京の三大漬物

2014/ 02/ 02
                 
 宏有さんは、漬物が好きで、赤蕪も大好きな一つです。
 京のお漬物には目がないようです。
 京都土産に「お漬物」のリクエストがありました。

 どこにでも「三」という数字はついて回ります。
 「京の三大漬物」とう文字が、京都府漬物協同組合のホームページで目に留まりました。
 (京都府漬物協同組合は、明治41年、京都漬物業組合として発足し、現在(平成24年3月時点)は、99のお店が組合に加入しています。)

京の三大漬物 
 一つ、千枚漬け
 一つ、すぐき
 一つ、しば漬
 となっていました。それぞれの出来上がるまでを、そのHPよりご紹介させて頂きます。


千枚漬け
京ことばに「はんなり」というものがある。その意味、響きの柔らかさは、千枚漬にこそふさわしい。千枚漬は、今から百数十年前に生まれた。その頃、孝明天皇の宮中大膳寮に仕えていた大藤藤三郎は、天皇の嗜好に合うよう工夫を凝らしていた。
その彼があるとき、縄手三条下ルにあった漬物屋が尾花川漬として売っていたかぶらの漬物にひらめきを得た。宮中での料理の経験を生かし、漬け方、調味料、風味はもとより、よいかぶらを求め尋ね回り、ようやく聖護院の里のかぶらに出会う。
その後、職を退いた大藤藤三郎氏が「大藤」という店を起こして売り出したその漬物こそが、千枚漬の起源である。その美味は、明治23年に京都で開かれた全国博覧会で全国名物番付けに入選し、需要が急増。 こんにちの「今日に千枚漬あり」の地位を築いた。千枚漬は、他の漬物と違って長期保存を目的とせず、繊細に漬け上げる。その淡味の新鮮さは、幕末から維新の武編者たちまでが「みやこやぶり」と好んだというほど賞賛された。

[収穫]
もみじが赤く染まるころ「かぶら畑」の収穫が始まります。冷たい空気が野菜のしまりを良くし、そのうまみをひきだし、形よいかぶらを育てます。
[洗浄]
やさしく、ていねいに水洗いをします。
[皮むき]
聖護院かぶらをていねいに皮むきしていきます。きれいに皮をむいたかぶらを洗浄し、カンナがけへ移ります。
[カンナがけ]
ここからが職人の腕のみせどころ。
特製の千枚漬用のカンナでスライスしていきます。
[のばし]
軽く塩をふって、下漬けします。四斗樽にかぶらにして80個から90個、約2,000枚の千枚漬けを入れます。重石は65キロから75キロぐらい。樽の中で千枚漬は、じっくりと熟成を待ちます。
[下漬け]
手のひらと指先でトランプを広げるように並べます。
[本漬け]
しっかりと下漬けしたあと本漬けです。
北海道産の一等昆布、米酢、酒どころ伏見の味醂を加えて、最後まで心を込めて千枚漬に命を吹き込みます。
[完成]
風味いっぱいの千枚漬の完成です。


すぐき
すぐきの栽培や漬物は、上賀茂の社家から始まったというのが定説となっている。その理由は、すぐきの原料、すぐき菜が土を選ぶカブラの一種で、栽培地域が松ヶ崎より西、北山通りより北部という上賀茂の狭い地域に限られていたということ。
そして、なによりの理由は、桃山時代の頃に上賀茂神社に奉仕する社家が種子を手に入れ、珍しい高級品として上層階級の贈答用に栽培したのが始まりで、それゆえに永く製法は秘伝として門外不出だった。
約三百年前の飢饉で難民救済のために製法を公開し、ようやく伸展していった。社家の庭で栽培したことから「屋敷菜」、京都御所に仕えた社家の某が宮中から種子を賜ったから「御所菜」という別名を持つ。江戸時代、元禄の頃に出版された『本朝食鑑』には『年を経て酸味を生ずるので酸茎と称す』と記されている。京都では明治の終わり頃、大阪・東京では大正時代から売られたらしい。すぐきの「天秤漬け」(天秤を使って漬ける)は、昭和初期からの偉大な知恵である。

[収穫]
初冬になると、形よく実ったすぐき菜の収穫が始まります。
[洗浄]
やさしく、ていねいに水洗いをします。
[面取り]
包丁を使って、収穫したすぐき菜の根や皮をきれいに剥ぎ取ります。
[荒漬け]
直径2メートルの大きな樽に、面取りしたすぐき菜を漬けます。十分に塩をふり重石をかけます。
しっかりと塩が浸透したら本漬けです。
[本漬け(天秤押し)]
"天秤押し"でじっくり漬け込まれます。"天秤押し"は、テコの原理を応用したもの。長さ3〜4メートルの棒の先に重石をくくり、大きな圧力をかけるという先人の知恵。樽のふたに咲く鮮やかな塩の華は、都の冬の名物となっています。
[乳酸発酵]
すぐき樽は本漬けが終わると室(むろ)で発酵が進む温度で管理し乳酸発酵させます。熟成したら室から出して自然に冷やします。
[完成]
ほどよく酸味がきいたすぐきの完成です。


しば漬
しば漬には、諸説の名前がある。「紫蘇漬」と「紫葉漬」は素材からきたのであろう。なぜなら大原の名刹魚三千院の聖応大師が創成した茄子、胡瓜、茗荷などを、大原の名産である紫蘇の葉とともに塩漬けしたものが起源の漬物だから。水質のよい大原は、よい紫蘇が育つ土地柄にあり、その辺りで採れる紫蘇は学会からも日本一の折り紙付き。その上、丹念に栽培され、香り高さは抜群なので、大原の家では古くから保存食とされていた。もうひとつの名は「柴漬」である。今から八百年ほど前、『平家物語』で有名な高倉帝の皇后、建礼門院徳子様は、聖徳太子が建てたという大原の寂光院に御閑居されていた。その折に、里人がこの漬物を献上したら大層お喜びになり、大原女が頭にいただき売り歩く柴にちなんで「しば漬か」と仰せられたというのが由来。建礼門院は、壇ノ浦の戦いで幼少の息子、安徳天皇とともに海に身を投じたが建礼門院だけが源氏に救われ、寂光院に。しば漬の味と里人の優しさが心に染みただろう。

[収穫]
夏野菜であるしそ、茄子、胡瓜、茗荷が旬をむかえたら収穫します。
[洗浄]
やさしく、ていねいに水洗いをします。
[スライス]
収穫したしそと茄子、胡瓜、茗荷などをリズムよく刻んでいきます。
[漬け込み]
約一割の塩とともに混ぜ合わせて木樽に漬け込みます。重量が均等に加わるよう重石をし、約一ヶ月間熟成を待ちます。しば漬の美味しさは、この重石の加減が決めるといっても過言ではなく、熟練された職人達の手作業により、丹念に漬け込まれます。
[乳酸発酵]
乳酸発酵により、約1ヶ月間熟成を重ねます。
[樽出し]
色鮮やかなしば漬の出来上がりです。


赤かぶ漬 刻みすぐき③

刻みすぐき② 千枚漬

しば漬



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