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上京 学園祭 麗遊展

2019/ 11/ 06
                 
 お習字は七つの手習い父母に

 麗遊展その1 -


数年このところ、麗遊展に顔を出しています。
午後1時、駅の改札口で待ち合わせ。
今回は七人の侍となりました。

  麗遊展その2 - コピー



                 
        

土、日、上京。 銀座歩行者天国

2019/ 07/ 29
                 
 線路内人立ち入りて停車する電車の中の人の静けさ


 1-1銀座歩行者天国 GSIX


 真夏の銀座。
 2020年、東京オリンピックの年は、8月の最終週に4日間開催することとなった書道展覧会。


 2-1 - 海水魚


 今回は二度東京に足を運びましたが、次回は木曜、金曜も出向こうかなと今のところは思っています。


 1-2 銀座歩行者天国


 2-3 - 海水魚


                 
        

かなりや 西條八十  東京そぞろ歩き

2019/ 06/ 29
                 
かなりやの唄口遊(うたくちずさ)む心旅昨日忘れそ明日を煩う


 村田英雄が歌い、当時(1961年~)空前のヒット曲となった、「王将」は西條八十が作詞しました。船村徹が歌詞の一部を見直して作曲した歌謡曲です。



 「かなりや」の巣   野田宇太郎 (詩人)

 西條八十の名が童謡詩人として、ひろく世間に知られることになったのは、大正七年十一月号「赤い鳥」に「かなりや」を発表し、それが成田為三に作曲されて翌八年五月号に曲譜が発表されてからである。それ以前の西條八十は、早稲田の学生時代に発行した雑誌「聖杯」や「假面」の詩人というに過ぎなかった。
 西條八十さんは大正四年に早大を卒業すると、没落した実家の再興を計って兜町のカネナカという株屋に勤め、自分も相場に身を入れた。金が少し出来たので知人の紹介で、宮辺という人が営んでいた建文館という小出版社に共同出資し、その建文館の二階で結婚間もない奥さんと生活した。そこは当時の神田神保町三番地、現在の神保町一丁目の一角に当る。こうして西條さんが神保町の小出版社の編集と経営に当ったのは大正七年末なでだったが、その間大正七年五月には長女嫩子さんがそこで生れ、それから間もなくのある日、創刊されたばかりの童話童謡雑誌「赤い鳥」の主幹鈴木三重吉の来訪を受ける。それが詩人西條八十の運命の決定であった。

  2-5西條八十 挿絵その5

 三重吉に童謡の寄稿依頼をうけた西條さんは、先ず「青い鳥」の大正七年九月号に「忘れた薔薇」を発表し、つづいて十一月号に発表したのが「かなりや」である。そのころ西條さんはある翻訳の仕事をするために上野不忍池のアパートの一室を借りていた。たまたま生まれて間もない長女を抱いて上野の山を散歩することもあった。そのときふと思い浮かんだのが「かなりや」の構想だった。
 もう西條さんは「唄を忘れたかなりや」ではなかった。こうして西條さんの運命の転記となった建文館のあとを、わたくしは神保町一丁目に捜したことがある。そのころ西條さんは奥さんと一緒にやはり神保町の旧居付近を歩いて、何か思い当ることがあると次々にわたくしに報せて来た。

 2-1西條八十 挿絵その1

 その後「かなりや」の詩碑は人手の多い不忍池畔に建てられたが、やはりわたくしには幻のように消えはてた半世紀昔の表神保町三番地の建文館のことが忘れ難い。そこが人間西條八十の苦労の多かった生活の跡であり、名作「かなりや」の巣だったからである。



 かなりや

 2-2西條八十 挿絵その2.jpg

唄を忘れた金絲雀(かなりや)は、後(うしろ)の山に棄(す)てましょか。
いえ、いえ、それはなりませぬ。

唄を忘れた金絲雀は、背戸の小籔(こやぶ)に埋(い)けましょか。
いえ、いえ、それもなりませぬ。

唄を忘れた金絲雀は、柳の鞭(むち)でぶちましょか。
いえ、いえ、それはかわいそう。

唄を忘れた金絲雀は、
象牙(ぞうげ)の船に、金の櫂(かい)
月夜の海に浮かべれば、
忘れた唄を思いだす。


かなりやの歌碑

 2-3西條八十 挿絵その3


 上野不忍池のかなりやの歌碑は夙に知られている所ですが、和歌山県那智勝浦町の狼煙山遊園(ホテル浦島内)にも、かなりやの歌碑が建っています。
 何れも最終節の歌詞が刻まれています。
 不忍池の歌碑は1960年(昭和35年)にサトウ・ハチローらによる「西条八十会」によって建立されました。

