一粒の米  新井白石の逸話

2017/ 07/ 12
                 
  「一粒の麦」。新約聖書「ヨハネによる福音書12:20~26」(〈※〉)に、一粒の麦は地に落ちることによって無数の実を結ぶと説いたキリストの言葉としてあまりに有名です。

 (註〈※〉《24:まことに、まことに、あなたがたに告げます。一粒の麦がもし地に落ちて死ななければ、それは一つのままです。しかし、もし死ねば、豊かな実を結びます。》―聖書 新改訳 2014年7月1日〈中型スタンダード版・14刷〉 翻訳・新日本聖書刊行会 発行:いのちのことば社―)

 
 一方、「一粒の米」は、日本の教育現場でおりにふれて語られる新井白石の逸話として、引用されているようです。
 その出処は、『有田式指導案と授業のネタ 全8巻・別巻3』(有田和正著 明治図書出版 1992)中に記載されているという記事が検索されました。
 『心のパン屋さん』(大村はま著 筑摩書房刊 1999/04/22)の読後感想文に、「一粒の米」が載っているのを見つけましたが、出典に関しての記載を確認することはできませんでした。

  心のパン屋さん 大村はま著


 
 小学校発行の「学校だより」、そして中学校発行の「学校通信」が、地元自治会の回覧板に発行の都度回覧されています。
 7月発行「学校通信第4号」の1ページのタイトルは「一粒の米」でした。

 「一粒の米」を読んだ感想は、お習字も毎日の積み重ね、折角習う機会を頂いているのだから、怠けずにちゃんと机に向かいましょうということでした。



 《 ・・・ むかし、江戸時代に新井白石(あらいはくせき)というえらい学者がいました。徳川の将軍さまに仕えて、大きな仕事をした人です。でも最初からえらかったわけではありませんでした。
 子どもの時は、勉強が好きではなく、朝から晩まで友だちと遊びまわっていたそうです。それを見たお父さんが白石にこんな話をしました。

 米びつ(お米をいれる木箱のことですが)から、一粒の米をとっても、お米が減ったかどうかはわからない。けれども1年、2年、そして3年と毎日一粒ずつ取っていくと、減ったことが分かる。

 反対に米びつに一粒の米を加えても増えたかどうかはわからない。けれども、1年、2年と毎日一粒ずつ加えていくと、増えたことがわかる。
 勉強や習い事も同じだ。1日だけ勉強したり練習したりしても、すぐにかしこくなったり、上手になったりすることはない。反対に1日怠けたからといって、翌日に、すぐにわからななったり、下手になったりするわけではない。
 けれども毎日、毎日、ほんの少しずつでも努力を続けると、1年や2年後にはわかるようになり、上手になったこともわかる。

 毎日少しだけでも怠けていると、気が付いたときには勉強もわからなくなり、下手になってしまっているものだ。 ・・・ 》



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