太宰治生誕祭 生誕108年記念祭 2017年6月19日

2017/ 05/ 31
                 
 6月の季節の便り二つ目は、青森県五所川原市からのご案内です。
 8年前に、「太宰治生誕百年祭」に二人で出席しました。
 三鷹市長の清原慶子氏も来賓の一人として招かれていました。氏は現在三鷹市長四期目の任に就いています。

 それから毎年、季節になるとご案内を頂くようになっています。
 2年後にまた行くことができたらいいな・・・と、思ってはいるのですが・・・。


(〈※〉):太宰 治(だざい おさむ、1909年(明治42年)6月19日 - 1948年(昭和23年)6月13日)は、青森県金木町に生まれました。現在は五所川原市金木町となっています。
 東京三鷹の禅林寺において、毎年6月19日に「桜桃忌」が催されるのは、皆さんご存知の通りです。




ご案内 太宰治生誕祭

太宰治生誕祭 -2-

太宰治生誕祭 -1-




『太宰治と三鷹』:三鷹市公式サイト

桜桃忌

 たくさんの花が供えられた墓に向かい手を合わせる女性の写真太宰治の遺体が発見された6月19日は「桜桃忌」と名づけられ、墓所のある禅林寺(三鷹市下連雀)にはいまも毎年多くの太宰ファンが参拝に訪れています。
(禅林寺の位置は太宰ゆかりの場所をご覧ください)


桜桃忌の歴史

 「この寺の裏には、森鴎外の墓がある。どういうわけで、鴎外の墓がこんな東京府下の三鷹町にあるのか、私にはわからない。けれども、ここの墓所は清潔で、鴎外の文章の片影がある。私の汚い骨も、こんな小綺麗な墓地の片隅に埋められたら、死後の救いがあるかも知れないと、ひそかに甘い空想をした日も無いではなかったが、今はもう、気持ちが畏縮してしまって、そんな空想など雲散霧消した」
(『花吹雪』)

 その鴎外の墓の斜め前に、太宰治の墓がある。太宰の死後、美知子夫人が夫の気持ちを酌んでここに葬ったのである。第一回の桜桃忌が禅林寺で開かれたのは、太宰の死の翌年、昭和24年6月19日だった。6月19日に太宰の死体が発見され、奇しくもその日が太宰の39歳の誕生日にあたったことにちなむ。「桜桃忌」の名は、太宰と同郷の津軽の作家で、三鷹に住んでいた今官一によってつけられた。「桜桃」は死の直前の名作の題名であり、6月のこの時季に北国に実る鮮紅色の宝石のような果実が、鮮烈な太宰の生涯と珠玉の短編作家というイメージに最もふさわしいとして、友人たちの圧倒的支持を得た。

 発足当時の桜桃忌は、太宰と直接親交のあった人たちが遺族を招いて、何がなくても桜桃をつまみながら酒を酌み交わし太宰を偲ぶ会であった。常連の参会者の中には、佐藤春夫、井伏鱒二、檀一雄、今官一、河上徹太郎、小田獄夫、野原一夫などがいる。中心になったのは亀井勝一郎で、当日の司会も昭和38年まで続けた。その間に、桜桃忌は全国から十代、二十代の若者など数百人もが集まる青春巡礼のメッカへと様変りしていった。主催も筑摩書房に移り、さらに昭和40年から桂英澄、菊田義孝といった太宰の弟子たちによる世話人会が引き継いだ。「太宰治賞」の発表と受賞者紹介が桜桃忌の席場で行われたのはこのころのことである。しかし、その世話人会も平成4年、会員の高齢化を理由に解散している。

 太宰治の死から、50年を経て、かつて桜桃忌に集った太宰ゆかりの人々の多くが故人となった。しかし、その作品は今も若い読者を惹きつけてやまず、太宰との心の語らいを求めて桜桃忌を訪れる人々は後を絶たない。
(参考文献:桂英澄『桜桃忌の三十三年』)





                 
        

陶房窯八 大橋睦展

2017/ 05/ 31
                 
 季節の便り、6月は2つです。
 先ずは、焼締の器の東京での展示会をご案内致します。
 6月は2回上京する予定を立てていますので、折り合いがつけばいいなと思っています。

 大橋睦氏在廊は、初日の6月17日(土)とのこと伺っています。


陶房窯八作品展 -2-


陶房窯八作品展 -1-



                 
        

冨士眞奈美 ここに泉あり 徹子の部屋  やすらぎの郷 

2017/ 05/ 30
                 
 東京12チャンネルで、1964年7月20日から7月24日の5日間ゴールデン劇場で連続して放送された『ここに泉あり』(主な脚本:田井洋子. 主な演出:岡本愛彦.原作: 水木洋子)
 高崎の市民オーケストラが、群馬交響楽団(「群響」)へと成長する草創期の実話を舞台としたヒューマンドラマ。 
 冨士眞奈美が、下元勉、山内明、米倉斉加年などとともに出演していました。
 土砂降りの雨の中を歩いて行く彼女の横顔の一シーンを思い出します。


富士真奈美 -1-
 冨士眞奈美



 (〈※〉映画では、1955年(昭和30年)2月12日に公開されています。監督は今井正、モノクロ、スタンダード、150分。)

  その冨士眞奈美が先日の5月26日に、「徹子の部屋」のゲストとして出ていました。
  徹子さんと眞奈美さんは、NHKの専属だった頃からの仲良しということもあり、「徹子の部屋」に彼女は度々顔を出しています。

  『やすらぎの郷』に、嫌われ役の女として出るんですって!?・・・と、徹子さんが笑いながら眞奈美さんに聞いていました。


  やすらぎの郷入居者の女性陣に嫌われていた女が、5月31日の『43回・やすらぎの郷』に登場します。
  この女、犬山小春に扮するのが冨士眞奈美さんです。
  津川雅彦(石上五郎役)さんと、冨士眞奈美(犬山小春役)さんが、今回のゲスト出演です。


  そうそう、冨士眞奈美さんといえば、吉行和子さんと大の仲良しということでも知られていますね。
  その吉行和子さん主演の『家族はつらいよ2』が5月27日から全国一斉に封切られていますので、見に行こうかなと思っています。




富士真奈美 -2-
 冨士眞奈美

富士真奈美 -3-
 冨士眞奈美

                 
        

行ってきました「ねこらんまん展 in ぐんま」 また行きます「ねこらんまん展 in ぐんま」 

2017/ 05/ 29
                 
「ねこらんまんぎゃらりぃ」に、今日行ってきました。
 47名の作家の作品が所狭しと展示されています。
 全て「猫・ネコ・ねこ・CAT・(=^・^=) 」のオンパレードです。
 また、6月に入ったら行きたいと思っています。

群馬県高崎市棟高町456.
tel:080-1248-2828. fax:027-310-0280.
2つの展示会場のうち「第一会場」のみ入場料:
大人500円・中高生200円・小学生以下無料。(入場料の一部は猫の保護活動に充当)〉
:~7月31日まで.11:00~17:00.土曜日は~20:00.6月から月曜休館。
 ・・・   ・・・   ・・・
「期間限定特別展」:
・6月1日(木)~6月7日(水)~・・・:くろひげ屋 ・鉛筆画
・6月23日(金)~7月2日(日):雨田光弘・ 水彩画
・7月3日(月)~7月9日(日):松浦清実 ・透明水彩画
・7月17日(月)~7月31日(月):山崎和樹・ アクリル画

http://www.answerwind.com/neko101



ねこらんまん展 in ぐんま -2- ポストカード



ねこらんまん展 in ぐんま -3- ポストカード
                 
        

日本一長い水管橋を歩く 荒川水管橋見学会 2017年5月28日

2017/ 05/ 28
                 
 昨年の10月22日(土)、23日(日)の2日間、こうのすコスモスフェスティバルに併せて、日本一の長さを誇る荒川水管橋(全長1,101m)見学会が実施(見学者714人)されましたが、ついつい行きそびれてしまいました。
 昨年秋同様に、今年も5月27日(土)、28日(日)の2日間、こうのす花まつりに合わせて見学会が開催されるということが判りましたので、楽しみにしていました。
 普段は立ち入ることができない荒川水管橋を歩いて渡る見学会です。
 
 午後1時集合、1時30分出発。水管橋は堤の頂から18メートルの高さにあります。天気が良ければ、360度のパノラマが展開するのですが、今日は富士山など遠い山並みを見ることはできませんでしたが、吹上会場のポピーの花畑など、周りの景色は目を楽しませるのに十分でした。

 出発前には、水道水とミネラルウォーターの飲み比べもできました。水道水は「彩の水だより」(軟水)、ミネラルウオーターは、エビアン(硬水)と南アルプスの天然水(軟水)です。
 「飲み比べて」等のQ&Aのアンケート(住所、氏名、年齢記入)が用意されていました。

