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時代の証言者 森は海の恋人 畠山重篤 少年時代 雪の季節

2018/ 12/ 28
                 

 ・・・ 少年時代、雪の季節といえば「そり遊び」です。自宅は海抜25メートルの高台にあり、玄関から海辺までが70メートルほどの下り坂を滑って、転んで遊びました。スキー板や橇(そり)はとても買うことができませんから、道具は手づくりです。太い竹を半分に割いて節を削り、先を火であぶって短いスキー板のようなものを両脚につけて滑り降りました。
 カチンカチンに凍った近くの田んぼでは「下駄(げた)スケート」をしました。文字通り、左右の下野の下に鉄の棒をつけ、それをスケート靴がわりにするのです。・・・ 

 2018年12月22日(土)、読売新聞朝刊の「森は海の恋人」シリーズ⑤の一節です。

 信州小諸にいた当時のことを思い出しました。
 子どもたちの遊びといったら、家の中でのことよりも外でのあれこれの方が多かったように思います。
 篠竹で弓を作りました。弦も矢も自前です。
 雪が降れば、「森は海の恋人」の作者と同じようにして、竹スキーをつくりました。ソリは林檎箱の下に割った竹を半分づつにしてくくりつけます。
 鉄の棒を付けた下駄スケートは、街中で売っていたものを使いました。
 千曲川のダム下の広い水面は氷が張り、絶好のスケート場となっていましたが、危険ということでそこでは滑らせてもらえませんでした。
 野岸小学校の校庭の日陰が、毎冬スケートリンクとなっていました。
 
 小諸は懐古園や島崎藤村所縁の土地でも知られていますが、浅間山の裾野のから千曲川までに面した斜面に寄り添った場所にあります。
 家から小学校まで、往(い)きは上り坂、復(かえ)りは下り坂となります。
 先ほどグーグルマップで検索してみたところ、片道2㎞ほどの距離だったということが判りました。


 (※:このところ予約投稿が多くなっています。)


 〈追記※ハクチョウのこと:毎日、冬水田んぼに行っていますが、まだ姿を現していません。前のシーズンの初飛来は元旦だったそうです。〉
                 
        

福寿草

2018/ 02/ 12
                 
 前橋の家の庭の福寿草です。
 今年はいつもの年に比べて、遅く咲き始めたのかなというように感じました。
 雪もあちらこちらに残っていました。
 
 昨日(2月9日)はウグイスが二羽やってきたそうです。
 あゝもうそういう時期になっていたんだ・・・と、兄夫婦がお互いに話したとのこと。
 というのは、私もその場にいたのですが、昨年の2月10日、ウグイス一族郎党が庭に訪れたときのことを思い出したからだそうです。



  福寿草(2018年2月10日)
前橋 福寿草 20180210



                 
        

福寿草 旧正月

2018/ 01/ 27
                 

 2013年2月10日に撮った福寿草です。
 前橋の家の庭の福寿草です。
 この日は、旧正月でした。

福寿草 2013年2月10日




 今年の旧正月は、2月16日です。
 
 
 来年以降の旧正月をなぞってみることにいたしましょう。

 2019年は2月5日、その翌年東京オリンピックの年は1月25日、
 以降、2月12日、2月1日、1月22日と続きます。
 そして2024年の正月が、2月10日となります。

                 
        

父のこと  いきもの 鶏 兔 蚕  

2018/ 01/ 18
                 
 鶏小屋を、父は勤めていた会社の同僚のMさんから譲り受けて、わが家の庭の一隅に置きました。
 小諸に住んでいた時のことです。鶏小屋は父と私の二人でリヤカーで運んだのですが、途中の急斜面の下り坂道に難儀したのを今でも覚えています。

 鶏(白色レグホン)のエサ当番は、子どもたちが順番を決めてやっていました。
 チャボも飼っていた時もありました。
 産んだ卵は、私たちの食事の一品に加えられました。
 当時、卵を買うとなると、それなりのお値段でした。
 卵を産まなくなった鶏たちは、業者にひきとられました。(主に食肉用)
 父は、鶏を売ったお金は、子どもたちの貯金に回しました。

