落葉松 北原白秋 軽井沢町北原白秋文学碑

2017/ 11/ 27
                 
「落葉松詩碑」は、しなの鉄道中軽井沢駅(軽井沢町長倉3037-2.tel 0267-45-5234.駅前駐車場80台.1時間まで無料)を出て北に向かった先にあります。

 「石の教会・内村鑑三記念堂」、「軽井沢高原教会」、「ハレニレ テラス」などを横目で見ながら行った先に、「北原白秋文学碑」が建っています。
 昭和44年(1969年)、北原白秋の功績を讃え、軽井沢町によって建立されました。自然石の大石には、この地に滞在中、カラマツの林を散策して生まれた白秋の名作「落葉松」の詩が彫られています。
 (ちょっと判りづらい場所にあります。)

11-1 落葉松 北原白秋


 その詩碑の先を行くと、「星野温泉 トンボの湯」、「ピッキオビジターセンター」(長倉2148.駐車場特定日〈土日祝〉以外は無料.特定日は30分まで無料、以降1時間ごとに300円.中軽井沢駅から徒歩30分、2.2km.)、「星のや軽井沢」、「軽井沢野鳥の森」への道がつながっています。




落葉松(からまつ)
           北原白秋「水墨集」より


     落葉松

       一 
   からまつの林を過ぎて、
   からまつをしみじみと見き。
   からまつはさびしかりけり。
   たびゆくはさびしかりけり。

       二  
   からまつの林を出でて、
   からまつの林に入りぬ。
   からまつの林に入りて、
   また細く道はつづけり。

       三 
   からまつの林の奥も
   わが通る道はありけり。
   霧雨(きりさめ)のかかる道なり。
   山風(やまかぜ)のかよふ道なり。

       四 
   からまつの林の道は
   われのみか、ひともかよひぬ。
   ほそぼそと通(かよ)ふ道なり。
   さびさびといそぐ道なり。

       五
   からまつの林を過ぎて、
   ゆゑしらず歩みひそめつ。
   からまつはさびしかりけり、   
   からまつとささやきにけり。

       六
   からまつの林を出(い)でて、
   浅間嶺(あさまね)にけぶり立つ見つ。   
   浅間嶺にけぶり立つ見つ。
   からまつのまたそのうへに。

       七
   からまつの林の雨は
   さびしけどいよよしづけし。
   かんこ鳥鳴けるのみなる。
   からまつの濡(ぬ)るるのみなる。
  
       八 
   世の中よ、あはれなりけり。
   常(つね)なけどうれしかりけり。
   山川(やまがは)に山がはの音、
   からまつにからまつのかぜ。


  (出処:日本詩人全集7・北原白秋」.昭和42年5月10日発行.発行所:株式会社新潮社)



  〈※一口メモ・「軽井沢町」公式サイトより〉

  軽井沢の文学碑

 ◇万葉集(まんようしゅう)歌碑
  ~わが国最古の歌集『万葉集』20巻に碓氷峠の歌が二首収められている。歌碑はその二首を刻んで、1967年(昭和42)、軽井沢町により旧碓氷峠見晴台に建立された。<日の暮れに宇須比(うすひ)の山を越ゆる日は夫(せ)なのが袖もさやに振らしつ>(巻十四・よみ人知らず)<ひなくもり宇須比(うすひ)の坂を越えしだに妹(いも)が恋しく忘らえぬかも>(巻二十・他田部子磐前(おさだべのこいわさき))前者は夫と別れ、碓氷峠を越える妻が夫を思いうたった歌。後者は防人に赴く夫が妻を思ってうたった歌。当時の古代東山道は、中山道ルートより南の入山峠付近を通っていたと推定されている。~

 ◇一つ家(ひとつや)の歌碑
  ~世に一つ家の碑といわれる数字歌碑。旧中山道のほとりに大石碑があったというが、1783年(天明3)の浅間大噴火で埋没し、その後洪水で流されて不明になったという。幕末の頃、峠の熊野神社の社人がこの歌の滅失をおそれて、この場所に再建したという。峠から上州の方へすこし下りた所にある。<八万三千八 三六九三三四七 一八二 四五十三二四六 百四億四六>(山道は 寒く寂しな 一つ家に 夜毎身にしむ 百夜置く霜)~

