武藏一宮 氷川神社「観月雅楽演奏会」 高麗郡建部1300年 高麗神社「観月祭」

2017/ 09/ 29
                 
 大宮の氷川神社で毎年執り行われる「観月雅楽演奏会」(17:30開演)〈※〉、いつだったか私たちが観賞した時は、十三夜でした。
 今年は十五夜の日の10月4日(水)に奉納されます。

 同日、日高の高麗神社でも、「観月祭」(18:00~受付)が開催されます。

 氷川神社の観覧は無料で、約300席の自由席が用意されますが、「未就学児童の入場はお断りしております。」とのこととなっています。
 高麗神社は、参列・参加定員は100名となっていて、「参加費として、祭典に参列いただきますので、玉串料をお気持ちでお包みいただきます。」、「祭典に続き二胡の奉納演奏があります。お子様の参加につきましては十分にご留意いただきますようお願いいたします。」とのこととなっています。


 
 註〈※〉
氷川神社「観月雅楽演奏会」開催日は、十五夜? 十三夜? それとも満月?
 
◇2017年(平成29年)10月 4日(水):十五夜=旧暦8月15日
◇2016年(平成28年)10月13日(木):十三夜=旧暦9月13日
◇2015年(平成27年)10月27日(火):満月=旧暦9月15日
◇2014年(平成26年)10月 6日(月):十三夜=旧暦9月13日
◇2013年(平成25年)10月17日(木):十三夜=旧暦9月13日
◇2012年(平成24年)10月30日(火):満月=旧暦9月16日





◇『武蔵一宮 氷川神社~平成二十九年 観月雅楽演奏会のお知らせ~』

本年も観月雅楽演奏会を開催いたします。本年は明治天皇御親祭150年を奉祝し、神楽と舞楽を奉納致します。

日時:平成29年10月4日(水) 17:30開演

演目

・人長舞
・豊栄舞
・浦安舞
・五常楽
・胡蝶
・蘭陵王

観覧は無料で自由席(約300席)になりますが、未就学児童の入場はお断りしております。




◇『高麗郡建部1300年「高麗神社」~観月祭~』

日にち:平成29年 10月4日(水)
時 間:18:30~20:00(受付18:00~18:25)
場 所:本殿
定 員:100名
対 象:どなたでも参加できます。

申込み:不要 当日参集殿2階ロビーへお越しください。
※祭典に続き二胡の奉納演奏があります。お子様の参加につきましては十分にご留意いただきますようお願いいたします。

参加費:祭典に参列いただきますので、玉串料をお気持ちでお包みいただきます。

<行事内容>

月下の恵に、神前を通じて感謝を捧げます。続いて奉納演奏を行い、美しい音色を神々へ奉り、参列の皆様にもご鑑賞いただきます。終了後には、観月祭のお供えとして特別に創作した和菓子を徹してお配りいたします。狭山茶と共にいただきながら中秋の名月をお楽しみください。

<予 定>18:00~18:25 受付
18:30 祭典執行 休憩(10分程度)
19:00 奉納演奏(45分程を予定)
20:00 お茶とお菓子をいただきながらお月見の後、終了
<中国伝統楽器 二胡 奉納演奏>
二胡奏者:馬 高彦(Ma Gaoyan マ・ガオイエン)
中国山西省河津県出身。7歳の頃より音楽教師の兄より二胡を学び始める。
13歳の時に山西省運城地区文工団のオーディションに合格し、最年少で入団。
1980年に飛び級で16歳天津音楽学院に入学。同学院卒業後は山西大学音楽学部(現:山西大学音楽学院)の講師となる。1991年中国最大規模の【上海之春 敦煌杯 全国二胡コンクール】プロ部門において演奏賞受賞。1992年来日、埼玉県を中心に全国各地でリサイタルを行う。
中国の楽曲はもとより日本の歌、映画音楽、ポピュラー、そしてクラシックナンバーに 至るまで幅広いレパートリーを持ち、その卓越した技巧と叙情味溢れる演奏は、多くの人々を魅了している。出版したCDアルバム 「離騒」/「遥かなる大地の歌」/「黄河の源へ」/「ニ胡が奏でる日本の詩」東京都、埼玉県、群馬県、茨城県で二胡を教える。
・公式WEBサイト
http://www7a.biglobe.ne.jp/~magaoyan
<観月祭 献上 和菓子 高麗観月>
菓子名:高麗観月 (こまかんげつ)
このたび夜空に見える満月を題材に、和菓子を創作いたしました。観月祭にて大神様にお供えし、終了後にご参加の皆様にお分けいたします。 初お披露目となる美味しい和菓子と狭山茶をいただきながら中秋の名月をご観賞ください。 菓子謹製:栗こま娘本舗 亀屋(日高市原宿)



