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上野三碑とは  山上碑 多胡碑 金井沢碑

2019/ 01/ 03
                 

 平成30年10月28日の県民の日、山上碑を初めて訪れました。

 2上野三碑めぐりバス -


 このときは、ガラス越しでの御目文字となりました。
 その折に、次の日曜日の11月4日は、上野三碑が一般公開されるということを、ボランティアの方から教えて頂きました。

 平成29年(2017年)10月31日、上野三碑(こうずけさんぴ)は、ユネスコ「世界の記憶」に登録されました。三つの碑は何れも国の特別史跡に指定されています。
 
  県民の日、「上毛かるたの世界」展を観に、群馬県立歴史博物館を初訪問しました。
 その折に、上野三碑についての予備知識をあれこれ得ることができました。

 3山上碑 レプリカ -
   山上碑レプリカ



 4多胡碑 レプリカ
   多胡碑レプリカ


 5金井沢碑 レプリカ
   金井沢碑レプリカ




 ~ ~ ~ 上野三碑(こうずけさんぴ)とは、群馬県―古代上野国(こうずけのくに)―高崎市南部地域に所在する、飛鳥・奈良時代に造立(ぞうりゅう)された三つの石碑の総称です。
 日本国内で現存する平安時代以前の古碑はわずか二十例ほどに過ぎず、高崎市域における三例の集中は、歴史的にきわめて特筆されます。このような重要性から、三碑はいずれも国の特別史跡に指定されています。
 それぞれの碑文からは、千三百年前頃の地方行政制度のあり方、古代豪族(ごうぞく)の婚姻や氏族のつながり、仏教思想の広がりなど実に多くのことが明らかになり、古代東国史の一級資料と評価されています。
 文字を駆使し、石碑を建てる文化は、飛鳥(あすか)時代に朝鮮半島や中国からもたらされたものです。このため、当地域の豪族の地域経営には、渡来人の知識層―主として新羅(しらぎ)系の人々―が参画し、当時の日本の中でも高い文化度を誇っていたと考えられます。
 ・・・ 山上碑は、完存するものに限れば日本最古のものとして知られ、古代最大の内乱「壬申(じんしん)の乱」を征して即位した天武(てんむ)天皇の時代に造立(ぞうりゅう)されました。 ・・・
「上野三碑」パンフレットより抜粋 ~ ~ ~


 1日本の古代石碑.
   (※7「阿波国造碑」のみ、塼(せん)〈焼き物〉製




(※追記:1月3日の朝も、小谷地区の冬水田んぼには、ハクチョウは舞い降りていませんでした。)

                 
        

 上野三碑めぐり    石碑(いしぶみ)の路(みち)

2019/ 01/ 02
                 

 山上碑から金井沢碑を結ぶ約5㎞の道のりには、万葉和歌を詠んだ碑が29基建っています。

 「石碑之路」  手島右卿




 11 手島右郷
    万葉巻 4-3403  手島右郷





  ~ ~ ~ 「石碑(いしぶみ)の路」: 土木会社社長であった信沢克己さんは上代の人々が、佐野山と呼んだ今の山名丘陵の麓の根小屋町に移り住んでいた。
 信沢さんの趣味は、狩猟をするためではなく、キジを飼育して山に放すことであったため、しばしば自然歩道を歩いていた。
 山名丘陵には、山上碑や金井沢碑があり、万葉集に収録された上野国歌の幾首かはこの附近で詠われていた。ここは私たちの心の古里ともいえる、美しい緑の丘陵である。
 信沢さんは、心の古里を大切に保存するため、万葉集の中の上野国歌の碑を佐野山の路に建てることを思いついた。
山上碑も、金井沢碑も千年以上もそこにある。
歌碑の造立は、上代のロマンを伝え、石がそこにあるかぎり、人々もこの路を大切にするだろうという思いから、信沢さんは石碑(いしぶみ)の路を作ったのである。 「上野三碑「高崎自然歩道ガイドマップ」より抜粋~ ~ ~


 皆様
 初春を寿ぎお慶び申し上げます。
 


 手島右卿の筆による昭和天皇の御歌は、「石碑の路22」に建てられています。


 もえいづる春の若草よろこびのいろをたたへて子らのつむみゆ


 「萌え出たばかりの春の若草を、よろこびの気持ちを全身に表しながら子どもたちが摘んでいるのを、私も嬉しい気持ちで見ている。」


 
 元旦のみ休みとなっている「上野三碑めぐりバス」(9人乗り.無料)に乗って、何回か訪れてみたい「石碑の路」めぐりです。


 
 上野三碑めぐり 運行バス時刻表



 (※追記「鴻巣小谷のハクチョウのこと」:平成31年1月2日の朝も、ハクチョウは姿を現しませんでした。 富士山はこのところ毎日姿を見せています。)

