木曾三社神社・前橋~渋川間チンチン電車 -7-

2014/ 02/ 14
                 
 路面電車は「電気軌道」という呼称が正しいようです。
 警笛を鳴らす音が「チンチン」と聞こえることから、チンチン電車という呼び方が定着したようですね。
 
  
 下箱田付近
  下箱田付近(橘山裾)を通るチンチン電車


 昭和29年3月1日に、前橋と渋川をつなぐ電気軌道路線は廃止になりました。
 (「東武鉄道ポータルサイト」:・昭和2年10月1日、伊香保軌道線<前橋~渋川間、高﨑~伊勢崎間、48.3kmを、東京電灯(株)から((東武鉄道が))買収。・昭和29年3月1日、前橋~渋川間廃止)
 それからは、木曾神社にお参りするにも、箱田の家に行くにも東武バスを利用しました。
 東武バス路線はいつから運転開始されていたのでしょうか。大型トレーラーバスに乗ったことも、懐かしい思い出の一つとなっています。木炭バスもまだ走っていましたよ。



電気軌道  「高松吉太郎の路面電車の歴史2」による。


36  前橋電気軌道  
明治23年開業した前橋-渋川の上毛馬車鉄道は、42年に至り高崎水電の電化工事に対抗して社名を前橋電気軌道と改め、全線電化の工事を急ぎ43年10月9日から電車運転に切換えた。
 これより約12年利根川をはさんで前記の高崎水電と派手な競争を演じたようである。
 大正10年に両社が合併してからの成行は前項<34.35>に記したから省略する。



34  高崎水力電気
高崎-渋川間の交通機関としては、すでに明治26年群馬馬車鉄道会社より高崎駅前より渋川町長塚に至る20.1キロに馬車鉄道が運転されていた。
 これは元碓氷馬車鉄道の設備をそのまま譲受けたもので、軌間610ミリ、在籍車20両となっている。
 41年10月高崎水力電気に合併され42年10月から電化工事と軌道改良に着手し、43年9月23日より全線電車となった。
 軌間1,067ミリ、平凡な4輪単車もマッチ箱のような馬車にゆられていた地元の人達の眼には、非常に新式なものに映ったらしい。
 大正2年渋川-伊香保間の伊香保電気軌道を合併し、同10年には競争相手であった前橋-渋川間の利根発電とともに東京電燈株式会社に合併し、東京から伊香保温泉に通ずる唯一の交通機関として活況を呈していたが、国鉄上越線の延長とともに次第に影が薄くなり、さらにバスの進出によってその地盤は年々蚕食されていった。
 昭和2年10月1日に東武鉄道に買収されてからも設備の改善という点ではなんら見るべきものなく、昭和28年には高崎-渋川間、次いで前橋-渋川間、31年には最後の渋川-伊香保問が廃止となり、上州名物”がたくり電車”も遂に地上から姿を消したのである。


35  伊香保電気軌道
 伊香保温泉の有力家木暮武太夫氏らの発起で明治42年12月9日特許を得、43年着工同年10月16日より渋川新町-伊香保間の運転を開始した。
 伊香保温泉は渋川より500メートルの高所にあるため日本には珍らしい登山電車として誕生したわけであるが、後年開通した箱根登山電車にくらべると設備万端誠に貧弱なもので、急勾配線用の電車としてよく許可になったものだと思う。
 軌間1,067ミリ、シングルトロリー式で、下りの時はポールを使用せず隋力によって運転した。
 以後の変遷については高崎水電の項を参照願いたい。



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