三島由紀夫 (1925〈大正14〉.1.14-1970〈昭和45〉.11.25)

2015/ 12/ 02
                 
 満年齢と「昭和」の年号が一致した三島由紀夫。
 昭和45年11月25日の没後、いつの間にか45年経っていました。亡くなった時が45歳でしたから、生きていれば90歳となります。
 あの日忘れもしない水曜日の午後、機械実験心理学の演習をしていたまっただ中、助手のAさんからの第一報を聞いた時はほとんど信じられない思いでした。
 あの山口二矢(やまぐちおとや.1943〈昭和18〉.2.22-1960〈昭和35〉.11.2.東京鑑別所内で自死)が、浅沼稲次郎を小刀で殺害したときと同じような衝撃が私の全身を包みました。
 
 11月30日、水木しげる(1922〈大正11〉.3.8-2015〈平成27〉.11.30)さんが93歳でお亡くなりになりました。
 彼は、『コミック昭和史・最終巻』(1989年)で、市ヶ谷駐屯地本館玄関前の前庭に集まり、総監室前のバルコニーに立った三島由紀夫の演説を眺めていた自衛官たち(800人から1,000人ほど)を次のように評しています。
 《自衛官(たちの大部)が彼の演説を聞こう(静聴しよう)としなかったのは、「戦後育ちばかりで、個人主義・享楽主義になっていたから」》

 作家の川端康成が総監部に駆けつけたが、警察の現場検証中で総監室には近づき得ず、石原慎太郎(当時参議院議員)も現場を訪れたが、入室はしなかったといいます。
 かの佐々淳行(当時警視庁人事第一課長)は、遺体と対面しようと総監室に入った時の様子を、著書(『そのとき、私は・・・・・・』〈諸君!1999年12月号〉)の中で記述しています。




『三島由紀夫対談集 源泉の感情』 
 昭和45年10月30日初版発行 昭和45年12月15日四版発行 
 発行所河出書房新社

 『豊饒の海』四部作〈初回発刊:第一巻昭和44年1月.第二巻昭和44年2月.第三巻昭和45年7月.第四巻昭和46年2月)が手元にあります。
  春の雪 
  奔馬
  暁の寺
  天人五衰
 です。

 その『豊饒の海』刊行中に、この『三島由紀夫対談集 源泉の感情』が初版発行されています。命を絶った一か月ほどの前のことでした。

 三島由紀夫はそのあとがきで述べています。
 《・・・巻末の「日本の芸術」対談には参った。このうち、四人がすでに物故されたのを思うと、今は貴重な記録になったが、こういう名人の会話というものは、いわゆる会話とはちがうのである。言葉で表現する必要のない或るきわめて重大な事柄に関わり合い、そのために研鑽しているという名人の自負こそ、名人を名人たらしめるものだが、そういう人に論理的なわかりやすさなどを期待してはいけないのである。今も思い出す最大の難物は故 山城少掾で、この対談に冷汗を流して格闘した結果、すんだあとで、私は軽い脳貧血を起してしまった。》

 美のかたち
  ―『金閣寺』をめぐって―  小林秀雄
 現代作家はかく考える  大江健三郎
 大谷崎の芸術  舟橋聖一
 二十世紀の文学  安倍公房
   ☆  ☆
 新人の季節  石原慎太郎
 エロチシズムと国家権力  野坂昭如
 文武両道と死の哲学  福田恒存
 ファシストか革命家か  大島渚
 七年後の対話  石原慎太郎
  ☆  ☆
 演劇と文学  芥川比呂志
 劇作家のみたニッポン  テネシー・ウィリアムズ
 歌舞伎滅亡論是非  福田恒存
 捨身飼虎  千 宗室
  ☆  ☆
 日本の芸術
  歌舞伎  坂東三津五郎
  新派  喜多村緑郎
  能楽  喜多六平太
  長唄  杵屋栄蔵
  浄瑠璃  豊竹 山城少掾
  舞踊  竹原はん




 
関連記事
スポンサーサイト
                 

コメント