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水シリーズ 荒川 御成橋から富士山を望む

2019/ 10/ 20
                 
 荒川の川幅長さ日本一富士山望む御成橋朝


 1-1御成橋から荒川越しの富士山を望む


 御成橋から日の出の時刻に、上る朝陽を見ることはできません。
 ある年の元旦、初日の出を拝もうと、御成橋に出向いたことがありましたが、その時刻、富士山を望むことはできましたが、荒川の川面から顔を出す太陽をみることができなかったことを思い出しました。

 1-2富士山が見えます


 1-3荒川20191013


                 
        

水シリーズ 荒川 糠田橋からお日様を待つ

2019/ 10/ 19
                 
 荒川に朝陽顔出す台風過

 台風過日の出にならず糠田橋

 3-2-3糠田橋から下流を見る



 荒川の水量が川幅一杯に満たした時に、川面からお日様が顔を出すのを見ることができるのかなというのが、何十年来のハテナの一つでした。
 日の出時刻に合わせ、糠田橋より下流、川幅日本一の御成橋方面の荒ぶる荒川を撮りました。



 オオタカでしょうか、どうでしょうか、獲物を狙っているのでしょう、二羽の鷹が時に高く時に低く飛翔を繰り返していました。

 3-4 鷹

 3-5 タカ.



                 
        

水シリーズ 見沼代用水 あちこちに流れていました

2019/ 10/ 13
                 
 見沼の名代用水の意味尋ね

 2-1見沼代用水秋の空.


 利根大堰は昭和43年(1968年)に完成しました。この地域にあった90近くの農業用水の小取水口を統合、12の門扉をもつ可動堰で、取水口の幅は127メートル、利根川からの導水量は毎秒147立方メートルとなっています。
 (「行田浄水場」は、昭和59年〈1984年〉完成.毎秒導水量4.815立方メートル)

 見沼代用水は、
武蔵水路の導水量(毎秒50立方メートル)に継ぐ、毎秒41.772立方メートルの導水量となっています。

 2-2見沼代用水


見沼代用水は、
江戸時代(享保年間)にそれまでの見沼溜井に代わる農業用水の供給施設として、新たに開削された歴史的な大用水路です。
 現在は埼玉県行田市から県東南部・東京都足立区にかかる地域約15,000haに農業用水を供給しています。また、埼玉合口二期事業により、新たに利用可能となった水道用水を埼玉県および東京都に供給しています。
「見沼代用水」・・・、水路がこのように分かれていることを、つい最近まで知りませんでした。
(1)基幹線水路 通水量 
フルーム型水路43.467m3/s、ライニング型水路43.467m3/s
(2)西縁幹線水路 通水量 フルーム型水路 7.517m3/s
(3)東縁幹線水路 通水量 フルーム型水路 11.500m3/s
(4) 騎西領用水路 通水量 フルーム型水路 6.596m3/s
(5)中島用水路 通水量  フルーム型水路  5.007m3/s
(6)荒川連絡水道専用水路 通水量 管水路  4.263m3/s


 全国疎水百選にも選ばれている見沼代用水は、
令和元年(2019年)9月に、「世界かんがい施設遺産」に選ばれました。埼玉県では初の登録となりました。


 2-7見沼代用水 境橋
  (「境橋」〈鴻巣市境125付近〉)

 2-9見沼代用水山王橋まで
 (「境橋」から「山王橋」までのふれあいウオーキングコース1700m)



 「見沼代用水」の 「西縁…」、「東縁…」などの詳細をもっと知りたいと思い、
さいたま市「見沼たんぼ」のホームページを訪れました。

 


「見沼代用水の導水」

~伊奈一族 による 荒川、利根川の治水と見沼溜井の造成 ~
江戸時代初期、利根川と荒川は現在の越谷付近で合流しており、 氾濫(はんらん) を繰り返していました。この両川を引き離し、その跡を一大水田地帯にする大土木事業が行われました。
利根川は文禄2年(1594)から60年かけて、流れを少しずつ東に移していく工事が行われました。
これを利根川東遷(とねがわとうせん) と言います。この工事により、それまで東京湾に流れ込んでいた利根川は、銚子で太平洋に注ぐようになりました。
荒川は寛永6年(1629)、熊谷の久下で元荒川を締め切り、流れを西に移し入間川・隅田川を通じて江戸湾に注ぐ流路に変えました。これを荒川西遷(あらかわせいせん)といいます。

