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初夏の朝 やわらかな ひらがなの朝

2020/ 06/ 15
                 

 愛犬の朝の挨拶いつまでも

 ムッちゃん4.


  


時間を言えば
いつも時間通りに起こしにきてくれる
顔をぺろっとなめて
起きる時間ですよー
って

初夏の朝
カーテンのすきまから
明るい陽射しがさしこんで

まだ寝ぼけ眼のぼくに
君は
しっぽをふって
満面の笑みで おはよー
と言う

おはよー
とぼくも君に言う

やわらかな
ひらがなの朝

もう遠くへ旅立ってしまった君と
ひととき
夢の出口で過ごす

遠くはなれても
思い続けていれば きっと
いつでも会える

 高階杞一 ひらがなの朝






                 
        

井上靖 詩 夕映え

2019/ 08/ 11
                 
 延々と夕焼けの空燃え上がるチャンス失するカメラパチクリ


西の空いっぱいが
夕焼けになっていました。
どこまでもどこまでも
赤く焼け続けている天空でした。
ゴルフの帰り道
ようやく一人になったので
車を停めました。
カメラを手にしたのですが、
時すでに遅し、
空はみすぼらしく終焉のときを迎えていました。
あれはいつだったでしょうか
これからも車に乗り込むときは、
カメラは忘れずに持っていくようにしたいと思います。



 秋の空 その2




  夕映え  井上靖

長い雨が終った日、一面に雑草に覆われた庭に対かいな
がら、半日を書斎の縁側の籐椅子に倚って過した。自分
が生きてきた過去の歳月もまた雑草に覆われてしまった。
そんな思いが俺を捉えていた。
その雑草に覆われた長い一本の道を振り返り、失意の日
を拾ってみようとしたが、失意の日は判らなかった。得
意の日を探し出そうとしたが、得意の日もまた判らなか
った。みんなぼうぼうたる雑草の中に埋まってしまい、
ただ烈しく夕映えの空に向って歩いた時のことだけが思
い出されてくる。いついかなる時のことしか知らない。赤
く焼けただれた天空の一画に向って、烈しく必死に歩い
ている。天を焼く火の粉を浴びて、俺も、俺の周囲を埋め
ている雑草もまた赤く燃えている。


                 
        

井上靖 詩 夏

2019/ 08/ 05
                 
 夏が好きあの人の声消されゆく夜汽車の汽笛遥かふるさと


 SLやまぐち号 2016年5月
 (「SLやまぐち号」2016年5月.湯田温泉駅.当日、中原中也墓前に参り)



 夏   井上靖

四季で一番好きなのは夏だ。夏の一日で一番好きなのは
昼下がりの一刻(ひととき)――、あの風の死んだ、もの憂い、しん
とした真昼のうしみつ刻だ。

そうした時刻幼いころの私はいつも土蔵の窓際で、祖母と
とうもろこしを食べていた。小学校に通っている頃は毎
日、インキ壺のような谷川の淵に身を躍らせて、その時
刻を過した。学生の頃は、校庭の樹蔭で、書物で顔を覆
って、爽やかな青春の眠りを眠った。

そうしたこの世ならぬ贅沢なすべては遠く去り、今の私
にはもはや土蔵も、谷川の淵も、校庭の樹蔭もない。真
夏の昼下がりの一刻、私は書斎の縁側の籐椅子に倚って、
遠い風景を追い求めている。烈日に燃えた漠地の一画、
遠くに何本かの龍巻の柱が立ち、更にその向うを、静か
に駱駝の隊列が横切っている。

そうした旅への烈しい思いだけが、風の死んだ、もの憂
い、しんとした真昼のうしみつ刻の中に、私を落ち着かせ
る。私を生き生きとさせる。


                 
        

井上靖 詩 ふるさと

2019/ 08/ 04
                 
 ふるさとは遠きにありて思ふもの彼(か)の詩人問ふ追憶の日々

  〈註※: 小景異情(その2)  室生犀星
「ふるさとは遠きにありて思ふもの/そして悲しくうたふもの/よしや/うらぶれて異土(いど)の乞食(かたい)となるとても/帰るところにあるまじや/ひとり都のゆうぐれに/ふるさと思ひなみだぐむ/そのこころもて/遠き都にかへらばや/とほき都にかへらばや」~室生犀星が金沢に帰郷したさいに作った詩です。~〉
 


 2-1木曾三社神社 平成26年(2014〉2月10日
 (木曾三社神社.平成26年〈2014年〉2月10日参拝)
 〈註※:1,186社が鎮座している群馬県。渋川市北橘町下箱田1番地に鎮座している、木曾三社神社は旧県社です。2.4ヘクタール(24,000㎡≒7,272坪)の境内は、大木が茂り、清水が湧きいで、セキショウやワカナシダの群落があり、県の自然環境保全地域や自然探勝路に指定されています。〉



  ふるさと  井上靖

“ふるさと”という言葉は好きだ。古里、故里、故郷、
どれもいい。外国でも"ふるさと“という言葉は例外な
く美しいと聞いている。そう言えば、ドイツ語のハイマ
ートなどは、何となくドイツ的なものをいっぱい着けて
いる言葉のような気がする。漢字の辞典の授けを借
りると、故園、故丘、故山、故里、郷邑、郷関、郷園、
郷井、郷陌(きょうはく)、郷閭(きょうりょ)、故郷、たくさ
ん出てくる。故園は軽やかで、颯々と風が渡り、郷関
は重く、憂愁の薄暮が垂れこめているが、どちらもい
い。しかし、私の最も好きなのは、論語にある"父母国“
という呼び方で、わが日本に於ても、これに優るものは
なさそうだ。"ふるさと“はまことに、”父母の国”なので
ある。
ああ、ふるさとの山河よ、ちちははの国の雲よ、風よ、
陽よ。


                 
        

管啓次郎 犬のパピルス リフレイン そしてリフレイン

2018/ 12/ 05
                 

 犬のパピルス


子どものころ犬を飼っていた
名前はパピルス、虎毛
どこへでもついてきた
春先には黒い土に
うっすらつもる雪をふむ
耳がちぎれそうに冷たい風が吹く
大声で「えっとうたいだ」と叫ぶと
パピルスがおもしろそうな顔で見た
耳は狼のように立ち
尾は竜巻のように巻き
目は光のように鋭い
パピルスは半世紀前フィラリアで死んだ。
昨年の夏タイの古都アユタヤで
歩き疲れて木陰ですわっていると
黄土色の犬がおとなしくやってきて
ちょこんとそばにすわった
鼻面がすっきりと黒い
耳のうしろを掻いてやると
笑うように目をほそめた
「パピルス」と声をかけると
ものうげにゆっくりと尾をふった。


   待っているよ、きみを
   あの山のふもとで
   きみがその頂きをめざすとき
   ぼくもついていく
   ぼくはパピルス
   きみの心にあって
   きみが忘れたすべてを
   ぼくが覚えておくよ



 管 啓次郎(すが けいじろう)