「巴御前」について 史実と物語の狭間に…

2015/ 06/ 04
                 
 平家物語巻九「木曾最後」に、女武者「巴御前」が登場します。
 巴を主人公とした物語に、彼女はどんな人物像として描かれているのでしょうか。

20150604①

まずは、発行が古い順に、「巴御前」の立ち位置を見ることにいたします。
①義仲との関係 ②中原兼遠との関係 ③樋口次郎兼光との関係 
④今井四郎兼平との関係 ⑤義仲との別れ ⑥落ち延び先 
⑦特筆事項

20150604②

著者:富田常雄
発行所:株式会社大日本雄弁会講談社
「巴御前(上)忍草の巻)」 :昭和29年(1954年)10月15日第1刷発行
「巴御前(中)旭将軍の巻」:昭和29年(1954年)10月15日第1刷発行
「巴御前(下)愛染の巻」 :昭和29年(1954年)10月15日第1刷発行
①妻 (巴は義仲より三歳若い)
②中三権守中原兼遠の娘
③樋口兼光は巴の兄
④今井兼平は巴の兄。中三権頭兼遠の四男。旭将軍の乳母子。
⑤「とく、とく、北へ落ちよ。巴、そなたは女性ゆゑ、敵とて荒々しうは扱わぬであらう」 ・・・ 「悲しや」 巴はさう言って、涙を落とした。「館のお言葉に叛(そむ)くは許されず、さればとて、今生の別れと仰せあるに、妾ひとりが落ちのびたとて生きる効ひもなきに」 ・・・ 「さらば」 「さらばでござりまする」 涙をためて見上げる巴に頷いて見せてから、義仲は馬首をめぐらした。 十六騎の後姿が樹にさへぎられて見えなくなるまで、巴はその場に独り立ちつくした。 孤独の思ひがひしひしと身に迫ってきた。
⑥「作者はすぐる夏、義仲の館跡たる木曾山下に旅して、木曾の渓流を眼にしながら、巴が運命に従順な女性であったことをしみじみと思った。
 ちなみに、「大日本史」は伝へてゐる。
 巴は後、尼となり、越後の友松に棲んで、九十一歳にして世を去る。


20150604③

著者:矢代まさ子
発行所:株式会社世界文化社 1985 Printed in JAPAN
「巴御前」-ロマン・コミックス 人物日本の女性史 13-
①妾(おもいもの) 
②中原兼遠の養女 
 ・義仲の乳母子(めのとご)〈元は中原家の端女(はしため)〉
③・巴が中原兼遠の養女になったことにより、樋口兼光は巴の兄となる。
④・巴が中原兼遠の養女になったことにより、今井兼平は巴の兄となる。
⑤・「では 巴 最後の戦(いくさ)を… ご覧じよ! おさらば 殿! 四郎殿!」
⑥・巴のその後の消息は 歴史の中から忽然と消える 各地に巴伝承を点在させて…… いわく「巴の尼」という尼の存在 いわく 国々をわたり歩いている 『平家物語』を語り伝えた「ごぜ」としての巴 ある漁村に現れた「ともの君」という女性…… その どれもが とりとめのない はかない望みのように やがて どこかへ かすんでゆく 
⑦ ・巴は義仲より三歳下

20150604④

著者:松本利昭 
発行所:株式会社光文社「光文社文庫」
文庫書下ろし/長編歴史小説  
「巴御前(一)」:1989年11月20日初版1刷発行
「巴御前(ニ)」:1990年1月20日初版1刷発行
「巴御前(三)」:1990年3月20日初版1刷発行
①妾(しょう)
②中原兼遠の三女。
③樋口兼光は巴より六歳上の長兄で、中原兼遠の次男。
④今井兼平は巴より三歳上の兄で、 中原兼遠の四男。
⑤⑥ ・・・ 義仲と兼平が馬首を勢多の方に向けた。巴は反対の北に向けた。北には叡山への登山口の東坂本があったと気づいた。「さらばじゃ」 義仲の声に、巴も反射的に馬腹を蹴っていた。 巴は振り返らなかった。 「義仲殿! 兼平兄者!」 薄暮がかった夕暮に近い琵琶湖の空に向かって大声で叫びながら一散に駆けて行った。  完
⑥落ち延び先 ―
⑦・義仲の内室は「山吹」。山吹は中原兼遠の実兄、海野兼保の次女。

