武蔵国 前玉〖幸魂〗神社(さきたまじんじゃ)  埼玉県名発祥の地

 先日、前玉神社を久しぶりに訪れました。
 家猫が二匹出迎えてくれました。

さきたま神社猫①.

さきたま神社猫.②

さきたま神社猫④.さきたま神社猫⑤


 前玉神社本社に上る階段の手前左右に、1697年(元禄10年10月15日)、当神社の氏子たちが所願成就を記念して奉納した、高さ180センチメートルの2つの燈籠があり、それぞれにこの地を詠んだ万葉集の歌、「小崎沼」と「埼玉の津」が刻まれています。

石灯籠二基

 行田市教育委員会〈平成23年(2011年)〉による説明文には、《・・・この石灯籠は『万葉集』に納められた歌の歌碑としては、全国的にみて非常に古いものになります。江戸時代には『万葉集』の研究が盛んになり、関心も高まっていました。そうした中でいち早くこの歌碑を建立した当時のこの地域の人々の文化的水準の高さと、江戸時代の『万葉集』への関心の高さがうかがえる貴重な文化財と言えるでしょう。》と記されています。
 以下、「前玉神社」公式サイトより、お伝えしていくことにします。


◇右側「埼玉の津」の碑 :巻十四 三三八〇
 『佐吉多万能  津爾乎流布禰乃  可是乎伊多美
 埼玉(さきたま)の 津(つ)に居(を)る船の  風をいたみ

          都奈波多由登毛  許登奈多延曽禰』
          綱は絶ゆとも  言(こと)な絶えそね

 ※ 訳 ・・・
 埼玉の渡し場に停まっている船の(船を留めておくためのその)綱が、烈しく吹く風のために切れることがあっても、私たちの恋は切れて絶えないでおくれ(例え二人は逢えずとも、決して心伝える便りは絶やさないで下さい)。
 ※ 解釈・・・・・
 現在の行田市下中条のあたりが詠まれた地である。利根川の流路の船着き場であり、下総の国府から来た水路でかなり賑わいがあったと思われる。現在の行田市も、利根川土手あたりをはじめ赤城颪(おろし)のように烈しく風が吹く。
 北風の強いときは自転車を漕いでも、風に向かうと全然進めないくらいである。そのことを考えると烈しく吹く風の中で揺れたり激しく船に叩きつけられている「もやいの綱」を見ている実感が伝わってくる歌である。


◇左側「小埼沼」の碑 :巻十四 三三八〇
 『前玉之 小埼乃沼爾 鴨曽翼霧 
 埼玉の  小埼の沼に  鴨そ翼(はね)霧(き)る

   己尾爾   零置流霜乎  掃等爾有欺』
   己(おの)が尾に 降りおける霜(しも)を 払(はら)ふとにあらし

 ※ 訳 ・・・・・
 埼玉の小埼の沼で、鴨が羽ばたきをして水しぶきを上げている。自分の尾にふり降りた霜を払おうとしていようだ。
 ※ 解釈 ・・・・・
 虫麻呂は常陸の国守藤原宇合(うまかい)の臣下であり、ここ埼玉以外でも、美里町広木で歌を詠んでいる。公用の旅で訪れたときに、目に触れた情景に対して感じたままに歌を詠んだのであろう。




前玉神社( 埼玉県行田市大字埼玉字宮前5450 TEL.048−559−0464 )は、「さきたま古墳群」に隣接する神社です。

前玉神社鳥居

 前玉神社の御祭神は、『古事記』に記す出雲の神、前玉比売神(サキタマヒメノミコト)と前玉彦命(サキタマヒコノミコト)の二柱です。天之甕主神(アマノミカヌシノカミ)の子で、甕主日子神(ミカヌシヒコノカミ)の母です。  
 女神と男神が一緒に祀られていることから、恋愛成就を祈願する神社として、つとに知られています。


 高さ8.7m、周囲92mほどの浅間塚と呼ばれる古墳上に建てられている前玉神社ですが、一説には大化の改新(645年)より一世紀以上さかのぼる安閑天皇、宣化天皇あるいは雄略天皇の頃の古墳時代(400年代後半~500年代前半)ではないかとも考察されています。
 その名残として、社はさきたま古墳群に向かって祈願するように建立されています。

前玉神社正面

 記録による前玉神社は、「延喜式」(927年)に名前が載る古社で、幸魂(さいわいのみたま)神社ともいいます。700年代の古において当神社由来によりつけられた〖前玉郡〗は、後に「埼玉郡〗へと漢字が変化し、現在の埼玉県の名称にへとつながっていきます。かようにして前玉神社は、埼玉県名の発祥となった神社であると、こんにちいわれているところです。

