FC2ブログ
        

洋酒マメ天国 25

2012/ 11/ 27
                 
洋酒マメ天国 酒の診察室 25

第2章 その酒を何故飲みたくなる?  より

 折りあらば飲み 折りなくも飲む
 "酒なくて何の己が桜かな"というように、せっかくの花見も酒がなくては楽しみが半分になってしまい、はては桜はそこのけで酒だけにおぼれてしまうのが多い。
 リュッケットは、人は次の五つの理由で酒をのむことができるといった。
 ①祝祭日のため
 ②渇きをいやすため
 ③未来を拒むため
 ④美酒をたたえるため
 ⑤どんな理由ででも
 つまり酒好きはどんなことも酒を飲む理由にする。うれしいといってはのみ、悲しいといってはのみ、誕生日、記念日、何でも酒をのむ理由にするし、何も理由にすることがなければ仕方がないから酒でものもうということになる。理由がないからという理由をつけてまで、どうして酒をのまなければならないのか。
 理由をつけるのは酒をのむことに多かれ、少なかれひけ目を感じるためかも知れない。酒を何のためにのむのかといえば勿論酔うためであって、酔わないのならのんだって仕方がないということになる。


第6章 酒を飲み続けて長命する方法 より
 
 理想的な酔い方とは
  ・ ・ ・ ・ ・
 酒は各人が自分の好みとペースによって楽しく呑むことが酔い方の"トラ"の巻である。

  ・  ・  ・
  
第1章 医学から見た 酒とはそもそも何であるか?
第2章 医学から見た その酒を何故飲みたくなる?
第3章 医学から見た 嚥下しておこる人体の症状
第4章 医学から見た ホロ酔いからヘベレケまで
第5章 医学から見た 女性がだんだん美しく見える理由
第6章 酒を飲みつづけて長命する方法

著者 木崎国嘉 = 昭和七年、京都大学医学部卒業。大阪日赤病院内科部長。深夜の人気番組「11PM」のドクターをつとめるかたわら、新聞、ラジオ、テレビの"人生相談”を担当。まず博識に驚く。その博識を語る話術にもっと驚く。さらに、酒量僅少とは誠にオドロキである。

洋酒マメ天国第25巻     昭和42年8月30日発行
著者 木崎 国嘉       発行所サントリー株式会社

洋酒マメ天国25
                 
        

三島由紀夫

2012/ 11/ 25
                 
 特別読物

 新資料発掘! 歴史に埋もれた「三島由紀夫」裁判記録  
 42年前の11月25日、1人の天才作家が壮絶な最期を遂げた。日本中に衝撃を与え、海外にも打電された「三島由紀夫切腹事件」。幾星霜を経て歴史に埋もれていった裁判記録は何を物語るのか。新資料を発掘したジャーナリスト・西法太郎氏(56)が事件の背景に迫る。

 ・ ・ ・
三島由紀夫切腹事件 
今日は、三島由紀夫が45歳で自ら命を絶った日です。

 脈絡は何もないのですが、衝撃を感じたということにおいて、三島由紀夫切腹事件と、浅沼稲次郎刺殺事件がいつも錯綜します。

浅沼稲次郎刺殺事件
 山口二矢は、1960年10月12日、日比谷公会堂において、浅沼稲次郎を刀で刺殺。
 二矢(おとや)17歳。

 17歳ということだけがキーワードの、脈絡のない話が続きます。

ジェラード事件 
 1957年1月30日、在日米軍兵、ウィリアム S ジェラードが、群馬県相馬が原演習地で、日本人女性を射殺。
当年17歳。

 17歳ということだけが同じの脈絡のない話が続きます。

島原の乱
 天草四郎時貞は、寛永15年2月28日、死亡。時に17歳。

記録ということについて
 三島由紀夫は、自ら割腹し、介添えによる介錯で命を絶ちました。
 山口二矢は、1960年11月2日、獄房で自殺(縊死)しました。
 この二つの事件において、当時を語る記録はその生々しさということもあった故か、今日でも色褪せることなく私たちは見聞することが出来ています。
 ジェラードの年齢は、ウィキペディアでは米国版引用書を使い、「21歳」と記載。他の日本語版では、いずれも「17歳」と記録しています。記事内容も私の記憶(当時の「上毛新聞」と「読売新聞」)と比較すると幾つか異なることが散見されます。
(例えば、「ママサン、ママサン・・・」と、カタコトの日本語で呼びかけて…というような描写が事件直後の全国紙や地元紙に載っていたというようなことです。)
 天草四郎の死亡時の状況、死亡時の年齢など諸説あります。物語性に富んでいますので、あっちこっち読み漁っても飽きないくらいの情報がふんだんに飛び交わっています。
 私の記憶の中では、「17歳で生涯を終える」です。
 橋幸夫が歌う・・・アマクサシロウ(ビショウーネーン…)の歌詞には、「17歳」となっていますので、「記憶の中の17歳」というキーワードで、ここに三者三様の記録を列記してみました。

 さて、冒頭の  新資料発掘!  歴史に埋もれた 「三島由紀夫」 裁判記録 は、週刊新潮 45 11月29日号 特別読み物  ということを申し添えさせていただきます。
 おしまいの五行に書かれた言葉は、作者をして何を語ろうと・・・・・。
                 
        

