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うろこ雲  宮沢賢治

2020/ 10/ 21
                 


 うろこ雲積もる高さのひつじ雲


 ひつじ雲2
 〈ひつじ雲〉


 うろこ雲は、幾度となく見てはいますが、まだ写真に収めた記録はありません。
 ひつじ雲の写真は取り出すことができました。
 うろこ雲〈いわし雲〉はひつじ雲より高度のある場所で発生しますので、光の通過が強く、雲の影がないかほとんど見えません。
 一方、ひつじ雲は光の通過が弱く、雲に影が生じます。うろこ雲より一つひとつの雲のサイズが大きく見えます。



  うろこ雲  宮澤賢治

 そらいちめんに青白いうろこ雲が浮かび月はその一切れに入って鈍い虹を掲げる。
 町の曲り角の屋敷にある木は脊高の梨の木で高くその柔らかな葉を動かしてゐるのだ。
 雲のきれ間にせはしく青くまたたくやつはそれも何だかわからない。
 今夜はほんたうにどうしたかな。八時頃からどこでもみんな戸を閉めて通りを一人も歩かない。
 お城の下の麥を干したらしい空くひの列に沿って小さな犬が馳けて來る。重く流れる月光の底をその小さな犬が尾をふって來る。
 夜の赤砂利、陰影だけで出來あがった赤砂利の層。櫻の梢は立派な寄木を遠い南の空に組み上げ私はたばこよりも寂しく煙る地平線にかすかな泪をながす。
 町はまことに諒闇の龍宮城また東京の王子の夜であります。
 北上岸の製板所の立て並べられた板の前を小さな男の子がふいと歩く。
 それから鐵橋の石で疊んだ橋臺が白くほのびかりしてならび私の心はどこかずうっと遠くの方を慕ってゐる。
 もう爪草の花が咲いた。さうだ。一面の爪草の花、青白いともしびを點じ微かな悦びをくゆらしそれから月光を吸ふつめくさの原。
 小さな甲蟲がまっすぐに飛んで來て私の額に突き當りヒョロヒョロ危く墮ちようとして途方もない方へ飛び戻る。
 原のむかふに小さな男が立ってゐる。銀の小人が立ってゐる。よこめでこっちを見ながら立ってゐる。にやにやわらってゐる。にやにや笑ってうたってゐる。銀の小人。
「なんばん鐵のかぶとむし
 月のあかりも つめくさの
 ともすあかりも 眼に入らず
 草のにほひをとび截って
 ひとのひたひに突きあたり
 あわててよろよろ
 落ちるをやっとふみとまり
 いそんでかぢを立てなほし
 月のあかりも つめくさの
 ともすあかりも眼に入らず
 途方もない方に 飛んで行く。」
 原のむかふに銀の小人が消えて行く。よこめでこっちを見ながら腕を組んだまま消えて行く。
 アカシヤの梢に綿雲が一杯にかかる。
 そのはらわたの鈍い月光の虹、それから小學校の窓ガラスがさびしく光り、ひるま算術に立たされた子供の小さな執念が、可愛い黒い幽靈になってじっと窓から外を眺めてゐる。
 空がはれて、そのみがかれた天河石の板の上を貴族風の月と紅い火星とが少しの軋りの聲もなく滑って行く。めぐって行く。


底本:「宮澤賢治全集第六卷」筑摩書房
   1967(昭和42)年9月25日初版第1刷発行
入力:土屋隆
校正:阿部哲也
2012年8月7日作成
青空文庫作成ファイル:



 
                 
        

サガレンと八月 宮沢賢治 生誕124年

2020/ 08/ 27
                 

 8月に生まれし人に風が問う何の用なの貝殻の孔


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 『サガレンと八月』は未定稿です。最終行を受けてその後の言葉を紡ぐことはありませんでした。
 宮沢賢治の生涯はとても短い〈1896年(明治29年8月27日‐1933年(昭和8年)9月21日.享年37歳)ものでしたが、たくさんの作品を遺しています。
こんにち、私たちが賢治の諸作品を間近にみることができるのも、草野新平の並々ならぬ尽力によってのものであるということは、よく知られているところです。
 2020年の8月27日は生誕124年。9月21日に没後87年を迎えます。

