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竹工芸品

2014/ 10/ 31
                 
 竹細工。
 風車(かざぐるま)を思い出します。

  竹といえば、篠竹で作った吹き矢を思い出します。


 時代が流れ、よわいを重ねました。
 竹の工芸品の数々を一堂にみる機会に恵まれました。

 竹工芸品。
 竹の素朴な品性が一つひとつの作品からただよってきます。
 

竹細工作業①

回る回る④




竹工芸品③
 「ふうりん」


壁掛け②
 「リバーシブル壁掛け」

                 
        

多聞

2014/ 10/ 31
                 
   多聞 (たもん)       


 櫓と多聞はセットで造られています。
 多聞は兵器庫と防壁を兼ねた建造物ですので、通常の塀と比較すると、堅牢でいかにもテマ、ヒマ、コストがかかっているかが判ります。

多聞〈たもん〉⑦
 《「多聞(たもん)」》

 江戸城本丸の周囲は、ほとんど櫓と多聞で囲まれていました。現在、伏見櫓と伏見多聞、富士見櫓と富士見多聞が遺されていて、辰巳櫓(桜田二重櫓)の多聞は遺されていません。
 富士見櫓と富士見多聞はちょっと離れたところに位置していますが、伏見櫓と伏見多聞はくっついて建てられています。

 伏見櫓と伏見多聞は現在修復中です。
 西日本新聞(2014年1月27日18:50配信)の記事をみてみましょう。「東日本大地震で損傷した伏見櫓改修」- 宮内庁は27日、江戸城の面影を残す皇居の伏見櫓が東日本大震災で損傷したため、2月から約1年間にわたって改修工事をすると発表した。普段は皇居前広場から正門石橋や鉄橋(二重橋)の背景に、白いしっくいの外壁を持つ櫓を見ることができるが、3月ごろから櫓周辺に組まれる足場に隠れる形となる。
 江戸時代に京都の伏見城から移築したと伝えられる櫓は関東大震災で破損し、1926年に解体修理された。今回は東日本大震災でずれた屋根の瓦をふき替え、亀裂が入ったしっくいを塗り替える。-とあります。

宮内庁管理部の平成25年の33の発注と平成26年の15の発注のそれぞれをみますと、「伏見櫓屋根等修繕工事建築一式」「伏見櫓屋根等修繕第2回工事」とあり、前者は約15か月、後者は約4か月の工期期間となっていました。

工事中の伏見櫓伏見多聞①
 修復工事中の伏見櫓と伏見多聞

正門鉄橋からみた伏見櫓・伏見多聞②
 正門鉄橋(二重橋)からみた修復工事中の伏見櫓・伏見多聞

富士見櫓③
 富士見櫓

富士見多聞と蓮池濠④
 蓮池濠からみた富士見多聞

辰巳櫓(桜田二重櫓)⑤
 辰巳櫓(桜田二重櫓) 〈辰巳多聞は遺されていません〉



 多聞は、「たもん」と読みます。
 その言葉の意味を、広辞苑と大辞林から紐解きました。

多聞 〈広辞苑(昭和39年1月15日第1刷第12版発行.発行所株式会社岩波書店)による〉
たもん ①(松永久秀が近江佐和山に築いた多聞山城にならった一種の築城法)城櫓の異称。江戸城では周垣にある長屋造にした城壁をいい、また、城門の渡櫓。②本宅の外周に建造した長屋。③部屋方の女。

多聞 〈大辞林(1988年11月3日第1刷発行.発行所株式会社三省堂)による〉
たもん ①《仏》ア:正しい教えを多く聞いて心にとどめること。イ:「多聞天」の略。②城壁の上に塀のように作られた長屋風の建築物。松永久秀が大和の多聞城に初めて作ったのでこの名があるという。③屋敷の周囲に建てた長屋。



                 
        

どうぞ

2014/ 10/ 30
                 
 先日、東京に出た折に、JR高崎線の上りの車中で、若い男性に、「どうぞ」といわれ、席を譲られました。

 「嬉しいな・・・」と、思ったのは事実でしたが、反面、「人から見れば、もう、そういう歳頃に見られるようになったのかな・・・」という少なからずのショックを覚えました。

 「日本の若い人たちも、人を思い遣るそういう気心をもっている。日本の将来も、満更すてたもんじゃない」と、そういう風に思ったことが、既に、そういうお年頃になったということなのでしょうか。

 身につまされる、皇居参観の日の出来事でした。









                 
        