杉浦日向子

2012/ 11/ 24
                 
大江戸美味草紙

大江戸美味草紙 杉浦日向子著


冬の足音 より

 新蕎麦は物も言わぬに人が増え

 江戸っ子は無類の蕎麦好きだ。新蕎麦の時期になると、宣伝もしないのに、蕎麦の香りに吸い寄せられるように、店の前へ行列が出来る、といった句だ。
 江戸初期、精進料理の珍味として供せられていた「蕎麦切り」が、庶民食の代表となったのは、江戸も半ば、安永年間のこと。蕎麦切りとは、今われわれが思う蕎麦の姿で、製麺された、あの、するするっとたぐるやつだ。上方の「麦切り(うどん)」を真似、蕎麦粉につなぎを入れ、平たくのして切ったので、「蕎麦切り」。それまで、蕎麦と言えば、蕎麦の実の殻を剥いたものを、そのまま炊いたり、「ぞうすい」や「かゆ」にしたか、蕎麦粉を熱湯でこねて生醤油で食べる、「そばがき」か、それを「すいとん」か「ほうとう」のように具だくさんの汁で煮込むかが、一般的な蕎麦の調理法だった。かって蕎麦は、米の代用品、飢饉の際の「救荒作物」であり、蕎麦好き、蕎麦通、などという言葉自体が存在しない、ネクラでシビアな素材だった。それが、時代が下がり、食生活にゆとりが生まれた江戸半ばに、そば切りが普及しはじめ、五穀の外の雑穀・蕎麦は、やっと表舞台の光明を得た。
 ところで、赤穂の義士たちが、討ち入り前に、蕎麦で腹ごしらへをしたと伝えられるが、元禄の頃(安永から七十年以上前)、江戸にはまだ、そんな大勢を収容できる蕎麦切りの専門店はなかったので、たぶん不可能だったろうと思われる。
 蕎麦は、日本海側と中部以東の山間地で多く栽培され、それぞれ地方色豊かな蕎麦文化が育まれたが、中でも特異なスタイルを確立したのが「江戸前蕎麦」だ。
 江戸の蕎麦は、第一に「もり」。しかもその量が極端に少ない。五寸のセイロに、麺の輪を六つ盛る。それは「蠅がくぐれるほどの」隙間があり、ひと山(一箸分)三、四本。六箸で一枚食い終える勘定だが、なんの、ぐるっと箸をかき回せば一枚一口だ。それを麺の下三分の一「つゆに顔を見せて」(どっぷりとつけてはいけない。江戸のつゆは辛いのだ)、ツ、ツーとすすり込む。ズルズル、モグモグはご法度。ツ、ツーとほとんど噛まずに、蕎麦の香りと、喉ごしを楽しまなくてはならない。
 白米が豊富にあった江戸だからこそ、蕎麦は主食ではなく、趣味食として独自の進化を遂げた。江戸の蕎麦は、いわば、タバコやコーヒーなどと同じ嗜好品の扱いで、蕎麦は手軽な食事ではなく、都市のリフレッシュ・タイムの、オシャレな小道具として機能し、蕎麦屋は大人の止まり木、ロンドンのパブの役割をしたのだった。
 江戸で「蕎麦前」と言えば清酒のこと。蕎麦が茹であがる前に、一杯やって待つ。いい蕎麦屋には、必ず、いい酒と、気の利いたツマミがあるのが江戸の流儀だ。
 スタイリッシュな江戸蕎麦は大人気を博し、人口百万だった江戸の街に、たちまち四千店もの蕎麦屋が出来た。
 しかも、これは店舗登録されているものに限るので、かつぎ屋台の「風鈴蕎麦屋」は無数だろう。現在、人口千二百万の東京にある蕎麦屋は、たった五千店だそうだから、当時の江戸っ子がいかに蕎麦好きだったかがわかる。


 そばの花江戸のやつらがなに知って

 蕎麦処、信州の俳人・一茶は、この江戸前になじまなかった。ふん、蕎麦の花も見たことのない都会の連中が通だなんだと、ばかばかしい。
 蕎麦好きの江戸ッ子のはしくれとして、耳が痛い。

 おおえどむまそうし 
 大江戸美味草紙
  新潮文庫 
 著者 杉浦日向子
 発行所 株式会社新潮社
                 
        

新嘗祭

2012/ 11/ 23
                 
六七 新嘗祭と稲荷祭り

 十一月二十三日の新嘗祭は(終戦後勤労感謝の日となりましたが、内容は新嘗祭と変りありません)二月の祈年祭に対する作物の御礼の祭りであります。鎮守ではやはりお祭りが行われます。但しこれが春秋の例祭と異なるのは多少官製的な気分が祭りに残って村民は浮かれ気分にならない点にあります。この点は祈年祭も同様です。
 扨て私共の村では各戸の稲荷祭の主旨により、この十一月二十三日に行う様に更生計画で定めました。私の家などは以前は十二月十五日がこの稲荷祭りの日でありました。
 稲荷祭りは前日、屋敷稲荷の掃除をしまして「奉納正一位稲荷大明神」と云う古い幟を立てます。当日は夕食に赤飯を作り鰯を添えて稲荷様に供えます。そして裏口の竈の上のところに注連繩を新しく一本かけ渡します。この注連繩は私共では古いのを取り去りますが、多くの家はとらぬ家例で裏口がかたむく程毎年のが重なり合って張ってある家を見受けます。外に篠を沢山切って来まして半紙で簡単な「オンベロ」(幣帛)を作ります。それは二枚重ねの長方形の紙を上は切らず、中から二つ切目を入れ、中央の片を上にまくりそこに篠を割ってさすのです。このオンベロは沢山作って稲荷様の外神棚へも仏壇にも土蔵、床の間、井戸、便所等方々へあげるのです。そして翌朝これを下ろします。子供の時は沢山おろした方がよいというので競争で早起きして集めました。


