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広田のささら -5-

2014/ 10/ 17
                 
  広田のささら -5-



 広田のささらには「口上」があります。
 組鎮守の前でも、鷺栖神社境内でも同じ順に従います。
  昼の組鎮守の三ケ谷戸の八幡宮(八幡神社)〈三ケ谷戸公民館〉前では、古老が「太刀の謂われ」を滔々と述べていました。夜の鷺栖神社の土俵上では、後継者の一人が大音声でその役割を担っていました。何れもマイクを担当する人が、片膝ついた太刀持ちの口元に近づけて並み居る人に聞こえるようにしていました。
 
太刀さばき 八幡宮前

鷺栖神社 太刀さばき


 「かわさとの民俗・第一巻」、第五章第四節
    「演目と内容」

 花棒の演目:
 花棒には、初めに「太刀さばき」と「打ち出し」がある。これは太刀のいわれを述べ、気合とともに場の邪気をはらう棒使いである。次は、「通りすがい」で、花棒の基本といわれ、子供たちによって演じられる。これに続き、「木の葉返し」「霞落し」「逆さ落し」「発火」「笠外し」「鎌六尺」などがあり、さらに「逆はらい」「清浄(しょうじょう)」「扇の手」「六尺同志」「真木(しんき)棒」「三人棒」「四人棒」「水引き」「八天」「鎌通し」「薙刀」などがある。
 「八天」「鎌通し」「薙刀」は三役といわれ、師匠格の人が行う。
 この三役の間に他の演目を入れたり、この後に飛び入りで棒の演技をしてはいけないといわれている。

 『太刀さばき』
 太刀のいわれについては、大木刀と六尺棒を地面に交差させておき、一人が中央に進み出て太刀を抜き片膝をついて、次の「太刀さばき」を読み上げる。

 
 抑々(そもそも)此の御太刀と申し奉るは一派泰けなくも天竺(てんじく)にては漢波久羅漢(はんはくらかん)、五大山大聖文殊(もんじゅ)、阿比羅雲健(あひらうんけん)の五字よりも出生し給う御太刀なり。大唐にては降伏利剣我が朝にては神支宝剣内侍所(しんしほうけんないじどころ)の三つ也。
 抑々日本へ拡め始まる根本は清和天皇九代の後胤征夷大将軍佐間神(さまのかみ)源朝臣義朝の八男御曹司牛若丸十四歳の時承安二年の頃丹波比叡鞍馬此の三の御山にて遣い出し給う御太刀也。
 鞘(さや)に志津波利治まる時は素戔男尊(すさのうのみこと)大海の底に引籠りたる如斯也(かくのごとくなり)。
 正しくは日本総社津島牛頭天王(ごずてんのう)と仰し給う、然れば是を抜き放てば面は鏡の如く朝日大海に来光し給う。故に大海の底に大日如来の印も有りと唱うる也。即ち太刀の形をば金色大師太刀連の剣を兵する也。
 然れば文殊の作りし大刀なれば切先三寸は三社八幡大神宮両の三頭は摩利子(まりし)天威多(えだ)天を兵する也。焼は久利加羅不動明王左の鍔(つば)は勢多加童子(せいたどうじ)右の鍔は古無加羅(むから)童子、峯は阿弥陀利剣の各号を兵する也。切羽鎺(きりはかね)〈※〉は阿呍(あうん)の二字。鍔(つば)の丸は十五満月を兵する也。柄は紅葉九重を兵する也。目釘丁と打ちたるは揺げ共四方や抜けずの要石親鮫は宇佐々摩明王惣佐とは空に連なる星の軍勢を兵する也。縁は増長天柄頭(えがしら)は広目(こうもく)天柄糸(からいと)は飯綱大権現即ち八つ菱九つ菱に巻きたるは八菱は中天竺大峯山八大金剛(こんごう)童子、九つ菱は九字九尊九曜摩無多羅(くようまむたら)を兵する也。両の目貫は両部の大日(だいにち)、鞘(さや)は春日(かすが)大明神鯉口は天照皇大神の天の逆鉾(さかほこ)を兵する也。鐺(こじり)は大聖歓喜大多聞天鴣(こ)とは印(いん)の行者、木口は智恵の文殊、小柄は持国天、小刀櫃は愛染明王、下げ緒は不動三惣番の縛の縄を三尺二寸にて切落し下緒とは名付け給う也。
 抑々恐れ謹しみ敬って此御太刀と申し奉るは常には有らず三の御山にて日天の光前より御無双に受け奉る太刀なれば神前にては神支宝剣(しんしほうけん)、仏前にては公支阿比羅雲剣(こうひあひらうんけん)それに向って寿命の院を切結ぶ。天摩外道(てんまげどう)に向う時は清浄霊剣として遣い分け奉る。恐れみ恐れみ申す。


