母よ

2014/ 04/ 24
                 
乳母車

  母よ――
  淡くかなしきもののふるなり
  紫陽花(あじさい)いろのもののふるなり
  はてしなき並樹のかげを
  そうそうと風のふくなり
     
  時はたそがれ
  母よ 私の乳母車(うばぐるま)を押せ
  泣きぬれる夕陽にむかって
  轔轔(りんりん)と私の乳母車を押せ
     
  赤い総(ふさ)ある天鵞絨(びろうど)の帽子を
  つめたき額にかむらせよ
  旅いそぐ鳥の列にも
  季節は空を渡るなり

  淡くかなしきもののふる
  紫陽花いろのもののふる道
  母よ 私は知っている
  この道は遠く遠くはてしない道


乳母車
三好達治
『測量船』所収


満月に近い月①


あなたのふるさとはどこですか。
 あなたのふるさとはどこにありますか。

 三好達治の生い立ちを思い起こす中で、生みの親の残像というものは、どういう心象風景をもたらしているのでしょうか。
 「乳母車」という題の詩の中に、「母」という語が3回、「あじさい」という語が2回、そして「乳母車」という語が2回出てきます。
 「母」は4つの段中の3つに出てきますが、「乳母車」は2つ目の段に2度出てきて、それ以外の段には出てきていません。
 「あじさい」の語は、最初の段と最後の段に一つづつ出てきて、何かを暗示しているような言葉として出てきます。

 紫陽花のいろに、何を思うのでしょう。
 淡く遠きふるさとと重ね合わさる先に、母の面影を見出してもいるのでしょうか。
 「乳母車」の詩の中には「ふるさと」という言葉ひとつ見当たりませんが、達治は「乳母車」の中に、「はは」と「こころのふるさと」を見出していたのかも知れません。

  「淡くかなしきもののふる
  紫陽花いろのもののふる道」
 とうたっているのは、今までの自分を振り返った姿であり、それは記憶の片隅のおぼろな、母との別れの残像でもありました。
  「母よ 私は知っている
  この道は遠く遠くはてしない道」
 と最後の2行でうたっているのは、これからの自分の将来を告げ、自分の過去との決別を表している三好達治の姿を見ることが出来ます。

(※三好達治の「乳母車」の詩を解説する諸氏のページそれぞれにおいて、「生みの母」と「こころのふるさと」を重ねあわせる文章は、どこを探してもありません。読み手の自由な受け止め方の一つとして、読んで頂ければと思います。)
 
追補
 三段目の四つの行は、とても謎めいた言葉が並んでいます。
 文章としてみると、「起承転結」の「転」にあたる個所です。
 前の二つの段と最期の段とは趣きを全く異にしていますが、次の段を導くためには、欠かせない四行となっています。

  「赤い総(ふさ)ある天鵞絨(びろうど)の帽子を
  つめたき額にかむらせよ」
 この二行は、とても印象的であり、かつ抽象的です。
 「赤い」と「つめたき」が並列性を成し、「びろうどの帽子を」、「額にかむらせ」ることによって、次の二つの行を誘い出しています。

  「旅いそぐ鳥の列にも
  季節は空を渡るなり」

 「旅いそぐ鳥」は、そのまま季節を表す言葉となっていますが、更に「季節は空を・・・」と重ねているところに、三好達治の心象風景を垣間見ることになります。

 「淡くかなしきもものふる・・・」とうたう、生みの母を恋うる達治。
 ふるさとの残像は、淡く、そして永劫に心のどこかに住み続けていくのかもしれません。




 



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