 水道事業を分かりやすく解説したパネル展示を前にして、出発前にスタッフの説明が縷々ありました。

 例えばですけれど、
埼玉県営水道の役割のタイトルの下に、
「日本一の水道用水供給事業」として、5つの日本一を列記しています。
(日本第2位は、何れも愛知県)
その1.給水人口:7,188千人.
その2.施設能力:2,665千㎥
その3.年間総排水量:639,044千㎥
その4.日平均送水量:1,751千㎥
その5.日最大送水量:1,844千㎥

 荒川水管橋は昭和59年(1984年)に完成、総工費40億円の工事だったこと、他にも水管橋があること、県営浄水場は、行田浄水場など5か所あることなども知ることができました。

 
 この秋もおそらく、「荒川水管橋見学会 」は開催されると思います。
 水管橋を渡る前に、急な階段が98段まちかまえています。
 鉄の階段が9つのステップを区切りにして螺旋状風に10段づつ上ってから、最後にコンクリートの8段を上りきると、ようやく水管橋の袂となります。
 どんな服を着ていくかということと合わせ、どんなものを履いていくのか、帽子は忘れずになど、事前の心構えが必要だなと思いました。
 なお、全長1,101mの水管橋を渡った時間は30分ほどで、対岸に着いたところに、シャトルバスが出迎えています。
 勿論、全て無料となっています。


 きょうは、軍手が2つ手元に残りました。
 一つは、春のクリーン鴻巣市民運動で配られた自治会から配られた時のもの、もう一つが、荒川水管橋見学会のおりに埼玉県企業局のスタッフの方より手渡されたものです。
 あっ、そうそう、ペットボトルに入った水道水「彩の水だより」のプレゼントを見学会終了時に頂きましたよ。


2016年水管橋見学会ー1-




 (ポピーの吹上会場では、手打ちそばのところが長蛇の列となっていました。先週の土曜、日曜にイベントがあったポピーの馬室会場にも行ってみましたが、花畑が広大という人気スポットということもあり、相変わらずの老若男女の大勢の人出となっていました。)


                 
        

春のクリーン鴻巣市民運動 2017年5月28日

2017/ 05/ 28
                 
 今日は5月28日の日曜日です。

 午前8時。こちらは防災鴻巣です。の無線放送。
 午前8時30分からの「春のクリーン鴻巣市民運動」のお知らせのアナウンスでした。

 8時27分ちょっと過ぎに集合場所に着いたのですが、もう説明は始まっていました。定刻までの間、私を含めて5~6人の皆さんが遅刻したことになるようです。
 3つのグループに分かれて美化清掃をするのですが、今回からグループ編成が変わった班があるのです。誰か聞き漏らしはなかったかな・・・などと、要らぬ心配をする私でした。


 (ご近所の方、知っている皆さんと、挨拶を交わすこともできました。)


公園内や公園の周りが私たちの自治会のテリトリーとなっています。
公園は市が管理しています。
垣根も刈込がキチンとされています。
大きな雑草もキチンと取り除かれています。
見た目には、燃えるごみの紙類や、缶から類もきれいに片づけられているようです。

 
それでも枯葉や枯枝、雑草など、かき集めると結構な量となります。
以前は、缶からなど、3つ4つは見つけたのですが、今日は1つだけでした。

参加すると、子どもさんたちにはジュース、大人にはお茶と燃やせるごみ専用袋(10枚入.45L〈65cm×80cm〉)が渡されます。
今回も、先ずは子どもさんに優先されて手渡されました。


 洗濯は出かける前に済ませていますので、既に午前中に2件落着です。
これから早やお昼を食べて、また外出したいと思っています。

                 
        

カワセミ百態(MY2016-2017 series・21) 行田古代蓮の里

2017/ 05/ 27
                 
 ハスの花が咲く時期には、毎年10万人ほどが訪れる行田古代蓮の里。
 蕾が膨らみ始めました。
 駐車場は開花時期以外は無料となっていますので、蝋梅の咲くころ、桜の咲く頃など、ときおり訪れています。
 (花蓮開花時期の6月下旬から8月上旬まで有料.〈普通車490台.大型バス8台〉)

 公園内には行田蓮(10万株)の咲く広い池が、訪れる人々を待ち受けています。
 世界の蓮園には41種類、約2万株の花蓮が咲く時期を少しずつずらして私たちの目を和ませます。
 地上50メートルの高さにある展望室(有料)からの眺めは、とても見応えがあります。東京タワー、東京スカイツリー、富士山を始め、秩父連山、浅間山、赤城山、日光連山、男体山など眺望することができます。
 勿論、足元の花蓮、忍城の姿、行田の街並みなど、とくとご覧になることができる絶好の場所です。
 ホタル観賞会も、6月9日(金)、10日(土)、11日(日)と3日間開かれます。




1-1-1-1 20170129  古代蓮の里
 Mさんカワセミシリーズ・行田古代蓮の里(2017年1月29日fbup)



 カワセミをはじめとして、たくさんの野鳥が蓮池を訪れます。
 スタッフの方が撮影した写真を例に挙げますと、
・バン
・カルガモ
・ハト
・ダイサギ
・オオバン
・ヤマガラ
・シジュウカラ
・ジョウビタキ
・ツグミ
・ハクセキレイ
・カワラヒナ
・ヨシゴイ
 と、10種類以上の野鳥が紹介されていました。



《古代蓮会館
 ・ 月曜日(祝日の場合は営業)
 ・ 祝日の翌日(土および日曜日の場合は営業)
 ・ 年末年始
  ※蓮の開花期(6月下旬~8月上旬)は無休で営業。
【古代蓮の里】〒361-0024 埼玉県行田市大字小針2375番地1
電話:048(559)0770

第20回 行田蓮まつり
・日 時  平成29年7月9日(日) 午前7時~午後1時
・場 所  古代蓮の里園内
・内 容  蓮粥・蓮餅・蓮茶の無料試食、コーラス、フラダンス、古代蓮音頭、忍城おもてなし甲冑隊演舞、太鼓、大正琴、   オカリナの演奏、金魚すくい、行田市              
※その他、内容を変更する場合があります。
 ・主 催   行田蓮まつり実行委員会



《ホタル観賞会

■日 時   平成29年6月9(金)、10(土)、11(日)  【3日間】
        ・午後7時~ お琴・尺八演奏   【南駐車場前】
        ・午後7時30分~8時30分 観賞会  【ホタルの川】
古代蓮の里公園内ホタルの川にてホタルの会会員がホタルの飛び交う様子を案内、説明いたします。 》


                 
        

弥勒菩薩  半跏思惟像  中宮寺  広隆寺

2017/ 05/ 26
                 
 中二のときの夏休みの宿題の一つ。
 作文のタイトルは、弥勒菩薩

 国語の先生が、中学生がこんな名文書けるはずない。と、作文の最後のページに朱書きで記していました。一応点数はつけてありました。


 夏休みはきょうで終わりです。宿題がまだ幾つか残っています。
 国語のK先生は群馬県の文壇で名のある方です。毎月発行の文芸誌には必ずお名前が載っていました。
 先生の顔を思い浮かべながら、宿題のテーマをあれこれ考えます。
 父の机の前にある本棚に目をやりました。會津八一や和算に関する書物などの他、奈良、京都の古寺に関する書籍や写真集がずらっと並んでいます。
 本棚の隅、一番脇に、小さな紙入れが挿んであるのが目にとまりました。
 徐に手に取りました。
 ポストカードが入っていました。 
 一葉の写真が目に飛び込んできました。
 弥勒菩薩の姿です。

 実物はお目にかかったことはないのですが、スラスラスラッとあっというまに作文はできあがりました。これで一丁上がりとなりました。

 K先生、その作文、正真正銘、私が書いたんですよ。




中宮寺の弥勒菩薩ー1-  広隆寺の弥勒菩薩 -2
  中宮寺ご本尊                   広隆寺伝創建当時ご本尊
 



半跏思惟像(はんかしいぞう):日本大百科全書(ニッポニカ)による解説


《仏像の姿勢の一種。「はんかしゆいぞう」ともいう。腰を掛けた形の倚像(いぞう)の一つで、片脚を垂下し、もう一方の脚を垂下脚の膝(ひざ)の上にのせた姿を半跏座(普通の坐像(ざぞう)は結跏趺坐(けっかふざ))と称するが、さらに右手を頬(ほお)のあたりにあげ、思索する形をとっているのでこうよぶ。半跏像の多くは左脚を垂下しているが、右脚を垂下することもある。この姿は弥勒菩薩(みろくぼさつ)に多くみられ、また中国では悉達多(しっだるた)太子(釈尊の出家以前の時代)の思索する姿として六朝(りくちょう)時代(3~6世紀)から多くみられ、日本では、朝鮮の三国時代、とくに新羅(しらぎ)の仏像の影響で、飛鳥(あすか)時代から奈良時代(7、8世紀)にかけて、弥勒菩薩として制作された例が多い。京都・広隆寺の二体、奈良・中宮寺の本尊(以上国宝)、大阪・野中寺(やちゅうじ)の金銅弥勒菩薩像(重文)などはその例である。[佐藤昭夫]
.
出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)/日本大百科全書(ニッポニカ)について | 情報 凡例 》