20150604⑤

著者:鈴木輝一郎
発行所:角川書店
「巴御前」:平成16年(2004年)12月25日初版発行
① ・最後の女 ・巴の初登場のシーンの記述:(女が、訪れた。単身であった。京からの使者だという。 ・・・ この体術者は並ではない。白拍子は仮の姿であって、忍びの者であろう。・・・ )
② ― 関係なし
③ ― 関係なし     
④ ― 関係なし     
⑤ ・・・ 視界が、暗くなってゆく。 誰かに、抱きしめられる感触があった。 それが誰なのか、義仲には、わかっている。 言いたいことがあった。 だが、喉を貫かれていた。 義仲は、唇だけで、巴に告げた。 そなたは、死ぬな。 その唇に、巴の唇がかさねられた。つめたいはずの唇であった。 何かを吸われるはずの唇であった。 しかし、暖かい、そして、熱い唇であった。 自分の身体が冷たくなっているせいだろうか。義仲は、もはや漆黒の闇となった視界のなかで、そう、思った。 ―ちがいます。 かすかに、義仲の脳裏に、巴のおもいが流された。 ―あなたに……
 すべてを聞き終える前に、義仲の思念にも、闇が訪れた。
⑥落ち延び先 ―
⑦・義仲の正室は養父中原仲三権守兼遠の娘「福島の方=実名は鞆絵(ともえ)。
 ・中原兼遠は義仲の養父。 
 ・樋口兼光は中原兼遠の息子
 ・今井兼平は中原兼遠の息子であり義仲の乳兄弟。

20150604⑥

著者:諸田玲子
発行所:株式会社平凡社
「ともえ」:2013年9月4日初版第1刷発行
① ・側室 ・主君にして想い人、
② 中原兼遠の愛娘
③ 〈「兄二人」と表記あり〉
④ 〈「兄二人」と表記あり〉
⑤ 「せめて、兄たちが馳せ参じるまでは、おそばに……」 ・・・ 「ならぬ。行けッ」 「なれば自害はせぬと約束してくださいまし。必ず逃げ延びると」 「わかった行け。行ってくれッ」 ・・・ 「心を決めた。巴は別れも告げず、義仲の背中に最後の一瞥(いちべつ)も告げず、速やかに隊をはなれた。 たわわな髪が黒鳥(こくちょう)の羽のようにひるがえって、雷光のごとく鞭が宙を切り裂く。 
⑥落ち延び先 「〈安房国朝夷郡〉それでも巴は、近江へゆくつもりでいた。いた、ゆけると信じていた。」
⑦特筆事項: ・乳兄弟。・嫡子を生み育て ・弟として世話することになった駒王丸。 ・正室は藤原伊子(ふじわらいし)

20150604⑦

 埼玉県嵐山町にお住いの、長島喜平氏が著した、「朝日将軍 木曽義仲 史実と小説の間(発行:平成2(1990)年12月10日 発行所:株式会社国書刊行会)による、巴に関することは次のようにまとめておられます。
〈26~27ページ〉
〔中原氏系図〕
中原兼遠(中三権頭ちゅうさんごんのかみ)
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|―中原太郎兼秀
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|―樋口次郎兼光(木曾四天王)
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|―今井四郎兼平( 〃   )
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|―落合五郎兼行
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|―巴(義仲の妾)
 |
|―山吹姫(義仲妾 吉高の母) (?)

 ※山吹姫については、いくつかの説がある。
 中原兼遠・多胡家国・海野幸広・金刺盛澄・斎藤実盛・今井兼平などの娘という諸説紛々の伝承が多い。そのうち中原兼遠か、金刺氏の娘というのが、割合に真実性があるようであるが、誰の娘であってもよい。想像したり、伝承があったりするのも夢があって面白いと思う。

 義仲の正室については、何か所かで記載されていますが、
 年表では、「1183年(寿永2年)11月21日頃、義仲 篠原基房※の娘伊子と結婚」とあります。
 177ページの〔義仲松殿の娘と結婚〕では、「11月21に日には、調子にのった義仲でも、天皇・法皇はおろか、関白にもなれないと思い、そこで前関白(さきのかんぱく)藤原基房(もとふさ)(松殿といった)の娘を妻にし、松殿の聟(むこ)となった。と書かれています。
 また、184から185ページにかけて、〔義仲貴女と別を惜しむ〕では、「 ・・・ 貴女のなごりを惜しみつつ、・・・ 」の「貴女」についてをわざわざ次の通りことわり書きをしています。『 「貴女」とは、貴い女ということで、巴でも山吹でもなかった。藤原基房の娘で、先に結婚して正妻としたものである。』と。

≪想坊メモ:「篠原基房」と書かれいますが、単なるミスプリであろうと思われます。「藤原基房」と読み直してください。≫

「義仲との別れと落ち延び先」については、187から188ページに次のように書き記しています。

 〔巴御前〕(巴は戦いがおさまってから鎌倉へ下り、和田義盛があずかり、妻にしたという。こうして九十一歳まで生きたと伝えられているが、それは、果たしてどうであったか。伝承ではっきりしていない。)
 〔義仲の最後〕「(兼平は)やがて、この浜で、一条次郎・土肥実平などと戦い、巴は、武蔵国の大刀の恩田八郎師重を、自分の乗った馬の鞍に押しつけて、頸をねじ切って棄てたという。 義仲は、ここで巴を返し、今井四郎兼平と義仲主従二人 ・・・ 」
 というさっぱりした記述となっています。巴は義仲の死に目にはあわず何処ぞへと逃げ延びていきます。

 

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