 ◇芭蕉(ばしょう)句碑
  ~江戸前期の俳人松尾芭蕉(1644-1694)の『更科(さらしな)紀行』1688年(元禄元)中の句<ふきとばす 石も浅間の 野分かな>の碑。芭蕉の百年忌にあたる1793年(寛政5)8月、佐久の春秋庵連により追分の浅間神社境内に建てられた。春秋庵長翠の筆。『更科紀行』は芭蕉が門人越智越人(おちえつじん)を伴い、尾張から木曽路を通り、信州更科の里・姨捨山へ月見に行った折の紀行文。なお、芭蕉句碑は町内にもう一基あり、場所は旧軽井沢のショー氏記念之碑と道をへだてた反対側。句は<馬をさへ なかむる雪の あした哉>(甲子吟行の句)。こちらは1843年(天保14)、軽井沢の俳人小林玉蓬により建てられた。~

 ◇タゴール記念像
  ~インドの詩人タゴール(1861-1941)が1916年(大正5)に来日の折、8月に軽井沢を訪れ、三井邸に滞在し、日本女子大の修養会に講師として招かれ、学生を前に「祈り」について講話を行った。この像はそれを記念し、タゴール生誕120年にあたる1980年(昭和55)、日本タゴール協会等によって峠の見晴台に建立された。高田博厚(たかだひろあつ)作。背後の壁に、彼の言葉「人類不戦」の文字が記される。~

 ◇与謝野寛(よさのひろし)・晶子(あきこ)夫妻歌碑
  ~1921年(大正10)、歌人与謝野寛(1873-1935)・晶子(1878-1942)夫妻が星野温泉明星館に滞在し、多くの歌を残した。この時詠んだ歌をもとに1971年(昭和46)、当時の星野温泉当主星野嘉助(ほしのかすけ)が明星の池のほとりに建立した。碑は夫妻の歌が一首ずつ、各自筆の流麗な文字で浮彫りされている。<一むらの しこ鳥のごと わかき人 明星の湯に あそぶ 初秋  寛><秋風に しろく なびけり 山ぐにの 浅間の王の いただきの髪  晶子>現在、歌碑はトンボの湯近くに移された。~

 ◇有島武郎(ありしまたけお)終焉地碑
  ~小説家有島武郎が雑誌記者波多野秋子(はたのあきこ)と1923年(大正12)6月9日に情死した三笠の別荘“浄月庵”跡に建てられた碑。有島生馬(ありしまいくま)の雄渾な筆で有島武郎終焉地と刻まれ、左側に吹田順助(すいたじゅんすけ)著『葦の曲』の中の「混沌の沸乱」という詩の一節が書かれている。1951年(昭和26)夏建立。碑のそばに「ティルダへの友情の碑」(有島からティルダへあてた英文の手紙)もある。なお、浄月庵は1989年(平成元)、三笠から移されていた新軽井沢から軽井沢高原文庫敷地内に再移築された。~

 ◇正宗白鳥(まさむねはくちょう)詩碑
  ~六本辻そばに別荘をかまえ、長く軽井沢を愛した小説家・評論家の正宗白鳥詩碑は、二手橋のずっと奥、一文字山の中腹にひっそりと建つ。正宗白鳥が愛唱したギリシャの詩が、白鳥の筆で、十字型のスウェーデン産黒御影石に刻まれる。石の下に愛用の万年筆が入れてあるという。白鳥没後、丹羽文雄(にわふみお)の発案、ジャーナリズム、文壇からの醵金で、1965年(昭和40)7月に建立。谷口吉郎(たにぐちよしろう)設計。<花さうび 花のいのちは いく年ぞ 時過ぎてたづぬれば 花はなく あるはただ いばらのみ>~

 ◇北原白秋(きたはらはくしゅう)詩碑
  ~1921年(大正10)8月、星野温泉で開かれた自由教育夏季講習会に詩人北原白秋(きたはらはくしゅう)(1885~1942)も講師として参加し、児童自由詩について講話した。この折、落葉松の林を散策して生まれたといわれる詩「落葉松」。1921年(大正10)「明星」11月(創刊)号に発表された。<からまつの林を過ぎて。からまつをしみじみと見き。からまつはさびしかりけり。たびゆくはさびしかりけり。>(第一連)に始まり、第八連まで続く。詩碑は、1969年(昭和44)、軽井沢町により、自然石を使い、星野温泉入口の湯川沿いに建てられた。~