胡桃

2014/ 10/ 30
                 
 「胡桃の花」は、春の季語として、身を包む外皮が青々としているときの「青胡桃」は、夏の季語として使われます。
 「胡桃」の名前そのものは、秋の季語となります。


 信濃の胡桃二三日持ちつひに割る  加藤楸邨

 胡桃ふればかすかに応ふ信濃の音  能村登四郎




 信州信濃。
 胡桃を手にすると、信州で過ごした日々のことが思い起こされます。
 父の勤務の関係で、小諸と松本に住んでいました。
 千曲川が流れ、犀川が流れていました。
 二つの川の流れが合流し、信濃川となります。
信濃から越後に下った大河は、日本海に流れそそぎます。
父は、水にかかわりの深い仕事をしていましたので、上州上野(かみつけ.旧くは上毛野)では利根川、下野(しもつけ.旧くは下毛野)では鬼怒川、甲斐甲州では釜無川・笛吹川と、川の流れはいつも身近にありました。






 

                 
        

皇居参観

2014/ 10/ 29
                 
 1回ごとに、300名の皇居参観です。

 インターネット申込み150名、電話で申込み150名。
 何れも先着順受付です。
 10月に二日間の4回。
 11月に二日間の4回。
 土曜日の午前と、午後の2回に分けて、2.2kmほどの距離を、およそ1時間15分かけて、ゆっくりと参観しました。
 ご自身で手押し車を押しながら、歩まれている方もいらっしゃいました。
 職員の方に車いすを押してもらっている方もいらっしゃいました。
 老若男女の皆さんと一緒の秋の日です。
 キノコも数種類、顔を出していました。

二重橋=正門鉄橋①
 二重橋=正門鉄橋が折り返し地点です。

蓮池濠にもどる①
 蓮池濠に戻る。

富士見櫓に戻る。
 富士見櫓に戻る。

キノコ①
 キノコがあちこちに顔を出していました。






 
                 
        

刻印石

2014/ 10/ 28
                 
 刻印石


 築城に係わった大名などによる家紋や家印、符牒などの記号が刻まれた石を、「刻印石」といいます。


 徳川幕府の居城として比類なき規模を誇った巨大な城郭。
 江戸城の外濠区域でもそれなりに散見される石垣ですが、ほとんどは内濠より内部で往時の城郭の威容を偲ぶことができます。
 寛永13年(1636年)、江戸城整備の総仕上げとして、徳川三代将軍家光の時に築かれた外濠工事では、百を超える大名家を六組に分け、石垣を築造しています。
 その外濠地区にある千代田区霞が関にある文科省の敷地で、平成13年に長さ凡そ60メートルの地中に埋もれている石垣が発見されました。

 ここの石垣は、高さ8.6メートルで、往時は外濠の城門の一つ、虎ノ門の西側に接していました。
 このうち、虎ノ門から溜池までの区間は、岡山藩の池田家を頭とする組が担当し、今回公開されたのは、庭瀬藩戸川家(岡山県岡山市吉備地区)と、佐伯藩毛利家(大分県佐伯市)が築いた石垣です。
 
 徳川家康、秀忠、家光と三代に亘って営々と江戸城整備を図ってきたその証左として、「刻印石」は今でもたくさんのその「しるし」をここかしこに遺しています。

 10月25日の土曜日、桔梗門から入った皇居参観。
 桔梗門の渡櫓門を出た先の石垣に、薩摩藩島津家の家紋を刻んだ二つの石を見ることができます。
 
皇居桔梗門②
 桔梗門=内桜田門
 大手濠

桔梗門渡櫓門①
 桔梗門渡櫓門

桔梗門石垣
 桔梗門石垣 

島津家家紋①
 島津家の家紋(丸に十文字)

島津家家紋②
 島津家の家紋(丸に十文字)







                 
        

皇居

2014/ 10/ 28
                 
  皇居


 皇居は、江戸時代に徳川歴代将軍が居城としていた所である。明治維新の後、明治天皇は千数十年にわたって天皇がお住まいになっていた京都からお移りになった。
 以来、ここに天皇がお住まいになり、宮殿では諸行事が行われてきた。
 昭和20年(1945)に焼失した明治宮殿に代り、昭和43年(1968)に現在の宮殿が完成した。
 皇居の面積は約115万平方メートルで、濠で囲まれており、周囲に8つの門がある。
  《発行:公益法人菊葉文化協会  監修:宮内庁》

皇居参観コース⑥

 


