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井上靖 詩 夕映え

2019/ 08/ 11
                 
 延々と夕焼けの空燃え上がるチャンス失するカメラパチクリ


西の空いっぱいが
夕焼けになっていました。
どこまでもどこまでも
赤く焼け続けている天空でした。
ゴルフの帰り道
ようやく一人になったので
車を停めました。
カメラを手にしたのですが、
時すでに遅し、
空はみすぼらしく終焉のときを迎えていました。
あれはいつだったでしょうか
これからも車に乗り込むときは、
カメラは忘れずに持っていくようにしたいと思います。



 秋の空 その2




  夕映え  井上靖

長い雨が終った日、一面に雑草に覆われた庭に対かいな
がら、半日を書斎の縁側の籐椅子に倚って過した。自分
が生きてきた過去の歳月もまた雑草に覆われてしまった。
そんな思いが俺を捉えていた。
その雑草に覆われた長い一本の道を振り返り、失意の日
を拾ってみようとしたが、失意の日は判らなかった。得
意の日を探し出そうとしたが、得意の日もまた判らなか
った。みんなぼうぼうたる雑草の中に埋まってしまい、
ただ烈しく夕映えの空に向って歩いた時のことだけが思
い出されてくる。いついかなる時のことしか知らない。赤
く焼けただれた天空の一画に向って、烈しく必死に歩い
ている。天を焼く火の粉を浴びて、俺も、俺の周囲を埋め
ている雑草もまた赤く燃えている。


                 
        

井上靖 詩 夏

2019/ 08/ 05
                 
 夏が好きあの人の声消されゆく夜汽車の汽笛遥かふるさと


 SLやまぐち号 2016年5月
 (「SLやまぐち号」2016年5月.湯田温泉駅.当日、中原中也墓前に参り)



 夏   井上靖

四季で一番好きなのは夏だ。夏の一日で一番好きなのは
昼下がりの一刻(ひととき)――、あの風の死んだ、もの憂い、しん
とした真昼のうしみつ刻だ。

そうした時刻幼いころの私はいつも土蔵の窓際で、祖母と
とうもろこしを食べていた。小学校に通っている頃は毎
日、インキ壺のような谷川の淵に身を躍らせて、その時
刻を過した。学生の頃は、校庭の樹蔭で、書物で顔を覆
って、爽やかな青春の眠りを眠った。

そうしたこの世ならぬ贅沢なすべては遠く去り、今の私
にはもはや土蔵も、谷川の淵も、校庭の樹蔭もない。真
夏の昼下がりの一刻、私は書斎の縁側の籐椅子に倚って、
遠い風景を追い求めている。烈日に燃えた漠地の一画、
遠くに何本かの龍巻の柱が立ち、更にその向うを、静か
に駱駝の隊列が横切っている。

そうした旅への烈しい思いだけが、風の死んだ、もの憂
い、しんとした真昼のうしみつ刻の中に、私を落ち着かせ
る。私を生き生きとさせる。


                 
        

井上靖 詩 ふるさと

2019/ 08/ 04
                 
 ふるさとは遠きにありて思ふもの彼(か)の詩人問ふ追憶の日々

  〈註※: 小景異情(その2)  室生犀星
「ふるさとは遠きにありて思ふもの/そして悲しくうたふもの/よしや/うらぶれて異土(いど)の乞食(かたい)となるとても/帰るところにあるまじや/ひとり都のゆうぐれに/ふるさと思ひなみだぐむ/そのこころもて/遠き都にかへらばや/とほき都にかへらばや」~室生犀星が金沢に帰郷したさいに作った詩です。~〉
 


 2-1木曾三社神社 平成26年(2014〉2月10日
 (木曾三社神社.平成26年〈2014年〉2月10日参拝)
 〈註※:1,186社が鎮座している群馬県。渋川市北橘町下箱田1番地に鎮座している、木曾三社神社は旧県社です。2.4ヘクタール(24,000㎡≒7,272坪)の境内は、大木が茂り、清水が湧きいで、セキショウやワカナシダの群落があり、県の自然環境保全地域や自然探勝路に指定されています。〉



  ふるさと  井上靖

“ふるさと”という言葉は好きだ。古里、故里、故郷、
どれもいい。外国でも"ふるさと“という言葉は例外な
く美しいと聞いている。そう言えば、ドイツ語のハイマ
ートなどは、何となくドイツ的なものをいっぱい着けて
いる言葉のような気がする。漢字の辞典の授けを借
りると、故園、故丘、故山、故里、郷邑、郷関、郷園、
郷井、郷陌(きょうはく)、郷閭(きょうりょ)、故郷、たくさ
ん出てくる。故園は軽やかで、颯々と風が渡り、郷関
は重く、憂愁の薄暮が垂れこめているが、どちらもい
い。しかし、私の最も好きなのは、論語にある"父母国“
という呼び方で、わが日本に於ても、これに優るものは
なさそうだ。"ふるさと“はまことに、”父母の国”なので
ある。
ああ、ふるさとの山河よ、ちちははの国の雲よ、風よ、
陽よ。