                 
        

狂言 「仏師」  高麗家住宅

2017/ 09/ 24
                 
 小諸の野岸小学校の何年生の時だったでしょうか。
 講堂(体育室を兼ねた)に大勢の生徒を集合させ観賞させたのが、狂言の「附子〈ぶす〉」(〈※2〉)でした。他にも演目があったような気もしますが、今となっては覚えていません。
 〈こんにちでは、小学校5年生の国語の教科書で採り上げられているようですね。)

 というような、はるか以前のことを思い浮かべながら、「仏師〈ぶっし〉」(〈※1〉)の開かれる高麗家住宅に足を運びました。

高麗家住宅 20170923


狂言師は、高澤祐介(たかざわゆうすけ)氏、三宅右矩(みやけすけのり)氏のお二人。

狂言仏師 会場 高麗家住宅



高澤氏より、狂言の説明が20分ほどありました。

 ・古典芸能だけれど、かたさ(難さ・硬さ・固さ)は外してみていただく。 
 ・今から650年前から700年前の室町時代に中国大陸から伝わった芸能。
 ・当時は、言葉の発達途上の時代、パントマイムのような仕草、猿などの動物を登場させている大道芸のようなものから始まった。
 ・「能楽」の中の狂言。
 ・2001年、『能』とともに『狂言』が、ユネスコの制定する世界無形文化遺産の記念すべき第1回目に認定された。
 
 ・こんにちまで、大切に、かたちを守るのを得意としている。
 ・狂言は、喜劇。明るくなる。和やかになる。
 ・狂言は、セリフ劇。対話劇。かたちを守りつつ、忠実に継承。
 ・狂言師は伝統を守りながら演じている。たまたま笑いが起これば・・・(それはそれで楽しんでください・・・)
 ・狂言は、室町時代の口語。日常会話。一方、能という芸能は文語。むつかしい。正反対の芸能。

 ・「仏師」は、古典254曲のひとつ。
 ・20分前後の作品が多いが、長いものは1時間に及ぶ。
 ・「仏師」は長く演じても25分くらい。登場人物は、すっぱ(詐欺師)と田舎者の二人。

 ・先ずは、名のり(自己紹介)から始まります。
 (田舎者):このあたりの者でござる。
 (すっぱ):洛中にこころのすぐにない者でござる。

 エトセトラ・・・
≪・メイクはしない。
  ・お面を使う。「おと」は「おかめ」の原型。「うそふき」は「ひょっとこ」の原型。(「うそふき」とは「空を吹く=口笛を吹く」)  ≫

 ・・・



註〈※1〉:「仏師」: 
 《 在所で持仏堂を建立した田舎者は、中に安置する御仏を買い求めに京の都へやってきます。都の賑やかさになかなか仏師を探せない田舎者の元へ、都の詐欺師が近づき自ら仏師であると偽って、仏の種類・大きさ・値段を交渉して金を騙し取ろうと企てますが・・・ 》→(リード文、拝借しました)