 また、武蔵国前玉郡(むさしのくにさきたまのこおり)は、726年(神亀3年)正倉院文書戸籍帳に見える地名だと言われています。
 1978年(昭和53年)に解読された稲荷山古墳出土の鉄剣の銘文から、471年には大和朝廷の支配する東国領域が、北武蔵国に及んでいたのは確実であろうといわれる由縁です。














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成就院三重塔 日本の五重塔・三重塔

 五重塔といえば、
 昨年は、瑠璃光寺の五重塔(31.2m.国宝・室町時代〈嘉吉2年五重組上・1442年.山口県〉、
瑠璃光寺五重塔2016年5月23日
(瑠璃光寺五重塔:2016年年5月22日~23日〈中也墓参〉)

 今年は、東寺の五重塔(54.8m.国宝・江戸時代〈正保元年入仏・1644年〉.京都府)、
東寺五重塔2017年1月21日
(東寺五重塔:2017年1月20日~21日〈七福神まわり〉)

 法観寺の五重塔「通称「八坂の塔」(38.8m.重要文化財・室町時代〈永享12年建立供養・1440年.京都府〉
法観寺五重塔・八坂の塔2017年1月21日
(法観寺五重塔:2017年1月20日~21日〈近江兼平墓前祭・義仲忌・七福神まわり〉)

の姿を見ることができました。
 

 江戸時代以前に建立した木造五重塔は、国宝11基(ウチ小塔2基)、重要文化財14基を数えます。
  ちなみに、法隆寺の五重塔(31.5m.国宝・世界遺産.〈奈良時代・7世紀末~8世紀初〉)は、世界最古の木造五重塔で、東寺の五重塔(54.8m)は、日本で一番高い五重塔です。

 一方、国内107基(重文の小塔2基を加えています)を数える三重塔は、国宝13基、重要文化財45基(小塔2基を加えています)が各地に点在しています。
 現存する五重塔、三重塔の中で日本最古は、法起寺三重塔(24m.国宝・飛鳥時代建立.奈良県)です。


 三重塔といえば、食べ物の甘さを控えることのなかったあの当時、かの知る人ぞ知る「くるみおはぎ」食べたさに、信州上田の前山寺(ぜんざんじ)の三重塔(室町時代・重要文化財)に何回か足を運んだことがありました。
 
 三重塔が身近なところにあったのを知ったのは、デジカメを手にしてこのかた6年も経っていない頃でした。
 吉見町の安楽寺三重塔〈明暦2年 (1656年)頃 〉です。この境内の裏手の畑で、幾年か前に野兎に遭遇することができました 。
安楽寺三重塔2016年2月27日
(安楽寺三重塔:2016年2月27日)

 そして、今年初めて訪れた(2月26日)のが、行田市の成就院三重塔です。
 埼玉県には、あと一つ川口市に福寺三重塔〈元禄6年 (1693年) 〉がありますが、何れも江戸時代に建立され、県指定文化財となっています。

成就院三重塔2017年2月26日
 《成就院三重塔は、享保14年(1729年)に建立されたもので、昭和56年(1981年)~57年(1982年)に解体復原工事を実施し、現在に至っています。塔内には、忍城主阿部豊後守忠秋より拝領と伝えられる葉衣(ようえ)観世音菩薩が本尊として安置されています。

 地方の大工の手による特色ある塔で、1間4面、初重(しょじゅう)柱間一間、銅瓦棒葺の構造となっています。各層とも二手先の料栱(りょうきょう)、吹寄棰(ふきよせたるき)一軒、各種箱型の積み上げで、塔の中心柱は2層で止めて下に降ろさず、内陣には須弥檀(しゅみだん)を設け、格天井(ごうてんじょう)を組み、花鳥の図を飾っています。

読み  じょうじゅいんさんじゅうのとう
区分  県指定有形文化財
種別  建造物
員数  1基
所在地 行田市長野7618 成就院
時代  江戸
形状  総高11.18m、間口奥行2.24m、相輪高2.92m
公開/非公開  公開
指定年月日   昭和50年(1975年)3月31日 》









真言宗 智山派 五智山 成就院 本堂鵤工舎施工

 成就院(じょうじゅいん・埼玉県行田市長野7618.℡048-559-0360)の今の本堂は、現代の宮大工を代表する小川三夫(〈※〉)氏の率いる鵤工舎(いかるがこうしゃ)が施行しました。落慶は平成11年(1999年)です。