思惟半跏像:中宮寺公式サイトによる解説

《国宝 菩薩半跏像(伝如意輪観音)について

 東洋美術における「考える像」で有名な、思惟半跏のこの像は、飛鳥時代の彫刻の最高傑作であると同時に、わが国美術史上、あるいは東洋上代芸術を語る場合にも欠かすことの出来ない地位を占める作品であります。また国際美術史学者間では、この像の顔の優しさを評して、数少い「古典的微笑(アルカイックスマイル)」の典型として高く評価され、エジプトのスフィンクス、レオナルド・ダ・ヴィンチ作のモナリザと並んで「世界の三つの微笑像」とも呼ばれております。
 半跏の姿勢で左の足を垂れ、右の足を膝の上に置き、右手を曲げて、その指先きをほのかに頬に触れんばかりの優美な造形は、いかにも人間の救いをいかにせんと思惟されるにふさわしい清純な気品をたたえています。斑鳩の里に伝統千三百余年の法燈を継ぐ中宮寺の、この像は、その御本尊として永遠に私たちを見守ってくださるでしょう。 》


                 
        

カワセミ百態(MY2016-2017 series・20) ある日のカワセミ

2017/ 05/ 25
                 
 Mさんのカワセミシリーズ、あっというまに20回を数えています。
 この写真のカワセミ(♀)も東京都内で撮ったもので、2017年1月4日のfacebookにアップしています。
 

1-1-120170104 都内 カワセミ
my20170104fbup



何思う翡翠に問う三度(みたび)問う 2017年5月25日











                 
        

NHKあさイチ  白ごま油を使ってみよう 野菜の味を生かした天ぷら&万能だれ

2017/ 05/ 24
                 
 今の旬の食材に適役、ごま油にはとても素晴らしい効能があります。
《・・・抗酸化力の強いゴマリグナンを含んでいるため、加熱しても傷みにくいだけでなく、実は夏バテ防止パワーもある、今の季節にピッタリな油です。・・・》
と、5月23日のNHKあさイチ。
 
 今まで白ごま油を使ったことがなかったので、あれこれ使ってみたいと思いました。


《◇白ごま油で野菜の味を生かした天ぷら

フランスの料理ガイドブックで星を獲得したこともある天ぷら店の店主・飯村一さん(「天ぷら懐石 いせ 店長」)によると、天ぷらの揚げ油に白ごま油を混ぜると、風味がよくなりサクッと揚がり、油のもちも良くなるそうです。
飯村さんのお店では、油の配合は綿実油(家で作る場合はサラダ油で代用可)を7~8割、白ごま油を2〜3割程度混ぜ、さらに、オリーブ油を適量(0.5~1割程度)入れます。
抗酸化物質のゴマリグナン(ごま油)とポリフェノール(エクストラバージンオリーブ油)のダブルパワーで油、そして体内の酸化を防ぐ働きも期待できる配合です。

また、素材の味が生きる 薄くてサクッとした衣作りについても教えてもらいました。
1:小麦粉は冷凍庫に入れて冷やしておく。
2:衣液を混ぜる容器は氷で冷やしながら。
3:混ぜる際は太い箸でさっくりと。(泡立て器でも代用可)》



 「白ごま油だし」を使った「万能だれ」一つひとつ、みてるだけで食欲がそそられてきます。
 先ずは、「白ごま油だし」の作り方から、

《◇「白ごま油だし」の作り方
材料・作りやすい分量
•白いごま油200ミリリットル
•昆布10グラム

作り方
1.昆布はそのまま or拭く(水けがないように)。
2.鍋に昆布と白いごま油を入れて、火にかける。
3.昆布から泡が出て昆布の香りがしたら(150度の目安)火を止め、常温になるまで冷まして昆布を取り出す。》



 万能だれは、「にらだれ」、「トマトだれ」、「梅だれ」の3つが紹介されていました。

《◇「万能だれ」の作り方

①「にらだれ」
 「材料・作りやすい分量」
•にら2分の1ワ
•ねぎ5センチ
•しょうが2分の1片
•ごま油だし大さじ4
•塩小さじ3分の1
•一味とうがらし適量
 「作り方」
1.にら・ねぎ・しょうがはみじん切りにする。
2.ごま油だし・塩・一味とうがらしを混ぜて、完成。

②「トマトだれ」
「 材料・作りやすい分量」
•トマト2コ
•ごま油だし大さじ2
•酢大さじ1
•塩・こしょう適量
 「作り方」
1.トマトは1コを1センチの角切りにし、1コはすりおろす。
2.トマト、ごま油だし大さじ2、酢大さじ1を加えて混ぜる。
3.塩・こしょうで味を整えて、完成。

③「梅だれ」
 「材料・作りやすい分量」
•梅干し2コ
•白ごま油だし大さじ1
•みりん大さじ1
•しょうゆ大さじ1
 「作り方」
1.梅干しは、種をとって潰しておく。
2.そこに、白ごま油だし・しょうゆ・みりんを入れて、混ぜたら完成。》


 どんな料理にどの万能だれを使うのか、食卓にあれこれ並べるてみる楽しみが増えますね。










                 
        

カワセミ百態(MY2016-2017 series・19) 若いカワセミ

2017/ 05/ 24
                 
Mさんが5月20日アップした、カワセミの写真です。背の青いところは透き通るように美しいと感想を述べています。
この写真も近場で撮ったものと思われます。
♂でしょうか、♀でしょうか。



5-1 20170520
my20170520fbup



5-2 20170520
my20170520fbup





青き矢と紛ふ翡翠飛び立てり  川上恵子

とび去って翡翠彩をのこしけり  堀田こう

翡翠の奏でし彩のハープかな  若生まりあ

翡翠の飛翔軌跡を描きけり  菊地恵子

川蝉の風かをるかとおもひけり  蓼太 
















                 
        

安曇野の蕎麦 そば処上條 オリジナルポストカード

2017/ 05/ 23
                 
 安曇野とのおつきあいは、もうどれくらいになっているのでしょうか。
 安曇野の蕎麦も然りです。

 このところ、イタリア料理、スペイン料理と続きましたので、蕎麦に回帰することにしました。

 初めて訪れた、「そば処上條」です。

看板手打ちそば上條


 お浚いをします。
  ・手打ちそば
  ・そば粉は、信州八ヶ岳の麓で収穫された玄そばを石臼挽き
  ・そばつゆは、化学調味料を一切使わず、かつお節や昆布などの天然素材と本物の醤油で調味。
  ・そば打ち、茹で、さらし、出汁取りなど調理の全工程で安曇野の天然水を使用
  ・ニ八


今回は、
 「天恵そば」 (《温泉卵を太陽にみたて、その元で色々なものが生まれ、育まれている様をそばで現してみました。 温泉たまごをはじめ、鴨のくんせい、小エビ、そば焼味噌、揚げたそば米など約10種の具がのったこのそばは、大勢のお客様にご好評いただいている人気メニューです。 》)と、
「鬼おろし〈ちかと小エビ〉.大盛り」(《 信州の高原で収穫される極辛の地大根をすりおろすと、まるで鬼の食べ物ではないかと思わせるような辛いおろしになります。この「おろし」と「そば」の相性がとても良いため、当店ではオリジナルのそばメニューを作り、この愛称を「鬼おろし」と名付けました。 北海道 道東の風蓮湖で獲れた白身の小魚「ちか」の天ぷらと、小エビがのります。》) と、
 食後に、「アップルパイ.1/4切を2つ」 ( 《安曇野で収穫されたリンゴ(ふじ)をバニラビーンズを入れたシロップで一昼夜煮込んだものに、グランマルニエとシナモンのきいたカスタードクリームを詰め丸ごとパイ生地で包んで焼き上げます。》)
 を、二人で頂きました。
なお、そばそのものの味を知っていただきたいために、そばを最初に口に運ぶ時は、「水そば」からどうぞ。とのことでした。

蕎麦屋に行ってときおり思うのですが、同じお店に春夏秋冬足を運んでみると、ソバもツユも味の雰囲気が違うことがあるのです。
 安曇野の上條のそば、本当のところは、もりそばを食べて、ソバとツユを味わいたかったのです。
 今回は辛味大根と、いわゆるぶっかけソバのハーモニーの味ということで、堪能しました。そば湯は、ドロリでもなく淡白でもなく私好みでした。
 次は新蕎麦の季節にまた伺いたいです。


 得々情報をお伝えすることを忘れるところでした。
 オリジナルポストカードプレゼントを見落とさなかったので、2枚頂くことができました。
 (なお、マイブログへの使用許可を得ておりますことを、申し添えさせて頂きます。)

《◇お得な情報
 別ページに印刷用の地図を用意しました。上條にお越しいただくときにお役立てください。
 また、そのとき地図欄外に必要事項を記入してレジにご提出いただければ、オリジナルポストカードをお一人様1枚に限り差し上げております。》


そば処 上條



そば処上條

〒399-8303長野県安曇野市穂高5256-1
TEL:0263-82-4411
FAX:0263-82-5510
営業時間 
昼11:00~15:00
定休日 毎週月曜日
(月曜祝日の場合は翌日)
無休期間
ゴールデンウイーク及び
 8/1~8/31

