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60年前「皇太子殿下御成婚記念」切手 昭和34年4月10日(金)  旧暦3月3日

2019/ 04/ 10
                 

 春休みが終わって新しい年度が始まりました。
 姉は高校生となりました。
 1年生になったばかりです。彼(か)の女(ひと)の気性からいって遅刻はできません。
 小学生の弟に、「皇太子殿下御成婚記念」切手を本局まで買いに行くアルバイトを提案しました。
 姉のたっての頼みです。弟は快諾しました。
 久しぶりに朝早く起きて行列に並びました。
 私の後も長蛇の列となっています。
 
 リクエスト通りの記念切手シールを手に入れることができました。

 誰か知っている人も並んでいるかなと思いながら、まだまだ延々と続いている行列の中ほどに目をやりました。
 見つけました。

 姉でした。



 皇太子殿下御成婚記念切手ー3- -

 皇太子殿下御成婚記念切手 -2-

 皇太子殿下御成婚記念切手ー1-

 
                 
        

天皇皇后両陛下 新しい御代「令和」 お健やかに安らかにおすごしください 

2019/ 04/ 01
                 
  ・・・ 私は結婚により、私が大切にしたいと思うものを共に大切に思ってくれる伴侶を得ました。皇后が常に私の立場を尊重しつつ寄り添ってくれたことに安らぎを覚え、これまで天皇の役割を果たそうと努力できたことを幸せだったと思っています。・・・


 1 天皇陛下・皇后陛下  切り絵赤・表正面 正

  天皇陛下は、平成25年(2013年)に傘寿を迎えられ、誕生日にあたっての記者会見(12月18日、宮殿)において、八十年の道程を振り返られながら、皇后美智子さまをかく語っておられます。



 御製(ぎょせい) 
 五十余年吾(いそよとせあ)を支えし来し我が妹(いも)も七十七(ななとせなな)の歳迎えたり

   2 -1 天皇陛下・皇后陛下  切り絵黒・表正面 正


 〈註1:平成23(2011)年10月20日、皇后さまは七十七歳のお誕生日をお迎えになり、両陛下共に七十七歳におなりになった。この御製は、御成婚後皇后さまと共にお過ごしになった日々を振り返ってお詠みになったもの。・妹=妻=皇后〉


 御歌(みうた)
 語るなく重きを負(お)ひし君が肩に早春の日差し静かにそそぐ

  3-1 天皇陛下・皇后陛下  切り絵背面赤・表正面 副

 〈註2:天皇陛下は、長い年月、ひたすら象徴としてとしてのあるべき姿を求めて歩まれ、そのご重責を、多く語られることなく。静かに果たしていらっしゃった。この御歌は、そのような陛下のこれまでの歩みをお思いになりつつ、早春の穏やかな日差しの中にいらっしゃる陛下をお見上げになった折のことをお詠みになっている。
平成30年歌会始「御題:語」〉



御製
贈られしひまわりの種は生え揃ひ葉を広げゆく初夏の光に

   4-1天皇陛下・皇后陛下  切り絵背面黒・面正面 副

 〈註3:平成17(2005)年に阪神・淡路大震災十周年追悼式典のため兵庫県に行幸啓になった折、御懇談になった遺族代表の少女から両陛下に「はるかのひまわり」の種子が贈られた。両陛下はこの種を御所のお庭にお播きになり、翌年以降も毎年、花の咲いた後の種を採り育て続けてこられた。この御製は、このヒマワリが成長していく様をお詠みになったもの。
 ※「はるかのひまわり」は、阪神・淡路大震災で犠牲になった当時小学校六年生の加藤はるかさんの自宅跡地にその夏に咲いたヒマワリで、地元の人々が鎮魂と復興の象徴にと、種子を採って各地にひろげたもの。平成31年歌会始「御題:光」〉



御歌
今しばし生きなむと思ふ寂光に園(その)の薔薇(さうび)のみな美しく

 1 -1 天皇陛下・皇后陛下 反転 切り絵赤・表正面 正

 〈註4:高齢となられ時にお心の弱まれるなか、一(ひと)夕、御所のバラ園の花が、寂光(じゃつこう)に照らされ、一輪一輪浮かび上がるように美しく咲いている様(さま)をご覧になり、深い平安に包まれ、今しばらく自分も残された日々を大切に生きていこうと思われた静かな喜びのひと時をお詠みになっている。平成31年歌会始「御題:光」〉



〈註1~註4:「道 天皇陛下御即位三十年記念記録集 平成二十一年~平成三十一年」.平成31年(2019年)3月20日第1刷発行.編者宮内庁.発行所NHK出版による。・「御製」、「御歌」は同書及び宮内庁公式サイトから転記。〉



                 
        

