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斎藤由香

2013/ 02/ 28
                 
窓際OLのすってんころりん日記 連載 第534回
 ドラマチック症候群

 本日発売の、週刊新潮 3月7日号 (イラスト さくらももこ)
 ページ70の欄外に
 〈編集部より〉 3月3日(日)夜10時よりNHK BSプレミアムにて北杜夫と家族の半生を描くドラマ&ドキュメンタリー『マンボウと家族のユーモア闘病記』を放送。北杜夫を佐野史郎、喜美子夫人を羽田美智子、斎藤由香を中越典子が演じ、関係者のインタビューと共に秘蔵写真や躁病のときに書いた直筆のメモなど貴重な資料も公開。
 と、書かれていました。
 

 プレミアムドラマ 「 どくとるマンボウ ユーモア闘病記~作家・北杜夫とその家族~ 」
 BSプレミアム  3月3日(日)午後10:00~10:59

 芥川賞作家で精神科医の「どくとるマンボウ」北杜夫。
 84歳で他界するまでの40年間、そううつ病とつきあった。株での大破産!?、マンボウ・マブゼ共和国の建国。騒動を繰り返す杜夫を支えたのは、妻・喜美子と娘・由香だった。
 どんなピンチに直面しても決して笑顔を絶やさず、日々の暮らしの中にささやかな喜びを見つける。
 ユーモアで病を乗り切った、ある家族の闘病記。さんざん笑ってホロリと泣けるドキュメンタリードラマ。
【出演】佐野史郎,羽田美智子,中越典子
 ※BSドラマイル対象番組




                 
        

雛祭り

2013/ 02/ 25
                 
 三三 雛祭り

 三月三日が雛祭りです。昔は一月遅れの四月にして旧暦の三月と季節を合せようとした為でありましょう。三月の終り頃からお雛様を飾りました。お雛様にも時代の変遷があって昔の雛はあく迄上品に白くそして形が大きくありました。お茶坊主というお河童は殿様の御拝領の品などと云って整然としたものがありましたが、明治の頃はずっとすたれて居た様です。それが最近は道具類が目に見えて増えて来た様です。私の家だけでもこんな変遷がありました。殊に最近ではガラスの箱に入った人形が流行して、果して雛やら普通の飾り人形やら一寸差別がつけ兼ねる状態です。終戦後次第に世間に習って雛祭りは三月三日にする様になりました。
 この節句の御馳走は餅と寿司であります。餅は搗いてすぐ食べる事が不適当ですから大概一日か二日に搗きます。以前四月の節句の時は餅草は三月頃から摘みためて置きました。今は一月早くなったため餅草は間に合いません。
 雛壇にあげる菱餅は食紅を用いたのと白餅と草餅の三つ重ねにしました。食紅の代りに栗餅で黄色いのを用いる事もありました。
 三日の朝はお寿司を作ります。田舎で寿司というのは油揚げずしと海苔まきです。油揚げにはよく干瓢を巻きました。
 総じて節句というのはこの地方では新しい聟嫁のお里へのお客日です。新夫婦二人で草餅、寿司などを持って嫁の里にゆく事「御年貢納め」と云ってやや責任を負わせるような口吻で、しかもやや義務的に楽しい一日を与えてくれる組織となっています。一般に新婚者は農村では単に家庭内許りでなく当分拘束された生活をして居るのですが、この節句は之に一日の自由を解放するのです。この辺では嫁も雛様を持参して輿入れする例です。
 桃の節句の翌日は「セチマ」と云ってもう一日休みの追加をする習いの家もあります。 

 習俗歳時記(補修再版)より
                 
        

リーダー

2013/ 02/ 24
                 
日の本の或る時代の或る人曰く


一 人の長所を初めから知らんと求むべからず
  人は用いてその長所を知る

二 人はその長所のみをとらば可なり
  短所は知るを要せず

三 己が好みに合う者のみ用いる勿れ
  
四 人材は必ず欠点あり
  欠点なきは人材となすに足らず

五 小過はとがむる要なし
  唯事をなさば可なり

六 用いる上はその事を十分に委すべし

七 上にある者、下の者と才智を争うべからず

八 人材は必ず一癖あるものなり
  器材なるが故に癖をもって捨つるべからず

九 かく用いれば 事に適した時に応ずるほどの
  人物は必ずこれにあり


 海外現地法人の「一国一城の主」ご就任とのこと伺いました。
 おめでとうございます。
 今までのブレーンのスタンスから、リーダーという役割を新たにし、かつ海外勤務。
 パーセプションギャップという誰もが体験する異国の地にてのトップ。
 先人の遺した言葉を、贈る言葉とさせて頂きます。
 
 健康第一です。
 公私の時間を使い分け、仕事に趣味に、このまたとないチャンスに現役人生を謳歌してください。
 
                 
        

軍師

2013/ 02/ 23
                 
かっては、日本の政治や経済においても不動のリーダーが輩出した・・・

 シンクタンク=リーダーたちの決断を促す戦略立案者でもあり、かつ実行者でもあるブレーン。
 「軍師」という響きは現代の私たちにとっても眩惑感が漂います。
 かっては、日本の政治や経済においても不動のリーダーが輩出した・・・と、〔歴史人物群像〕書中に書かれていますが、こんにちにおける軍師の役割を担うひとたちにスポットライトをあててみると、どのようなことが浮かび上がってくるのでしょうか。