安曇野 そば処 上条 水芭蕉
 ミズバショウ 乗鞍高原


安曇野 そば処 上條 そば畑
 そば畑と稲田と常念岳 安曇野








                 
        

カワセミ百態(MY2016-2017 series・18)  近くのカワセミ

2017/ 05/ 23
                 
 行田の古代蓮公園と、熊谷の別府沼で撮った写真とのことですが、どのカワセミがどちらの場所だったかは(当方として)感知しておりません。


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4-3 埼玉 20170520
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4-2 埼玉 20170520
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翡翠の翔ちて女神の使者となる   長田等

















                 
        

MUCCHANのこと

2017/ 05/ 22
                 
 MUCCHANを私たちが家族として迎えたのは、1988年6月4日のことでした。彼が1才半の時です。
 それから私たち3人一緒の生活が12年間続きました。

 MUCCHANとの別れの日となったのが、2000年6月3日です。

 それから12年経った頃、MUCCHANとの思い出を今のうちに綴っておきたいという気持ちが強くなりました。
 この頃、今の時代のSNS(ソーシャルネットワーキングサービス)というジャンルに遅まきながら関心を持ち始めていました。
 facebookは名前と顔が一致し日々おりおりのメッセージ、ツィッターは覆面子で短文の時事寸評、ブログはその両方を兼ね備えかつフリーハンドの幅が大きいスタイルという色分けを私なりにし、タイムラグはありましたが、3つとりあえずスタートしました。
 実際のところ、世間を見ると千差万別で、SNSの使い方が様々なことが判りました。全て顔を表に出している人たち、一方でその真逆な人たちと、何でもありの世界でした。

 ブログを始めたのが、2012年5月22日です。思い出しやすいようにという気持ちも働き、東京スカイツリー開業日に合わせました。


 それから5年経ちました。
 先日の二次会で、Yさんと同席させて頂きました。
 MUCCHANのことを話題にして頂きました。
 とても嬉しかったです。
 ピーちゃんとの素敵な出会いのお話しを伺うこともできました。
 思い出深いひとときを過ごすことができました。
 ありがとうございました。



1-1 mucchan20170522


 野にあそべ山にあそべと昔日のきみぞ恋しき残り香の夕


 MUCCHANとのことが走馬灯のように思い浮かんでは消えていきます。

















                 
        

カワセミ百態(MY2016-2017 series・17) 代々木公園

2017/ 05/ 21
                 
 Mさんの今日のカワセミは、2017年5月18日のfacebookアップ写真です。

《19箇所目のカワセミスポット。代々木公園。
でも遠いんだよね。30m以上離れている感じ。平日の代々木公園、明治神宮は、Youたちばかり。まるで海外にいるようだ。》



①代々木公園20170518
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②代々木公園20170518
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③代々木公園20170518
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④代々木公園20170518
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 このあと、行田の古代蓮公園・熊谷別府沼、そして撮影場所は記載されていませんが、カワセミの若鳥のアップが続きます。背の青いところが透き通るように美しいとのコメントが添えられています。








                 
        

コラム記事 春秋 天声人語 編集手帳    パリの思い出…

2017/ 05/ 21
                 
 日本経済新聞の「春秋」、読売新聞の「編集手帳」、朝日新聞の「天声人語」、毎日新聞の「余禄」、そして産経新聞の「産経抄」。
 これらをインターネットであちこち検索したところ、各社の「社説」であるという説明がされていました。
 「論説と社説の違い」というインデントに目を通してみたところ、やはり、社説記事の例示として「春秋・編集手帳・天声人語・・・」と括られていました。

 2017年5月21日(日)、読売新聞コラム記事「編集手帳」は、いつもの1ページ左下2段に、そして「社説」は3ページの左上から6段にわたって記載されていました。



 2017年5月20日(土)、久しぶりに上京しました。
 ちょっとお酒も飲みました。
 帰りの駅前の(いつも利用する)お店で、一杯のラーメンをすすりました。不思議なものでお酒を飲んだ後は、お腹が空いていないにもかかわらず、中華そばを食べたくなるのは東京時代から変わっていないのです。
 ラーメンが出来上がるのを待っている間、何気なく新聞記事に目を通しました。
 日本経済新聞のコラム記事「春秋」です。



《 東京・六本木の国立新美術館で22日まで開かれている草間彌生展がにぎわっている。平日の昼にもかかわらず、まず外の入場券売り場で30分前後。展示室入り口でもほぼ同程度。2回の行列を経て会場に入ると、観客の手元からシャッター音がしきりに鳴り響いていた。

◇催しの中心となる大きな展示室の作品は撮影自由となっているからだ。くっきりした造形、カラフルな色使いの草間作品は、彫刻も絵も写真に映える。会場での写真はスマートフォンから時にその場でネットに送られて友人知人などの目にふれ、さらに鑑賞者を呼び寄せる。こうした口コミ効果も集客に拍車をかけている。

◇「ここで写真を撮り、ネットに載せてください」。新しく開業した商業施設では、そんな写真映えする一角をわざわざ設ける例も目立つ。投稿、閲覧、感想のコメント記入と、写真を介したコミュニケーションが盛んになる裏に、楽しさ、新鮮な驚き、感動などプラスの体験を多くの人と分かち合いたい心理が垣間見える。

◇心の病と闘いつつ渡米し、斬新な試みの数々が世界で評価された草間さん。エネルギーに満ちた絵は見ていて元気になるとの声も多い。作者の生き方と作品の楽しさと。2つの魅力に加え、訪れた人々による写真のやりとりがファンをさらに広げる。絵はがきなどの売り場は待ち時間50分。行列の長さが感動の深さを示す。》



鴻巣市出身の画家、梶山立志氏の画業40年を記念した絵画展『葦ペンと水彩で描く鴻巣のまつり展』が、5月24日の金曜日まで「ひなの里」で開催されています。
 二人で一緒に出掛けてみませんか。鴻巣というまちの季節の佇まいが、39枚の絵の中から浮かび上がってきます。きっとあなたの心に新たな芽吹きが生まれ出ずることでしょう。
 そう思います。


 今日載せた絵葉書は、26枚の中から2葉を選びました。画家にとっても、そして私たちにとっても思い出深いフランスです。

梶山立志 フランス 2葉-1
 「雨やどり」   水彩 79×55cm '94  
 ⁂「 VIE DE FRANCE 」 と、絵に記されています。





梶山立志 フランス 2葉-2
 パリで Ⅱ   水彩 135×95cm 1979  
⁂「 Les spécialistes français, 」と、絵に記されています。





 梶山立志氏著による『さあ、描こう素敵な水彩スケッチ』(発行所株式会社日貿出版社.2004年4月5日発行)の、「はじめに・素敵な絵空事」に、こんなことが書かれていました。
  末尾に《・・・どうですか、そんな気持ちでスケッチブックのはじめのページを開いてみては。素敵な絵空事が生まれてくるかもしれませんよ。》
 前段に《 ・・・しかしこんな法律違反が唯一許される場所がある。それは「絵の中」である。今描いている風景にどうしても鉄塔がじゃまでならないと思えば、取ってしまえばいい。真夏の山は緑ばっかりでつまらないと思えば、勝手に色を変えてしまえばいいのだ。だれも訴えたりしないだろう。
 そんな都合のいい世界が世の中にあるのだから、・・・》








                 
        

季節の鴻巣 梶山立志 カレンダー  復活

2017/ 05/ 20
                 
復活

鴻巣祭 渋川から百年ぶりに里帰りした山車です 79×55cm 
梶山立志カレンダー 復活 -2-




〈※〉渋川山車との関わりをマイブログからご紹介させて頂きます:
 群馬県渋川市は、明治から大正時代にかけて、鴻巣(仲町・雷電町・元市町・富永町)の4台の山車を購入しています。これらの山車は、現在もなお渋川山車まつりで活躍しています。この中の一台(富永町が所有していた山車)が2013年初めて里帰りし、行列に華を添えました。
◇2013年10月19日(土)・第27回全国中山道宿場会議鴻巣宿大会
  ・渋川山車展示9時~16時 屋外:エルミパーク
◇2013年10月20日(日)・将軍鷹狩り行列
  ・第4陣 渋川山車曳きまわし隊 13時05分~
  (出演・渋川市山車まつり実行委員会・上之町、町衆隊)








                 
        

カワセミ百態(MY2016-2017 series・16)  この日も東京都内

2017/ 05/ 20
                 
 東京のどこでしょうか。
 井の頭公園でしょうか、
 不忍池でしょうか、
 善福寺公園でしょうか。
 そういえば永福町にいたときは、和田堀公園をときおり散策しました。ある日の風薫る五月の夕べ、木々の青と水面の青が一斉に目に飛び込んできたことを思い出します。



1-26 ㋝26 20170104 都内 



 都内のあちこちで今も見かけるカワセミの姿。
 明日か明後日、Mさんのカワセミシリーズから、代々木公園での一コマをお届けしたいと思います。

















                 
        