                 
        

海辺へ

2018/ 09/ 05
                 


何を恐れているのだろう
何を美しいと思うのだろう
なぜそんな夢ばかり見るのだろう
光る水にひたされて。
熔岩の岸辺は黒く、黒い砂が溜まり
土壌ともいえない砂地に
椰子の木々だけが生えていた
そよぐ木々の羽音が明るい月を呼び
空は虹と雨によりきれいに棲み分けられている
磯に立ち澄んだ海水を覗きこむと
巨大な液晶スクリーンのような画面が水中に
斜めに漂っているのだ
そこに映る風景は渦巻く緑の葉叢
心にしずかな歌が流れる
鳥たちのさえずりに借りた歌だ
サボテンの葉陰からじんじんと湧いてくるような歌。
すると緑の渦が突然に
二十歳で死んだ友人の顔に変わる
マンタのように巨大な画面いっぱいに
ともだちの曖昧な笑顔が映り
それからしゃべりだす
「用意は済んだ?
明日は日の出直前から歩き出すよ」
わかってる、とぼくは答えて
その行き先を知らないことを思い出す
塩山に行くのか干潟に行くのか
牧場を抜けるフットパスを延々と歩くのか
それともほんとうにそうしたように
土手の道を河口まで正確に10キロ歩くのか。
ああ、ああ、
ああ、ああ、
「取り返しのつかない悲哀」と
呼ぶこともできない感情が
夕日の中でふりむく犬みたいに
怒った顔をしている
そのときにはぼくはもう
靴を脱ぎジーンズをたくりあげて
少しでも画面に近づこうとしている
夕陽がガラスのように斜めにさしこみ
水面の波に薔薇色の陰影をつける。
きらめいた画像を改めて見ると
ともだちは子供に変わり
彼のおかあさんと手をつないで歩いているのだ
山並みが見える田んぼの中の道だ
鉄塔がどこまでも遠くへと並んでいる
これが日本の風景だ、とぼくは思いつつ
遠ざかる彼にむかって走り出す、追いつくために
なんという無力、いまはぼくも
小学生くらいに小さくなり
しかもどんなに両脚を動かしても
強い向かい風に動きを邪魔される。
寒くなってきた。
画面には自分の後ろ姿も映っているが
画面があるのは海中
「水面から先は過去」と
二十歳のころの彼女の声が聴こえる
「もう帰りなさい」と彼女が
初期ウォークマンの通話ボタンを使っていう。
通常の砂浜の波打ち際に立って
寒さに震えながら少し先にある家並みを見ていたら
家並みが唐突に倒壊した
黄色と緑と赤に塗られた
オランダかどこかの住宅のような並びだ
100メートルほどむこうの水面上にあったそれが
いきなり、ベニヤ板を倒すように
こちらに倒れてきたのだ
がやがやと声があがる
水しぶきと悲鳴もずいぶんあがった。
状況をよく見ていると倒れた家屋は
すべて筏のように浮かぶ足場の上にあったのだ
家屋は無人で誰も傷つかない
ところが右手からこちらにむかって
接岸しようとするフェリーボートが
そのあおりを受けて浸水したらしい
ゆっくりと沈んでゆくフェリーから
乗客たちが次々に海へと下りる
そこはもう岸辺まで25メートルもないし
水深は底の砂がはっきり見えるほど
それなのに船を下りた人たちは
冬の洋服を着たまま水に沈んでゆき
泳ごうとしては沈んでゆき
海面に長い髪をひろげている
立ったまま両腕を天に伸ばして
沈んでゆく子供たちがいる。
ああ、ああ
ああ、ああ
かれらを助けなければと思うのだが
すぐ足下からひろがる海の
透明な水の冷たさに恐れをなして
動けない
少し足を踏み出して
手を差し伸べてみるのだが
それ以上動けない
見上げると倒れた家屋の並びが
次々に火を噴き炎上しているのだ
慣性だけで進んできたフェリーボートの先端が
砂浜に乗り上げ
ボートの主甲板はもう
水面の少し下まで沈んで
船は停止した
ただ揺れている。
船で鼠捕りとして飼われていた小さなテリアが興奮して
救う相手のいない英雄のように水に飛び込み
ぼくのほうに泳いできた
ぼくは濡れたテリアを抱き上げ
夕方の中で燃える炎を見つめる。
そこからしばらく記憶が途絶えてしまったが
「気がつくと」
日本海岸を走る列車に乗っていた
その海岸線の美しさは比類ない
あそこがロシアかな、朝鮮半島かな
あそこが佐渡島かな、壱岐対馬かな
線路はぐるぐると永遠にむかって循環する
さらさらと砂のような陽光が降ってきて
まぶしいほど明るい海岸線だ
白いテーブルクロスをかけた
窓際の小さなテーブルに
ぼくはひとりで腰掛け
窓の外の海を見下ろしている
音を立てて崩れる山腹や
ぎりぎりまで渇いた後ふんだんに水を与えられる
山裾の木々を横目で見ながら
トマトジュースを飲み
あてどない考えにふけっていた。
するとほら
いきなり高い断崖になった
走る列車から藍色の海面が見える
海面にときおり光る銀の矢はトビウオ
海面をときおり乱す飛び跳ねるものはイルカたち
ゆっくりと近づき泳いでくるたくさんの光はイカ
潮を吹く鯨はまだ見えない
列車は断崖の間際を走る
見下ろせば海はやさしくしずまり
その明るい海中まで見透かすことができる
エメラルド色の海、ただし中緯度の
憂鬱さをさっぱり洗った海だ
大きな魚の群れが泳いでいるのがわかる。
「きれいだねえ」という誰かの声が聴こえる
あれはすべて鮭という説明を聞いて
気が遠くなるほどゆたかだと思った
するとケリケリの海岸を思い出した
まるで夜空に泳ぎ出すように
身軽に水の中に
体を浮かばせ
潜り
大きな海老や鮑を拾ったことがあった
取り戻すことのできないゆたかな夏。
ああ、ああ
ああ、ああ
この夕方を朝へと翻訳して
一日ごとにすごい速度で
四季を循環させ世界を回転させ
弓のように曲がった空に潰れそうになりながら
いつまでも減速中の列車は走る
海岸には海ライオンが集って
遊んだり太陽を見上げたりしている
もうどこにも行かなくていい
そろそろ波打ち際に下りてもいい
立ったまま両腕を天に伸ばして
水中から笑いながら飛び出してくる子供たちが見える