 軍師
 ①知力のかぎりを尽して、リーダーに殉じる。
 軍略・知謀ともにすぐれた軍師であったが、天の時、地の利、人の和を得ずして命運を絶つ。
 武田信玄の軍師として名高い山本勘助。病をえて無念の死を迎えた竹中半兵衛。主家再興に殉じた山中鹿之介。関ヶ原で露と消えた石田光成の片腕の島左近。大阪の夏の陣で散った真田幸村。
 ②リーダーと終始、形影を伴にする。
 リーダーをみずからの手で育成し、ともに成長し、その命運を共有した軍師。
 上杉謙信の育ての親というべき宇佐美定行。伊達政宗のコンプレックスをとりのぞき、勇将に仕立てあげた片倉小十郎。その名を主君の上杉景勝とともに響かせた直江兼続。一度裏切ったものの帰参してからは徳川家康の懐刀となった本多正信。
 ③状況に応じリーダーにとってかわる。
 補佐役に徹してはいたが、リーダーの思惑に臆することなく、状況の変化から自ら指揮を執る。
 黒田官兵衛。小早川隆景、鍋島直茂。
 ~ 武田鏡村 ( 戦国乱世を戦った十二人の軍師たち 1992年3月13日 第1版第1刷発行より ) ~


 年譜

 山本勘助 
 武田信玄に仕える。1451(三河国・愛知県)-1561(信濃国・長野県)

 宇佐美定行  (宇佐美定満がモデルといわれている)
 上杉謙信に仕える。1489(越後国・新潟県)-1564(越後国・新潟県)

 竹中半兵衛
 豊臣秀吉に仕える。1544(美濃国・岐阜県)ー1579(播磨国・兵庫県)  (当初は斎藤龍興の家臣) 

 黒田官兵衛
 織田信長、豊臣秀吉に仕える。1546(播磨国・岡山県)-1604(山城国・京都府)

 片倉小十郎
 伊達政宗に仕える。1557(陸奥国・宮城県)-1615(陸奥国・宮城県)

 本多正信
 徳川家康、徳川秀忠に仕える。1538(三河国・愛知県)-1616(相模国・神奈川県)








 








                 
        

ウグイス

2013/ 02/ 22
                 
春告鳥

 春告草(はるつげぐさ)は梅。鶯は春告鳥。何れも春の季語です。
 春を表す、おめでたいということで、梅に鶯。といわれるようになったのでしょうか。 (ウグイスは、花の蜜を吸いません)
 野の鳥たち、ウグイスにとっても木々を伝わっていくときに、梅の枝は止りやすいので、よく見かけるのかもしれません。ちなみに、メジロは梅の花の蜜を吸います。目白を鶯ととり違いしていることもあったのかも・・・。

 東京オリンピックの前年、昭和38年(1963)3月改正の、自然保護及び狩猟に関する法律により、愛鳥思想、自然保護思想の普及のため、都道府県ごとに「鳥」や「樹木」などを定めています。
 鶯を県の鳥と定めているのが、山梨県と福岡県の二つの県です。
 ちなみに、日本国の鳥は、雉です。

 わが家の庭に今年も年明けから何回かウグイスが訪れています。シャッターチャンスに恵まれませんでしたので、今のところ2013年のアルバムには「鶯」の項が空白のままの状態になっています。
 初鳴きの頃に、また来訪してくれることを期待しています。
 

写真は、2012年2月1日に撮影、動画は、2012年1月27日に撮影したものを、ここでは載せました。

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❀ fc2動画でリンクできない状態のママです。今までは同じ操作方法で何事もなく出来ていたので、どうやったらいいのかちょっと見当がつきません。 同じものをNHK動画に投稿してみました。2~3日で見ることが出来るようになると思います。











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ささら獅子舞

2013/ 02/ 20
                 
郷土芸能の伝承

 埼玉県無形民俗文化財に指定されている「原馬室のささら獅子舞・棒術」を始めとして、鴻巣市には、「小谷のささら獅子舞・棒術」、「登戸のささら獅子舞」、「広田のささら獅子舞」などの獅子舞がこんにちまで伝承されています。

 「ささら獅子舞」は、五穀豊穣、天下泰平を祈願する郷土芸能です。

 埼玉県は獅子舞王国といわれるほど伝承地が多く、県内200か所以上に獅子舞が伝えられています。
 なかでも原馬室の獅子舞は、1574年(天正2)に、二人の田楽師によって伝えられたとされる歴史を持っています。
 
 昨年のそれぞれの獅子舞日程は次の通りでしたので、今年はチャンスを逃さずに、全ての獅子舞を見にいこうと思っています。
 ・原馬室のささら獅子舞・棒術:8月19日(日)、18:00~20:00.馬室観音堂:原馬室1282.
  (7月は、「祈祷ささら」が行われ、一日かけて地域内を巡回。)
 ・登戸のささら獅子舞:10月14日(日)、9:30~宮登神社、13:30~登戸集会所.
 ・小谷のささら獅子舞・棒術:10月14日(日)、13:00~日枝神社.
 ・広田のささら獅子舞:10月15日(月)、10:00~鷺栖神社.13:00~東内自治会館、19:00~鷺栖神社.