習俗歳時記(補修再販)  昭和50年10月1日発行
著者 今井 善一郎    発行所 株式会社 煥乎堂
                 
        

中原中也全集

2012/ 11/ 22
                 
全集のこと

中原中也・・・インターネットで、中也の全集物あれこれをピックアップしてみました。

☆ウィキペディアによる、『中原中也全集』
 ◦『中原中也全集』(全3巻、創元社、1951年)
 ◦『中原中也全集』(全1巻、角川書店、1960年)
 ◦『中原中也全集』(増補版、全5巻、別巻1、角川書店、1967~71年)
  ・・・二十数年にわたり重刷された。
 ◦『新編 中原中也全集』(全5巻、別巻1、角川書店、2000~04年)
  ・・・最新の全集で、各巻が本文篇と解題篇の2冊分。

☆古書による、『中原中也全集』
 ◦『中原中也全詩集 付 中原中也アルバム』(・千部限定本、角川書店、1972年)
  ・・・5冊の売価ゾーン:¥8,000(№2991?)~¥21,000(№175)
 ◦『中原中也全集』(全1巻、角川書店、1960年)
  ・・・5冊の売価ゾーン:¥3,700~4,449
 ◦(1951年、創元社発行の『中原中也全集』は、どこの古書コーナーも記載がなかったです。)

☆次のことが判りました。
 ①1960年、角川書店発行の全集が手元にないこと。
 ②1967~71年発行の全集、ウィキペディアでは"増補版"と表記されているが、実際の全集には"決定版"と明記されていること。
 ③2000~04年にかけて、新たに角川書店から新編として発行されたこと。(この全集も購入していません)
 ④1972年、千部限定本として角川書店から発行された『全詩集』が、ウィキぺディアに掲載されていないこと。 

                 
        

中原中也

2012/ 11/ 21
                 
中也

 人は何を求めて文学館を訪れるのでしょう? 1998年春、日本近代文学館 の理事長に選ばれた私が、まず理解しておきたかったのはその存在意義でした。
・・・
 ・・・ 私は96年に発足した「中原中也の会」の初代会長も務めました。もっとも留意したのは、公的な助成金をもらわない自立した団体として、この詩人の故郷、山口市の施設「中原中也記念館」の運営に、批判が言える立場を保つことです。そうしながら愛好者代表として建設的な助言を伝え、館の活動を支える。そんな不即不離の立場を目ざしました。 ・・・

・・・ 司法修習性だった私はこの頃、中村光夫さんの推薦を受け、作家の大岡昇平の下、中原中也の初の全集(創元社版)の編集実務も、ほとんど一人で担当しました。この頃から二足のわらじを履いていたのです。・・・
 ≪宮沢賢治(1896~1933年)と中原中也(1907~1937年)の人気は今も非常に高い。これまで賢治は8回、中也は4回、全集類が刊行されている≫ ・・・
 ・・・当時はほとんど無名に近かった2人の傑出した詩人たちと、延々60年以上つきあってきたわけです。私は彼らに関する著書を十数冊刊行してきました。  ・・・
・・・
 ※讀賣新聞朝刊 時代の証言者 詩と法律 中村稔  シリーズ⑳は、2012年11月20日、シリーズ⑫は、2012年11月7日。

 創元社版の中原中也全集は、第一巻が昭和26年4月30日に、第二巻が昭和26年5月30日に、そして第三巻が昭和26年6月30日にそれぞれ初版が発行されています。
 後掲解説、第一巻が中村稔、第二巻が河上徹太郎、そして第三巻が大岡昇平の執筆です。

 その第一巻の解説に、中村稔は、・・・これらは中原がその死の直前、「在りし日の歌」を編集するに際して發表するに及ばずとし捨てたものにすぎない。あえて今日その全部を収録した所以は、かって小林秀雄が言ったように、「詩の出來不出來なぞ元來この詩人には大して意味はない。それほど、詩は彼の生身のやうなものになってゐた。どんな切れっぱしにも彼自身があった」と考えるからである。・・・と述べている。
そしてまた次のように言葉を繋いでいる。 そして、偶然が殘したこの膨大な遺稿は、「朝の歌」あるいは、「一つのメルヘン」の完成された抒情詩が生まれでるためには、いかに多くの空しくささげられた犠牲があったかを、僕たちに敎えるであろう。・・・

 中原中也の全集類がこれまで4回刊行されているという編修氏の書き添えがあったので、ちょっと2階の書棚をみてきたところ、前述の昭和26年刊行の全3巻の他に、「角川書店発行の全5巻・別館1」  と、同じく角川書店発行の「中原中也全詩集 付 中原中也アルバム」1巻  が揃えてありました。ということからすると、もうひとつ全集が発行されているということでしょう。おそらく、1973年以降の発行ものと思われます。手元にある3つの全集には、いずれも中村稔、大岡昇平の名前が列記されています。
 中也に関する書籍は、母親や恋人が述べたものを聞き取り書きしたものなどあわせ、目に見える範囲では五十冊ほどが置いてあります。



❀ 
 中原中也全集 全5巻・別巻1 発行所角川書店 
・1-詩Ⅰ 1967年10月20日印刷発行 ・2-詩Ⅱ 1967年11月20日印刷発行 ・3-評論・小説 1967年12月25日印刷発行 ・4-日記・書簡 1968年2月20日印刷発行 ・5-翻訳/付年譜 ・別巻ー本文補遺・研究篇 1971年5月20日印刷発行