 1134-1雲20200816-1-


 大正11年(1922年)11月27日、宮沢賢治の妹トシが亡くなりました。
 翌年の大正12年(1923年)7月、賢治はサハリン〈当時の呼称は「樺太=サガレン」〉に旅しました。
 この旅程でなした『オホーツク挽歌』、『宗谷挽歌』などの挽歌三部作ともいえる作品に、賢治の心象風景をみてとることができます。
 その「挽歌」の一節に、
〈・・・/けれどももしとし子が夜過ぎて/どこからか私を呼んだなら/・・・/われわれが信じわれわれの行かうとするみちがもしまちがひであったなら/究竟の幸福にいたらないなら/いままっすぐにやって来て/私にそれを知らせて呉れ。/みんなのほんたうの幸福を求めてなら/・・・〉
 という妹トシの描写の箇所があります。
 また、『オホーツク挽歌』に合わせ『サガレンと八月』とを読み進めていくと、 妹トシへの鎮魂歌として、そしてまた自身への生き様の証として、両者が対をなした作品になっていたであろう・・・と腑に落ちる導きとなりますが、『サガレンと八月』が未定稿となっている今において、夏目漱石の未完の小説『明暗』と同様、 私たちは終着駅をもっていないのです。
 ですが、賢治のピリオドを打っている諸作品一つひとつを丹念に読み解いていくと、相対する登場者それぞれに、賢治の影が落とされていることに気がつきます。
 『サガレンと八月』もまた、未定稿とはいえ、同様な二律的な結末を辿っていくということを想定しながら、私は賢治の宗教性を感じとりました。




