カワセミ百態(MY2016-2017 series・12)  智恵子抄

2017/ 05/ 16
                 
 Mさんの「カワセミ百態」シリーズも、あっという間に12回を数えています。
 翡翠のおりふしの姿態写真を眺めながら、うつりゆく様々なこころの風景を俯瞰している自分を見つめていることに気がつきました。 

1-20 20170129翡翠
my20170129fbup



「翡翠の簪、金の耳環」
 カワセミ(かわせみ、川蝉、翡翠)の名を付けた詩を訪ね歩いたのですが、辿り着けないでいたところ、「翡翠の簪・・・」の扉が目にとまりました。
 「ヒスイのかんざし、きんのみみわ」と読んでよろしいのでしょうか。
 佐藤春夫の「小説智恵子抄」をもとにして、智恵子の求めている空を見つめている一文です。


『翡翠の簪、金の耳環』(2013年9月7日、18:43掲載)

《智恵子の本当の空~恋する智恵子抄~

詩心というものが、悲しいかなとんとないのである。
詩とは作り手の意図がダイレクトに反映されるものではなく、その感性を受け手がどのように感じ取るかのように思う。それは自分の感性の自由でもある。詩は小説とは違って、紡がれた物語を追っていくものではない。
けれど『智恵子抄』は劇的な恋の記録だ。ひとつの小さな恋のはじまり、そして愛する人の精神の崩壊、永久の別れをともなう終焉という連なった物語だ。
『智恵子抄』をはじめて読んだ十代半ばの頃には、ふたりの存在は遠い対岸の美談にしか感じなかった。
先日、高村光太郎の彫刻や切り絵を千葉市美術館で観た。実際にその作品に、空気に触れると光太郎と千恵子の息吹を感じた。帰宅したわたしは文庫本の『智恵子抄』を手に取っていた。


智恵子 高村光太郎
智恵子(高村光太郎 1927年)


佐藤春夫氏の「小説智恵子抄」はふたりの、ふたりだけの世界を淡々と微細に描いている。
『智恵子抄』を辿るにあたって鍵となる物語である。

物語は、放蕩者の光太郎を心配した友人の椿夫妻が見合いの算段を立てたことからはじまる。
その相手こそが智恵子であった。
二人は直ぐに惹かれあったが、内気な乙女、智恵子とあっけらかんとした光太郎は燃えるような恋とはおよそ無縁だった。智恵子はたびたび光太郎のアトリエを訪れるが、フランスの美術について質問をするだけである。しかし地味でプラトニックな関係は細々と途切れることなく続く。
やがて光太郎は父の屋敷のうらに新しいアトリエを持つことになった。
その完成を待っていた智恵子は、最初のアトリエ訪問に腕一杯の大鉢のグロキシニアを抱えて団子坂を上った。
これが恋の力でなくて何であろう。
「自分の力でなければお祝いの言葉が届かないような気がして頑張ったんです」
小柄な智恵子の口からこんなけなげな言葉を聞けば、常々「自分のような者には結婚する資格はない」と考えては煮え切らぬ光太郎の心とて動かぬわけはなく……

「人に」

いやなんです
あなたのいつてしまふのが――

花よりさきに実のなるやうな
種子(たね)よりさきに芽の出るやうな
夏から春のすぐ来るやうな
そんな理窟に合はない不自然を
どうかしないでゐて下さい
型のやうな旦那さまと
まるい字をかくそのあなたと
かう考へてさへなぜか私は泣かれます
小鳥のやうに臆病で
大風のやうにわがままな
あなたがお嫁にゆくなんて