 中原中也全詩集 付 中原中也アルバム 発行所角川書店 
千部限定番号入り 62 1972年10月20日発行



中村稔 詩と法律12 時代の証言者

中村稔 時代の証言者20  詩と法律
                 
        

季節

2012/ 11/ 20
                 


11月も下旬に入りました。
ヒヨドリ、シジュウカラ、メジロの姿が目につくようになりました。
きょうは、ウグイスでしょうか、。キウイフルーツの枝で羽繕いしていました。先週あたりから顔を見せていますが、すばしっこくてちょっと名前を特定できません。
午後、キジバトのつがいが庭に降り立って何やら啄ばんでいました。

小鳥①

キジバト①

キジバト②
                 
        

洋酒マメ天国 24

2012/ 11/ 19
                 
洋酒マメ天国 乾杯博物館 24

伊丹十三 (1933.5.15―1997.12.20)


昭和45年発行の洋酒マメ天国に、自分で自分を描いている節のある著者紹介には次のように書かれている。
 伊丹十三(いたみじゅうぞう)=「高卒」である。何になりたいのか自分でよくわからず、従ってどこの大学の何科を受ければいいのかわからず、従って大学へは行かなかった。三十を過ぎて突如、自分の生涯の仕事が俳優であると確信し、今では日本で最も想像力のある役者の一人といわれる。文筆をよくし三冊の著書がある。1933年京都生れ。父は不世出の映画監督伊丹万作。


洋酒マメ天国第24巻     昭和45年6月30日発行
著者 伊丹十三        発行所サントリー株式会社

第1章 わたしと乾杯
第2章 雑器時代
第3章 ガラス器時代
第4章 これだけは知っておこう
 ―――このグラスで飲もう―――
 ☆ タンブラー : ハイボール、ジンフィーズ、チューサー
 ☆ ショットグラス : ウイスキー、その他のスピリッツ類のストレート
 ☆ オールド・フアッションド・グラス : オン・ザ・ロックス
 ☆ ブランデーグラス
 ☆ シェリーグラス
 ☆ ワイングラス
 ☆ シャンパングラス
 ☆ リキュールグラス
 ☆ ゴブレット : ビール、エール

ガラス史年表

洋酒マメ天国24
                 
        

秩父路

2012/ 11/ 18
                 
秩父鉄道


車窓から、銀杏の葉の乱舞に見入っています。
秩父鉄道熊谷駅8:00発の普通列車。
樋口駅を過ぎ野上駅までの丁度中間あたり、左手数十メートル先に大銀杏が数本立ち並んでいました。神社の境内なのか判然としませんでしたが、風に吹かれた金色の葉っぱがどんどんどんどん舞うようにして地面に降りそそいでいます。

車窓から、野猿の群れに見入っています。
新そばまつりの会場から、秩父鉄道武州中川駅に向かう途中のシャトルバスの中からの寸景です。
十数匹のサルの集団が畑の作物を食べあさっているところです。
そこからちょっと離れた畑では、ご夫妻と思われるお二人が脇目も振らず農作業をしています。

秩父鉄道のSLに乗って。という今日のプランニングでしたが・・・
ちちぶ荒川新そばまつり。
初めての秩父鉄道の旅となりました。

秩父鉄道SL脱線事故
秩父鉄道のSLが脱線事故 熊谷 埼玉新聞 2012年8月7日(火) 6日午前9時32分ころ、熊谷市大麻生の秩父鉄道広瀬川原熊谷工場敷地内で移動中のSL(蒸気機関車)が脱線、運行不能になった。秩父鉄道はSLを当分の間運休することを決めた。・・・


秩父夜祭

ちちぶ荒川新そばまつり

お詫び

くま出没注意
❀以上4つの写真は、秩父鉄道武州中川駅で撮影


❀新そばのおめしあがりまで
そばを切る
そば茹で
そばをお客様に


秩父夜祭

三百有余年の歴史をもつ
秩父夜祭

2012 秩父夜祭

・笠鉾・屋台
・歌舞伎屋台芝居
・花火

一度は行ってみたい秩父夜祭。
開催日は毎年同じ、12月2日、3日。今年は日曜と月曜。
                 
        

タヴェルナ ラピュタ

2012/ 11/ 17
                 
安曇野イタリアン食堂

安曇野イタリアン食堂Taverna LAPUTA 2012年11月15日(木)午後遅い昼食。
〒399-8301 長野県安曇野市穂高有明7039-2 tel 0263-83-4967
 Open 11:00 Close 20:00 定休:火曜、第3水曜

Pranzo C ¥1,500
・前菜盛りあわせ
・パスタ又はピッツア
 (Lunch Menu より一品お選びください)
・スープ/サラダ/ドリンク
・デザート
 (裏のメニューよりお選びください)

ラピュタ①出窓1ラピュタ②出窓2

ラピュタ③オードブル3品
 ❀・フリッタータ、スパニッシュオムレツ. ・エビのコンソメジュレ. ・ダイコンのポワレ、生ハムのせ。

ラピュタ④ スープ&サラダ
 ❀スープ&サラダ

ラピュタ⑤オレンジジュース
 ❀オレンジジュース(食前)

ラピュタ⑥ピッツア
 ❀〈ピッツア〉カマンベールチーズとトマトのピッツア(フレッシュトマト、カマンベールチーズ、バジル、トマトソース)

ラピュタ⑦サトイモとベーコンのパスタ
 ❀〈パスタ〉里芋とベーコン、大根おろしの和風ソース.しょうゆベース(メンはスパゲッティ-ニ.大盛りも同じプライス)

