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孔明泣いて馬謖を斬る 吉川三国志と日本プロ野球

2021/ 08/ 21
                 

 今の世に馬謖を知るや孔明の心の襞に何を覗くか


 馬に乗った鎧兜人
〈さきたま古墳群「将軍山古墳展示館」展示品.日本の騎馬の風習が始まったのは、4世紀末ごろから。〉


このところのトピックスあれやこれや。
インターネットで、スポーツの欄も毎日見やります。
日本プロ野球。
私は、背番号16、巨人川上哲治のフアンでした。
今は、プロ野球選手の名前をほとんど知りませんのですが。
それでも、フッと目に留まることもあるのです。
そんな時に、唐突に、そして何の脈絡もなく、吉川英治の三国志、孔明泣いて馬謖を切るの場面を思い出しました。



  泣(な)いて馬謖(ばしょく)を斬(き)る  〈出典:デジタル大辞泉(小学館)」〉の解説

《中国の三国時代、蜀 (しょく) の諸葛孔明 (しょかつこうめい) は日ごろ重用していた臣下の馬謖が命に従わず魏に大敗したために、泣いて斬罪に処したという「蜀志」馬謖伝の故事から》規律を保つためには、たとえ愛する者であっても、違反者は厳しく処分することのたとえ。》



吉川英治 三国志 五丈原の巻

「中原(ちゅうげん)を指(さ)して 一」

馬謖(ばしょく)を斬(き)る 一

 長安に還ると、司馬懿(しばい)は、帝曹叡(そうえい)にまみえて、直ちに奏した。
「隴西(ろうせい)諸郡の敵はことごとく掃討しましたが、蜀の兵馬はなお漢中に留っています。必ずしもこれで魏の安泰が確保されたものとはいえません。故にもし臣をして、さらにそれを期せよと勅し給わるならば、不肖、天下の兵馬をひきい、進んで蜀に入って、寇(あだ)の根を絶ちましょう」
 帝は、然るべしと、彼の献言を嘉納(かのう)されんとしたが、尚書の孫資(そんし)が大いに諫(いさ)めた。
「むかし太祖武祖(ぶそ)(曹操のこと)が張魯(ちょうろ)を平げたもう折、群臣を戒(いまし)められて、――南鄭(なんてい)の地は天獄たり、斜谷(やこく)は五百里の石穴(せっけつ)、武を用うる地にあらず――と仰せられたお言葉があります。いまその難を踏み、蜀に入らんか、内政の困難をうかがって、呉がわが国の虚を衝いてくることは必然だといえましょう。如(し)かず、なお諸境を堅守して、ひたすら国力を充実し、蜀呉の破綻(はたん)を待つべきではありますまいか」
 帝は、両説に迷って、
「司馬懿(しばい)。如何に」
 と、たずねた。仲達は、
「それもまた公論、易安(いあん)の一理です」
 と、あえて逆(さか)らわなかった。
 そこで孫資の方針が採りあげられ、長安の守備には郭淮(かくわい)、張(ちょうこう)をとどめ、そのほか要路の固めも万全を尽して、帝は洛陽へ還幸した。
 ときに孔明は漢中にあり、彼としてはかつて覚えなき敗軍の苦杯をなめ、総崩れの後始末をととのえていた。
 すでに、各部隊のあらかたは、続々、漢中へ引揚げていたが、まだ趙雲(ちょううん)との二部隊がかえって来ない。
 その無事を見るまでは、彼はなお一身の労(つか)れをいたわるべきでないと、日々、
「まだか……」と、待ち案じていた。
 趙、 の二部隊は、やがて全軍すべてが漢中に集まった最後になって、ようやく嶮路(けんろ)をこえてこれへ着いた。その困難と苦戦を極めた様子は、部隊そのものの惨たるすがたにも見てとれた。
 孔明はみずから出迎えて、
「聞けば将軍は 芝の隊を先へ歩ませ、自軍は後にし、さらに自身はつねに敵と接し、以てよく最後の殿(しんがり)を果されて来たそうな。老いていよいよ薫(かんば)しき武門の華、あなた如き人こそ真の大将軍というものであろう」
 と、斜めならず、その労をねぎらい、なお庫内の黄金五十斤(きん)と絹一万疋(びき)を賞として贈った。
 けれど趙雲は固く辞してそれを受けない。そしていうには、
「三軍いま尺寸の功もなく、帰するところそれがしらの罪も軽くありません。さるをかえって恩賞にあずかりなどしては、丞相の賞罰あきらかならずなどと誹(そし)りの因(もと)にもなりましょう。金品はしばらく庫内にお返しをねがって、やがて冬の頃ともなり、なにかと物不自由になった時分、これを諸軍勢に少しずつでも頒(わか)ち給われば、寒軍の中に一脈の暖気を催しましょう」
 孔明はふかく感嘆した。かつて故主玄徳が、この人をあつく重用し、この人にふかく信任していたことをさすがにといま新たに思い出された。
 このような麗しい感動に反して、彼の胸にはまたべつに、先頃からまだ解決をつけていない一つの苦しい宿題があった。馬謖(ばしょく)の問題である。
 馬謖をいかに処分すべきかということだった。
「王平を呼べ」
 ついに処断を決するため、彼は一日、重々しい語気を以て命じ、軍法裁きを開いた。
 王平がやがて見えた。孔明は、街亭(がいてい)の敗因を、王平の罪とは見ていないが、副将として、馬謖(ばしょく)へつけてやった者なので、
「――前後の事情を申せ。つつまず当時のいきさつを申し述べよ」
 と厳かに、まず彼の陳述(ちんじゅつ)からさきに訊いたのであった。