太宰治生誕110年 太宰かわら版 小栗旬主演映画人間失格

2019/ 03/ 27
                 
 
 2018年9月27日、青森県五所川原市ホームページの観光情報に、
― 太宰治生誕110年情報発信ウェブサイト及びSNS「太宰かわら版」が公開されました。 ―
の記事がアップされました。

 2019年6月19日(水)に生誕110年を迎える、五所川原市金木町出身の作家太宰治に関する情報発信源です。

 21太宰治生誕110th 20190619



 
 2018年12月28日の「太宰かわら版」には、「人間失格」の映画が、2019年9月に公開となること、主演は小栗旬であることなどが紹介されています。
 公開前に太宰治の生家などについて知っておくとより一層映画を楽しめるかも知れません! 
 皆様ぜひ青森県五所川原市にお越しください。
と、言葉を結んでいました。

       22太宰治生誕110th 2019年6月19日


    太宰かわら版
     https://www.dazai-osamu.com/
   太宰かわら版

 4月に入るとどのようなイベントが紹介されるのか、楽しみです。


                 
        

時代の証言者 落語道を走る 三遊亭小遊三 72 ①

2019/ 03/ 26
                 
 
 落語の名跡、ご存知三遊亭の「高崎扇」は、三遊亭圓朝が、ときの高崎藩主大河内松平家十一代大河内輝声(おおこうちてるな)に使用を願い出て許認された定紋です。

   32 高崎扇
      高崎扇


   31 三遊亭圓朝
     三遊亭圓朝  

   ―――――――

 読売新聞、2019年(平成31年)3月21日の朝刊に、

春風亭昇太さん 芸協の新会長に

の一段記事が載っていました。
顔カラー写真入りの11行の記事です。
  日本テレビ系の演芸番組「笑点」〈※注1〉の司会者として知られる落語家、春風亭昇太さん(59)=写真=が、所属する落語芸術協会の新会長に内定したことが20日わかった。同協会が明らかにした。6月に開かれる総会で正式決定する。

    ―――――――

 〈※注1:番組発足にあたって「笑点」(1966年5月15日第1回放送〉とした名付け親は、当時の落語協会所属の立川談志です。
 三浦綾子の小説タイトルの「氷点」を捩って「笑点」とつけたと、私のうろ覚えの記憶〈※註2〉が伝えています。
 ※註2:「氷点」(朝日新聞連載1964年12月9日~1965年11月14日).1965年刊行.1966年テレビドラマ化.「続氷点」(朝日新聞1970年5月12日~1971年5月10日朝日新聞連載).1971年刊行.1971年テレビドラマ化.〉

    ―――――――

 読売新聞朝刊連載の「時代の証言者」。
 3月21日(木)から始まった三遊亭小遊三(さんゆうていこゆうざ)さんの「落語道を走る」。
 小遊三さんは、1947年(昭和22年)3月2日生まれで、山梨県大月出身です。
 1968年、三代目三遊亭遊三に入門。1983年、真打昇進。日本テレビ系「笑点」の大喜利メンバーに加わる。1980年度と2001年度に文化庁芸術祭優秀賞受賞。現在、落語芸術家協会会長代行兼副会長。
などと、新聞記事のプロフィール欄に記載されていました。


                 
        

アマテラスの最期の旅 早坂暁   渥美清 桃井かおりさん

2019/ 03/ 23
                 
 「寅さんとのお別れ会」。
平成8年(1996年)8月13日、松竹大船撮影所で開かれた渥美清(1928年3月10日‐1996年8月4日〈64歳没〉)のお別れ会で、早坂暁(はやさかあきら.1929年8月11日‐2017年12月16日〈88歳没〉)も弔辞をよんでいます。



