出合い

2013/ 12/ 20
                 
 MUCCHANと一緒の生活は12年でしたが、その間、「いぬとも」の皆さん、大勢の方と知り合いになることができました。


 小さい頃(沼田にいた時代)、我が家で犬を飼っていたときがあります。
 兄の右腕か左腕を柔らかく噛んでいる犬の笑顔と、兄の笑顔がはじけている写真がアルバムに一枚残っていました。
 MUCCHANが元気だった当時のいつだったかに、姉が、犬を飼っていたのは覚えていないでしょう…と私に言ったことがあります。私はそのとき、覚えているよと答えたものの、もしかしたら兄と写っている犬の写真を見ていたので、覚えているというように錯覚していたのかも知れません。
 その犬には名前があったと思うのですが、思い浮かびません。
(後述:母の手編みのセーターをワンちゃんに噛まれて穴があいたことや、味噌汁をかけてご飯を出したことなどは覚えています。)


 宏有さんの家では、随分と犬を飼っていたようです。
 東中野にいた時から、コロちゃんだかチビちゃんだか名前が覚えていない犬との出会いが始まりました。
 当時は犬殺しだとかの物騒な呼び方の人たちがいて、彼はその人に連れていかれてしまったという話です。

 中野の家のときは、ネコもいたことがあるとのことですが、スピッツの血が入った犬を飼いました。
 彼がある日突然いなくなったので、どうしたのかと思っていたら、床下でクゥーンクゥーンと鳴き声がする。縁の下を覗いてみたら、支柱に鎖を絡ませてもがいていたといいます。家の中から畳や床板を上げて助けあげたワンちゃんの名前は覚えていないとのことでした。
 
 その彼も国分寺に一緒に引っ越しました。

 名前の覚えていない犬が亡くなってほどなくして、柴犬を飼いました。名前はコロだったか、チビだったか覚えていない彼は、ある夜、庭の扉が開けられた隙に外に飛び出して行って帰ってこなかったといいます。

 また犬を飼いたいということで、あずき色の半点のある犬が兄に連れられてやってきましたが、家の人がメス犬は飼えないというので、大学に返しに行ったそうです。

 高校生最後の年の12月に、姉に連れられて、ビーグルとテリアのミックス犬が、美女谷温泉からやってきました。生後2週間ほどの幼犬です。名前を「ごろう」と名づけました。
 宏有さんが学生村に一ヶ月ほどいた間は、すっかり意気消沈して元気を無くしてしまっていたそうです。
 三つ違いの姉がいろいろ気遣っても、彼は留守の間、ずっとしょぼくれていたそうです。
 ・・・
 夜、置きコタツの周りをぐるぐる回ってから就寝するのが日課の一つだったそうです。
 ・・・
 一員となった翌々年の2月、ごろちゃんは金網の戸を開けてバス道路の方に向かって一目散に走って行ったそうです。
 走っていた車にあたったのでしょう、彼は戻ってきて家の東南の角のところで身を横たえたといいます。近所の人が教えてくれました。
 家の人がいうことには、宏有さんが出かけたあと、ごろうが彼女の後を脱兎のごとく追いかけていったと。

 ジョンくん。
 ごろチャンと同じ頃一緒に住んでいた、ドーベルマンです。
 目白あたりの道路で歩いていた犬を、兄が我が家に連れてきて、ジョンと名づけました。
 ドーベルマンという犬種の中でも、殊のほか大きく威厳があったとのことです。
 飼い始めた頃は、シットダウンなどと英語で言うと話がよく通じたということです。
 今まで飼った犬の中で一番利口でした。
 ごろうが杭の周りをぐるぐる周り、幾重にも絡まってしまった鎖に難儀している姿を見て、ジョンは彼を逆回りにさせて、鎖を解かせたとのことです。
 フィラリアにかかっていたジョンは、家族に看取られて亡くなりました。



 東京畜犬で買い求めた犬は、てんかん持ちで、発作で舌を噛んでしまい、血がたくさん出てしまったので、引き取ってもらったが、帰りの車中で息を引き取ったとのこと。


 メスのコリー。
 とても気立てが良く、頭も良かった彼女は、何匹も子供を産みました。
 あちこちから声がかかり貰われていき、家には一匹も仔犬がいなくなったのですが、彼女は、我が子がいなくなってしまったということで、家の中にまで入ってきて、家中あちこち探し回ったそうです。



 家の中で過ごすことができたのは、「ごろうチャン」だけでした。




 MUCCHANは、最初はお外で寝ていたのですが、いつの間にか、家の中で共に過ごす犬となっていました。

 きみのおかげで、「いぬとも」の皆さんと、今でも挨拶を交わしています。

 MUCCHAN、いつも私たちを見守っていてくれて ありがとう。
 
 
 

 

 
 
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