 王平はつつまず申し立てた。
「――街亭の布陣には、その現地へ臨む前から、篤(とく)と丞相のお指図もありましたゆえ、それがしとしては、万(ばん)遺漏(いろう)なきことを期したつもりであります。けれど、何分にも、てまえは副将の位置にあり、馬謖は主将たるために、自分の言も聞かれなかったのでありました」
 軍法裁判である。王平としては身の大事でもあったから、馬謖を庇(かば)っていられなかった。なお忌憚(きたん)なく述べ立てた。
「初め、現地に赴くと、馬謖は何と思ったか、山上に陣を取るというので、それがしは、極力、その非を主張し、ついに彼の怒りにふれてしまい、やむなくそれがしの軍のみ、山麓の西十里に踏みとどまりました。けれどひとたび魏の勢(ぜい)が雲霞(うんか)のごとく攻め来ったときは、五千の小勢は、到底、その抗戦に当り得ず、山上の本軍も、水を断たれて、まったく士気を失い、続々、蜀を脱して魏の降人(こうじん)に出る者があとを絶たない有様となりました。……まことに、街亭は全作戦地域の急所でした。一たんここの防ぎが破れだすと、魏延(ぎえん)、高翔(こうしょう)、その他の援(たす)けも、ほとんど、どうすることもできません。――以後の惨澹たる情況はなお諸将よりお訊(き)き願わしゅうぞんじます。それがしとしては唯、その初めより終りまで、丞相のお旨をあやまらず、また最善の注意を以て事に当ったつもりで、そのことだけは、誓って、天地に辱(は)じるものではございません」
「よし。退がれ」
 口書(くちがき)を取って、さらに、孔明は魏延や高翔を呼出して、一応の調べをとげ、最後に、
「馬謖をこれへ」
 と、吏に命じて、連れてこさせた。
 馬謖は、帳前に畏まった。見るからに打ちしおれている姿である。
「……馬謖」
「はい」
「汝は、いとけなき頃より兵書を読んで、才(さい)秀(ひい)で、よく戦策を暗誦(そらん)じ、儂(み)もまた、教うるに吝(やぶさ)かでなかった。しかるに、このたび街亭の守りは、儂が丁寧にその大綱を授けつかわしたにかかわらず、ついに取り返しのつかぬ大過を犯したのはいかなるわけか」
「……はい」
「はい、ではないっ。あれほど、街亭はこれわが軍の喉(のんど)にもあたる所ぞ、一期(いちご)の命にかけても重任を慎しみ守れと、口のすっぱくなるばかり門出にもいい与えておいたではないか」
「面目次第もありません」
「咄(とつ)。乳臭児(にゅうしゅうじ)。――汝もはやもう少しは成人していたかと思っていたが、案外なるたわけ者であった」
 憮然(ぶぜん)として痛嘆する孔明の呟きを聞くと、馬謖(ばしょく)は日頃の馴れた心を勃然(ぼつぜん)と呼び起して、その面にかっと血の色をみなぎらして叫んだ。
「王平は、何と申し立てたか知りませんが、あれ程な魏の大兵力が来たんでは、誰が当ってもとても防ぐことは難しいでしょう」
「だまれ」
 睨(ね)めつけて、
「その王平の戦いぶりと、汝の敗北とは、問題にならない程ちがう。彼は、麓に小塞(しょうさい)を築いて、すでに蜀軍が総崩れとなっても、小隊の隊伍を以て、整々とみだれず、よく進退していたため、敵も一時は彼に伏兵やある、なんらかの詭策(きさく)やある、と疑って敢えて近づかなかった程だったという。――これは蜀全軍に対して後の掩護(えんご)となっておる。――それにひきかえ汝は備えの初めに、王平の諫めも用いず、我意を張って、山上に拠るの愚を敢えてしているではないか」
「そうです。けれど兵法にも……高キニ拠(ヨ)ッテ低キヲ視ルハ勢イスデニ破竹……とありますから」
「ばかっ」
 孔明は耳をふさぎたいような顔をしていった。
「生兵法(なまびょうほう)。まさに汝のためにあることばだ。今は何をかいおう。――馬謖よ。おまえの遺族は死後も孔明がつつがなく養ってとらせるであろう。……汝は。汝は。……死刑に処す」
 いい渡すと、孔明は、面(おもて)をそむけて、武士たちの溜りへ向い、
「すみやかに、軍法を正せ。この者を曳き出して、轅門(えんもん)の外において斬れ」
 と、命じた。