  サガレンと八月  

「何の用でここへ来たの、何かしらべに来たの、何かしらべに来たの。」
 西の山地から吹(ふ)いて来たまだ少しつめたい風が私の見すぼらしい黄いろの上着(うわぎ)をぱたぱたかすめながら何べんも通って行きました。
「おれは内地の農林(のうりん)学校の助手(じょしゅ)だよ、だから標本(ひょうほん)を集(あつ)めに来たんだい。」私はだんだん雲の消(き)えて青ぞらの出て来る空を見ながら、威張(いば)ってそう云(い)いましたらもうその風は海の青い暗(くら)い波(なみ)の上に行っていていまの返事(へんじ)も聞かないようあとからあとから別(べつ)の風が来て勝手(かって)に叫(さけ)んで行きました。
「何の用でここへ来たの、何かしらべに来たの、しらべに来たの、何かしらべに来たの。」もう相手(あいて)にならないと思いながら私はだまって海の方を見ていましたら風は親切(しんせつ)にまた叫ぶのでした。
「何してるの、何を考えてるの、何か見ているの、何かしらべに来たの。」私はそこでとうとうまた言ってしまいました。
「そんなにどんどん行っちまわないでせっかくひとへ物(もの)を訊(き)いたらしばらく返事(へんじ)を待(ま)っていたらいいじゃないか。」けれどもそれもまた風がみんな一語ずつ切れ切れに持(も)って行ってしまいました。もうほんとうにだめなやつだ、はなしにもなんにもなったもんじゃない、と私がぷいっと歩き出そうとしたときでした。向(むこ)うの海が孔雀石(くじゃくいし)いろと暗(くら)い藍(あい)いろと縞(しま)になっているその堺(さかい)のあたりでどうもすきとおった風どもが波のために少しゆれながらぐるっと集(あつま)って私からとって行ったきれぎれの語(ことば)を丁度(ちょうど)ぼろぼろになった地図を組み合せる時のように息(いき)をこらしてじっと見つめながらいろいろにはぎ合せているのをちらっと私は見ました。
 また私はそこから風どもが送(おく)ってよこした安心(あんしん)のような気持(きもち)も感(かん)じて受(う)け取(と)りました。そしたら丁度あしもとの砂(すな)に小さな白い貝殻(かいがら)に円(まる)い小さな孔(あな)があいて落(お)ちているのを見ました。つめたがいにやられたのだな朝からこんないい標本(ひょうほん)がとれるならひるすぎは十字狐(じゅうじぎつね)だってとれるにちがいないと私は思いながらそれを拾(ひろ)って雑嚢(ざつのう)に入れたのでした。そしたら俄(にわ)かに波(なみ)の音が強くなってそれは斯(こ)う云(い)ったように聞こえました。「貝殻(かいがら)なんぞ何にするんだ。そんな小さな貝殻なんど何にするんだ、何にするんだ。」
「おれは学校の助手(じょしゅ)だからさ。」私はついまたつりこまれてどなりました。するとすぐ私の足もとから引いて行った潮水(しおみず)はまた巻(ま)き返(かえ)して波になってさっとしぶきをあげながらまた叫(さけ)びました。「何にするんだ、何にするんだ、貝殻(かいがら)なんぞ何にするんだ。」私はむっとしてしまいました。
「あんまり訳(わけ)がわからないな、ものと云(い)うものはそんなに何でもかでも何かにしなけぁいけないもんじゃないんだよ。そんなことおれよりおまえたちがもっとよくわかってそうなもんじゃないか。」
 すると波(なみ)はすこしたじろいだようにからっぽな音をたててからぶつぶつ呟(つぶや)くように答えました。「おれはまた、おまえたちならきっと何かにしなけぁ済(す)まないものと思ってたんだ。」
 私はどきっとして顔を赤くしてあたりを見まわしました。
 ほんとうにその返事(へんじ)は謙遜(けんそん)な申(もう)し訳(わ)けのような調子(ちょうし)でしたけれども私はまるで立っても居(い)てもいられないように思いました。
 そしてそれっきり浪(なみ)はもう別(べつ)のことばで何べんも巻(ま)いて来ては砂(すな)をたててさびしく濁(にご)り、砂を滑(なめ)らかな鏡(かがみ)のようにして引いて行っては一きれの海藻(かいそう)をただよわせたのです。
 そして、ほんとうに、こんなオホーツク海のなぎさに座(すわ)って乾(かわ)いて飛(と)んで来る砂やはまなすのいい匂(におい)を送(おく)って来る風のきれぎれのものがたりを聴(き)いているとほんとうに不思議(ふしぎ)な気持(きもち)がするのでした。それも風が私にはなしたのか私が風にはなしたのかあとはもうさっぱりわかりません。またそれらのはなしが金字の厚(あつ)い何冊(さつ)もの百科辞典(ひゃっかじてん)にあるようなしっかりしたつかまえどこのあるものかそれとも風や波(なみ)といっしょに次(つぎ)から次と移(うつ)って消(き)えて行くものかそれも私にはわかりません。ただそこから風や草穂(くさぼ)のいい性質(せいしつ)があなたがたのこころにうつって見えるならどんなにうれしいかしれません。