ラピュタ⑧デザート ビターキャラメルのイタリアンジェラート
❀デザート=ビターキャラメルのイタリアンジェラート

ラピュタ⑨デザート バニラアイス
 ❀デザート=バニラアイス

ラピュタ⑩
 ❀コーヒー(食後)

ラピュタ⑪テーブルと出窓
 ❀ラピュタ再訪

ラピュタ⑫再訪
 ❀安曇野 タヴェルナ ラピュタ 再訪
                 
        

Beaujolais Nouveau

2012/ 11/ 15
                 
信濃路

浅間山も、常念岳も雪を頂いていました。
裾野は紅葉です。
銀杏の落葉


有明神社横のイタリアン食堂で、ランチを頂きました。
後ほどお披露目します。

帰り道すがら、フッと思ったのが、今日は11月15日。
ボジョレー・ヌーヴォー
空輸品でお買い得な品はすぐ売り切れというのが数年前の常識でした。
もう既にあたりは真っ暗・・・棚には「完売」という貼り札がしてあるだろうなあと大手スーパーに立ち寄ったところ、ありました、ありました。棚にズラッと所狭しとばかり並んでいました。

日本人は熱しやすく冷めやすい・・・
ワインというとまだまだ外来ものというイメージが強いのでしょうか、それとも・・・

Beaujolais Nouveau  2012  ・・・ 勿論原産国はフランスです。
一つは「空輸品」、もう一つは「AIR」と印字されています。

FRANCOIS FOUCHE 2012
フランソワ・フッシュ 2012

ALBERT BICHOT 2012
アルベール・ビジョー 2012
                 
        

日本の石橋

2012/ 11/ 14
                 
西へ・・・

今年は北海道に行けたから、次は西に行けたらいいなと思い始めています。
久しぶりの北の旅も、行こうかどうしようかとあれこれ何年も、頭の隅に思い描きながらのようやくにしての実現でした。

折角行くんだったら、九州はもとより、四国、中国地方にも足をのばしたいななどと、気持ちがどんどん膨らみます。

四国は祖父母と母の生まれ育った香川と徳島。九州は友だちのいる、鹿児島、長崎、福岡。山陽は、友達のいる広島と中也の生誕地山口。というような行先のイメージです。
長崎と鹿児島は演習仲間、福岡と広島は書研仲間が、地元に根を張っています。

いずれにせよ、後期高齢者のお仲間に入る前までには、実現したいな・・・と、ゆっくりのんびり思い描くことに致します。


日本の石橋

日本の石橋を守る会 のホームページが、7月13日に公開されました。
 石造りめがね橋は、現存、復元、消失を含めると全国で3,236橋(2012.8.16現在調)。ウチ、現存1,969、復元は77の、計2,046橋となっています。(補:レンガで作った眼鏡橋は699橋)
 九州で見ることが出来る石橋は、復元された66橋を含めて1,831橋と記載しています。
 熊本、鹿児島、大分、長崎により多く分布しています。
 九州詣での折には、やはり、石橋をたずねてというサブタイトルがつくことになるのかも知れません。

 鹿児島に石橋記念公園と石橋祈念館があります。

 日本の石橋を守る会初代事務局長の山口祐造氏25日死去。と、2002年7月26日発で共同通信が伝えています。
 いつのまにか、氏の著わした「九州の石橋をたずねて」三部作が世に出てから38年が経とうとしています。

九州の石橋をたずねて<前編>

九州の石橋をたずねて<中編>

九州の石橋をたずねて<後編>

前編は昭和49年12月1日発行、中編および後編は昭和51年4月発行となっています。  ❀後編あとがきの冒頭には、去る昭和50年1月に「九州の石橋をたずねて」前編を初めて出版したのであるが・・・と書かれていますが、印刷上の発行日が12月1日で、実際に店頭に出た(出版した)のが翌年の1月となったというように理解してみました。



❀旅行クーポン券がまだ少しばかり手元に残っていますので、今度の旅行費用の一部に充てようと思いつつあります。
                 
        

かわさとフェスティバル

2012/ 11/ 11
                 

11/11(日)
会場 川里中央公園・川里農業研修センター
時間 9:00~15:00 雨天決行

鴻巣市による消防救急フェアでは、震度7の体験、心肺蘇生=CPR(Cardiopulmonary Resuscitation  カーディオ パルモナリー レサーシテーション)、AED=自動体外式除細動器(Automated external defibrillator オウトメイティド エクスターナル デフィブリレイター)の講習が行われ、そしてテニスコートにおいて埼玉県による防災ヘリコプター救助活動のデモンストレーションが人目を引き、またグラウンドの一角の自衛隊のコーナーでは、東日本大震災の災害復旧活動状況のパネルが展示され、復旧時大活躍した高機動車に乗って写真撮影出来ます。と、よそではお目にかかれない魅力溢れる催しが目白押しでした。

毎年たくさんの人出で賑わう鴻巣市のビッグイベントの一つです。
おかげで、11時頃会場辺りに着いた頃には、近くの駐車場は満杯で、かなり遠くのグラウンドを使った臨時駐車場に止める仕業に相成りました。

空に目をやれば飛行船、パラグライダー。汽笛の音の方に目をやれば、ミニSLが走っています。その隣にある会場の熱気球からはちょとずつ上昇するたびに炎の音が耳に入ってきます。子供にも大人にも様々な魅力あるアイデアにあふれたイベントが盛りだくさんです。