  富士山 平成31年1月2日


                 
        

ユネスコ世界の記憶一周年記念 上野三碑めぐり  山上碑 2018年11月4日

2018/ 11/ 05
                 
 
 10月28日の群馬県民の日に続いて、二度目のご対面となった山上碑(やまのうえひ)。 
 
 普段はガラス戸越しにしか観ることが出来ない上野三碑(こうずけさんぴ)ですが、11月4日は特別公開日となっていて、その形姿を目の当たりにすることができました。


 2 山上三碑.



 山上碑は、完存するものに限れば日本最古の石碑として、古代最大の内乱「壬申の乱」を征して即位した天武天皇の時代に造立されました。
 碑文は、佐野三家(さののみやけ)を管理した豪族の子女である黒売(くろめ)と、その子である長利(ちょうり)の系譜を述べたもので、隣接した山上古墳に埋葬されたとみられる黒売の追善供養碑の性格をあわせ持っています。

  2-3 山上古墳.
 

 三家(=屯倉〈みやけ〉)は、六世紀から七世紀前半にかけて各地の軍事・経済的要地に置かれたヤマト政権の直轄地のことで、佐野三家は高崎市南部の烏川両岸(現在の佐野・山名地区)にまたがって設置されていたと推定されています。-「上野三碑」解説文より-


 石段が続いています。

 2-2 山上碑 石段.


 階段が幾つあるのか、スタッフの方に伺ったところ171段というご返事。
 階段は、そのまま延々と続いているのではなく、途中ステップが何か所かあるので数え方によっては、若干の違いがでてくるのではなかろうかと思い、往き、復り、それぞれカウントしてみました。
 石段を上がる前に、木の段が25段あります。
 それから石段が36段あります。
 その上がったところに、お休み処があります。
 帰りに寄ろうかなと思ったのですが、寄っていきなさいと地元の皆さん(「山上碑・金井沢碑を愛する会」の方々)が声をかけてくださったので、それではとお邪魔しました。
 いたれりつくせりのご接待をいただきました。
 柿、オデン(「山上碑」、「多胡碑」、「金井沢碑」の「上野三碑」をかたどったオデンでした。)、コーヒー、お茶でした。

 2-4 オデン コーヒー.
 

 おせんべいなどのお菓子類はご辞退しました。
 持っていきなさいといわれましたので、ありがたく柿を三つ頂戴しました。
 (戻ってから頂戴した方がよかったかな・・・と心のどこかで思いはしましたけれど・・・)

  さて、それから石段を登っていきました。136段を数えました。
 36と136を足すと172段になります。
 あれ、一段数え間違ったかなと思い、帰りに数え直しすることにしました。
  上がった平らな所から二、三歩先にも、石段が五つありました。
 碑を覆っている建屋は、2つの段差の上に建てられているということも判りました。


 ※上野三碑ユネスコ「世界の記憶」登録一周年記念事業の一つとして、「史跡めぐり『山名郷を歩く』(12月1日・土曜.9:30~12:00)」が開かれます。
 ・案内は「山上碑・金井沢碑を愛する会」の皆さんです。
 ・問い合わせは「多胡碑記念館」(tel 027-387-4928)。
 ⇒要予約、定員30人になり次第締め切り(参加費無料)。
 ◇集合場所/山名八幡宮南高崎市営駐車場(高崎市山名町1501-1.小雨決行。
                 
        

 ユネスコ「世界の記憶」 上野三碑「金井沢碑 山上碑 多胡碑」 11月4日

2018/ 11/ 01
                 

 山上碑から金井沢碑まで、歩いて40分ほどですよ。と、「上野三碑ボランティア会」の帽子をかぶった方に教えていただきました。
 土曜日曜、祝日に交代(59人の会員)でガイドをしているとのことで、小学生などの団体は平日の予約も受けつけているとのこと。
 
 この日は、「藤岡歴史館」、「高崎市立美術館」、「群馬県立歴史博物館」を巡る予定を立てていたので、またの機会(予定は11月4日)にということにしました。


 5金井沢碑 レプリカ.J
   金井沢碑レプリカ(「群馬県立歴史博物館)





