6月4日のこと
2015/ 06/ 052000年6月3日の土曜日のことを、おじちゃんが書いていますので、私(名前は「ムウ」です)は6月4日のことを書こうと思います。
私は、おじちゃんのお父さんの誕生日の6月4日に、おばちゃんとおじちゃんのところに来ました。1988年のことです。1歳半になってからのことでした。
友だちのジョーのおばあちゃんも、6月4日生れだったと聞いたことがあります。
私が、二人との永の別れとなった日が6月3日ですが、翌年の2001年6月4日に、友だちのコオも永遠の旅立ちをしています。
私たちがこの世にいなくなってかなり経ってからのこととなりますが、人が人を呼び、おじちゃんは、今、ジョーのおとうさん、コオのおとうさんと一緒に、ゴルフを楽しむ仲となっています。
「いぬとも」から、いつのまにか「ゴルとも」になっていたのです。
おじちゃんは、私が家族の一員になったからこそ、ジョーのお父さんとも、コオのお父さんとも、今にして「ゴルとも」としてお付き合いができているということが判っているのかな。と思います。
わたしはムウ -10-
2015/ 02/ 24ともだち ⑥
ルイは、わたしを一番好きなのだそうです。
何でもオバチャンが、ルイのおかあさんから直接聞いた話だそうです。わたしはオジチャン経由で間接的に聞きました。
ルイはとても活発です。目をキラキラさせながらわたしにとびついてきます。
ルイはわたしを兄さんとも思っているようでしたので、わたしはルイのことを弟と思ったほうがよいのかもしれませんが、わたしとしては大好きなともだちとして、彼と遊んでいました。
オバチャンは、たんぼの畦道や、ルイの家の前で彼のおかあさんに会うと、リードを握ったままずいぶんと長く話し込みます。
そんなときは、お二方ともわたしたちのことをすっかり忘れて話に花を咲かせていますので、ルイもわたしもちょっとばかり不本意な気持ちになります。
でもしょうがありませんよね。女二人の立ち話を、男二人としてはいつもやさしく見守ってあげることにしています。

わたしはムウ -9-
2015/ 02/ 23 ともだち ⑤
ハナが一番かわいいね! と、オジチャン。
まわりのイヌトモのみなさんの空気が、一瞬にしてサーッとひいていくのが伝わってきました。
まだわたしがリハビリ真っ最中の、近くの公園での週末の日の出来事です。
わが子が一番かわいいに決まってるじゃない・・・
オジチャンはそのセリフをはいたときに、いったいわたしのことをどう思っていたというのでしょうか。
今でも機会があれば聞いてみたい気がしないでもありません。
ハナは女の子です。
公園の中でぐるぐるまわりをするときに、遊ぼうよといっていつもわたしを誘ってくれます。
わたしは二回りもするともう体が動きません。みんなが何回も駆け回っている輪をじっと外から眺めます。
何しろちょっと速度を上げて走り出すやいなや肩がガクンガクンと動きはじめます。筋肉がしっかりと骨と肉にくっついていないような状態でしたから、仕方ありません。
でもわたしはしあわせな気分に充たされていました。
なにしろ、たくさんのともだちと一緒に、輪になって遊ぶことが出来る喜びを知ったからです。

ハナが一番かわいいね! と、オジチャン。
まわりのイヌトモのみなさんの空気が、一瞬にしてサーッとひいていくのが伝わってきました。
まだわたしがリハビリ真っ最中の、近くの公園での週末の日の出来事です。
わが子が一番かわいいに決まってるじゃない・・・
オジチャンはそのセリフをはいたときに、いったいわたしのことをどう思っていたというのでしょうか。
今でも機会があれば聞いてみたい気がしないでもありません。
ハナは女の子です。
公園の中でぐるぐるまわりをするときに、遊ぼうよといっていつもわたしを誘ってくれます。
わたしは二回りもするともう体が動きません。みんなが何回も駆け回っている輪をじっと外から眺めます。
何しろちょっと速度を上げて走り出すやいなや肩がガクンガクンと動きはじめます。筋肉がしっかりと骨と肉にくっついていないような状態でしたから、仕方ありません。
でもわたしはしあわせな気分に充たされていました。
なにしろ、たくさんのともだちと一緒に、輪になって遊ぶことが出来る喜びを知ったからです。

わたしはムウ -8-
2015/ 02/ 22ともだち ④
コオ。男前です。
犬は犬どうしでお付き合い。というスタイルを彼はずっと踏襲してきました。
わたしはどちらかというと、コオにも、そしてコオの家族の皆さんにもにこやかな笑顔を向けるのが常でしたが、彼はわたしとのことばかりに気をやっていました。
オジチャンからみると、コオは人間に興味がないワンちゃんのように映ったようです。
コオはわたしをみつけるやいなや脱兎のごとくかけよってきます。お互いがまず挨拶を交わします。
それからわたしたちは遊びに入ります。もうだれも二人の間に割って入ってくることはできません。
男ともだちとしては、彼にとってわたしは数少ない刎頚の友だったようです。勿論わたしもコオが大好きです。
コオのおとうさん、おかあさんのところも、子どもがいませんでしたので、両親に殊のほか可愛がられていたようにわたしは思いました。
コオのところも思い立ったが吉日とばかり、お父さんの仕事の忙しい合間を縫って、玉原高原や峰の原高原まで足を延ばしたそうです。
後聞きだからこそ知ったということになりますが、彼曰く、家の中での宿泊は性に合わないと、わたしと遊んでいるときにポツリともらしたことが今でも忘れられません。

わたしはムウ -7-
2015/ 02/ 22ともだち ③
犬を介して友だちになった人を、「イヌトモ」といいます。
モナの家も、子供のいない夫婦でした。
いつのまにか、偶然といえる以上に、あちこちで会うことが多くなったように思います。
近所の公園はもとより、荒川の向こう側の吉見総合運動公園でもときおり一緒に遊ぶこともありました。
群馬県の玉原高原、そして長野県の峰ノ原高原でもたまたま会うことが出来たのです。それも複数回。
今よくよく考えてみると、近所で散歩中いつごろの休みになったらどこぞへ行ってみようかななどという会話の中に、そのQ&Aが隠されていたのかもしれません。
モナはわたしと最初にあったときは、ほんとに幼かったので、一緒に遊び始めてからというもの、わたしがいつも兄であり、彼女はいつも妹であり続けたように思います。
