関東の石舞台 八幡山古墳石室 埼玉県行田市 

2016/ 12/ 16
                 
 皆さんは、奈良県明日香村の「石舞台古墳」を良くご存知のことと思います。そして目の当たりに見た方も何人もいらっしゃることと思います。
 今回は、その「奈良の石舞台」〈※〉に匹敵する、「関東の石舞台」〈※〉をお披露目することに致します。

注記:「奈良の石舞台」=「奈良県明日香村の石舞台古墳=「前者」。
   「関東の石舞台」=「埼玉県行田市の八幡山古墳石室」=「後者」。


 その1.「築造」
      前者は7世紀初め頃と推定。
      後者は7世紀中頃と推定。
 その2.「古墳の規模」
      前者は、元々は1辺約55メートルの方墳だったとされている。
      後者は直径約80mの円墳と推定。
 その3.「石室の大きさ」
      前者は、高さおよそ2間(約3.6m)、周囲およそ10間(約18m)。 
      後者は、前・中・後室の3室からなる全長16.7m。
 その4.「被葬者」
      前者の被葬者は明らかではありませんが、7世紀初頭の権力者で、大化の改新で滅ぼされた蘇我入鹿の祖父でもある蘇我馬子の墓ではないかといわれている。
     後者の被葬者は、「聖徳太子伝暦(しょうとくたいしでんりゃく)」に登場する武蔵国造物部連兄磨(むさしのくにのみやつこもののべのむらじあにまろ)の墓と推測する説もあります。

 いろいろと両者の異なるところを並べてみましたが・・・
 身近なところにも、ちょっと足をのばせば新たな発見がある、そんな思いを今回はメッセージさせて頂きました。



『関東の石舞台 八幡山古墳石室』 (行田市教育委員会)

 《発掘調査では最高級の棺である漆塗木棺(うるしぬりもっかん)の破片や銅鋺(どうわん)など豪華な遺物が発見されており、この古墳に葬られた人物がかなりの権力者であったと考えられることから、「聖徳太子伝暦(しょうとくたいしでんりゃく)」に登場する武蔵国造物部連兄磨(むさしのくにのみやつこもののべのむらじあにまろ)の墓と推測する説もあります。奈良県明日香村の石舞台古墳(いしぶたいこふん)に匹敵する巨大な石室であることから、「関東の石舞台」とも呼ばれています。
 ・読み はちまんやまこふんせきしつ
 ・区分 県指定記念物
 ・種別 史跡
 ・所在地 行田市藤原町1-27-2
 ・時代 古墳
 ・形状 石室全長16.7m
 ・公開/非公開 公開( 石室内の公開は土曜日・日曜日・祝日〔年末年始を除く〕)
 ・指定年月日 昭和19年3月31日  》



「八幡山古墳石室」(2016年12月1日)

②全景 20161201八幡山古墳石室

①入口 20161201 八幡山古墳石室

③ 八幡山古墳石室 20161201 側面

④ 八幡山古墳石室 20161201 側面

⑥ 八幡山古墳石室 20161201 下から上を見る

⑤ 八幡山古墳石室 20161201  上から下を見る




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