 金井沢碑文
     金井沢碑文(父の遺した墨)


《「金井沢碑」現代語訳:ユネスコ「世界の記憶」上野三碑を読む‐群馬県立歴史博物館‐》

上野國羣馬郡下賛郷髙田里(かみつけのくにくるまのこおりしもさぬのさとたかだのこざと)に住む
三家子□(みやけのこ□)が、先祖と父母(ふぼ)のために、
現在家刀自(いえとじ)の立場にある他田君目頬刀自(おさだのきみめづらとじ)、その子の加(か)
那刀自(なとじ)、孫の物部君午足(もののべのきみうまたり)、次の馬爪刀自(ひづめとじ) 、次の乙馬爪刀自(おとひづめとじ)の合せて六人、また仏の教えで結ばれた人たちの、三家毛人(みやけのえみし)、次の知万呂(ちまろ)、鍛師(かぬち)の礒部君身麻呂(いそべのきみみまろ)の合せて)三人、
このように団結(だんけつ)して天地に誓(ちか)い、仏に仕(つか)えることを誓(ちか)つた
石文(いしぶみ)である。
 神亀(じんき)三年(西暦726年)丙寅(へいいん・ひのえとら)二月二九日



 

                 
        

上野三碑 ユネスコ「世界の記憶」登録1周年記念イベント 多胡碑記念館

2018/ 10/ 31
                 

 高崎市の公式サイトに、
《文化財保護課では、上野三碑のユネスコ「世界の記憶」登録1周年を記念して、多胡碑記念館での企画展や専門家による記念講演会のほか、三碑の特別公開を実施・・・》と記されていました。

  父が多胡碑を訪れた当時の写真がありました。

 多胡碑お堂

  多胡碑はお堂の中のようです。お堂の前に建てられている石碑は何でしたでしょうか。

 
 石碑に刻まれた文字は、現在でも日本や中国で「書」の手本にされています。
 多胡碑は西暦711年頃に建立されました。「胡」は渡来人のことで、「多」は文字通り「多い」ということです。渡来人が多く住んでいた地に、多胡郡が新設されたことを地元で記念し、伝えるために建てられた石碑です。

 4多胡碑 レプリカ
      多胡碑レプリカ(群馬県立歴史博物館)


 多胡碑文
    父の遺した墨書(「多胡碑文」)




《「多胡碑」現代語訳:ユネスコ「世界の記憶」上野三碑を読む‐群馬県立歴史博物館‐》
〈中央政府の〉弁官(べんかん)から命令があった。上野国(かみつけのくに)の片岡郡(かたおかのこおり)・緑野郡(みどののこおり)・甘良郡(かんらのこおり)の三つの郡(こおり)の中から、三百戸(さんびゃくこ)を分けて郡をつくり、羊(ひつじ)に支配させ〈郡の名称を〉多胡郡(たごのこおり)としなさい。
和銅(わどう)四年(西暦711年)三月九日甲寅(こういん・きのえとら)に命令が伝えられた。
左中弁(さちゅうべん)・正五位下多治比真人(しょうごいのげたじひのまひと) 〈により、命令書が送られた〉。
太政官(だいじょうかん)は二品穂積親王(にほんほづみしんのう)、左大臣(さだいじん)は正二(しょうに)
位石上(いいそのかみの)〈麻呂〉(まろ)尊(みこと)、右大臣(うだいじん)は正二位藤原(しょうにい藤原の)〈不比等〉(ふひと)尊(みこと)。



◇多胡碑記念館(高崎市吉井町池1085) 第40回企画展「山上碑の世界~古墳から寺院へ」
 会期:平成30年10月31日(水)から12月9日(日)まで
 開館:午前9時30分から午後5時(入館は午後4時30分まで
 休館:月曜日
 「学芸員による解説会」
 平成30年10月31日(水)、午前10時、午後2時.
 平成30年11月24日(土)、午後3時30分.
 ・申し込み不要、・参加費無料

◇記念講演「上野三碑に刻まれた東アジアと古代社会」
  平成30年11月3日(土・祝)、午後1時30分~午後3時.
  吉井文化会館小ホール
  吉井町吉井285-2
 講師:三上喜孝氏 (国立歴史民俗博物館教授)
    ・無料. ・先着200人(自由席)