 海辺へ」   管啓次郎



                 
        

Red River Valley

2018/ 04/ 19
                 
起きなさい、目を覚まして
心があの洞窟を思い出す前に
いま起きれば、ぼくの部屋を起点とする
風の旅にきみも乗ることができるよ
風は空気の切れ目を上手に使って
しじみくらいの大きさの小さな蝶をひらひら飛ばす
起きてごらん、水のように疲れた太陽が
葉叢ごしに三日月型の光をたくさん投げかけている
こんな時間は緑色の海流の中を
ゆったりと泳ぐ海亀のように貴重だ
それなのに sleepy head きみの心が
あの洞窟に引き寄せられているのがわかる
きみの瞼のぴくぴくする動きでわかるんだ
きみは掌をかざすようにして
あの水しぶきと光を避けているつもりだね
あの心細い洞窟の
むこうの端に見える光の点をめざして
あのときぼくらは水音の中を歩いた
あのころ世界は途方に暮れていた
あるところから先は全身にふりかかる
水しぶきを避けることができない
玄武岩の洞窟の天井から水のカーテンが落下して
洞窟の床がごつごつした川になる
すさまじい水音が心をおびやかす
降りしきる雨だ、空もないのに
流れる川だ、光もないのに
岩の壁に身を寄せながら
暗い川のほとりを歩いていった。
すると水音も気持ちもガムランのように高まって
心が蒸発するほど熱くなる
しぶきが飛んで人の頬も髪も濡れる
やがて水の皮膜のむこうに
小さく乾いた光の土地が見える
激しい岩に乱反射する小さな、でも何という眩しさ
でも今ここはまだ水の邦で
水音に音声をすっかり掻き消されながら
魂と心がざわざわと会話する
それを身体を代表して目が見ている
存在を代表して心が聴いている
どんなさびしい群衆がここで暮らすのだろう
体験したことのない造形に
すべての行方をまかせながら。
炎のように冷たい水が踝を濡らして
膝にも太腿にも水しぶきがかかり
ただ小さな光の点をめざして歩いてゆくのだ
轟音の中を
どんな通過儀礼を経ても
どんな加持祈祷を準備しても
すべての実効性と実定法が失われる
そんな場所だった
きみがそこに何を見たのかはわからないけれど
きみの心はそこをなつかしがっている
きみの呼吸が速くなり
両脚がゆっくりと水を掻くような動作をすることでもわかる
帰っていくの? 
どうしても?
それが世界に対する意地悪な否定だとしても?
起きなさい、目を覚まして
この紫色の空と鳥のように紅い花の配色をごらん
いまそれを見て記憶しなければ
次の千年もガラス玉のように生きるしかなくなる
空から火山灰が降るのを待望しつつ
生の意味を見失いつつ
ほら、犬たちが吠えた、起床の呼びかけだよ
夢に濡れた足を乾かして
まどろみから出ていく時間だ。
起きなさい、でもきみは起きないので
眠ったままのきみを無理やり立ち上がらせて
ぼくの部屋を起点とする風に一緒に乗ろうと思ったけれど
もう遅い、あの洞窟に引き戻されてしまった。
わかったよ、では歩いていこう
あのときとまったくおなじように
洞窟がはじまる
ここから先は足場も水の中
地中の川を歩いていかなくてはならない
おまけにきみは眠っているので
手を引きつつ四つの足下を確認しなくてはならないんだ
水音はいよいよ激しい
