ピエロの衣装でパントマイム




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荻窪時代 ~カエルの料理~

 
 
 「ロブスター」と、「オマールエビ」の違いは、単に言い方が異なるだけです。
 『レッドロブスター』の現在のメニューでは「ライブロブスター」と書かれています。
 『レッドロブスター』が日本に最初に進出した当時の店舗や、下高井戸の店舗、そして熊谷の店舗、今は何れも店名が見つかりません。

(※ ・ロブスター:英語の「lobster」 ・オマールエビの由来:フランス語の「homard(=オマール)」)
  


 アメリカに出張した時に、アメリカ的な食べ物として、『ケンタッキー・フライドチキン』のフライドチキンと、どこの街角にも出ている、ハンバーガーと、そして『レッドロブスター』のロブスターを食べたいと思っていたのですが、ハンバーガーを除いて、他の二つは本場で食べる機会がありませんでした。
 アメリカには数度出かけましたが、どこに行っても、ビーフステーキは大きく噛み応えがありました。
 でもアメリカのシカゴで食べた「蕎麦」が一番美味しかったです。日本で食べる、そば処と比較しても、十分以上に満足のいく味のお店でした。


 
 何度目かの本社(このときの本社は、東京にありました)勤務の時、荻窪に住みました。
 或る時の休日に、車で『レッドロブスター・下高井戸店』に行きました。
 メニューの中から幾つか注文してから、ふとお品書きの片隅に、カエル料理(「カエル」という名前では記載されていません)が載っていたのが目に留まり、追加注文しました。
 見た目は白身です。淡白な味でした。例えていうなら鶏肉に似た感じで、柔らかく素直な肉質です。

 
 東京の本社から埼玉工場に赴任した時に、加須にある『むさしの村』のすぐ近くにある『甚兵衛砦(じんべえとりで)』(※:現在このお店はありません)でも、カエルを食べました。
 (追記※:甚平砦〈じんぺいとりで〉だったかも?・・・)

 皆で囲炉裏を囲んでの宴会です。HAさんが熱心に奨めてくれました。外見はツグミに似たような感じの食べ物でした。「これは何?」 と、尋ねても、「いいから食べてみて」とこたえるばかりです。私が食べ終わった後、「どう? 美味しかった?」と聞きます。「ウン、淡白で上品な味だネ」と私の返事。そして、よくよく周りをみてみると、誰一人として、その料理を口に運んでいなかったことが判りました。
 そのすすめられた品は、カエルだったのです。
 勿体ないので、私が全て美味しくいただいたのは、今更申し上げることもございません。とさ・・・


 サラリーマンは転勤がつきものです。
 その後のこととなりますが、名古屋工場勤務の時、春日井の居酒屋でも、カエルの料理を食べる機会がありました。


 ところで、ハトを食べたことはありますか。フランスでは一般的な家庭料理の一つです。今でもメニューに見かけるレストランもあるかも知れません。
 そのうちにでも、鉄砲打ちのHBさんから頂いたハトを,調理して食べたこと。を載せたいと思います。


(※: フランスでは、シーズンになるとカエル料理やハト料理を出すお店をみかけるそうです。・勿論「冷凍品」も置いてあるとのことです。)




東北沢物語  -決闘-

  東北沢に住んでいた時だったか、それともその次の引っ越し先の浜田山の時だったのか。

 これから書くことは、全て本当のことではありません。
 思い出と言うものは、書き手の都合よく整えられていってしまうもののようです。
 


 Dから決闘を申し込まれました。
 男として正面から受け止めるのは、理の当然です。
 どうしてそうなったのかということは、いまだもって判然としません。どういう図式を描けばよかったというのでしょうか。
 
 相手がそう思っている以上、事実がどうのこうのという以前に、こちらもライバル(?!・・・)に敬意を表しなければいけません。

 時と場所が決まりました。
 荒野の決闘ではなく、どこかの原っぱのような空き地だったと思います。
 二人はまずは、靴を脱ぎ裸足(はだし)になりました。
 (追補:お互いの名誉のために申し添えますが、チャンと靴下をぬいでからの、「イザッ!」でございました。)

