酒粕を使って ステーキに お漬物に

 酒粕は百薬の長。ひところもてはやされたキャッチフレーズ。日本人は熱しやすく冷めやすい。
 人気が出た直ぐのときは、近くのスーパーマーケットに酒粕は置いてなかったのでしたが、今は幾つかの製造者のものが棚に並べられています。

 
 酒粕を使ってアンガス牛をステーキにしました。
 酒粕に焼酎を加え、電子レンジに入れ熱します。
 取り出して、捏ねてペースト状にします。
 塩、黒コショウやハーブなどを入れて、アンガス牛をまぶしてから、密封した袋に入れます。
 2日経ってからフライパンで焼きます。
 出来上がりです。
酒粕を使ったサーロインステーキ


 酒粕を使ってナスとキュウリのお漬物を作りました。
 ペースト状にした酒粕に塩、鷹の爪などを加え、ナス、キュウリにまぶしてから、密封した袋に入れます。
 重しを乗せて、一日、二日で、ほどよく漬かります。
酒粕を使ったお漬物








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薬師寺東堂 法隆寺五重塔 修学旅行

 小学生のときの修学旅行、中学生のときの修学旅行、高校生のときの修学旅行、あなたはどこに行きましたか。

 家人は、小学生のときが房総の海の家、中学生のときが東北旅行、高校生のときが北海道旅行だったそうです。
 私は、片瀬・江の島方面と、松島、檜原湖・五色沼、日光方面と、伊勢志摩、奈良・京都、大阪方面が修学旅行でした。

 
 〖兄が自宅の屋根裏につくった暗室がありましたので、中学生のころから白黒写真のDPをしていました。
 一眼レフを手にしたころから、一人であちこちを動き回りました。高校に入ってからは、カメラ仲間のA君と高尾山など出かけたことを思い出しています。


その後A君は日本大学芸術学部写真学科を卒業後、テレビ分野の仕事に従事。外国での取材旅行の行き帰りの彼が搭乗した飛行機に、同じスチュワーデス(今の「キャビンアテンダント」)さんが偶然乗り合わせていて、二人は意気投合、結婚。もう一人のカメラ仲間のB君と私は、A君のセッチングにより、彼の奥様と一緒の会食の機会を得ることができました。B君は東京都に入職。B君のお名前は、母校の同窓会東京支部役員として記されています。〗



◇薬師寺東堂水煙
薬師寺東堂水煙
 《塔の上層部を相輪[そうりん]といいます。その更に上部に尊い塔が火災にあわぬようにとの願いをこめて、水煙が祀られています。水煙に透かし彫りされた24人の飛天は笛を奏で、花を蒔き、衣を翻し、祈りを捧げる姿で、晴れ渡った大空に御仏を讃えています。(「薬師寺公式サイト」による》


◇薬師寺東堂「国宝」
薬師寺東堂 高校修学旅行


◇法隆寺五重塔「国宝」
法隆寺五重塔 高校修学旅行




◇薬師寺東塔「国宝」
《「薬師寺公式サイト」
 【国宝】東塔
 塔は本来お釈迦様のお墓を意味します。インドで梵語のストゥーパが音訳されて卒塔婆[そとうば]となり、それが塔婆、更には塔と表現されるようになりました。お釈迦様のご遺骨(仏舎利[ぶっしゃり])を埋葬して盛り土をしたものが原型です。その塔婆を遠くからでも拝めるように、また尊敬の気持ちから、より高い台の上にお祀りするようになったのです。
 薬師寺東塔は一見六重に見えますが、実は三重の塔です。これは各層に裳階[もこし]と言われる小さい屋根があるためで、この大小の屋根の重なりが律動的な美しさをかもし出し「凍れる音楽」という愛称で親しまれています。
 ・・・   ・・・   ・・・
 薬師寺で唯一創建当時より現存している建物で、1300年の悠久の時を重ねてきた歴史をその姿から感じられます。
 平成21年より解体修理に着手しており、現在は覆屋に覆われておりその姿を拝むことは出来ません。修理の概要として、瓦、木部、基壇などを全て解体し、地下の発掘調査が行われます。その後、傷んだ部分の修繕を行いながら再び組み上げ、平成32年の6月頃に修理が完了する予定です。 》

 《・・・奈良・薬師寺の東塔(国宝、高さ約34メートル)が、奈良時代の730年ごろに建てられたことが分かった。寺と奈良文化財研究所(奈文研)が、年輪年代測定の中間結果を発表した。東塔をめぐっては、飛鳥時代の藤原京(694~710年)からの「移築説」と平城京遷都後の現在地での「新築説」があったが、新築説が確定的となる。
 東塔では、2009年から約110年ぶりの解体修理が進行中。奈文研は取り外された初層(1階)の天井板2点に対し年輪年代測定を実施し、伐採年が729年と730年と判明。塔中央の心柱についても測定し、最も外側の年輪が719年を示し、720年代に伐採された可能性が高まった。伐採年が710年の平城遷都前の飛鳥時代までさかのぼる結果は、確認されていない。》