いったい何がそんなに大きな音を
水の分子が岩の分子にぶつかったところで
そんなに大きな音が出るものだろうか
水分子の塊がものすごい量なので
それが落下して岩面にぶつかるとき
水分子の塊と同量の空気がその場所を逃げ出してゆく
その際に空気があげる悲鳴なのか。
それにともない場所の霊たちが
脱出できない自分の悔しさを表そうとするのか。
きみの眠りが解けない分
ぼくは驚くほど覚醒している
足をとられないように細心の注意を払いつつ
何かにすがるように岸壁に右手をふれながら
左手できみの手を引きながら
暗い洞窟を歩いていく
その端の小さな光の点がだんだん大きくなって
出口近くの水のカーテン越しに
外の風景がうかがえる場所まで来た
いつか見た、あの水の皮膜だ
その先はすぐ外の世界
切れ目なく降り注ぐ水のカーテンを前に
覚悟を決めなくてはならない
さあ、走ろうか、きみとぼくは
目を覚ましてよ
でもきみは曖昧に頷くだけ
ぼくはきみを引く手に力をこめ
右手を額にかざして水を避けられるようにして
ともかく走り出す
光にむかって
外にむかって
走るといってもそれは極端なスローモーション
一瞬ごとに水の刃がぼくらを面的に切断するようだ
痛い、痛い、冷たい、冷たい、
でも外がぐんぐん迫って
水のむこうの映像が現実になる
抜けた!
もう大丈夫
速度をゆるめてずぶぬれの体のまま
ふらふらと洞窟の出口に到達した。
息が切れてどうしようもないが
なんという安心感、爽快感
そしてごらん、これが光の世界だ
洞窟の出口は崖の中ほどのテラスにあって
そこからは岩山の地帯を見わたすことができる
こんな景観は見たことがなかった
険しい岩の頂がいくつか
その合間の平地は濃い緑の森に覆われ
そこに細いけれど強烈な輝きのある川が流れている
ぼくらをスライスしようとしたさっきのあの水も
この川に流れこんでいることは明らかだ
人の気配はまったくない
ついにここまでやってきたのかと思うと
心から充実感がこみあげてくる
わかったよ、ここにやってくるために
いつかの旅をつづけるために
きみはずっと眠っていたんだね
風が吹いてきてTシャツとジーンズから気化熱を奪うので
たぶん気温はかなり高いが寒いほどだ
ケーン、ケーンと啼くのは雉子のような鳥だろうか
アイオーンと遠吠えで呼び交すのは山犬だろうか
それ以外には物音のしない
しずかで美しい邦だ
空の低いところで燕が群舞する
空の高いところで猛禽が滑空する
ぼくらの目の前にはしじみのような
小さな蝶がひらひらと舞っている
なんだ、ぼくの部屋を起点とする風に乗ったとしても
行き着く先はおなじこの場所だったんだ、とぼくは悟る
それで誰もうらむ気もなく、うらやむ気もなくなった
ただこの場所でこの光この風を楽しんでいる
これからどうするかは考えることもできない
おなじ地点にいるのにさっきより標高が上がった気がする
目に見える土地の範囲はいよいよ広がって
ここはもう成層圏かもしれない
ぼくは歌をうたった
Red River Valley
赤い川ではないけれど、この谷間のために
険しい岩山に囲まれた、この土地のために
すると眠っていたきみがいつしか声を合わせて
眠ったままおなじ歌をうたいはじめるのだ
おはよう、やっと目が覚めた?
ここは新しい土地、もっとも古い風景だ


  管啓次郎