武藏一宮 氷川神社 観月雅楽演奏会

2016/ 09/ 25
                 
 十三夜。
 三人で行きましたね。
 あれから、どれくらいの時が経ったことでしょう。
 10月の十三夜、大宮氷川神社の『観月雅楽演奏会』。
 今年は、10月13日(木)の午後6時から開演となっています。


 母が煮る栗あまかりし十三夜  能村登四郎


 俳句歳時記から、「十三夜」を紐解いてみましょう。
 「季語:後の月(のちのつき)・十三夜(じゅうさんや)・豆名月(まめめいげつ)・栗名月」
  陰暦九月十三夜の月。名月(※)にたいして後の月という。このころはもう寒く、風物もまたものさびてきて、名月を賞する心持とは、おのずから趣きがちがう。節物の枝豆や栗などを月に供えて祭る。

註(※)名月(めいげつ)=陰暦八月十五日〈中秋の月〉。望月(もちづき)・満月・今日の月・月今宵・十五夜・芋名月が、季語として使われます。


 墨の香にしづかにこもる十三夜  新庄一雄

 
 「十三夜」のことについて、もう少し知識を深めてみました。
 (「お天気.com」と、「日本の行事・暦」の公式サイトから転載)

《 「お天気.com」>二十四節気・年中行事>
 2016年10月13日は十三夜のお月見です。
 お月見は中国から伝わった十五夜が有名ですが、日本では日本独特の風習の、旧暦九月十三日の十三夜もまた美しい月であると重んじられていました。十三夜は栗や豆を神棚などに供えることから、「栗名月」とか「豆名月」と呼ばれます。
十三夜の夜は晴れることが多く、「十三夜に曇り無し」と言われます。 》

 《「日本の行事・暦」年中行事・節句
 「十三夜」
 旧暦の9月13日、新暦では10月の中・下旬(2016年は10月13日)。
十五夜を中秋の名月と呼ぶのに対し、十三夜は「後の月(のちのつき)」「豆名月」「栗名月」ともいいます。
 旧暦の毎月13日の夜を「十三夜」といっていましたが、9月13日の夜は、十五夜についで美しい月とされ、宮中では、古くから宴を催すなど月を鑑賞する風習がありました。十五夜は中国から伝わったものですが、十三夜は日本固有の風習で、秋の収穫祭の一つではないかと考えられています。
 一般に十五夜に月見をしたら、必ず同じ場所で十三夜にも月見をするものともされていました。これは十五夜だけ観賞するのは「片月見」といって忌まれていたからです。》



「武藏一宮 氷川神社 平成二十八年 観月雅楽演奏会のお知らせ」

本年も観月雅楽演奏会を開催いたします。

日時:平成28年10月13日(木) 18:00開演

演目
人長舞
豊栄舞
壱越調 賀殿
壱越調 武徳楽
迦陵頻
抜頭

観覧は無料で自由席(約300席)になりますが、未就学児童の入場はお断りしております。》


「氷川雅楽会」

氷川雅楽会は昭和10年(1935)に発足し、氷川神社の祭典に奏楽を行う雅楽会です。4月5~7日の鎮花祭(ちんかさい)には「花しづめの舞」を奉奏し、4月9日の護国神社の例祭には「浦安(うらやす)の舞」を奉奏致します。
昭和61年に御在位60年を奉祝するとともに、雅楽会発足50周年を記念して演奏会を開催し、翌年からは観月雅楽演奏会として舞殿にて毎年秋に開催しております。入場は無料です。
神楽舞の「人長(にんちょう、にんじょう)の舞」に始まり、年により「浦安の舞」や「豊栄(とよさか)の舞」、管絃を数曲、「蘭陵王(らんりょうおう)」や「納曽利(なそり)」、「五常楽(ごしょうらく、ごじょうらく)」などの舞楽を組み合わせて演奏し、神苑の秋の一夜を幽玄で幻想的に包みます。》


「雅楽とは」

雅楽とは日本に古くから伝わる神楽歌(かぐらうた)に、奈良時代に伝わった唐楽(とうがく。唐を経由した中国、インド、南ベトナムなどの音楽)や高麗楽(こまがく。朝鮮半島を経由した朝鮮、中国東北地方の音楽)が本となっています。神楽歌とは現在皇室で最も重要な儀式とされている御神楽(みかぐら)の儀に通じるもので、神社などで行われる里神楽(さとかぐら)とは違うものです。
701年に制定された大宝令により、雅楽を司る役所である雅楽寮(うたまいのつかさ)が設置され、継承する体制が整えられました。平安時代になると楽器楽曲の整理統合が行われ、それまで寺や神社の楽所に任されていた雅楽は貴族や上流社会の中に流行し、多くの楽曲も作曲作舞されました。平安時代後期以降になると、雅楽は平氏や源氏が信仰する神社でも行われましたが、主として京都御所に仕える京都楽所(きょうとがくそ)、春日大社や興福寺を主とする奈良の南都楽所(なんとがくそ)、大阪の四天王寺の天王寺楽所(てんのうじがくそ)の三か所を三方楽所(さんぽうがくそ)と呼び世襲により継承されました。
明治の御代の東京遷都に伴い、三方楽所の楽人の一部と江戸幕府にいた楽人の一部とで宮中に仕える事となり、現在の宮内庁の楽部の基となりました。
また、明治以降、雅楽は一般の者でも行ってよいとされ雅楽人口は現在非常に増えております。》


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