 馬謖(ばしょく)は声を放って哭(な)いた。
「丞相、丞相。私が悪うございました。もし私をお斬りになることが、大義を正すことになるならば、謖(しょく)は死すともお恨みはいたしません」
 死をいい渡されてから、彼は善性をあらわした。それを聞くと孔明も涙を垂れずにはいられなかった。
 仮借(かしゃく)なき武士たちは、ひとたび命をうくるや、馬謖を拉(らっ)して轅門(えんもん)の外へ引っ立てたちまちこれを斬罪に処そうとした。
「待て。しばし猶予(ゆうよ)せい」
 これは折ふし外から来合せた成都の使い、蒋(しょうえん)の声だった。彼はちょうどこの場へ来合せ、倉皇、営中へ入って、すぐ孔明を諫(いさ)めた。
「閣下、この天下多事の際、なぜ馬謖(ばしょく)のような有能の士をお斬りになるのか。国家の損失ではありませんか」
「おお、蒋 か、君のごとき人物がそんな事を予に質問するのこそ心得ぬ。孫子もいった。――勝チヲ天下ニ制スルモノハ法ヲ用ウルコト明ラカナルニ依ル――と。四海わかれ争い、人と人との道みな紊(みだ)るとき、法をすて、何をか世を正し得べき……ふかく思い給え、ふかく」
「でも、馬謖は惜しい、実に惜しいものだ。……そうお思いになりませんか」
「その私情こそ尤(ゆう)なる罪であって、馬謖の犯した罪はむしろそれより軽い。けれど、惜しむべきほどな者なればこそ、なお断じて斬らなければならぬ。……まだ斬らんのか。何をしておる。早く、首をみせよ」
 孔明は、侍臣を走らして、さらに催促させた。――と、間もなく、変り果てた馬謖のすがたが、首となってそこへ供えられた。ひと目見ると、孔明は、
「ゆるせ、罪は、予の不明にあるものを」
 と、面(おもて)を袖におおうて、床(ゆか)に哭(な)き伏した。
 とき蜀の建興六年夏五月。若き馬謖はまだ三十九であったという。
 首はただちに、陣々に梟示(きょうし)され、また、軍律の一文が掲げられた。
 その後、糸をもって、胴に縫いつけ、棺にそなえて、あつく葬られた。かつ、その遺族は、長く孔明の保護によって、不自由なき生活を約されたが、孔明の心は、決して、慰められなかった。
 ――罪、我にあり。
 孔明の自責は、みずから刃(やいば)を身に加えたいほどだった。しかし蜀の危急はさし迫っている。なおかつ先帝の遺託もある。彼は身の重責を思うと死ぬにも死ねない思いを新たに持つ。そして遂に、こういう形をとるほかなかった。
 成都へ帰る蒋(しょうえん)に託して、彼は一文を表して、蜀帝に奏した。
 それは全章、慙愧(ざんき)の文ともいうべきものだった。このたびの大敗が、帰するところまったく自己の不明にあることを深く詫び、国家の兵を多大に損じた罪を謝して、
(――臣亮(りょう)は三軍の最高に在りますために、たれも臣の罪は罰するものがありません。故に、自分みずから臣職の位(くらい)を三等貶(おと)して、丞相の職称は宮中へお返し申しあげたいとぞんじます。ねがわくはしばし亮の寸命だけはおゆるしおき希(ねが)います)
 という意味のものだった。
 帝は大敗の報に非常に胸をいためておられたところであるが、孔明の表を読むやなお心を悩まされ、勅使を派して、
「丞相は国の大老である。一失ありとて、何で官位を貶(おと)してよいものぞ。どうか旧(もと)の職にとどまってさらに、士気を養い、国を治めよ」
 と、伝えさせたが、
「すでに、馬謖(ばしょく)を斬って、法の尊厳をあきらかにしたものを、私みずからそれを曖昧(あいまい)にするようなことでは、到底、このさきの軍紀を正し、蜀の国政にあずかることもできません」
 孔明はそう拝答するのみで、どうしても旧職に復さなかった。
 やむなく朝廷でも、ついに彼の希(ねが)いを容れ、同時に丞相の称を廃して、
「以後は、右将軍(うしょうぐん)として、兵を総督せよ」
 と、任命した。
 孔明はつつしんで拝受した。