※切羽(せっぱ)
 刀身の刃区部分に装着したハバキと、柄の縁金具に両側を押さえられて鐔を挟む位置に装着される薄い金具のことをいいます。 柄口部分の締まり(鐔のガタつき)の微調整をするためのものです。
 多くは素銅に金着とされ、鐔から刀身を保護するためにありますが、一方で鐔や縁を傷付けない用としてもあります。
 「切羽詰まる」という、どうにもならない局面に追い込まれることを意味する言葉の語源が、鐔が固定されて動かないところからきていることを知ることが出来ました。

※鎺(はばき)
  せっぱ‐はばき 【切羽鎺】
 「切羽」も「鎺」も、刀剣の鍔元(つばもと)の金具の名称の一つです。
 《刀に手をかけて談判するところから》ひざづめ談判をすることをさします。
 『さっきにから切羽鎺する通り、銀(かね)渡したら御損であらう』〈浄・歌念仏〉


                 
        

広田のささら -4-

2014/ 10/ 16
                 

広田のささら



 神社に向かう道中の行列を組む順は、万灯2人、棒使い、花籠4人、メンカ、方眼、女獅子、後獅子、歌掛け、笛吹きと続き、笛の道笛に合わせて進みます。
 写真は、昼の組鎮守(三ケ谷戸の八幡宮〈八幡神社〉)に向かう行列です。

八幡宮に向かう道中の行列②

八幡宮に向かう道中の行列①




                 
        

広田のささら -3-

2014/ 10/ 15
                 
広田のささら -3-


 長崎県の千々石(ちじわ)では、「名(みょう)」が七つあります。
 昔ながらに続いている恒例の地元の温泉神社の秋祭りを、七つの「名」が順番に担当します。大きな神社ですので、七年に一回巡ってくる当番の年は、相当な苦労をされるようです。
 注連縄(しめなわ)を繕っていく作業も大変な労力がいります。

 祭事に用いる注連縄は左縄に繕っていくとご当地のブログに説明書きされていますが、祭事の注連縄は左縄に綯うのは、ここ鴻巣の広田でも同様です。大それた御社(おやしろ)ではありませんので、縄綯は前日からの作業となります。

鷺栖神社前鳥居①

鷺栖神社②稲わらこぎ

鷺栖神社③稲わらを整える

鷺栖神社④稲わらを燃やす

鷺栖神社⑤総出で

鷺栖神社⑥一の鳥居注連縄の取り付け

鷺栖神社⑧神社前の鳥居総出で注連縄を



 広田の組鎮守:
  広田は、12の組鎮守があります。
 「かわさとの民俗・第一巻」、第五章第一節、「氏子組織と伝承団体」に、その詳細が書かれています。

第一節 氏子組織と伝承団体:
 鷺栖神社の氏子組織は、広田地区の12(13)組を4区に分け、各組から組総代2人計24人と、各地区から氏子総代1人計4人(大総代)、氏子総代1人を選出している。組総代は、現在の行政割りとは異なるが、4つの区の構成は、一区が東間(あずま)・六軒・内出、二区が北部・上三ケ谷戸・番場・向領、三区が堤・三ケ谷戸・原、四区が谷・畑・本村(ほむら)で、東組は、本村の内にある。
 組鎮守は、東間―久伊豆神社、谷畑―天神様、原―御小宮(おこみや)様、堤―秋葉様、向領―天神様、番場―大神様、北部―白山様、上三ケ谷戸―天神様、三ケ谷戸―八幡宮、六軒―山王様、本村―宝登山様、東組―大神宮があげられている。



                 
        

広田のささら -2-

2014/ 10/ 14
                 
広田のささら -2-

 「ササラ」は、用具の一つとして使われていることが、「かわさとの民俗・第一巻」、第5章第3節の「舞の場と用具」に書かれていることで判りました。
 が、「組鎮守」でも、「鷺栖神社」の土俵上でも、竹をすりあわせて奏でるという楽器としての機能は有していなかったように思えました。

 舞の場:
鷺栖神社の境内では、本殿に向かい左側に作られている「土俵」で、花棒と舞が行われる。土俵の四方に竹を立て、注連縄(しめなわ)を巡らす。組鎮守〈※〉では、その前で舞う。
 〈※組鎮守:後日説明〉

 用具:
獅子舞の用具としては、法眼、女獅子、後獅子の三頭、獅子の太鼓〈三〉、メンカ〈一〉猿田彦の面)、ササラ〈一〉、花籠〈四〉がある。
 法眼は、二本角で三頭の中では最も大きい。女獅子は一本角で小振りである。後獅子は二本角である。いずれも鳥の羽を後ろ髪にいただき、頭の下部には水引幕がつく。
 太鼓は、桶胴に三つ巴を描いた皮を張り、緒締めをしたもので、約20センチメートルほどのバチで叩く。ササラは、メンカが持つ。
 花籠は、四角型の台に造花をあしらい、台の下部に水引幕をつけたものである。 獅子三頭と花籠の服装は、獅子は筒袖の上衣、タッツケ袴、黒足袋、草鞋(わらじ)で、花籠は、保存会の半てん、袴、草履(ぞうり)である。
 花棒の用具としては、太刀(真剣)、木刀、六尺棒、鎌、薙刀(なぎなた)などがある。服装は、白の上衣、紺の袴である。