❀注釈
・ささら=簓=竹を細く割って束ねた楽器。郷土芸能などに使われる。
・獅子舞=しし頭をつけてする舞。
・ささら獅子舞=「ささら」を啜る音色のリズムと笛の音色に合わせて踊る獅子舞。
 









                 
        

女道楽

2013/ 02/ 18
                 
女道楽 内海英華


女道楽
 女性芸人が唄や踊りの合間を縫って軽妙洒脱に話術をもって披露する芸能。

 落語の寄席では、落語以外の演芸を朱で書きます。そのことから「色物」と呼びました。
 女道楽は寄席の出し物の一つ「色物」として演じられてきました。

 かつてはお江戸で盛んに演じられていましたが、東京の時代に入りいつのまにか関東では立ち消えた芸能になっています。
 関西の女道楽は、吾妻ひな子が昭和の後期に入って、「女道楽」を漫談風な装いに仕立手直しして、三味線を片手に世相を風刺した話芸で長い人気を博しました。
 

 吾妻ひな子没後、後継者が立ち消えていたのを、今から15年前に復活させたのが内海英華さんです。

 
日本で唯一ということは日本一の、そして日本で唯一ということは世界一
 の、内海英華でございます。と、自己紹介した内海英華さん。
 2013年2月17日(日)、フレサよしみ、「桂文珍独演会」にての自己紹介と、それに続く演芸のお披露目。都都逸からの引き出し、軽易即妙の話術が、彼女の人となりを感じました。


❀内海英華
 本名:田中愛子 ・大阪府出身 ・6月17日生れ ・特技:ジャズトロンボーン、サックス。



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桂文珍独演会

2013/ 02/ 17
                 
吉見町 町制施行40周年記念

 このイベントは、宝くじの普及広報事業の一環として実施しています。ということで、埼玉県に手当された二つの枠の一つ(もう一つは「上里」)に見事抽選に当たり、今回、宝くじ文化公演として、「桂文珍独演会」が開かれました。
 「町制施行40周年」というグッドタイミングに、隣の市に住む私たちもその恩恵に与ることとなりました。

「吉見町民会館 フレサよしみ」で開かれた独演会は、全て指定席で一律2,000円/1人。会場はぎっしりと埋まっていました。600ほど入る会場の大きさだったと思います。 



桂文珍独演会

 桂楽珍、桂文珍、内海英華(女道楽)、桂文珍と、2時ちょっと過ぎから始まって3時47分までのところで一息。
 15分の休憩はさんで、桂文珍の〆の演目は「風呂敷」。
 
 この「風呂敷」しか、私は知りませんでしたので、休憩後は愉しみながら文珍師匠のお噺しを伺うことが出来ました。



内海英華

 初めてお目にかかったお名前でしたので、ちょっと紐解いてみました。
 平成24年度文化庁芸術祭賞大賞受賞。
 女道楽を復活させて15年。
 寄席三味線を弾いて30年、芸人になって35年!
 と、本人のホームページに書かれてありました。
 以下同様ですが、ご本人のメッセージをここに紹介させて頂きます。

出囃子とは文字通り演者が高座に登場する時に演奏する囃子であり、
間囃子とは曲芸や手品などの演技の伴奏に使う曲であります。
しかし、これは出囃子、この曲は間囃子というはっきりした区別はありません。
このような寄席の囃子は昔からたくさんの曲が伝えられておりますが、
また新しく作られた囃子もあります。
曲の内容はもともと寄席や見せ物小屋などで演奏されていた独特のものもありますが、
多くは歌舞伎の下座音楽、長唄、端唄、 はやり唄、義太夫などから取り入れられ、
それを寄席風にアレンジしたものであります。
現在は前座だけは「石段」と昔からのしきたりに習い演奏されます、
また、その人にふさわしい曲ということで自然に曲調によって格と いうものが決まっているようです。
但し、お正月の寄席だけは別で、決まった出囃子以外に新春らしい曲を選んで演奏することもあります。
何はともあれ、寄席の楽しい雰囲気を数々のお囃子で味わっていただけたら幸いであります。 










                 
        

国の重要無形民俗文化財

2013/ 02/ 16
                 
mi-ru-to 〔みると〕   地元を楽しむ「地図情報マガジン」 埼玉県2013年版 ZENRIN Maps to the Future 


雛人形のふるさと鴻巣

 鴻巣市は約380年の歴史と伝統を誇る雛人形の特産地です。
 現在「鴻巣雛」は、埼玉県の伝統的手工芸品に指定されています。

 鴻巣は江戸時代より「雛人形のまち」として知られていました。江戸の初期、中山道鴻巣宿上谷新田に京都の人形師が住み着き、やがて関東三大ひな市が立つほどに栄えました。 
 特に人形の着付けでは関東一といわれ、江戸の問屋との間で職人引き抜きによる騒動が絶えず、江戸南町奉行所のお白洲で争われました。

 江戸時代11軒だった鴻巣の雛屋は明治になってその繁栄は頂点に達しました。明治35年発行の「埼玉県営業便覧」によると越谷6軒、大沢町2軒、岩槻3軒に対し、鴻巣は31軒という記録が残っています。現在でも人形町周辺に10軒の人形店が軒を並べています。



