尊王攘夷志士四十六人像  西郷隆盛・・・  NHK大河ドラマ「西郷(せご)どん」

2017/ 10/ 10
                 
 《この写真は、慶応元年(一八六五年)二月、勤王志士たちが密かに長崎に集結した時の写真です。
 写真中央に写っている、ウイリアム・フルベッキ(当時五歳)の孫に当たる、中村保志孝氏が所持していたものです。・・・ 》

1.尊王攘夷志士 四十六人像 - 全体


 と、道の駅雷電くるみの里の「雷電展示館」に掲示されている写真(〈※〉)に、説明書きが添えてありました。
 何故、このような写真があるかといいますと、先の文章の後には、

 《 力士雷電為右ヱ門顕彰の碑文を書いた佐久間象山は、この半年前(元治元年七月十一日)に、尊攘派によって暗殺されました。》

 と、記されていたので、何となく、判る気も致しました。


 
  註(※〉慶応元年二月写真撮影・上野彦馬
 「上野彦馬(うえのひこま)〈1838.10.15-1904.5.22〉」
  上野彦馬写真
  《日本の「写真の祖」といわれる。 天領・長崎生まれ。 日本における最初期の写真家であり、坂本龍馬、高杉晋作、桂小五郎、伊藤博文といった幕末の志士の写真を数多く撮影したことでも知られる。 また、西南戦争の戦跡を撮影したことで日本最初の戦場カメラマン(従軍カメラマン)となる。 日本最初期の写真館(上野撮影局)の開業や、富重利平や薛信二郎などの後進の育成で、日本の写真業繁栄に多大な功績を残した。号は季渓。》




   NHK大河ドラマ「西郷(せご)どん」(原作:林真理子、脚本:中園ミホ)は、2018年1月からスタートします。全50回の長丁場となります。
 主演は鈴木亮平。どんなドラマが展開するのか、今から楽しみです。

 その西郷隆盛ですが、写真に撮られるのが嫌いで、彼を撮った写真は現存していないというのが一般的な伝聞となっていますが、この写真には、西郷隆盛は疎か、幕末から明治にかけての超有名人物が勢揃いしています。


尊王攘夷志士 四十六人像 - 上右

尊王攘夷志士 四十六人像 - 上中

尊王攘夷志士 四十六人像 - 上左



尊王攘夷志士 四十六人像 下右

尊王攘夷志士 四十六人像 - 下中

尊王攘夷志士 四十六人像 - 下左


 あなたは、この写真に納まっている人の中で、幾何の人物像のイメージを思い描くことができますか。



                 
        

シャボン玉

2017/ 10/ 09
                 
  しゃぼん玉 飛んだ

  屋根まで 飛んだ

  屋根まで 飛んで

  こわれて 消えた


  しゃぼん玉 消えた

  飛ばずに 消えた

  うまれて すぐに

  こわれて 消えた

  風 風 吹くな

  しゃぼん玉 飛ばそ




 昨日、信州からの帰り道です。
 NHKラジオの番組を聞いていたら、野口雨情の長女が生まれて七日後に亡くなり、そのときの心情を野口雨情が詩にあらわしたといわれている歌(〈※〉)ですと、女性アナウンサーが作詞の背景を説明していたのが、『シャボン玉』の歌(野口雨情作詞・中山晋平作曲)でした。

https://www.youtube.com/watch?v=4jp49MFlL4I




註〈※〉1:「シャボン玉」が雑誌(「金の塔」:仏教児童雑誌)に最初に掲載された
      のが、大正11年(1922年)。
註〈※〉2:「シャボン玉」の歌が入っている、中山晋平の譜面集「童謡小曲」が
      発表されたのが、大正12年(1923年)。
註〈※〉3:野口雨情の長女みどりが亡くなったのが、明治41年(1908年) 。
註〈※〉4:野口雨情の次女恒子が満2才(数え4才)で亡くなったのが、大正13年 
      (1924年)。
註〈※〉5:野口雨情は、昭和11年(1936年)に、次の歌詞を加えています。


    シャボン玉 飛んだ
    屋根より高く
    ふうわりふわり
    続いて飛んだ

    シャボン玉いいな
    お空にあがる
    あがっていって
    帰ってこない

    ふうわりふわり
    しゃぼん玉飛んだ




                 
        