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       *

 タネリが指(ゆび)をくわいてはだしで小屋(こや)を出たときタネリのおっかさんは前の草はらで乾(かわ)かした鮭(さけ)の皮(かわ)を継(つ)ぎ合せて上着(うわぎ)をこさえていたのです。「おれ海へ行って孔石(あないし)をひろって来るよ。」とタネリが云(い)いましたらおっかさんは太い縫糸(ぬいいと)を歯(は)でぷつっと切ってそのきれはしをぺっと吐(は)いて云いました。
「ひとりで浜(はま)へ行ってもいいけれど、あすこにはくらげがたくさん落(お)ちている。寒天(かんてん)みたいなすきとおしてそらも見えるようなものがたくさん落ちているからそれをひろってはいけないよ。それからそれで物(もの)をすかして見てはいけないよ。おまえの眼(め)は悪(わる)いものを見ないようにすっかりはらってあるんだから。くらげはそれを消(け)すから。おまえの兄さんもいつかひどい眼(め)にあったから。」「そんなものおれとらない。」タネリは云(い)いながら黒く熟(じゅく)したこけももの間の小さなみちを砂(すな)はまに下りて来ました。波(なみ)がちょうど減(ひ)いたとこでしたから磨(みが)かれたきれいな石は一列(いちれつ)にならんでいました。「こんならもう穴石(あないし)はいくらでもある。それよりあのおっ母(かあ)の云ったおかしなものを見てやろう。」タネリはにがにが笑(わら)いながらはだしでそのぬれた砂をふんで行きました。すると、ちゃんとあったのです。砂の一とこが円(まる)くぽとっとぬれたように見えてそこに指(ゆび)をあててみますとにくにく寒天のようなつめたいものでした。そして何だか指がしびれたようでした。びっくりしてタネリは指を引っ込(こ)めましたけれども、どうももうそれをつまみあげてみたくてたまらなくなりました。拾(ひろ)ってしまいさえしなければいいだろうと思ってそれをすばやくつまみ上げましたら砂がすこしついて来ました。砂をあらってやろうと思ってタネリは潮水(しおみず)の来るとこまで下りて行って待(ま)っていました。間もなく浪(なみ)がどぼんと鳴ってそれからすうっと白い泡(あわ)をひろげながら潮水がやって来ました。タネリはすばやくそれを洗(あら)いましたらほんとうにきれいな硝子(ガラス)のようになって日に光りました。タネリはまたおっかさんのことばを思い出してもう棄(す)ててしまおうとしてあたりを見まわしましたら南の岬(みさき)はいちめんうすい紫(むらさき)いろのやなぎらんの花でちょっと燃(も)えているように見えその向(むこ)うにはとど松(まつ)の黒い緑(みどり)がきれいに綴(つづ)られて何とも云(い)えず立派(りっぱ)でした。あんなきれいなとこをこのめがねですかして見たらほんとうにもうどんなに不思議(ふしぎ)に見えるだろうと思いますとタネリはもう居(い)てもたってもいられなくなりました。思わずくらげをぷらんと手でぶら下げてそっちをすかして見ましたらさあどうでしょう、いままでの明るい青いそらががらんとしたまっくらな穴(あな)のようなものに変(かわ)ってしまってその底(そこ)で黄いろな火がどんどん燃(も)えているようでした。さあ大変(たいへん)と思ってタネリが急(いそ)いで眼(め)をはなしましたがもうそのときはいけませんでした。そらがすっかり赤味(あかみ)を帯(お)びた鉛(なまり)いろに変(かわ)ってい海の水はまるで鏡(かがみ)のように気味(きみ)わるくしずまりました。
 おまけに水平線(すいへいせん)の上のむくむくした雲の向(むこ)うから鉛いろの空のこっちから口のむくれた三疋(びき)の大きな白犬に横(よこ)っちょにまたがって黄いろの髪(かみ)をばさばささせ大きな口をあけたり立てたりし歯(は)をがちがち鳴らす恐(おそ)ろしいばけものがだんだんせり出して昇(のぼ)って来ました。もうタネリは小さくなって恐(おそ)れ入っていましたらそらはすっかり明るくなりそのギリヤークの犬神(いぬがみ)は水平線まですっかりせり出し間もなく海に犬の足がちらちら映(うつ)りながらこっちの方へやって来たのです。
「おっかさん、おっかさん。おっかさん。」タネリは陸(りく)の方へ遁(に)げながら一生けん命(めい)叫(さけ)びました。すると犬神はまるでこわい顔をして口をぱくぱくうごかしました。もうまるでタネリは食われてしまったように思ったのです。「小僧(こぞう)、来い。いまおれのとこのちょうざめの家に下男(げなん)がなくて困(こま)っているとこだ。ごち走(そう)してやるから来い。」云(い)ったかと思うとタネリはもうしっかり犬神(いぬがみ)に両足(りょうあし)をつかまれてちょぼんと立ち、陸地(りくち)はずんずんうしろの方へ行ってしまって自分は青いくらい波(なみ)の上を走って行くのでした。その遠ざかって行く陸地に小さな人の影(かげ)が五つ六つうごき一人は両手を高くあげてまるで気違(きちが)いのように叫(さけ)びながら渚(なぎさ)をかけまわっているのでした。
「おっかさん。もうさよなら。」タネリも高く叫(さけ)びました。すると犬神はぎゅっとタネリの足を強く握(にぎ)って「ほざくな小僧、いるかの子がびっくりしてるじゃないか。」と云ったかと思うとぽっとあたりが青ぐらくなりました。「ああおいらはもういるかの子なんぞの機嫌(きげん)を考えなければならないようになったのか。」タネリはほんとうに涙(なみだ)をこぼしました。
 そのときいきなりタネリは犬神の手から砂(すな)へ投(な)げつけられました。肩(かた)をひどく打(う)ってタネリが起(お)きあがって見ましたらそこはもう海の底(そこ)で上の方は青く明くただ一とこお日さまのあるところらしく白くぼんやり光っていました。
「おい、ちょうざめ、いいものをやるぞ。出て来い。」犬神は一つの穴(あな)に向(むか)って叫びました。
 タネリは小さくなってしゃがんでいました。気がついて見るとほんとうにタネリは大きな一ぴきの蟹(かに)に変(かわ)っていたのです。それは自分の両手(りょうて)をひろげて見ると両側(りょうがわ)に八本になって延(の)びることでわかりました。「ああなさけない。おっかさんの云(い)うことを聞かないもんだからとうとうこんなことになってしまった。」タネリは辛(から)い塩水(しおみず)の中でぼろぼろ涙(なみだ)をこぼしました。犬神(いぬがみ)はおかしそうに口をまげてにやにや笑(わら)ってまた云いました。「ちょうざめ、どうしたい。」するとごほごほいやなせきをする音がしてそれから「どうもきのこにあてられてね。」ととても苦(くる)しそうな声がしました。「そうか。そいつは気の毒(どく)だ。実(じつ)はね、おまえのとこに下男(げなん)がなかったもんだから今日(きょう)一人見附(みつ)けて来てやったんだ。蟹にしておいたがね、ぴしぴし遠慮(えんりょ)なく使(つか)うがいい。おい。きさまこの穴(あな)にはいって行け。」タネリはこわくてもうぶるぶるふるえながらそのまっ暗(くら)な孔(あな)の中へはい込(こ)んで行きましたら、ほんとうに情(なさ)けないと思いながらはい込んで行きましたら犬神はうしろから砂(すな)を吹(ふ)きつけて追(お)い込むようにしました。にわかにがらんと明るくなりました。そこは広い室であかりもつき砂がきれいにならされていましたがその上にそれはもうとても恐(おそ)ろしいちょうざめが鉢巻(はちまき)をして寝(ね)ていました。(こいつのつらはまるで黒と白の棘(とげ)だらけだ。こんなやつに使(つか)われるなんて、使われるなんてほんとうにこわい。)タネリはぶるぶるしながら入口にとまっていました。するとちょうざめがううと一つうなりました。タネリはどきっとしてはねあがろうとしたくらいです。「うう、お前かい、今度(こんど)の下男は。おれはいま病気(びょうき)でね、どうも苦(くる)しくていけないんだ。(以下原稿空白)