~利根川東遷(とねがわとうせん)と荒川西遷(あらかわせいせん)~
これらの工事によって大河川が遠のいた跡の池沼地帯では、耕地を広げるために池沼の水を排水する 落川(おとしがわ)や農業用水を貯めておく溜井(ためい)がいくつも造成されました。

これらの大土木事業を行ったのは、 伊奈備前守忠次 (いなびぜんのかみただつぐ)を始めとする伊奈一族です。忠次の次男半十郎 は荒川を付け替えた同年に、現在のさいたま市東部に広がっていた見沼の東岸と西岸が最も近づく附島(緑区)と木曽呂(川口市)の間に約8町の長さから「 八丁堤 (はっちょうづつみ)」と呼ばれる堤を築き、見沼へ流れ込む水を貯留しました。これが、「 見沼溜井 (みぬまためい)」です。



「井沢弥惣兵衛為永による見沼代用水造成」

~享保の改革による新田開発と見沼代用水~
見沼溜井 (みぬまためい)から水を引く「見沼用水」のお陰で周辺の新田開発が進みました。しかし次第に 見沼溜井 (みぬまためい)だけでは水が不足するようになりました。
その後享保12年(1727年)、 徳川吉宗の命を受けた井沢弥惣兵衛為永 (いざわやそべえためなが)が、新たに利根川から用水を引き、見沼溜井は干拓して新田開発し、排水路として中悪水路(現芝川)を掘削する工事を行いました。見沼たんぼの誕生です。
利根川から引かれた水は、見沼に代わる用水なので「見沼代用水」と呼ばれました。見沼代用水は、取水口の利根川から見沼まで全長60km。そこからかつての見沼用水につなげましたから、末端は現在の東京都足立区まで、84.5kmにも及びました。

~見沼代用水の重要構造物 ~
見沼代用水は、利根川から見沼たんぼまで多くの水路や道路を横断しなければなりません。そのため、川の下に水路をくぐらせる 伏越 (ふせこし)53基、川の 上に水路を渡す 掛渡井 (かけとい)4基、関枠(取水口)は大小合わせて164基、主要な橋は(石橋・土橋合わせて)90ヵ所も設置されました。
とくに元荒川 をくぐらせた 伏越 (ふせこし)、綾瀬川の上を渡した 掛渡井 (かけとい)は、重要構造物として知られています。

~伏越(ふせこし)~
川底より下に木造の水路を作り、水をくぐらせて流した。

~掛渡井 ( かけとい ) ~
水路の上に橋を架け渡し、水を通した。


これらの工事には総労働人数90万人、その賃金15,000両、構造物の費用5,000両という巨費が投じられ、着工後6ヵ月という短い工期で完成させていま す。
こうして見沼に始まる 見沼溜井 (みぬまためい)は約1,200町歩(1町歩は3,000坪)の新田に替わり、毎年5,000石もの年貢米を生産する実りの土地に変貌したのです。



「見沼代用水による灌漑のしくみ」

見沼代用水は、利根川から取水し、綾瀬川を越えた直後に台地の縁に沿って東西2本に分流します。西側の台地に沿って掘削された 見沼代用水西縁 (みぬまだいようすいにしべり)(全長約22km)と、東側の台地に沿って掘削された 見沼代用水東縁 (みぬまだいようすいひがしべり)(全長約16km)です。 見沼代用水は干拓して開発した水田に水を入れたのち、低地を流れる芝川に排水する仕組みをとりました。
この工事により見沼新田だけでなく、その周囲も含む、多くの村に用水を供給することができるようになりました。


                 
        

水シリーズ 利根大堰の取水口、導水量は毎秒最大131㎥

2019/ 10/ 12
                 
 分かち合う坂東太郎生命(いのち)水


 5-1利根大堰5つの用水路口




 坂東太郎の大河を堰き止め、8つの取水口が設けられている利根大堰.

