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徳島の祖母

2013/ 12/ 31
                 
 「お前様には、お元気のことで何よりと存じます…」
 徳島の祖母からの返事のはがきは、いつも書き出しで「お前様には・・・」という言葉から始まっていました。

 先日、田舎で一泊しました。
 ちょっと探し物のため、機織りごやに入る手前の室内の中をあちこちかき回していましたら、小箱の中に姉がしまっていた郵便物を見つけました。
 はがきの発信人を見ると、懐かしい人たちの名前が出てきます。

 
 毎年、四国徳島の祖母から父宛に、みかんの入った木箱が年末に届きます。
 一日にみかんを食べるのは二つという約束を、兄弟の間で取り交わします。
 私は、毎日みかんを朝と晩に一つずつ食べます。

 ときおり(日曜日の午前や午後のおやつ時に)、姉から、「もっと食べたい?!」と、声をかけてもらうことがあります。
 黙って頷くと、姉は自分の引き出しの中に入っている七つ八つほどのみかんから一つを取り出して、弟に、「ハイッ!」といって、差し出します。
 弟(私)は、「アリガト!」といって、受け取るやいなや、そそくさとその場からかけだしていきます。

 姉は、毎日一つ食べないで、保存というか保管しているのです。
 ある程度の数がたまると、弟に、「ハイ、どうぞ」といって大事そうに手渡してくれます。


 徳島からみかんが届くと、私たちきょうだいは祖母宛に、はがきでお礼を出します。
 その返信はがきの冒頭は、「お前様には・・・」といつも書かれていました。


 小箱の中から出てきた姉あての郵便物を見ながら、祖母からのはがきを思い出していました。
 小諸にいた当時のことでしたから、いつの頃だったといえるのでしょうか。





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豚の角煮

2013/ 12/ 30
                 
 父伝授の豚の角煮。
 父も母も甘党でしたので、ふだんは甘さをベースにした料理は殆ど作らない私ですが、角煮だけは甘味を損なわない味付けにします。

 ショウガ、ネギ、ショウユ、サトウ、お酒、ミリンは基本ベースです。

 下ごしらえの方法は幾つかありますが、父のやり方は、肉の四面(または六面)をしっかりと焼くことから始めます。
 NHKの料理番組での手順を見ると、1kg相当の豚のバラ肉を熱湯で2分から3分茹でて、水気をとってから、フライパンで肉の両面をきつね色になるくらいまで焼きます。
 ショウガ、ネギ、コンブ、そして日本酒を入れた中に肉を入れ、一時間半の弱火で煮込んだあと、肉を冷まします。
  肉を冷ます時間はカウントしないで3時間の調理時間となっていますが、そのポイントは、落し蓋とクッキングペーパーを使うことによって、効果的に時間短縮を図っています。
  一人分120g相当の大きさにカットします。
 お酒は紹興酒(日本酒でもよい)と書かれていました。
 
 今回の角煮は、調理方法をちょっとアレンジしてみました。
 旨みをまろやかにするのに、コンブを加えました。
 お酒は、紹興酒と日本酒(と味醂)。
 甘さは、黒糖と砂糖(と蜂蜜)。
 テリを出すのにも、肉の周りを固めるのにも、味醂と蜂蜜を後工程に加えます。味噌は使いませんが、「ミリン&ハチミツ」がミソとなります。



 赤城山の裾野の「ハム工房グローバル」で、豚の三枚肉を4.5kg、それに加工品の、ロースハムとチリフランクの買い出し。
 グローバルピッグファーム㈱  0120-44-3746   0279-52-3746
 群馬県渋川市北橘町上箱田800
 定休日は毎週月曜日(年内無休でした)。
 一昨日予約して出向いたので、昨日はスムースに買い物が出来ました。
 その日に調理していったん冷ましました。
 今朝、弱火で30分煮て出来上がり。
 4つの大なべを使いましたが、田舎の家はガスコンロの口が二つしかないので、大層な時間をかけることとはなりました。

後述【調理ポイントの一つです】
 大鍋に入れるとき、肉を重ならないように置くと、身崩れしません。調理後段になって、肉の上下を逆さにしますので、そのときと、お鍋からお皿に移すとき、身を整えておくために、肉は二段にしないで煮てください。



 上毛三山で名高い、赤城山、榛名山の冬姿です。
 (三山のもう一つは、妙義山)


「赤城山四景」
赤城山③20131229

赤城山④20131229

赤城山⑤20131229

赤城山⑥20131229

大石20131229


 
赤城山麓の道路に面している「富士見温泉ふれあい館 農産物直売所」に途中立ち寄り、ネギなどの地元産のアレコレを買い物かごに入れました。
 「風ラインふじみ」 027-288-5422
 群馬県前橋市富士見町石井1560-40
 定休日は毎週木曜日。
 ⇒道の駅「ふじみ」 富士見温泉ふれあい館  027-230-5555
 群馬県前橋市富士見町石井1569-1
 定休日は第一と第三の木曜日。
 富士見温泉ふれあい館 農産物直売所



「榛名山三景」
榛名山①20131229

榛名山②20131229

榛名山③20131229



「冬の上越国境の山々を望む」
雪の積もった山々①20131229





                 
        

ムッちゃんがいない

2013/ 12/ 28
                 
 外に雪が残っていたある日

 先程まで居間で一緒に寛いでいたムッちゃんの姿が、見えないのです。
 
 長閑な休日の午後、私たちは、彼が我が家の住人になる前のことを話していました。
 当然のこととはいえ、その話の中には、ムッちゃんのMの字も出てきません。
 そうなんです、彼の存在のことは、三人がいた空間の中でこれっぽっちも出ていなかったのです。

 ふと、私たちの会話が途切れたのは、彼がいつのまにか姿を消しているからでした。


 ムッちゃんどこにいるの?・・・と、1階と2階を探しましたけれど、見つかりません。もしやと思い、家の外に出ましたところ、太陽の光が当たらない物置入れの陰に身を隠して、丸くうずくまっていました。
 ブルブルと体を小刻みにして、寒いよとでもいうように震えているのです。
 

 家の子になってから、どれほど経った時のことだったでしょうか。


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ガラス戸の向こうに

2013/ 12/ 26
                 
 うぐいすです。
 ガラス戸の外、90センチ
 ガラス戸のこちらも、90センチ
 目の前、一間先のサークルにウグイスが止まりました。



 MUCCHANが来たての時は、このサークルとセットした犬小屋からの生活が始まりました。
 しばらく経って、夜中になるとクゥーン、クゥーンと鳴き始めました。

 風通しの悪い寝苦しいところに犬小屋を置いたのかなと思って、別の場所に寝場所を移動しました。
 その日からも、夜中にクゥーン、クゥーンと鳴きます。

 声が煩いと近所迷惑になると思い、玄関の入ったところにマットとタオルを敷き、そこをベッドとしました。

 「おやすみなさい!」というと、二度三度クルクル回ってからタオルに顔をうずめます。
 ああ、ここをベッドにして良かった…と思ったのですが。

 「朝早くから随分元気な声ですね」と、ご近所さんからの声。
 鳴き声は一日とて止まなかったのです。

 散歩が終わったあとは、いつもアンヨを洗うためにお風呂場を使います。
 そのとき、彼はいつも家の中の廊下を通って、洗い場を行き交いします。

 日課として足を洗うために家の中に入るのですから、彼としては、家の中で私たちと一緒に生活できないということがどうしても判らないのです。 
 
 おやすみ前になると、彼は熱心に、家の中に上がりこもうとします。
 「MUCCHN おやすみ!」とちょっと語気を強めるようにいうと、漸くにして、クルクルと二度三度回ってからうずくまります。
 
 そうなんです。またしても翌朝の四時ころから、クゥーン、クゥーンと鳴き始めます。

 「朝早くから元気な声ですね!」と、朝の挨拶のご近所さん。

 MUCCANは、家の中で一緒に寝起きするようになりました。



 サークルに止まっていたウグイスは、いつの間にか飛び立っていました。

 

ウグイス⑤








 



 

 
                 
        

そば処 利庵

2013/ 12/ 24
                 
  グライダー競技会場にまもなく着くという道の左手に、手打ちそば屋を見つけました。
 あっどんなお蕎麦を出すお店かなと一瞬思いましたが、今日はグライダー飛行の写真を撮るための利根川詣でです。

 帰り道に立ち寄りました。
 お店の前の立札には、午前11時から午後2時まで営業と書かれていましたが、「営業中」という看板も立ててありましたので、中に入りました。(帰り際に頂いた名刺には、営業時間 11:00~14:00 が、 ~30と書き直されていました。滑り込みセーフだったのです。定休日は水曜日)

利庵:名刺表

利庵:お手元入れ



 ハナからそば薄焼きをのせた器に目が奪われました。

 ほどなくして出てきたソバを頂きました。

 ごちそうさん。

 偶然のめぐり合わせに感謝です。

 グライダー競技会(全日本学生選手権)が数ヶ月先にありますので、また来たいなと思いました。

 ついつい食べログなどあちこち「そば処 利庵」を検索してみたところ、店主の人柄も含めて、ソバ、ツユ、器など、好意を持った優しさにあふれる筆致の皆さんの言葉が満ち溢れていました。
 わざわざ遠くに足を運ばなくても、近場で美味いソバ屋さん…新たに一つ加わることになりました。
 