江戸城のお濠・内濠

 10月25日の、『秋季の「土曜日に実施する皇居一般参観」』により、身近に内濠を見ることができました。
 建築物だけでなく、お濠の写真もキチンと撮っておくべきだったなと、今思っているところです。
 御門の名前と濠の名前を揃えていますので、どのあたりにあるお濠かということが、判って良いですね。
 
 ・桜田濠
 ・二重橋濠
 ・柳の井
 ・凱旋濠
 ・日比谷濠
 ・馬場先濠
 ・蛤濠
 ・桔梗濠
 ・和田倉濠
 ・大手濠
 ・白鳥濠
 ・蓮池濠
 ・乾濠
 ・平川濠
 ・天神濠
 ・清水濠
 ・牛ケ淵
 ・千鳥ヶ淵
 ・半蔵濠

 
                 
        

特別史跡江戸城跡

2014/ 10/ 27
                 
 特別史跡 江戸城跡


特別史跡江戸城跡①


 江戸城は長禄元年(1457)に太田道灌によって創築されたが、天正十八年(1590)に北条氏が滅亡し、徳川家康が居城をここに定めた。
 以来、家康、秀忠、家光の三代にわたって、西の丸、北の丸の増設や外郭の整備が行われ江戸城の総構が完成した。
 明治維新後、江戸城は皇居となり、昭和二四年に西の丸下及び現在の皇居を取りまくお濠の地域が「国民公園皇居外苑」として一般に開放され、昭和四四年から北の丸地域が加えられ広く国民に親しまれている。
 この江戸城跡は、三百年近くにわたる将軍の居所として、また政治の中心としての史的価値が極めて大きく、その規模はわが国随一のものであることから、昭和三八年五月三十日に文化財保護法による「特別史跡」に指定された。
環境省皇居外苑管理事務所
                         



皇居案内図⑤_NEW(1)
発行:公益財団法人菊葉文化協会   監修:宮内庁



江戸城のお濠・外濠

 江戸城には外濠と内濠とがありますが、まずは、外濠の名称を連ねてみましょう。
 良くご存じの川の名前も、もともとはお濠としてあったものです。
 ・神田川(仙台濠)
 ・飯田濠
 ・牛込濠
 ・新見附濠
 ・市ヶ谷濠
 ・四谷濠(真田濠)
 ・弁慶濠
 ・溜池
 ・日本橋川



                 
        

 第8回渋川市「たちばな竹の里フェスティバル」 -8-

2014/ 10/ 25
                 

 竹工芸作品 -花器-



花器①


花器②


花器③


花器④


花器⑤-2


花器⑥




                 
        

第8回渋川市「たちばな竹の里フェスティバル」 -7-

2014/ 10/ 24
                 
 「竹工芸作品展」

 
竹工芸展①



柾割四ツ目編ランプシェード
竹工芸展②
 藤井 正彦 (北橘竹親会)



花かご
竹工芸展③
 星野 茂 (北橘竹親会)



菱四ツ目編花篭
竹工芸展④
 西本 町子 (北橘竹親会)





                 
        

鍋物の季節

2014/ 10/ 24
                 

 鍋物の季節


 これから、鍋ものがおいしくなる季節を迎えます。
 卓上で使えるIH調理器が遅ればせながら手に入りました。
IH対応の南部鉄器古里鍋も届きました。IH用の鉄鍋は今回手にしたものが初めてですので、これからは存分に使えます。
今までは、台所で調理してから鍋を居間に持ち込んで食事をしていましたが、これからは、目の前で鍋のなかみをつつきながら、アツアツの具を口に運ぶことができます。

そういえば、電子レンジ圧力鍋も手に入れながら、まだ一度も使っていませんでした。
二つの新戦力に、遅ればせながらこちらの鍋も加えて、夜な夜なのメニューをあれこれ思い巡らしつつ、舌鼓をうっていきたいと思っています。

これからの季節のあなたの家の鍋物、新メニューは思い浮かびましたか。


IH調理器


南部鉄鍋①


電子レンジ圧力鍋①



                 
        

エルミこうのすアネックス

2014/ 10/ 23
                 
エルミこうのすアネックス


 鴻巣市は人口12万人ほどの埼玉県の県央にある都市ですが、JR高崎線鴻巣駅東口にあるビルの3階には、「パスポートセンター」が置かれています。
 さいたま市や熊谷市まで行って、パスポートの申請をしていたことを思うと、とても便利になったなと、つくづく思います。