註〈※2〉:「附子〈ぶす〉」:
 《 主人は外出するにあたり、二人の召使いに附子を預けて、「これは吹く風に触れるだけでも滅却(=死)に値するほどの猛毒だから、注意しながら留守番をするように」と云い付け出掛けます。残された召使いは怖々見張りながらも、段々と中身が気になって・・・ 》→(リード文、拝借しました)


 ※追補: 本日まことにタイミングよく、NHK・Eテレで、午後9時から2時間番組の《古典芸能への招待 大蔵流狂言「佐渡狐」、「首引」、「狸腹鼓」》がありました。
 まことにまことに、よろしゅうございました。
 以下、三つの演目について、辞典などを検索して載せました。

「佐渡狐」
~佐渡に狐がいるのかいないのか、必死のアピールが楽しい
  ・茂山忠三郎 茂山茂 他

「首 引」
~愛くるしい姫鬼に子煩悩すぎる甘い親鬼達と、武将の勝負!
  ・善竹忠一郎 善竹隆司 善竹隆平 他

「狸腹鼓」(〈※〉)
~釣狐と並ぶ大蔵流狂言の井伊直弼ゆかりの最高秘曲を
  ・茂山千五郎 茂山千作師



註(〈※〉):狸腹鼓(たぬきのはらつづみ)

《◇大蔵・和泉(いずみ)流。雌狸が尼に化けて猟師に殺生を戒めるが、見破られて命ごいに腹鼓を打ち、すきを見て逃げる。

◇古塚にすむ雌狸が尼に化けて狸捕りの猟師に殺生の恐ろしさを説くが、犬にほえられて正体を現す。助命を請うて腹鼓を打つが、弓矢で追われる。

◇猟師が狸を射ようと物陰に隠れて待っている。そこへ夫の雄狸の行方を心配する雌狸(シテ。狸の面を着用)が尼に化けて来かかり、殺生の恐ろしさを語って聞かせる。猟師は改心するが、尼と別れたあとしきりに犬がほえるのを不審に思い、庵(いおり)に潜んでいる尼をみつけて正体を見破る。射殺そうとするが、雌狸が腹の子が不憫(ふびん)だと命ごいをするので、腹鼓をみせるならと命を助ける。尼は早替りで装束を脱ぎ狸の姿となり、腹鼓を打つうち、すきをみて弓矢を奪い、逆に猟師を追い込んでいく。以上は和泉(いずみ)流の現在の内容で、前田藩とゆかりが深く「加賀狸」と俗称される。大蔵流の現行曲は、江戸末期に井伊直弼(なおすけ)が古作を改訂したもので通称「彦根(ひこね)狸」、和泉流と大筋に違いはないが、シテが初め妙寸(みょうすん)(尼)と狸の面を二重に着けているのが特例。両流とも最高秘曲としているが・・・ 》




                 
        

高麗家住宅  両陛下 2日間埼玉に滞在

2017/ 09/ 22
                 
 高麗神社の境内に隣接している「高麗家住宅」は、民家としてはとても早い段階で、国の重要文化財に指定(昭和46年〈1971年〉6月)されています。 
 高麗家は高麗神社の神職を代々務めてきた旧家で、昭和29年(1954年)頃まで400年近く、この建屋に居住していました。

 
  高麗家住宅


~~高麗神社公式サイトより~~
《「国指定重要文化財 高麗家住宅」

高麗家は高麗神社の神職を代々務めてきた旧家で、住宅は境内の隣接地にあります。
建築年代は、慶長年間(1596~1615)と伝えられています。
建築様式は古く、17世紀のものであることは確実であると指摘されています。
■国指定重要文化財
東日本の民家の中では古い形を遺している極めて重要な例とされ、昭和46年(1971)6月に重要文化財に指定されました。
永年の風雪に耐えて伝えられてきたものの、傷みがひどくなっていたため、昭和51年(1976)10月から昭和52年9月にかけて、建物の全解体による根本的大修理が行われました。現在の姿は、その修理工事の際に建設当時の姿を復元したものです。
■高麗家住宅の構造
建物は茅葺きの入母屋造りの平入りで、その大きさは桁行七間半、梁間五間で長方形の平面をなしています。
間取りは、土間と5つの部屋で構成されています。
大黒柱(棟持柱)がなく、細い柱で梁を支えているのが特徴で、桁と柱には杉、梁にはケヤキ・松が用いられています。
手斧(ちょうな)や槍鉋(やりがんな)が使用され、全面的に丸みを帯びた仕上げになっています。 》




