ひととの出会い

2014/ 05/ 17
                 
 北杜夫との出会い

 「どくとるマンボウ航海記」(中央公論社)が、世に出たのが1960年、新潮文庫の初版本は、1965年に発行されています。
 「何か読みやすい本はない?」と、母に聞いたところ、即座に、北杜夫のドクトルマンボウ航海記を、本棚から引っ張り出してくれました。
 それまで北杜夫という作家の名前は頭の中に入っていませんでした。

 「楡家の人びと」がテレビ放映されたのは、いつの頃のことだったのでしょうか。
 このテレビドラマも、母が「面白いよ」といったから、「見た」といういきさつがあります。
 楡家の人びとは、東京オリンピックの年の、1964年4月に新潮社から発行されていますから、それ以降のテレビ放映であることは間違いありませんが。
 (「楡家の人びと」は書き下ろし小説ではありません。雑誌『新潮』に、第一部が1962年1月-12月に、第二部(残された人々)が1963年3月-1964年4月に掲載されました。)

 それから、北杜夫に、はまりだしました。
 ファンとしては奥手の方だったと思います。

 今もって残念だったなと思う本があります。
 東京時代、あちこち引っ越ししましたが、浜田山にいた時、駅近くの本屋さんに、「少年」の特装限定本を注文していたのですが、永福町に居を移すことになったため、この本の購買予約をキャンセルしました。
 私がキャンセルの申し出をしたときに、店主が大変残念がってくれたことを、今思いだしています。
 そうなんです。私も今でも、残念がっているのです。何故あのときキャンセルしたのだろうと、今もって不思議な行動として自覚しているうちの一つです。


 人との出会い 

 松本にいた時、美ヶ原に出かけました。
 「どくとるマンボウ昆虫記」に、美ヶ原での蝶々の採取のことが、書かれていることを思いだしながら、高原を散策しました。
 美ヶ原の頂は、標高2,000㍍あります。
 最初のときは、東京から来たお客様たちと一緒に、二度目は一人で行きました。この何れも松本に住んでいたときのことです。
 もう一回は、松本に住んでいた義姉のところを拠点としての旅の途中で、立ち寄ったときです。

 最初のときに来たお客の一人が、宏有さんです。
 先日、宏有さんの姉のご主人のご葬儀に東京に出向きました。
 二人の女性が出迎えてくれました。
 このお二方に、私たちの結婚式の時に受付してもらったのです。勿論可愛くチャーミングで素敵なお嬢様でした。
 そのうちの一人が、最初に来た三人のお客様のうちの一人です。
 あれからどれほどの年月が経ったことでしょう。
 もう一人のお客様の義母が亡くなって、今年で9年目を迎えます。


  ひところ、田舎の家の本棚に私が集めた北杜夫の本をズラッと並べた折りには、母は丁寧に一つひとつを読了していきました。
 いま、さいたま市に妹家族と一緒に住んでいる母は、今年97歳となりました。

 

追補:
 北杜夫(本名:齋藤宗吉〈さいとうそうきち〉.・1927年5月1日-2011年10月24日)
 「楡家の人びと」:TBSテレビ ・1965年9月8日-1965年10月27日. ・21:30~22:30 ・毎水曜8回連続放映
・出演 東野英治郎、村瀬幸子、岸田今日子、長岡輝子、北村和夫、小池朝雄、加賀まりこ、信欽三(信欣三)、京塚昌子、観世栄夫、松山栄太郎、・・・
第3回ギャラクシー賞個人部門賞(大山勝美)受賞対象作品。

 NHKテレビでは、「銀河ドラマ」シリーズの後を受けて、夜10時に新設された、帯ドラマ「銀河テレビ小説」の第一作として、「楡家の人びと」が放映(1972年4月3日-6月30日)されました。主演は、岡田茉莉子、宇野重吉。

 北杜夫は、三島由紀夫(1925年1月14日-1970年11月25日)と、ひところ親交が深かった時期がありましたが、その三島由紀夫が絶賛した小説が、この「楡家の人びと」でした。
 三島も、テレビでの「楡家の人びと」をみていたときもあったのでしょうか。


補筆
受賞歴
 1960年 芥川賞 『夜と霧の隅で』
 1964年 毎日出版文化賞 『楡家の人びと』
 1986年 日本文学大賞 『輝ける碧き空の下で』
 1998年 大佛次郎賞 『青年茂吉』『壮年茂吉』『茂吉彷徨』『茂吉晩年』の茂吉評伝4部作。
 2011年 従四位 旭日中授賞





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