 
1134-4‐雲20200816-4-.
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底本:「ポラーノの広場」角川文庫、角川書店
   1996(平成8)年6月25日初版発行
底本の親本:「新校本 宮澤賢治全集」筑摩書房
   1995(平成7)年5月
入力:ゆうき
校正:noriko saito
2009年8月15日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。

 20200818宮沢賢治1

                 
        

古都平泉 JRオレンジカード 断捨離をしていたら…

2020/ 05/ 05
                 
 
 陸奥の賢治恋しや二人旅

 陸奥の銀河鉄道999訪ねし先は古都平泉


 3オレンジカード 中尊寺 金色堂

 折に触れて断捨離をしています。
 この日は、JRのオレンジカードが出てきました。

 5オレンジカード 


 「古都平泉」と銘打った、中尊寺国宝金色堂、毛越寺、義経堂、春の藤原まつり〈源義経公東下り〉の4枚、合わせて4,000円のカードです。
 陸奥(みちのく)に旅したとき、連れが記念にと手にしたものです。

 1オレンジカード  毛越寺

 このときの旅行の足は、列車とタクシーとレンタカーでした。
 小岩井牧場、龍泉洞、宮沢賢治記念館、平泉、宮古などなど、あちこちに行ったことを思い出していました。

 2オレンジカード 義経堂

 JR東日本の公式サイトに「オレンジカード発売終了」の記事が載っていました。
 〈オレンジカードは2013年3月31日をもちまして発売を終了しました。
※なお、お持ちのオレンジカードにつきましては、2013年4月1日以降も引
き続き、駅の券売機等にてご利用いただけます。〉

