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誕生日のご馳走はとんかつでした。

2021/ 03/ 18
                 

 誕生日とんかつ嬉しおご馳走礑とひれ伏し友の詫び声


 二十数年ぶりのとんかつ.
  〈二十数年ぶり手作りの「とんかつ」.パルミット、キャロットラペ、プチトマト、キュウリ、キャベツの千切り.〉


なか君、すみませんでした。
君がとんかつが大嫌いだったということを知らずに、私の誕生日に招いたことを。
「すみません。私はとんかつは食べられないのです。」と、畳の上に深々と頭を下げて、私のちちははに謝ったなか君。
 ごめんなさい。申し訳けありませんでした。
 あのとき、私こそが、謝るべき人間だったこと。


 
  信濃の国
   作詞 浅井 洌(れつ/きよし)
   作曲 北村 季晴(すえはる)
1.
信濃の国は十州(じっしゅう)に 境(さか)い連(つら)ぬる国にして
聳(そび)ゆる山は いや高く  流るる川は いや遠し
松本 伊那 佐久 善光寺  四つの平(たいら)は肥沃(ひよく)の地
海こそなけれ 物さわに  万(よろ)ず足(た)らわぬ事ぞなき
2.
四方(よも)に聳(そび)ゆる山々は  御嶽(おんたけ) 乗鞍(のりくら) 駒ヶ岳
浅間(あさま)は殊(こと)に活火山  いずれも国の鎮(しず)めなり
流れ淀まず ゆく水は  北に犀川(さいがわ) 千曲川(ちくまがわ)
南に木曽川 天竜川 これまた国の固(かた)めなり
3.
木曽の谷には真木(まき)茂(しげ)り  諏訪(すわ)の湖(うみ)には 魚(うお)多し
民(たみ)のかせぎも豊かにて  五穀の実らぬ里やある
しかのみならず桑とりて  蚕飼(こが)いの業(わざ)の打ちひらけ
細きよすがも軽(かろ)からぬ  国の命を繋(つな)ぐなり
4.
尋(たず)ねまほしき園原(そのはら)や  旅のやどりの寝覚(ねざめ)の床(とこ)
木曽の棧(かけはし) かけし世も  心してゆけ久米路橋(くめじばし)
くる人多き筑摩(つかま)の湯  月の名に立つ姨捨山(おばすてやま)
しるき名所と風雅士(みやびおが)  詩歌(しいか)に詠(よ)みてぞ伝えたる
5.
旭将軍義仲(よしなか)も  仁科(にしな)の五郎信盛(のぶもり)も
春台(しゅんだい)太宰(だざい)先生も  象山(ぞうざん)佐久間先生も
皆(みな)此この国の人にして  文武の誉(ほまれ) たぐいなく
山と聳(そび)えて世に仰(あお)ぎ  川と流れて名は尽つきず
6.
吾妻(あずま)はやとし 日本武(やまとたけ)  嘆(なげ)き給(たま)いし 碓氷山(うすいやま)
穿(うが)つ隧道(トンネル)二十六  夢にもこゆる汽車の道
みち一筋に学びなば 昔の人にや劣(おと)るべき
古来山河の秀(ひ)いでたる国は偉人のある習い



                 
        

二人の級友が水を飲み過ぎて学校を休んだこと

2021/ 03/ 17
                 

 100メートルトップ争う級友が水飲み競い学校休む


 野岸小学校校章


 小諸時代のことです。
 真夏だったと思います。
 日曜日、二人の級友がわが家に遊びに来ました。
 どういう経緯でそうなったのか、今となっては思い出すことができませんが、みつ君とさと君が、水が美味しいと言ってガブガブ飲み始めました。
 そして、いつの間にか二人は飲み比べを競い合っていたのでした。
 二人は小学校の運動会におけるわが組の短距離競争のホープです。ちなみに私は三番手のいつものことながら補欠に回る立場でした。

 二人ともにもう飲めないやといった時は、お互い何杯飲んだことになったのでしょうか。おそらく私はその時行司役になっていたのかも知れませんが、ただただ呆れかえっていたというところが本当のところだと思います。

 二人はともに、翌日の月曜日、学校に来ませんでした。
 
 

  野岸小学校校章
 野岸小学校校章 - コピー

梅花教育の精神は、当時の小諸小学校の唱歌に 次のように歌われています。
 胸にかざせる梅の花  
  これが我が校の徽章なり
 雪にも霜にもうちたえて  
  万の花にさきがけて
   良き香を放つ梅の花
 学びの道もかくしてぞ
   千代の香の花も咲く  
 いざ勉めなん勤勉を


  小諸市立野岸小学校校歌 - コピー

                 
        

じゅん散歩見て、矮鶏(ちゃぼ)飼ったことを思い出しました。

2021/ 03/ 16
                 

 過ぎ去りし彼方の空に矮鶏の鳴く生命飼うこと父に教わり


 1彼方の空.


