物売り

2015/ 11/ 20
                 
ちらし鮨は、造るのにとても手間暇かかります。
 口の中に入れた途端、酢飯とのマッチングが何ともいえないハーモニーを奏でるのですが、食材が多ければ多いほど、絶妙な味になるとは限りません。が、品数が多ければ多いほど、調理時間がとてつもなくかかるということは食べる側にとってどれだけ知っているのか気にかかるところです。
 造る側にとっては、食材を多く使えば使うほど途方もなくテマヒマがかかるということを十二分に熟知していますから、おいそれとは支度に取り掛かることが出来ないという仕儀にもなります。
 家庭料理としてもまさに幻と化したワケがそこに潜んでいます。
 出来合いの食材で間に合わせるという工夫でも、そこそこの味にはなりましょうか。

 というようなことはさておきまして。きょうは、「物売り」と「屋台」の話です。ある日の飲み会で「おでん屋」、「うどん屋」の屋台など聞いたことがないということでしたので、ちょっと私の中の引き出しを開けてみました。

 江戸時代の風物詩としての印象が強い「物売り」ですが、私がものごころついた頃から中学生時代にかけても「物売り」は一般的でした。
  家の玄関を断りもなしに入ってきて、「物を売りつける」という「押し売り」が一般的な時代でもありましたが、「物売り」は「まちの声」でもありました。
 あなたのところは、どんな「物売り」の声を耳にしましたか。
 「金魚売り(キンギョィ、キンギョ)」、「納豆売り(ナットゥ、ナット。ナットナットー)」、「焼き芋(ヤキイモツ、ヤキイモ。イシヤキイモー)」はありましたか。ラッパの音を響かすのは「豆腐売り」、チリンチリンと鈴の音を鳴らすのは「アイスキャンディ屋」でした。
 「屋台」をひいての物売りは、どんなものがありましたか。「夜鳴き蕎麦」はチャルメラの音でしたね。チリンチリンと鈴を鳴らして街角を通る屋台には、「おでん屋」と「うどん屋」がありました。
 エッ?!おでん屋、うどん屋なんて聞いたことがないとおっしゃる方がほとんどかも知れませんが、私の住んでいた県庁所在地の通りには、人が屋台を引き、あるいは自転車を使って物を売っていました。

 お昼時、チリンチリンとなる屋台の鈴の音を聞いて表に出る主婦。ひと手間もいらないお昼めしや三時のおやつともなる、おでん、うどんは、とても廉価でもありましたし、重宝していたようです。

 杉浦日向子著の、「一日江戸人」の中の「江戸の屋台」の文中に次の件(くだり)があります。

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 江戸の街には、あらゆる種類の行商人が路上を行き来しています。幕末に来日した外国人は「一歩も戸外に出ることなく、いっさいの買物の用を足すことができる」と、江戸の町の便利さを言っています。これらの行商のうち、飲食物に関しては、終夜、行われていました。
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 今でも、夜中に仕事をしていると、チャルメラが聞えてくることがあります。屋台の食べ物は、なにかしら郷愁があって、さほど空腹でなくとも食べたいような誘惑にかられます。
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 今住んでいるこのあたりでも、夜、時折、石焼き芋を売る声(録音)を耳にします。
 いつのまにかそういう季節に入っていました。





                 

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