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「原馬室の獅子舞・棒術」鴻巣市制65周年記念 郷土芸能まつり

2020/ 03/ 04
                 
 獅子舞の由来巻物言い伝え見るや忽ち目が潰れると

 27-4原馬室 三頭獅子舞.


≪ 1人立ち3頭獅子舞。県中央部系統の獅子舞。7月に祈祷ささら。8月に祭典獅子舞・棒術が行われ、祈祷と祭典では曲目と舞の構成に大きな相違があります。

 27-2原馬室 棒術.

 祈祷ささらは、村内の悪疫退散、家内安全を目的として地区内17か所で奉納されています。

 27-3原馬室 獅子舞

一方、祭典で行われる棒術は、木太刀・六尺棒・真剣を用いた組合せで35演目に及びます。

 27-1原馬室 真剣

獅子舞の由来は、天正2年(1574)5月に田楽師山田右京助、橋本一左衛門が伝えたといわれています。法眼、女獅子、後獅子で構成され、「野辺の道行」「女獅子隠し」「岩戸の曙」などがあります。 〈原馬室獅子舞棒術保存会〉 ≫



   原馬室獅子舞略縁起一巻 〈原本縦28cm、横15m〉

 10-1獅子舞略縁記 馬室村
 埼玉県民俗芸能調査報告書第四集 原馬室の獅子舞・棒術 〈昭和60年3月28日発行.発行埼玉県立民俗文化センター〉


獅子舞略縁記(ママ)



