週刊文春 11月10日号 幻庵 最終回

2016/ 11/ 02
                 
 2015年1月8日号〈※〉から始まった、週刊文春掲載の、百田尚樹著『幻庵(げんなん)』が、2016年11月10日号の第91回で最終回を迎えました。

(〈※〉1月15日号の【前回までのあらすじ】の末尾には、「・・・この物語は、江戸後期の文化・文政時代から幕末にかけて、碁会最高権威の[名人碁所]の座をめぐり、男たちが死闘を繰り広げた記録である。・・・」と、書かれています。)


 第90回では、安政6年(1859年)8月、因碩(=幻庵)の死を記しています。《・・・四家の家元と跡目、そして多くの碁打ちたちが参列する盛大な葬儀であったと伝えられる。》で、締め括っています。

 最終回は、幻庵亡き後、狂瀾怒濤の世にあっての碁界の変遷を辿り、そして、四つの家元のその後を駆け足で通り、この物語を昭和の時代までで幕を降ろしています。

 名人碁所の願書を出す、その一つをとって、争碁のみならず、これほどまでに家元と家元との間における盤根錯節の如き様相が、読む者に伝わってくる、作家の筆勢にただただ驚愕感嘆するばかりでした。
 

  
 明治の時代に入り、旧来の家元制度では囲碁の未来はないとみた、本因坊秀和の弟子、秀甫が「方円社」という組織を新しく興します。
 秀甫は、同時代のすべての棋士を定先以下に打ち込むという桁外れの強さを発揮し、周りから「名人」に推挙されますが、彼は顔を真っ赤にして拒絶したという、ここの一連の文章が心に余韻を残します。
 百田尚樹は、《尊敬してやまない師の秀和がついになれなかった名人位に、自分ごときが就けるかという思いであったのだ。》と心を描写しています。
 その心情に深く思い至ったこととあわせ、私の心に余韻を残したという意味は、もう一つあります。
 今までの物語では、その実力の証左とあわせ、「名人」になるための権謀術数渦巻く世界を物語ってきました。例外なく「名人位」は垂涎の的であって、誰一人として「名人位」を辞退〈※〉するなどということはよもや思いもよらない囲碁の世界なのにもかかわらず、秀甫がそれを固辞したというこの一点に、くぎ付けにされました。


〈※〉追補:双璧をなし、お互いを認め合った棋界の最高峰だった当時の二人の碁打ちについて、「どうなのか・・・」というお問い合わせがあったことを付記させた頂きます。


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