雨は、午後3時20分頃から降り始めました。
私たち楽しむ側にとっては、ホッと胸をなでおろしたことになりましたが、スタッフの皆さん、出店の皆さん、関係者の皆さん、雨になり大変でしたね。お疲れ様でございます。

今回初めて訪れました。思い出深い一日となりました。
ありがとうございました。



                 
        

ムッちゃん 17

2012/ 11/ 09
                 
味覚

サーロインステーキ
ウエルカムパートナーのお祝いという気持ちを込めて、本社からの帰り道、東京駅地下の大丸デパートで、100gあたり、????円の牛肉を買った時もありました。
わがやにムッちゃんが来てからちょっと経ったある時のことです。
彼のために、塩、胡椒は一切使わず、油の塊が溶け出した頃合を見計らって火力を強めながら一気にミディアムレアで焼き上げました。

~~~小さな子どもとまるで同じです。
食堂とセットになっている台所です。
フライパンの上でジューッと音がたつのと同時に、プーンと肉の香ばしい香りがあたりをつつみこむと、もうたまりません。
ムッちゃんはダイニングキッチンを行ったり来たりぐるぐるまわって、首を上げてこちらの手元を食入るように見つめます。~~~

ちょっと冷ましてから肉を刻んでお皿にのせました。
噛むというより呑み込むんですね。
あっというまに彼の分はなくなってしまいました。


うな重
父はうなぎが大好物でした。
田舎の家でときおり、うな重をご馳走になりました。
ムッちゃんは、うなぎも大好きでした。
こちらは出前物ですので、当然たれの味付けもしてあるのですが、これもグイグイと呑み込むような食べ方です。
あっというまに平らげてしまいます。
私たちが食べ始めると、「ワン」と一声吠え、催促します。
(母はうな重を彼と半分こにしてくれるのですが、私は四分の一を彼に供します。彼も私も一人前の四分の三となりますから、二人の間ではヒフティヒフティです…)

                 
        

立冬

2012/ 11/ 07
                 
立冬
二十四気の一つ。陽暦十一月七日か八日が大抵それに当たる。まだ四囲の自然は秋色深いが、いくぶん日中の日ざしは弱まり、日暮れが早くなって、朝夕は手足の冷えをおぼえる。「今朝の冬」は立冬の日の朝をさす。

 立冬や窓搏って透く鵯の羽根     石田波郷

 音たてて立冬の道掃かれけり     岸田稚魚

 この池の浮葉の数や冬に入る     高野素十


今朝、四十雀がキウイの枝で羽づくろいをしていました。
四十雀20121107撮影
                 
        

望月駒の里草競馬大会④

2012/ 11/ 06
                 
佐久の草競馬

☆「高画質で再生」「高画質で視聴」をクリックして、「ハイ」をポチすると、視聴料金が発生します。
こちらはハイレベルの作品とはほど遠いスナップ動画ですので、画面真ん中の 「‣」をポチしてご覧くださいますよう。…第1コーナー12秒の寸景です…。

[広告] VPS
                 
        

望月駒の里草競馬大会③

2012/ 11/ 06
                 
草競馬

小さいころ信州の小諸に住んでいました。
当時、かしくるみを、信州胡桃といっていました。地域によってお店に並ぶ時期が多少違ってきますが、小諸では懐古園、東御では道の駅雷電くるみの里、安曇野ではvif(びふ)穂高で折に触れ手に入れています。

その小諸のお隣りの佐久市で、草競馬大会が11月3日開かれました。
出かける前に、地元の農産物直売所に電話して、カシクルミ置いてありますかと尋ねましたところ、まだ早いしいつ頃入荷するか判らないというご返事でした。

佐久も、小諸、東御、安曇野と同じく信州蕎麦を出すお店はあちこちあるように思いましたが、今回は会場でノボリを立てて売っている、焼きそば、焼き鳥、お好み焼きのアツアツを頂きながらの観戦となりました。

駒の里草競馬大会②

駒の里草競馬①

駒の里草競馬大会③

駒の里草競馬⑧


駒の里草競馬大会④

駒の里草競馬⑤

駒の里草競馬6

帰り路の階段上りは堪えました。
駒の里草競馬⑦帰路
                 
        

しそ

2012/ 11/ 05
                 
しそ
・青じそ(大葉)
・赤じそ
・芽紫蘇
・花穂紫蘇
・穂紫蘇
・しその実

しその葉の天ぷら 
 ①片側だけにころもをつける。
  (ころものない面から水分が抜け出るので、パリッと揚がります)
 ②ころもがついている面を下にして油に入れる。
 ③揚げる前にころもがついてない面を下にして油を通して、さっと引き上げる。

しそ  ~ 香りもよく栄養価も高く ~
 ・薬味
 ・サラダの材料
 ・千切りや細かく切ってパスタに混ぜる
 ・肉や魚などを巻いて揚げる
 ・天日で干して、細かく刻んで、ふりかけにする
  (梅干を作った時に残った赤じそを有効利用することも…)

2012.11.  しその実
❀有難く忝く使わさせて頂きました…
                 
        

ふるやもりのものがたり

2012/ 11/ 05
                 
右に…蔵とその奥に大蔵(穀蔵)、左に・・・蔵。奥に東屋がありますが…
習俗歳時記(補修再版)