浅草神社(三社様) 三社祭  まだ見ぬや

2017/ 05/ 20
                 
浅草三社様


まだ見ぬや薫風そよぐ三社祭
巫女の舞夕暮れ時の三社祭
夢に見る神輿渡御の三社祭
昨夜眠りについてから、あれこれと俳句風の言葉が思い浮かんだ、一度は行ってみたい、浅草三社祭(〈※〉)です。
風薫る五月、今年は祭り期間中ずっと良いお天気に恵まれます。
3日間で毎年約150万人の人出が見込まれています。とのことです。
行きはよいよい、帰りは何とやら・・・となると・・・

〈※〉:「三社祭」は、「さんじゃまつり」と読みますが、ここでは、五、七、五を踏むので「さんじゃさい」としました。「祭り」は夏の季語です。「薫風」も夏の季語ですので、一句目は季語が重なってしまうことになりますので、「俳句風の言葉」という云い方になりました。


今朝の一句。
まだ見ぬや三社祭夕の舞




・日程:平成29年度三社祭日程/5月19日(金)・20日(土)・21日(日)

「5月18日(木)」
 ・午後7時 本社神輿神霊入れの儀(ほんしゃみこしみたまいれのぎ)
  本社神輿へ浅草神社の御神霊(おみたま)をお移しする儀式

「5月19日(金)」
 ・午後1時 大行列 ※雨天中止
  大行列 :お囃子屋台・鳶頭木遣り・びんざさら舞・白鷺の舞などが行列をつくって浅草の町を歩く。
 ・午後2時20分 びんざさら舞奉納(社殿) 無形文化財「びんざさら舞」の奉納が浅草神社に於いて行われる。
 びんざさら舞 :
 ・午後3時 びんざさら舞奉納(神楽殿)
 ・午後3時30分 各町神輿神霊入れの儀(かくちょうみこしみたまいれのぎ)
  各町会の神輿へ御神霊(おみたま)をお移しする儀式

「5月20日(土)」
 ・午前10時 例大祭式典(れいたいさいしきてん)
  正午 町内神輿連合渡御(ちょうないみこしれんごうとぎょ)
 氏子各町連合渡御 浅草氏子44ヶ町の町内神輿約100基の渡御。
浅草寺本堂裏広場に参集した神輿が、一基ずつ発進。浅草神社でお祓いを受けた上で、各町会へ渡御。
午後4時 奉納舞踊(神楽殿) 浅草観光振袖学院
午後5時 巫女舞奉奏(神楽殿)

「5月21日(日)」
 ・午前6時〜
宮出し
本社神輿各町渡御(ほんしゃみこしかくちょうとぎょ)
宮入り:本社神輿3基が各町会を渡御します。
一之宮:西部
二之宮:南部
三之宮:東部

 ・午後2時 巫女舞奉奏(神楽殿)
 ・午後3時 奉納舞踊(神楽殿) 東京浅草組合
 ・午後4時 太鼓奉演(境内) 日本太鼓道場
 ・午前11時~
 ・午後6時 雷門通りから馬道通りにてお祭り広場を開催 ※交通規制有り
  主催:浅草観光連盟
宮入り後 本社神輿御霊返しの儀(ほんしゃみこしみたまがえしのぎ)
 本社神輿へお移り頂いた御神霊(おみたま)を本殿へお戻しする儀式










                 
        

カワセミ百態(MY2016-2017 series・15) 都内のカワセミ

2017/ 05/ 19
                 
 つい先ごろ、19カ所目のカワセミスポットとなった代々木公園での写真をアップしたMさんです。

 今日のカワセミは、2017年1月27日にフェイスブックに載せた都内で撮った写真ですが、場所は明記されていませんでした。

1-25 20170127 都下 カワセミ
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季節の鴻巣 梶山立志 カレンダー(2017年7月~2018年12月)

2017/ 05/ 19
                 
 緑の色が飛び込んでくる。と、家人。

梶山立志カレンダー①

緑の中で 
《国立農地試験場》
 緑の中の洋館は国立農地試験場と言っていた。現在は免許センター 37×28cm



 『緑の中で』は、2017年7月・8月の暦です。
 2018年10月まで水彩画の季節のシリーズが続きますが、11月・12月の最終の暦は、2つの「木版画」で締め括っています。


おおとり囃子 
 《秋祭り》
  鴻巣囃が聞こえる季節です 53×38cm



ねぎ揃い 人参便 トマトメニュー
 《鴻巣野菜シリーズ》
  自給自足の野菜の町は自然豊かな気候と大地。これこそ鴻巣野菜となります。 79×55cm



冬盛り
 《鴻巣風景・大間》
  荒川の洪水と戦った明治人が築いた大間土手 79×55cm



桃色節句
 《鴻巣雛》
  町中いたるところに雛人形あり 116×91cm

 

坂道が紫色に変わるころ
 《鴻巣風景・馬室》
  荒川の流れる大地は色彩を楽しませてくれます 53×38cm
  



馬室衆
 《鴻巣祭》
  中世が蘇る剣と獅子 79×55cm



復活
 《鴻巣祭》
  渋川から百年ぶりに里帰りした山車です 79×55cm



冬雛  権八地蔵
 《木版画》  
  天保時代の旅人が鴻巣宿で詠んだ句
  ご存知鈴ヶ森の白井権八ともの言い地蔵のかけ合い 18×12cm














                 
        

葦ペンと水彩で描く鴻巣のまつり展  5月18日~5月24日 ひなの里

2017/ 05/ 18
                 
 鴻巣市に住みはじめてから今年で31年目になります。
 自宅から通勤先への往復という日課がずっと続いていました。
 
 ふっと思ってからしばらく経って、足元をみることができるようになりました。
 

 このところ、鴻巣市内のあちこちに足を運ぶようになっています。
 先日、川里生涯学習センターで、大きなポスターが掲示されているのが目にとまりました。
  鴻巣市出身の画家、梶山立志(かじやまたてし)氏の絵画展、『葦ペンと水彩で描く鴻巣のまつり展』でした。

 今日、絵画展の初日に観に行くことができました。
 39点の水彩画が、お蔵の1階と2階に展示されています。
 作品一つひとつに鴻巣のおりふしが描かれています。

 葦ペンと水彩で描く画と、初のご対面です。
 目の当たりにしてこそ、そのタッチの妙を感じ得るということにあらためて思い至ることができました。
 海外あちこちに氏の足跡が記されています。私の行ったところでも、フランス、マレーシア、台湾の名前が連なっています。私が訪れたことのない東南アジアの国々での記事を一つひとつ丁寧に見ることもできました。
 鴻巣から渋川へ嫁いだ山車(4基の山車だったと思います)についての文も掲示されていました。
 私の出身地が渋川(群馬では沼田、前橋にも住んでいました)ということもあり、画家梶山立志氏をより身近に感じることともなりました。

梶山立志画業40年記念 1

梶山立志画業40年記念 2

梶山立志画業40年記念 3



『葦ペンと水彩で描く鴻巣のまつり展 梶山立志画業40年記念』

  鴻巣市出身の画家、梶山立志(かじやまたてし)氏の絵画展。
会場:「鴻巣市観光協会 ひなの里」〈※〉
    特設会場(お蔵の1階&2階)〈入場無料〉
会期:5月18日(木)~5月24日(水).10:00〜17:00〈最終日/16:00〉
  
〈※〉 埼玉県鴻巣市人形1-4-20 電話番号 048-544-1730
   ・開館時間: 9時から17時
   ・休館日: 水曜日(国民の祝日にあたる場合は翌日)
      〈「花まつり」開催期間中の5月24日(水)は開館〉
    年末年始
   ・駐車場有.
   ・JR高崎線鴻巣駅東口より1.2km.徒歩約15分.
   ・市内循環バスフラワー号乗場鴻巣駅東口ロータリー④番
   (常光・じょうこうコース:人形町経由・元市町下車すぐ.


梶山立志画業40年記念 ポスター2 上半分 -ポスター下半分









                 
        

カワセミ百態(MY2016-2017 series・14)  Je pense, donc je suis

2017/ 05/ 18
                 
 Cogito, ergo sum


1-23-2 20170127 カワセミ 柴山沼
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1-24 20170115 カワセミ
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翡翠の水面へ凝視つづきけり  渡辺立男


翡翠に沈思の水面ありにけり  川口襄








                 
        

皇后美智子さま 御歌      

2017/ 05/ 18
                 
 皇后美智子さま 御歌   五首   



み伴(とも)せる旅路の車窓明(あか)るみて「花一杯」の町を過ぎゆく



うみ風(かぜ)を求め旅行く若きらを帆船(はんせん)は待つ月の港に



灯火(ひ)を振れば彼方の明かり共に揺れ旅行(ゆ)くひと日夜(よる)に入りゆく



高原のから松立てるかの小道思ひ出(い)でをり三年(みとせ)訪(と)はざる



言(こと)の葉(は)となりて我よりいでざりしあまたの思ひ今いとほしむ






皇后美智子さま御歌(みうた)、一首と二首は昭和60年(1985年)、三首目は平成21年(2009)に、四首と五首は平成4年(1992年)に発表。(『皇后美智子さま 全御歌』釈:秦澄美枝.発行2014年10月20日.発行所:株式会社新潮社.)