・・・   ・・・   ・・・



                 
        

館林美術館に咲いている睡蓮を眺めつつ、蕗谷虹児画集「睡蓮の夢」を想う。

2021/ 08/ 03
                 

 微睡の何を見たのか睡蓮に花嫁姿夏巡りくる


 スイレン3


蕗谷虹児は幾つかの画集を出しています。

 「睡蓮の夢」もその一つです。

 蕗谷虹児画集睡蓮の夢1

 蕗谷虹児画集睡蓮の夢2.



 群馬県立館林美術館別館.
  〈館林美術館別館〉


知っている人は知っている、蕗谷虹児の詩の一つを、私は諳んじています。
「花嫁人形」は、27歳で逝った母を、虹児が思慕して生まれた詩であるともいわれています。
そういえば、彼が「花嫁」と題した作品が、記念切手にもなっていました。ご存知でしたか。

 スイレン2


花嫁人形

金らんどんすの 帯しめながら
花嫁御寮は なぜ泣くのだろ

文金島田に 髪結いながら
花嫁御寮は なぜ泣くのだろ

あねさんごっこの 花嫁人形は
赤いかのこの 振袖着てる

泣けばかのこの たもとがきれる
涙でかのこの 赤い紅にじむ

泣くに泣かれぬ 花嫁人形は
赤いかのこの 千代紙衣装

  〈作曲:杉山長谷夫〉


 記念切手「花嫁」
 花嫁切手見本



スイレン1



                 
        

世界三大美女 山口県の楊貴妃と小野小町の墓

2021/ 07/ 31
                 


 貴婦人を愛でる旅路に思いのせ
 

 2-1SLやまぐち号
 〈SL「やまぐち号」/2016年5月〉

 
 2-2瑠璃光寺五重塔
 〈瑠璃光寺五重塔/2016年5月〉



こんにちは。
世界三大美女として崇めるその人の名は、クレオパトラ、楊貴妃、ヘレネ―。
いや、ヘレネ―はギリシャ神話という神話の世界に登場する美人だから、ここはやはり実在の人物ということで、クレオパトラ、楊貴妃、そして小野小町が世界三大美人である。と。・・・
 ところで、ヘレネ―のお墓の所在如何はさておくとして、クレオパトラのお墓の場所がどこにあるのかは現在のところ不明のようです。
一方で、楊貴妃のお墓や、小野小町のお墓はいたるところにあるようです。
小野小町のお墓にいたっては、10以上日本各地に点在しているそうです。
そして、なんと、山口県には、小野小町のお墓の他に、楊貴妃のお墓までがあるのです。

