『「昭和天皇実録」の謎を解く』  目次

2015/ 08/ 16
                 
 小学校の時の作文でした。三年生のときだったと思いますが、文の途中に「申し遅れましたが、兄と一緒に・・・」と書いてある「申し遅れましたが」という箇所に、赤でがついていて、先生の一言が添えられていました。それ以来、文中に、かの「申し遅れましたが、云々」という言葉が、その後の文中に時折見え隠れするようになったようです。

 「夕焼雲」の詩を、先生が皆の前で読んでくれました。
 夕焼雲をみると故郷への淡い郷愁を感じるのも、そんなことがあったからかも知れません。
 いつかは、納得する夕焼の空の写真を撮りたいなと思っています。

 読書感想文は、野岸小学校のとき、何回か書きました。一・二年生の時は、赤岡先生、三・四年生のときは、上原先生が学級の受け持ちでした。
 感想文だから、読む人がなるほどと判るように具体的に。という両先生の言葉は今でも覚えていますが、大人になるといつのまにか、曖昧模糊とした読後感をメッセージするようになってきているようです。

 読書感想文に替えて、『「昭和天皇実録」の謎を解く』の目次詳細を載せました。
 その経緯を辿るだけでも、昭和天皇の足跡が時系列的に浮かび上がってくるのが判ります。
 


    はじめに    半藤一利


 明治三十四年年~大正元年
第一章 初めて明かされる幼年期の素顔
    ―――――
    父母へ宛てた手紙の全文公開、科学と歴史へご興味、
    いたずらをして叱られる様子。生き生きとした記述の中に、
    四歳で日本海海戦の戦況報告を聞き、乃木大将の死に涙する姿も。


 大正十年~昭和十六年
第二章 青年期の栄光と挫折
    ―――――
    戦争の悲惨さを知った欧州訪問は、後に「自分の花であった」と
    述懐するほどの輝く思い出に。二十五歳で即位した若き君主が
    直面したのは関東軍の暴走、治安維持法改正の難題だった。


 昭和六年~昭和十一年
第三章 昭和天皇の三つの「顔」
    ―――――
    陸海軍を統べる大元帥、立憲君主としての天皇、これらの上に
    大祭司という「大天皇」がいる。満州事変から二・ニ六事件へ。
    軍部は天皇の異なる立場を巧みに利用しようとする。


 昭和十二年~昭和十六年
第四章 世界からの孤立を止められたか
    ―――――
    昭和天皇は、日中戦争が長期化すると予測し得たか。
    三国同盟の先を見据えた外相・松岡洋右の大構想とは?
    天皇からの視点で開戦前の日本外交を点検する。


 昭和十六年
第五章 開戦へと至る心理
    ―――――
    戦争に断固反対だった天皇が、開戦の決意をしたのはいつか。
    御前会議、大本営政府連絡会議、統帥部奏上の克明な記録から、
    「開戦やむなし」と追い込まれていったプロセスをたどる。


 昭和十七年~昭和二十年
第六章 天皇の終戦工作
    ―――――
    陸軍が本土決戦を叫ぶ中、天皇自ら終戦への一歩を踏み出す。
    信頼する軍人からの情報収集、六月十五日の「空白の一日」、
    皇太后との関係から浮かび上がる「聖断」の背景。

「最後の御前会議の図(鈴木貫太郎記念館蔵) 白川一郎画② 
 《「御前会議」白川一郎画》


 昭和二十年~昭和二十二年
第七章 八月十五日を境にして
    ―――――
    占領下で新たにクローズアップされる「国体」の問題。
    退位と戦争責任、マッカーサー会見、沖縄発言の矛盾。
    「立憲君主」と「象徴天皇」の枠組みの中での天皇像を探る。


 昭和二十年~昭和六十三年
第八章 "記憶の王"として
    ―――――
    「独白録」と「拝聴録」。記憶はどう紡がれるのか。
    晩年に再訪した欧州での苦い経験、初めての訪米。
    激動の八十七年、最後に刻まれたものは?


    おわりに    保坂正康







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