林芙美子 「匂い菫」 の中の「空也の最中」

2015/ 07/ 31
                 

 「空也」が出てくる小説は、四つあります。
 夏目漱石の「吾輩は猫である」が一番ポピュラーな感じであちこちで紹介されていますが、知る人ぞ知る、林芙美子の「匂い菫」にも出てきますので、あらためてここで紹介させていただくことに致しました。
 マイブログ、2014年9月29日からの転用です。


2014.09.29.22:43

林芙美子 匂い菫

林芙美子 匂い菫
林芙美子 「下町」角川文庫 (匂い菫) 


 全103ページの角川文庫版の「下町」には、同小説のほか、「匂い菫」、「軍歌」、「折れ蘆」、「御室の櫻樹」の四篇の短編小説が載っています。
 アマゾンを通して注文したこの文庫版は、昭和33年5月20日 三版発行となっていました。きょう届いたとのことでしたので、家に着く早々、早速紐解きました。
 「匂い菫」は31ページの小作品です。その最後のページに「空也の最中」が出てきました。

 ・・・ ・・・ ・・・
 うめはそう云って、男のようにあはあは笑った。賴子はぞつとして炬燵に顔を伏せた。柔らかな絹の匂いが鼻をついた。廣い神棚には、新しい眼無達磨が二つ並んでいる。空襲にも燒け殘つた家は、安手な普請と違ってどつしりしていた。六畳の部屋の隅に水屋がしつらえてあり、水屋の流しのところに、子供の頭ほどもある林檎が二つ置いてあった。
 窓ぎわには二棹の箪笥。女の部屋とも思われぬほど、こざっぱりした装飾のない部屋だつた。女中が空也の最中(もなか)を運んで來た。熱い茶をよばれ、最中を食べて、
 「じやァ、一寸、映畫でも観て來ますから……。今村の話ね、私、冗談でこんな事云つてるンじやないンですのよ。考えといて戴けませんかしら……。慾も得もないのよ。時々、御観察にに本家の方から坊ちやんが見えるし、費用が大變かゝるつて小言おつしやるのよ……。私、どうも今村の長男つて蟲が好かないのよ。筍生活(たけのこせいかつ)なンだからつて、念を押されるンだけど、あの長男だつていゝかげんな商賣して食つてるンですもの……。兎に角、もう、私、いる氣ないンですのよ」
 つたはそう云って、また、歸りに寄らせて貰いますと云って、賴子と外へ出て行つた。本格的に雪が降つている。銀座へ出ると、それでも人通りは割合多かった。つたは傘を持つて來てよかつたと思つた。四圍は昏くなりかけている。賴子はフードで頭をかくしていた。つたは家へ歸る氣もしなかつたし、晩の食事に間にあうような、おかずを見たてる氣もいまはすつかり忘れてしまつていた。藥屋があれば、乾いた懐爈灰も買いたかつた。
 「さて、映畫に這入る前に、お母さん、一寸、眼鏡買うンだから、見て頂戴」
 「あら、老眼鏡なの?」
 「そう、お母さんも、とうとう、老眼鏡の御厄介になるようになつたは」
 つたは千疋屋(せんびきや)の近くで、眼鏡の店をみつけた。螢光燈で水の底のように光つた店のなかへ、賴子の腕に凭(もた)れるようにして、つたは眼鏡を買いに這入って行つた。






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