女流落語家 金原亭乃ゝ香 2017年3月21日前座となる

2017/ 06/ 29
                 
  寄席で幕の内弁当を食べながら、落語を聞きたいという念願がかないました。
  お酒の持ち込みは禁止となっていると思っていたのですが、私の周りの男2人、女2人の若い四人連れなど、随分とあちこち呑兵衛さんがおられたようです。

 過日の寄席、前座で出た落語家は、金原亭乃ゝ香(きんげんてい ののか )さんでした。
  週刊新潮、2017年5月4・11日 ゴールデンウイーク特大号に彼女を描いた記事が掲載されていますが、前座であるがゆえに取材はご法度となっています。
 金原亭世之介師匠があれこれ受け答えしています。
 2017(平成29)年3月21日前座となり、 前座名が「金原亭乃ゝ香」 となりました。

 
 ご本人のSNSから「金原亭乃ゝ香」その人のプロフィールに光を当てることにしました。

《金原亭乃ゝ香
@misstoyo_14_3
東洋大学2014ミスコン審査員特別賞受賞/ 第21回「新橋こいち祭浴衣美人コンテスト」ファイナリスト ❤️2017/3/21楽屋入りしました❤️

◇プロフィール
 ・ニックネーム:金原亭乃ゝ香.
 ・自己紹介:マイプロフィール
⁂定番
 ・趣味:お散歩
 ・最近ハマっているものは?:坂
 ・平均睡眠時間は?:7時間
 ・ブログに何書いてる?:落語&大学生活
 ・何フェチ?:匂い
 ・座右の銘は?:思想と行動の乖離は悪しきなり..
⁂好き嫌い
 ・好きな食べ物は?:チーズ
 ・好きなスポーツは?:バスケ
 ・好きな場所は?:お家
 ・好きな動物は?:犬
 ・好きな休日の過ごし方は?:映画をみる 》



 金原亭 乃ゝ香さんの当面の出演が予定されている定席を列記しておきますので、ご参照ください。

鈴本演芸場 6月下席 夜席
浅草演芸ホール 7月上席 夜席
鈴本演芸場 7月中席 夜席
浅草演芸ホール 7月下席 夜席
末廣亭 8月上席 夜席
浅草演芸ホール 8月中席 昼席


                 
        

能 兼平

2017/ 06/ 26
                 
 七宝会・立春特別講演『能 兼平』(シテ 澤田宏司〈室生流能楽師〉.於香里能楽堂・平成29年2月4日)のDVDが手元にあります。

  明日、じっくり観賞したいと思います。



 能楽師 澤田 宏司 プロフィール

経歴
昭和44年(1969年)生まれ、三重県出身。19世宗家宝生英照、20代宗家宝生和英及び故辰巳孝、辰巳満次郎に師事。
平成10年「敦盛」ツレで初舞台を踏む。平成17年「忠信」にて初シテを勤め、これまでに平成24年「石橋」平成25年「道成寺」平成26年「乱」を披く。
現在、自身の同門会「澤風会」を主宰する他、 出身校の京都大学能楽部で指導を行い、学生能の普及活動に努めている。
公益社団法人能楽協会正会員。

                 
        

追悼 野際陽子さん やすらぎの郷  井深凉子のこれから

2017/ 06/ 18
                 
  野際陽子さん
  つつしんでご冥福をお祈り申し上げます

  
 倉本聰氏脚本、『やすらぎの郷』は、全130話です。
 第12週、6月19日の月曜日は、第56話となります。



 ビーチ

 磯釣りに来ている、菊村栄(石坂浩二)と、マロ(真野六郎/ミッキー・カーチス)と、大納言(岩倉正臣/山本圭)。
 ・・・
 井深凉子(野際陽子)がビーチに下りてきて、シートを砂に敷き、服を脱ぎ始めます。

 「三井路子も時々来るんだ。ア! また全部脱いじゃった!
  (間)
 海に向かって歩いて行った。あいつ今年は脂肪ついたな。海に入ってった。泳ぎ出した! 見るなッたら あいつ判ってンだから」と、マロ。
栄が問います「判ってるって何を」。
マロが「俺たちにこっちからみられてることをさ」と答えます。
 ・・・
 泳ぎ出します。背泳ぎも始めます。バックです。
 いつのまにか三井路子(五月みどり)も浜に下りてきています。
 脱ぎました。海に走ります。路子まで背泳ぎを始めます。
  ・・・
 栄はその晩、マロと大納言と三人でカサブランカで飲んでいます。
 涼子が入ってきてカウンターに座ります。
 涼子が「一寸お話があるの」といいます。マロが「何の話?」と聞きます。
 涼子「あなたたちはいいの。先生(〈※〉)とだけ、内緒の話」とオウム返しにこたえます。
このあと、栄のナレーションが入ります。

