冬至

 今年を振り返る今日この頃となっています。




一年の越しかた良しと柚子風呂に  西崎佐知


湯上りの柚子の香まとひ集まりぬ  加藤美津子


わが余生浸りて想ふ柚子湯かな  八巻年子



冬至 柚子湯 2016年12月21日




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雨ニモマケズ  宮沢賢治



 二人の東北旅行のおりに、 宮沢賢治の古里もおとずれました。
 賢治の記念品の一つとなっている「雨ニモマケズ」。童話「銀河鉄道の夜」とともに、ときに心に響いてくる詩です。


《 「雨ニモマケズの周辺」

 宮沢賢治の没後、賢治愛用のトランク蓋裏のポケットから、一冊の黒手帳が発見されました。これが有名な「雨ニモマケズ」の手帳です。くり返し書かれた南無妙法蓮華経のお題目、快楽もほしがらずに見られる反省や悲願のことば、等といっしょに「雨ニモマケズ」が書いてありました。

 最初に 11.3 とあるのは、昭和6年11月3日を示す日付です。当時、賢治は病床に臥せっておりました。しかし、病人の手になるものとは思えない程の大きな、しっかりした字で、前後9ページに及んで書き込まれております。

 この「雨ニモマケズ」を書いたとき、賢治はおそらく、死を予感していたと想像されます。それを念頭におけば、最後の方の「ソウイウモノニワタシハナリタイ」という悲願が、ずっしりとした重みで、われわれの胸をうちます。

 賢治が晩年、農民と共に生きようとしてつくった「羅須地人協会」のあとには、昭和11年に、「野原ノ松ノ林ノ蔭ノ・・・・・・」からはじまる石碑が建立され、今でも訪れる人が多くおります。

       財団法人
         宮沢賢治記念会 》

①雨ニモマケズ

③印刷雨ニモマケズ


雨ニモマケズ -1-

雨ニモマケズ -2-

雨ニモマケズ -3-



 宮沢賢治  種山ヶ原(作品第368番) パート三


 特に詩歌・童話の世界において、宮沢賢治の名を世に高らしめた一番の功労者は、草野心平その人です。心血を注ぐ彼の尽力があったからこそ、こんにちの「宮沢賢治」ワールドがあるといっても過言ではありません。
  大正14年(1925年)7月、『春と修羅』を読んで「瞠目し感動し」た草野心平から賢治のもとに書簡が届いたことから二人の交友が始まり、同年8月には、草野編集の文芸誌『銅鑼』に詩が発表されています。

 ここ埼玉県における宮沢賢治の足跡をたずねると、大正5年(1916年)9月、賢治は盛岡高等農林学校農学科の2年生の時の学校の地質旅行に参加したおりに、熊谷市、寄居町、長瀞町、小鹿野町、秩父市に足を運んでいます。

宮沢賢治画②


 宮沢賢治は、明治29年(1896年)8月27日、岩手県稗貫(ひえぬき)郡花巻町〈現花巻市〉に生まれ、郷里において昭和8年(1933年)9月21日永眠しました。(享年37歳)

 大正5年(1916年)9月、宮沢賢治は盛岡高等農林学校農学科の2年生の時に、学校の地質旅行に参加して埼玉県各地を訪れていますが、この年の3月には修学旅行で、京都、東京方面に初めて旅行し、8月には、絵画、浮世絵への関心がたかまり、帝室博物館見学のために上京しています。

◇詩歌・童話集の発刊:
 大正13年(1924年)4月、心象スケッチ『春と修羅』〈大正11年1月より大正12年12月までの詩69篇を収録〉を自費出版で東京関根書店より刊行。発行部数一千部。
 大正13年(1924年)4月、イーハトヴ童話『注文の多い料理店』を東京光原社より刊行。
 昭和2年〈1927年)1月、『春と修羅』第二集〈大正13年2月より大正14年10月までの作品108篇収録)の出版を予定して「序」を書いていますが、出版はされていません。
 また『春と修羅』第三集は、大正15年(1926年)5月より昭和2年(1927年)9月までの作品、126篇収録の詩となって書き残されています。
◇没後の全集発刊:
 昭和9年(1934年)10月、「宮沢賢治全集」全三巻が文圃堂より刊行。
 昭和14年(1939年)11月、「宮沢賢治全集」全七巻を十字屋書店より刊行、昭和19年(1944年)2月完結。
 昭和31年(1956年)4月より「宮沢賢治全集」決定版全十一巻を筑摩書房より刊行、昭和32年(1957年)2月完結。

宮沢賢治画①



 宮沢賢治の詩には、「春」、「冬」の文字が良く使われています。
 反面、「夏」という言葉が見つかりません。私が目を通した限りにおいては、次の「種山ヶ原 パート三」に1カ所だけ載っています。諸兄姉において、賢治の「詩」の中に、「夏」が表記されているのをご存知でしたら、どうぞ教えてください。
 