 ◇室生犀星(むろうさいせい)文学碑
  ~室生犀星は1960年(昭和35)、『かげろふの日記遺文』が野間文芸賞を受賞したのを機に、自らの文学碑をつくった。詩の選択、設計、建設費用など一切を自らで行った。場所は二手橋を渡った矢ヶ崎川沿い。詩は『鶴』1928年(昭和3)所収の「切なき思いぞ知る」。碑のかたわらに、犀星が中国東北部へ旅行した折に求めた俑人二体が立っている。~

 ◇中西悟堂(なかにしごどう)詩碑
  ~野鳥研究家として自然保護運動を続け、「日本野鳥の会」を創設し、愛鳥運動を進めた詩人・歌人の中西悟堂(1895-1984)の碑。中西は軽井沢でもよく探鳥会をおこない、地元住民からも敬意をこめて深く感謝された。自筆の詩「ここぞたかはら」の全文が刻まれている。1979年(昭和54)、野鳥の森入口に建立。その後、1986年(昭和61)、肩に小鳥がとまる中西の胸像が碑の隣に加えられた。~

 ◇中村草田男(なかむらくさたお)句碑
  ~人間探求派として称せられ、『萬緑』を主宰した俳人中村草田男(1901~1983)の句碑が2004年(平成16)8月、萬緑同人会により聖パウロカトリック教会裏に建立された。台座も含め高さ80㎝ほどの自然石の裏面に<八月も 落葉松淡し 小會堂>の句が彫られる。表面は聖母子像のレリーフ。会堂が創建された翌年1936年(昭和11)より、妻に導かれ毎夏ミサに通ったという。~

                 
        

セミ 蝉 せみ  

2017/ 08/ 06
                 
 ある年の晩春のゴルフ場です。
 ウグイスの声の合間に、セミの鳴き声が耳に入ってきます。
 その声の主は、ハルゼミです。

 このところ、とんとハルゼミの声を聞かなくなりました。

 私が住んでいたところは、群馬県、長野県、東京都、神奈川県、愛知県、そして埼玉県です。
 ゴルフはこのところ、栃木県が多くなっています。
 それらのところで目にしたり耳にしたりしたセミの種類を、早く鳴く順に並べてみますと、

 ・ハルゼミ
 ・ヒメハルゼミ
 ・ニイニイゼミ
 ・エゾゼミ
 ・クマゼミ 
 ・ヒグラシ
 ・ツクツクボウシ
 ・チッチゼミ

 となっています。
 勿論、声はすれども姿は見えずといった塩梅が多く、その鳴き声で、中て推量した分も含んだセミの種類です。


 セミは俳句によく詠まれています。あの松尾芭蕉の句は誰でも諳んじている通りです。
 セミは夏の季語となっていますが、法師蝉(ツクツクボウシ)だけは、秋の季語となっています。

一方、詩のジャンルでは、「セミ」そのものをタイトルとしたものはあまりお見受けしません。
 私が群馬県に住んでいた頃、山村暮鳥の、

 《 ある時
   また蜩(ひぐらし)のなく頃となった
   かな かな
   かな かな
   どこかに
   いい国があるんだ 》

という詩の一節に出会い、不思議な感覚に満たされたことがありますが、それは「雲 より」というタイトルの35行で成り立っている詩の中の数行であらわしているもので、蜩がタイトルとはなっていませんでした。


夏です。
蝉の声が耳に入ってきます。
詩で表現する蝉は、どんな蝉となるのか。

工藤直子と、金子みすゞの詩です。
  



       せみのなつ

               せみ すすむ

いろんな せみが
せっせと なくぞ
ワシワシワシワシ      
ちょっと一息*Cafe Time*
わしらの なつだ
ミーン ミンミン
みんな でてこい
ツクツク ボーシ
ぼうしをかぶって
まるまるいちにち
うたってあそべば
カナカナカナカナ
もうひぐれ・かな?

 ―工藤直子―




  蝉のおべべ

母さま
裏の木のかげに、
蝉のおべべが
ありました。

蝉も暑くて
脱いだのよ。
脱いで、忘れていったのよ。

晩になったら
さむかろに、
どこへ届けて
やりましょか

 ―金子みすゞ―

 

               
  雲 より

 ふるさと
淙々(そうそう)として
天(あま)の川が流れてゐる
すっかり秋だ
とほく
とほく
豆粒のやうなふるさとだのう

 ある時
また蜩(ひぐらし)のなく頃となった
かな かな
かな かな
どこかに
いい国があるんだ

 赤い林檎
 おなじく
こどもはいふ
赤い林檎のゆめをみたと
いいゆめをみたもんだな
ほんとにいい
いつまでも
わすれないがいいよ
大人(おとな)になってしまへば
もう二どと
そんないい夢は見られないんだ

