中原中也 最終章なぜ「羊の歌」

2015/ 01/ 01
                 
 Iさんのお母さんの実家が山口にある・・・と、お聞きしたように記憶しています。
 


 羊をめぐる二つの謎

 十二支の動物の中でも、昨年の午(うま)や来年の申(さる)に比べ、日本人にはなじみの薄い今年の干支(えと)・羊(ひつじ)。しかし、歴史や文学の世界に探せば、意外な発見がある。奈良時代に建てられた石碑・多胡(たご)碑に刻まれた羊の文字に、中原中也の詩集の最後を飾る「羊の歌」の章。羊を巡る二つの謎を追って、知的冒険の旅に出た。



中原中也「山羊の歌」  最終章なぜ「羊の歌」

 ? 夭折(ようせつ)の詩人、中原中也(1907~37)は、未年生まれだ。彼の文学には、「羊」を巡る謎が一つある。1934年(昭和9年)に出版した生前唯一の詩集『山羊(やぎ)の歌』に、「羊の歌」と題する最終章があるのだ。「山羊」なのに、なぜ「羊」なのか。

 単なる遊び心ではないはずだ。小学生まで優等生だった中也は、旧制山口中時代に文学にかぶれ、3年生で落第する。詩人とは言え生涯、親の仕送りで暮らした。詩集は、自身の生の意味を証明するものだった。
 JR新山口駅から単線の列車に乗り、故郷がある山口市の湯田温泉駅に向かう。

 <死の時には私が仰向かんことを!
  この小さな顎(あご)が、小さい上にも小さくならんことを!>

 窓の外を眺めながら、ぼんやり本を開く。「羊の歌」の章は、3編を収める。この冒頭で始まる詩の第1節には、「祈り」とある。「汚れちまった悲しみに・・・・・・」をはじめ、甘い感傷をかき立てる『山羊の歌』のほかの詩と比べ、「士」「罰」など信仰心を連想させる言葉が目立つ。

 キリスト教の犠牲の象徴の「羊」を、意識したのは間違いない。山口は、戦国時代にフランシスコ・ザビエルがキリスト教を布教した。キリスト教に縁の深い土地柄で、祖父母は敬虔(けいけん)なカトリック信者だった。

 一方で、「山羊」にも近しさを感じていた。実家の医院は、患者にヤギの乳を飲ませた。顎が細く、耳が大きい自分の顔は、ヤギに似ていると友人に語った。

 「羊を右に、山羊を左に」は聖書の言葉だ。英語の右(ライト)は、正義を意味する。反対側に置かれた山羊は、悪の象徴だ。温泉街の中にあり、開館20年を迎えた中原中也記念館を訪ねた。中原豊館長は、「中也は、神に選ばれた『羊』になりたいけれど、近づけないない『山羊』でした。理想と現実の間で揺れていた」と話す。

 「羊の歌」の詩は31年ごろ、友人の安原喜弘に宛てて書かれた。彼は中也を純粋な感性の人間だったと短い文章の中で振り返っている。若き詩人は、周囲との衝突が絶えず、酒に酔って荒れた。

 <あゝ、その時、私の仰向かんことを!
  せめてその時、私も、すべてを感ずる者であらんことを!>

 人間の悲しみ、喜び、その「すべて」を感じられる心優しき「羊」になりたい。そのように願いながら、中也は詩人の荒ぶる魂を抱えた「山羊」として生きた。
 中原家の墓は山口市内にあり、小さな川がそばをながれる。冬ざれて、流れはさらさらと音をたてていた。

 (文化部 待田晋哉) 2015年(平成27年)1月1日(木曜日) 讀賣新聞




中原中也 山羊の歌 復刻版
中原中也 山羊の歌 復刻版 限定360部 13番本 麥書房 昭和45年9月10日刊行




 



 
関連記事
スポンサーサイト
                 

コメント