木曾三社神社・パンフレット -10〈1/3〉-

2014/ 02/ 16
                 
 「木曾三社神社 パンフレット」は、発行日、発行所、発行者の記載がありません。
 昨年頂戴しました。
 このブログに載せるパンフレットの内容は、校訂前のものか、校訂後のものか、ちょっと気にかかっています。
 もし、完成版でなかったらゴメンナサイ。


①  社殿
 寛政元年(一七八九) 社殿が全焼
 寛政6年(一七九四) 本殿を再建
 明治4年(一八七一) 拝殿を再建
創建
 平安時代の末、木曽義仲が砺波(富山県)倶利伽羅峠(くりからとうげ)戦で平家を討って入京してから、後白河院と反目し、院の命令により源義経と源範頼に寿永3年(一一八四)に近江国(滋賀県)の粟津で討たれた後、その遺臣達(今井・高梨・町田・小野沢・萩原・諸田・串渕)らが、木曽義仲の崇敬していた、信濃国(長野県)の延喜式内社である岡田(おかだ)神社(松本市)・沙田(いさごだ)神社(まつもとし)・阿礼(あれ)神社(塩尻市)の三座を勧請して創建したので木曾三社神社と言う。
祭神
 須佐之男命(すさのおのみこと)〈素戔嗚尊〉――武軍、疫病退治の神
 彦火火出見命(ひこほほでみのみこと)――山の幸の神
 宇気母智命(うけもちのみこと)――食物の神
木曽三社神社・社殿①


  手水舎と祓殿
手水舎
 手を洗い清める
祓殿
 罪や穢(けがれ)をお祓いする
木曽三社神社・手水舎と祓殿②


  御腰掛石と箱田伝説
 木曽義仲が討たれた後、遺臣達は木曽谷にのがれていたが、源頼朝の詮議がきびしくなって来たので、三社の神官の高梨南学院は、"この神を東方の安全な地に遷せ"という神託を受け、御神体を七重の箱に納め、東国へと旅立ち、山中の清い泉の所に着いた。
 そこにあった石に箱を置き、休憩をとり、出発しようとしたが、箱は石に固くついて動かなくなった。住民達が怪しんで「この箱は何か」とたずねると「只の箱田」と答えたので、この地を箱田と呼ぶようになり、この地に社殿を建てたという。
木曽三社神社・御腰掛石と箱田伝説③


  木曽遺臣像
 御神体を背負って来た、神官の高梨南学院の石像
木曽三社神社・木曽遺臣像④


  稲荷神社 (おいなりさま)
 稲または農耕をつかさどる倉稲魂神(うかのみたまのかみ)〈御饌神〈みけつかみ〉)を祭る。
 富をもたらす神である。
木曽三社神社・稲荷神社⑤







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