 雲
丘の上で
としよりと
こどもと
うっとりと雲をながめてゐる

 おなじく
おうい雲よ
ゆうゆうと
馬鹿にのんきさうぢゃないか
どこまでゆくんだ
ずっと磐城平(いはきだひら)の方までゆくんか


  ―山村暮鳥―



                 
        

5月の詩  五月の詩

2017/ 05/ 07
                 
 「萩原朔太郎記念館」が、つい1か月前の2017年(平成29年)4月8日から新たに公開となりました。
 移築復元場所は、前橋文学館と広瀬川を挟んだ河畔緑地です。
 今年の5月11日は、 萩原朔太郎(〈※〉)没後75年となります。

〈※〉萩原 朔太郎:はぎわら さくたろう、1886年(明治19年)11月1日 - 1942年(昭和17年)5月11日).詩人。
「萩原朔太郎記念館」:〈⁂前橋文学館アドレスにナビ設定〉
「前橋文学館」:群馬県前橋市千代田町三丁目12番10号. tel 027-235-8011.
 ・開館時間 9:00~17:00.・休館日 毎週水曜日〈祝日の場合翌日)と年末年始.
 ・文学館の周辺は、広瀬川沿いにさまざまな詩碑が設置されています。水の街前橋ならではの散策コースとなっています。


五月の詩3



五月の詩  5月の詩   

五月の詩2


寺山修司 「五月の詩・序詞」-詩集『われに五月を』より-

   きらめく季節に
   たれがあの帆を歌ったか
   つかのまの僕に
   過ぎてゆく時よ

  夏休みよさようなら
  僕の少年よ さようなら
  ひとりの空ではひとつの季節だけが必要だったのだ 重たい本 すこし
  雲雀の血のにじんだそれらの歳月たち

  萌ゆる雑木は僕のなかにむせんだ 
  僕は知る 風のひかりのなかで
  僕はもう花ばなを歌わないだろう
  僕はもう小鳥やランプを歌わないだろう
  春の水を祖国とよんで 旅立った友らのことを
  そうして僕が知らない僕の新しい血について
  僕は林で考えるだろう
  木苺よ 寮よ 傷をもたない僕の青春よ
  さようなら

   きらめく季節に
   たれがあの帆を歌ったか
   つかのまの僕に
   過ぎてゆく時よ

  二十才 僕は五月に誕生した
  僕は木の葉をふみ若い樹木たちをよんでみる
  いまこそ時 僕は僕の季節の入り口で
  はにかみながら鳥達たちへ
  手をあげてみる
  二十才 僕は五月に誕生した


1-1ミユ


谷川俊太郎 5月の詩 

  言葉 

何もかも失って
言葉まで失ったが
言葉は壊れなかった
流されなかった
ひとりひとりの心の底で

言葉は発芽する
瓦礫(がれき)の下の大地から
昔ながらの訛(なま)り
走り書きの文字
途切れがちな意味

言い古された言葉が
苦しみゆえに甦(よみがえ)る
哀(かな)しいゆえに深まる
新たな意味へと
沈黙に裏打ちされて

1-15 タヌキ

  一心

生きのびるために
生きているのではない
死を避けるために
生きているのではない

そよ風の快さに和む心と
竜巻の禍々(まがまが)しさに怯(おび)える心は
別々の心ではない
同じひとつの私の心

死すべきからだのうちに
生き生きと生きる心がひそむ
悲喜こもごもの
生々流転の

1-8 ノウサギ


  もし言葉が

黙っていた方がいいのだ
もし言葉が
一つの小石の沈黙を
忘れている位なら
その沈黙の
友情と敵意とを
慣れた舌で
ごたまぜにする位なら

黙っていた方がいいのだ
一つの言葉の中に
戦いを見ぬ位なら
祭りとそして
死を聞かぬ位なら

黙っていた方がいいのだ
もし言葉が
言葉を超えたものに
自らを捧げぬ位なら
常により深い静けさのために
歌おうとせぬ位なら


1-2 キジバト


三木露風 「去りゆく五月の詩」-日本詩人全集〈三木露風〉より-  

われは見る。
廃園の奥、
折ふしの音なき花の散りかひ。
風のあゆみ、
静かなる午後の光に、
去りゆく優しき五月のうしろかげを。

空の色やはらかに青みわたり
夢深き樹には啼〔な〕く、空〔むな〕しき鳥。

あゝいま、園〔その〕のうち
「追憶」〔おもひで〕は頭〔かうべ〕を垂れ、
かくてまたひそやかに涙すれども
かの「時」こそは
哀しきにほひのあとを過ぎて
甘きこころをゆすりゆすり
はやもわが楽しき住家〔すみか〕の
屋〔をく〕を出〔い〕でゆく。