《薬師寺東塔
 国宝。現在寺に残る建築のうち、奈良時代(天平年間)にさかのぼる唯一のもの。総高34.1メートル(相輪含む)。日本に現存する江戸時代以前に作られた仏塔としては、東寺五重塔、興福寺五重塔、醍醐寺五重塔に次ぎ、4番目の高さを誇る。屋根の出が6か所にあり、一見六重の塔に見えるが、下から1・3・5番目の屋根は裳階(もこし)であり、構造的には三重の塔である。仏塔建築としては他に類例のない意匠を示す。塔の先端部の相輪にある青銅製の水煙(すいえん)には飛天像が透かし彫りされており、奈良時代の高い工芸技術を現代に伝えている。
 相輪の中心部の柱の最下部には「東塔檫銘」(さつめい、「さつ」の漢字は木扁に「察」)と称される銘文が刻まれており、薬師寺の創建と本尊造立の趣旨が漢文で記されている。塔の建築年代については飛鳥の本薬師寺から移築されたとする説(移建説)と、平城京で新たに建てられたとする説(非移建説)とがあったが、『扶桑略記』の記述のとおり、天平2年(730年)に平城京にて新築されたとする説が通説となっている。当初、東塔・西塔の初層内部には釈迦八相(釈迦の生涯の8つの主要な出来事)を表した塑像群が安置されていたが、現在は塑像の断片や木心が別途保管されるのみである。
 本塔は、建築様式の点では、飛鳥様式の法隆寺五重塔や法起寺三重塔よりは進んだ形式を取り入れつつ、當麻寺東塔(奈良時代末期)や醍醐寺五重塔(平安時代初期)ほどには進んでいない、過渡期的様相を示している。柱上の組物に着目すると、雲肘木と雲斗(くもと)を用いた飛鳥様式の塔と異なり、薬師寺東塔の組物は後世の仏堂や仏塔と同様の肘木と斗(ます)を用い、壁面から3段に持ち出した三手先(みてさき)である。二手目の肘木と斗の上に尾垂木が掛かり、尾垂木の先端近くに三手目の斗が乗る。垂木は地垂木と飛檐垂木(ひえんたるき)からなる二軒(ふたのき)で、地垂木を円形断面、飛檐垂木を角形断面とした、「地円飛角」と呼ばれる形式である。このように、組物を三手先とする点、垂木を二軒とする点は飛鳥様式より進んだ要素である。一方で、支輪(壁面と軒裏を斜めに繋ぐ材)を用いず、軒天井を張ること、二手目の肘木は先端に1個の斗しか乗らないこと(後世の塔では2個の斗が乗る)、丸桁(がぎょう、垂木を支える軒桁のうちもっとも外側のもの)の断面を円形でなく方形とすること、鬼斗(隅肘木上に用いる特殊形状の斗)を用いないことなどは、後世の塔とは異なる、古い要素である。奈良時代末期建立の當麻寺東塔は、支輪と鬼斗を用い、丸桁は円形断面となり、二手目の肘木には2つの斗が乗っている。一方、海龍王寺五重小塔は、支輪と鬼斗は用いないが、丸桁は円形断面となり、二手目の肘木には2つの斗が乗るなど、薬師寺東塔と當麻寺東塔との過渡期的な形式をもっている。このほか薬師寺東塔の建築様式の特色としては、尾垂木が直線形であり、先端を垂直方向に断ち切っていること、三手目の斗と丸桁の間に実肘木を用いないこと、高欄の架木(ほこぎ)や平桁に反りがなく、かつ、これらの両端を垂直に断ち切っていることなどが挙げられる。
 基壇は後世改修されているが、2009年から開始された東塔の解体修理工事の際に基壇の発掘調査が行われている。その結果、創建当初の版築による基壇が良好に遺存していることが確認された。また、裳階柱の礎石は明治時代に据え直された可能性があるものの、心礎、四天柱、側柱の礎石は当初位置から動いていないことも確認された。基壇の下から和同開珎4枚が出土した。
 前述のような特徴的な姿から、この塔を評してしばしば「凍れる音楽」という表現が用いられる。なお、「明治時代に本寺を訪れたアーネスト・フェノロサが、この塔を指して「凍れる音楽」と表現した」と説明されることが多いが、複数の文献が「凍れる音楽」をフェノロサの言葉とするのは誤りだと指摘している。佐佐木信綱と会津八一はそれぞれ東塔を題材にした短歌を残しており、両人の歌碑が薬師寺境内に建立されている。