 2017年9月20日と9月21日の、NHKニュース(首都圏 NEWS WEB)から、「両陛下 渡来人ゆかりの神社訪問」と、「両陛下 渋沢栄一関連文化財視察」の2つをご案内して、「高麗神社シリーズその1」と致します。



《「両陛下 渡来人ゆかりの神社訪問」09月20日 16時50分

 天皇皇后両陛下は、20日埼玉県日高市を訪れ、朝鮮半島からの渡来人ゆかりの神社などを訪ねられました。

  両陛下 高麗神社ー2-


両陛下は、20日から私的な旅行で埼玉県を訪れていて、はじめに日高市にある高麗神社を訪ねられました。
高麗神社は、7世紀に朝鮮半島の高句麗から渡来してこの地域を治め発展の礎を築いたとされる高麗王若光がまつられていて、出世や開運の神社として知られています。
両陛下は、若光から60代目の子孫にあたる宮司の案内で参道をゆっくりと進み、本殿の前で玉串をささげて拝礼されたということです。
両陛下は、続いて、神社の隣にある国の重要文化財の「高麗家住宅」を視察されました。
この建物は、1600年ごろに建てられ、改修を重ねながら高麗家の住まいとして使われてきたもので、天皇陛下は、かやぶき屋根や土間を見て、「いろんなものがよく残っていますね」と話されたということです。
このあと両陛下は、全国有数のヒガンバナの群生地として知られる「巾着田曼珠沙華公園」に足を運ばれました。
公園では、およそ500万本のヒガンバナが見頃を迎えていて、両陛下は、園内を散策しながら真っ赤なじゅうたんを敷き詰めたような秋の景色を楽しまれていました。
両陛下は、2日間埼玉県に滞在し、21日は、深谷市を訪ねられます。



「両陛下 渋沢栄一関連文化財視察」09月21日 17時25分

天皇皇后両陛下は、21日埼玉県深谷市を訪れ、地元出身の明治時代の実業家、渋沢栄一ゆかりの文化財などをご覧になりました。

両陛下 誠之堂


両陛下は、20日から私的な旅行で埼玉県を訪れていて、21日は深谷市にある国の重要文化財の「誠之堂」を訪ねられました。
「誠之堂」は、深谷市出身で国内初の銀行や数多くの企業の設立に関わり、「近代日本経済の父」と呼ばれる実業家、渋沢栄一の77歳の喜寿を祝って、大正5年に建てられた建物です。
イギリス風のれんが造りでありながら、壁にある「喜寿」の文字などは東洋風のデザインで描かれていて、両陛下は大正時代を代表する文化財を熱心にご覧になっていました。
続いて両陛下は、渋沢栄一の生誕の地に足を運ばれました。
渋沢の生家は現在は残っておらず、両陛下は、明治時代に妹夫婦が建て、渋沢家の住まいなどに使われた「中の家」と呼ばれる屋敷をご覧になりました。
ここには、東京に住んでいた渋沢が毎年帰省した際に寝泊まりしていた部屋が残されていて、天皇陛下は床の間の柱などを見て「立派ですね」などと話されたということです。
このあと両陛下は、市内にある渋沢栄一記念館も視察し、2日間の日程を終えて東京に戻られました。 》



                 
        