いやなんです
あなたのいつてしまふのが――

なぜさうたやすく
さあ何といひませう――まあ言はば
その身を売る気になれるんでせう
あなたはその身を売るんです
一人の世界から
万人の世界へ
そして男に負けて
無意味に負けて
ああ何といふ醜悪事でせう
まるでさう
チシアンの画いた絵が
鶴巻町へ買物に出るのです
私は淋しい かなしい
何といふ気はないけれど
ちやうどあなたの下すつた
あのグロキシニヤの
大きな花の腐つてゆくのを見る様な
私を棄てて腐つてゆくのを見る様な
空を旅してゆく鳥の
ゆくへをぢつとみてゐる様な
浪の砕けるあの悲しい自棄のこころ
はかない 淋しい 焼けつく様な
――それでも恋とはちがひます
サンタマリア
ちがひます ちがひます
何がどうとはもとより知らねど
いやなんです
あなたのいつてしまふのが――
おまけにお嫁にゆくなんて
よその男のこころのままになるなんて

グロキシニアに智恵子の面影を幾重にも重ねているよう。
作詩で感情を吐露しながらも、それでも恋とは違うと強がる光太郎の男の身勝手な純情。
しかし世間は彼らの内気な想いなど知る由もなく、下世話な噂で沸き立つのであった。
「幼少から良家のしつけを身につけた小心翼々の光太郎には無体な振る舞いなどできうるわけもない」と、いう佐藤春夫氏の記述は恐らく真実であったのだろう。

そして、ようやくふたりは結ばれる。

「愛の嘆美」

底の知れない肉体の慾は
あげ潮どきのおそろしいちから――
なほも燃え立つ汗ばんだ火に
火竜サラマンドラはてんてんと躍る

ふりしきる雪は深夜に婚姻飛揚ヴオル・ニユプシアルの宴(うたげ)をあげ
寂寞(じやくまく)とした空中の歓喜をさけぶ
われらは世にも美しい力にくだかれ
このとき深密(じんみつ)のながれに身をひたして
いきり立つ薔薇(ばら)いろの靄(もや)に息づき
因陀羅網(いんだらもう)の珠玉(しゆぎよく)に照りかへして
われらのいのちを無尽に鋳る

蛇足は不要だが付け加えるのならば、「愛の嘆美」は光太郎が新婚を自ら祝賀した詩とみて、智恵子と新枕を交わした時の歓びの詩として読んでいる。
―佐藤春夫

……なかなかに情熱的な初夜だった模様だ。

そんな新婚生活は貧しいながらも睦まじいものであった。
ある朝、いつものように朝食をこしらえた光太郎は二階からの智恵子の足音を待っていた。が、聞こえてこない。光太郎は愛妻の名を呼びながら探し回った。
やがて玄関に足音が聞こえる。外出していた智恵子が帰ってきたのである。悪びれる風でもない智恵子に光太郎は、「どこに行ってきた?」と問う。
「あんまりいいお天気だから、私空を探しに行ってきましたのよ。空のないのはうちだけかと思ったら、東京にはこんないいお天気でもどこにも空はないのね」
と、智恵子は答えた。光太郎はきょとんとする。
「いくらうちが貧乏したって、うちの窓にだって空はありますよ」
「それは、わたしだってそう思ったのですけれど、うちではどの窓からも空は一つも見えませんもの。冬中は雲があって見えないのだと思っていましたが、春になってもどこにも空がないのであまりに不思議でならないから、今日はいいお天気だからきっと東京でもどこかに空が見えるだろうとおもいついてひとりで探しに行ってみましたの」
光太郎がいくら東京の空が見えるスポットを教えても、
「だめでした。空はかけらも見えませんでした」と智恵子は無邪気に答える。
「空はどこにもありません」と答える智恵子に都会育ちの光太郎は納得がいかなかった。窓越しの空を指差す。
「あそこにだってあんなに空があるではありませんか」
「いいえ!あれは空ではありません。ただの空間ではありませんか」
そういって智恵子は本当の空の深さを語った。
「空というものはあんなものではありませんの。犬吠の海よりももっと青くってきれいな底のしれないほど深いものなのです。そうね。上高地の梓川の水の深い淵になった所には、空にいくらか似たようなものがあったわ、でも空は東京にはどこにもありません」