 今から8年前の12月10日に、開店しましたと、店主。
 
 

 利庵:二八そば(信州産粉)①
 二八そば(信州産粉、650円)
 (画面左上のそばつゆの入った器など、濱田庄司の作陶を漂わせるような雰囲気を持っていました。家に戻って手元の湯のみ茶碗〈父が栃木に勤務していた頃、濱田庄司宅を尋ねた折、持ち帰った品のうちの一品〉)と写真を見比べながらあらためてそう思います。

利庵:蕎麦湯を入れた器
 食べ終わったタイミングを見計らって出てきたソバユ((を入れた器))

利庵:サービスのそば薄焼き
 最初にすっと出てきたサービスのそば薄焼き

利庵:サービスのコーヒー
 食後のサービスのコーヒー


利庵:お店全景
 そば処 利庵 

利庵:蕎麦の種類
 蕎麦の種類

利庵:お品書き
 お品書き

利庵:店内
 奥は座敷になっています。

利庵:店内お品書き貼り札
 12月30日、31日は、午前11時から午後8時まで営業



妻沼サッカー練習場②(遠くに赤城山)
利根川河川敷サッカー練習場 (遠くに赤城山)

妻沼サッカー練習場③(遠くに日光連山・男体山)
 利根川河川敷サッカー練習場 (遠くに日光連山・男体山)


                 
        

グライダー

2013/ 12/ 24
                 
 第29回関東学生グライダー競技会が、熊谷市葛和田1975番地の「妻沼グライダー滑空場」で、12月18日〈水〉から23日〈月〉までの6日間行われました。



〔全国大会出場チーム〕ホームページより抜粋 
2014年3月に埼玉県熊谷市の妻沼滑空場で開催される第54回全日本学生グライダー競技選手権大会に関東地区代表として青山Discus、東大Jr、東大24、早稲田LS、早稲田23、日本大学A、日本大学B、学習院Jr、立教23、法政ディスカス、慶応Discua、慶応YSの12チームが選出されました。


第54回全日本学生グライダー競技選手権大会は、2014年3月1日(土)から9日(日)の9日間、妻沼グライダー滑空場で開かれます。



妻沼グライダー滑空場より赤城山を望む
 妻沼グライダー滑空場より赤城山を望む

野鳥一羽

岸辺の小鳥③
 利根川の岸辺にて
【ハクセキレイ】(日本野鳥の会ホームページより抜粋)
白いほお、澄んだ声。
全長:21cm
広い河川、農耕地、市街地の空き地など開けた環境を好む。
春夏は北日本に、秋冬は積雪のない地域に多い。
チュチュン、チュチュンと鳴く。
雌は雄よりも黒味が乏しい。
雄も冬羽の上面は淡くなる。


①離陸 遠くに雪をかぶった山々
 これから大空へ 〈遠くに雪をかぶった山々が連なっているのが見えます〉

④グライダー20131223
 大空に向かって


大空①
 大空

大空に舞う②
 大空に舞う

大空に舞う⑤
(〈大空に舞う20131116撮影⑤〉)

大空に舞う④
 (〈大空に舞う20131116撮影④〉)


⑤グライダー20131223
 これから着陸

③グライダー20131223
 着陸 〈遠くに雪をかぶった山々が見えます。〉










                 
        

天皇陛下80歳ご会見全文

2013/ 12/ 23
                 
【産經デジタル】


■ご会見全文

 --80年を振り返って特に印象に残っている出来事や、傘寿を迎えられたご感想、これからの人生をどのように歩もうとされているのかお聞かせ下さい

 「80年の道のりを振り返って、特に印象に残っている出来事という質問ですが、やはり最も印象に残っているのは先の戦争のことです。私が学齢に達した時には中国との戦争が始まっており、その翌年の12月8日から、中国のほかに新たに米国、英国、オランダとの戦争が始まりました。終戦を迎えたのは小学校の最後の年でした。この戦争による日本人の犠牲者は約310万人と言われています。前途に様々な夢を持って生きていた多くの人々が、若くして命を失ったことを思うと、本当に痛ましい限りです。

 戦後、連合国軍の占領下にあった日本は、平和と民主主義を、守るべき大切なものとして、日本国憲法を作り、様々な改革を行って、今日の日本を築きました。戦争で荒廃した国土を立て直し、かつ、改善していくために当時の我が国の人々の払った努力に対し、深い感謝の気持ちを抱いています。また、当時の知日派の米国人の協力も忘れてはならないことと思います。戦後60年を超す歳月を経、今日、日本には東日本大震災のような大きな災害に対しても、人と人との絆(きずな)を大切にし、冷静に事に対処し、復興に向かって尽力する人々が育っていることを、本当に心強く思っています。

傘寿を迎える私が、これまでに日本を支え、今も各地で様々に我が国の向上、発展に尽くしている人々に日々感謝の気持ちを持って過ごせることを幸せなことと思っています。既に80年の人生を歩み、これからの歩みという問いにやや戸惑っていますが、年齢による制約を受け入れつつ、できる限り役割を果たしていきたいと思っています。

 80年にわたる私の人生には、昭和天皇を始めとし、多くの人々とのつながりや出会いがあり、直接間接に、様々な教えを受けました。宮内庁、皇宮警察という組織の世話にもなり、大勢の誠意ある人々がこれまで支えてくれたことに感謝しています。

 天皇という立場にあることは、孤独とも思えるものですが、私は結婚により、私が大切にしたいと思うものを共に大切に思ってくれる伴侶を得ました。皇后が常に私の立場を尊重しつつ寄り添ってくれたことに安らぎを覚え、これまで天皇の役割を果たそうと努力できたことを幸せだったと思っています。

 これからも日々国民の幸せを祈りつつ、努めていきたいと思います」

 --現在のご体調と、ご公務の引き継ぎについて、どのようにお考えかお聞かせ下さい

 「『こどもの日』と『敬老の日』にちなんで、平成4年から毎年、子どもや老人の施設を訪問してきましたが、再来年からこの施設訪問を若い世代に譲ることにしました。始めた当時は2人とも50代でしたが、再来年になると、皇后も私も80代になります。子どもとは余りに年齢差ができてしまいましたし、老人とはほぼ同年配になります。再来年になると皇太子は50代半ばになり、私どもがこの施設訪問を始めた年代に近くなります。したがって再来年からは若い世代に譲ることが望ましいと考えたわけです。この引継ぎは体調とは関係ありません。

 負担の軽減に関する引継ぎについては、昨年の記者会見でお話ししたように、今のところしばらくはこのままでいきたいと思っています」

 --今年は五輪招致活動をめぐる動きなど皇室の活動と政治との関わりについての論議が多く見られましたが、皇室の立場と活動について、どのようにお考えかお聞かせ下さい

 「日本国憲法には『天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない。』と規定されています。この条項を遵守することを念頭において、私は天皇としての活動を律しています。

 しかし、質問にあった五輪招致活動のように、主旨がはっきりうたってあればともかく、問題によっては、国政に関与するのかどうか、判断の難しい場合もあります。そのような場合はできる限り客観的に、また法律的に、考えられる立場にある宮内庁長官や参与の意見を聴くことにしています。今度の場合、参与も宮内庁長官始め関係者も、この問題が国政に関与するかどうか一生懸命考えてくれました。今後とも憲法を遵守する立場に立って、事に当たっていくつもりです」

 --53年ぶりとなったインド公式訪問のご感想をお聞かせ下さい

 「この度のインドの訪問は、インドとの国交60周年という節目の年に当たっておりましてインドを訪問したわけです。

 インドを初めて訪問しましたのは当時のプラサド大統領が日本を国賓として訪問されたことに対する答訪として、昭和天皇の名代として訪問したわけです。当時は、まだ国事行為の臨時代行に関する法律のない時代でしたから、私が天皇の名代として行くことになったわけです。

 当時のことを思い起こしますと、まだインドが独立して間もない頃、プラサド大統領は初代の大統領でしたし、これからの国造りに励んでいるところだったと思います。ラダクリシュナン副大統領は後に大統領になられました。それからネルー首相と、世界的に思想家としても知られた人たちでしたし、その時のインドの訪問は振り返っても意義あるものだったと思います。

 そして、私にはそれまでヨーロッパと中国の歴史などは割合に本を読んだりしていましたが、その間に横たわる地域の歴史というものは本も少なく、余り知られないことが多かったわけです。この訪問によって両地域の中間に当たる国々の歴史を知る機会に恵まれたと思います。

 今度のインドの訪問は、前の訪問の経験がありますので、ある程度、インドに対しては知識を持っていましたが、一方で、日本への関心など非常に関心や交流が深くなっているということを感じました。

 ネルー大学での日本語のディスカッションなど日本語だけで非常に立派なディスカッションだったように思います。また、公園で会ったインドの少年が、地域の環境問題を一生懸命に考えている姿も心に残るものでした。

 そういう面で、これからインドとの交流、また、インドそのものの発展というものに大きな期待が持たれるのではないかという感じを受けた旅でした」




                 
        