 「それで翌日涼子と二人で久方ぶりに鯉の刺身を食べに、一山越えた"山家(やまが)"へ出かけた」

注:〈※〉先生=菊村栄


 翌日となる第57話の登場人物は、菊村栄と井深涼子、それに山家のおかみ(高間智子)の三人だけとなります。
 芥川賞候補の作家、濃野佐志美こと井深涼子の相談事とは一体何だったのでしょうか・・・

 第12週では、第56話、第57話、第58話と3回連続して井深涼子が登場しますが、第13週では、第62話、第63話の2回です。

 第14週は、第66話、第67話、第69話、第70話の4回登場、第15週は、第73話の1回の登場です。
 第16週は、第78話と第79話、第80話と後半に連続して井深涼子が登場しますが、第76話のキャストの一人として橋爪遼が竜村剛の役として名前を連ねています。

第17週は、第83話、第84話、第85話に登場していますが、第18週での登場はありません。


野際陽子さんの遺作となった『やすらぎの郷』ですが、聞くところによりますと、彼女の登場シーンの収録は撮り終えていたとのことです。


以上が中巻となります。
こうやって登場場面を並べてみると、中巻での井深凉子の登場が大変多いのに気づかされます。脚本家倉本聰ならではの推して知るシナリオとなっていたのでしょうか。

下巻は7月中旬発行予定となっているようです。第19週の第91話から始まります。


                 
        

皇后美智子さま 御歌      

2017/ 05/ 18
                 
 皇后美智子さま 御歌   五首   



み伴(とも)せる旅路の車窓明(あか)るみて「花一杯」の町を過ぎゆく



うみ風(かぜ)を求め旅行く若きらを帆船(はんせん)は待つ月の港に



灯火(ひ)を振れば彼方の明かり共に揺れ旅行(ゆ)くひと日夜(よる)に入りゆく



高原のから松立てるかの小道思ひ出(い)でをり三年(みとせ)訪(と)はざる



言(こと)の葉(は)となりて我よりいでざりしあまたの思ひ今いとほしむ






皇后美智子さま御歌(みうた)、一首と二首は昭和60年(1985年)、三首目は平成21年(2009)に、四首と五首は平成4年(1992年)に発表。(『皇后美智子さま 全御歌』釈:秦澄美枝.発行2014年10月20日.発行所:株式会社新潮社.)














                 
        

フジコ・ヘミング たどりつく力   ~大月投網子~

2017/ 05/ 10
                 
 家人は、一年前に読んでいたフジコ・ヘミングさんの『たどりつく力』。幻冬舎から2016年5月30日に第1刷が発行されています。

 ひところのフジコさんとは、ずいぶん趣きが違ってきたなあ。と、読んだ後の感想です。

 最も感じたのは、彼女の母親、ピアニストの大月投網子(おおつきとあこ)に対する思いです。
今まで断片的に語ってきた母親像(親の所為が子に与えることによるトラウマ)から離れ、今日のピアニストとしての自分があるのは母親がいたからこそとの思いを、述べるようになっていました。

 この『たどりつく力』の本文中の至るところに母のことを書き記しています。
 ページを追っていくことにいたしましょう。

①020p-021p:
・・・母はヒステリーで、気性がはげしく、思い通りにいかないとわめきまくる。・・・母親は東京音楽学校、現在の東京藝術大学の出身で、ベルリンに留学していたピアニストの大月投網子(とあこ)です。・・・両親は私が五歳の時に日本に帰国しました。でも、戦争の気配が濃厚で、外国人排斥の傾向が強かった当時の日本は、父のジョスタには住みやすいところではなく、やがて強制送還のような形で日本から追い出され、ひとりスェーデンに戻ってしまいます。・・・幼い子どもたちを残して去っていった父を、母はけっして許そうとはしませんでした。・・・

②024p-025p:
 「まだ、できないの。どうしてこんなこともできないのよ」
 「いつになったら、おまえはちゃんと弾けるようになるの」
 「遊ぶことばかり考えているんじゃあないよ。もっと弾きなさい」
 「今日は練習をどのくらいしたの。さぼったら、承知しないからね」
 母が私にピアノを教え始めたのは五歳のころです。
 自分がピアニストでしたから、子どもに教える優しい方法ではなく、とてつもないスパルタ式の練習方法を私に課したのです。
 まるで父がいなくなったことに対する怒りのはけ口のように、私に向かって攻撃的な言葉を投げかけてきました。
 ピアノを始めてからは、母に一日中どなられっぱなし。
 少しでもいわれたことができないと、「おまえはバカだ、バカだ」っていうの。・・・でも、そのきびしい練習が功を奏し、のちに母と同じベルリンに留学することができたのですから、母には感謝しなければなりません。・・・