去りてゆく五月。
われは見る、汝〔いまし〕のうしろかげを。
地を匍〔は〕へるちひさき虫のひかり。
うち群〔む〕るゝ蜜蜂のものうき唄
その光り、その唄の黄金色〔こがねいろ〕なし
日に咽〔むせ〕び夢みるなか……
あゝ、そが中に、去りゆく
美しき五月よ。

またもわが廃園の奥、
苔古〔ふ〕れる池水〔いけみず〕の上、
その上に散り落つる鬱紺〔うこん〕の花、
わびしげに鬱紺の花、沈黙の層をつくり
日にうかびたゞよふほとり――

色青くきらめける蜻蛉〔せいれい〕ひとつ、
その瞳、ひたとたゞひたと瞻視〔みつ〕む。

ああ去りゆく五月よ、
われは見る汝のうしろかげを。

今ははや色青き蜻蛉の瞳。
鬱紺の花。
「時」はゆく、真昼の水辺〔すゐへん〕よりして――


1-3ヒヨドリ


室生犀星 「五月」-日本詩人全集<室生犀星>より-
           
  悲しめるもののために
  みどりかがやく
  くるしみ生きむとするもののために
  ああ みどりは輝く


1-4ツグミ


中原中也 五月

昼たちし砂塵(さじん)もじっと落付きて淡(うす)ら悲しき春の夕よ 


1-7 シロハラ


萩原朔太郎 「五月の貴公子」-日本詩人全集〈萩原朔太郎「月に吠える」〉より-

若草の上をあるいてゐるとき、
わたしの靴は白い足あとをのこしてゆく、
ほそいすてつきの銀が草でみがかれ、
まるめてぬいだ手ぶくろが宙でおどつて居る、
ああすつぱりといつさいの憂愁をなげだして、
わたしは柔和の羊になりたい、
しつとりとした貴女(あなた)のくびに手をかけて、
あたらしいあやめおしろいのにほひをかいで居たい、
若くさの上をあるいてゐるとき、
わたしは五月の貴公子である。


五月の詩1












                 
        

冬至

2016/ 12/ 21
                 
 今年を振り返る今日この頃となっています。




一年の越しかた良しと柚子風呂に  西崎佐知


湯上りの柚子の香まとひ集まりぬ  加藤美津子


わが余生浸りて想ふ柚子湯かな  八巻年子



冬至 柚子湯 2016年12月21日




                 
        

雨ニモマケズ  宮沢賢治

2016/ 08/ 08
                 


 二人の東北旅行のおりに、 宮沢賢治の古里もおとずれました。
 賢治の記念品の一つとなっている「雨ニモマケズ」。童話「銀河鉄道の夜」とともに、ときに心に響いてくる詩です。


《 「雨ニモマケズの周辺」

 宮沢賢治の没後、賢治愛用のトランク蓋裏のポケットから、一冊の黒手帳が発見されました。これが有名な「雨ニモマケズ」の手帳です。くり返し書かれた南無妙法蓮華経のお題目、快楽もほしがらずに見られる反省や悲願のことば、等といっしょに「雨ニモマケズ」が書いてありました。

 最初に 11.3 とあるのは、昭和6年11月3日を示す日付です。当時、賢治は病床に臥せっておりました。しかし、病人の手になるものとは思えない程の大きな、しっかりした字で、前後9ページに及んで書き込まれております。

 この「雨ニモマケズ」を書いたとき、賢治はおそらく、死を予感していたと想像されます。それを念頭におけば、最後の方の「ソウイウモノニワタシハナリタイ」という悲願が、ずっしりとした重みで、われわれの胸をうちます。

 賢治が晩年、農民と共に生きようとしてつくった「羅須地人協会」のあとには、昭和11年に、「野原ノ松ノ林ノ蔭ノ・・・・・・」からはじまる石碑が建立され、今でも訪れる人が多くおります。

       財団法人
         宮沢賢治記念会 》

①雨ニモマケズ

③印刷雨ニモマケズ


雨ニモマケズ -1-

雨ニモマケズ -2-

雨ニモマケズ -3-