信州の三重塔 MUCCHANの初めての宿泊旅行

2017/ 03/ 14
                 
 1989年の夏休み、私たちはMUCCHANと一緒に峰の原高原(〈※〉)にある「イヌと泊まれるペンション」をベースにして3泊4日の旅行を楽しみました。
 彼と初めての宿泊旅行となりました。

 8月16日は「ペンション 青い鳥」、17日は「ペンション サトウ」、18日は「ペンション チロル」に泊まりました。

 3人でのドライブの初日、三重塔のあるお寺を3か所巡りました。一つは重要文化財の前山寺の三重塔(〈※〉)、二つと三つは何れも国宝の安楽寺八角三重塔(〈※〉)と大宝寺三重塔(〈※〉)です。
 長野県には江戸時代以前に建立された三重塔が10基あります。そのうち国宝が2基、重要文化財が3基あります。国宝三重塔は13基を数えるのみということなども考えあわせますと、信州の地の歴史の奥行きの深さに思い至ります。


◇1日目
 自宅→東松山IC‐関越自動車道-藤岡JC→R254-富岡-安中-中込-浅科-望月-立科→R254-〈平井寺トンネル〉-古安曽-龍光院〈昼食:山菜膳〉-

前山寺(ぜんさんじ)三重塔(重要文化財)・〈くるみおはぎ(〈※〉)〉
前山寺三重塔 111

-安楽寺八角三重塔(国宝)
八角三重塔


-大宝寺三重塔(国宝・「見返りの塔」)
見返りの塔


-修那羅峠の石仏群-修那羅峠-〈松本街道R143〉-上田→R144-真田-菅平口-菅平高原-峰の原高原ペンション村→「ペンション 青い鳥」


◇2日目
 「ペンション 青い鳥」
ペンション青い鳥 88

→菅平高原
菅平高原 66

-菅平口-真田の里-角間渓谷-菅平口-菅平牧場-峰の原高原ペンション村→「ペンション サトウ」


◇3日目
 「ペンション サトウ」→須坂-松川渓谷-山田牧場-小布施-須坂-〈大笹街道〉-菅平-峰の原高原ペンション村→「ペンション チロル」


◇4日目
 「ペンション チロル」→峰の原高原-緋の滝-菅平高原-信濃路-上州路→自宅




◇〈※〉峰の原高原
 《「峰の原高原観光協会」公式サイトより:
 《根子岳山麓に、菅平高原と隣り合わせに広がるなだらかな高原が、標高1,500メートルの峰の原高原。
 北アルプス連峰はもとより北信越の山々の眺望が素晴らしく、夏の平均気温が19.6度という天然クーラーなのです。
 菅平高原と同じく、ここもスポーツハイランド。テニスコート50面をはじめ、ゴルフ場、スキー場もあります。
 峰の原高原の特徴は、80軒余り(〈※〉現在50軒ほど)あるペンション村。趣向を凝らした建物もさることながら、個性的なオーナーとの出会いも楽しみの一つです。
 須坂長野東インターチェンジ・上田菅平インターチェンジより車で30分。》


◇〈※〉くるみおはぎ
《前山寺公式サイトより: 
 「くるみおはぎ」のお接待」前山寺に代々伝わる手作りのくるみおはぎ。香り高い鬼ぐるみで作ったタレでいただく。向付は、「梅のしそ巻き」と香の物。
庫裏のお座敷にて接待しています。
 ・期 間
  春彼岸頃(2017年は3月18日(土))~11月末日
 ※お盆の間もご用意できます
 ・時 間
  10:00~15:00(要予約)
 ・お休み
  ~毎週金曜日(例外 4/28 ・ 5/5 ・ 8/11 ・ 9/22 ・ 11/3)
  ~寺の行事 4/29(土)・8/10(木)
  ~ 冬期間(12月1日~春彼岸頃)
 ・料 金750円
 ・予約受付 9:00~16:00 電話のみ 0268-38-2855》


◇〈※〉前山寺三重塔
《前山寺公式サイトより:
三重塔:
 ・大正11年4月13日 特別保護建造物指定
 ・昭和25年8月25日 国の重要文化財指定
 前山寺の参道を通って山門をくぐり、南方に石段と銀杏の木を前景に立つ三重塔の姿は美しい。
塔の建立年代は、資料がないのではっきりしないが様式上は室町時代の初期と推定されている。その後の記録によれば、寛喜・正平・天正・安永・嘉永・明治年中及び平成十年に修理が行われ、昭和十一年には解体修理が行われた。
塔は三間三重で、高さ19.5メートル、屋根は柿葺こけらぶきである。
「未完成の完成の塔」と言われ、二、三重の柱に長押なげし仕口がありながら、窓も扉もなく、また廻廊かいろうも勾欄こうらんもない。ただ長い胴貫が四方に突出して、うまく変化と調和を持たせている。相輪は鋳鉄製で、格狭間付露盤こうざまつきろばん、伏鉢ふくばち、請花うけばな、九輪、水煙、竜車、宝珠よりなる。内部には四天柱がなく、折上小組格天井とし、中央に須弥壇しゅみだんを置く。様式は、和様、唐様の折衷様式で、初重頭貫鼻が象化に移行する初期のものとして、時代の特徴がうかがわれる。》

