巴御前あれこれ、まずは義仲のこと。

2015/ 05/ 31
                 

 「巴」は生年不詳です。
 巴と木曽義仲(源義仲)との間柄はどういう関係なのか、誰の娘なのか、誰と兄弟姉妹なのか、など。書物によって、いろいろ異なります。
 ましてや、小説などは、作家の息吹そのもの。これほどまでに違うのかと、それぞれの著作物を読み比べてみると、尚更その感を強くします。

 松本利昭著「巴御前(三)」文庫書下ろし 長編歴史小説(1990年3月20日初版第1刷発行)の「あとがき」に、彼が述べている言葉が胸に沁みました。

「・・・ けれども巴や義仲の足跡を訪ねて、実際に各地を廻り、取材と資料収集と肌身でその土地に接しますと、たとえ物語にせよ歴史を記述した書物が、現代の人々にまで与えている無惨さに強く胸を打たれたのでした。
 調べれば調べるほど、また彼らの生き方と一体化して想いを巡らせば巡らすほど、なんとも言いようのない憤(いきどお)りがこみあげて来ました。
 彼らは未だに国賊のままであり、木曽の山猿と呼ばれているではありませんか。
 彼らは国賊ではない。無知蒙昧な木曽の山猿でもなければ、礼儀知らずの田舎者でもない。彼らの帷幄(いあく)には都の事情に通じている者が何人もいたし、政治感覚も持っていた。
 しかもあれだけの大事業を成した義仲や巴と、行を共にした信濃や上野(こうずけ)や北陸道の人々の偉業が、負ければ賊軍の諺(ことわざ)通りに、八百年以上経った今もなお汚名を被せられたままなのははどうしてなのでしょうか。
 なぜ義仲らは復権されていないのでしょうか。そんな事があってよいのか。それならたとえ力及ばずとも、彼らの名誉回復のために可能な限り調べて、その上で、巴や義仲と一体化して、いかに生きたかを書くぞっ、と意気込んだのでした。 ・・・
 ・・・   ・・・   ・・・
 特に、院の御所を襲撃したとして国賊扱いを受けている義仲を、九条兼実がその日記の中で、不徳の君を戒める天の使いなり、とまで記述しているのを見出した時には、これだっと本当に嬉しく、小躍りしたい心境でした。 ・・・ 」


 

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