 そ     いんねん      しょらい   まずこの
 夫れ獅子舞因縁の事は三国一伝の所来也 先此獅子は本朝日

     あら
本の獅子に非す 

              てんじくこざん     この
 亦大唐の獅子にも非す 天竺狐山といふ山あり 此山に住む

                 ゆえ               
獅子なり 一切獣の王とする 故に獅子王となす 此獅子一声

    おそ                  
出せば国中の獣畏れて死するなり この獅子の毛を琴の糸ニ懸

  しゅじょう ねむり どんよくあくねんこれ  ほけきょう
け弾ハ一切衆生の眠を覚し貪欲悪念是なし 又法華経の文に

むぎょうおそれなくししおうほえるがごとし だいば なお
遊行無畏如師王牟とあり 或時堤婆仏を象に猶呑ませんと切って

 ほとけ ごし    たま いつつ    な
放つ仏手の五指を出し給ひバ五の指獅子の頭と成りて見へたり

               もんじゅぼさつ
 象畏れて膝を折り伏す しかるに文殊菩薩ハ獅子に乗り仏の前

  さんけい        おこ  せっぽう
に参詣し給ふも故あるかな 舞の発りハ仏の説法さまさまの

げどうへんげ  さまたげ      
外道変化のもの妨を成せしに此獅子敵を防ぐなり 或時堤婆が仏

         こうざ     しょせん
の学はせんとて獅子の高座を設け 所謂釈迦の法ハ目に見へず面

     わ     さた           もろびと
白くなし 我か法は眼前の沙汰をして聞かず故面白きとて諸人是


    おんまえ               いち
に付く 仏の御前には一人もなく堤婆か高座には諸人市を成す如

      おでし しょがく びく
く 時に仏の御弟子に初覚の比丘有り 堤婆に向ひていふやふハ


おせっぽう さまたげ        なんじ おい
御説法に妨を成すあれハ 獅子を出し防く事有り 汝に於て

そのぎ      そのとき      かぶ
其議なしといふ 堤婆其時獅子の頭を作りともに冠らして

まいあそびおどるなり あつま ほとけもくれんそんじゃ 
舞遊躍也 面白さに近くの人集る時 仏目連尊者を

めしたま いぬかしら        もくれん 
召給へ 犬頭といふものを堤婆の頭に置くへしとて 目連に預ケ

  すなわち      もろびと これ
られ 則堤婆の頭に置き給ヘハ諸人是を見て気を失い一人もなく

う                 な
失せたり 堤婆是を迷惑して仏へ訴訟を成して重ねて再び妨

もうすまじく  おじひふか  か   たま
申間敷と 其時仏御慈悲深くして彼の犬の頭を取り給う也 

それ     ほうぜん   
夫より以来仏神の宝前に獅子を置き 一ツにハ一切衆生の眼を

さま      ふせ        また
覚し 二ッにハ妨を防かんか為 三ッにハ亦仏法に寄らせんか

       よろず   まい    しか
為なり 則仏獅子に一曲万という曲を舞らせらるる 是併して

  ほうべん    まう  ほっけはちじくふみ
仏の方便也 仏の宝前にて獅子を舞には法華八軸の文を

あらわ
表す


 歌に曰く

まき いちもんふち しゅじょう みちびきたも の いとみち
一の巻 一文不知の衆生をも導給う法りの糸経

  にぶつ  ざ    くかい  げど    
二の巻や二仏獅子座ましまして九界を照す化度の御事

 さんあくどう    ちか
三の巻三悪道をよそに見て誓ひの海を渡るとも舟

し   でんらい きょう      とう
四の巻に獅子伝来の経たらに名を聞くたにや尊とかるらん

   ごぎゃく  きえ じた じょうぶつ
五の巻に五逆の罪もとき消て自他の成仏うたかひもなき

 ろくどう みちびきたま かんじざい
六の巻六道ことにやみときく導給へ観自在てん

 しちほうみょうとう   し      し
七の巻七宝妙搭かかやきて紫うんにもるるのりの師の声

              ほうけみょう
八の巻八万四千のほんのふもぼたいと照らす法華妙てん

ほけきょうはちじく うたわり
法華経八軸の歌畢

また    うたしだい        うた
亦神前にて舞ふにハ歌次第にあり 前後なき様に諷ふへし 

けひょう うち  てい  いがきわにぐち
華表の前又内にて庭の躰ならいに井垣鰐口宮の扉開くまで

はじめ    ふもと     くもい
始の歌に わけ登る麓の道ハ多けれと同し雲井の月とこそ見る

  ち   みまえ  けがれふじょう
 千はやふる神の御前を通るにも穢不浄ハいかて有へし 

ちはやふ
千早振神の鳥居を通るにもけがれ不浄ハいかて有へし 千早振神

