平家物語  巻第九 義仲 兼平 巴

2014/ 02/ 01
                 
 謡の稽古場としても使われる、広いお部屋が居間に隣接しています。
 京都のお宅で、日本酒を一献かたむけながら伺いました。
 「兼平」、「巴」は、その名を冠した謡曲はあるが、「義仲」のそれはないと。

 主従の義仲と兼平は、乳母子兄弟です。
 義仲の妻の巴御前は、兼平の妹といわれています。
 巻九の木曾の最期は、琵琶の音に合わせる平家物語の栄枯盛衰を奏でる一幕として、今の時代にあっても、人びとの胸をうちます。
 
 安野光雅が、絵本平家物語のあとがきにかえての中で「・・・亡びることは、はかない。しかし亡びることは、新しいものを生みだすことでもある。歴史は滅亡と新生の繰り返しなのだから、詠嘆は、心をとりなおすために必要な、浄化の手段なのかもしれない。・・・」と述べています。

木曾最期    平家物語 巻第九 

 繪本平家物語 (著者安野光雅 発行所 株式会社講談社) ページ9、木曽最期 (きそのさいご) 
 木曽は丹波路へ向かうとも、また、竜花越(りゅうげごえ)を行って北国へ向かおうとも考えたが、やはり今井のことが気にかかるため瀬田への道をとる。
 今井四郎兼平(かねひら)は瀬田を固めていたが、主のことお思い、旗を巻いて都へとって返した。
 二者は、運よく大津の打出(うちで)の浜で出会った。共に戦い共に死のうと契った主従である。この偶然に心をとりなおし、巻いた旗をほどいて散った兵を集めれば、義仲の妻、巴御前(ともえごぜん)も馳せ参じた。
 巴は色白く、髪は長く、美しい上に一騎当千の兵者(つわもの)で、これまでも鎧(よろい)をつけ大太刀(おおだち)を持って戦った度々の高名には、並ぶものがないほどであった。
 木曽軍は戦列を立て直して最後の戦いをいどむが、いかにも多勢に無勢である。
 凄惨な戦いとなり、兼平の見方は僅か五騎となった。しかし、この戦いの折り巴御前は勇将御田八郎帥重(おんだのはちろうもろしげ)を組みふせ、首をとった後、鎧を脱ぎ捨てて東の方へ落ちていった。
 今井四郎は「わたしが防いでいるうちに、かの松林にかくれて自害なされ」と義仲に進言するが、その甲斐もなく、疲れた馬が深田にはまったとき、三浦の石田の次郎為久(ためひさ)という武者に射られて落命する。
 これを知った今井四郎は最後の名乗りをあげ、太刀の鋒(さき)を口に含み、馬から飛んで自害した。

繪本平家物語 巻九 木曽最期 安野光雅 ③



謡曲 兼平


今井兼平の墓②
滋賀県大津市晴嵐2-4-16 今井四郎兼平 本廟 兼平庵  
 ―今井兼平墓前祭 平成26年1月21日(没後星霜830年)―


謡曲 兼平
ワキ・ワキツレ〽始めて旅を信濃路や、始めて旅を信濃路や、
 木曾の行ゑを尋ねん。
ワキ「是は木曽の山家(やまが)より出たる僧にて候、
 扨も木曾殿は、江州粟津が原にて果給ひたるよし、
 承及候程に、彼後跡をとぶらひ申さばやと思ひ、
 唯今粟津が原へと急候。
ワキ・ワキツレ〽信濃路や、木曾のかけ橋名にし負ふ、
 木曾のかけ橋名にし負ふ、
 其跡弔ふや道の辺の、草の陰野の仮枕。
 夜を重つつ日に添て、行ばほどなく近江路や、
 矢橋の浦に着にけり、矢橋の浦に着にけり。