祖父母の人生を思う 作家から

2013/ 12/ 22
                 
 HONライン倶楽部 百田尚樹の巻

 昨日、私の作家デビュー作である『永遠の0』の映画が公開された。物語は神風特攻隊として亡くなった祖父はどんな男だったのかを、現代に生きる若者が戦友を訪ねて調べるというものだが、実はこの小説が出版されたのは7年前の2006年だ。
 実はこの小説を書いているとき、私の父は末期ガンで余命半年と宣告されていた。その1年前に伯父の1人がやはりガンで亡くなっていた。父も3人の伯父も第2次世界大戦のアジア・太平洋の戦場で「大東亜戦争」を戦った男たちだった。その時、「ああ、あの戦争を戦った男たちが日本から消えていくのだな」と思った。
 幼い頃より、父や伯父たちから戦争の話はいつも聞かされていたが、父は私の子供たちにはついに戦争の話は一度もしないで死んだ。従兄弟たちに聞いても、「そういえば、親父は孫には戦争の話はしなかったなあ」と言った。そう、実は多くの戦争体験者たちは子供には戦争を語っても、孫たちにはほとんど語っていないのだ。60年という年月は記憶と思い出を隔絶させていたのだ。
 私が『永遠の0』を書いた動機はそこにあった。神風特攻で亡くなった主人公は私の父の世代である。そして彼の孫は私の子供の世代である。つまり私は物語の中で二つの世代を結びつけたいと考えたのだ。
 『永遠の0』を読んでくれた若い世代がネットやブログで「おじいちゃんたちに、なんで話を聞いておかなかったんだろう」という感想をアップしているのを見ると、切ない思いがするのと同時に、彼らが祖父母の人生に思いを馳(は)せてくれたということを嬉(うれ)しく思う。
 映画は素晴らしい出来で、歴史に残る傑作と思う。



 語りのうまさ 多彩な作品
 今年の本屋大賞に選ばれた『海賊とよばれた男』(講談社)が上下巻計170万部、映画化もされた『永遠の0』(講談社文庫)が380万部と、当代有数のベストセラー作家への階段を一気に駆け上がった百田尚樹さん。その勢い同様、熱い思いのこもった投書が多数届きました。

・『永遠の0』(講談社文庫):千葉県館山市の52才女性さん、「戦争ものだし、すごいベストセラーなので敬遠していた」「語りのうまさに途中でやめられなくなった」。福島県会津若松市のん15才女性さん、「臆病者」とさげすまれても家族のために「死ねない」と言い続けた祖父がなぜ、特攻を志願して死んでいったのか。やがてあきらかになる真実に多くの方が号泣しました。大阪府枚方市の38才女性さんは、「この本は立派な反戦小説だと思います」。
・『影法師』(講談社文庫):横浜市の69才女性さん。〈磯貝彦四郎殿は亡くなっておられました〉。将来を嘱望されていた男が、どうして不遇の死を遂げたのか。その理由に心を揺さぶられた。「私が死んだら棺に入れてほしい」と息子さんに伝えたほど。
・『幸福な生活』(祥伝社文庫):埼玉県川越市の48才女性さん。宇都宮市の67才男性さん。「最後の1行で『おおっ』と声を上げてしまうほどの急転直下の結末」。
・『風の中のマリア』(講談社文庫):新潟市の62才女性さん。「種族のために一心不乱に働くハチの健気(けなげ)さに夢中になり、このストーリーで人間の失ったモノを見つけられたような気がします」。


・・・『輝く夜』、『モンスター』、『海賊とよばれた男』は、小説のタイトルは載っていましたが、内容を語っていませんので、補足いたします。
・『輝く夜』(講談社文庫・太田出版刊『聖夜の贈り物』を改題、文庫化):5つの短編集が収められています。何れもクリマスのときのことです。『永遠の0』に続く二作目です。解説―「語りの人」―で、岡聡は、「百田尚樹が小説を書く上で強烈に意識し自身でも表明していることがある。〔希望のある話を書きたい〕ということだ。今の時代にこれほど明快に小説の目的に「希望〕を語る小説家は珍しい。だからこそ百田尚樹はそう思って小説を書いているし、そのために小説を書いていている。」と記述しています。

・『モンスター』(幻冬舎文庫):整形美女の狂おしいまでの情念の物語。解説は中村うさぎ。「そして、ヒロインはついに美貌を手に入れる。喉から手が出るほど欲しかった男たちからの賞賛、女たちからの羨望を、彼女は一身に浴びるのだ。…」と書いた5行後に、「しかしまぁ、美女となったヒロインに対する男たちの態度は、なんと滑稽に描かれていることだろう。…」とも述べています。

・『海賊とよばれた男』(講談社):昭和28年、サンフランシスコ条約からまだ1年にも満たない時代に、日本の小さな石油小売会社が、大英帝国と強大な国際石油メジャー相手に、真っ向から戦いを挑んだ。なぜか、歴史から消し去られた「日章丸事件」。主人公の熱い思いがストレートに伝わってきます。


・『ボックス!』(講談社文庫、上下巻):讀賣新聞〔HONライン倶楽部・百田尚樹の巻〕担当記者「好対照な幼なじみ二人が、同じ高校のボクシング部に入り、共に成長する様を描く熱い熱い青春ドラマ。リング上の臨場感と、揺れ動く二人の心情描写の見事さに、ノックアウトされました」。

ひゃくた・なおき
 1956年、大阪生まれ。放送作家としてテレビ番組「探偵!ナイトスクープ」などを担当する。50歳になる直前の2005年暮れ、「昔なら人生50年、もう終わりやん、僕の人生」と思い一念発起。作家になる決心をして『永遠の0』を書き始め、翌06年、作家デビューを果たした。

  2013年(平成25年)12月22日(日曜日) 讀賣新聞



永遠の0   影法師

幸福な生活   風の中のマリア

輝く夜   モンスター

海賊とよばれた男・上   海賊とよばれた男・下

ボックス・上   ボックス・下

・・・

次の3冊は今回の「百田尚樹の巻」に推薦されていませんでしたけれど、何れも読み応えのある作品でした。一行書きで紹介します。
・『夢を売る男』(太田出版」:本の出版を夢見る人間たち、一人ひとりの物語。…出版業界のタブーもなんのその…
・『プリズム』(幻冬舎):「解離性障害」を根っこにとらえた恋愛小説?…
・『錨を上げよ』(講談社):疾風怒濤の青春小説。まるで百田尚樹自らを語った自分史のような2400枚に及ぶ長い長い物語。  


夢を売る男   プリズム

錨を上げよ・上   錨を上げよ・下




                 
        

版画で綴る 我が街 小田急線七十駅 第13回 新松田 百瀬晴海

2013/ 12/ 21
                 
木版画家百瀬晴海の『版画で綴る 我が街 小田急線七十駅』、月刊誌の鉄道ジャーナルに連載を始めてからあっというまに一年が経ちました。
 晴海さんは、書研同窓のSさんのお嬢さんです。
 信州安曇野で開催の個展に伺った折にはお目もじがかないませんでしたが、お江戸銀座と武州浦和で、お会いすることができました。

・・・
 
 この2月号では、「連載1年目を振りかえって」と題して、1ページを割いて新松田駅の作品が出来上がるまでの説明をしています。
 「下絵制作から転写まで」、「彫り」、「摺り」という工程を写真入りで説明しています。

 「これからの号では、天候や人物を積極的に取り入れて描いてみたいと思っています。どうぞお楽しみに。」という言葉でしめくくっています。

 これからは折にふれて本屋でページをめくりたいなと思っています。

・・・
 
 『版画で綴る 我が街 小田急線七十駅』の愛読者の皆さまへ、年末のご挨拶を申し上げます。

 新しい年が健やかな年でありますよう

 
・・・     ・・・     ・・・     


1年になりました。版画のできるまで 百瀬晴海(1)

1年になりました。版画のできるまで 百瀬晴海(2)


1年になりました。版画のできるまで 百瀬晴海(3)

 




 
                 
        

出会い

2013/ 12/ 20
                 
 ムッちゃんと一緒の生活は12年でしたが、その間、「いぬとも」の皆さん、大勢の方と知り合いになることができました。


 小さい頃(沼田にいた時代)、我が家で犬を飼っていたときがあります。
 兄の右腕か左腕を柔らかく噛んでいる犬の笑顔と、兄の笑顔がはじけている写真がアルバムに一枚残っていました。
 ムッちゃんが元気だった当時のいつだったかに、姉が、犬を飼っていたのは覚えていないでしょう…と私に言ったことがあります。私はそのとき、覚えているよと答えたものの、もしかしたら兄と写っている犬の写真を見ていたので、覚えているというように錯覚していたのかも知れません。
 その犬には名前があったと思うのですが、思い浮かびません。
(後述:母の手編みのセーターをワンちゃんに噛まれて穴があいたことや、味噌汁をかけてご飯を出したことなどは覚えています。)


 宏有さんの家では、随分と犬を飼っていたようです。
 東中野にいた時から、コロちゃんだかチビちゃんだか名前が覚えていない犬との出会いが始まりました。
 当時は犬殺しだとかの物騒な呼び方の人たちがいて、彼はその人に連れていかれてしまったという話です。

 中野の家のときは、ネコもいたことがあるとのことですが、スピッツの血が入った犬を飼いました。
 彼がある日突然いなくなったので、どうしたのかと思っていたら、床下でクゥーンクゥーンと鳴き声がする。縁の下を覗いてみたら、支柱に鎖を絡ませてもがいていたといいます。家の中から畳や床板を上げて助けあげたワンちゃんの名前は覚えていないとのことでした。
 