「種山ヶ原 パート三  宮沢賢治」

この高原の残丘(モナドノックス)
こここそその種山の尖端(せんたん)である
炭酸や雨あらゆる試薬に溶け残り
苔から白く装(よそは)れた
アルペン農の夏のウヰーゼの
いちばん終りの露岩(ろがん)である
わたくしはこの巨大な地殻の冷え堅まった動脈に
槌(つち)を加へて検(しら)べよう
おお 角閃石(かくせんせき) 斜長石 暗い石基と斑晶(はんしゃう)と
まさしく閃緑玢岩(せんりょくふんがん)である
じつにわたくしはこの高地の
頑強に浸蝕に抵抗したその形跡から
古い地質図の古生界に疑(うたが)ひをもってゐた
そしてこの前江刺(えさし)の方から登ったときは
雲が深くて草穂は高く
牧路(まきみち)は風の通った痕(あと)と
あるかないかにもつれてゐて
あの傾斜儀の青い磁針は
幾度もぐらぐら方位を変へた
今日こそはこのよく拭(ぬぐ)はれた朝ぞらの下
その玢岩の大きな突起の上に立ち
  ……赤いすいばとひとの影……
なだらかな準平原や河谷(かこく)に澱(よど)む暗い霧
北はけはしいあの死火山の浅葱(あさぎ)まで
天に接する陸の波
イーハトヴ県を展望する
いま姥石(うばいし)の放牧地が
緑青(ろくしやう)いろの雲の影から生れ出る
そこにおお幾百の褐や白
馬があつまりうごいてゐる
かげろふにきらきらゆれてうごいてゐる
食塩をやろうと集めたところにちがひない
しっぽをふったり胸をぶるっとひきつらせたり
それであんなにひかるのだ
起伏をはしる緑のどてのうつくしさ
ヴァンダイク褐にふちどられ
あちこちくっきりまがるのは
この高原が
十数枚のトランプの青いカードだからだ
  ……蜂がぶんぶん飛びめぐる……
海の縞(しま)のやうに幾層ながれる山稜と
しづかにしづかにふくらみ沈む天未線(スカイライン)
ああ何もかももうみんな透明だ
雲が風と水と虚空と光と核の塵(ちり)とでなりたつときに
風も地殻もまたわたくしもそれとひとしく組成され
じつにわたくしは水や風やそれらの核の一部分で
それをわたくしが感ずることは
水や光や風ぜんたいがわたくしなのだ
  ……蜂はどいつもみんな小さなオルガンだ……

(※)所収:日本詩人全集 20 宮沢賢治 発行所株式会社新潮社 昭和42年4月10日発行


宮沢賢治大正15年ごろ
 宮沢賢治(大正15年頃)



山村暮鳥  雲  あるとき



「雲  山村暮鳥」

おうい雲よ
ゆうゆうと
馬鹿にのんきさうぢやないか
どこまでゆくんだ
ずつと磐城平(いはきたひら)の方までゆくんか

(※)所収:現代日本名詩集 大成 3 発行所東京創元新社 昭和40年6月30日 四版

①セミの抜け殻20160805


「あるとき  山村暮鳥」

また蜩(ひぐらし)のなく頃となつた
かな かな
かな かな
どこかに
いい国があるんだ

(※)所収:日本詩人全集 13 発行所株式会社新潮社 昭和43年7月20日発行

②セミの抜け殻20160805


山村暮鳥は、明治17年(1884年)1月10日、群馬県西群馬郡棟高(むなだか)村〈現在高崎市〉に生まれました。
大正2年(1913年)、第一詩集『三人の処女』を、新声社より自費出版。大正4年(1915年)『聖三稜玻璃』(人魚詩社)、大正7年(1918年)『風は草木にささやいた』(白日社)、大正10年(1921年)『梢の巣にて』(洛陽堂)、それぞれの詩集を刊行。大正12年(1923年)、39歳の時に、童話集『鉄の靴』を内外出版社から刊行しています。没後、大正14年(1925年)詩集『雲』がイデア書院より、大正15年(1926年)詩集『月夜の牡丹』(花岡謙二編)が紅玉堂より、相次いで刊行されました。






津村信夫「夏草」



  夏草  津村信夫

お父さん
燐寸(まつち)をおつけしませうね
そして それを一服お喫(す)ひになつたら
また ゆつくり歩き初めませう
いくらか空気も冷えてきました
――お前たち 若い者は
  かうやつて歩いて行くうち
  どんな事を考へるか
お父さん あなたはさうお訊(き)になつたのですね
お父さん
明るい昼の中でも
私達は夢を持つのです
白い雲が あの誘惑者が
今恰度(ちゃうど)
私達の頭の上を過ぎてゆきます
それから
もつと何かお訊き下さい
そんなふうに優しく
そんなふうに静かに
お父さん お父さん

父を喪(うしな)つてから
私に初めての夏が来ました
草が茂つて
どうかすると
私の姿も隠されてしまひます
私は歩いてゆくのです
かうやつて
あれらの夏の続きを歩いて行くのです
(空気も冷えてきました そしてもう充分夏の外気には言葉がみちてゐます)
私の視界には 畑と丘の間に
ぽつかりと口をあけて
沼が白くにぶく光ってゐました


(※)所収:日本詩人全集 33 昭和詩集(一) 発行所新潮社 昭和44年4月25日発行


 津村信夫(つむらのぶお)は、明治42年(1909年)1月5日、兵庫県神戸市に生まれました。
 昭和9年(1934年)、詩誌『四季』が創刊され、堀辰雄、丸山薫、三好達治、立原道造らと共に参加。同年3月、慶應義塾大学経済学部を卒業しています。
 生前の詩集としては、昭和10年(1935年)、第一詩集『愛する神の歌』(四季社より自費出版)、昭和17年(1942年)『父のゐる庭』(白井書房)、昭和19年(1944年)『ある遍歴から』(湯川弘文堂)を刊行しています。
 没後、『善光寺平』(昭和22年〈1947年〉・国民図書刊行会)、『さらば夏の光よ』(昭和23年〈1948年〉・矢代書店)が、相次いで刊行されました。

プロフィール

むさしの想坊

Author:むさしの想坊
 これから何が飛び出してくるのでしょうか。ひきだしの奥にしまっていたものと合わせ、足跡を綴っていきたいと思います。
 昨日は金環日食をみることが出来ました。
・東京スカイツリー開業日の2012年5月22日記。

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