《前山寺 長野県上田市 永正11年(1514) 三間三重塔婆 - 国重文 未完成の完成の塔.弘法大師空海創建.名物は胡桃おはぎ.》


◇〈※〉安楽寺八角三重塔
 《安楽寺公式サイトより:
 国宝指定、昭和27年3月29日、文化財保護法の規定により「世界文化の見地から価値の高いもので、たぐいない国民の宝」として国宝に指定された。
塔は本堂の裏を登った山腹にあり(別掲全景写真参照)松の緑に映えて、重厚なたたずまいがどっしりと空間を支えている。建立年代は従来鎌倉末期、または室町初期といわれ定説がないが、安楽寺が鎌倉北条氏の外護によって栄えた寺で、開山が入宋僧、二世が中国よりの帰化僧であり、共に北条氏との交渉も深いので、北条氏滅亡後、これほど立派な塔婆の建立の契機を考えにくいことなどから、寺運の最も栄えた鎌倉時代末期に建てられたものと思われる。
建築様式は禅宗様(鎌倉時代に宋から禅宗に伴って伝来した様式で唐様(からよう)ともいう)八角三重塔で、初重に裳階(もこし)(ひさしまたは霜よけの類)をつけた珍しい形式であるうえに細部もまた、禅宗様の形式からなり類例が少ない。
内部は8本の母屋柱によって、内陣と外陣(げじん)とに分かれ、周囲を外陣とし、化粧屋根裏をあらわし、八角形の内陣は高床を張り、天井は中央に点蓋をつり、その周囲に小天井を張ったあまり見られぬ形式である。内陣には建立当時の八角の仏壇をおくが、この形式もまた珍しいものである。塔は印度のスツーパを起源とし、元来仏舎利(釈迦の遺骨)を奉安したものだが、中世以降は特定の人物または戦死者の供養に建てられた例が多い。資料が乏しく造塔の起源は詳かでないが、この塔もおそらくそのような目的で建てられたものと思われる。内外共に巧みな意匠と、類例の少ない形式よりできているこの塔は、西大寺(奈良)法勝寺(京都)などの八角塔婆が失われた今日、わが国に残された唯一の八角塔婆であり、かつ、禅宗寺院に残る塔婆としても極めて貴重な遺構である。》


《八角三重塔:
 境内奥の山腹に建つ。昭和27年3月29日に松本城とともに、長野県内の建造物として最初の国宝指定を受ける。
 日本に現存する近世以前の八角塔としては唯一のものである。(八角塔は京都法勝寺、奈良西大寺などに存在したが、戦乱などで失われた。)
 全高(頂上から礎石上端まで)18.75メートル。構造形式は八角三重塔婆、初重裳階(もこし)付、こけら葺である。(四重塔にも見えるが一番下の屋根はひさしに相当する裳階(もこし)である。)この塔は日本に現存する唯一の八角塔であるとともに、全体が禅宗様で造られた仏塔としても稀有の存在である。組物(軒の出を支える構造材)を柱の上だけでなく柱間にも密に配する点(詰組)、軒裏の垂木を平行線状でなく放射状に配する点(扇垂木)、柱の根元に礎盤を置く点、頭貫(かしらぬき、柱頭を貫通してつなぐ水平材)の端に木鼻(彫り物)を施す点など、細部に至るまで禅宗様で造られている。内部の天井の形式や八角の仏壇も他に類を見ないものである。内部には禅宗寺院には珍しく大日如来像が安置されている。
 この塔の建立年代は、従来、漠然と鎌倉時代末〜室町時代始め頃と考えられていたが、2004年奈良文化財研究所埋蔵文化財センター古環境研究室による年輪年代調査の結果、この三重塔の部材には1289年(正應2年)に伐採した木材が初重内部の蝦虹梁に使われていることが判明した。このことから当塔は13世紀末、1290年代に建築されたものと考えられ、1320年建築の功山寺仏殿を凌ぐ日本最古の禅宗様建築である可能性が高くなった。
 2011年11月に屋根の葺き替えは60年ぶり、頭頂部金具の修理は100年ぶりとなる大規模な修復工事が行われた 》

《安楽寺 長野県上田市 1290年代 八角三重塔婆 - 国宝 日本三大三重塔
信州の鎌倉の象徴.塩田北条氏縁.》


◇〈※〉大宝寺三重塔(「見返りの塔」)
 《青木村観光協会公式サイトより 
 国宝大法寺三重塔:
  惣門から参道を登ると正面に観音堂があり、西北の小高い丘に三間四方の檜皮葺「三重塔」が中空に舞う鶴の羽のような優雅な姿をみせます。
 東山道を旅する人々は「見返りの塔」といい塔の姿があまりにも美しいので、思わずふり返るほどであるという意から、つけられたであろうと言われています。
 この塔の美しさには、周囲の風光との調和を見落とすこともできません。
平地を見おろすことのできる丘の中腹にありその周囲をめぐり歩くにつれて、さまざまな角度から眺めることができます。

 この塔は、正慶二年(1333年)鎌倉時代から南北朝時代に造営されました。
第二層の木組みの裏側に書かれた墨書から、この塔は大阪の天王寺と関係の深い技術者たちの手によって造られたと考えられています。
 塔は初重が特に大きいのが特徴で、これがこの塔の最も大きな特色で二重、三重で組物を三手先という一番正規な組み方としています。初重だけは、少し簡単な二手先にしたので、その分だけ平面が大きくなっていて、形に変化がつきおちついた感じになっています。
 このようなやり方はこの塔のほかは奈良の興福寺三重塔があるだけで、きわめて珍しいです。
「三重塔の規模」高さ 礎石上端から宝珠上端まで六一尺二寸七分(18.56m)
建坪 初重 四坪0六・二重 二坪三五・三重 一坪七五 》

《大法寺 長野県青木村 正慶2年(1333) 三間三重塔婆 四郎兵衛 国宝 見返りの塔.藤原鎌足の子、定恵創建.浦野駅関連の寺院 》








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