 鴻巣の赤物技術 国の重要無形民俗文化財に

 鴻巣には江戸時代から伝わる獅子頭やダルマ、熊金、天神などといった「赤物」の技術が、国の重要無形民俗文化財に指定されたのは平成23年1月。玩具の分野としては、全国初のことでした。
 「赤物」が子どもの無事な成長を祈願する民間信仰を背景として作り続けられてきたこと、大量生産の技術ながらも、全工程にわたって伝統的な製作技術が維持されていることなどが評価されたものです。


❀国の重要無形民俗文化財に指定された折の説明書き
 「鴻巣の赤物製作技術」は、鴻巣市人形町に伝承される、桐の大鋸屑に正麩糊を加えて練った桐塑製の生地を型に入れて成型し、赤く彩色した玩具を製作する技術です。
 赤色は、かつて命に関わる子どもの病として恐れられた疱瘡(天然痘)除けに起源を持つ魔除けの色であり、赤物にも子どもを守る効果が期待されていました。

 赤物の製作は、まず、タネと呼ばれる木製の原型から松脂などを材料として釜型を作ります。この型に桐塑を詰めて生地抜きし、乾燥させてからバリトリ(生地のはみ出した部分を削り取る)をして成型します。

 彩色は、胡粉を2度下塗りをした後、赤い顔料と膠を溶かした塗料の中に浸して着色(乾燥後にもう一度着色)し、最後に目鼻や模様などの細部が筆で描かれます。






鴻巣雛人形⑦







                 
        

日本剣客伝

2013/ 02/ 15
                 
日本剣客伝 上巻

 〈第一番〉 塚原卜伝 南條範夫 岩田専太郎・画

 〈第二番〉 上泉伊勢守 池波正太郎 風間 完・画

 〈第三番〉 宮本武蔵 司馬遼太郎 石井鶴三・画

 〈第四番〉 小野次郎右衛門 柴田錬三郎 三井永一・画

 〈第五番〉 柳生十兵衛 山岡荘八 木下二介・画

 昭和43年3月25日に、朝日新聞より第一刷が発行されています。

 テレビでは、1968年(昭和43)4月3日から同年の12月25日まで、東映制作による「日本剣客伝(にっぽんけんきゃくでん)」として、NETの夜9時台の1時間番組として、全10話(40回)として放送されました。
・第1話 宮本武蔵 ・原作 司馬遼太郎
・第2話 小野次郎右衛門 ・原作 柴田錬三郎 
・第3話 上泉伊勢守 ・原作 池波正太郎 
・第4話 塚原朴伝 ・原作 南條範夫 
・第5話 柳生十兵衛 ・原作 山岡荘八 
・第6話 堀部安兵衛 ・原作 吉行淳之介 
・第7話 針谷夕雲 ・原作 有馬頼義 
・第8話 高柳又四郎 ・原作 村上元三 
・第9話 沖田総司 ・原作 永井龍男 
・第10話 千葉周作 ・原作 海音寺潮五郎 
と続きました。

・塚原卜伝は、1489年に常陸国(茨城県)で生まれ、1571年に常陸国(茨城県)で没しています。
 西暦では3月6日が他界した日となりますが、旧暦で表すと元亀2年2月11日没。となります。
 流派は、鹿島神道流。

 ・上泉伊勢守〔信綱〕は、1508年(諸説あります)に上野国(群馬県)で生まれ、1582年(諸説あります)に大和(奈良県)で没しています。
 流派は新陰流。
 ・池波正太郎は、「かみいずみいせのかみ」と読んでいます。

 ・宮本武蔵は、1584年に備前国(岡山県)で生まれ、1645年に肥後国(熊本県)で没しています。
 流派は二刀流(圓明流、二刀一流、二天一流、武蔵流)。

 ・小野次郎右衛門〔忠明〕は、1569年(諸説あります)に安房国(千葉県)で生まれ、1628年に下総国(千葉県)で没しています。
 流派は小野派一刀流ですが、息子の代からの呼称となります。


 ・柳生三厳(柳生十兵衛)は、1607年に大和国(奈良県)で生まれ、1650年に山城国(京都府)で没しています。
 流派は柳生新陰流。

 ・卜伝と武蔵が、剣を相まみえたという講談話などありますが、お互いの生没一致するところがありませんから、後の世の作り話ということが判ります。こういうようなさもありなんというようなお話はどこにでも枚挙にいとまがないように感じます。



塚原卜伝
NHK総合テレビ 
第6回『一つの太刀』 ~2013年2月28日放送~

 新右衛門(堺雅人)はこれまで倒してきた者たちの亡霊に悩まされていた。心は死の恐怖にとらわれ、神から遠ざかっているのを感じる。
 新右衛門は家族のように親密だった鹿乃(京野ことみ)や平賀丹後守(風間杜夫)と別れ、鹿島に帰る決意をする。
 鹿島では人々が新右衛門の帰りを待ちわびていた。しかし新右衛門は鹿島神宮に千日間籠もる新たな厳しい修業に入る。







ふと立ち止まる
瀬下梓 作 「ふと立ち止まる」 20130128u010





漂う眠り
瀬下梓 作 「漂う眠り」 20130128u011





ELEVEN Girls Art collection







                 
        

新しい友達

2013/ 02/ 14
                 
クッキーのお散歩

 朝、新聞を取りに玄関の扉を開けたら、Kさんの奥さんとクッキーが家の前を通るところでした。丁度、日課のお散歩に行くタイミングと重なりました。
 彼はとても気立てが良くて、私を見つけるといつもこちらに駆け寄って、尻尾を振ります。
 彼の首筋あたりを優しく数回撫でて、お散歩いいね!といって、送り出すのも、いつもの私の仕種です。