①成就院本堂
〈※〉小川三夫(おがわみつお):昭和22年(1947年)、栃木県生まれ。昭和41年(1966年)、栃木県立氏家高等学校卒業。卒業後、西岡常一棟梁の門を叩くが断られる。飯山の仏壇屋、日御碕神社、酒垂神社で修行をしたあと、昭和44年(1969年)、西岡棟梁の内弟子となる。
 法輪寺三重塔、薬師寺金堂、同西塔の再建に副棟梁として活躍。昭和52年(1977年)、鵤工舎を設立。以後、国土安穏寺、国泰寺をはじめ、全国各地の寺院の修理、改築、再建、新築の設計・施行、模型製作に当たり現在に至る。
〈『木のいのち木のこころ(地)』発行所㈱草思社.1994年4月5日 11刷によるプロフィール〉



《成就院の開創は、天正年間(1573年~)で、開山敒宥和尚(ちんゆうわじょう)から現在まで歴代二十一代です。
 ご本尊は不動明王です。
 ・・・
 境内には享保14年(1729年)建立の三重塔があり、県の指定文化財になっています。
 塔本尊の葉衣観音(ようえかんのん)は、忍城主阿部豊後守忠秋公の帰依仏と伝えられています。
 なお県内に現存する江戸時代建立の三重塔は、比企郡吉見町安楽寺、川口市立野西福寺と本寺の三基のみです。》
②成就院山門三重塔
 成就院 山門・三重塔



 また、成就院は、忍城下七福神(〈※〉)の「寿老人」のお寺でもあり、行田十五番霊場(〈※〉)「十三番札所」でもあります。

成就院 寿老人 2017年
〈※〉忍城下七福神:
1.行田八幡神社(大黒天)行田市行田16-23
2.真言宗智山派遍照院(福禄寿)行田市駒形1-4-18
3.浄土宗大長寺(毘沙門天)行田市行田23-1
4.真言宗智山派宝積寺(恵比寿神)行田市谷郷1-2-8
5.真言宗智山派成就院(寿老人)行田市長野7618
6.真言宗智山派遍性寺(弁財天)行田市若小玉2980
7.曹洞宗興徳寺(布袋尊)行田市下中条1619-2
(行田忍城下七福神は、行田市忍城下にある7寺社で構成される七福神めぐりです。忍藩堂の方が中心となり、2011年3月に始まり、通年でスタンプを受け付けているといいます。〈台紙は構成寺社で200円にて購入可能、七福神が描かれた絵図は1000円にて忍藩堂で購入可能です。〉)

④成就院七福神説明書き


〈※〉行田十五番霊場:
1.遍照院(行田市駒形1-4-18)
2.正覚寺(行田市城西4-3-21)
3.宝蔵寺(行田市持田5908-1)
4.持宝院(行田市上池守728)
5.宝珠院(行田市和田685)
6.観福寺(行田市南河原1500-1)
7.慶岩寺(行田市酒巻1862)
8.宝泉寺(行田市斉條737)
9.真福寺(鴻巣市屈巣3715)
10.宝珠院(行田市樋上262-1)
11.竜泉寺(行田市若小玉2370)
12.神仙寺(行田市小針2789)
13.成就院(行田市長野7618)
14.安楽寺(行田市埼玉4977)
15.満願寺(行田市野744)
(行田救済菩薩十五霊場は、行田市・鴻巣市の15ヶ寺が平成4年(1992年)に、衆生救済菩薩の霊場を結成したといいます。)









土筆摘み・・・・

 勤めていた会社のOB会役員会が終わった帰り道、もしかしたら土筆が出始めているかもしれないと思い、心当たりのところに行ってみることにしました。
 (ツクシが顔を出しているという、今朝のNHKの映像トピックスに触発されたからでもあります。)

 行ったところは、古代蓮の里、さきたま古墳公園、成就院(じょうじゅいん)三重塔、白山姫神社、そして、前玉神社(さきたまじんじゃ)です。

成就院三重塔と白山姫神社は、今回初めて訪れました。

白山姫神社は、白山古墳という、7世紀前半に築かれた円墳(墳径約50m、高さ5.7m)の墳丘の一部にまつられています。

前玉神社は、浅間塚(せんげんづか)古墳という、7世紀前半頃に築かれたと推測される円墳(墳径約50m、高さ8.7m)の墳頂にまつられています。円墳の中腹には、名前の由来となった浅間神社(せんげんじんじゃ)もまつられています。



