーケットの棚には、4種類の「日清のどん兵衛」が置いてありました。
 今まで食べたことがあるのは、「きつね うどん」と、「天ぷら そば」です。
 まだ一度も口にしていないのが、「鬼かきあげ 天ぷらうどん」と、「鴨だし そば」です。
 熱湯を入れて3分が「そば」で、5分が「うどん」です。
 そういえば、昔も今も、インスタントラーメンなども、フタをして3分でしたね。


 
 一つ、車検

 3年経って、それからまた2年経ちました。
 走行距離60,000kmを丁度超えたところです。
 パック料金を入れての支払いをしました。
 新車で買って5年経って、走行距離60,000kmでの車検。
 あなたのところでの車検代は如何ほどでしたか。

 私は、今まで5台新車を乗り換えていますが、今回の支払額は吃驚ものでした。



 一つ、雅楽演奏会、今年も選に漏れ

 9月4日付消印のはがきが届いたのは、いつだったでしょうか。
 宮内庁式部職楽部からの「お知らせ」は、《 雅楽演奏会入場のお申込みをお受けいたしましたが、申込者が定員を超過したため抽選をいたしましたところ、残念ながら・・・ 》という内容の文章でした。


                 
        

女優 大原麗子 やすらぎの郷 大道洋子

2017/ 09/ 25
                 
 大原麗子が人生を閉じる6年ほど前、彼女の衣裳部屋の壁には『孤独な鳥の、5つの条件という詩』(サン・ファン・デ・ラ・クルス.スペインの詩人)が貼ってあったそうです。

一つ 孤独な鳥は高く高く飛ぶ
二つ 孤独な鳥は仲間を求めない、同類さえ求めない
三つ 孤独な鳥は嘴を天空に向ける
四つ 孤独な鳥は決まった色をもたない
五つ 孤独な鳥はしずかに歌う

 大原麗子はこの詩を毎日眺めていたということです。



「やすらぎの郷 第125話」

栄  「あゝ、その年とった友人がな、――加納さんがどうしてやすらぎの郷を始め
    たのか、そのきっかけになったことを教えてくれた」
一同「――」

栄  「一つは勿論、姫のことさ。それともう一つはな」
一同 「――」

   間

栄  「大道洋子のことだったそうだよ」


大原麗子ー3-


   冴子。
   マヤ。
   涼子。


栄  「俺を含めて、洋子は最後みんなから孤立して、――死後一週間してアパート   で死んでいるのを発見されたじゃないか」
一同 「――」

栄  「加納さんはあいつを、娘みたいに可愛がってて、――だけどあいつが勝手に   独立して。
 ――みんながそのことで加納さんに気を使ってテレビの仕事から完全に干されたろ」
一同 「――」

栄  「加納さんはそのことにショックを受けて
  ――自分の責任を痛感したみたいだな」
一同 「――」

栄  「一時代、みんなに愛されたものが、――あんな形で死んでいいのかってね」

  マヤの目に涙が浮かんでいる。

栄  「やすらぎの郷の、それがそもそものきっかけだったらしいよ」

  涼子の目にも涙が浮かぶ。
  冴子の目もじわっとうるんでくる。

マロ 「可愛かったからなァ! あの時代の洋子は」
大納言「市川崑さんの撮った有名なウィスキーのCMがあったよなァ」

大原麗子cm-2-


マロ 「うン」
大納言「あン時の洋子はたまンなかった」


   栄。
   その耳から、オールディズが遠のいて行く。
  栄のC.U.
  洋子のCMの声が囁く。

 声 「すこし愛して
   ながーく 愛して」

大原麗子cm


  栄
  ――グラスを口へ運ぶ。
  その目から突然涙が吹き出す。
 
  はるかから流れてくるトランペットの音。




大原麗子ー4-



                 
        

狂言 「仏師」  高麗家住宅

2017/ 09/ 24
                 
 小諸の野岸小学校の何年生の時だったでしょうか。
 講堂(体育室を兼ねた)に大勢の生徒を集合させ観賞させたのが、狂言の「附子〈ぶす〉」(〈※2〉)でした。他にも演目があったような気もしますが、今となっては覚えていません。
 〈こんにちでは、小学校5年生の国語の教科書で採り上げられているようですね。)

 というような、はるか以前のことを思い浮かべながら、「仏師〈ぶっし〉」(〈※1〉)の開かれる高麗家住宅に足を運びました。

高麗家住宅 20170923


狂言師は、高澤祐介(たかざわゆうすけ)氏、三宅右矩(みやけすけのり)氏のお二人。

狂言仏師 会場 高麗家住宅



高澤氏より、狂言の説明が20分ほどありました。

 ・古典芸能だけれど、かたさ(難さ・硬さ・固さ)は外してみていただく。 
 ・今から650年前から700年前の室町時代に中国大陸から伝わった芸能。
 ・当時は、言葉の発達途上の時代、パントマイムのような仕草、猿などの動物を登場させている大道芸のようなものから始まった。
 ・「能楽」の中の狂言。
 ・2001年、『能』とともに『狂言』が、ユネスコの制定する世界無形文化遺産の記念すべき第1回目に認定された。
 