 クッキークンが、Kさんの家族となった頃、散歩コースとなっている我が家の前で、ムッちゃんとは、当然、挨拶を交わす仲となりました。ムッちゃんは、雌雄関係なく誰にでもすぐに気に入られましたが、本人も素直な子犬に対しては殊のほか優しく接していたように思います。

 ムッちゃんが亡くなってから久しいですから、ということからすると、彼は13歳か14歳位の年齢になっているはずです。相変わらず動作はきびきびしていて、若さハツラツといったところです。
 人間と同様、「歳・年齢」で表す数字だけを捉えて、若さとか老いを図る尺度とするのは、間違いの元といってもよろしいのではないでしょうか。初対面の人は、私の顔立ちや動作などをみて、言動を聞いて、実際の年齢より、(私を何歳位にみるのだろうという私自身が思った以上に)、相当若くみてくれますので、そう思います。






新しい友達
瀬下梓 作 「新しい友達」 20130128u009
・掛け軸画よりトリミング











                 
        

気ままに

2013/ 02/ 13
                 
川柳

 明るみに出されご隠居肚を据え 

 50代と通る写真の早合点

 駆け込んで酔い競い合う年の暮れ

 酔っ払い言い訳になる初参加

 酔っ払い呂律回らぬ明日こそ

AKB48よろしく次もベストテン

 ・勤めていた会社のOB&上尾の元住民として、昨年暮れ開催の「上尾友の会」に、お誘いを受け初見算。
 友の会幹事長KSさんのFacebook「2012年自分新聞」が年明けに発行され、読者として書き込んだ6首。
 もりもりもりあがる雲へ歩む 種田山頭火の自由律俳句を書き添えました。

むさしの想坊作 2013年1月3日事始め








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瀬下梓 作 「気ままに」 20130128u008









                 
        

こうのすひな祭り

2013/ 02/ 12
                 
花久の里 ひなまつり2013

 三つの会場にお雛様が飾られています。
 六角すいのひな壇。つるし雛。
 庭園内には、地元の農産物、園芸品や、いがまんじゅうなど地元発の売り物が出揃っています。
 「花音里(かおり)うどん」(11:00~14:00〔土、日、祝日は15:00])は、手打ち。開店当初からのかみごたえのあるうどんメニューに加え、麺の幅、2.3cmほどの「川幅うどん」も人気です。
田舎汁うどん(650円)、肉うどん(700円)、天ぷらは3品(サツマイモ、シュンギク、カキアゲ[タマネギ、ニンジン、青物の3種])ついて100円、うどん大盛り100円などとなっています。
開催期間 2月8日から3月4日まで(期間中無休)。9:00~17:00(最終日は16:00まで)。
住所 鴻巣市関新田343  ☎ 048-569-3811


花久の里 正面口

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花久の里 ひな人形

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川幅うどん
川幅田舎汁うどん天ぷら付き 750円


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フラワー号
フラワー号



ひな祭り特別展 鴻巣市産業会館「ひなの里」

 昨年(2012年)、4月1日にオープンしたひなの里では、ひな人形をはじめ、鴻巣に伝わる貴重な資料を展示。中庭を活用した「川幅ひな飾り」や、全国各地の郷土玩具を集めた「塚本コレクション」などが展示されます。
開催期間 2月14日から3月12日まで(9:00~17:00.最終日は16:00)。
住所 鴻巣市人形1-4-20  ☎ 048-544-1730



鴻巣びっくりひな祭り2013 

メイン会場:市役所本庁舎1階ロビー
 ・日本一高いピラミッドひな壇 (31段・高さ7m)
開催期間 2月17日11時~3月9日16時まで。
住所 鴻巣市中央1-1  ☎ 048-541-1321

エルミ会場:エルミこうのすショッピングモール1階セントラルコート
 ・5角すい型ひな壇
開催期間 2月21日10:00から3月9日20:00まで。
住所 鴻巣市本町1-1-2  ☎ 048-540-7101

 







おしゃべりな時間
瀬下梓 作 「おしゃべりな時間」 20130128u007





                 
        

お元気ですか・・・春です。

2013/ 02/ 11
                 
福寿草

 山野に自生する福寿草は、早春に芽を出して、先端に十数枚の弁のある黄金色の花を咲かせます。
 花が終わったあと茎はのびて、25センチほどにもなります。深緑色の柔らかい葉は、羽状に再三深裂します。
 元日に飾るこの花は、福寿草・元日草という名がつきました。栽培用として冬に褐色の鱗片に包まれた芽の端に開花させる、正月用の鉢植えがお馴染みです。
 旧元日の2月10日、田舎の家で撮った福寿草です。庭のあちこちに黄金色に輝いていました。
 これから咲き始めるツボミもまだまだ出てきそうです。
 三寒四温、明後日は雪のマークとなっています。ご自愛ください。


福寿草①20130210

福寿草②20130210

福寿草③20130210
福寿草


ツバキ⑤20130210
 椿の花。随分と長く咲き続けています。








瀬下梓 電話
 瀬下梓 作 「電話」 20130128u006






                 
        