 身構えました。
 当時のカンフー映画の見すぎだったかどうか判りませんが、数メートルの間をおいてグルグル時計回りに動き始めました。
 距離がスッと縮まります。と、徐(おもむろ)に、お互いが蹴りをいれての探り合が始まります。

 今度は接近戦です。半身の構えとなります。
 二人の利き手が同時に炸裂します。今度はボクシングです。
 
 相手が叫びます。こちらもかかって来いと応じます。
 
 ・・・ それからの先が、いま思い出そうとしても、何も浮かんでこないのです。


 ただ、ひとつ言えることは、そのときを契機にして、私は今まで以上に「八方美人」(※)に、ますます磨きをかけていくこととなりました。


 《※「八方美人」の由来につきましては、後程、縷々述べたいと思っています。》
 

 
 

東北沢物語 -食べ物・飲み物-

 「ご立派なお父様ですね」。
 ただいま。といってすぐ、(このときだけだと思いましたが)奥様が玄関口に出てきました。そして開口一番がこの言葉でした。

 何かなと思ったら、父が田舎の家の庭でたわわに実ったボタンキョウ(牡丹杏、巴旦杏〈ハタンキョウ〉、李〈スモモ〉)を届けに来たとのことです。

 父が新橋駅にほど近い東京電力の本店にいたときよりも、もっと後のことだったと思います。何かの折にボタンキョウが好きだった息子のために、わざわざ家の庭の枝から狩り取って持ってきてくれたのです。
 
 日ごろの私とは雲泥の差アリアリの、父の容姿と振る舞いに、下宿先の奥様はいたく感銘を受けたようです。


 小田急線東北沢駅からほど近く、京王線笹塚駅にも歩いて行ける、Kさんのお宅は、2階二間を学生に貸していました。十畳と六畳です。私は新参者で、空いていた東南の小さい方の部屋に入りました。
 近くには可愛らしいスナック(ママとその妹さんがやっている)もありました。
 私がこの地の住人になってちょっと経ってからトンカツを専らとする食堂が店を構えました。

 この日もわが下宿に、書研仲間が押しかけていました。
 相も変わらずの女っ気のないグループです。
 くだんのT(今後は「TA」という言うことにします)、K(今後は「KB」と言うことにします)、そしてお酒をこよなく愛する背の高いK(今後は「KC」と言うことにします)など相変わらずの大人数でした。
 昼時になったということもあり、近くの食堂の出前を頼むことにしました。
 私は小さい頃からトンカツが大好物でしたので、皆にとんかつ定食でいいかどうかを確かめてから、このとんかつ屋に注文しに行きました。
 
 出来立てのとんかつ定食を持ってきた店主にひと言。「遅かったねえ・・・」とKC。
 みんな空きっ腹だったのでしょう。結構な人数分を作ったのですから、それなりのテマヒマがかかるとは思うのですが、飢えたる者どうしです。異口同音の声が出揃いました。
 あのとんかつ、結構ボリュームもあり美味かったのですが、それ以来お店の暖簾をくぐることはありませんでした。


 書研仲間と、新宿のビルの屋上にあるビヤガーデンなどに飲みに行きました。 学生などの連中も出入りする、KCが懇意にしている新宿(だったと思いますが、不確かです)のバーに入ったときは、彼はウイスキーをダブルで注文するのですが、下戸の私はシングルでかつ氷と水を入れてもらって恐る恐る口に運んだことなど思い出しています。
 あのときも、やはりあちらこちらの女性のことなども話題になりました。
 本人は自分のことは何もしゃべりませんでしたが、KCは背も高く相対比較の上でハンサムでもありましたので、他の連中からやっかみ半分の、彼のもて方振りを聞くことにもなりました。
 「ああ、そうなんだ・・・」と、私は黙って聞いていました。知っている人の名前なまえが、皆の間を飛び交っているからにほかなりません。


 

東北沢物語

 4月22日午前の、NHKテレビ首都圏NEWS 。
《冬の間、雪で閉鎖されていた群馬県と長野県を結ぶ「志賀草津道路」が5か月ぶりに開通し、ドライバーたちが高原のドライブを楽しんでいます。・・・志賀草津道路は、草津白根山の火山活動の影響で、午後5時から午前8時までは通行できなくなります。 》