メンカ ササラ3

メンカ ササラ1

メンカ ササラ2


                 
        

「広田のささら」

2014/ 10/ 13
                 
 広田のささら -1-


 NHK総合テレビで「マッサン」を見終わった直後、テレビ画面に「花子とアン総集編~前編・後編 後日放送」という表示とともに、台風19号のニュースに切り替わりました。
 その後のニュースでは、午前8時30分頃、鹿児島県枕崎市付近に上陸というアナウンス。

 広田のささらは、昨年まで、10月15日に奉納されていましたが、今年から10月の第2週の日曜日に開催されることになり、台風の影響を受けずにすみました。

 「ささら」
 鴻巣観光ガイド(平成26年秋・冬号)を見ると、2014年8月17日(日)、原馬室の獅子舞・棒術、10月11日(土)、第13回こうのす花火大会、10月12日(日)広田のささら、10月13日(月)小谷のささら、10月13日(月)登戸のささら、・・・と、イベント予定一覧が載っています。
 今年から原馬室の獅子舞・棒術は8月の第3週の日曜日(従来は8月19日)に、広田のささらは10月の第2週の日曜日(従来は10月15日)の開催となりました。

 季節々に全国各地で、五穀豊穣・天下泰平・悪除けなどを祈願するささらの舞が奉納されます。
そもそも「ささら」とはどういう意味なのか、二つの辞典を紐解いてみました。
  三省堂発行の「大辞林」(1988年11月3日 第1刷発行)によると、「ささら・簓」:①田植え囃子や風流系の獅子舞・簓説教などで使用する楽器。先を細く割ったささら竹と、のこぎりの歯のような刻みをつけた棒のささら子をすりあわせて音を出す。すりざさら。→びんざさら。②細かく割った竹などを束ねたもの。鍋を洗うたわしの用などとする。さわら。③「びんざさら」の略。④先端が細かく割れること。ささくれること。⑤物をすりへらすことのたとえ。―おどり【簓踊り】簓をこすってその音に合わせて踊る踊り。獅子舞・鳥追い・風流踊りなど。・・・と、記しています。
 岩波書店の「広辞苑」(昭和39年1月15日 第1版第12刷発行)では、「ささら」はどのように記されているでしょうか。
 「ささら・簓」(さらさらと音がするからという) ①竹の先を割って束ねたもの。中国では、ギヨという楽器の背を摩擦して音を立てるに用い、我国では、田楽・説教・歌祭文などに簓を簓子(ささらこ)ですり合わせて調子を取るに用いる。②竹をこまかく割ってこれを束ねたもので、飯器などを洗うに用いる。③物の端のこまかに砕けわれたもの。④物をすりへらしたこと。「身代を―にする」⑤びんざさら。―-おどり【簓踊】簓を摩って拍子をとってする踊。・・・などとなっています。何れにせよ、「竹」を用いた楽器で音を奏でます。

「小谷のささら」は昨年見に行ってきましたが、笛太鼓の音色に合わせた、獅子舞と棒術と剣術の舞いでの奉納でした。
 昨日の「広田のささら」も同様でした。笛太鼓で奏で、竹を用いた楽器はどこを探しても出てきません。
 
 それでは「広田のささら」とは、如何なるものなのか、鷺栖(さぎす)神社の立札書きをみることします。

鷺栖神社①

 鴻巣市指定無形民俗文化財
広田のささら
              昭和五十年十二月十九日

 広田のささらは、別名「龍頭舞」といい、頭に龍頭をかぶって舞う獅子舞である。
 この獅子舞は、寛永十六年(一六三九)七月二十七日より地区内の諏訪神社で始められたと伝えられている。その後、明治四十二年に諏訪神社が鷺栖神社に合祀されてからは、獅子舞は鷺栖神社の神事として毎年十月十五日の大祭に、五穀豊饒と悪魔除けを祈願して奉納されている。
 鷺栖神社には、寛政六年(一七九四)、忍藩の寺社奉行牛久保藤蔵にあてた獅子頭の水引幕に絹使用の許可を求めた「絹物使用嘆願書」の文書が残っている。
 獅子舞は、棒術使いによる「花棒」と三頭の獅子による「龍頭舞」の二部作で構成されている。花棒には二十通りの演目がある。龍頭舞は、前半“女獅子隠し”をテーマにした物語が展開され、後半では歌舞を中心とした舞になる。
 広田のささらは、江戸時代より今日にいたるまで地区の行事として伝承され、人々に親しまれている民俗芸能である。
                            平成八年十二月
                            鴻巣市教育委員会


 平成の大合併により、川里町(町制施行前は川里村)、吹上町、鴻巣市は、新生「鴻巣市」となりました。
 川里村史調査報告書第五集「かわさとの民俗・第一巻」(編集発行教育委員会.平成8年3月29日発行)の第五章に、「広田のささら」が、五部にわたって編集されています。

 次回は、川里村史「かわさとの民俗」から入っていきたいと思います。