 古代蓮の里では、カワセミをみることができました。大きな立派なカメラを構えた4、5人の人たちの前を池面すれすれにさっと飛び去っていきました。
 ここでは、土筆をみることができませんでしたが、ロウバイの花が咲き競っているのをみることができました。

①ロウバイ 2017年2月26日

 さきたま古墳公園では、ダイサギ、アオサギ、カルガモをみることができました。

③ ダイサギ 20170226


④ アオサギ 20170226

⑤ カルガモ 20170226

 さきたま古墳公園の北側裏手に足を運んでみました。
 ここでも、土筆は顔を出していませんでしたが、カラシ菜を摘み取ることができました。
 
 突然、目の前から野鳥が羽ばたいて飛び立ちました。雌の雉でした。

②カラシ菜 2017年2月26日

 さきたま古墳公園の南片隅、前玉神社近くでは、紅梅、白梅が並んで咲いていました。

⑦紅梅 20170226

⑧白梅 20170226

 成就院三重塔、白山姫神社、前玉神社、何れも土筆をみかけませんでした。

 成就院の門をくぐって知ったのが、行田七福神めぐりの「寿老人」のお寺だったということでした。











関東の石舞台 八幡山古墳石室 埼玉県行田市 

 皆さんは、奈良県明日香村の「石舞台古墳」を良くご存知のことと思います。そして目の当たりに見た方も何人もいらっしゃることと思います。
 今回は、その「奈良の石舞台」〈※〉に匹敵する、「関東の石舞台」〈※〉をお披露目することに致します。

注記:「奈良の石舞台」=「奈良県明日香村の石舞台古墳=「前者」。
   「関東の石舞台」=「埼玉県行田市の八幡山古墳石室」=「後者」。


 その1.「築造」
      前者は7世紀初め頃と推定。
      後者は7世紀中頃と推定。
 その2.「古墳の規模」
      前者は、元々は1辺約55メートルの方墳だったとされている。
      後者は直径約80mの円墳と推定。
 その3.「石室の大きさ」
      前者は、高さおよそ2間(約3.6m)、周囲およそ10間(約18m)。 
      後者は、前・中・後室の3室からなる全長16.7m。
 その4.「被葬者」
      前者の被葬者は明らかではありませんが、7世紀初頭の権力者で、大化の改新で滅ぼされた蘇我入鹿の祖父でもある蘇我馬子の墓ではないかといわれている。
     後者の被葬者は、「聖徳太子伝暦(しょうとくたいしでんりゃく)」に登場する武蔵国造物部連兄磨(むさしのくにのみやつこもののべのむらじあにまろ)の墓と推測する説もあります。

 いろいろと両者の異なるところを並べてみましたが・・・
 身近なところにも、ちょっと足をのばせば新たな発見がある、そんな思いを今回はメッセージさせて頂きました。



『関東の石舞台 八幡山古墳石室』 (行田市教育委員会)

 《発掘調査では最高級の棺である漆塗木棺(うるしぬりもっかん)の破片や銅鋺(どうわん)など豪華な遺物が発見されており、この古墳に葬られた人物がかなりの権力者であったと考えられることから、「聖徳太子伝暦(しょうとくたいしでんりゃく)」に登場する武蔵国造物部連兄磨(むさしのくにのみやつこもののべのむらじあにまろ)の墓と推測する説もあります。奈良県明日香村の石舞台古墳(いしぶたいこふん)に匹敵する巨大な石室であることから、「関東の石舞台」とも呼ばれています。
 ・読み はちまんやまこふんせきしつ
 ・区分 県指定記念物
 ・種別 史跡
 ・所在地 行田市藤原町1-27-2
 ・時代 古墳
 ・形状 石室全長16.7m
 ・公開/非公開 公開( 石室内の公開は土曜日・日曜日・祝日〔年末年始を除く〕)
 ・指定年月日 昭和19年3月31日  》



「八幡山古墳石室」(2016年12月1日)

②全景 20161201八幡山古墳石室

①入口 20161201 八幡山古墳石室

③ 八幡山古墳石室 20161201 側面

④ 八幡山古墳石室 20161201 側面

⑥ 八幡山古墳石室 20161201 下から上を見る

⑤ 八幡山古墳石室 20161201  上から下を見る




プロフィール

むさしの想坊

Author:むさしの想坊
 これから何が飛び出してくるのでしょうか。ひきだしの奥にしまっていたものと合わせ、足跡を綴っていきたいと思います。
 昨日は金環日食をみることが出来ました。
・東京スカイツリー開業日の2012年5月22日記。

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