 その彼も国分寺に一緒に引っ越しました。

 名前の覚えていない犬が亡くなってほどなくして、柴犬を飼いました。名前はコロだったか、チビだったか覚えていない彼は、ある夜、庭の扉が開けられた隙に外に飛び出して行って帰ってこなかったといいます。

 また犬を飼いたいということで、あずき色の半点のある犬が兄に連れられてやってきましたが、家の人がメス犬は飼えないというので、大学に返しに行ったそうです。

 高校生最後の年の12月に、姉に連れられて、ビーグルとテリアのミックス犬が、美女谷温泉からやってきました。生後2週間ほどの幼犬です。名前を「ごろう」と名づけました。
 宏有さんが学生村に一ヶ月ほどいた間は、すっかり意気消沈して元気を無くしてしまっていたそうです。
 三つ違いの姉がいろいろ気遣っても、彼は留守の間、ずっとしょぼくれていたそうです。
 ・・・
 夜、置きコタツの周りをぐるぐる回ってから就寝するのが日課の一つだったそうです。
 ・・・
 一員となった翌々年の2月、ごろちゃんは金網の戸を開けてバス道路の方に向かって一目散に走って行ったそうです。
 走っていた車にあたったのでしょう、彼は戻ってきて家の東南の角のところで身を横たえたといいます。近所の人が教えてくれました。
 家の人がいうことには、宏有さんが出かけたあと、ごろうが彼女の後を脱兎のごとく追いかけていったと。

 ジョンくん。
 ごろチャンと同じ頃一緒に住んでいた、ドーベルマンです。
 目白あたりの道路で歩いていた犬を、兄が我が家に連れてきて、ジョンと名づけました。
 ドーベルマンという犬種の中でも、殊のほか大きく威厳があったとのことです。
 飼い始めた頃は、シットダウンなどと英語で言うと話がよく通じたということです。
 今まで飼った犬の中で一番利口でした。
 ごろうが杭の周りをぐるぐる周り、幾重にも絡まってしまった鎖に難儀している姿を見て、ジョンは彼を逆回りにさせて、鎖を解かせたとのことです。
 フィラリアにかかっていたジョンは、家族に看取られて亡くなりました。



 東京畜犬で買い求めた犬は、てんかん持ちで、発作で舌を噛んでしまい、血がたくさん出てしまったので、引き取ってもらったが、帰りの車中で息を引き取ったとのこと。


 メスのコリー。
 とても気立てが良く、頭も良かった彼女は、何匹も子供を産みました。
 あちこちから声がかかり貰われていき、家には一匹も仔犬がいなくなったのですが、彼女は、我が子がいなくなってしまったということで、家の中にまで入ってきて、家中あちこち探し回ったそうです。



 家の中で過ごすことができたのは、「ごろうチャン」だけでした。




 ムッちゃんは、最初はお外で寝ていたのですが、いつの間にか、家の中で共に過ごす犬となっていました。

 きみのおかげで、「いぬとも」の皆さんと、今でも挨拶を交わしています。

 ムッちゃん、いつも私たちを見守っていてくれて ありがとう。
 
 
 

 

 
 
                 
        

プリンのこと

2013/ 12/ 19
                 
 信州峰の原高原での思い出。
 上州玉原高原での思い出。
 旅先でのプリンちゃん家族との出会いは、今も鮮明に浮かび上がります。
 プリンのお父さんが撮ったあの時々のビデオ、一度も見る機会がありませんでした。
 
 「プリン」のところは、二代目が「もなか」。

 
 【京王線笹塚駅近くの奥様の実家に引越ししたのは、いつの頃だったでしょうか。】


 ムッちゃんと宏有さんは、もなかちゃんとも仲良しになりました。

 もなかちゃんは、叱られるとカーテンの中に顔を隠すのだそうです。
 お父さんとお母さんからおいたをしたことでたしなめられると、すぐめげるのだそうです。


 ・・・     ・・・     ・・・


 それからかなりしばらく経ってからのことですが、宏有さんが、奥様と、もなかちゃんが住んでいる実家の笹塚を訪れました。
 「もなかちゃんは、ジイジとバアバに可愛がられていて、とてもシアワセそうだったよ」と。



月の出:2013年12月17日撮影
20131217③月の出

月の周りにまあるく白い色が包んでいました:2013年12月17日撮影
20131217④朧月夜

 
 


                 
        

皇居宮殿内を初めて一般公開へ

2013/ 12/ 16
                 
皇居宮殿内を初めて一般公開へ


天皇陛下が80歳、傘寿になられるのを記念して、宮内庁が、来年、皇居宮殿の中を初めて一般公開することになりました。
天皇陛下は、今月23日に、80歳、傘寿の誕生日を迎えられます。これを記念して宮内庁は、来年、一般から公募した人たちを対象に、皇居宮殿の中の特別参観を初めて実施することになりました。
特別参観は、来年の5月と10月に2日間ずつ、宮殿行事のない土曜から日曜にかけて行われ、このうち5月は24日と25日に、また、10月は上旬に実施されます。1日3回、1回に50人が参加して行われるということで、5月と10月で、合わせて600人が参観できることになります。
参加者は、国賓をもてなすための宮中晩さん会が開かれる「豊明殿」のほか、一般参賀で天皇陛下や皇族方が立たれるベランダなどがある「長和殿」の中に入って、宮内庁の職員から説明を受けます。
また、天皇の即位の儀式や総理大臣の親任式などが行われる「正殿松の間」など、重要な儀式や行事に使われる正殿にある部屋も廊下から見学できます。
現在の宮殿は、国の公的な儀式や宮中行事を行う場として、第二次世界大戦の空襲で焼失した前の宮殿の代わりに建設され昭和43年に完成しました。
これまで一般の人たちは、一般参賀や一般参観で宮殿の前庭までは入ることができましたが、宮殿の中は、行事で招かれた人などのほかは入ることが出来ませんでした。特別参観の申し込みは、はがきで受け付けられ、抽せんで参加者が決まるということで、来年の2月中旬ごろ、宮内庁のホームページに申し込み方法が掲載される予定です。
宮殿を初めて公開することについて、宮内庁の山本次長は、「天皇皇后両陛下のご了解も得て、国民の皆さんに皇居に親しみを持って頂くため、やることにした。公式行事が行われる場所を見て頂くのは、国民とともに歩むという両陛下のお考えにも沿うことだと思う」と話しています。
宮内庁は、希望者が多ければ、参観を継続的に実施するかどうか、改めて検討することになるものと見られます。

NHK 12月16日 21時55分




                 
        

永遠の0 ゼロ

2013/ 12/ 14
                 
井上真央さんが、映画『永遠の0 ゼロ』に出演します。「ゼロ戦パイロット」宮部久蔵(=岡田准一)の妻・松乃役です。
 真央さんは、ご存知のように、2011年のNHK朝ドラ『おひさま』のヒロイン須藤陽子役で一躍脚光を浴び、同年公開の『八日目の蝉』では、日本アカデミー賞最優秀主演女優賞の栄冠に輝いています。
 彼女は来年の1月から、NHK大河ドラマ『花燃ゆ』の主人公、「文(ふみ)」を1年間にわたって演じます。
 明治維新の真っただ中を生き抜いた女性の物語です。
 NHK大河ドラマ、このところ「女性が主役」が続きますね。
 閑話休題
 発行部数450万部を超える感動のベストセラー『永遠の0 ゼロ』(百田尚樹作)の映画のROAD SHOWが、まもなくはじまります。
 監督は、『ALWAYS三丁目の夕日』シリーズで日本アカデミー賞受賞の山崎貴。
 出演者は、現代から宮部久蔵の謎に迫る青年・佐伯健太郎(=三浦春馬」、健太郎の姉=佐伯慶子(=吹石一恵)ほか、三浦貴大(三浦友和、山口百恵夫妻の息子)、濱田岳、新井浩文、染谷将太、上田竜也、山本學、風吹ジュン、平幹二朗、橋爪功、夏八木勲といった皆さんが勢ぞろいしています。
 主題歌は、サザンオールスターズによる『蛍』。主題歌作りのために前もって観た映画に、桑田佳祐は、感動して号泣したと語り伝えられています。
 原作者の百田尚樹も「素晴らしい傑作!」と大絶賛!!!Σ(´∀`;)

 丁度一週間後の21日から上映。
 楽しみです。



「こうのすシネマ市民カード」期間延長のお知らせ

こうのすシネマでは、オープンを記念して2013年12月31日まで「こうのすシネマ市民カード」をご利用いただけることとしておりましたが、この度2014年3月31日まで延長することが決定しましたのでお知らせします。

こうのすシネマ⑬
❀夫婦割引、年齢割引に、更にお得になる「こうのすシネマ・しみんカード」。忘れずに持っていくことに致します。








                 
        

ルリビタキ

2013/ 12/ 12
                 
 今日、お昼すぎ、宏有さんが、「ミテミテ!」というので窓ガラス越しに庭を眺めたところ、キウイフルーツの小枝に、初めて見る野鳥が一羽とまっていました。
 羽の色や大きさからすると「ルリビタキ」のような感じです。

