五九 山の幸

2014/ 09/ 08
                 
 父は冬から春になる頃、毎年きまって蕗の薹を好みました。私の家の西の土手下と裏の畑の梅の木の下に蕗が沢山ありましたので、毎年雪のとける頃から蕗の薹のコロコロは発見されて父の食膳をよろこばせました。父は山椒も好きでした。その若芽は裏の山でいくらでも取れました。茗荷の子も好きでした。これは秋茗荷でした。西の畑の桐の木の下に毎年目を出しました。

 蕨やぜんまいは初夏の頃に附近の山によく見出されました。赤城山へゆけばかなり取れました。ぜんまいには雄ぜんまいと雌ぜんまいとあり、雌ぜんまいの花房のあるのは苦くて食べられませんでした。

 昔は茸は種類が多かったです。松露は利根川原の松林に出ました。丸い玉でシャキシャキとして歯ざわりが良く香りもよかったものですが久しくお目にかかりません。赤城の赤松が小松であった頃は初茸が沢山とれました。初茸は欠けたり、傷ついたりすると緑靑のようにそまるので、見たところはまずそうですが味は飛切りよくてこの土地で産する茸では一番です。毎年秋になると山の人が小籠で売りにきてくれたのですがこの頃はほとんど御無沙汰です。

 前に糧友瓶という手製の瓶詰が出来た頃はこの初茸を「山の幸」というレッテルを貼って親戚に送った事もあります。

 以前に家の前に木小舎があった時分にどういうものかその雨落ちに千本しめじが出ました。これも歯ざわりの良い茸で殊に清汁に入れるとよくだしが出ました。

薪の山 ②
 薪の山

 
 赤城の麓に楢林がありそこを伐った翌年楢ぶさという茸が沢山出来ました。これはザマ(背負籠)に半分も取ってきて毎日油煎りにしたり色々の料理をして食べました。

 終戦後は椎茸の自家栽培が始まり、これは何回も何回も作りかえしては食べました。直径十五センチ位の大きな椎茸も出来ました。金網の上に茸をのせて塩をふりかけて焼くと香ばしい香りがするのでしたが、この時は同じ方法でやる初茸が思ひ出されてたまりませんでした。なめこは種を買ってきて培養してみましたがうまくゆきませんでした。然し他所で立派に培養する人があり、これをいただいて豆腐入りの味噌汁にして食べます。

干し大根 ②
 大根干し


 柿と栗は先祖が屋敷に適当に植えてくれたのでかなり食べられましたが申しわけない事に私が跡継ぎの木を植えないので大分さびしくなりました。

 子供の時渋川に栗山というのがありました。自然生の山栗の多い山で毎年栗取りにゆきました。小さな栗の粒でしたが一升も二升も拾ってくる事が出来ました。馬に乗って行った覚えがあります。或年は祖母や母と一緒に行きました。途中立ち寄りました渋川の家では大叔父(石沢庫)様がちょうど簗へゆく時なので一同は誘われたのでしたが祖母と母はそちらへ参りました。私は鮎よりも栗の方がよかったのでそのまま栗山へゆきました。山には堀込宇仲さんという山番が待っていて家からは宇仲さんの分も弁当を持ってゆきました。一同楽しみながら一日栗拾いをしました。栗はいつも叺に入れて馬につけて帰るのでした。この栗山は戦争中の燃料になって其の後は松の植林をしてなくなりました。残念なことです。

蕎麦打ち ②
 蕎麦打ち


 習俗歳時記
  昭和50年10月1日 発行
  著者 今井善一郎
  発行所 株行会社 煥乎堂






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