 4オレンジカード  春の藤原まつり 義経公東下り

                 
        

「宮沢賢治スペシャル」アンコール放送決定! NHK・Eテレ

2017/ 03/ 29
                 
 3月のNHK・Eテレ、100分de名著は、「宮沢賢治スペシャル」4回シリーズでした。
  その最終回、3月27日(月)午後10時25分~10時50分放送の第4回 『「ほんとう」を問い続けて』を見損なってしまいましたので、3月29日(水)午後0時00分~0時25分の再放送を見ようと思っていました。

 先ほど、朝刊のテレビ番組表をみたところ、NHK・Eテレの同じ時間帯には「選抜高校野球・準々決勝・・・」、【中止】「名著宮沢賢治〔再〕と書いてありました。
 今日は良いお天気です。

( *追補:再放送
《「Eテレ 100分de名著 宮沢賢治スペシャル[終] 第4回「“ほんとう”を問い続けて」
 東京 4月1日(土)午後2:00~午後2:25》 )



 あわてて、、「宮沢賢治スペシャル」の公式サイトを検索したところ、
「宮沢賢治スペシャル」アンコール放送決定!
【放送日】4月9日(日)一挙放送
【第1回】午前0:50~1:14 <土曜深夜>
【第2回】1:15~1:39 <土曜深夜>
【第3回】1:40~2:04 <土曜深夜>
【第4回】2:05~2:29 <土曜深夜>
と、出ていました。

 ホッとしました。

 その同じページを見て気づいたことがもう一つありました。礒野佑子アナウンサーが「宮沢賢治スペシャル」を最後に、番組を卒業するということです。お疲れ様でした。そしてありがとうございました。
 《・・・さて、今回のシリーズをもちまして、礒野佑子アナウンサーが番組を卒業します。宮沢賢治は、身体全体で自然と共鳴しながら言葉をつむいでいった作家でしたが、礒野アナウンサーも、この「共鳴力」で番組を盛り立ててくれました。たとえば、中原中也の詩の言葉に、ときに涙を浮かべながら深く共鳴していた姿が今も忘れられません。礒野アナウンサーの新たな職場での活躍を心より祈りつつ、彼女が残してくれた財産を今後の番組に活かしていきたいと思います。》


宮沢賢治 テキスト


《第4回 「ほんとう」を問い続けて 
【指南役】山下聖美(日本大学芸術学部教授)…「宮沢賢治のちから」「賢治文学『呪い』の構造」等の著作で知られる文学研究者。【童話の朗読】原田郁子(クラムボン・ボーカル)【詩の朗読】塚本晋也(映画監督)
賢治が繰り返し使った「ほんとうの幸い」という言葉。「ほんとう」すなわち究極の答えとしての真理。古今東西の哲学者や文学者たちが求めてやまない真理を、賢治は「ほんとう」という言葉に込め真剣に考え追求した。「銀河鉄道の夜」や「学者アラムハラドの見た着物」には、そのテーマが貫かれている。だが「ほんとう」を追求し続けたにもかかわらず死ぬ間際に自分の人生を「迷いの跡」だと言い放つ賢治。これは何を意味するのか? 山下聖美さんは、「ほんとう」に行き着くための「迷い」自体が、彼の貫いた文学の道だという。「永久の未完成これ完成である」。この言葉に賢治の文学と生き方が象徴されているのだ。第四回は、「銀河鉄道の夜」「マリヴロンと少女」などの作品や彼の晩年の生き様を通して、「ほんとう」とは何か、そして、それを求めていくことの意味とは何かを考える。》



《 「銀河鉄道の夜」「春と修羅」などの作品で今も多くの人に愛される宮沢賢治(1896~1933)。数多くの愛読者をもつだけでなく、絵画、音楽、絵本、マンガ、映画、アニメーション、果てはプラネタリウムやゲームまで……幅広い分野のクリエイターや制作者たちの想像力を刺激し続け、「賢治ワールド」ともいうべき作品が誕生し続けています。その魅力は今なお汲み尽くされたとはいえません。そこで「100分de名著」では、「宮沢賢治スペシャル」と題して、代表作を絞るのも難しいほど多面的な作品群に4つのテーマから光を当て、宮沢賢治の奥深い世界に迫っていきます。