「二本松の阿多多羅山の上にある澄みとおった青いものが私のいう空なのです」

「あどけない話」


智恵子は東京に空が無いといふ、
ほんとの空が見たいといふ。
私は驚いて空を見る。
桜若葉の間に在るのは、
切つても切れない
むかしなじみのきれいな空だ。
どんよりけむる地平のぼかしは
うすもも色の朝のしめりだ。
智恵子は遠くを見ながら言ふ。
阿多多羅山あたたらやまの山の上に
毎日出てゐる青い空が
智恵子のほんとの空だといふ。
あどけない空の話である。

長年にわたり、ひどい勘違いをしていたことに軽い衝撃を受けた。
この詩は精神を病んだのちの智恵子を詠ったものだと、ずっと思い込んでいたのである。
智恵子は自身を失うより以前からひじょうに繊細な女性だったことがうかがえる。
「空がないのはうちだけかと思った」この不可思議な感性は智恵子の後の心の闇を暗示しているようだ。小さな硝子細工のような脆さを、助長したのは果たして光太郎だったのだろうか……

智恵子の父の病の際にはじめて二本松を訪れた光太郎。智恵子はもどかしげに云う。
「お父様にはお会いくださったけれど、あなた、まだわたしのほんとうの空を見てくださらないのだわ」
「いや今朝の空などもきれいでした。ほんとうの空をやっと見たと思った」
それでも智恵子は納得しない。
「いえ、わたしの空はこんなところにありませんの、もっとよく見せてあげます」

智恵子は、どこまでも光太郎とほんとうの空を共有したがった。

「樹下の二人」

――みちのくの安達が原の二本松松の根かたに人立てる見ゆ――

あれが阿多多羅山(あたたらやま)、
あの光るのが阿武隈川。

かうやつて言葉すくなに坐つてゐると、
うつとりねむるやうな頭の中に、
ただ遠い世の松風ばかりが薄みどりに吹き渡ります。
この大きな冬のはじめの野山の中に、
あなたと二人静かに燃えて手を組んでゐるよろこびを、
下を見てゐるあの白い雲にかくすのは止しませう。

あなたは不思議な仙丹(せんたん)を魂の壺にくゆらせて、
ああ、何といふ幽妙な愛の海ぞこに人を誘ふことか、
ふたり一緒に歩いた十年の季節の展望は、
ただあなたの中に女人の無限を見せるばかり。
無限の境に烟るものこそ、
こんなにも情意に悩む私を清めてくれ、
こんなにも苦渋を身に負ふ私に爽かな若さの泉を注いでくれる、
むしろ魔もののやうに捉(とら)へがたい
妙に変幻するものですね。

あれが阿多多羅山、
あの光るのが阿武隈川。

ここはあなたの生れたふるさと、
あの小さな白壁の点点があなたのうちの酒庫(さかぐら)。
それでは足をのびのびと投げ出して、
このがらんと晴れ渡つた北国(きたぐに)の木の香に満ちた空気を吸はう。
あなたそのもののやうなこのひいやりと快い、
すんなりと弾力ある雰囲気に肌を洗はう。
私は又あした遠く去る、
あの無頼の都、混沌たる愛憎の渦の中へ、
私の恐れる、しかも執着深いあの人間喜劇のただ中へ。
ここはあなたの生れたふるさと、
この不思議な別箇の肉身を生んだ天地。
まだ松風が吹いてゐます、
もう一度この冬のはじめの物寂しいパノラマの地理を教へて下さい。

あれが阿多多羅山、
あの光るのが阿武隈川。

智恵子を二本松に残し帰京した光太郎は智恵子が帰ったら、この詩を見せようと楽しみに待っていた。
しかしそれを知る由もなく、光太郎の元へ帰った智恵子は深い悲しみに閉ざされていた。
看病の甲斐なく父は没し、そのあとを嗣いだ智恵子の実弟の放蕩のため家はついに破産するに至ったのである。
これは光太郎、智恵子ふたりの不幸の序章にすぎなかった。