 みにわ      ますがた    いがた
の御庭を見渡せは四方四面の桝形のには 千はや振神の井垣へ手

                 うち   こずえ
をかけていのりいのりはたふとかるらん 打ならす鐘に梢の夢

   あうん  きく   やしろ みと
覚めて阿吽の二字を聞そ嬉しき 千早振社の御戸を聞きてぞ

わこう           ぼんぷ
和光の恵みなをまさるらん 千早振神も凡夫もへたてなく花の都


へ帰る目出たさ

おいうた
追歌

   みにわ はい しげ さかき
千早振神の御庭を拝されハ茂る榊にかかるゆふしじく

千早振神の御庭にまとひして豊年いわふ三つの獅子舞

           ほうあんこく
千早振神の御わさにしらすへく豊安国を祈る獅子舞

  た      ふえ ね
吹き立て三つの獅子舞笛の音を面白しとや神も見るらん

   あま いわと あけ
闇となる天の岩戸も明ぬへし 獅子もふ笛に心すまして

          やおよろずよ
千早振神の井垣をおりたちて八百万代祈るとる年

      め     はら  たまがき
しめはゆる森のそと面にかしこくも悪魔を払ふ神の玉垣

ちよ        ま      みかがみ
千代やへむ来たるる松の木の間より月も照りそふ神の御鏡

    したね こけ
年ふかし森の下根に苔むして井垣とふとく神のいてます

       すみ        たかさご
千早振神のわさもや済ぬならんみわのまにまにうとふ高砂子

あらまし ぶんおわる またのちぶっぽうこのち るふ りゃく かしら
 歌荒増の文畢 亦後仏法此土に渡り流布する時略して獅子の頭

ものあそ  まう もろびとどんよくしゅうあく さ
を作り国土万民の物遊ひに舞なり 諸人貪欲嗅悪を覚まさんが

  なづけ       おこ
為と名附て出来したるなり 又日本にては発り格別なり 神前

おく このいわれ うたい  ちじん  じんむ
に置事は此謂也 諷獅子舞ハ天神七代地神五代のすハ神武天皇

じんおう     ごこく  だいとう  い
仁王の始め給ふなり ある時五穀の種を取に大唐へ何者往かん

あり けもの うち きつね かしこ もの これ あるひあきつしま
 と有し時獣の内に狐第一賢き者也 是を進めて日秋津嶋の狐大


      こく   とり   おく
唐へ渡り唐にて八五穀の実を獣取て獅子を番に置なり この狐

   こう  いわ なんじ     
往て種子を乞 獅子の曰く 汝日本の獣なり我と知恵あらそひ

   ひとこえ  なんじ  くるしき
せんと云ふ 獅子我一声出せば汝死すいふ 狐苦敷からすとい

  ほえれ     い   おどろか
ふ時獅子吼ハ狐兼て穴を掘り頭を隠し居るなり 少しも驚すし

そのこえばか おおい  もと
て其声斗りかといふ獅子大に怒り又一声出す狐本の如く穴に入

    おのれ しす  おもい
るなり 重て声出せば獅子己か死也 其時狐思のままに稲穂を

くわ わがちょう これ ひろ  ふき  にっとう
取り加へ吾朝に帰るなり 是を弘め日本富貴の国となり 入唐

                                                                   ことほぎたて            とぶらい
したる狐の宮を作り稲荷大明神と祝立る 稲荷ハ獅子の弔を成

  かしら あかめししろめし たむけとぶらうそ
さんとて獅子の頭を作り 次に赤飯白飯を始めて手向弔其れを

 そのご           なりもの
学ひ其後ハ獅子三ッも7つも十二も作り 或ハ太鼓笛等の鳴物

   ものあそ  この  もくれんそんじゃ
を入諸人物遊ひに是を成す 此初めハ七月のものなり 日蓮尊者

がきくよう おどり  うらら
餓鬼供養の躍ハ七月十五日盂蘭盆の始めなり 又七月ハ五穀モ

みの       ゆゆしき   じひ
実り人の心も暑くなく寒くなく亦由由敷時分なれば慈悲を成し

  ごしょう           うち
 後生を励ますときなれは也 又秋の始なり 年中の内

  うま  かたよ  かた    みどり
春ハ生るるに形り秋ハ死に片よる 春の草木も翠を出すハ生るる

    きば     ちかづくていなり
形なり 秋の木葉も紅葉となりて散りはてるハ死に近附躰也 

しか あいだ なつ ときたま  さ おどり
然る間盆供養と名付く説給ふなり 去れば獅子舞ニ五段の躍有り

 みちゆき   しずか おどる  め
一ッにハ道行 二ッにハ庭 三ッにハ靜ニ躍 四ッにハ女獅子

かく   きりおどり   ごじょう
隠し 五ッにハ切躍なり 五段を仁義礼智信の五常とも 又

わがみ  ごりんごたい  またごち              