柘榴 ざくろ  高村光太郎 高村智恵子 茨木のり子

2017/ 09/ 18
                 
 いつ頃に、柘榴がざっくり割れて、赤い実が見えるようになるのでしょう。

柘榴 20170918



高村光太郎の作品に、「柘榴」(大正13年〈1924年〉)があります。
高村智恵子の紙絵に、「ざくろ」〈昭和12年〈1937年〉頃)があります。

光太郎 柘榴 1924年 大正13 高村千恵子 紙絵 ざくろ 昭和12年






 ・・・人の痛みも 柘榴(ざくろ)のような傷口も・・・
 ~茨木のり子『倚りかからず』・筑摩書房刊~



苦しみの日々 哀しみの日々

                茨木 のり子


苦しみの日々

哀しみの日々

それはひとを少しは深くするだろう

わずか5ミリぐらいではあろうけれど


さなかには心臓も凍結

息をするのさえ難しいほどだが

なんとか通り抜けたとき 初めて気付く

あれはみずからを養うに足る時間であったと


少しずつ 少しずつ深くなってゆけば

やがては解るようになるだろう

人の痛みも 柘榴(ざくろ)のような傷口も

わかったとてどうなるものでもないけれど

   (わからないよりはいいだろう)


苦しみに負けて

哀しみにひしがれて

とげとげのサボテンと化してしまうのは

ごめんである


受けとめるしかない

折々の小さな棘や 病でさえも

はしゃぎや 浮かれのなかには


自己省察の要素は皆無なのだから



                 
        

虹  海  2017年9月3日

2017/ 09/ 03
                 

   虹

 喜びは分かつべくあらむ人びとの虹いま空にありと言ひつつ

             美智子皇后御歌  (平成七年)


   海

 何事もあらざりしごと海のありかの大波は何にてありし

            美智子皇后御歌  (平成二十三年)





                 
        

虫が鳴いている  虫の音

2017/ 08/ 30
                 
 虫の音  虫が鳴いている



 虫の音

虫の音の時折変る明日今日   津田喜美

虫の音に導かれたるしのび足  佐藤花枝

遠ざかる虫の音闇を深めけり  水原月吼




 

虫が鳴いている
いま ないておかなければ
もう駄目だというふうに鳴いている
しぜんと
涙をさそわれる


「虫」。八木重吉(1898.2.9-1927.10.26)の詩です。彼は29歳の若さで夭折しています。
 重吉の妻、とみ(冨美子・とみ子)は、1947年10月26日、吉野秀雄(1902.7.3-1967.7.13・65歳)と結婚しています。吉野秀雄もまた妻に先立たれての再婚でした。


 吉野秀雄は、1958年の『吉野秀雄歌集』(『寒蝉集』、『晴陰集』刊行と同年に、八木重吉詩稿『花と空と祈り』を選詩集として刊行しています。

 吉野秀雄の鎌倉アカデミア時代に、山口瞳(1926.11.3-1995.8.30・71歳)が彼のもとで学んでいました。
吉野秀雄と終生交流を持った山口瞳は、吉野没後、『小説・吉野秀雄先生』を著しています。


 山口瞳は、1958年、開高健(1930.12.30-1989.12.9・58歳)の推薦で壽屋(現・サントリー)宣伝部に入りました。
 PR雑誌「洋酒天国」の編集や、コピーライターとして活躍。ハワイ旅行が当たる懸賞のコピー「トリスを飲んでHawaiiへ行こう!」が代表作となっています。
 この壽屋・サントリー時代からの友人の柳原良平(1931.8.17-2015.8.17・84歳)は、山口の著書の表紙絵、挿絵の多くを描いています。

 「週刊新潮」で1963年から掲載された山口瞳の「男性自身」は、31年間1614回に及ぶシリーズとなりました。最終巻は『江分利満氏の優雅なサヨナラ』です。掲載期間中1回も休載のない、ギネス物のロングランシリーズとして特筆すべきものとなりました。

 1995年8月30日、山口瞳は71歳で他界しました。没後22年、きょうがその命日です。

 彼は、「男性自身」などで、
《人を傷つけたり殺したりすることが厭で、そのために亡びてしまった国家があったということで充分ではないか》
《もし、こういう(非武装の)国を攻め滅ぼそうとする国が存在するならば、そういう世界は生きるに価しないと考える》
と著述しています。




 洋酒マメ天国

  洋酒マメ天国 酒専科 31
     洋酒マメ天国 酒専科・女専科  31
        (表紙絵:柳原良平)



  洋酒マメ天国 全36巻 本棚付 

 全36巻。専用本棚付。発行所サントリー株式会社。

 ・12回配本.3年間完結.予約限定本。

 ・発行昭和42年12月30日~。

 ・3冊1セット/10cm×7cm×4cm(1冊/9.5㎝×6.6㎝×1.2㎝)

 ・専用本棚/33cm×30cm×8cm

  ※本・本棚のサイズは凡その目安程度。