 野鳥図鑑や、あれこれで「ルリビタキ」を検索しました。


ルリビタキ


サントリーの愛鳥活動 ~日本の鳥百科より~
 全長14.5cm。雄は青いからだ、雌は尾だけわずかに青色です。日本では北海道と本州・四国の高地に繁殖し、冬は主として関東地方よりも南の地方の山地か、低い山地の林に移ります。繁殖期には木の中や時に枝先で高く澄んだ丸みのある声で、「キョロ キョロ キョロリ」とさえずったりします。
冬も1羽ずつで生活しています。明るい林よりも暗い林を好みます。
雄の色彩は生まれて2年で完成しますが、1年目でも繁殖します。幼鳥は雄も雌によく似た色彩なので、雌だけで繁殖?などと見間違いすることもあるようです。


日本野鳥の会 ~BIRD FAN より~
 脇腹が黄色っぽい。
  全長:14cm
 四国以北の高山の林で繁殖し、秋冬は暖地や低地でも見られる。
  暗い林の下部を好む。
 ジョウビタキに似た声でヒッ、ヒッ、時にグッグッと鳴く。
 さえずり:口笛のような音質、早口でヒリョヒリョヒュルルと語尾が消え入るように下がる。


更に検索したところ、「続ルリビタキの憂鬱」をピックアップしました。
ベテランのバードウオッチャーのブログでした。

【 日々の野鳥たち 季節ごとに移ろう”漂鳥”のごとくあちこちを歩いて、野鳥を撮らせてもらっています。その「時々の野鳥を楽しむポータルサイト野鳥」を記したいと思います。】
と、冒頭に書かかれています。
 その中の「続ルリビタキの憂鬱」が目にとまったわけです。
 かなり長い文章ですが、私自身も水浴び場などを整えている者として、素直になるほどなあと頷くところもありましたので、とても長文ですが、ここに紹介させていただくことにしました。


続ルリビタキの憂鬱
 餌付けによる野鳥の撮影についてのお話ですが、前回はやや感情的な物言いをしました。今回はもう少し冷静にお話ししたいと思います。

ただこの問題に触れることは、ルリビタキだけでなく、私自身も相当に気が重いのです。なぜなら私と親しくしていただいている鳥見の友人・知り合いの中にも、餌付けを普通に行っている方もいらっしゃるからです。そしてそんな方たちは例外なくみんないい方ばかりなのです。私のような者にも優しく接してくれて、ときにそれがとても嬉しくもあるのです。

なので「ルリビタキの憂鬱」はそのまま「私の憂鬱」にほかなりません。

けれども、昨今の野鳥撮影の手法の一つに、その「餌付け」が当たり前のように確立されてしまっていることにやはり疑問を感じないわけにはいかず、前回言い出しちゃったことをきっかけとして、この問題を改めてきちんと考えてみようと思います。
ただしここで問題視するのは餌付けという行為そのものでありまして、カメラマン個々の人格等を揶揄するものではないことをご理解いただきたいと思います。

本日掲載する写真は最近のものではなく、一シーズン前に撮影したものです。当然のことながら天然・自然のルリビです。ルリビタキはどこにでもいるというわけではありませんが、かといってすごく珍しい鳥でもありません。少なくとも餌付けして足止めしておかないと撮れないという鳥では決してないことを、これからルリビタキという鳥に会いたい・撮影したいと思われている方は認識していただきたいのです。

1.餌付けによる鳥への直接の影響

鳥への餌付けの最も深刻な問題は、餌付けという行為が鳥そのものの健康や行動に大きく影響する点です。具体的には次のようなことになります。

○過食による栄養過多
○肥満による飛行障害・衝突事故
○糖尿病のおそれ
○人への依存⇒自ら餌を採らなくなる
○人馴れ⇒警戒心の稀薄化
○渡りの時期の遅れ・渡り場所の変更
○繁殖への影響⇒生態系の変化⇒食物連鎖の変化

他にも様々な影響が考えられます。またこれらの事象はすべて実際に確認されたことばかりなのです。
いかがでしょうか、何気なく撒いている、与えている餌が、皆さんが愛すべき鳥たちにこれほど影響があるということをご存知でしたか?

そうでなくとも自然という美しくも厳しい環境の中で懸命に生き抜こうとしている鳥たち。暑い日、寒い日、嵐の日、どんな日も乗り越えてきた鳥がいま目の前にいるのです。
さらに渡りを行う種は、本当に命がけで海を越えるわけです。実際に目的地に辿り着けずに、天命をまっとうできない命もたくさんいるのです。

そんな尊い命に対し、可愛いから餌をあげる、あるいは写真に収めたいがために餌をあげるというのは、人のエゴと言わずして他に譬える言葉が見つからない、そう思いませんか?

2.鳥のウォッチャーであること、鳥のカメラマンであることの義務、そして誇り

鳥見や鳥撮をしていると、フィールドで他のカメラマンなどと知り合いになります。そしてお互いにどんな鳥がどこで見られるかなどの情報交換をするようになります。あるいはブログや掲示板等を通じて、全国の鳥の情報がいながらにして分かります。

珍鳥が出たとなると、その翌日には100人以上のカメラマンが集まり、たった14cmほどの一羽の小鳥を取り囲みます。あるいはアカショウビンやサンコウチョウ、オオタカなどの人気種の営巣場所にも連日信じられない数のカメラマンが集まり、挙句の果てに営巣を放棄させてしまったという、まさに「本末転倒」の事例も昨今では枚挙に暇がないほどです。

いったいこのような方々は、本当に野鳥が好きで集まってきているのでしょうか? 本当に好きなのなら、どうして野鳥に悪影響を与えるそのような所作を、懲りずに繰り返すのでしょう?
答は簡単ですね。そういった珍しい鳥の、人気の鳥の、きれいな鳥の写真が撮りたいからですね。その欲望を満たすためには手段を選ばない、という代表選手みたいな方がいて、多くの方はそこまでの度胸も度量もないので、その方に追随するんですね。
「餌を与えたり営巣場所に近づくことは、あまりいいことじゃないよね。本当は僕もやりたくはないんだけれど、まあしかしこのチャンスを逃したら、この鳥を一生撮れないかも知れないから…」
と、少しは葛藤するんだけれど、結局は流されるんですね。それにみんなやってることだしね、と自分を納得させてしまうんですね。言い訳してしまうんですね。

正直に言えば、かくいう私も鳥撮を始めたころには、他の方が餌をあげていた現場で写真を撮ったことが何度かあります。例えば冬場のクロジなんてそう簡単に藪から出てこないけれど、ヒエだかアワを撒いておくといとも簡単に撮影できてしまいます。そういう現場で便乗してクロジを写したことがあります。

でもすぐに、そのヒエだかアワを口いっぱいに頬張ったクロジの写真がとても不自然であることに気づきました。その後もそこでの餌やりは続いていましたが、私は一度もシャッターを押したことがありません。では他でクロジの撮影ができたかといえば、それは一度もありません。

つまり、クロジは元々撮り難い鳥なのです。難しいのです。初夏の繁殖期であればまだいくらか見えるところに出てくるでしょうが、冬のクロジなんて撮れなくて当たり前なのです。それが自然なわけです。
それを餌でおびき出して、というのは、どう考えても不自然な行為なのです。
ruribitaki3193

鳥を観察しよう、鳥の写真を撮ろうとする人には、その鳥たちが棲息する自然を守ること、鳥だけでなく自然に息づく命を慈しむこと、大切にすること、そういう義務を負っていると自覚すべきではないでしょうか。
私たちは鳥や他の生き物たちが棲息しているフィールドにおじゃましているのです。もうそれだけでもいくらかの影響を与えてしまっていることは否めません。であれば、その影響を最小限に抑える努力をすべきでしょう。

そのような自覚があるのであれば、餌付けという行為は反自然であり、鳥への冒涜であると気づくはずですね。
餌付けしなければ撮れない鳥は撮らなければいいんです。撮れない鳥がいてもいいんです。きっぱり諦めればいいんです。撮りたい欲望を捨てればいいんです。発想を転換すればいいんです。
考えてもみてください。餌付けして100人で一羽の小鳥を囲んで一斉にシャッターを押す、それだけでも異様な光景なのに(異様だと気づかないことが異様ですが)その写した写真に大差はないですね。100人が100人とも同じような写真になりますね。そこに個性もなにもないですね。それがイイ写真だとは言い難いですね。さらにその小鳥の表情に怯えが見てとれますね。

それなのに、あなたはなんのためにその写真を撮るのですか?

今日もオジロビタキの餌付け場所を覗いてみました。ご丁寧にきれいに咲いた梅の枝を折って(梅も可哀想)差してあり、止まり木があり、ミルワームをそこに置き、オジロがやってくるとそこにいた数人のカメラマンが一斉に連写音を響かせていました。そしてオメデタイ“梅オジロ”の作品ができ上がりました。ほんの数メートルのところから撮ってますから、解像感も完璧な、素晴らしい写真になっているはずです。
意気揚々と家に帰り、奥さんにその作品を自慢げに見せます。「あら~、素敵ね。あなたって小鳥が好きな優しい方で、しかも写真もすごくきれいで上手!」
ああ、今日は旨い酒が飲めるな。うん?待てよ、これだけの作品を見るだけじゃもったいないな、よし今度のコンテストはこれで応募しよう。うん、絶対に入選だな、ふふふ。…

なんだか口アングリな話でしょ?
オジロのいるすぐ下が自然公園なんですが、今日私はゆっくり丁寧に観察し、34種の鳥を見ることができました。30種越えは久しぶりだし、マヒワもアトリも見られてとても楽しい日でした。
しかるにオジロビタキに張り付いていたカメラマンは、一種だけ(ジョウビの雌が近くにいたので2種かな)に終始していたことになります。
さてあなたなら、どちらを選びますか。34種の野鳥ですか、それとも梅の花つきのオジロビタキですか?