③030p:
 母はありったけの情熱を傾け、寸暇を惜しんでレッスンを行い、全身全霊を傾けるほど熱心に娘の教育に取り組みました。
 いま考えると、その熱意には頭が下がります。・・・

④036p:
 このころ、町ではよくいじめに遭いました。
 「なんで、おまえの髪はそんな色をしているんだ」
 「日本人の顔じゃない」
 「おまえの父ちゃん、外国人なんだってな」
 こういわれ、私と弟のウルフは追い回され、いつも悪ガキたちから逃げてばかりいました。
 家に泣いて帰ると、今度は母の雷がドーンと落ちてきました。
 「何をめそめそしているの。ピーピー泣くんじゃないわよ。悪いことは何もしていないんだから、堂々としていなさい」・・・
 母は実家からの仕送りとピアノを教えることで生計を支え、鬼のような形相でレッスンを行っていました。・・・ 

⑤070p:
 母が九十歳で亡くなった二年後の一九九五年、長年のヨーロッパ生活に終止符を打ち、日本に帰国し、母が残してくれた東京・下北沢の家で暮らすようになりました。
 そのころは、左耳の聴覚だけが四十パーセント回復していましたので、母校の旧東京音楽学校の旧奏楽堂などで少しずつコンサート活動を開始しました。
 その矢先、一九九九年二月に私の運命を変えることになるテレビ出演の話が舞い込んできます。NHKのドキュメンタリー番組『フジコ ~あるピアニストの軌跡~』と題した番組への出演です。
 私は母親が残した下北沢の古い洋館の自宅でピアノを弾き、愛する家族である数匹の猫の世話をし、思い出話をしました。 ・・・
〈※註〉:本文には、下線は引いてありません。私が記しました。


⑥118p:
 「日本に戻っても、ピアニストはたくさんいるから、おまえの出番はないよ」
 母にいわれた言葉が脳裏に蘇りました。
 この言葉がずっと私の心の奥に居座っていて、日本に帰国することができなかったのです。

⑦168p-170p:
 最近、母のことをよく思い出します。
 歳をとったからでしょうか。
 母と暮らした日々が、まばゆいまでの記憶となって蘇ってくるのです。
 母は、私が日本に戻っても演奏の場がないと何度もいっていましたが、いまこうして日本や海外で演奏することができるようになった私をどんな思いで見つめているでしようか。
 子どものころの過酷なレッスンの日々は、思い起こすと本当に大変なものでしたが、そのおかげで私はピアニストになることができました。
 ベルリンに留学してからは、一生懸命ピアノを教えて娘の勉強のために仕送りをしてくれました。
 私のお金が底をつき、「クリスマスに砂糖水しか飲めない」と手紙に書くと、怒涛の勢いで返事が戻ってきました。
 「何をぜいたくなことをいっているの。おまえはベルリンでピアノを勉強することができる身なんだよ。私は毎日必死で働いている。こっちは塩をなめて生活しているんだから、もっと根性を据えてしっかり勉強しなさい」
 母も大変な思いをして仕送りをしてくれたのだと、いまは感謝の気持ちでいっぱいです。
 口が悪く、私は悪口ばかりいわれていたため、子どものころは母に対していい印象は持てなかったのですが、いまはその苦労がよくわかります。
 お母さん、本当はいま一番演奏を聴いてほしいのは、あなたです。
 きっといっさいほめることなく、ボロクソにいわれるでしょうが、それでもいいのです。
 私が世界の舞台でピアノを演奏している姿を、見てほしいんです。
 ・・・

⑧171p-172p:
 母とは、一度イタリア旅行をしたことがあります。母の晩年のことです。
 その時も、私の世話ばかりを焼き、朝から晩までどなっていました。
 この旅で、母は私がドイツで買ってあげた茶色の革のコートを着て、ロンドンで見つけたニットの帽子をかぶり、淡い茶色のサングラスをかけていました。
 七十歳になっていましたが、とても恰好よく、通りすがりの男性が振り返るほどでした。
 私はクリスチャンですから、母には天国で会えると思っています。
 それまでピアニストとしての人生をまっとうしたい。母に少しでもほめてもらうために・・・・・・。
 本当は、一番深く愛している人なのですから。




 母と子と、子と母と。今回はそんな人生模様にフジコ・ヘミングさんの言葉をお借りしました。
 次に書く機会があれば、フジコさんの音楽との出会いを書き記したいとは思っておりますが・・・。