 目次

 ・はじめに 
 
・一 いろり  ・二 火打箱   ・三 春の装い  

・四 年超し  ・五 元日  ・六 初荷 発買い  

・七 謡い初め  ・八 元三大師  ・九 お棚探しとお寺様の年始  

・一〇 味噌たき  ・十一 火伏せのまじない  ・十二 山初め   

・十三 六日年越 爪切り  ・十四 七草  ・十五 かるた

・十六蔵開きと作立て  ・十七観音様  ・十八 飾りかえ  

・十九 どんどん小舎  ・二〇 小正月の行事  ・二十一 竹馬 

・二十二 藪入りと千疋粥  ・二十三 二十日正月と恵比寿講  

・二十四 雪と空っ風  ・二十五 凧あげ  

・二十六 先祖祭りと二郎の一日  ・二十七 節分  

・二十八 お事八日  ・二十九 初午  ・三〇 大般若講   

・三一 祈年祭   ・三二 天神待  ・三三 雛祭り 

・三四 春の彼岸  ・三五 鎮守祭礼  ・三六 野山の遊び   

・三七 鳥獣往来 その一  ・三八 鳥獣往来 その二  

・三九 馬  ・四〇 五月節句  ・四一 赤城の山開き 

・四二 農繁  ・四三 麦の秋  ・四四 農業の変化  

・四五 農休み  ・四六 土用干  ・四七 井戸がえ 池がえ  

・四八 雷  ・四九 石尊様  ・五〇 釜の口あき  

・五一 七夕  ・五二 墓掃除  ・五三 盆棚  

・五四 盆の送迎  ・五五 盆踊り ・五六 草むしり  

・五七 八朔  ・五八 川の幸 ・五九 山の幸  

・六〇 秋の彼岸  ・六一 月見  ・六二 木犀の花  

・六三 秋祭り  ・六四 十日夜 ・六五 二十三夜  

・六六 恵比寿講  ・六七 新嘗祭と稲荷祭り  

・六八 炭焼き  ・六九 のらぼう柱   ・七〇 乞食のこと  

・七一 落葉かきと薪山  ・七二 煤掃き  ・七三 くねゆい 

・七四  夜業(よなべ) ・七五 大祓  ・七六 水車  

・七七 井戸  

 ・あとがき   


古井戸


                 
        

望月駒の里草競馬大会②

2012/ 11/ 04
                 
動物たちとのふれあい

 今年は第24回の佐久市望月駒の里草競馬大会です。
 お昼休み、地元幼稚園の皆さんのアトラクション、市消防隊の皆さんの演奏など、地域総出で、草競馬大会を盛り上げています。
 動物たちも人気の的です。ミニブタ、アヒル、ヒツジ、カメ、ウサギ、ヤギ、イヌ、ネコ、コウシ、ポニー、そして、バンビ、ラマ。顔はみたことあるけれど名前が出てこない一匹さんなど総出演で、会場を和ませていました。

①バンビ
②ウサギ
ポニー2頭
④アヒル2羽
⑤ヤギ
⑥ヒツジ
⑦ミニブタ2匹
⑧別のヒツジ1頭
⑨子ヤギ
⑩犬
⑪猫
⑫カメ
⑬…1匹
⑭ウサギ5羽
⑮仔ウシ
⑯ラマ(リャマ、ヤマ)

・・・ツヅク・・・
                 
        

望月駒の里草競馬大会

2012/ 11/ 03
                 
信州の草競馬大会

 2012年11月3日(土)、第24回佐久市望月駒の里草競馬大会が開かれました。
 場内アナウンスでは、長野県で開催される草競馬大会は6つあるとのことでした。
 高ポッチ高原の草競馬、大町の草競馬、安曇野の草競馬、そして、望月の草競馬。この4つはスラスラと名前が出たのですが、あとの2つがどうにもわかりません。先ほど、インターネットで調べてみたのですがピックアップ出来ませんでした。心残りです。

 閑話休題、きょうは秋晴れ。長閑な午後のひとときを過ごすことが出来ました。
 動物たちも穏やかな目をして迎えてくれました。

 そうそう、ラマ(リャマ、ヤマ)も随分と愛想を振りまいていましたよ。競技馬とのコントラストに格好の被写体となりました。

シカノメ
ヤギノメ
ウマノメ
亀の甲羅
ラマと競馬①
ラマと競馬②
ラマと競馬③

・・・続きます・・・ 
                 
        

山村暮鳥

2012/ 11/ 02
                 
山村暮鳥

 より

 ふるさと
淙々(そうそう)として
天(あま)の川が流れてゐる
すっかり秋だ
とほく
とほく
豆粒のやうなふるさとだのう

 ある時
また蜩(ひぐらし)のなく頃となった
かな かな
かな かな
どこかに
いい国があるんだ

 赤い林檎
 おなじく
こどもはいふ
赤い林檎のゆめをみたと
いいゆめをみたもんだな
ほんとにいい
いつまでも
わすれないがいいよ
大人(おとな)になってしまへば
もう二どと
そんないい夢は見られないんだ

 雲
丘の上で
としよりと
こどもと
うっとりと雲をながめてゐる

 おなじく
おうい雲よ
ゆうゆうと
馬鹿にのんきさうぢゃないか
どこまでゆくんだ
ずっと磐城平(いはきだひら)の方までゆくんか

聖三稜玻璃(せいさんりょうはり) より

 風景
  純銀もざいく
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
かすかなるむぎぶえ
いちめんのなのはな

いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
ひばりのおしゃべり
いちめんのなのはな

いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
やめるはひるのつき
いちめんのなのはな。