 ・こんにちまで、大切に、かたちを守るのを得意としている。
 ・狂言は、喜劇。明るくなる。和やかになる。
 ・狂言は、セリフ劇。対話劇。かたちを守りつつ、忠実に継承。
 ・狂言師は伝統を守りながら演じている。たまたま笑いが起これば・・・(それはそれで楽しんでください・・・)
 ・狂言は、室町時代の口語。日常会話。一方、能という芸能は文語。むつかしい。正反対の芸能。

 ・「仏師」は、古典254曲のひとつ。
 ・20分前後の作品が多いが、長いものは1時間に及ぶ。
 ・「仏師」は長く演じても25分くらい。登場人物は、すっぱ(詐欺師)と田舎者の二人。

 ・先ずは、名のり(自己紹介)から始まります。
 (田舎者):このあたりの者でござる。
 (すっぱ):洛中にこころのすぐにない者でござる。

 エトセトラ・・・
≪・メイクはしない。
  ・お面を使う。「おと」は「おかめ」の原型。「うそふき」は「ひょっとこ」の原型。(「うそふき」とは「空を吹く=口笛を吹く」)  ≫

 ・・・



註〈※1〉:「仏師」: 
 《 在所で持仏堂を建立した田舎者は、中に安置する御仏を買い求めに京の都へやってきます。都の賑やかさになかなか仏師を探せない田舎者の元へ、都の詐欺師が近づき自ら仏師であると偽って、仏の種類・大きさ・値段を交渉して金を騙し取ろうと企てますが・・・ 》→(リード文、拝借しました)


註〈※2〉:「附子〈ぶす〉」:
 《 主人は外出するにあたり、二人の召使いに附子を預けて、「これは吹く風に触れるだけでも滅却(=死)に値するほどの猛毒だから、注意しながら留守番をするように」と云い付け出掛けます。残された召使いは怖々見張りながらも、段々と中身が気になって・・・ 》→(リード文、拝借しました)


 ※追補: 本日まことにタイミングよく、NHK・Eテレで、午後9時から2時間番組の《古典芸能への招待 大蔵流狂言「佐渡狐」、「首引」、「狸腹鼓」》がありました。
 まことにまことに、よろしゅうございました。
 以下、三つの演目について、辞典などを検索して載せました。

「佐渡狐」
~佐渡に狐がいるのかいないのか、必死のアピールが楽しい
  ・茂山忠三郎 茂山茂 他

「首 引」
~愛くるしい姫鬼に子煩悩すぎる甘い親鬼達と、武将の勝負!
  ・善竹忠一郎 善竹隆司 善竹隆平 他

「狸腹鼓」(〈※〉)
~釣狐と並ぶ大蔵流狂言の井伊直弼ゆかりの最高秘曲を
  ・茂山千五郎 茂山千作師



註(〈※〉):狸腹鼓(たぬきのはらつづみ)

《◇大蔵・和泉(いずみ)流。雌狸が尼に化けて猟師に殺生を戒めるが、見破られて命ごいに腹鼓を打ち、すきを見て逃げる。

◇古塚にすむ雌狸が尼に化けて狸捕りの猟師に殺生の恐ろしさを説くが、犬にほえられて正体を現す。助命を請うて腹鼓を打つが、弓矢で追われる。

◇猟師が狸を射ようと物陰に隠れて待っている。そこへ夫の雄狸の行方を心配する雌狸(シテ。狸の面を着用)が尼に化けて来かかり、殺生の恐ろしさを語って聞かせる。猟師は改心するが、尼と別れたあとしきりに犬がほえるのを不審に思い、庵(いおり)に潜んでいる尼をみつけて正体を見破る。射殺そうとするが、雌狸が腹の子が不憫(ふびん)だと命ごいをするので、腹鼓をみせるならと命を助ける。尼は早替りで装束を脱ぎ狸の姿となり、腹鼓を打つうち、すきをみて弓矢を奪い、逆に猟師を追い込んでいく。以上は和泉(いずみ)流の現在の内容で、前田藩とゆかりが深く「加賀狸」と俗称される。大蔵流の現行曲は、江戸末期に井伊直弼(なおすけ)が古作を改訂したもので通称「彦根(ひこね)狸」、和泉流と大筋に違いはないが、シテが初め妙寸(みょうすん)(尼)と狸の面を二重に着けているのが特例。両流とも最高秘曲としているが・・・ 》




                 
        

白鷺 俳句の季語・・・

2017/ 09/ 23
                 
 このあたりで見かける白鷺は、アオサギ、コサギ、そしてダイサギです。

 ダイサギを一番多く見かけます。いつも群れをなしています。


白鷺の稲にかくるる愁かな  太田鴻村


白鷺や今日こそ秋のことぶれに  林翔


白鷺の佇つとき細き草掴み  長谷川かな女


白鷺やねぶりて秋の日を反へす  軽部烏帽子


 ダイサギ -1-




                 
        

