ズッキーニ ラタトゥイユにしました。

2018/ 06/ 16
                 
  書店に寄った帰り道です。
  農産物を直売している農家の前を通りました。
 「ズッキーニあります」という文字が目に留まりました。
 引き返して、庭先に車を停めました。
 
 ズッキーニの大きさに目を奪われました。
 スーパーマーケットで並んでいるものよりもサイズが数倍違います。
 (キュウリは大きくなりすぎると不味くなることを思い浮かべながら)
 一つ幾ら?と聞くと、100円とのこと。とても美味(おい)しいよ。と続けて奥様はおっしゃいます。
 バターで炒めると美味(うま)いよ。と更にたたみかけてきます。
 ラタトゥイユにしょうかな。と口に出して言ってみました。南フランスの野菜たっぷりの煮込み料理です。奥様は、ラタト・・・そうそう・・・と、頷きました。クセがないし、トマトなど他の野菜との相性もいいし、と、私。

 3本も買ってしまいました。


 家に帰ってブーケガルニがあったかどうか探したら、有りました。
 これで決まりです。ラタトゥイユを作ることにしました。
 ラタトゥイユは温かくても冷たくしてもおいしいので、たくさん作ることにしました。
 今夜の食事には温かいものを、明日のランチには冷たくなったもの(冷蔵庫に入れておいて)をというように、二度楽しむことにしました。

 次の材料が用意できました。

 ・ニンニク 1かけ
 ・オリーブオイル 大さじ5
 
 ・タマネギ 1個
 ・赤パプリカ 2個
 ・ピーマン 3個
 ・ナス 3個
 ・ズッキーニ 半個(普通サイズなら1個)
 ・完熟トマト 4個

 ・塩  小さじ1/2
 ・コショウ 少々
 ・クレージーソルト 少々
 ・ブーケガルニ 1袋
 
 

 ズッキーニ
  2個と半個のズッキーニと、長ナスとキュウリを比べてみました。
                 
        

遅れてきたピアニスト フジコ・ヘミング  NHK おはよう日本  テレビ朝日 徹子の部屋

2018/ 06/ 15
                 
 
 2018年6月15日(金)、NHKテレビ、おはよう日本「けさのクローズアップ」、朝7時25分から7分間の放送、「フジコヘミングさん 苦難の人生奏でる音色 遅れてきたピアニスト」を観ました。
 聴き手は、林田理沙(長崎県出身,1989年12月19日生れ.愛称はリンダちゃん.)アナウンサー。「プラタモリ」5代目アシスタントもつとめています。今年3月で卒業した、近江友里恵アナウンサーの後任としても記憶に新しいですね。彼女は絶対音感の持ち主で、10代のころはピアニストになろうかと考えていたこともあったそうで、東京藝術大学大学院音楽研究科を修了しています。
 閑話休題
 フジコ・ヘミングさんの映画、「フジコ・ヘミングの時間」が、6月16日から、シネスイッチ銀座などの映画館(関東地方では7館)で公開されます。
 順次、上映されていくということですので、ここ埼玉でも、近々みることができそうです。
 
http://fuzjko-movie.com/

 2018年6月14日(木)の「徹子の部屋」。
 お寺の境内で拾ってきたという猫、「ノエル」を抱えて登場したフジコさん。
 今回演奏した曲は、ドビュシー作曲の「月の光」(ベルガマスク組曲より)でした。
 その後、映画監督の小松莊一良さんが登場しました。
 「フジコ・ヘミングの時間」は、フジコさんの初のドキュメンタリー映画(115分)です。
 小松さんは、彼女の「奇跡のピアニスト」としての世界各国での生き様を、2年にわたり追い求め続けました。
 フジコさんにとって、画面から飛び出してくるご自身のすがたかたちを、どのようにご覧になったのでしょうか。

https://www.youtube.com/watch?v=deLVarrn5jI

https://www.youtube.com/watch?v=aIXYOydRI4U


 そうそう、番組の中で、もう一つの紹介がありました。
 「14才のときの絵日記」が出版されるとのことです。昭和21年の夏休み日記ということですから、1946年、終戦の翌年はフジコさんが14才のときだったのですね。


 
                 
        

アジサイ あじさい 紫陽花

2018/ 06/ 15
                 
  紫陽花 6月



 道問へば紫陽花の咲く家と言ふ   吉田静代




「あ」のつく ひ   工藤直子 

 あめの ひの
 あさでした

 あまがえるが
 あっちから ぴょん

 あじさいに
 あいました

 「あ、あじさい こんにちは」
 「あら、あまがえる いらっしゃい」

 あまがえると
 あじさいが

 あめのふる あさ
 あいさつして それからいっしょに
 あそびました



 
乳母車   三好達治

 母よ--
  淡くかなしきもののふるなり
  紫陽花いろのもののふるなり
  はてしなき並木のかげを
  そうそうと風のふくなり

  時はたそがれ
  母よ 私の乳母車を押せ
  泣きぬれる夕日にむかって
  轔々と私の乳母車を押せ

  赤い総ある天鵞絨の帽子を
  つめたき額にかむらせよ
  旅いそぐ鳥の列にも
  季節は空を渡るなり

  淡くかなしきもののふるなり
  紫陽花いろのもののふる道
  母よ 私はしってゐる
  この道は遠く遠くはてしない道




                 
        