我身の地水火風空の五輪五体とも亦五智如来也 

これにより さだま
依之五段と定る

 みちゆき  たいない かた  てい
 道行ハ母の胎内ニ宿る形ち 庭へ出るハ生れ出る躰なり 其

   しずか おど  としさか   れんぼ       
後ハ如何ニも静に躍り生長して年盛んになれハ恋慕の心出来し

  あいだ め              
たる間女獅子争うなり 去りながらこの女獅子隠に躍るなれハ

しなおど                                     
品踊りともいふ 又天照太神天の岩戸に入り給ふを神神の

かぐら もっ ひきだ てい あらわ それ あき
神楽ヲ以て引出しもふす躰を表するなり 其より日本明らかに成

    たき    これひとえ
りて目出度国と礼拝するなり 是偏に天地の御恩を今繁昌也 其

    きわま いちご す きりおどり
レ過き恋慕も究り人間の一期も過きれハ切躍といふ躍あけば

   かつ   さ
ち一本ハ檐くやうに天を指し頭を下げ三度礼拝する 


これひとえ  ごおん
是単に天地の御恩と人に知られ父母の御恩天地の御恩 衆生の恩 

この         そ                   
此三恩三度礼拝するなり 夫れ歌ハ庭をかため方を固め神の

         ばんじよ  しる
始まり 其後ハいろいろにうたうへし 万事余の巻に記す

ひすべしひすべしあなかしこ
  可秘可秘穴賢

  天正2申歳
     五月吉日
              山本右京助    
              橋本市左衛ヱ門

 馬室郷
  藤井孫右衛門殿

みぎわがやのじゅうほうとしてひぞうのいっかん そんみんのこいによりこれをもしゃ
   右我家為重宝 秘蔵之一巻  因乞村民模写之

         第三十二代(藤井真人)

 明治二十七年十月一日

      藤井襄行義  
                 
        

「登戸ささら獅子舞」鴻巣市制65周年記念 郷土芸能まつり

2020/ 02/ 23
                 
 ささら擦る笛や太鼓の音の色復活遂げて継ぐや伝統

 25-2ささら のぼりと


 ≪ 春は悪魔退散祈願、秋は五穀豊穣を感謝し、明治42年宮登神社合祀前は登戸の鎮守第六天社に奉納していたとされ、およそ300年前の江戸、元禄時代より代々受け継がれてきましたが、昭和34年(1959年)を最後に途絶えていました。

 25-1登戸ささら獅子舞

 その後、農家の土蔵に保存されていた獅子頭の修復(平成9年)を機に、平成17年(2005年)12月に保存会が発足、古老による指導を受けながら練習を重ね、平成18年(2006年)10月秋の例大祭において約半世紀ぶりに復活しました。

 25-3 笛.

 法眼、女獅子、後獅子の1人立ち3頭による獅子舞の演目は、すりこみ、四方固め、野回り、唱歌、花見の舞、女獅子隠し、青春の華、花の夢路、青春の闘争、御代の恵み、海道下りとなっています。 

 25-4太鼓

〈登戸獅子舞保存会〉 ≫


                 
        

「小谷(こや)ささら獅子舞」鴻巣市制65周年記念 郷土芸能まつり

2020/ 02/ 16
                 
 お祝いに獅子を舞います10頭で初めて見ますそのカッコよさ

 獅子舞を10頭で見るお祝いのまつりに見事花開く今日

 23-4小谷のささら獅子舞.


 ≪ 小谷の獅子舞は、五穀の豊作と無病息災を神に感謝して「日枝神社」に奉納しています。その起源は不詳ですが、約350年前から行われていたと伝えられています。
 本獅子舞の特徴は、関東地区の獅子舞が基本的に3頭で構成されていることに対して獅子が5頭いることです。なぜ5頭立てなのかは明確ではありませんが、地元の言い伝えによれば、昔は7頭で舞っていましたが、水害で2頭が流されてしまったと言われております。
 奉納は、災害の無い年の10月15日と定められていましたが、現在は10月15日以前の休日に毎年奉納しています。最初に場を清めるため棒術の四方固めから始まり、

 23-1小谷棒術

払い棒で獅子舞に移ります。獅子舞は法眼獅子1頭、雄獅子2頭、女獅子2頭がオカメ・ヒョットコの面を付けた導師に導かれて、一曲形式でリズミカルにそして優雅に舞います。

 23-3 小谷10頭獅子舞

 本日は、祝市制施行65周年記念郷土芸能まつりですので、地元の小学生の子ども獅子と大人の獅子10頭で舞います。〈小谷文化財保存会〉 ≫


 23-2小谷獅子舞

                 
        