旧正月

2013/ 02/ 10
                 
時候

 「旧正月」の季語は春を表します。
 陰暦の正月。地方の農村などでは今でも二月に正月を祝うところがあるといわれていますが、その地域での正月というよりも、その地域の一部の家で今でも旧正月を迎えるといったほうのが、より正しい表現になるのかも知れません。

 NHKかどこかのテレビで、横浜中華街での旧正月をトピックスしていました。中華街としては、横浜のが世界一の大きさだというようなことも紹介をしていました。


 旧正や旅をうながす南の星 大野林火






瀬下梓作 時を止める
瀬下梓 作 「時を止める」 20130128u005

 
                 
        

針供養

2013/ 02/ 08
                 
針供養

 針仕事を休み、今まで使った針の折れたのを供養する日。
 関東では2月、関西では12月8日。また年2回、2月及び12月に行うところもある。

 ふるさとに帰りて会へり針供養 村山古郷

 針供養目のおとろへは云ふまじく 沢田しげ子




針供養会 はりくようえ

あさくさかんのん 浅草寺

《色さめし 針山並ぶ 供養かな》 高浜虚子
 とも詠まれた針供養の日、以前は家庭の針仕事はもとより、針を扱う業種の人も針を休め、針箱の掃除をしたものでした。
 この針供養の日には、一般には淡島神社に参拝し、針への感謝と裁縫上達の祈りをこめて、やわらかい豆腐やコンニャクに古針・折れた針を刺して供養することが行われます。
 さて、当寺の淡島堂の祭神は「少彦名命(すくなびこなのみこと)」といわれ、虚空蔵菩薩(こくうぞうぼさつ)を本地仏(ほんじぶつ)としますが、針供養の発展には江戸時代の淡島願人(あわしまがんにん)の唱導(「波利賽女の説話」)が大きな影響を与えたと思われます。その説かれるところは、「何よりも女性の病を癒し、女性の持つ苦しみを救済してくれる」ということでありました。
 供養する古針や折れた針は、古くは漁師らが持ち寄る釣針もありましたが、現在当寺では、「大東京和服裁縫教師会」の方々による呼びかけを中心に日ごろ針仕事をするご婦人などが、堂内外に設けられた豆腐に古針を刺して、供養し感謝の祈りを捧げています。







瀬下梓 作③
瀬下梓 作 「うたたね」  20130128u003







                 
        

塚原卜伝

2013/ 02/ 07
                 
2月11日は卜伝の命日。

 塚原卜伝は、生涯、一度たりとも負けたことがなかったという。そして、一度たりとも負傷しなかったともいわれています。

 元亀2年2月11日(1571年3月6日)、没。

「塚原卜伝」 NHK総合テレビ、毎週木曜日午後8時からの放送。7回シリーズの今日はその第3回です。
 一度たりとも負けず、一度たりとも怪我を負わなかったということが頭に入っていると、イマイチ、手に汗握る・・・というように画面にくぎ付けとならない気もしていましたが・・・

 だんだんのめり込んできていますね。

 原作は、津本陽の「塚原朴伝十二番勝負」(講談社 1983年)。
 石ノ森章太郎も「「塚原卜伝」(小学館 1996年)を出しています。


NHK総合 塚原卜伝

旅立つ人





瀬下梓作
瀬下梓 作 「瞬」  20130128u002






                 
        

縄張り争い

2013/ 02/ 06
                 
雪の日

 朝から雪が降っています。
 はじめにツグミと目があいました。
 メジロ、ヒヨドリ、シジュウカラ、スズメ。いつもの常連さん達も地鳴きしながら、なにやら食事をしています。

 同種どうしの順位付け、縄張り争い。異なった種の縄張り争い。
 今日は、雪が降っていてエサが少ないということもあるのでしょうか、狭い庭にもかかわらず、いつも以上の熱戦が、これでもか、これでもかと、繰り広げられる一日となりました。
 バトルを目の当たりにし、高速撮影に設定して、今にも飛び立つところ、空中戦を撮ってみましたが、相手に突っかかるスピードにはデジカメの性能は追いついてくれませんでした。


ツグミとメジロ
ツグミとメジロ
ツグミとメジロ⑤


 
ツグミとヒヨドリ
ツグミとヒヨドリ



空中戦①二羽が空中で取っ組み合いをしているところ&②お互いが相手に向かっているところ

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メジロとヒヨドリ ※ヒヨドリは向って右上の柵の上にとまっています。
メジロとヒヨドリ


ヒヨドリとヒヨドリ
ヒヨドリとヒヨドリ
                 
        

洋酒マメ天国 30

2013/ 02/ 05
                 
百人一首

 む
 す
 め
 ふ
 さ
 ほ
 せ
 ・・・何にしてもこの文句、呪文のような、歌謡の一節のような文句だ。しかしこれはもとより、そんなもっともらしいものではなく、誰か、知恵者が、バラな七種を、こう排列して見せただけのもので、それは、百人一首の一枚札の始まりの音なのである。ただその一枚札がちょうど七枚だったことが、日本人の好きな七音の句を形成し、七五調の文句への連想をそそることになったわけである。
 一枚札というのは、つまり、むという音で始まる歌は、百人一首の百枚の札の中で、一枚しかない、ということである。・・・
 巷説百人一首 第1章 むすめふさほせ より