高麗家住宅  両陛下 2日間埼玉に滞在

2017/ 09/ 22
                 
 高麗神社の境内に隣接している「高麗家住宅」は、民家としてはとても早い段階で、国の重要文化財に指定(昭和46年〈1971年〉6月)されています。 
 高麗家は高麗神社の神職を代々務めてきた旧家で、昭和29年(1954年)頃まで400年近く、この建屋に居住していました。

 
  高麗家住宅


~~高麗神社公式サイトより~~
《「国指定重要文化財 高麗家住宅」

高麗家は高麗神社の神職を代々務めてきた旧家で、住宅は境内の隣接地にあります。
建築年代は、慶長年間(1596~1615)と伝えられています。
建築様式は古く、17世紀のものであることは確実であると指摘されています。
■国指定重要文化財
東日本の民家の中では古い形を遺している極めて重要な例とされ、昭和46年(1971)6月に重要文化財に指定されました。
永年の風雪に耐えて伝えられてきたものの、傷みがひどくなっていたため、昭和51年(1976)10月から昭和52年9月にかけて、建物の全解体による根本的大修理が行われました。現在の姿は、その修理工事の際に建設当時の姿を復元したものです。
■高麗家住宅の構造
建物は茅葺きの入母屋造りの平入りで、その大きさは桁行七間半、梁間五間で長方形の平面をなしています。
間取りは、土間と5つの部屋で構成されています。
大黒柱(棟持柱)がなく、細い柱で梁を支えているのが特徴で、桁と柱には杉、梁にはケヤキ・松が用いられています。
手斧(ちょうな)や槍鉋(やりがんな)が使用され、全面的に丸みを帯びた仕上げになっています。 》




 2017年9月20日と9月21日の、NHKニュース(首都圏 NEWS WEB)から、「両陛下 渡来人ゆかりの神社訪問」と、「両陛下 渋沢栄一関連文化財視察」の2つをご案内して、「高麗神社シリーズその1」と致します。



《「両陛下 渡来人ゆかりの神社訪問」09月20日 16時50分

 天皇皇后両陛下は、20日埼玉県日高市を訪れ、朝鮮半島からの渡来人ゆかりの神社などを訪ねられました。

  両陛下 高麗神社ー2-


両陛下は、20日から私的な旅行で埼玉県を訪れていて、はじめに日高市にある高麗神社を訪ねられました。
高麗神社は、7世紀に朝鮮半島の高句麗から渡来してこの地域を治め発展の礎を築いたとされる高麗王若光がまつられていて、出世や開運の神社として知られています。
両陛下は、若光から60代目の子孫にあたる宮司の案内で参道をゆっくりと進み、本殿の前で玉串をささげて拝礼されたということです。
両陛下は、続いて、神社の隣にある国の重要文化財の「高麗家住宅」を視察されました。
この建物は、1600年ごろに建てられ、改修を重ねながら高麗家の住まいとして使われてきたもので、天皇陛下は、かやぶき屋根や土間を見て、「いろんなものがよく残っていますね」と話されたということです。
このあと両陛下は、全国有数のヒガンバナの群生地として知られる「巾着田曼珠沙華公園」に足を運ばれました。
公園では、およそ500万本のヒガンバナが見頃を迎えていて、両陛下は、園内を散策しながら真っ赤なじゅうたんを敷き詰めたような秋の景色を楽しまれていました。
両陛下は、2日間埼玉県に滞在し、21日は、深谷市を訪ねられます。



「両陛下 渋沢栄一関連文化財視察」09月21日 17時25分

天皇皇后両陛下は、21日埼玉県深谷市を訪れ、地元出身の明治時代の実業家、渋沢栄一ゆかりの文化財などをご覧になりました。

両陛下 誠之堂


両陛下は、20日から私的な旅行で埼玉県を訪れていて、21日は深谷市にある国の重要文化財の「誠之堂」を訪ねられました。
「誠之堂」は、深谷市出身で国内初の銀行や数多くの企業の設立に関わり、「近代日本経済の父」と呼ばれる実業家、渋沢栄一の77歳の喜寿を祝って、大正5年に建てられた建物です。
イギリス風のれんが造りでありながら、壁にある「喜寿」の文字などは東洋風のデザインで描かれていて、両陛下は大正時代を代表する文化財を熱心にご覧になっていました。
続いて両陛下は、渋沢栄一の生誕の地に足を運ばれました。
渋沢の生家は現在は残っておらず、両陛下は、明治時代に妹夫婦が建て、渋沢家の住まいなどに使われた「中の家」と呼ばれる屋敷をご覧になりました。
ここには、東京に住んでいた渋沢が毎年帰省した際に寝泊まりしていた部屋が残されていて、天皇陛下は床の間の柱などを見て「立派ですね」などと話されたということです。
このあと両陛下は、市内にある渋沢栄一記念館も視察し、2日間の日程を終えて東京に戻られました。 》