1931年の夏、はじめて精神分裂の兆候が現れた智恵子は翌年アダリンの小瓶をひとつそっくり飲んで自殺をはかるが未遂に終る。
心配する光太郎に医者は、「睡眠薬の量を誤っただけのこと。よくあることです」と笑う。
「お若く見えるようですが、もうそろそろ更年期に入られるころでもあり、更年期現象の初期は、概して病弱な体質には強いショックになって種々な発作を誘い出すもののようですから……」
光太郎ははじめて、連れ歩くと妹と間違えられるのが普通で時には息女かなどと間違えられる智恵子が老いかけているという事実に直面したのであった。
智恵子自身もその病弱を「わたし、お婆さんにならないで死ぬわ」と予言していた。
更年期のショックによる発作という見方という医者の言葉を信じていた光太郎であったが、智恵子の精神状態に疑いを抱き始める。
しかし、気づいた時にはすでに遅かった。智恵子の症状は実は精神分裂の最初の兆候だったのである。
光太郎はパリ留学中に無理算段をして手に入れ秘蔵してきたロダンの大冊限定本を、泣く泣く手放して智恵子を慰め楽しませようと温泉旅行に旅立つ。
それは壊れゆく妻の姿を否応にも見せつけられる残酷な旅となった。

―不意に泣き始めた智恵子は、いきなり光太郎の腕に重たく身を投げかけ、すすり泣きはますます激しくなって、ついに声を放って光太郎の膝に哭き伏した。驚いた光太郎ははじめ片手はその肩を抱いてかるく打つように、片手は智恵子の丸い頬を愛撫しつづけ、言葉を尽くして童女に対するようにあやしていたが、いよいよ高まっていくばかりの智恵子の慟哭はいつまでもやまず、その哭き声の下から、とぎれとぎれ言うのに耳を傾けてやっと聴き取ったところは、
「わたしもうじきだめになる」
という謎のような予言であった。

-佐藤春夫

「山麓の二人」


二つに裂けて傾く磐梯山の裏山は
険しく八月の頭上の空に目をみはり
裾野とほく靡なびいて波うち
芒すすきぼうぼうと人をうづめる
半ば狂へる妻は草を藉しいて坐し
わたくしの手に重くもたれて
泣きやまぬ童女のやうに慟哭(どうこく)する
――わたしもうぢき駄目になる
意識を襲ふ宿命の鬼にさらはれて
のがれる途みち無き魂との別離
その不可抗の予感
――わたしもうぢき駄目になる
涙にぬれた手に山風が冷たく触れる
わたくしは黙つて妻の姿に見入る
意識の境から最後にふり返つて
わたくしに縋(すが)る
この妻をとりもどすすべが今は世に無い
わたくしの心はこの時二つに裂けて脱落し
闃げきとして二人をつつむこの天地と一つになつた。

やがて智恵子は精神病院に入った。作業療法として紙絵の制作がはじまった。
はじめは折り紙をところどころひろげて、自然にできたシンメトリーの単純なものであったのがおいおいと複雑になってゆく。光太郎は精神の統一を失った智恵子との間につながれた芸術的な美意識を喜んだ。そして智恵子はまた、光太郎が喜ぶのを見て無邪気に喜んだ。

智恵子の紙絵は1949年の「高村智恵子遺作切絵展覧会」ではじめて一般に公開された。光太郎のこの文章はこの展覧会に次いで開催された展覧会にさいしてのもの。

久しぶりに智恵子の作を見てやはり感動した。その上かうやつて一度に並べて見たのは初めてなので、膝の上で一枚づつ見るのとは違つた、その全体から来る美の話しかけに目をみはつた。
一人の作品が三十枚程あれば一つの雰囲気が生まれる。人はその雰囲気の中で、丁度森の中をゆくような一種の匂はしさを感ずる。

