ゴン太  MUCCHANの友だちのこと

2017/ 05/ 11
                 
 ゴン太が居なくなってしまった。探しているけど見つからない。昨晩激しい雷雨があって朝起きてみたら首輪が外れていて犬小屋がもぬけの殻になっていたと。
 ゴン太はカミナリの音と光が大嫌いだったそうです。

 どんなことでもいいからゴン太のことで判ったことが有ったら知らせてほしいと、「ゴン太のご両親」。

 それからちょっと経ちました。
 踏切にほど近い所に動物らしき物体が線路と線路の間にあるのが目にとまりました。
 犬でした。ゴン太の毛並みにそっくりです。
 ・・・やはりゴン太でした。

 ゴン太の家の人に伝えるべきか考えました。
 轢死です。無残な姿です。
 
 思い出というものは、悲しいことで幕を下ろすよりも、楽しかった日々に彩られていたほうがよっぽどいいことにきまっています。そう思いました。
 自分だったらどうなのか。教えてもらったほうが嬉しいのか、嬉しくないのか。事実を知ったほうがありがたいと思うのか、ありがたくないと思うのか。
 そんなことあんたに言われたくなかったと、言われてしまうようになるのか。


 (時計の巻き戻し〈アナログの時代のことですので〉)
 ゴン太の家族が引っ越ししてきました。
 ゴン太はMUCCHANとすぐ友だちになりました。
 ゴン太のお母さんがいうところによると、ゴン太は向こうっ気が強く、特に牡犬にはケンカぱやくって情け容赦しない態度を取るのに、初めて会った途端に仲良くなるなんて信じらない。ということでした。


(時計の針は進みます〈アナログの時代のことですので〉)
ゴン太が召されてからしばらくして、ポインターが新しい家族になりました。その名をドクターといいます。その後、ドクターの弟も家族となりました。ガウディです。
二人(二匹)ともに、MUCCHANが大好きでした。MUCCHANを兄のように慕っていました。


 フジコさんは、著書『たどりつく力』の中で、「最近、母のことをよく思い出します。歳をとったからでしょうか。」と綴っています。
 私もいつの間にかそこそこの年齢になっていますが、今、この歳になっても、そして、あの日以降も時々当時のことを思い出していました。
 あの時、死という現実を前にして、結果として私はその中の一つを選びました。
 ゴン太の両親から頼まれていたこと、それは、知らせるということでした。












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