手元に残す本なのかどうか・・・ 断捨離 中国艶ばなし

2018/ 06/ 14
                 
 
  金瓶梅(〈※1〉)は、四大奇書(〈※2〉)の一つというのは、ご存知のことと思いますが、杏花天、浪史奇観、如意君伝、繍榻野史などの本の名前は聞いたことがありますか。
 何れも、知る人ぞ知る、中国艶笑文学書として知られています。

 永井荷風に傾倒し「荷風論」を著した奥野信太郎ですが、中国文学の第一人者として世に知られていました。難解な中国古典を紐解く傍ら、こんな艶ばなしも書き著していたのです。




  手元に残す本の多いこと。

 この本はどうしようかなと、迷う本も少なからずあります。

 奥野信太郎が書き著した「中国艶ばなし」。文藝春秋社から、1963年12月20日に初版が発行されています。
 前回の東京オリンピックは1964年に開催されましたから、その前年というと、かれこれ55年が経っているということになります。
 その年、私は何歳だったのかなとふと思ってもみたりしました。

 帯カバーには、「エロチックで人間味あふれる中国の珍奇な艶ばなしを満載した爆笑読本」と記されています。

 目次は20の項目が記されています。
 ついついその項目をここに列記してみたい誘惑にかられましたが、やめておきますね。




〈註1:金瓶梅(きんぺいばい)

 ・広辞苑第七版:きんぺいばい【金瓶梅】
 明代の長編小説。四大奇書の一つ。100回。蘭陵の笑笑生の作。作者は王世貞など諸説あるが不明。万暦(1573-1620)中期成る。水滸伝中の武松の物語をもとに、富豪西門慶に毒婦潘金蓮を配して家庭の淫蕩(いんとう)で紊乱(びんらん)した状態を描き、それを通じて明代政治の腐敗、富豪階級の頽廃を活写する。金瓶梅詞話。

 ・ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説
  :金瓶梅:きんぺいばい:Jin-ping-mei
 中国,明の口語章回小説。作者未詳。 100回。 16世紀末頃成立。『水滸伝』から西門慶と潘金蓮の密通のエピソードを借りて発端とし,そこから色と欲の世界を繰広げた小説。山東の豪商西門慶があらゆる不正な手段を用いて富と権勢を手に入れ,彼を取巻く女性たちと悦楽の限りを尽すが,ついに淫薬を飲みすぎて急死するというのがあらすじで,書名は主要な3女性潘金蓮,李瓶児,龐春梅から1字ずつとったもの。その露骨な性描写はたび重なる発禁を招いたが,宋に時代を借りつつ実は当時の社会風俗を浮彫りにし,そこにうごめく人間の欲望を赤裸々に描き出した筆力は凡庸なものではない。 〉



〈註2:四大奇書(しだいきしょ〉

 ・広辞苑第七版:しだいきしょ【四大奇書】
 中国明代の長編小説、水滸伝・三国志演義・西遊記・金瓶梅の四書をいう。

 ・日本大百科全書(ニッポニカ):四大奇書・しだいきしょ
 明(みん)の万暦年間(1573~1619)までに完成をみた中国章回(長編)小説の傑作、『水滸伝(すいこでん)』『三国志演義(さんごくしえんぎ)』『西遊記(さいゆうき)』『金瓶梅(きんぺいばい)』の総称。『水滸伝』は魯智深(ろちしん)・武松(ぶしょう)ら緑林(りょくりん)英雄の世界を、『三国志演義』は群雄割拠の時代の歴史を、『西遊記』は西天取経の旅における孫悟空(そんごくう)の妖怪(ようかい)退治を、『金瓶梅』は悪徳商人西門慶(さいもんけい)を中心とする色と金の世界をと、それぞれ異なったジャンルにユニークな主役・脇役(わきやく)を配して描いており、中国のみならず日本でも広く愛好されている。[大塚秀高]
 . 出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)/日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例


                 
        

魯山人味道 獣肉

2018/ 06/ 13
                 

 終活の一つになるのでしょうか。断捨離。
 本も捨てるということで、紐で結わえた7つの束の合計の高さが、今のところ5mほどとなっています。

 魯山人味道(ろさんじんみどう)の本も出てきました。
 目次をパラパラと捲ったら、「猪の味」というところに目がいきました。

 ・・・ 子ども心にも非常に貴重なもののようにそれを抱えて、楽しみにして帰って来た。うちの者も、その肉の美しさを見て非常によろこんでいた。早速煮て食ってみると、果たせるかな、美味い。肉の美しさを見た時の気持ちの動きも手伝ったことだろうと思うが、食道楽七十年を回顧して、後にも先にも、猪の肉をこれほど美味いと思って食ったことはない。私は未だにそれを忘れない。私が食物の美味さということを初めて自覚したのは、実にこの時であった。 ・・・

 この「猪の肉」の項では、獣肉としては、猪肉の他、熊、鹿、猿、兔を食った。と記しています。

 ・・・ それはともかく、当時は豚よりもむしろ猿を食っていた。私なども、ちょいちょい食ったもので、その肉はちょうどかつおの身のように透き通ったきれいな肉であった。感じから言えば、兔の肉に似ているが、当時の印象では、これも脂がなくて、そう美味いものではなかった。しかし、兔の肉よりは美味かった。 ・・・

 北大路魯山人(きたおおじろさんじん)は、この当時10歳くらいの年齢で、家族とともに京都に住んでいました。
 ・・・ 京都堀川の中立売に代々野獣を商っている老舗があって、私はその店によく猪の肉を買いにやらされた。・・・
 ・・・ これは堀川四条の肉屋が持って来たものであったが、・・・
 とも記していますので、当時の京都では、獣肉を一般的に商いしていたことが見て取れます。