カワセミのダイブや魚捕りのモノスゴイ写真は、ほとんどヤラセだというのは、もはや万人の知るところですね。市展だとか県展なんかですと、かつてはそのへんの事情がよく分からない方が審査員をやっていたらしく、どんどん入選しちゃったようですね。最近はどうなんでしょう?
で、いまやそれはカワセミにとどまらず、様々な鳥がその傾向にあるのだとしたら、まったくもって嘆かわしいことだと思いませんか?

いい写真て、なんだろう、とよく考えます。
少なくともそれは珍鳥だったり人気の鳥を撮ることとイコールでは決してないですね。
一例として「BIRDER」2月号に「第一回全日本“鳥”フォトコンテスト」の入賞作品が掲載されていますが、トップこそミサゴの狩りのものすごいシーンが載っていますが、他はなんのことはない、スズメだったりアオサギだったり、あるいはカワウやらコサギやら、だいたいそんなのばかりです、鳥種だけを言えば。
もちろんどの写真も偶然撮れたというのではなく、ちゃんと意図のある作品ばかりです。

私事で恐縮ですが、私はデジスコを、鳥の写真を始めてまる6年になりますが、いまだにシジュウカラ・スズメ・メジロ・ヒヨ・カルガモなどをよく撮ります。いい加減そんな身近な鳥ばかりで飽きないのか、と思われるかも知れませんが、まったく飽きません。というのも、納得のいった写真がほとんどないからです。もっと他に撮りようがあるんじゃないか、もっと自然で生き生きした表情を引き出せるんじゃないかと思うからです。そのことに多分人一倍貪欲だからです。

でも、餌付けをして、いとも簡単に写真が撮れちゃうと、むしろわりと早く飽きるんじゃないでしょうか。だってそうですよね、自分で探したわけでもない、人の情報だけを頼りに車を走らせ、そして気難しいはずの、近寄りがたいはずの野鳥をいとも簡単に至近距離でカメラに収められるんですから。
事実、この間会ったカメラマンとそんな話をしていたら、実はもう飽き始めているんです、とその方が仰ったのには相当ビックリしました。その方には失礼ですが、なんて底の浅い、なんてコンビニエントな撮影しかしてこなかった人なのだろうと思わずにはいられませんでした。

アマチュアなんですから、所詮は自己満足の写真で十分なんですが、それでも他人に見てもらいたい、と思いますね、他人どう思うのかという“評価”が欲しくなりますね。そうなると、ただ写せばいいのではなく、人を気持ちが動くような、そんな写真を撮りたいと思いますね。

では、お聞きしたい。あなたは、例えば背景に赤いサザンカの入ったヤラセのルリビタキに感動しますか? 梅の花つきの(しつこくてスミマセン。今日見たその光景があまりに陳腐だったもので)オジロビタキに、たとえ尾羽をピンと跳ねあげた超可愛いポーズつきだったとしても、それであなたのココロは揺さぶられますか?
もうお分かりですね、そんな写真には誰も感動しません。一般の鳥には疎い方が見ても、きっと同じです。

当たり前じゃないですか、野鳥だから尊いんじゃないですか。野鳥の自然の姿だから可愛いんじゃないですか、あるいはカッコいいんじゃないですか、あるいは精悍なんじゃないですか。
どうして、誰がミルワームでまるまると太った(可哀想に)、人に媚びるような目つきの(可哀想に)オジロビタキに感動するというのですか。

私たちは、いったんフィールドに出たら謙虚であるべきなのです。鳥や他の生き物の命が、人以上とは言いませんが、少なくとも同じ命である以上同等と考えるべきでしょう。そうであるなら、私たちはその命をもてあそんではいけません。それは決して許されないことでしょう。

謙虚であると同時に、私たちはフィールドにおいて真摯であるべきだと思うのです。生きとし生けるものを見、写真に収めようというのですから、必ず真摯に向かい合うべきなのです。それは礼儀であり、相手を敬うことなのです。

イイ写真と言いましたが、私には何がイイ写真かは分かりませんしそれを語る資格もありません。ただ、間違いなく言えるだろうことは、そういう真摯な気持ちが初めになければ、絶対にイイ写真は撮れないだろう、ということです。

長くなりました。もう終わりにします。
最後にどうしても書きたいことがあります。

それは“誇り=プライド”です。

私たちカメラマンは「恥も外聞」も必要だと思うのです。誇り高くというのは、決して天狗になれとかいうのではなく、信念を以て撮影に臨もう、ということです。その信念に誇りを持とうではないかと、そう言いたいのです。

・私は鳥が怯えるような撮影は決してしない。
・鳥に悪影響を及ぼす餌付けやおびき寄せの手法は絶対にとらない。

そういうプライドがもちろんありますね。
さらに私は実は欲深で、イイ写真が撮りたい。だからそのためにも鳥のことをよく知り、鳥の素敵な表情を撮りたい。自然が自然であることの本来的な美しさを撮りたい。そうして見る人の魂にまで迫りたい。そういう気魄と真摯な思いをいつも胸に秘めていたい。そしてその総体としての誇りをもっていたい。

いかがでしょうか、少々固すぎる言い方になったかも知れませんが、こんな意味の誇りを皆さんが持てば、いろんなものが少しずつ良い方向に向かうのではと思います。

だってみんな鳥を好きで始めたのでしょう。好きなもののためなら、できますよね、誇りを持つことが、自分ではなく、鳥を優先して考えることが。

最後までお読みいただき、感謝!


ボートを漕いで

カモ一羽

カモ三羽

秋の遊歩道







                 
        

蒲焼はぎわら

2013/ 12/ 11
                 
 田舎に行くと、ときおり「はぎわら」の鰻を取り寄せて、皆で戴きました。
 父の大好物の鰻の蒲焼。

 ムッちゃんは健啖家です。
 あっというまに平らげて、ひと声「ワン!」と吠えて、もっと欲しいと催促します。
 母のうな重の半分と、私の四分の一の分量を、彼のお皿にのせたものを一気に飲み込むようにして食べ終わってしまっているのですから、おかわりはありません。

 いつもそうでした。
 彼は田舎の家に行くと、うな重を食べられることを知っているのです。
 ひと声「ワン!」といって、そのあと、おかわりをもらえないことも十分承知しているのですが、それでも彼は、いつでもおかわりを催促します。
 
 「ワン!」。その声も13年前に聞けなくなりました。
 父の声も7年前に聞けなくなりました。

 父もムッちゃんも、私たちも大好きだった「蒲焼はぎわら」の鰻が、2013年12月14日をもって食べ納めとなります。

 私たちは、幕を閉じる3日前の今日、暖簾をくぐりました。
(言わずもがなの無粋なことですが、予約して出向きました。)



 「お疲れ様でした」。




蒲焼はぎわら 入り口暖簾


はぎわら うな重②



❀初代は数年前に永眠された由、伺っています。
 父とムッちゃんは、二代目となったご主人の、「タレ」と「蒸し」、そして「焼き」の変わりようを知りません。
 (2013年12月15日 記)



                 
        

師走のぬくもり

2013/ 12/ 10
                 
 湯にいってきて大魚を食っている


 12月13日は「煤払(すすはら)い」、大掃除の日。家族総出で真っ黒に働いて、銭湯でさっぱり帰って来て、きれいになった部屋で、揃(そろ)って大魚を夕餉(ゆうげ)に食べているという句。メインの大魚は味噌(みそ)仕立ての鍋の中。湯上りの体が朝目覚めるまではほかほかになる特製汁だ。この大魚、並の大きさではない。じつは鯨(くじら)なのである。クリスマスの七面鳥のように、煤払いの夜には鯨がなくてはならなかった。当時、安価な照明灯油に、もっぱら鯨油(げいゆ)が用いられていたため、翌14日は、どの江戸っ子の体も「行灯(あんどん)臭かった」という。今では、すっかり忘れられた、江戸ならではの珍しい食習慣のひとつである。


大江戸美味草子  (おおえどむまそうし)


著者 杉浦日向子 (すぎうらひなこ)
―新潮文庫―


陶房窯八作⑯20130715







                 
        

二八と外一(九一)

2013/ 12/ 10
                 
ソバ屋で憩う  ― 悦楽の名店ガイド101 ―


 二八と外一(そといち)((九一))

 ソバ屋で二八、外一(九一)とはなんであるか。ソバにおける小麦粉とソバ粉の割合のことである。二八には、ソバ粉が八割、小麦粉が二割の内二八と、ソバ粉十に対してその二割の小麦粉を混ぜる外二八がある。ソバ粉に混ぜる小麦粉のことを「つなぎ」または「割り粉」という。最近の自家製粉・手打ちを看板とするソバ屋では、生粉(きこ)打ち(ソバ粉十割)や外一(つなぎ一割以下)のソバが増えてきている。   (福)


編著者 杉浦日向子(すぎうらひなこ)とソ連(れん)

