東北沢物語

2016/ 04/ 22
                 
 4月22日午前の、NHKテレビ首都圏NEWS 。
《冬の間、雪で閉鎖されていた群馬県と長野県を結ぶ「志賀草津道路」が5か月ぶりに開通し、ドライバーたちが高原のドライブを楽しんでいます。・・・志賀草津道路は、草津白根山の火山活動の影響で、午後5時から午前8時までは通行できなくなります。 》

 日本の国道で最も高い所を通る、群馬県草津町と長野県山ノ内町を結ぶ22.6kmのルートは、県境の峠の標高が2,172mあります。
 ある年のゴールデンウイークのとある日、私たち家族は国道292号を長野県側からのルートで走っていました。
 除雪作業は終わっているとはいえ、雪の壁と壁の間を走るところもあります。
 と、いつのまにかあたりは霧になっていました。横殴りの風の中、雪も降り始めました。どんどんどんどん視界がなくなっていきます。まさに一寸先も闇・・・といった感覚に襲われました。前方はほとんど見えません。白一色です。下手に車を停めると追突されるのではないかという背筋の凍る思いに駆られ、速度を一定しながら必死になって前を見据えながら運転していきました。対向車のライトが突然眼前にフッと現れたかと思うと、すぐサッと去っていきます。この繰り返しが何回続いたことでしょうか。そして、どのくらいの時間が経ったのでしょうか。ふっと前方が明るくなり出しました。そこが峠でした。みるみる霧は引き去り、雪も降りやみました。先ほどまでの真っ白なキャンバスはまるでなかったかのような世界が展開していました。

 
 東北沢の下宿住まい。
 当時の東京の最深積雪の記録を見ると、ある年が23cm、その翌年が30cmとなっています。この年は降雪日数が19日に及んでいます。
 そんな大雪の降った日にも、書研仲間がわが下宿にやってくるのです。
 私を筆頭にして、まったく女っ気のない連中は、こんな日に何を楽しみにして集まるとでもいうのでしょうか。

 まさか、書の練習をするわけでもありません。ただ仲間が集まるということ、ただそれだけで楽しかったのかも知れません。

 書研仲間のそれやこれやの話の中で、幾つか思い出すことがあります。
 その一つが、箱根の山中で濃霧に行く手が遮られて、二進も三進も(にっちもさっちも)いかなくなったときのことです。
 あのときは、TとKの車2台に分乗しての箱根の山へのドライブ行でした。
 繰り返しますが、勿論このときも、全く女っ気のない道中でありました。

 Tの車は、当時としてもよく車検が通ったなというくらいの相当な中古車で、Kの車は学生だというのに、ピカピカの新車です。
 そのTの車が箱根山中でエンストを起してしまいました。ちょっと一休みです。最初からTの車に乗っていた幾人かは、Kの車に乗り換えたいという気持ちがみえみえでした。私はそれやこれやのことを察して、私はTに、そっちの車に乗るよといって、彼の隣に座りました。

 Kの車に乗り移ったのが何人だったか、今では記憶が曖昧です。なんといってもそれぞれの車には乗車定員というものがありますから、今ここで思い出しても詮方ないようにも思います。

 それからです。一転俄かに掻き曇りではなく、スーッツと靄が出始めたと思ったのも束の間、あっというまに目の前が見えなくなっていました。
 霧でした。

 今、ここでこうして書いているわけですから、無事だったということが分かりますが、この道路を通る車がこの時間帯になかったことも、不幸中の幸いだったかも知れません。

 なにやかやとの道中で、無事目的地に辿り着いたはずですが、このときの旅程はほとんど記憶にありません。

 Kの家に泊まった時に、五右衛門風呂に生まれて初めて入った体験をしました。
 噂にきくKの姉上のお姿を間近におめもじ叶ったこの時が、そのとき(箱根山中エンスト)の旅の泊まり先だったのでしょうか。

 あのとき、何人でおしかけたのだったか。
 お世話になりました。
 ありがとうございました。
 今になりましたが、お礼申し上げます。



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