キノコ狩り

2013/ 10/ 21
                 
 あれはいつのころだったでしょうか。
 小諸に住んでいた当時、父に連れられて草軽電鉄にのって、キノコ狩りに行ったことがあります。
 松茸がここに生えているよと教えられて、松の周りの枯葉の間からひっそりと顔を出しているキノコをみつけました。そんなにたくさんあるという感じでもなかったのですが、これがマツタケなんだと、こどもごころに思いました。
 父は、松茸は地元の人が採るキノコだからそっとしておくようにといって、別の場所に連れて行き、別種のキノコを指差して、これでキノコ狩りをしようといいました。
 信州でのキノコ狩りの思い出です。地方ちほうによって、クリタケの呼び名が違います。
 長野に隣接する群馬や山梨では、何とお呼びするのですか。

 信州でのキノコ狩りのもう一つの思い出は、ハツタケ狩りです。
 キノコ狩りシーズンのトップバッターですが、漢字で「初茸」と書くことからもうかがい知ることが出来ます。
 東京の荻窪に住んでいた時、駅に隣接したスーパーで、一度だけハツタケが置いてあるのをみたことがあります。
 足が速いので、ほとんどは地元で消費され、市場に出回ることのないキノコですので、懐かしさを感じる反面、都会でお目にかかることが出来、ビックリしたことを覚えています。



草軽電気鉄道 

 高原列車の代名詞としても知る人ぞ知る「草軽電気鉄道」。
 キネマロケの場所としても使われていました。
 ここで映画のタイトルを載せれば、あぁあの映画かぁ・・・と、思い出す人がいるかもしれません。
 長野県の新軽井沢駅から群馬県の草津温泉駅までの55.3km(55.5km)を、3時間半かけて走る軽便鉄道でした。
 22駅(21駅・20駅)あり、スイッチバックは、二度上駅で行いました。
 1915年(大正4)7月22日、新軽井沢―小瀬(のちの小瀬温泉)間が、最初に開通し、全線が開通したのが1926年(大正15)9月19日でした。


 台風で橋が流されたのをきっかけに、1960年(昭和35)、新軽井沢ー上州三原間が廃止。
 長野原から草津への国鉄バスが走りはじめ、乗客が激減。
 西武鉄道が軽井沢を起点としたバス運行を始め、他社との競合などが重なり ・・・ 
 1962年(昭和37)2月1日、草軽鉄道は全線が廃止、「草軽バス」が運行されるようになりました。

❀(55.5km)は、ウィキペディアによる表示数字。
❀「鳥の窪駅」は昭和2年から昭和4年頃の2年間ほどあった駅なので、通常はこの駅をカウントせず、21駅もしくは20駅と表記しているようです。
❀「湯澤駅」は夏季限定の臨時駐車駅として、昭和11年の夏から昭和34年の夏までその役目を務めていました。この夏場の臨時駅をカウントするかどうかで、駅数が異なりますことを、念のため申し添えさせて頂きます。
❀軽便鉄道:762mmゲージの電化鉄道。




関連記事
スポンサーサイト
                 

コメント