高麗神社  出世明神 総理大臣 太宰治、壇一雄、そして坂口安吾

2017/ 09/ 21
                 
  鳥居をくぐり、高麗神社境内に入ります。

  高麗神社 鳥居


  由緒書を見ます。

 《 高麗神社は高句麗国(こうくりこく)の王族、高麗王若光(こまのこきしじゃっこう)を祀(まつ)る社である。
 高句麗人は中国大陸の松花江(しょうかこう)流域に住んだ騎馬民族で、朝鮮半島に進出して中国大陸東北部から朝鮮半島の北部を領有し、約七〇〇年君臨していた。
 その後、唐(とう)と新羅(しらぎ)の連合軍の攻撃にあい、六六八年に滅亡した。
 この時の乱を逃れた高句麗国の貴族や僧侶などが多数日本に渡り、主に東国(〈※〉)に住んだが、霊亀(れいき)二年(七一六)、そのうちの一七九九人が武蔵国にうつされ、新しく高麗郡が設置された。
 高麗王若光は、高麗郡の郡司に任命され、武蔵野の開発に尽くし、再び故国の土を踏むことなくこの地で没した。
 郡民はその遺徳をしのび、霊を祀って高麗明神とあがめ、以来現在に至るまで高麗王若光の直系によって社が護られており、今でも多勢の参拝客が訪れている。 》

 (〈註〉:「続日本記」には、霊亀2年5月16日(西暦716年)、関東七国(駿河、甲斐、相模、上総、下総、常陸、下野)に定住していた高麗人1,799人を武蔵国に集め、高麗郡が建部されたことが記されています。 )



 高麗神社は、こんにち出世明神とも言われています。
 由来は、大正末期から昭和の初期にかけて、政治家や法曹界から多くの人たちが高麗神社に参拝され、その後、総理大臣など各界を代表する人物が何人も輩出した(〈※〉)ことから、当時の新聞記者が「出世明神高麗神社」と書いたのが出世開運とされる由緒の始まりとのことです。


(註:〈※〉
 ◇総理大臣:若槻禮次郎(第25代・第28代)、濱口雄幸(第27代)、齋藤實(第30代)、平沼騏一郎(第35代)、小磯國昭(第41代)、鳩山一郎(第52代、第53代、第54代)、
 ◇文部大臣:小野錬太郎(第35代〈文部科学省「歴代文部大臣一覧」による。現行規定以前の、太政官制(文部卿7人)及び内閣制(文部大臣5人)はここでは数えませんでした。文部大臣小野錬太郎を検索すると第36代、第40代、第46代などの表記が散見されます。)
 ◇最高裁長官:石田和外(第5代)、
 ◇検事総長:吉永祐介(第18代)、  )




  文化人の参拝

 小説家では、昭和18年(1943年)頃に太宰治とその仲間が、そして昭和26年(1951年)の例大祭前日の10月18日に坂口安吾(〈※〉)と壇一雄が、それぞれ連れだって参拝しています。
 (著名人の参拝者を列記すると、枚挙にいとまがつかなくなります。新しいところを省いて、ちょっと古いところを列記すると、作家では尾崎紅葉、幸田露伴、漫画家では岡本一平(岡本太郎の父)などの名前を見ることができます。)

(註:〈※〉坂口安吾は、高麗神社の例大祭予行演習に出会い、獅子舞の篠笛の哀調を帯びた音色を聴き、高句麗国が滅びて海を渡ってこの地に移り住んだ亡命者たちの歴史に思いを馳せて、「高麗神社の祭りの笛」という随筆を書いています。



                 
        

高麗神社 皇太子徳仁親王

2017/ 09/ 20
                 
 浩宮徳仁親王殿下は、16歳の御年の昭和51年(1976年)10月2日に、高麗神社に参詣されています。

 戦後以降に区切ってみると、昭和23年(1948年)6月3日、皇太后陛下が、埼玉県下行啓の際、高麗川駅前から高麗神社に向かい御遥拝されています。
 昭和37年(1962年)には、三笠宮崇仁親王殿下(大正天皇第四男子)が、そして平成28年(2016年)には、高円宮(三笠宮第三男子)妃久子さまが、それぞれ参詣されています。


   高麗神社 2017年9月