 何万年という時間をかけて生み出されてきた地層や石から地球の時間を感受した賢治。法華経を熱心に信仰し宗教的な生き方に身を捧げようとした賢治。遥か彼方からの届く星々の光に思いをはせ、宇宙を物語にした賢治。最愛の妹トシを失った痛切な体験を慟哭ともいえるような詩の言葉にした賢治。賢治の作品には、彼自身の人生そのものがつまっています。死の間際に自分の書いた原稿を「迷いの跡」とまでいった賢治は、生涯、命を削るように作品を創造し続けました。だからこそ、彼の作品には、人知を超えたスケール、思いもよらない圧倒的な表現、永遠に向かうまなざしが宿っているのです。

 賢治の作品が現代の私たちの心を揺さぶってやまないのはなぜでしょうか? 日本大学芸術学部教授の山下聖美さんは、彼の作品には「人間とは何なのかという問い」と「ほんとうの幸いへの探究心」が込められているからだといいます。わずか三十七歳で亡くなった賢治が残したテキストには、時代を経ても変わらない、むしろ時を経たほうが鮮明に浮かび上がる人間という不思議な存在の謎が描かれているからだというのです。

 番組では、宮沢賢治研究の新鋭、山下聖美さんを指南役に招き、「春と修羅」「注文の多い料理店」「雨ニモマケズ」「なめとこ山の熊」「銀河鉄道の夜」といった既存のジャンルにはおさまりきれない作品群に現代の視点から新しい光を当てなおし、多面的でスケールの大きな宮沢賢治の世界を味わいつくします。》









                 
        

宮沢賢治スペシャル 100分de名著 善も悪も清も濁も、同時に存在する――

2017/ 03/ 07
                 
  家人に教えてもらってみることができた、3月6日月曜午後10時25分からの、『宮沢賢治スペシャル 100分de名著』 

 「NHKテキスト2017年3月Eテレ」を、今日手元に置きました。
 第1回は、「自然からもらってきた物語」(3月6日放送、3月8日再放送)でした。
  「注文の多い料理店」「鹿踊りのはじまり」「貝の火」「イーハトーボ農学校の春」
  ここでは、賢治のあの「風」をいたるところに鏤めて説明をこころみています。

  毎週月曜日、午後10時25分から25分間の放送です。あと3回75分、どのような展開になっていくのか、見逃すことのできない番組です。

 第2回 永遠の中に刻まれた悲しみ
  「永訣の朝」「オホーツク挽歌」「雪渡り」「やまなし」

 第3回 理想と現実のはざまで
  「雨ニモマケズ」「毒もみのすきな署長さん」「土神ときつね」「なめとこ山の熊」

 第4回 「ほんとう」を問い続けて
  「学者アラムハラドの見た着物」「ポラーノの広場」「マリヴロンと少女」「銀河鉄道の夜」

100分de名著 宮沢賢治

 賢治作品の魅力は、いわゆる「めでたしめでたし」という終わりがないことです。そもそも未完のままであったり、決定稿が存在しない作品も多い。(〈※〉)これは何だろう、なぜだろうと思う謎や疑問が幾つもあり、それを自分なりに解釈したくなる。解釈にとどまらず、賢治の作品から受け取ったインスピレーションを自分の創作のきっかけとするようなクリエーターも多い。繁殖力のある文学、と言っても良いかもしれません。
 文学は読者に一つの答えを与えるものではありません。むしろ、謎という大きな問を放ちます。これを自分の感覚でキャッチし、自分の経験と照らし合わせながら考えることで、読む人それぞれの解釈が可能になります。
 と、「はじめに」の中で、案内人の山下聖美(やましたきよみ)日本大学芸術学部教授は綴っています。

〈※〉」宮沢賢治は、37歳という短い生涯(1896年〈明治29年〉8月27日-1933年〈昭和8年〉9月21日)の中で、詩約800篇、童話約100篇をはじめとする膨大な数の作品を書いています。