 日本の国道で最も高い所を通る、群馬県草津町と長野県山ノ内町を結ぶ22.6kmのルートは、県境の峠の標高が2,172mあります。
 ある年のゴールデンウイークのとある日、私たち家族は国道292号を長野県側からのルートで走っていました。
 除雪作業は終わっているとはいえ、雪の壁と壁の間を走るところもあります。
 と、いつのまにかあたりは霧になっていました。横殴りの風の中、雪も降り始めました。どんどんどんどん視界がなくなっていきます。まさに一寸先も闇・・・といった感覚に襲われました。前方はほとんど見えません。白一色です。下手に車を停めると追突されるのではないかという背筋の凍る思いに駆られ、速度を一定しながら必死になって前を見据えながら運転していきました。対向車のライトが突然眼前にフッと現れたかと思うと、すぐサッと去っていきます。この繰り返しが何回続いたことでしょうか。そして、どのくらいの時間が経ったのでしょうか。ふっと前方が明るくなり出しました。そこが峠でした。みるみる霧は引き去り、雪も降りやみました。先ほどまでの真っ白なキャンバスはまるでなかったかのような世界が展開していました。

 
 東北沢の下宿住まい。
 当時の東京の最深積雪の記録を見ると、ある年が23cm、その翌年が30cmとなっています。この年は降雪日数が19日に及んでいます。
 そんな大雪の降った日にも、書研仲間がわが下宿にやってくるのです。
 私を筆頭にして、まったく女っ気のない連中は、こんな日に何を楽しみにして集まるとでもいうのでしょうか。

 まさか、書の練習をするわけでもありません。ただ仲間が集まるということ、ただそれだけで楽しかったのかも知れません。

 書研仲間のそれやこれやの話の中で、幾つか思い出すことがあります。
 その一つが、箱根の山中で濃霧に行く手が遮られて、二進も三進も(にっちもさっちも)いかなくなったときのことです。
 あのときは、TとKの車2台に分乗しての箱根の山へのドライブ行でした。
 繰り返しますが、勿論このときも、全く女っ気のない道中でありました。

 Tの車は、当時としてもよく車検が通ったなというくらいの相当な中古車で、Kの車は学生だというのに、ピカピカの新車です。
 そのTの車が箱根山中でエンストを起してしまいました。ちょっと一休みです。最初からTの車に乗っていた幾人かは、Kの車に乗り換えたいという気持ちがみえみえでした。私はそれやこれやのことを察して、私はTに、そっちの車に乗るよといって、彼の隣に座りました。

 Kの車に乗り移ったのが何人だったか、今では記憶が曖昧です。なんといってもそれぞれの車には乗車定員というものがありますから、今ここで思い出しても詮方ないようにも思います。

 それからです。一転俄かに掻き曇りではなく、スーッツと靄が出始めたと思ったのも束の間、あっというまに目の前が見えなくなっていました。
 霧でした。

 今、ここでこうして書いているわけですから、無事だったということが分かりますが、この道路を通る車がこの時間帯になかったことも、不幸中の幸いだったかも知れません。

 なにやかやとの道中で、無事目的地に辿り着いたはずですが、このときの旅程はほとんど記憶にありません。

 Kの家に泊まった時に、五右衛門風呂に生まれて初めて入った体験をしました。
 噂にきくKの姉上のお姿を間近におめもじ叶ったこの時が、そのとき(箱根山中エンスト)の旅の泊まり先だったのでしょうか。

 あのとき、何人でおしかけたのだったか。
 お世話になりました。
 ありがとうございました。
 今になりましたが、お礼申し上げます。



プロフィール

むさしの想坊

Author:むさしの想坊
 これから何が飛び出してくるのでしょうか。ひきだしの奥にしまっていたものと合わせ、足跡を綴っていきたいと思います。
 昨日は金環日食をみることが出来ました。
・東京スカイツリー開業日の2012年5月22日記。

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