「利根導水の役割」を、独立行政法人水資源機構利根導水総合事業所の公式サイトから紹介致します。
・第1の役割-利根川の水を東京へ!
・第2の役割-取水口の統合!
・第3の役割-隅田川の水をきれいに!
~現在では、東京都水道局の約4割、埼玉県企業局の約8割の給水エリアの方々へ水道用水を送水しています
この水不足を解消するため、これらの取水口を合口して近代的な取水施設利根大堰がつくられ、取水の安定化・合理化を図りました。
~現在では、群馬県、埼玉県から東京都に広がる約29,000ヘクタール耕地の水配分を計画的に行っています
~武蔵水路が荒川に運んだ利根川の水の一部が、新河岸川を経て隅田川に注ぎ込まれ、隅田川の水質浄化に役立っています。
河川水を浄化用水として導水し、水質汚濁に悩む河川を浄化する試みとしては日本では最初のものです


◇邑楽用水路〈導水量=Q=毎秒5.111立方メートル〉
  →・利根加用水.・昭和用水.・坂東用水.・北川辺領用水.
 5-2邑楽用水路


◇埼玉用水路〈Q=毎秒29.493立方メートル〉
  →・羽生領用水.・葛西用水.・稲子用水.・古利根用水.
 5-3埼玉用水路


◇武蔵水路〈Q=毎秒50立方メートル〉〈註:※〉
  →荒川→・吉見浄水場〈Q=1.712立方メートル〉.・朝霞浄水場〈Q=毎秒29.829立方メートル.・浄化用水〈Q=23.400立方メートル〉→新河岸川.・秋ヶ瀬取水堰.・大久保浄水場〈Q=12.885立方メートル〉
 5-4武蔵水路


◇見沼代用水〈Q=40.017立方メートル〉
 →「P=揚水機場」→「浄化」→・朝霞浄水場
 5-5見沼代用水路


◇行田浄水場〈Q=4.815立方メートル〉 
 5-6行田浄水場 -


◇利根加用水〈Q=1.910立方メートル〉
◇騎西領用水〈Q・・・〉
◇中島用水〈Q・・・〉

〈◇利根導水路.◇須賀樋管.◇水資源機構〉
 5-7-利根総水路・須賀樋管・水資源機構





〈註:※=武蔵水路
・位置:埼玉県行田市須賀地先~埼玉県鴻巣市糠田地先
・延長:約14.5㎞
・最大導水量:毎秒50㎥
・流量調整堰[1か所]
・伏越[8か所]
・樋管
・整水ゲート[5かしょ]
・放流口〔6ヶ所〕
・水門[3か所]
・排水機場
・小水力発電  

                 
        

水シリーズ・元荒川の堰 赤レンガを訪ねて 笠原堰記念之碑

2019/ 10/ 10
                 
 
赤煉瓦尋ねた先の堰の跡案内(あない)導き心打つ道

 1-1笠原堰跡赤煉瓦


 
 花一輪堰の名残にひっそりと 

 1-10花一輪



 ある方に、笠原堰 (ゲート5門の堰、使用煉瓦数は4万9千個)の跡地をお聞きしましたところ、元荒川に接している現地まで案内していただきました。
 その節は大変ありがとうございました。
 この場をおかりしましてお礼申し上げます。

1-2笠原堰之跡記念碑


 笠原の堰は、農業用水取水のため、承応3年(1654年)に造られたといわれています。
 明治期に入ると形式が木造の堰枠になったことにより、木造故に腐朽が進むのが早く、明治8年(1875年)、同23年(1890年)と補修が繰り返されています。
 赤煉瓦造りとなったのは、明治35年(1902年)ですが、昭和7年(1932年)には、元荒川の改修事業によって、小竹堰とともに笠原堰は、上流の宮地堰(現「安養寺堰」)に合口されることになり、撤去されました。

 1-5元荒川 -
  (「元荒川」)


 今、彼の地には、笠原堰の記念碑(供養塔)と、当時の赤煉瓦など幾つかの建造物断片が遺されています。

 1-4笠原堰之跡遺構水切り


 
(「笠原堰之跡」記念碑:鴻巣市笠原1508-1付近)