「広田のささら」鴻巣市制65周年記念 郷土芸能まつり

2020/ 02/ 14
                 
 
 太刀さばきいわれ天竺謹みて日天光前畏れ敬う

 龍頭の舞い奉納に歴史あり神事に秘めた芸能伝承

 100-4広田龍頭3頭

 ≪広田のささらは、別名「龍頭舞」といい、一人立ち3頭連舞で、3人1組で各々が独立した1つの頭をかぶって舞う、獅子舞です。寛永16年(1639年)7月27日より地区内の諏訪神社で始められたと伝えられています。現在、鷺栖神社(諏訪神社合祀)の神事として、毎年10月の第2日曜の大祭に、五穀豊穣と悪魔除けを祈願して奉納されています。
 ささらは、棒使いによる「花棒」と3頭の龍による「龍頭舞」2部作で構成されます。花棒には、20通りの演目があります。龍頭舞は、前半「女獅子隠し」テーマにした物語が展開され、後半では歌舞を中心とした舞になっています。〈広田鷺栖神社龍頭舞保存会〉 ≫

 100-1 広田龍頭スタート

☆注記: 氏子組織と伝承団体〈「川里村史」による:
  << 鷺栖神社の氏子組織は、広田地区の12(13)組を4区に分け、各組から組総代2人計24人と、各地区から氏子総代1人計4人(大総代)、氏子総代1人を選出しています。組総代は、現在の行政割りとは異なりますが、4つの区の構成は、一区が東間(あずま)・六軒・内出、二区が北部・上三ケ谷戸・番場・向領、三区が堤・三ケ谷戸・原、四区が谷・畑・本村(ほむら)で、東組は、本村の内にあります。
 組鎮守は、東間―久伊豆神社、谷畑―天神様、原―御小宮(おこみや)様、堤―秋葉様、向領―天神様、番場―大神様、北部―白山様、上三ケ谷戸―天神様、三ケ谷戸―八幡宮、六軒―山王様、本村―宝登山様、東組―大神宮があげられています。〉〉

 100-2 広田龍頭エンドレス


「鴻巣市史」〈全11巻.一括頒布価格¥10,000(各1冊旧価格¥3,000~¥3500.新価格各¥1,500)〉、「川里町史」〈全4巻.一括頒布価格¥3,000(各1冊旧価格¥3000.新価格各¥1,500)〉のご案内は、「市制施行65周年記念 郷土芸能まつり」のプログラムを頂いたおりのパンフレットです。
 「川里町史」はお目にかかったことがないので判りかねますが、「川里村史」〈全6巻〉に、「龍頭舞」の一項が詳細に記されています。
 その記事から、「大刀さばき」の一節をご紹介いたします。
 