 ―新潮文庫―


 ※「ソ連とは」・・・37㌻より抜粋
・・・
 1991年、ソバ屋でのリラクゼーションが、自分にとっての道楽だと気付いた時点にソバ好き連ことソ連が芽吹いた。
・・・
 しょせんは洒落(しゃれ)の連。会則は年間ソバ百食以上と他愛(たわい)ない。数を自慢するより、愛の深さの質を問いたいと願っている。



陶房窯八作⑮20130715











                 
        

江戸アルキ帖

2013/ 12/ 10
                 
 日曜の昼下がり、のんびり江戸の町を歩いてみませんか――カラー・イラスト127点とエッセイで案内する決定版江戸ガイドブック。



江戸アルキ帖

 
杉浦日向子著

― 新潮文庫 ―



陶房窯八作⑭20130715





                 
        

風流江戸雀

2013/ 12/ 10
                 
 どこか懐かしい江戸庶民の情緒と人情を、「柳多留」などの古川柳を題材にして、現代の浮世絵師・杉浦日向子が愛情を込めて描く。



風流江戸雀

杉浦日向子著
― 新潮文庫 ―


陶房窯八作⑫20130715








                 
        

百物語

2013/ 12/ 10
                 
 江戸の時代に生きた魑魅魍魎たちと人間の、滑稽でいとおしい姿。懐かしき恐怖を怪異譚集の形をかりて漫画で描いたあやかしの物語。



百物語 

杉浦日向子著  ― 新潮文庫 ― 




陶房窯八作⑪20130715





                 
        

フェイジョアの実を食べました

2013/ 12/ 09
                 
 フェイジョアは、実が樹から落ちたものを取って、それからしばらく追熟してから食べるのだそうです。

 生食でも勿論美味しいですが、ゼリー、ジャム、果実酒、サワーにと、レシピをいろいろ揃えることができます。

 キウイフルーツとほぼ同じ頃、日本でも栽培されるようになったとのことですが、量産性、サイズ、香りなど、もろもろの要素が重なり合って、今ではスーパーマーケットなどでは、なかなかみつけることができなくなった果実です。

 我が家の庭には、キウイフルーツの木もフェイジョアの木も両方育っていますが、キウイフルーツの樹勢が衰え始めた昨年から、フェイジョアが結実するようになりました。

 昨年、私が撮影したフェイジョアがNHKテレビ番組で紹介されていました。開花時期は花を愛でて、結実時期はありのままの姿を写真に撮るということだけで満足していました。

 今年は、たくさん実ったこと、そして大きい実がそれなりに増えましたので、どんな味かと思って口に含んでみました。

 まず感じたのは、香りが高いこと。次に甘さを感じ、そしてちょっぴりの酸っぱさといったところでしょうか。
 どういう香りですか・・・と問われると、何てこたえたら良いのか迷います。
 ウィキペディアなどで、味などの説明がされていますが、どうもそれらの表現ではマッチングしないものを感じました。何れにせよ、生まれて初めての香りは、新鮮な驚きでした。ヽ(´Д`;)ノ


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①フェイジョア20131209

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②フェイジョア20131209

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③フェイジョア20121209

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このところウグイスが

2013/ 12/ 07
                 
 ウグイスとムシクイはとても似通っています。
 ・・・
 ムシクイの仲間は、ウグイス科の小型グループで体に似合わず大きな声でさえずります。
 姿が互いに似ていて見分けるのが難しく、珍鳥も多いことから、ベテラン・ウオッチャー好みの仲間です。
 ・・・
 「ムシクイ」は夏鳥として紹介されています。
 冬になって我が家の庭に訪れるのは、やはり「ウグイス」のようです。
 このところ毎日飛んでくるようになりました。
 今日、ようやくその姿を撮ることができました。

 このところ我が家に訪れる野鳥たちをご紹介致します。


・ウグイス
ウグイス①20131207

ウグイス②20131207


・メジロ
メジロ①20131207

メジロ3羽②20131207


・シジュウカラ
シジュウカラ①20131207


・スズメ
スズメ①20131207

スズメ②20131207


・モズ
モズ⑤20131103


・キジバト
きじばと⑤20131112


・ヒヨドリ
ヒヨドリ⑤
※11月以降、姿は見ているのですが、ついついカメラにおさめていません。この写真は2013年1月25日に撮ったものです。

・ジョウビタキ
ジョウビタキ⑤
※11月以降、姿は見ているのですが、写真を撮ろうと思った時には既に水浴び場から飛び立ってしまっていて、まだカメラにおさめていません。この写真は2013年1月12日に撮ったものです。





                 
        

雪の日のムッちゃん

2013/ 12/ 04
                 
 雪が好きだったムッちゃん
 
 今年の冬も雪が積もるのでしょうか


雪の日のムッチャン




20130715②


20130715①大橋睦作




                 
        

2014 フジコ・ヘミング ピアノコンサート

2013/ 12/ 03
                 
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2014年 フジコ・ヘミング コンサート 先行優先予約ご案内

お申込はコンサート専用サイト:http://fuzjko.aoba.bz
インターネットが不慣れなお客様はFAXの受け付けも可能です。
FAX予約:03-3678-8821
※FAX記載事項詳細は下記のFAX受付を参考にして下さい。

いよいよ2014年のフジコヘミングコンサートチケット予約が開始となりました。

すみだトリフォニーホール大ホール 定員1801人
京都コンサート小ホール(ムラタ)  定員 510人
軽井沢大賀ホール         定員 827人
今回も3公演で小ホール、中ホール、大ホールとホールの大きさが異なり聴き比べも楽しみ、
是非フジコワールドを体感して下さい。


2014年コンサート詳細

◆日時:2013年5月23日(金)
会場:すみだトリフォニーホール(大ホール)
    http://www.triphony.com/index.php
●開演19:00開場18:00
チケット:S席¥8.000- A席¥7.000- B席¥6.000-

◆日時:2014年5月31日(土)
会場:京都コンサートホール(小ホールアンサンブルホールムラタ)
    http://www.kyoto-ongeibun.jp/kyotoconcerthall
●開演19:00開場18:00
チケット:S席¥13.000-

◆日時:2014年6月29日(日)
会場:軽井沢・大賀ホール
    http://www.ohgahall.or.jp/main/index.php
●開演17:00開場16:30
チケット:S席¥12.000-A席¥11.000-B席¥10.000-
     W席¥8.000-(2階合唱席)C席¥5.000-(2階立見席)
※大賀ホールのみ開演・開場時間が異なるのでご注意ください。

出演:イングリット・フジコ・ヘミング
企画主催:青葉ピアノ/ラ・カンパネッラ

ご予約ご希望の方はコンサートサイトよりご予約下さい。
コンサートサイト http://fuzjko.aoba.bz
お間違えの無い様にご注意下さい。

◆FAX受付け
インターネットが不慣れなお客様はFAXでも受け付けております。
★FAX受付け:03-3678-8821
※お名前・フリガナ・〒・住所・TEL・FAX・希望公演会場・
希望席グレード(S席等)・希望枚数etc必ずお知らせ下さい


コンサート会場で皆様とお会い出来る事をフジコをはじめ
スタッフ一同心より楽しみにお待ちしております。
                         フジコヘミング・大月ウルフ・青葉ピアノ


寒い日が続くと思いますのでお体にはくれぐれもお気をつけ下さい。
フジ子さんも来春皆さんとお会いでき演奏を聴いて頂く事を楽しみにしています。
是非、コンサートのご来場お待ちしております。
                                  株式会社 青葉ピアノ 
                                        

青葉ピアノトータルサイト:http://aoba.bz
*********************************************************************************
 本社
株式会社 青葉ピアノ  info@aoba-net.com
 住 所:東京都江戸川区西瑞江3-40-11
 電 話:03-3670-5099FAX:03-3678-8821
  チケット問合せ受付時間AM11時~PM5時
*********************************************************************************
                 
        

冬の詩 冬彦

2013/ 12/ 03
                 
雪の日  北川冬彦

この竹の筒の中の息苦しさ

この狭い狭い筒の外では いま何処(どこ)で何が起っているのだろう


日本詩人全集27
村野四郎  安西冬衛
北川冬彦

昭和43年12月20日発行
著作者  村野四郎  安西冬衛  北川冬彦
発行所  株式会社新潮社



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冬の詩 冬衛

2013/ 12/ 03
                 
真冬の書 Mes Cahiers  安西冬衛

常盤木(ときはぎ)は黒く、恒(つね)に私の手は潔(しろ)い。どんな悪徳も、もう私をよごしはしない。
閃(ひらめ)く斧(をの)。
摧(くだ)けちる薪。
営みは真冬(まふゆ)の中にも。
藁(わら)におりて冬蝶は、もうそれとみわけられぬ。
藤波は凪(と)く眠り、家畜達も今は寒を避けてゐる。
ただ道のみが行手にしるい、たとへば徳のやうに。


日本詩人全集27
村野四郎  安西冬衛
北川冬彦

昭和43年12月20日発行
著作者  村野四郎  安西冬衛  北川冬彦
発行所  株式会社新潮社



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冬の詩 冬二

2013/ 12/ 03
                 
冬の着物  田中冬二

冬になると
私は綿の沢山はいった ふるさとの
あの手織木綿の着物をきる

それは雪の来た山のにおいがする
石臼に碾(ひ)く黄粉(きなこ)のにおいがする

それはまた障子に赤くたばこの葉をかいた家
大きな蝋燭(ろうそく)の看板のさがっている家
――祖先からの古風な家々に
しずかになにか夜延(よなべ)にいそしんでいる
ふるさとのびとのあたたかい心がある