 「こうのすシネマ」も、このビルにあります。
 市が映画館を所有しているというとてもユニークな、日本初の市民ホール融合型シネマコンプレックスです。シアターとしては9つの会場で、1,536人が映画を見ることのできる人数となっています。
 開館当時を、2013年7月5日の鴻巣市公式サイトからみてみましょう。
 『「待望の映画館が本日オープンしました」の見出しに続き、「東日本大震災で閉館を余儀なくされ、再開が待望された映画館「こうのすシネマ」が7月5日(金)にオープンしました。お得な市民カードを劇場窓口で発行していますので、皆さんご利用ください。・・・」』
と案内されています。

 平成25年(2013)4月の鴻巣市公式サイトの市長コラムには、
「4月1日(月)に、エルミこうのすアネックスビル3階に市民活動センターがオープンいたしました。この施設は、交流スペースや男女共同参画コーナー、子育てコーナー、印刷作業室、ギャラリー兼用の会議室など、さまざまな分野で社会貢献活動されている団体の皆さんの活動拠点として整備してまいりました。
また、ジョブサポートこうのすや、パスポートセンターが併設された、まったく新しい複合施設となっております。
一人でも多くの市民の皆さんに活用していただきたいと思います。」
と案内されています。



《エルミこうのすアネックス内で開催の「第27回全国中山道宿場会議鴻巣宿大会」でお披露目された原馬室の獅子舞》
原馬室の獅子舞



市民活動センター
 本町1-2-1
 エルミこうのすアネックス3階
 電話 048-577-3512
 休館日:12月29日~1月3日
 午前9時~午後10時(開館当初は午後9時まででした)

《施設》
・会議室4
・活動室2
・印刷作業室1
・ロッカー室1
・子育て支援コーナー(9:00~17:00)
・展示コーナー
・交流スペース
・登録団体ミーティングスペース
・情報閲覧コーナー
・団体活動紹介ファイルコーナー
・メールボックス

《併設施設》
・市民サービスコーナー(9:00~19:00〈17:00〉)
・パスポートセンター(申請:9:00~16:30〈月~金〉.受取は日曜も可〈~17:00〉.土曜:休み)
・ジョブサポートこうのす(9:00~17:00)
  〈・障害者就労支援センター、・就業支援センター〉





 



                 
        

「山車」がつなぐ渋川と鴻巣

2014/ 10/ 23
                 

 「山車」がつなぐ渋川と鴻巣

 鴻巣から群馬県渋川に嫁いでいる四基の「山車(だし)」は、現在も使われています。
 明治28年(1895)に、二重鉾台式江戸型の山車を渋川の上之町が購入し、その後も新町、下之町、寄居町が大正期にかけて相次いで鴻巣から購入しています。
 元々は、鴻巣の仲町、雷電町、元市町、富永町の山車として使われていました。

 「第27回全国中山道宿場会議鴻巣宿大会」は、平成25年(2013)10月19日(土)に、市民活動センター内で開催されましたが、イベント会場でもあったセンター前のエルミパーク広場に上之町の山車が展示されました。富永町にあったこの山車は、実に118年ぶりのお里帰りとなりました。


上之町の山車
 上之町の山車


新町の山車
 新町の山車


下之町山車
 下之町の山車


寄居町の山車
 寄居町の山車










                 
        

第8回渋川市「たちばな竹の里フェスティバル」 -6-

2014/ 10/ 22
                 
 竹と光のページェント

榛名山の夕景①


  「たちばな 竹と光のページェント」のイベントとしては、今回で9回を数えます。

 今年のメーンオブジェは「幸せの四つ葉のクローバー」です。
 様々な形をした模様の、竹筒一つひとつに火が灯され、幻想的な空間が醸し出されていきます。

 榛名山の左方で夕日が沈みました。
 笛の音をベースとした楽器の重なった音色が、会場に訪れた人々を包み込んでいきます。


「2014」タイトル

竹のともし火①


会場全景「幸せの四つ葉のクローバー」 ①


幸せの四つ葉のクローバー⑤

竹の灯り③

幸せの四つ葉のクローバー⑥

竹の灯り④


062.jpg


 ちょっと遠方だったこともあり、御仕舞いまでみることなく会場を後にしました。
 


 
 
 
                 
        