シテ〽世の業の、憂きを身に積む柴船や、
 焚かぬ前よりこがる覧。

ワキ「なふなふ其船に便船申さうなふ
シテ「是は山田矢橋の渡し船にてもなし、
 御覧候へ柴積みたる舟にて候程に、便船は叶ひ候まじ
ワキ「こなたも柴船と見申て候へばこそ便船とは申候へ、
 折節渡りに舟もなし、出家の事にて候へば、別の御利益に、
カヽル〽舟を渡して賜び給へ、
シテ〽実も実も出家の御身なれば、
 「余の人には変はり給ふべし、実御経にも如渡得船。
ワキ〽舟待得たる旅行の暮
シテ〽かかる折にも近江の海の
二人〽矢橋を渡る舟ならば、それは旅人の渡し舟なり。
同 〽是は又、浮世を渡る柴舟の、浮世を渡る柴舟の、
 乾されぬ袖も見馴れぬ人なれど、法の人にてましませば、
 船をばいかで惜むべき、
 疾く疾く召れ候へ、疾く疾く召され候へ。

ワキ「いかに船頭殿に申べき事の候、
 見え渡りたる浦山は皆名所にてぞ候らん
シテ「さむ候名所にて候、御尋候へ教申候べし
ワキ「先向かひあたって、太山の見えて候は比叡山候か
シテ「さむ候あれこそ比叡山にて候へ、麓に山王二十一社、
 茂りたる嶺は八王子、戸津坂本の人家迄残なく見えて候
ワキ「扨あの比叡山は、王城より艮にあたって候よなふ
シテ「中々の事それ我山は、王城の鬼門を守り、悪魔を攘ふのみならず、
カヽル〽一仏城の峰と申は、伝聞鷲の御山に象れ、
 又天台山と号するは、震旦の四明の洞に模せり、
 「伝教大師桓武天皇と御心を一つにして、
 延暦年中の御草創、我立つ杣(そま)詠じ給ひし、
 根本中堂の山上まで、残りなく見えて候
ワキ「扨々大宮の御在所波止土濃とやらんも、あの坂本にて候か
シテ「さむ候麓にあたつて、少木深き陰の見え候こそ、
 大宮の御在所波止濃にて御入り候へ
ワキ「有難や一切衆生悉有仏性如来と聞時は、
 我等が身までも頼もしうこそ候へ
シテ「仰のごとく仏衆生通ずる身なれば、御僧も我も隔てあらじ、
カヽル〽一仏乗の
ワキ〽嶺には舎那の梢を並べ
シテ「麓に止観の海を湛へ
ワキ カヽル〽又戒定恵の三学を見せ
シテ〽三塔と名づけ
ワキ〽人は又。
同 〽一念三千の、きを顕はして、三千人の衆徒を置き、
 円融の法も曇りなき、月の-横川も見えたりや、
 扨又-麓はささ波や、志賀唐崎の一松、
 七社の神輿の、御幸の木ずゑなるべし、
 さざ浪の、見なれ棹こがれ行く程に、遠かりし、
 向かひの浦波の、粟津の森は近く成て、跡は遠きささ浪の、
 昔ながらの、山桜は青葉にて、
 面影も夏山の、うつり行くや青海の、
 柴舟のしばしばも、暇ぞ惜しきさざ浪の、
 寄せよ寄せよ磯際の、粟津に早く着にけり。粟津に早く着にけり。

ワキ〽露を片敷く草枕、露を片敷く草枕、
 日も暮れ夜にもなりしかば、粟津の原のあはれ世の、
 亡き跡いざやとぶらはむ、亡き跡いざやとぶらはむ。

後シテ〽白刃骨を砕く苦び眼睛を破り、紅波楯を流す粧、
 胡籙(やなぐひ)は残花を乱す。
シテ〽雲水の、粟津の原の朝風に
地 〽鬨つくり添ふ、声々に
シテ〽修羅の巷は騒がしや。