 小さいころ、百人一首もお正月の子供たちの遊びの一つでした。
 姉は、この百人一首が殊のほかお気に入りでした。
 歳の違いという事もあったとは思いますが、姉がいつもピカイチの腕前でした。
 私たちも負ける悔しさというのを知ることとなりましたので、その当時、一番から百番まで諳んじるということが自然に身に付きました。
 姉の「おはこ」を始めとして父母、兄弟姉妹、みなそれぞれお気に入りの札を持っていました。
 姉に、枚数ではいつも敵わないので、姉の十八番(オハコ)を取ることで溜飲をさげたこともあったかなあと、今では懐かしく想う正月の一コマです。



巷説百人一首

第1章 むすめふさほせ
第2章 天智天皇秋の田の
第3章 おひめさま
第4章 おはこ
第5章 坊主めくり
第6章 から札

・・・おはこといえば、百人一首のかるた取りの場合は、絶対他人にはとらせない、大事にしている札のことであった。それが少しこうじて来て、たとえ、ほかの札は他人にとられ、味方が敗けても、その札だけはとられてなるものか、というくらいの執念の札であった。だから、家庭内の内輪のかるた取りや、それに何人かの友人が加わって来るような集まりでは、どの札が誰の、誰はどの札が、おはこなのかは、知れ渡っていた。
 だから、敵方になった人のおはこの札に目をつけていて、その人よりも早くさっととると、当時のお嬢さん達は、泣いてくやしがったものだ。・・・
 巷説百人一首 第4章 おはこ より

洋酒マメ天国 第30巻     昭和44年1月30日発行
著者 池田彌三郎        発行所サントリー株式会社

洋酒マメ天国 30

                 
        

鴻巣フラワーセンター

2013/ 02/ 04
                 
立春

 明後日、雪が降るという予報。
 昨日は節分。
 暦の上では今日から春。

 立春やベガサスはわが額星 鷹羽狩行
 (ギリシア神話のベガサス:ポセイドンとメデューサの間に生まれた子。背中に翼を持つ白い天馬。)


鴻巣フラワーセンター

 立春に相応しい陽気になったこともあり、鴻巣フラワーセンター(寺谷125.tel 048-597-5300)へ。
 埼玉テレビクルーに遭遇。
 タイミング良く入場許可(フラッシュ撮影禁止)をもらい、「セリ」を開いている会場に。

(「セリ」は毎週、月曜、水曜、金曜に開催)
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「セリ」が終わった花は、それぞれ地域ごとに区分けされ運ばれていきます。
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フラワーセンター2階にあるレストラン「かねはち」は、午前11時から営業。どなたでも利用できます。
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花のまち、鴻巣。ひな人形のまち、鴻巣。正面玄関にて。
鴻巣のひな人形

市内巡回バス「フラワー号」のドライバーは女性の方でした。
埼玉テレビさんが、フラワー号の到着出発場面も撮影していました。
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庭の二羽

2013/ 02/ 03
                 
日常

 いつもは一羽が一つのコマにおさまっています。

 週刊新潮の表紙絵は、成瀬政博さんが描いていますが、描き始めた頃は、一人称で登場している場面が多かった気がしています。
 谷内六郎さんの後を継いだ頃の成瀬さんの絵は、谷内さんとタッチが根本的に違うというようなこともあり、こちら側からみる表紙絵の中のあちらの景色がぼんやりと感じていましたが・・・。
 このところの絵は、人と猫とが一緒に描かれていて、背景・前景の絵とマッチングしています。
 ネコの「見てるよ。」が、その都度、こちらにメッセージを投げかけていることで、画図の構成に物語性を醸し出している・・・そんな気がしています。


一緒

 二羽が一コマに。
 最初のが、ジョウビタキのメスとメジロのオス。
 次が、シジュウカラのメスとオス。
 三番目が、シジュウカラのメスとメジロのオス。
 最後が、メジロのメスとオス。
 一羽だけ写っている画面と、二羽一緒に写っている画面と比べてみると、それだけの違いで随分と雰囲気が変わってきますが、異種の組合せにより、一層趣を変えた物語性を醸し出します。不思議なものですね。


ジョウビタキのメスとメジロのオス

シジュウカラのメスとオス

メジロのオスとシジュウカラのメス

メジロのメスとオス


縄張り争い

 ・小枝に掴まりながら、尾っぽを小刻みに震えさせ、威嚇鳴きをしながら、上と下から睨み合い
 ・空中で取っ組み合い、そのまま地上に落ちながら、お互いが食いつくように突っつき合う

威嚇しながら睨み合い

取っ組み合い突っつき合い


対:二客

陶房 窯八
ウチ、うつわ屋です
陶房 窯八作





見てるよ。ピックアップ

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成瀬政博ミュージアムカフェバナナムーン

 
  
                 
        

2月に入りました。

2013/ 02/ 02
                 
 2月

3日、節分・豆まき。
4日、立春。
7日、北方領土の日。
8日、針供養。
9日、初午。
10日、旧元日。
11日、建国記念の日。
14日、バレンタインデー。
と、月の前半は、なにやかやと暦の上が賑やかです。

 例年ですと、2月に入った途端、風が強く吹いたり、寒さが身に沁みたりで、「立春」・・・暦の上では春とはいいながら・・・などと、NHKの女性アナウンサーがお昼の番組で話したりするのですが、今日は雲空とはいえ、穏やかな一日となりました。
 こんな日に、ウグイスが訪れるのではないかと、ほどほどの期待を抱いてみましたが、アテは見事に外れました。


