滝馬室 的祭  氷川神社

2017/ 01/ 12
                 
 今年の祈願祭に参列した馬室小学校6年生は39名(在籍41名)の皆さんでした。先生お二人と保護者の方の付添です。

 NHKの取材も入っていますと、教えて頂きました。
 埼玉中央よみうりのネームカードを付けた方、ビッグなカメラを手にしたマスコミ関係や市の広報関係の方と思われる方など何人もの皆さんが、写しやすい場所や構図を探しながら会場を行ったり来たりしていました。

 おだやかな日和となった2017年1月12日です。

 的祭の氏子のお一人と見られる方が、ムービーを回していたスタッフの方に、いつ放送されるのかを聞いていました。
 耳にした範囲では、NHK総合、今日の夕方から夜にかけての番組の中で放送されると思います・・・と聞えました。


《首都圏 NEWS WEB ・豊作を願う伝統行事「的祭」 01月12日 16時53分 》
 「 ・・・ 大蛇の目に見立てた的を弓矢で射って豊作を願う伝統行事「的祭(まといさい)」が行われました。
 的祭は、鴻巣市の滝馬室氷川神社に江戸時代から伝わるとされる伝統行 ・・・ 」


的祭 氷川神社 2017年1月12日 -


「滝馬室 的祭(たきまむろ まといさい)」
  鴻巣市指定無形民俗文化財  昭和45(1960)年3月10日指定

 滝馬室の氷川神社に的祭(まといさい・「まとうさい」ともいう)の神事が伝えられている。
 延暦年間(782~805)征夷大将軍坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)は、東北遠征の途中、この地の住民に悪竜(大蛇)退治を依頼されたという。
 田村麻呂に追いつめられた悪竜は、滝馬室常勝寺(じょうしょうじ)の山林にのがれ、桜の巨木に巻きついたので、田村麻呂は竜の目を射抜いて退治したという。竜の頭は氷川神社境内に、胴体は常勝寺に埋められた。ために常勝寺は竜蔵山と山号が付され、桜は蛇桜と呼ばれるようになった。
 的祭はこの口伝にちなんだ五穀豊穣の祈願祭であり、一時中断されていたが、貞享年間(1780年代)島田常勝という人が復興し、氷川神社の祭礼として現在まで伝えられている。昔は、衣服に関しても直垂(ひたたれ)を着用するなど格調高く、儀式も厳しく、関係者は心身を清めてそれぞれに奉仕したようであるが、今はその点ゆるやかになっているのは時勢によるところである。
 的祭は例年1月12日に執行されている。神事は氏神に祝詞を奏上した後、地元の12歳になる子供たちが、葦(あし)の網代(あじろ)に蛇の目を描いた的をめがけて矢を射た後、氏子一同神饌(しんせん)物を食し豊作を祈願して終了となる。
     平成28年6月   鴻巣市教育委員会



《的祭》(まとうさい」は毎年1月12日に滝馬室の氷川神社で行われる、五穀豊穣や招福除災を祈願する行事で、的射祭(まといさい)とも呼ばれ、その起源は坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)が東北遠征の途中、この地の住民に依頼され大蛇退治に因むと伝えられています。坂上田村麻呂は今から1200年前ほど前の平安初期の武将です。

 祭りの準備は早朝から行われるということで、使用する弓、矢、的、御進物などを用意することから始まります。古くはこの祭りを再興した島田氏が、使用する弓、矢、的などを保管していましたが、残念ながら度重なる火災の為に失われ、現在は簡略に覆綯われているということです。では現在使用されている弓、矢、的はどのようにされているのでしょう。

 弓:(エゴの木)楢の木を用い。6尺程度のものに麻を細く纏った絃を張ったものを4張り用意します。
弓・的祭 馬室氷川神社 20170112

 矢:篠竹を用い、3尺程度のものに紙で作った矢羽を付け、12本用意します。
矢・的祭 馬室氷川神社 20170112

 的:葦を平につぶし、網代編みに3尺角にし、面一杯に紙を張って蛇の目を描きます。
的・的祭 馬室氷川神社 20170112 


 11時になると、祭囃子は止み、射手(馬室小学校6年生)の代表・12歳の男女2人と氏子衆が氷川神社の拝殿に昇殿し、祝詞奏上などが始まります。(昔は両親の健全な12歳の男子に限られていたということです)
 20~30分程度でしょうか、祝詞などの祭典が終了すると、代表の射手が的から約10m離れた場所に立ち矢をつがえます。
的場・的祭 馬室氷川神社 20170112

 ◇ 的射には年番と呼ばれる大人の氏子が介添えに付き、一射目を一人が天に、一人が地に向かって放ち、2射目は的に向かって放ちます。この矢が的に当たると、その年は天候や豊作に恵まれると云われています。さて、今年は豊作に恵まれるでしょうか。代表の2人の的射が終わると、その後、次々と子供達が的射を行います。(以下、略)





「氷川神社 御由緒」
  鴻巣市滝馬室(たきまむろ)1150-2

①氷川神社鳥居 20170112

   御縁起(歴史)
 滝馬室は、隣の原馬室と共に、室町期――戦国期に見える「馬室郷」遺称地で、その郷名は『埼玉県地名誌』によれば、古墳の石室を示す「むろ」から生じたという。元禄年間(1688―1704)までに分村したらしく、『元禄郷帳』に滝馬室村と見える。
 当社は荒川低地を望む台地上に鎮座している。老樹に囲まれた境内の一角からは清水が湧き出し、「御手洗(みたらし)の地」となっており、更に滝となって水路に注ぎ、当地一帯の耕地を潤している。この滝が村名の由来になったといわれており、古くから当地の重要な水源であったことが推測される。
 恐らく、いつのころからか当地に住み着いた人々が、湧き出る水の恵みを称(たた)えてその傍らに当社を祀ったものと思われる。また伝説によれば「延暦年間(782―805)坂上田村麻呂(さかのうえたむらまろ)が東征の途次、農作物を荒らす大蛇を退治して、頭を当社に、胴体を地内の常勝寺に、尾は吉見町の岩殿観音に埋めた」とあり、当社と常勝寺のかかわりもうかがわせる。常勝寺は開山開基共に不詳であるが、境内には文久7年(1270)「為種法入道也、などの古碑が残されており、古い時期の草創と思われる。
 往時の別当は、当社隣地にあった真言宗吉祥寺で、常勝寺の末寺で竜泉山と号し、開山光瓊〈※〉が天正11年(1583)に寂している。
 当社は寛延2年(1749)に神祇管領卜部(じんぎかんれいうらべ)兼雄から幣帛(へいはく)を受けた。

②氷川神社 鳥居階段 20170112

③氷川神社配電20170112

御祭神と御神徳
 ・素戔嗚(すさのお)尊 ・・・災難除け、安産、家内安全

御祭日
 ・元旦祭(1月1日)  ・的(まと)祭り(1月12日)  ・風祭り(4月1日)
 ・祈念(きねん)祭(5月5日)  ・天王(てんおう)祭(7月14・15日)  
 ・夏越大祓(なつごしおおはらえ)(7月28日)
 ・例祭(9月5日)   ・新嘗(にいなめ)祭(11月23日)  
 ・越年大祓(12月28日)








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