ワキ カヽル〽不思議やな粟津の原の草枕に、甲冑を帯し見え給ふは、
 いか成人にてましますぞ
シテ カヽル〽愚と尋給ふものかな、御身是まで来給ふも、
 我亡き跡を弔はむための、御心ざしにてましまさずや、
 兼平これまで参りたり。
ワキ カヽル〽今井の四郎兼平は、今は此世に亡き人なり、
 扨は夢にてあるやらん
シテ「いや今見る夢のみか、現(うつつ)にもはや見馴れ棹の、
 舟にて見みえし物語、早くも忘れ給へたりや
ワキ カヽル〽そもや舟にて見みえしとは、矢橋の浦の渡守の
シテ「其船人こそ兼平が、現に見みえし姿なれ
ワキ カヽル〽さればこそ始より、様ある人と見えつるが、
 扨は昨日の舟人は、
シテ〽舟人にもあらず
ワキ〽漁父にも
シテ〽あらぬ。
同 〽武士(もののふ)の、矢橋の浦の渡し守、
 矢橋の浦の渡し守と、見えしは我ぞかし、
 同じくは此舟を、御法の舟に引かへて、
 我を又彼の岸に、渡して賜ばせ給へや。

地 〽実(げに)や有為生死の巷、来つて去事速し、
 老少もって前後不向、夢幻泡影何れならむ。
シテ〽ただ是槿花一日の栄、
同 〽弓馬の家にすむ月の、わづかに残る兵(つわもの)の、
 七騎となりて木曾殿は、この近江路に下り給ふ、
 兼平勢田より参りあひて、又三百騎に成ぬ
シテ〽其後合戦度々にて、又主従二騎に討ちなさる
同 〽今は力なし、あの松原に落行て、御腹召され候へと、
 兼平勧み申せば、心細くも主従二騎、
 粟津の松原さして落給ふ。
同 〽兼平申やう、後より御敵、大勢にて追つかけたり、
 防矢仕らむとて、駒の手綱を返せば、
 木曾殿御諚ありけるは、多くの-敵を逃れしも、
 汝一所にならばやの、所存ありつる故ぞとて、
 同じく返し給へば、兼平又申やう、こは口惜き御諚かな、
 さすがに木曾殿の、人手にかかり給はむ事、
 末代の御恥辱、ただ御自害あるべし、今井もやがて参らむとの、
 兼平に諌められ、又引つ返し落ち給ふ、
 偖其後に木曾殿は、心細くもただ一騎、
 粟津の原のあなたなる、松原をさして落給ふ。
シテ〽此(ころ)は-睦月の末つ方、
同 〽春めきながら冴えかへり、比叡の山風の、雲行空も暮れはとり、
 あやしや通路の、末しら雪の薄氷、深田に馬を駆け落とし、
 引け共あがらず、打てども行かぬ望月の、駒の -頭も見えばこそ、
 こは何とならむ身の果て、せんかたもなく呆れはて、
 此儘時害せばやとて、刀に -手をかけ給ひしが、 去るにても兼平が、
 行ゑいかにと遠方(をちかた)の、跡を見返り給へば
シテ〽いづくより来りけん
同 〽今ぞ命は槻弓の、矢ひとつ来つて、内甲にからりと入、
 痛手にてましませば、
 たまりもあへず馬上より、をちこちの土となる、
 所は爰(ここ)ぞ我よりも、主君の御跡を、先とぶらひて賜び給へ。

地 〽実痛はしき物語、兼平の御最後は、何とかならせ給ひける
シテ〽兼平はかくぞとも、知らで戦ふ其隙にも、
 御最後の御供を、心にかくるばかりなり
地 〽扨其後に思はずも、敵の方の声立て、
シテ〽木曾殿討たれ給ひぬと
地 〽呼ばはる声を聞しより
シテ〽今は何をか期(ご)すべきと
地 〽思ひ定めて兼平は
シテ〽是ぞ最後の荒言と。
地 〽鐙踏んばり
シテ〽大音あげ、木曾殿の身内に今井の四郎
同 〽兼平と名乗かけて、大勢に割つて入(いれ)ば
 もとより- 一騎当千の、秘術をあらはし大勢を、
 粟津の- 汀(みぎは)に追つ詰て、磯打つ浪のまくり切り、
 蜘蛛手十文字に、打破り駆け通って、
 其後- 自害の手本よとて、太刀を銜(くは)へつつ、さか様に落て、
 貫かれ失(うせ)にけり、
 兼平が最後の仕儀、目を驚かす有様なり、目を驚かす有様。






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