二四 雪と空っ風

 北に背負うた山脈の為に上州の冬は雪に乏しく、その代り乾燥した風がひまなしに訪れます。雪も静かに訪れる時は量多く、吹っ越しといって風に飛んで来る雪はむしろ積りません。私共の付近では、三センチ以下の雪が多く稀に十センチ、十五センチを超えれば大雪の部に入ります。
 子供の頃は山陰、土手まま(傾斜のこと)などによけて日なたぼっこするのがうれしく空ゆく風の音を日だまりで聞いて居りますとやがて榛名山の方面に雪雲が現れてさらさらとした雪が飛んで来ます。空にはまだ陽光が輝きながら白い片々はあたりの空気をめまぐるしく動かします。これが吹っ越しです。

 おう寒む こさむ
 山から小僧がとんで来た

 少年の頃はこの小僧を雪そのものと解してうたったものでした。
 吹っ越しは本雪になる時もありますが、大抵はまもなく晴れる事が多いのです。日なたぼっこをして居て浮雲が頭上を過ぎる時は

 天と様 天と様
 戸をあけろ

とうたうのです。
 風は冬中いつも吹きますが強く砂をまいて吹くのはむしろ二月以後で正月の凧あげは上州とすると決して風の本時期ではありませんでした。空っ風の時期になりますと、北向の道路などはなまやさしい力では進めません。自転車などは勿論乗れないのです。昼一日濛々とした砂ほこりが赤城、榛名の間をすぎてゆきます。三月の下旬まで幾日もつづくのです。


二七 節分

 節分にする行事については、私共の一門は大晦日にいたしますので既に記しましたから略します。大体あれと同様の事が二月四日頃の節分の日に一般に行われて居るのです。只豆撒きによって年取りをするという事が、改年の期と一月もかけ離れてしまった事は、何としても新旧両歴の不都合でありました。おそらく昔は節分は正月の中に大体入ったのだと思います。旧暦にあっても節分とか彼岸とかいう月は一定の時になって居りましたのですから、新年をこの節分に近づけて初春の気分を味わって来た事は、結果から見た話ですが、昔の人は幸であったと思います。季節から云って今の正月は何としても正月らしからぬ時期である事は否めません。


二八 お事八日

 二月八日の日を事始めと云います。この日と十二月八日の二日をお事八日と云い十二月の方はお事じまいと云います。
 この事というのは何の意味だかよくわかりませんが、私はあの陶淵明の「農人余に告ぐるに春の及べるを以って将に西疇に事あらんとす」という事と同意に解して居ります。この点、事八日は家庭的な祈年祭と神嘗祭の趣があります。この日は私の家では最早致さぬのですが近くの多くの家ではメカイを竿に立てて庭に出します。これは天から鬼が下りて来るのに対し沢山目玉のある者が下に居ておそろしくて近寄らせない為だそうです。これはどういう原因があるのか最早よくわかりません。この日は一般に変り飯を食います。つまり白いめし(白米の飯)或は赤飯更にオコトソバといってソバを食べる家もあります。
 その後お事八日というのは正月の神事だという話をききました。この説によると十二月八日の方が事始めで二月八日の方が事じまいということになります。成程、この御説は御尤で今では私はこの御説の方を正しいと思って居ります。しかし家の方では二月の方を事始めと云うのです。


二九 初午

 二月の最初の牛の日に稲荷祭りをいたします。これが初午でありますが昭和十年頃更生計画により二月十一日の紀元節の日に初午祭りをする事と村で決定されましたので、家ではその日に行います。が多くの家では終戦後元に戻って二月の牛の日にするようになりました。
 初午の前日は屋敷の稲荷様に注連縄を張って古い幟を一対立てます。その幟には享和二年という今の私の家が建てられた頃の年号が染められて居ります。
 夜分になってから米の粉で団子を作ります。大半は繭玉に作るのです。之は所謂新粉細工ですから子供には大変面白く種々の動物や椎茸、野菜類などの形ものも作ります。初午の日の朝これをふかして神仏や勿論稲荷様に供えます。繭玉は焼いてたべるのが一番美味ですが、この朝は私共では雑煮の様に人参、里芋、大根等と汁に入れてたべます。この日は一日休みなのです。
 

三〇 大般若講

 二月十五日の涅槃会の日は菩提寺の大般若講の日であります。現在は大般若の転読はどこの寺院でも皆行いますが、この地方では明治十九年の涅槃会にこの寺の先住(一色良在師)が始められたのが最初です。ここには五人一組の講が立って居て毎年交代で寺を訪ねるのですが、十数人の近隣寺院の和尚様達が並んで大声に六百巻の経文を大きな扇をひらき又つぼめる様に双手をかざして転読する様は実に壮観です。終って斎食があり説教があります。少年の頃は、この日お寺でくれる「ヤセウマ」が非常な楽しみでした。ヤセウマというのは、輪切りにしたお新粉餅で中に赤、青、黄等の色のポチポチが入っているのが最も子供心をよろこばせました。この辺は一帯に信仰心のうすい所で善男善女の寺を訪れるのは盆、正月の外は秋の施餓鬼と今日だけの事です。


習俗歳時記(補修再版)より