 「東塔の修理」
地震や台風での損傷を修理するため、幾度と修理が行われている。
主な修理は、
1524年 明応3年(1494年)の地震による塑像、相輪などの損傷を修理。
1644年 正保修理、慶長伏見地震(1596年)の地震による損傷を修理。
1783年 天明修理、宝永地震(1707年)の地震による塔九輪折れを修理。
1808年 天明修理での不具合箇所を修理、六層目より上を解体修理など。
1856年 伊賀上野地震(安政奈良地震)による傾斜の立て起こしや損傷を修理。
1898年 明治の修理:解体修理
1950年 昭和の修理:部分修理
2009年 平成の修理:解体修理で、2018年までの予定で約110年振りの東塔の解体修理が進められている。 2011年9月 - 東塔全体を覆う素屋根の設置工事を開始。
2012年9月 - 瓦が外され東塔の解体が始まる。》



◇法隆寺五重塔「国宝」

《古代インドで仏舎利(釈迦の遺骨)を祀るために造られ始めた塔を、仏塔といいます。
 五重塔は、その仏塔の一形式。楼閣形状の仏塔のうち、五重の屋根を持つものをいいます。
京都醍醐寺、奈良興福寺、広島明王院など、国宝に指定されている木造の五重塔は全国に11ありますが、その中でも群を抜いて長い歴史を持つのが、法隆寺の五重塔です。

 「法隆寺五重塔」
創建は金堂などと同じく607年(推古15年)。天高くそそり立つ塔は美しく迫力たっぷりで、西院伽藍のシンボルとも言えます。
五重塔を構成する5つの楼閣を、下から地(基礎)、水(塔身)、火(笠)、風(請花)、空(宝珠)といいます。5層それぞれは独自の世界(思想)を示し、仏教的な宇宙観を表しています。
現存する木造建築の五重塔としては世界最古のものである法隆寺五重塔は、初重から五重までの屋根の逓減率(大きさの減少する率)が高く設計されていることが大きな特色です。五重目の屋根の一辺は、初重の屋根のおよそ半分のサイズです。塔身もまた、下層から上層へ行くにつれ、細くなっています。
 初層と最上層を比べると、最上層はこれまた初層の半分。屋根とのバランスも見事です。
一番下の初重の内部には、東面・西面・南面・北面の4つの方角それぞれに塔本四面具と呼ばれる粘土で作られた群像を安置されています。
  文殊菩薩と維摩居士の問答、釈迦の涅槃、分舎利(釈尊の遺骨の分配)、弥勒の浄土が、それぞれの像によって表されています。かつては五重塔の内部にも壁画が描かれていましたが、漆喰などが原因で剥落。現在は他の場所で保管されています。
 五重塔は全体を心柱が貫く構造になっていますが、その心柱を支えるのが地下1.5mの深さにある大礎石。礎石の上部には舎利容器などが納められており、舎利容器の中には釈迦の遺骨が6粒納められています。
 塔はストゥーパともいわれ、釈尊の遺骨を奉安するためのものであり、仏教寺院において 最も重要な建物とされています。高さは約31.5(基壇上より)で、わが国最古の 五重塔として知られています。》


《法隆寺五重塔
 五重塔(国宝)木造五重塔として現存世界最古のもの。初重から五重までの屋根の逓減率(大きさの減少する率)が高いことがこの塔の特色で、五重の屋根の一辺は初重屋根の約半分である。初層から四重目までの柱間は通例の三間だが、五重目のみ二間とする。初重内陣には東面・西面・南面・北面それぞれに塔本四面具(国宝)と呼ばれる塑造の群像を安置する(計80点の塑像が国宝)。この塑像に使用された粘土は、寺の近くの土と成分がほぼ等しいことから近くの土で作られたと推測される。東面は「維摩経」(ゆいまきょう)に登場する、文殊菩薩と維摩居士の問答の場面、北面は釈迦の涅槃、西面は分舎利(インド諸国の王が釈尊の遺骨を分配)の場面、南面は弥勒の浄土を表す。北面の釈迦の入滅を悲しむ仏弟子の像が特に有名である。五重塔初層内部にも壁画(現在は別途保管、重文)があったが、漆喰が上から塗られたことなどが原因で剥落してしまっている。心礎(心柱の礎石)は、地下3メートルにあり、心礎内からは1926年にガラス製の舎利壺とこれを納める金製、銀製、響銅製の容器からなる舎利容器が発見された。なお、舎利容器は、調査後、元の場所に納められている。》









プロフィール

むさしの想坊

Author:むさしの想坊
 これから何が飛び出してくるのでしょうか。ひきだしの奥にしまっていたものと合わせ、足跡を綴っていきたいと思います。
 昨日は金環日食をみることが出来ました。
・東京スカイツリー開業日の2012年5月22日記。

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