日本詩人全集 13 木下杢太郎・山村暮鳥・日夏耿之介 昭和43年7月20日発行 発行所株式会社新潮社
日本詩人全集 13

日本詩人全集 13 カバー
                 
        

十日夜

2012/ 11/ 02
                 
トウカンヤ

 六四 十日夜
 秋祭りの後も田畑の収納は連続して行われます。陸稲、水稲の刈入れが片付けば調製の日が又いそがしくつづきます。ひと頃はミノル式の廻る音、今は発動機の音、石油の匂ひ等が村中を騒がしくしました。甘藷掘りも丘の村とて、秋の仕事の一つでした。大小麦の蒔付けは片付いた地面を次から次へと直ちに行われます。大凡新米がとれた頃十日夜が来ます。
 トウカンヤというのは旧の十月十日の夜で、今は十一月十日に行いますが、その夕餅をついてたべます。昔は十日の月に供えたものでしょうが、今は月と関係なくなりました。
 子供達は藁鉄砲というものを作ります。これは新藁を縄でまいて一端を環にして手で握れるようにしたものでこれをふりあげては地面を叩くのです。
 鉄砲の中へ芋がらを入れるとよい音がすると云われて居ります。これはもぐらを追うのだともむぢなを追うのだとも云われています。この夜は可也遅くまで幾人も揃ってたたいて歩きます。よく他人の家の柿などを無断でとるのはこの夜の事で、或は昔はこの夜は斯様な産物は当然子供の共有と見られたのかも知れません。
 十日夜 十日夜
 十日の晩には ねえらんねえ
というのは短い歌で
 十日夜はいいもんだ
 朝蕎麦切に
 昼だんご
 夕めし食っちゃ
 ぶったたけ
これは三食変りめしであった昔時を示している様です。
 もとは勿論これらの行事に何か呪術的な意味があったのでしょうが、今は只々一夜の共同の興奮が毎年この夜を子供にとって面白い事をする夜として、継続させてゆくのです。又ある程度の悪戯は半ば公認されるという所にも魅力は勿論あった事でしょう。
 
 附

 十日夜頃は大凡大小麦の蒔付けが終りますが、田圃の麦蒔が終ると田麦粥と云って小豆粥をたべます。私共では畑の麦蒔後にやはり、麦蒔粥を作るのですが、穴ふさぎと云ってこの方は餅をついてたべる家があります。この穴ふさげは十一月の十五日頃に大体なります。

 補修再版習俗歳時記 ―ふるやもりのものがたり― より 六四 十日夜

著者今井善一郎  (1909.10.8~1976.1.10).66歳。
・民俗学者。・柳田國男の影響をうけ、昭和21年上野勇らと上毛民俗の会を結成。郷里群馬県の民俗学の確立につくした。
慶應義塾大学法学部(1933.3)卒。
・著書:習俗歳時記、柳風通信、赤城の神など。

ふるやもりのいえ
                 
        

習俗歳時記

2012/ 11/ 01
                 
習俗歳時記

 はじめに
 ・・・実を言えば年中行事もかつかつに昔の足跡をたどっているので、もはや明日にも消え去るかも知れないのである。そこで今日の姿をここに書き止めて記念の意も含ませて置く。懐かしいのは日本の家族制度である。家族制度には幾多の弊害があるが私の家も、私の外戚の多くもこれを長く美しく保持して来たのである。
 今、日本国は制度としての家族制度を失った。私は今習俗としての家族制度に殉じようとしている。私の一生は「古屋」(ふるや)の守り(もり)である。・・・

 あとがき
 大杉の下に大石一つあり我の時折きて嘆くところ

 この大杉も大石も家の西南隅にあってその下は幾丈かの土手になり、ここから利根川の向うに榛名山が一望に見晴るかせる。ちょうど真正面に水沢山があり、その真下には銀杏の黄色い水沢観音と、その庭に友人上野勇さんが建てた暮鳥の詩碑がある。秋になると私はいつもここに立って遥か小さな銀杏を望み友人の詩碑を思い浮かべるのであったが、今年は失明してしまって最早何も見えない。始めは榛名の山影はわかったのだが今はそれさえ見えなくなってしまった。覚束無い足取りをたどって杖を頼りにこの石まできて石に腰をおろし、見えなくなったいっさいに対し霞のような眼前を望んで幾回となく悲しみを呑み込むのであった。ただ始めは暖かかった風がだんだんと秋風にかわり落葉を混えた寒い風が頬に当ると心細さが一層身に沁みるのであった。・・・
・・・
 五月の三日から連休があり私は許されて外泊して家に帰った。三日、四日の二日間は曇り降りで家に帰っても私は床上に過ごした。幽かに筒鳥の声をきいて五カ月振りに家に帰った感を深うした。翌五月五日は空が晴れたので、歩いて隣の次男の家の初節供の鯉幟を見に行った。山鳩がさかんに鳴き、斑鳩の声が時々きこえた。又鶯の声も聞いた。其後病院生活に戻った。
 本書は斯の如くして成ったが出来上がったものは意に満たぬものが多い。私の病中の力の限度がよく知られた。三十四年間の変化は実に恐ろしいもので習俗などは一変したといってよい。私はなるたけ古い習慣を記し既に無くなってしまったものは時点をその時に於て書いた。明日の変化は大なるものがあると信じている。とにかく入院六ヵ月の中にこれだけのものを家妻は筆記してくれた。
・・・

ヒトコトメモ
上野勇=1911~1987年。昭和時代の民俗学者。東京生まれ。
暮鳥=山村暮鳥(本名土田八九十)。1884~1924年。明治・大正期の詩人・児童文学者。群馬生まれ。


習俗歳時記(補修再版)  昭和50年10月1日発行(初版昭和16年)
著者 今井善一郎    発行所株式会社煥乎堂

習俗歳時記

橘山房
❀橘山房