紙を切る鋏の使ひ方と切つた紙を台紙に貼る技術とには殆ど人間業でないものがある。極度のメチエである。

智恵子はかねて油絵を研究してゐたが、パレツト上の絵具をどうしても克服し得ず、その絶望感から一度はアダリン自殺を企てた。
精神病院の一室で、今絵具から解放された造形上の喜びが、これらの切抜絵のぜんめんにあふれみなぎつてゐるのを感じた。
これらは皆今から十余年前に作られた一千余枚の一部である。
尚ほ岩手大学精神病科の三浦信之博士が私にあの中で三枚だけ精神異常者の作品が認められるものがあると語られたことを附記する。

「みちのく便り 三」『スバル』1950年7月

末尾の文章に背筋が凍った。
この「精神異常者の作品が認められるもの」がどの作品であるのかは不明と云う。
「ここにある切抜絵の取材は日常座右の触目であり、傾向としてはレアリスムであるが、既に抽象画派の境域を超えて来たものであるから、ただの素朴写実主義の幼稚に居るものではない。色調と寂寥との比例均衡に微妙な知性美がゆきわたり、一片の偶然性もゆるされてゐない。」
光太郎にこう云わしめた一千余枚の作品は女性らしい色合いの整然とした花や葉をモチーフにしたシンメトリー、惣菜、野菜、みごとに造形を捉え再現された魚や蟹、可愛らしいお菓子などである……これらの中にたった三枚だけ確かな狂気が含まれている。


精神科医のこの言葉に光太郎は慄いただろうか。
否、生身の智恵子を通してここまで作品を理解し、あらゆる繊細さもその精神が崩れゆくさまさえ正面から受け止めながら、「この作品群には一片の偶然性もゆるされていない」と評した彼であるのならば、紛れこんだ狂気をもきっと認めていたに違いない。

光太郎がさし出したレモンを握ると、すぐそれにきれいな白い歯を噛み当てると見るや、黄玉(トパーズ)色の香気があたりに迸るなかで、智恵子はレモンの汁を貪るように吸い取り、やがて光太郎の手をさぐって力いっぱいの強さで握りしめた。
その手は無言の愛と感謝の情とを伝えて感謝の決別を告げた。

こうして昭和十三年十月五日の夜、晩年の七年間を精神錯乱のうちに過ごして五十三歳の生涯を送った智恵子は、数千百に及ぶ紙絵を光太郎の手に遺して人の世を去り「荒涼たる帰宅をした」

-佐藤春夫

あらためて智恵子を想う。
才能あふれる、愛する人に認められたいという強い気持ちが、ほんとうの空の共有したいという切実な願望となったのかもしれない。
智恵子は光太郎とほんとうの空を雲の上から眺めることができただろうか。
その空の色は、阿多多羅山の空は今も変わらぬ色だろうか。










                 
        

総務省統計局  旅の日

2017/ 05/ 16
                 
 年間の快晴日数の一番多い県は、埼玉県です。
 都道府県上位ベスト5の中に、埼玉県(64日)、3位栃木県(50日)、5位茨城県(46日)、同5位東京都(46日)と、関東地方が4つも入っています。(〈※〉:総務省統計局、平成26年調査)

 梅雨に入る前の5月。
 あちこちに足をのばして背伸びをしてみたい季節ですね。


きょうは5月16日です。総務省統計局「なるほど統計学園」からの、「今日は何の日?」をお届けいたします。

 《 5月16日は「旅の日」です。

 松尾芭蕉が奥の細道に旅立った5月16日(陰暦元禄2年3月27日)を記念して、昭和63年(1988年)に日本旅のペンクラブが提唱しました。

 それでは、「旅の日」にちなんで、総務省統計局の平成23年社会生活基本調査結果から、「旅行」についてのデータを見てみましょう。

 次のグラフは、平成18年と23年の「旅行・行楽」の種類別行動者率を表したものです。

 平成23年は「行楽(日帰り)」が58.3%、観光旅行では国内が45.4%、海外が7.3%となっており、平成18年と比べると、「観光旅行(国内)」が4.2ポイント低下、「行楽(日帰り)」が1.7ポイント低下などと、全ての種類で低下していることがわかります。

総務省統計局 今日は何の日