 かなりや歌碑 その1

 1969年(昭和44年)には建立10周年を記念した「かなりや祭」も開催されています。


 2-4西條八十 挿絵その4



 4-1 かなりや歌碑

                 
        

下町のレストラン シラツユ 梅雨入りの日に

2019/ 06/ 11
                 
梅雨入りに訪れて知るシラツユの料理の味に舌鼓打つ


 1-7シラツユ メニュー 表紙


 〈※註「白露」(しらつゆ.シラツユ):
①俳句の秋の季語。
②『万葉集』第十三巻[歌番号]13/3221
[原文]冬<木>成 春去来者 朝尓波 白露置 夕尓波 霞多奈妣久 汗瑞能振 樹奴礼我之多尓 鴬鳴母
[訓読]冬こもり 春さり来れば 朝には 白露置き 夕には 霞たなびく 汗瑞能振 木末が下に 鴬鳴くも
[仮名]ふゆこもり はるさりくれば あしたには しらつゆおき ゆふへには かすみたなびく **** こぬれがしたに うぐひすなくも 〉

 「レストラン シラツユ」で初めて食事した日が、偶々梅雨入りとなった日でした。
 店名の「シラツユ」の名前の由来を聞きそこなったので、次回訪れたときに奥様にお聞きしたいと思いました。




  レストラン シラツユ

2-2シラツユ 表サイドから撮る

 東京都墨田区錦糸4-1-7
 電話 03-3626-2535
 JR錦糸町駅北口徒歩2分
 地下鉄半蔵門線錦糸町駅5番出口
 営業時間/不定休
  ◇月~土
  ランチ 11:00~15:00(祝日ランチ休)
  ディナー 17:00~22:30(L.O 22:00)
 ◇日・祝
  11:00~22:00(L.O 21:30)
 ☆全席禁煙となります

 3-1レストラン シラツユメッセージ - コピー
                 
        

御即位30年記念特別展 両陛下と文化交流―日本美を伝える―

2019/ 03/ 20
                 
 
 東京、ときどき。
 平日、一人です。
  上野の東京国立博物館で開催されている、皇室ゆかりの名品を紹介する特別展 御即位30年記念「両陛下と文化交流―日本美を伝える―」を観に行ってきました。

 博物館その3



 会期は4月29日までとなっていました。

両陛下と文化交流 入場券_


 皇室の慶事の献上品や、天皇、皇后両陛下が外国訪問で紹介された美術工芸の名品、日本の絹文化を象徴する両陛下の衣装などが展示されていました。
 天皇陛下ご幼少時のお祝い着「赤縮緬地吉祥文様刺繍振袖」なども披露されていて、とても興味深いものでした。

一通り見終わった後、御朱印帳を売っているのではないかと思い、物品販売所に足を向けましたが、置いてありませんでした。
 その代わりといっては何ですが、御朱印帳の代用になるものを見つけました。
 和紙を使った綴帳です。
 麻(あさ)の葉(は)綴(とじ)、
 大和(やまと)綴(とじ)、
 そして、綴葉装(てつようそう)とも呼称される、列帖装(れっちょうそう)です。


 麻の葉綴は、康熙綴(高貴綴)を装飾的に変化させた形。歌舞伎の娘役の着物や帯、浮世絵の女衣装にもみられる代表的な女柄である麻の葉文様を施し、江戸の粋を感じさせます。
  1 麻の葉綴


 大和綴は、糸のかわりに平紐や三つ折りにした和紙で綴じる様式。奈良時代に始まったと伝えられ、和歌などの書物に多く用いられました。
 2 大和綴


 列帖装(綴葉装)は、数枚重ねた和紙を二つ折りにして一帖とし、これを数帖重ねて折り山の方を糸でかがる様式。平安時代から用いられてきた日本独自の優美な綴じ方です。
 3-2 列帖装 内装
 3-1 列帖装



 東京国立博物館内の常設展示会場にも足を運びました。
 国宝や重文の刀剣も目の当たりにすることができ、大変満足しました。

国宝 短刀 銘行光 相州行光 鎌倉時代・14世紀
  国宝 短刀 銘行光  相州行光 鎌倉時代・14世紀



 博物館その1