 100-3イントロ花棒棒使い

『太刀さばき』
 太刀のいわれについては、大木刀と六尺棒を地面に交差させておき、一人が中央に進み出て太刀を抜き片膝をついて、次の「太刀さばき」を読み上げる。

 ≪ 抑々(そもそも)此の御太刀と申し奉るは一派泰けなくも天竺(てんじく)にては漢波久羅漢(はんはくらかん)、五大山大聖文殊(もんじゅ)、阿比羅雲健(あひらうんけん)の五字よりも出生し給う御太刀なり。大唐にては降伏利剣我が朝にては神支宝剣内侍所(しんしほうけんないじどころ)の三つ也。
 抑々日本へ拡め始まる根本は清和天皇九代の後胤征夷大将軍佐間神(さまのかみ)源朝臣義朝の八男御曹司牛若丸十四歳の時承安二年の頃丹波比叡鞍馬此の三の御山にて遣い出し給う御太刀也。
 鞘(さや)に志津波利治まる時は素戔男尊(すさのうのみこと)大海の底に引籠りたる如斯也(かくのごとくなり)。
 正しくは日本総社津島牛頭天王(ごずてんのう)と仰し給う、然れば是を抜き放てば面は鏡の如く朝日大海に来光し給う。故に大海の底に大日如来の印も有りと唱うる也。即ち太刀の形をば金色大師太刀連の剣を兵する也。
 然れば文殊の作りし大刀なれば切先三寸は三社八幡大神宮両の三頭は摩利子(まりし)天威多(えだ)天を兵する也。焼は久利加羅不動明王左の鍔(つば)は勢多加童子(せいたどうじ)右の鍔は古無加羅(むから)童子、峯は阿弥陀利剣の各号を兵する也。切羽鎺(きりはかね)〈※〉は阿呍(あうん)の二字。鍔(つば)の丸は十五満月を兵する也。柄は紅葉九重を兵する也。目釘丁と打ちたるは揺げ共四方や抜けずの要石親鮫は宇佐々摩明王惣佐とは空に連なる星の軍勢を兵する也。縁は増長天柄頭(えがしら)は広目(こうもく)天柄糸(からいと)は飯綱大権現即ち八つ菱九つ菱に巻きたるは八菱は中天竺大峯山八大金剛(こんごう)童子、九つ菱は九字九尊九曜摩無多羅(くようまむたら)を兵する也。両の目貫は両部の大日(だいにち)、鞘(さや)は春日(かすが)大明神鯉口は天照皇大神の天の逆鉾(さかほこ)を兵する也。鐺(こじり)は大聖歓喜大多聞天鴣(こ)とは印(いん)の行者、木口は智恵の文殊、小柄は持国天、小刀櫃は愛染明王、下げ緒は不動三惣番の縛の縄を三尺二寸にて切落し下緒とは名付け給う也。
 抑々恐れ謹しみ敬って此御太刀と申し奉るは常には有らず三の御山にて日天の光前より御無双に受け奉る太刀なれば神前にては神支宝剣(しんしほうけん)、仏前にては公支阿比羅雲剣(こうひあひらうんけん)それに向って寿命の院を切結ぶ。天摩外道(てんまげどう)に向う時は清浄霊剣として遣い分け奉る。恐れみ恐れみ申す。 ≫

☆注記:「切羽(せっぱ)」、と「鎺(はばき)」の意味が判らなかったので、あちこちを検索して、その意味するところを調べてみました。

※切羽(せっぱ)
 刀身の刃区部分に装着したハバキと、柄の縁金具に両側を押さえられて鐔を挟む位置に装着される薄い金具のことをいいます。 柄口部分の締まり(鐔のガタつき)の微調整をするためのものです。
 多くは素銅に金着とされ、鐔から刀身を保護するためにありますが、一方で鐔や縁を傷付けない用としてもあります。
 「切羽詰まる」という、どうにもならない局面に追い込まれることを意味する言葉の語源が、鐔が固定されて動かないところからきていることを知ることが出来ました。

※鎺(はばき)
  せっぱ‐はばき 【切羽鎺】
 「切羽」も「鎺」も、刀剣の鍔元(つばもと)の金具の名称の一つです。
 《刀に手をかけて談判するところから》ひざづめ談判をすることをさします。
 『さっきにから切羽鎺する通り、銀(かね)渡したら御損であらう』〈浄・歌念仏〉

                 
        

観光こうのす №28 ピックアップ秋の鴻巣市郷土芸能 ささら獅子舞

2019/ 08/ 27
                 
  ささらする子の袖揺れる伝承の獅子舞いおどる郷土の空


    3-1ささらのささら - コピー - コピー

 (竹を細かく割って作った「ささら」を擦り合わせるリズムと、笛の音色に合わせておどる「ささら獅子舞」。)

 3-2 ささらの横笛


 令和元年の、「原馬室の獅子舞・棒術」(埼玉県指定無形民俗文化財)は、8月18日(日)に執り行われました。
 10月に入ると、「広田のささら〈龍頭舞〉」(10:00~鷺栖神社、13:00~六軒自治会・公民館、19:00~鷺栖神社).12日の前夜祭は19:00~鷺栖神社)が、同じく13日(日)に、「登戸のささら」(13:30~登戸自治会集会所)が、そして「小谷のささら〈五頭舞〉」(13:00~日枝神社、他)が14日(月・祝)に行われます。


〈※註:「広田のささら」と、「小谷のささら」は、鴻巣市指定無形民俗文化財〉