 小諸では、兔も飼いました。
 大きくなった兔たちは、業者に引き取られました。(主に食肉加工用)
 兔を売ったお金も、父は、私たち子どもの貯金箱に入れました。



 北橘に二度目に住んだ時は、父の一言もあって、養蚕もトライしてみました。
 ワンシーズンだけでしたが、私一人だけでの世話です。
 学校に出す作文のテーマとしても、恰好の「いきもの」でした。
 蚕は桑の葉しか食べません。本家の伯父にお赦しを頂いて、桑の葉を毎日摘み取りました。一日数回に分け、時間をみやりながら桑の葉を与えます。糞のあとしまつも日課の一つです。

 下の家(したんち)から頂戴したお蚕さまは、立派な大きな繭玉になりました。
 

 
                 
        

同窓会報  夏の甲子園 8回の裏

2017/ 05/ 06
                 
 二人ともに、同窓会報が届きます。
 相棒は都会、私は田舎出身です。

 
 息子の高校が、全国大会に出場するということで、父がわが母校に賛助をしました。
 当時も(今も)、高校野球の全国大会に、田舎の県立(普通科)高校(勿論都会の公立高校も)が出場するということは、そうそうある出来事ではありませんでした。
 とうの私は、母から転送してもらった賛助を募る封筒の中身は一応眼にはしましたけれど、手元不如意という気持ちが勝ったのかどうか、ただ単に熱心ではなかったのかどうか、今となっては思い出すすべもありませんが、要するに振り込みなどの手続きを何もしなかったのです。
 
 時代は前後しますが、父が出た県立高校(普通科)では、春の選抜大会に出場したチームが、その第一試合で投げたピッチャーが完全試合を成し遂げました。
 その投手は、その後、わが母校の先生となり、野球部の監督となり、甲子園出場に導きました。

 

『同窓会報』

 会報には、「通常総会・懇親会のお知らせ」、挨拶、特別寄稿、特集、母校だより、講演会、部活報告など、それに「決算」、「予算」などの報告が載っています。その「収支」を見ると「特別積立会計」という項が別に計上されています。
 夏の甲子園に初出場して以降、この「特別積立会計」の金額はどんどん増え続け、今は驚くほどの額となっています。
 ちょっと斜め読みしたところ、「支出の部・同窓会費一般会計へ」という記載が目につきました。頭に「1」がついた7ケタの数字でした。

 年会費を納める同窓生が少なくなっているのでしょうね。
 ちなみに同窓会費は年額2,000円です。
 来週月曜日になったら、駅前の郵便局に行って振り込み手続きをしようと思っています。






『甲子園の詩』

 初陣の花      阿久 悠


 記録として残る数字は空しい
 汗の匂いがない
 昂りの脈拍が聴こえない
 7対2の試合を
 波乱の熱闘として伝える術がない
 どちらが圧し どちらが耐え
 戦慄はどちらにあったか
 数字は語らない
 辛うじて展開の妙は読みとれても
 大観衆に沈黙を強いる緊張が甲子園を覆ったことを
 7対2の記録は物語らない
 年経ればただ乾いた数字としてのみ残る
 初陣 中央高校
 詩を書く男はそれを口惜しがる
 ドラマに満ちた7対2であったことを
 どうしても記したいと願う

 人々よ
 今 感動の詩人になれ
 その夏 その日 その試合
 そして
 その時 その一瞬
 誰が主役であったか
 何が慄えを呼び
 何が胸をえぐったか
 時間の経過とともに薄れる宿命の
 心の襞の小さな記録を
 色鮮やかに
 あらん限りの饒舌でとどめてほしい
 人々よ
 少年のドラマはこのようにして
 永遠のものにしたいじゃないか
 負けても悔いなしと言いたくない
 負けても悔いあり
 大いに価値ありと称えたい
 今日 みんなが詩人になった

       1987年8月8日  





高校名  1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
中央    0 0 0 0 2 0 0 0 0 2
PL学園  1 0 0 0 0 1 0 5 x 7

この年、PL学園が決勝で常総学院を5対2で退けて優勝。