 美女は、花の美しさにも譬えられます。
 ハスの花も然りですね。
 美しさを愛でる日本人。
 お墓詣で巡りも、ときに、旅情をなぐさめることにもなるのでしょうか。


  小野小町の墓・・・山口県下関市川棚
 1-2小野小町の墓入り口


  楊貴妃の墓・・・山口県長門市向津具久津
 1-1楊貴妃ロマンロード表示板

                 
        

あきらめることをあきらめさせてくれてありがとう 青木瀬令奈さんのお礼の言葉

2021/ 06/ 15
                 

 風が吹く風が決めると雲の言う心の窓に一燈を点け


 赤城山
  (「赤城山」の裾野に広がるのは前橋市)

「宮里藍 サントリーレディスオープンゴルフトーナメント」の時の優勝スピーチの中では触れていなかったですが、将来に対する不安があって、今年28歳になった頃の青木瀬令奈さんは、「何歳までにしようかな、とか終りを決めかけていた」と引退を意識するほど落ち込んでいたそうです。
3日目に「66」をマークしたラウンド後の会見でも、「コロナでいろいろ考える方も多かったと思うけど、私も潮時を考え始めてしまっていた」と、同様の思いがあったことを明かしています。

青木瀬令奈さん、四年ぶりの二度目の優勝おめでとうございます。
コーチ兼帯同キャディの大西翔太氏に伝えた言葉。
「あきらめることをあきらめさせてくれてありがとう」

青木瀬令奈さんは、1993年2月8日に群馬県前橋市で生まれました。
2011年7月28日にプロテスト合格しています。
ホールインワンは三度達成。
生涯獲得賞金額は、今回の優勝で2億円を超え、224,283,340円となりました。(賞金額順位は114位.2021年6月13日現在)


 ヒマワリ一輪20140807


ところで、青木瀬令奈さんのティーショットの平均飛距離218.03ヤードはツアーランキングで89位ですが、「アプローチとパターが自分の生命線」。と、おっしゃっています。
アイアンは4本でユーティリティーを多用するセッティングとショートゲームの技術で、5季連続シードを確保しています。


今回の青木瀬令奈のクラブセッティング

・ドライバー:ダンロップ ゼクシオ エックス(8.5度) シャフト:UST マミヤ ATTAS COOL(硬さSR、45.75インチ)

・フェアウェイウッド:ダンロップ スリクソン Z F85(3番15度)、ダンロップ ゼクシオ テン(5番18度、7番20度、9番23度)

・ユーティリティ:スリクソン ZH65ハイブリット(5番25度、6番28度)

・アイアン:スリクソン ZX5(7番、8番)、スリクソン ZX7(9番、PW)

・ウェッジ:グラインドスタジオ プロトタイプ(52度、58度)

・パター:オデッセイ トリプル・トラック TEN パター

・ボール:スリクソン Zスター XV ボール




 ※ご参考:2020年の 青木瀬令奈のクラブセッティング
・ ドライバー:ゼクシオエックス
・ フェアウェイウッド:スリクソンF85(3W)
・ フェアウェイウッド:ゼクシオ イレブン(5/7/9W)
・ UT:スリクソンH65(5UT/6UT)
・ アイアン:ゼクシオエックス(7I~PW)
・ ウエッジ:ゼクシオエックス(AW)/グラインドスタジオ プロト(SW)
・ パター:スコッティキャメロンニューポートⅡ
・ ボール:スリクソンZスターXV



                 
        

その一打・・・ガッツポーズ…万歳…松山英樹選手

2021/ 04/ 15
                 

 勝てる人その一打こそ勝った人松山選手待っていました




ありがとう、松山英樹選手。
その瞬間を見届けることができました。
おめでとうございます。
一打差の重み。



笑顔が素敵でした。