                 
        

庭のおりふし  コデマリの白 キウイフルーツの白

2017/ 05/ 17
                 
 コデマリの白い花。
 キウイフルーツの白い花。
 毎年、同じころに咲く花です。


1-4 コデマリの花⑥ 20140428
1-1 小手毬の花 20140428
 小手毬の花 2014年4月28日

1-3 キウイフルーツの花 20140516
 キウイフルーツの花 2014年5月16日


カイドウのピンクの花、今年は咲きませんでした。
1-2 海棠の花 20150330
 海棠の花 2015年3月30日





                 
        

カワセミ百態(MY2016-2017 series・13)  新宿御苑の記憶

2017/ 05/ 17
                 
 新宿御苑に皆で行ったことを思い出しています。
 新人の顔合わせ会の一つだったように記憶していますが・・・
 覚えていますか。
 あのときの写真、誰か持っていませんか。


 ここに写っているカワセミは、新宿御苑で撮ったそうです。
 東京都内のあちこちにも足をのばしているMさんです。

1-22 20161211 新宿御苑 カワセミ
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1-21 20161211 新宿御苑 カワセミ
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 翡翠の記憶と故郷の山河かな  長田等









                 
        

カワセミ百態(MY2016-2017 series・12)  智恵子抄

2017/ 05/ 16
                 
 Mさんの「カワセミ百態」シリーズも、あっという間に12回を数えています。
 翡翠のおりふしの姿態写真を眺めながら、うつりゆく様々なこころの風景を俯瞰している自分を見つめていることに気がつきました。 

1-20 20170129翡翠
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「翡翠の簪、金の耳環」
 カワセミ(かわせみ、川蝉、翡翠)の名を付けた詩を訪ね歩いたのですが、辿り着けないでいたところ、「翡翠の簪・・・」の扉が目にとまりました。
 「ヒスイのかんざし、きんのみみわ」と読んでよろしいのでしょうか。
 佐藤春夫の「小説智恵子抄」をもとにして、智恵子の求めている空を見つめている一文です。


『翡翠の簪、金の耳環』(2013年9月7日、18:43掲載)

《智恵子の本当の空~恋する智恵子抄~

詩心というものが、悲しいかなとんとないのである。
詩とは作り手の意図がダイレクトに反映されるものではなく、その感性を受け手がどのように感じ取るかのように思う。それは自分の感性の自由でもある。詩は小説とは違って、紡がれた物語を追っていくものではない。
けれど『智恵子抄』は劇的な恋の記録だ。ひとつの小さな恋のはじまり、そして愛する人の精神の崩壊、永久の別れをともなう終焉という連なった物語だ。
『智恵子抄』をはじめて読んだ十代半ばの頃には、ふたりの存在は遠い対岸の美談にしか感じなかった。
先日、高村光太郎の彫刻や切り絵を千葉市美術館で観た。実際にその作品に、空気に触れると光太郎と千恵子の息吹を感じた。帰宅したわたしは文庫本の『智恵子抄』を手に取っていた。


智恵子 高村光太郎
智恵子(高村光太郎 1927年)


佐藤春夫氏の「小説智恵子抄」はふたりの、ふたりだけの世界を淡々と微細に描いている。
『智恵子抄』を辿るにあたって鍵となる物語である。

物語は、放蕩者の光太郎を心配した友人の椿夫妻が見合いの算段を立てたことからはじまる。
その相手こそが智恵子であった。
二人は直ぐに惹かれあったが、内気な乙女、智恵子とあっけらかんとした光太郎は燃えるような恋とはおよそ無縁だった。智恵子はたびたび光太郎のアトリエを訪れるが、フランスの美術について質問をするだけである。しかし地味でプラトニックな関係は細々と途切れることなく続く。
やがて光太郎は父の屋敷のうらに新しいアトリエを持つことになった。
その完成を待っていた智恵子は、最初のアトリエ訪問に腕一杯の大鉢のグロキシニアを抱えて団子坂を上った。
これが恋の力でなくて何であろう。
「自分の力でなければお祝いの言葉が届かないような気がして頑張ったんです」
小柄な智恵子の口からこんなけなげな言葉を聞けば、常々「自分のような者には結婚する資格はない」と考えては煮え切らぬ光太郎の心とて動かぬわけはなく……

「人に」

いやなんです
あなたのいつてしまふのが――

花よりさきに実のなるやうな
種子(たね)よりさきに芽の出るやうな
夏から春のすぐ来るやうな
そんな理窟に合はない不自然を
どうかしないでゐて下さい
型のやうな旦那さまと
まるい字をかくそのあなたと
かう考へてさへなぜか私は泣かれます
小鳥のやうに臆病で
大風のやうにわがままな
あなたがお嫁にゆくなんて

いやなんです
あなたのいつてしまふのが――

なぜさうたやすく
さあ何といひませう――まあ言はば
その身を売る気になれるんでせう
あなたはその身を売るんです
一人の世界から
万人の世界へ
そして男に負けて
無意味に負けて
ああ何といふ醜悪事でせう
まるでさう
チシアンの画いた絵が
鶴巻町へ買物に出るのです
私は淋しい かなしい
何といふ気はないけれど
ちやうどあなたの下すつた
あのグロキシニヤの
大きな花の腐つてゆくのを見る様な
私を棄てて腐つてゆくのを見る様な
空を旅してゆく鳥の
ゆくへをぢつとみてゐる様な
浪の砕けるあの悲しい自棄のこころ
はかない 淋しい 焼けつく様な
――それでも恋とはちがひます
サンタマリア
ちがひます ちがひます
何がどうとはもとより知らねど
いやなんです
あなたのいつてしまふのが――
おまけにお嫁にゆくなんて
よその男のこころのままになるなんて

グロキシニアに智恵子の面影を幾重にも重ねているよう。
作詩で感情を吐露しながらも、それでも恋とは違うと強がる光太郎の男の身勝手な純情。
しかし世間は彼らの内気な想いなど知る由もなく、下世話な噂で沸き立つのであった。
「幼少から良家のしつけを身につけた小心翼々の光太郎には無体な振る舞いなどできうるわけもない」と、いう佐藤春夫氏の記述は恐らく真実であったのだろう。

そして、ようやくふたりは結ばれる。

「愛の嘆美」

底の知れない肉体の慾は
あげ潮どきのおそろしいちから――
なほも燃え立つ汗ばんだ火に
火竜サラマンドラはてんてんと躍る

ふりしきる雪は深夜に婚姻飛揚ヴオル・ニユプシアルの宴(うたげ)をあげ
寂寞(じやくまく)とした空中の歓喜をさけぶ
われらは世にも美しい力にくだかれ
このとき深密(じんみつ)のながれに身をひたして
いきり立つ薔薇(ばら)いろの靄(もや)に息づき
因陀羅網(いんだらもう)の珠玉(しゆぎよく)に照りかへして
われらのいのちを無尽に鋳る

蛇足は不要だが付け加えるのならば、「愛の嘆美」は光太郎が新婚を自ら祝賀した詩とみて、智恵子と新枕を交わした時の歓びの詩として読んでいる。
―佐藤春夫

……なかなかに情熱的な初夜だった模様だ。

そんな新婚生活は貧しいながらも睦まじいものであった。
ある朝、いつものように朝食をこしらえた光太郎は二階からの智恵子の足音を待っていた。が、聞こえてこない。光太郎は愛妻の名を呼びながら探し回った。
やがて玄関に足音が聞こえる。外出していた智恵子が帰ってきたのである。悪びれる風でもない智恵子に光太郎は、「どこに行ってきた?」と問う。
「あんまりいいお天気だから、私空を探しに行ってきましたのよ。空のないのはうちだけかと思ったら、東京にはこんないいお天気でもどこにも空はないのね」
と、智恵子は答えた。光太郎はきょとんとする。
「いくらうちが貧乏したって、うちの窓にだって空はありますよ」
「それは、わたしだってそう思ったのですけれど、うちではどの窓からも空は一つも見えませんもの。冬中は雲があって見えないのだと思っていましたが、春になってもどこにも空がないのであまりに不思議でならないから、今日はいいお天気だからきっと東京でもどこかに空が見えるだろうとおもいついてひとりで探しに行ってみましたの」
光太郎がいくら東京の空が見えるスポットを教えても、
「だめでした。空はかけらも見えませんでした」と智恵子は無邪気に答える。
「空はどこにもありません」と答える智恵子に都会育ちの光太郎は納得がいかなかった。窓越しの空を指差す。
「あそこにだってあんなに空があるではありませんか」
「いいえ!あれは空ではありません。ただの空間ではありませんか」
そういって智恵子は本当の空の深さを語った。
「空というものはあんなものではありませんの。犬吠の海よりももっと青くってきれいな底のしれないほど深いものなのです。そうね。上高地の梓川の水の深い淵になった所には、空にいくらか似たようなものがあったわ、でも空は東京にはどこにもありません」