 父は、こどもたちに、ときに兎を、ときに鶏を飼わせました。
 鶏は卵を生まなくなると、業者に引き取られました。
 兎も大きくなると、業者に引き取られました。
 父は、わずかながら得たお金を、こどもたちの貯金に回しました。
 飼うということは育てることです。こどもたちにとって日々の餌やりという勤めになります。
 働くことによって対価を得ます。
 得た収入は貯金という方法で蓄えられます。
 貯金が増え続けるということは、こどもたちの未来の投資原資の一部に充当できます。

 テレビ朝日の「じゅん散歩」・・・1歩歩けば、そこに一つの出会いが生れる・・・
 この日の高田純次さんの足跡は、「馬事公苑」のタイトルのもと、「馬事公苑けやき広場」、「東京農業大学〈食と農の博物館〉」、「東京農業大学」の散歩コースとなりました。

 「食と農の博物館」には、日本の鶏のはく製が幾種類も展示されていました。
 この鶏は?と純次さん。
 それは矮鶏で、観賞用ですとの答え。
 ・・・矮鶏は観賞用なのかと。
 画面を見ながら思い出したのは、小諸に住んでいた時、矮鶏のつがいも飼っていたことを思い出したからです。
 可愛らしい卵も時折見かけましたが、レグホンが毎日といっていいように生み落としていたのに比べて、なるほど、矮鶏は飼育用には向いていないのが得心できた次第です。
 そういえば、年老いた矮鶏の行く末は聞かず仕舞だったことを思い出しました。・・・


                 
        

トンボ目の奥 そは誰(たれ)ぞ

2020/ 07/ 23
                 

 目クルクルトンボと遊ぶ幼き日

 そは誰ぞトンボ目の奥何を見る

 トンボ



 笠にとんぼをとまらせてあるく   山頭火


 誰にでも思い出はあります。
 田舎があったおかげで、今でもこみ上げてくる記憶があります。
 私の田舎は一つではないのです。
 幾つもあります。
 父の転勤々で、小さいころからあちこちの土地に住みました。
 川があり、山があり、坂道があり、野原がありました。



 

                 
        

植物散歩 おけら ・・・ちち・・・

2020/ 06/ 29
                 

 父愛でる在りし日偲ぶ山野草

 父植えし庭百八つの山野草

  202水芭蕉


 8月29日は、父の命日です。
 『エッセイと探求 植物散歩』通巻11が、勉強部屋の書棚に置かれていました。6月26日のことです。


 恋しけば袖も振らむと武蔵野(むざしの)のうけらが花の色に出(ず)なゆめ  
 ―万葉集 巻十四東歌3376―
   〈「うけら」=「おけら」〉


 201 おけら.

 おけら

 おけらという奇妙な名前の草がある。
 又一方、虫にも、おけらと俗に呼ばれるものがある。辞書をひくと、虫のけら〔螻蛄〕は、直翅目の昆虫、コオロギに似て、体長約三センチメートル、前胸は卵形に膨大し、暗褐色で硬化した前翅と短小な後翅とを有する。前翅は大きく、土を掘るのに適する。昼間は土中に潜み、夜、飛び、よく燈火に来る。農作物を食害、夜間涼しい声を出して鳴く、これを俗に「みみずが鳴く」という。と説明されているが、百聞は一見に如かずで説明よりも現物を一度見ればわすれられない、いやらしい虫である。
 
  ツタ203 アケビ

 ここに述べるのは草の方のおけらである。
余り知られていないものなので、又辞書の説明を見よう。

 おけら〔朮〕、キク科の多年草、茎は下部木質、春宿根から出た若芽は多くの白軟毛を被る、高さ約六〇センチメートル、葉は硬質で鋭い刺状の鋸歯をもち、深く羽状に分裂することも多い、秋、白色、まれに淡紅色の頭状花を開き、周囲に総苞を具える。根は漢方の健胃薬、屠蘇散とし、また、蚊遣りに用いる。若芽は食用、古名「うけら」と説明されている。

  204庭の野草

 この草の特徴は、人の目につかない目立たないことにあるので、山歩きしても余り気がつかないのである。従って知っている人も余り無いのではなかろうか。この草を何年か前に垣根のそばに、ちからしばと並べて植えておいた。気付く人は無いだろうと思っていたところ、此の間(冬の寒さの残る三月)これの枯れた茎の上の惚けた枯花(総苞の形がおおしろい)の様子が目にとまり、欲しいと申し込まれたのには、ビックリしたのである。おけらよ、お前を見い出して下さった方に感謝せよ、と心の内で思ったことである。

  207福寿草

 茶の湯の心得のある方らしく、茶室にでも飾るのではないかと、想像してみたのである。茶花として売られているものもいろいろとあるのであろうが、おけらの花は売られていないであろう。又、山草を売っているところにも、おけらは見当たらないであろう。

  ムベ.

 私が、このおけらという草を知ったのは、松田修氏の「日本の花」からである。そして、万葉の恋歌も知ったのである。
 恋しけば 袖も振らむと 武蔵野の うけらが花の
 色に出なゆめ
 恋しいから袖も振りましょう、しかし武蔵野のうけらの花の目立たないように、世間の人達に知られないように、こっそりとふるまいましょう、とでも解釈したらよろしいか。
 万葉人は、ほんとにつまらぬ草にも、その特徴を、実によくつかんで、恋歌にまで読み込んでいるものと、感心する他はない。