 アマテラスの様子がおかしいので、ここ数日は可能なかぎり彼女のそばから離れないようにしていた。
 アマテラスは私の住んでいる東京・渋谷の公園通り界隈(かいわい)で、もっとも長命なメス猫である。少なくとも十五年以上は生きているから、人間でいえば八十歳はゆうに超えている。
 なぜアマテラスと名が付いているかといえば、公園通り界隈の、数十匹の猫たちをたどれば、みなアマテラスにたどりつくからである。
     ――――――――――
 うずくまったまま、もう食べることも、水を飲むこともしなくなったアマテラスが、ゆるりと体を起こした。よろよろと山手線の線路のほうへ坂道を下っていく。
 「とうとう死にに行くのだ・・・・・・」
 私はゆっくりとアマテラスの後を追った。何百匹と公園通りの“自由猫”につき合ってきたが、一度もどこで死ぬのか教えてくれなかった。死にぎわがくると、ふっと姿を消してしまうのだ。ビルの谷間や、わずかな空き地をさがすが、一匹の死体も見つけることができない。「一度だって、鳥やケモノの行き倒れを見たことがありません」と俳人山頭火が話していたが、動物たちの死に際の見事さには感心してしまうばかりだ。
 アマテラスは、よろめいては立ちどまって休む。無理はない。空海が死ぬ時のように五穀絶ちをしているのだ。死ぬ直前は水絶ちである。もう死が目の前まで迫っていると、アマテラスは感じて歩きはじめたにちがいない。どうやって、その死の接近を感知できるのか。空海は、自分の方から意志的に死に接近して行っている。つかまれるのではなく、つかみに行っているのだ。アマテラスも、まさかそうしているのか。あるいは、そうかも知れない。そうでなければ猫たちは何百匹も人目に死体をさらさずに死にとげることは、むつかしい。
 予告した三月二十一日、空海は高野山の御影堂でまさに死に触れようとした瞬間、とり囲んだ弟子たちに、「お言葉を」とせがまれる。触れようとする”死“ がどんなものか教えてくれというのだ。空海は答えている。
 「生まれ、生まれ、生まれて生の始めに冥(くら)く、死に、死に、死に、死の終わりにも暗し」
 まさに死に触れ、超クローズアップで死を感じた空海の”実況中継”に、私たちは戦慄(せんりつ)する。ああ、しかし、死は生まれる始めのように暗いのかと安心もする。生まれる始めの記憶は失われているが、苦痛に満ちたものなら、きっと記憶に残っているだろう。
    ―――――――
 アマテラスは山手線にぶつかった所で左折した。ゆっくりと線路ぞいに長い坂を登りはじめた。おしりからは、赤い血が少しだが流れている。ふと私は釈尊の最期の旅を想(おも)った。八十歳を数えて、釈尊は老衰される。「自分の体は、古びた車が皮紐(ひも)であちこち縛りつけられて、やっと動いているようなものだ」。アマテラスの体が、そっくりそのままだ。釈尊は死を予知して、マカダの城から北に向かって急がない旅をはじめている。急ごうにも急げない最期の旅は、ひどい下痢と腹痛に悩まされた。たぶん、大腸癌(がん)であったろうと現代の医師たちは推量している。
  アマテラスも、腸の癌だから、あんなにおしりから血を流しているのだろう。それにしても、どこまで歩くのか。この道には死体を隠してくれるような場所はない。向こうに明治神宮が見えてきた。ああ、あの森の中で死ぬのだ。あそこなら、立ち入り禁止で、誰(だれ)の目に触れることもない。しかし、まだ二百㍍の坂道が続く。これだけの余力を残して、北への最期の旅に出かけたアマテラスに、私は驚嘆している。立ちどまり、うずくまり、また歩きはじめる。すさまじい意志の力が、こちらに伝わってきて、私は泣きそうになっていた。「人間はみっともなく、おろおろするばかりなのに、君たちは立派だ・・・・・・」。十年前、癌で死を宣告されたとき、ひとしきり混迷した自分が恥ずかしくなっている。
    ―――――――
 とうとう、坂を登りきった。あとは広い車道を横切って、神宮の森に入るだけだ。しかし車の通行が激しくて、アマテラスは渡れない。そこは信号のない場所だ。見かねて、私は車道に出て、車をとめた。「さあ、渡れ、アマテラス」。妙な男が手をあげて車をとめ、その前を、老衰した猫がヨロヨロと、時間をかけて渡って行く。非難の警笛に耐えて、とうとうアマテラスを横断させた。もう彼女の力がつき果てようとしているのは、誰の目にも分かる。せまいコンクリート柵(さく)のすき間に、アマテラスは体を押し込むようにして、深い闇(やみ)をみせる明治神宮の森の中へ入って行った。私は猫語が分かったら、空海の弟子のように、アマテラスの見て、触っている死の光景と感触を聞いてみたかったのだ。
 神宮の森の中には、私の交際した公園通りの猫たちが、立派に“覚悟死”をとげているのだろう。釈尊の最期は”諸行は老衰の法なり“と訓戒されたそうだが、私もきのう、猫たちから、大きな訓戒をもらったようである。
 平成5年(1993年)2月5日 朝日新聞(夕)  散◉策◉思◉索



 ◇1990年 『公園通りの猫たち』で、第6回講談社エッセイ賞受賞。
 ◇2018年8月1日  NHK・BS「早坂暁を探して~桃井かおりの暁さん遍路~」で、かおりさんが、暁(ぎょう)さんが死んだら、女優を辞めようと思っていた。と話しています。
 ご存じ『花へんろ』で母親役をつとめた桃井かおりさんは、当時、役者稼業から足を洗っていた雌伏の時期でした。
 早坂暁からの一本の電話で、彼女は本格的に俳優業に復帰し、その後12年にわたって主役・静子をつとめることとなりました。