「二本松の阿多多羅山の上にある澄みとおった青いものが私のいう空なのです」

「あどけない話」


智恵子は東京に空が無いといふ、
ほんとの空が見たいといふ。
私は驚いて空を見る。
桜若葉の間に在るのは、
切つても切れない
むかしなじみのきれいな空だ。
どんよりけむる地平のぼかしは
うすもも色の朝のしめりだ。
智恵子は遠くを見ながら言ふ。
阿多多羅山あたたらやまの山の上に
毎日出てゐる青い空が
智恵子のほんとの空だといふ。
あどけない空の話である。

長年にわたり、ひどい勘違いをしていたことに軽い衝撃を受けた。
この詩は精神を病んだのちの智恵子を詠ったものだと、ずっと思い込んでいたのである。
智恵子は自身を失うより以前からひじょうに繊細な女性だったことがうかがえる。
「空がないのはうちだけかと思った」この不可思議な感性は智恵子の後の心の闇を暗示しているようだ。小さな硝子細工のような脆さを、助長したのは果たして光太郎だったのだろうか……

智恵子の父の病の際にはじめて二本松を訪れた光太郎。智恵子はもどかしげに云う。
「お父様にはお会いくださったけれど、あなた、まだわたしのほんとうの空を見てくださらないのだわ」
「いや今朝の空などもきれいでした。ほんとうの空をやっと見たと思った」
それでも智恵子は納得しない。
「いえ、わたしの空はこんなところにありませんの、もっとよく見せてあげます」

智恵子は、どこまでも光太郎とほんとうの空を共有したがった。

「樹下の二人」

――みちのくの安達が原の二本松松の根かたに人立てる見ゆ――

あれが阿多多羅山(あたたらやま)、
あの光るのが阿武隈川。

かうやつて言葉すくなに坐つてゐると、
うつとりねむるやうな頭の中に、
ただ遠い世の松風ばかりが薄みどりに吹き渡ります。
この大きな冬のはじめの野山の中に、
あなたと二人静かに燃えて手を組んでゐるよろこびを、
下を見てゐるあの白い雲にかくすのは止しませう。

あなたは不思議な仙丹(せんたん)を魂の壺にくゆらせて、
ああ、何といふ幽妙な愛の海ぞこに人を誘ふことか、
ふたり一緒に歩いた十年の季節の展望は、
ただあなたの中に女人の無限を見せるばかり。
無限の境に烟るものこそ、
こんなにも情意に悩む私を清めてくれ、
こんなにも苦渋を身に負ふ私に爽かな若さの泉を注いでくれる、
むしろ魔もののやうに捉(とら)へがたい
妙に変幻するものですね。

あれが阿多多羅山、
あの光るのが阿武隈川。

ここはあなたの生れたふるさと、
あの小さな白壁の点点があなたのうちの酒庫(さかぐら)。
それでは足をのびのびと投げ出して、
このがらんと晴れ渡つた北国(きたぐに)の木の香に満ちた空気を吸はう。
あなたそのもののやうなこのひいやりと快い、
すんなりと弾力ある雰囲気に肌を洗はう。
私は又あした遠く去る、
あの無頼の都、混沌たる愛憎の渦の中へ、
私の恐れる、しかも執着深いあの人間喜劇のただ中へ。
ここはあなたの生れたふるさと、
この不思議な別箇の肉身を生んだ天地。
まだ松風が吹いてゐます、
もう一度この冬のはじめの物寂しいパノラマの地理を教へて下さい。

あれが阿多多羅山、
あの光るのが阿武隈川。

智恵子を二本松に残し帰京した光太郎は智恵子が帰ったら、この詩を見せようと楽しみに待っていた。
しかしそれを知る由もなく、光太郎の元へ帰った智恵子は深い悲しみに閉ざされていた。
看病の甲斐なく父は没し、そのあとを嗣いだ智恵子の実弟の放蕩のため家はついに破産するに至ったのである。
これは光太郎、智恵子ふたりの不幸の序章にすぎなかった。

1931年の夏、はじめて精神分裂の兆候が現れた智恵子は翌年アダリンの小瓶をひとつそっくり飲んで自殺をはかるが未遂に終る。
心配する光太郎に医者は、「睡眠薬の量を誤っただけのこと。よくあることです」と笑う。
「お若く見えるようですが、もうそろそろ更年期に入られるころでもあり、更年期現象の初期は、概して病弱な体質には強いショックになって種々な発作を誘い出すもののようですから……」
光太郎ははじめて、連れ歩くと妹と間違えられるのが普通で時には息女かなどと間違えられる智恵子が老いかけているという事実に直面したのであった。
智恵子自身もその病弱を「わたし、お婆さんにならないで死ぬわ」と予言していた。
更年期のショックによる発作という見方という医者の言葉を信じていた光太郎であったが、智恵子の精神状態に疑いを抱き始める。
しかし、気づいた時にはすでに遅かった。智恵子の症状は実は精神分裂の最初の兆候だったのである。
光太郎はパリ留学中に無理算段をして手に入れ秘蔵してきたロダンの大冊限定本を、泣く泣く手放して智恵子を慰め楽しませようと温泉旅行に旅立つ。
それは壊れゆく妻の姿を否応にも見せつけられる残酷な旅となった。

―不意に泣き始めた智恵子は、いきなり光太郎の腕に重たく身を投げかけ、すすり泣きはますます激しくなって、ついに声を放って光太郎の膝に哭き伏した。驚いた光太郎ははじめ片手はその肩を抱いてかるく打つように、片手は智恵子の丸い頬を愛撫しつづけ、言葉を尽くして童女に対するようにあやしていたが、いよいよ高まっていくばかりの智恵子の慟哭はいつまでもやまず、その哭き声の下から、とぎれとぎれ言うのに耳を傾けてやっと聴き取ったところは、
「わたしもうじきだめになる」
という謎のような予言であった。

-佐藤春夫

「山麓の二人」


二つに裂けて傾く磐梯山の裏山は
険しく八月の頭上の空に目をみはり
裾野とほく靡なびいて波うち
芒すすきぼうぼうと人をうづめる
半ば狂へる妻は草を藉しいて坐し
わたくしの手に重くもたれて
泣きやまぬ童女のやうに慟哭(どうこく)する
――わたしもうぢき駄目になる
意識を襲ふ宿命の鬼にさらはれて
のがれる途みち無き魂との別離
その不可抗の予感
――わたしもうぢき駄目になる
涙にぬれた手に山風が冷たく触れる
わたくしは黙つて妻の姿に見入る
意識の境から最後にふり返つて
わたくしに縋(すが)る
この妻をとりもどすすべが今は世に無い
わたくしの心はこの時二つに裂けて脱落し
闃げきとして二人をつつむこの天地と一つになつた。

やがて智恵子は精神病院に入った。作業療法として紙絵の制作がはじまった。
はじめは折り紙をところどころひろげて、自然にできたシンメトリーの単純なものであったのがおいおいと複雑になってゆく。光太郎は精神の統一を失った智恵子との間につながれた芸術的な美意識を喜んだ。そして智恵子はまた、光太郎が喜ぶのを見て無邪気に喜んだ。

智恵子の紙絵は1949年の「高村智恵子遺作切絵展覧会」ではじめて一般に公開された。光太郎のこの文章はこの展覧会に次いで開催された展覧会にさいしてのもの。

久しぶりに智恵子の作を見てやはり感動した。その上かうやつて一度に並べて見たのは初めてなので、膝の上で一枚づつ見るのとは違つた、その全体から来る美の話しかけに目をみはつた。
一人の作品が三十枚程あれば一つの雰囲気が生まれる。人はその雰囲気の中で、丁度森の中をゆくような一種の匂はしさを感ずる。

紙を切る鋏の使ひ方と切つた紙を台紙に貼る技術とには殆ど人間業でないものがある。極度のメチエである。

智恵子はかねて油絵を研究してゐたが、パレツト上の絵具をどうしても克服し得ず、その絶望感から一度はアダリン自殺を企てた。
精神病院の一室で、今絵具から解放された造形上の喜びが、これらの切抜絵のぜんめんにあふれみなぎつてゐるのを感じた。
これらは皆今から十余年前に作られた一千余枚の一部である。
尚ほ岩手大学精神病科の三浦信之博士が私にあの中で三枚だけ精神異常者の作品が認められるものがあると語られたことを附記する。

「みちのく便り 三」『スバル』1950年7月

末尾の文章に背筋が凍った。
この「精神異常者の作品が認められるもの」がどの作品であるのかは不明と云う。
「ここにある切抜絵の取材は日常座右の触目であり、傾向としてはレアリスムであるが、既に抽象画派の境域を超えて来たものであるから、ただの素朴写実主義の幼稚に居るものではない。色調と寂寥との比例均衡に微妙な知性美がゆきわたり、一片の偶然性もゆるされてゐない。」
光太郎にこう云わしめた一千余枚の作品は女性らしい色合いの整然とした花や葉をモチーフにしたシンメトリー、惣菜、野菜、みごとに造形を捉え再現された魚や蟹、可愛らしいお菓子などである……これらの中にたった三枚だけ確かな狂気が含まれている。


