父の書斎 1 小林一三の封書

2015/ 09/ 21
                 
 

 父の書斎といっても、書斎として独立した部屋があるわけではありません。
 むしろ、父の本棚と題したほうがピッタリくるのかもしれません。
 その本棚ですが、六つの場所に十か所設けられていました。買い求めた本棚は一つです。うち二つは家を建てる設計段階の時から設置されていました。

 父はエンジニアでしたが、マイホームの設計は自前でした。設計図は無論のこと、絵図も描き、マッチの軸や爪楊枝、和紙などを用いて縮尺した我が家を予め作って、大工の棟梁と事前に念入りに打ち合わせしてから、新築工事に入りました。
 大工の棟梁は、〇〇さんといって、親方から独立して初めての「俺が建てた家」となったということもあり、お互いが息ピッタリの間柄となりました。
 当時としては珍しい、太陽光温水装置も屋根一面に設けました。

 寝室として使われる八畳間に隣接する、南側に面している明かり取りの間は、四畳の広さですが、ここの東側の三つの面に、自ら大工した本棚を設けました。

 居間は六畳間です。ここも南側に板の間を設け、そこにがっしりした本棚と合わせ、自分で手造りした本棚を置きました。

 母が長野の松本に住んでいた時、安曇野の森島千冴子先生に、機織りと草木染の手ほどきを受けました。群馬の家に戻ってから、父は、母のために機織り小屋を用意しました。この部屋は二部屋あり、一つは機織り小屋、一つは書庫として使われました。勿論、〇〇さんに頼んだ建物です。
 その書庫の南面と北面に本棚を設けました。機織り小屋にも本棚を設置しました。何れも父の手造りです。

 平屋建てのこの建物は、その後何度か増築など手を加えています。
 ○○さん、如何お過ごしですか。



 NHKテレビ、9月19日(土)夜9時からの放送90年記念ドラマ経世済民の男⑤「電力で戦後日本の復興を! 鬼と呼ばれた男・松永安左ェ門」を、見ることができませんでした。外出前、ビデオをセットしようと思っていたのですが、ついつい失念していました。再放送もある(おそらく深夜)はずですので、その時はビデオセット忘れずにしようと思います。

 私の手元に、「電力の鬼 松永安左ヱ門」というほどよく体裁の整った本が遺っています。私が古本屋街で手にしたものと思い込んでいましたが、学生の頃帰郷した折に、父の本棚の一隅にあったものを取り出して、そのまま返さなかったというのが本当のところかもしれないなと、今は思っています。
 なんとなれば、父の本棚には、木川田一隆(※)を著わした「木川田理念」という本も揃えてあったことを覚えているからです。

《(※)木川田一隆:福島県伊達市.1899-8-23~1977-3-4.「企業の社会的責任」を唱導した.》


 「電力の鬼 松永安左ヱ門」の本を探そうと、2階の八畳間に置かれてある段ボール箱をかたはしから開けて探そうかと思ってもみたのですが、如何せん、どの箱に入っているのか見当もつきません。

 何気なく、プラスチックケースの引き出しをのぞいたところ、大阪府池田町 小林一三 と封筒の裏面に書かれた文字が目に留まりました。畔田明(くろだあきら.長野県出身.生没年確認中.元衆議院議員.乗鞍岳の遭難で九死に一生を得た.)宛となっています。

小林一三封書裏面①

小林一三封書表面②

小林一三封書 文面前段③

小林一三封書 文面後段④



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コメント

        

[父の書斎 1 小林一三の封書]拝見しました
松本市在住の牛丸と申します。
日本アルプスの命名者“ウィリアム・ガウランド”を調べていたら「畔田明」にたどり着き、こちらのブログに到達しました。

「昭和4年1月に松本出身の代議士畔田明(くろだあきら)が乗鞍岳で遭難し、半死半生で、飛騨国大野郡丹生川村沢上にたどり着いたときに、偶然同村に保存されていた山の記録の中に、ウイリアム・ガーランドの名を発見した」ということになります。「父の書斎」の“父”とは「畔田明」の事でしょうか。
もしそうであるなら、ウイリアム・ガーランドに係る資料があるようなら、是非拝見したく思います。

連絡お待ちしています。

長野県松本市 牛丸工(うしまるたくみ)
Re: [父の書斎 1 小林一三の封書]拝見しました
はじめまして。折角お問い合わせいただきましたのにもかかわらず、色よい言葉を差し上げることができません。大変残念ですが、 《「父の書斎」の“父”とは「畔田明」の事》 ではなく、私(むさしの想坊)の父の事をさしています。父の遺した書籍などを折に触れてマイブログに載せようとして、「父の書斎 1」を書きました。お役立てできず申し訳ありません。父は松本在住の折は、東京電力松本電力所長の職にありましたので、何らかの伝手などにより、小林一三が「畔田明」宛に出した封書を入手する僥倖に恵まれることとなったと思われます。
 松本を離れてから久しい時が流れていますが、今でも時折、松本や安曇野に出かけています。
 北アルプスの山々を眺望していると、井上靖の「氷壁」の登場人物が走馬灯のように浮かびあがってきます。
 ウイリアム・ガーランドに係る資料が、ふとしたきっかけで見出すことができますよう念じ願って、ご返事とさせていただきます。


> 松本市在住の牛丸と申します。
> 日本アルプスの命名者“ウィリアム・ガウランド”を調べていたら「畔田明」にたどり着き、こちらのブログに到達しました。
>
> 「昭和4年1月に松本出身の代議士畔田明(くろだあきら)が乗鞍岳で遭難し、半死半生で、飛騨国大野郡丹生川村沢上にたどり着いたときに、偶然同村に保存されていた山の記録の中に、ウイリアム・ガーランドの名を発見した」ということになります。「父の書斎」の“父”とは「畔田明」の事でしょうか。
> もしそうであるなら、ウイリアム・ガーランドに係る資料があるようなら、是非拝見したく思います。
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> 連絡お待ちしています。
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> 長野県松本市 牛丸工(うしまるたくみ)