ふるさとにて  田中冬二

ほしがれいをやくにおいがする
ふるさとのさびしいひるめし時だ

板屋根に
石をのせた家々
ほそぼそと ほしがれいをやくにおいがする
ふるさとのさびしいひるめし時だ

がらんとしたしろい街道を
山の雪売りが ひとりあるいている
                少年の日郷土越中にて



日本詩人全集18
中勘助  八木重吉
田中冬二

昭和43年6月20日発行
著作者 中勘助  八木重吉  田中冬二
発行所 株式会社新潮社



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冬の詩 朔太郎

2013/ 12/ 03
                 
 冬  萩原朔太郎

つみとがのしるし天にあらはれ、
ふりつむ雪のうえにあらはれ、
木木の梢にかがやきいで、
ま冬をこえて光るがに、
おかせる罪のしるしよもに現はれぬ。
みよや眠れる、
くらき土壌にいきものは、
懺悔の家をぞ建てそめし。



冬の海の光を感ず  萩原朔太郎

遠くに冬の海の光をかんずる日だ。
きびしい大浪(おほなみ)の音(おと)をきいて心はなみだぐむ。
けふ沖の鳴門(なると)を過ぎてゆく舟の乗手はたれなるか
その乗手等の黒き腕(かひな)に浪の乗りてかたむく
ひとり凍れる浪のしぶきを眺め
海岸の砂地に生える松の木の梢を眺め
ここの日向(ひなた)に這(は)ひ出づる虫けらどもの感情さへ
あはれを求めて砂山の影に這ひ登るやくな寂しい日だ
遠くに冬の海の光をかんずる日だ
ああわたしの憂愁のたえざる日だ
かうかうと鳴るあの大きな浪の音をきけ
あの大きな浪のながれにむかつて
孤独のなつかしい純銀の鈴をふり鳴らせよ
わたしの傷(いた)める肉と心。



日本詩人全集14  
萩原朔太郎

昭和41年12月10日発行 
著作者萩原朔太郎 
発行所株式会社新潮社



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落ち葉かき

2013/ 12/ 02
                 
 七一 落ち葉かきと薪山

 北風が吹き募って山の木の葉が落ちきるとクズかきが始まります。何日も熊手を持って山へ行くのです。南向きの山などで利根川を眺め乍ら落ち葉をかくなどは、山村の生活の尤なるものですが、北向きの山で風の中、吹雪の中のクズかきなどはかなりつらいものです。クズは厩舎に入れられて後堆肥となるのです。
 冬の山の別の仕事はマキ切りであります。山家のいろりは三冬の間煙を絶やしませぬから大火をたいたものです。この為沢山の薪が必要とされ、マキ山は冬の農家の重要な副業でした。勿論その大部分は都会に売り出されました。
 マキは各家の周囲に壁の代用ほどに積み立てられました。この燃料としてのマキも終戦後大きな変化を生じました。それはプロパンガスの普及でした。又石油も多く使用されるようになりました。この為、田舎の台所も大きな変化を見るようになりました。


 習俗歳時記  著者:今井善一郎  発行所:株式会社煥乎堂  昭和50年10月1日発行
 

     はじめに
 習俗歳時記の初版は今から三十四年前の昭和十六年に出版した。内容はご覧の通り一家の私事だが、その後大きな戦争があり、其後の大変革があって一家の私事にも大きな変化があった。その為再販を出してくれるという書肆の希望にもそのままでは応じかねた。そこで現在の事を書こうかと思ったが年中行事は昔のまま行っているのが懐かしのでなるたけ変化させないで止めた。然し生活行事はまるっきり変ってしまったのが多く、それはそれなりに変化の様相を記しとどめた。実を言えば年中行事もかつかつに昔の跡をたどっているので、もはや明日にも消え去るかもしれないのである。そこで今日の姿をここに書き止めて記念の意も含ませて置く。懐かしいのは日本の家族制度である。家族制度には幾多の弊害があるが私の家も、私の外戚の多くもこれを長く美しく保持して来たのでえある。
 今、日本国は制度としての家族制度を失った。私は今習俗としての家族制度に殉じようとしている。私の一生は「古屋」(ふるや)の守り(もり)である。
 今度も又補修再販の御迷惑を前橋の煥乎堂にかけた。感謝の意を表する。
                                   
                               昭和五十年四月八日   今井 善一郎



薪の蓄え
(薪の山)


落ち葉かき
(落ち葉かき)




                 
        

手打ち蕎麦

2013/ 12/ 01
                 
 「手打ちそば」という幟がなびいています。看板に「手打ちそば」と書かれています。ガイドブックに「手打ちそば」とあります。インターネットで「手打ちそば」と検索します。

 今回の安曇野行では、たまたま「新そば祭り」の開催日程と重なりました。
 手元にあるパンフレットの文字をピックアップしてみます。



 安曇野は そばの郷
新そば 
  祭り

 参加各店で「安曇野産の新そば」や「特別なそばメニュー」を提供します。安曇野・石巻コラボ、オリジナルメニュー、「結いそば」を提供するお店もあります。
 ぜひお越しください。

 2013 11/11(月)~30(土)
 市内約40店舗 (参加店舗は裏面をご覧下さい。)

 プレイベント
 安曇野新そば奉納行事 穂高神社にて 
 9(土)午後4時~ 五穀豊穣記念神事 [そば粉を奉納…そば農家の皆様が今年穫れたそば粉を奉納します。
 10(日)午後4時~ そば打ちをしてそばを奉納 [奉納した「そば粉」を先着100名の参拝者にお配りいたします]


  第一回信州安曇野
新そばと食の感謝祭

 11月16日(土)17日(日)
 会場/穂高神社特設会場 (北・南神苑及びその周辺)
 時間/10:00~16:00

 無料シャトルバス
 16日(土)・17日(日)am9:30~pm4:30
  穂高プール⇔会場
  県民豊科運動広場⇔会場


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「新そば祭り」のパンフレットが置かれていたお店の内部写真です。(撮影許可を頂いています)
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 安曇野及びその周辺には、手打ちそば屋がたくさんたくさんあります。
 この「新そば祭り」に参加しているお店は41軒です。
 そのうち私が暖簾をくぐったお店は7つありました。
 他にもまだまだ多くの手打ちそば屋が名を連ねている安曇野平。

 手打ちといっても、味にしろ、太さ細さなどの食感にしろ、歯ごたえにしろ、のどごしにしろ、つゆのだしの甘辛濃淡などの味覚にしろ、鼻腔をくすぐる香りにしろ、お店お店によって、これほど違いがあるのかしらんというのが、「そば」のようです。
 そして思うのは、好みに合うものと、好みに合わない味のものがあるというのは、それはそれで事実ということでいいのでしょう。


・「参加そば店一覧」順序による、私が行ったことのあるそば屋

そば処 くるまや ☎0263-83-2515
 安曇野市穂高有明7023 11:00~19:00 定休:月曜

仙寿庵 ☎0263-83-8312
 安曇野市穂高有明7327-50 10:30~売切次第終了 定休:不定休

麺元 田舎家 ☎0263-82-6928
 安曇野市穂高5968-2 11:00~19:00 定休:火曜(変更の場合あり)

そば処 ごほーでん ☎0263-82-6820
 安曇野市穂高3580-1 11:30~14:30/17:30~19:45 定休:木曜

そば処 常念 ☎0263-82-5069
 安曇野市穂高上原7690 11:00~14:30/15:30~18:30 定休:火曜

そば処 安留賀 ☎0263-82-8282
 安曇野市穂高737-1 11:00~14:00/17:00~20:00 定休:水曜

そば庄 あづみ野店 ☎0263-71-2225
 安曇野市豊科南穂高6344-1 11:00~20:00 定休:年中無休



・私が行ったお店で、「新そば祭り」に参加していないそば屋

穂高食房 味彩館  穂高農産物加工販売センター Vif穂高 ☎0263-81-5656
 安曇野市穂高有明7751-1 11:00~16:30 定休:水曜 
 (12/1~冬場はバイキング料理となり、この間は手打ちそばはお休みとなります)

そば処 たか山 ☎0263-84-5440
 安曇野市穂高有明8804-12 11:00~18:00 定休:木曜

石松庵 ☎0263-83-5858
 安曇野市穂高有明7682-6 11:30~14:00((土)(日)は14:30マデ) 定休:木曜

そば処 時遊庵 あさかは ☎0263-83-3637
 安曇野市穂高有明8053-4 11:30~15:00 定休:水曜



・安曇野ちひろ美術館に行った時に、たまたま入ったそば屋

味蔵 ☎0261-62-9128
 北安曇郡松川村細野5444-21 11:30~14:00/18:00~20:30 定休:水曜


 勿論、安曇野の地で、信州牛のサーロインステーキや、イタリア料理、うなぎなどの日本食、そして郊外レストランなどでのランチ等々頂いていますので、信州の旅の都度、安曇野そばをいつも食べているということではありませんので、この場をお借りしまして、申し添えさせていただきます。

 安曇野で人気のそば屋、まだ一度も行ったことがないところが、まだまだあります。
 知る人ぞ知る…というお蕎麦屋さんも見つけ出したいです。
 食への誘いがあると旅の楽しさはまた格別のものとなります。