精神科医のこの言葉に光太郎は慄いただろうか。
否、生身の智恵子を通してここまで作品を理解し、あらゆる繊細さもその精神が崩れゆくさまさえ正面から受け止めながら、「この作品群には一片の偶然性もゆるされていない」と評した彼であるのならば、紛れこんだ狂気をもきっと認めていたに違いない。

光太郎がさし出したレモンを握ると、すぐそれにきれいな白い歯を噛み当てると見るや、黄玉(トパーズ)色の香気があたりに迸るなかで、智恵子はレモンの汁を貪るように吸い取り、やがて光太郎の手をさぐって力いっぱいの強さで握りしめた。
その手は無言の愛と感謝の情とを伝えて感謝の決別を告げた。

こうして昭和十三年十月五日の夜、晩年の七年間を精神錯乱のうちに過ごして五十三歳の生涯を送った智恵子は、数千百に及ぶ紙絵を光太郎の手に遺して人の世を去り「荒涼たる帰宅をした」

-佐藤春夫

あらためて智恵子を想う。
才能あふれる、愛する人に認められたいという強い気持ちが、ほんとうの空の共有したいという切実な願望となったのかもしれない。
智恵子は光太郎とほんとうの空を雲の上から眺めることができただろうか。
その空の色は、阿多多羅山の空は今も変わらぬ色だろうか。










                 
        

総務省統計局  旅の日

2017/ 05/ 16
                 
 年間の快晴日数の一番多い県は、埼玉県です。
 都道府県上位ベスト5の中に、埼玉県(64日)、3位栃木県(50日)、5位茨城県(46日)、同5位東京都(46日)と、関東地方が4つも入っています。(〈※〉:総務省統計局、平成26年調査)

 梅雨に入る前の5月。
 あちこちに足をのばして背伸びをしてみたい季節ですね。


きょうは5月16日です。総務省統計局「なるほど統計学園」からの、「今日は何の日?」をお届けいたします。

 《 5月16日は「旅の日」です。

 松尾芭蕉が奥の細道に旅立った5月16日(陰暦元禄2年3月27日)を記念して、昭和63年(1988年)に日本旅のペンクラブが提唱しました。

 それでは、「旅の日」にちなんで、総務省統計局の平成23年社会生活基本調査結果から、「旅行」についてのデータを見てみましょう。

 次のグラフは、平成18年と23年の「旅行・行楽」の種類別行動者率を表したものです。

 平成23年は「行楽(日帰り)」が58.3%、観光旅行では国内が45.4%、海外が7.3%となっており、平成18年と比べると、「観光旅行(国内)」が4.2ポイント低下、「行楽(日帰り)」が1.7ポイント低下などと、全ての種類で低下していることがわかります。

総務省統計局 今日は何の日












                 
        

カワセミ百態(MY2016-2017 series・11)  身近なところでも・・・

2017/ 05/ 15
                 
  カワセミは歩くのが得手ではないそうです。

 鳥類分類をみますと、「ブッポウソウ目」の「カワセミ科」となっていました。
 清流に住む鳥というイメージが強いカワセミですが、実際餌が獲れるところここ彼処に飛来してきます。今の時代を逞しく生きています。
 この近くの元荒川でも、木の枝が川に沿ってかかっている場所では、その姿をみることができますよ。


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 カワセミ♀ my20170208fbup 

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 カワセミ♂ my20170115fbup 





 こころよく河かぜ吹きぬ舞姫もうすもの着れば翡翠ににる   吉井 勇


 川蝉の風かをるかとおもひけり    蓼太


 翡翠の濃き彩にしてとどまりぬ   橋本 多佳子   













                 
        

NHK連続テレビ小説『ひよっこ』 おばあちゃんのこと 乙女寮コーラス部

2017/ 05/ 15
                 
 ある日の乙女寮、夏井優子(八木優希)が、ハタハタの佃煮を同室のみね子や皆に振る舞います。実家から送りとどけられていたものでした。
 青天目澄子(松本穂香)〈※〉は、福島の自分の家から何も送られてこないので恥ずかしく思います。はがき1枚すら届かないが、ここが楽しいからさみしくないといいます。

 でも、バアチャンには会いてえな。大好きだぁ・・・と呟きます。
 澄子が突然笑顔になります。それは故郷のバアチャンとのあの時のことを思い出したからでした。彼女が中学に入ったばっかしのころ、足を痛めて松葉づえをついて家に帰る途中、橋の所でバアチャンと出会います。バアチャンは腰が曲がっていて、いつもよたよたと体を屈めるながらゆっくりと歩いている人なのです。そのバアチャンが孫娘の痛々しい姿を見て、曲がっていた腰がピンと立って俄然と走り出します。大丈夫かと澄子に声を懸けます。彼女はウンと頷きます。二人は抱き合います。
 そして、バアチャンはその後どうなったかというと、ホッとした後はまた腰をかがめてよたよたとゆっくり歩く元の姿に戻っていたのでした。
 澄子はそのことを思い出していたのです。


〈※〉:青天目 澄子(なばためすみこ) 〈松本 穂香〉
  乙女寮の仲間
  福島県出身。家計を助けるために、中学を卒業してすぐに上京してきた。いつもマイペースで、何をするのも遅い。よくミスをして生産ラインを止めてしまうが、悪びれる様子もない。「乙女寮」では、課外活動のコーラスと食堂のカレーライスを楽しみにしており、それが大きな騒動を巻き起こす。

〈※〉:松本 穂香〈まつもとほのか〉
 ・大阪府出身.・1997年2月5日生れ.・身長162cm.・体重非公表.・高校で演劇部.



 ~おばあちゃんのこと ちょっと横路へ~

 愛犬MUCCHANがわが家に来たのは、彼が生まれてから1年半経ってからのことでした。
 散歩のとき遠くの方に高齢のご婦人を見かけるや否や、私をぐいぐい引っ張って一目散に走り出します。
 彼が私たちのところに来る前に住んでいた家で、おばあちゃんに可愛がられていたMUCCHANでした。その大好きな大好きなおばあちゃんだと思って、彼はいつも高齢のご婦人をみかけると居ても立ってもいられなくなり我武者羅に駆け寄っていくのです。
 MUCCHANの命を救った人がたくさんいます。その一人は八王子の獣医さんです。あと1週間も放っておけば危なかったということでした。栄養失調でどちらかの目が見えなくなっていたということも伺いました。体重は我が家に来てから倍以上増えました。
 彼には友だちがたくさんできました。おかげ様で私たちも「犬とも」の皆さんとの交流が始まりました。今でもご挨拶を交わしています。
 


 乙女寮コーラス部

 アフレコ(アテレコ)(〈※〉)だと思っています。
 NHK東京児童合唱団関係者のお歴々3名が音楽指導に名を連ねていますので、そのコーラス画像に合わせ、乙女寮コーラス部の皆さんが口をパクパク開けているのだと思います。あて推量ですけれど。
 
《注〈※〉)アフレコ(アテレコ):
 基本的な意味としては、どちらも元からあった映像に音声を当てる、
ということですので、違いはありません。
 ただ、アテレコという言葉は、演技などに「当てて」録音する、ということから
当ててレコーディング→アテレコとなりました。
アフレコの場合は、映像を先にとり音声は後で取るということから、
アフター レコーディング→アフレコとなりました。
(因みにアフレコは和製英語で、外人に言っても通じません。)
 つまり、アテレコは日本語+英語、アフレコは英語+英語というように、
言葉の作りが違いますので、意味が違うようにかんじるのでしょう。
 また、洋画吹き替え時には演技に当てる事から「アテレコ」、
アニメの場合は「アフレコ」という事が多かったようです
最近はほぼアフレコに統一され、アテレコは使われなくなってきているので、
アテレコという言葉に違和感を覚える人もいるようです。》



『ひよっこ』第7週は、椰子(やし)の実たちの夢〈5月15日(月)〜5月20日(土)〉です。
 5月15日の今日、乙女寮コーラス部によって歌われたのが、島崎藤村作詞(詩)、大中寅二作曲の『椰子の実』でした。


 みね子たちが乙女寮に入った際に、コーラス部が歓迎で歌った曲が『手のひらを太陽に』(作詞:やなせたかし、作曲:いずみたく)でした。

 
 新人たちが初めてコーラス部に参加したときの練習曲は、『トロイカ』(ロシア民謡)でしたっけ。

 その次の練習曲は、『恋はやさしい野辺の花よ』(作詞:F・ZELL、 R・GREEN、訳詞:小林愛雄、作曲:F・SUPPE)。

 そして、5月15日の『椰子の実』。

 これから、
  お盆の帰省前に歌う曲『夏の思い出』(1957年.作詞:江間章子、作曲:中田喜直)、
 そして、
 乙女寮の閉鎖が決まり、夏井優子(八木優希)が帰郷する際にコーラス部が最後に歌う曲が『見上げてごらん夜の星を』(1963年.作詞:永六輔、作曲:いずみたく、歌:坂本九)
と、懐かしの曲が女子コーラスによって歌われます。