鴻巣おおとりまつり ‐4‐

2014/ 10/ 22
                 
鴻巣おおとりまつり –4-

 およそ3kmに及ぶ旧中山道の歩行者天国の一角で、猿まわしの芸がはじまるところでした。
 一匹と一人のコンビです。

 「地元の鴻巣で生まれ、幼稚園も、小学校も、中学校も、高校も、地元の学校を卒業して、それから世の中に出て・・・」という、まずは、お決まりの口上から始まります。


「猿まわし」≪ウィキペディアによる≫

猿まわし、猿回し(さるまわし)とは、猿使いの口上や太鼓の音に合わせて猿が踊りや寸劇などを見せる大道芸の一種。猿飼、猿曳、猿舞、野猿まわしなどとも呼ばれている。
猿を使った芸は奈良時代に中国から伝わったとされている。昔から馬の守護神と考えられてきた猿を使った芸は、武家での厩舎の悪魔払いや厄病除けの祈祷の際に重宝され、初春の祝福芸を司るものとして、御所や高家への出入りも許されていた。それが室町時代以降から徐々に宗教性を失い、猿の芸だけが独立して、季節に関係なく大道芸として普及していった。
インドでは賤民が馬と共に猿を連れて芸を見せるという風習が有った。

《歴史》
江戸時代には、全国各地の城下町や在方に存在し、「猿曳(引)」「猿飼」「猿屋」などの呼称で呼ばれる猿まわし師の集団が存在し、地方や都市への巡業も行った。近世期の猿引の一部は賤視身分で、風俗統制や身分差別が敷かれることもあった。当時、猿まわし師は猿飼(さるかい)と呼ばれ、旅籠に泊まることが許されず、地方巡業の際はその土地の長吏や猿飼の家に泊まらなければならなかった。新春の厩の禊ぎのために宮中に赴く者は大和もしくは京都の者、幕府へは尾張、三河、遠江の者と決まっていた。
猿まわしの本来の職掌は、牛馬舎とくに厩(うまや)の祈祷にあった。猿は馬や牛の病気を祓い、健康を守る力をもつとする信仰・思想があり、そのために猿まわしは猿を連れあるき、牛馬舎の前で舞わせたのである。大道や広場、各家の軒先で猿に芸をさせ、見物料を取ることは、そこから派生した芸能であった。
明治以降は、多くの猿まわし師が転業を余儀なくされ、江戸・紀州・周防の3系統が残されて活動した。大正時代に東京で廻しているのは主に山口県熊毛郡の者だった。昭和初期になると、猿まわしを営むのは、ほぼ山口県光市浅江高州地域のみとなり、この地域の芸人集団が全国に猿まわしの巡業を行なうようになった。
猿まわし師には「親方」と「子方」があり、子方は猿まわし芸を演じるのみで、調教は親方が行なっていた。
高州の猿まわしは、明治時代後半から大正時代にかけてもっとも盛んだったが、昭和に入ると徐々に衰え始める。職業としての厳しさ、「大道芸である猿まわしが道路交通法に違反している」ことによる警察の厳しい取締り、テキ屋の圧迫などから、昭和30年代(1955年 - 1964年)に猿まわしはいったん絶滅した。
しかし、1970年に小沢昭一が消えゆく日本の放浪芸の調査中に光市の猿まわしと出合ったことをきっかけに、1978年(昭和53年)に周防猿まわしの会が猿まわしを復活させ、現在は再び人気芸能となっている。

《猿回しが登場する作品》
 •浄瑠璃『近頃河原の達引』- 心中を扱った浄瑠璃作品で、人形浄瑠璃や歌舞伎の人気演目のひとつ。主人公の遊女の兄として猿回しの与次郎が登場し、盲目の母を助ける孝行者として描かれる。この話は実話を元に創作されたもので、ある心中事件があった元文3年に、京都の東堀川に住んでいた丹後屋佐吉という猿回しが盲目の母親に孝行を尽くしたことで表彰され、それらを題材に作られた。与次郎というのは京都の非人頭の通称で、享保年間に名高かった「叩きの与次郎(門口で扇を叩きながら祝言や歌を披露して生活する人たちのことで、京都悲田院の与次郎が始めたことからそう呼ばれた)」から名を借りて使われた。
 •落語『堀川(猿回し、堀川猿回しとも)』- 上記の『近頃河原達引』をパロディにした落語。


猿回し①

猿まわし①-2

猿回し②


猿回し③

猿回し④

猿回し⑤

猿回し⑥


 猿回し⑧ 猿回し⑦




                 
        

渋川市「たちばな竹の里フェスティバル」 -5-

2014/ 10/ 21
                 

渋川市「たちばな竹の里フェスティバル」 -5-

 たちばな竹の里フェスティバル事業

 「竹炭」
 ◆竹炭の利用法
 竹炭には脱臭、吸湿、浄化効果がありますので、冷蔵庫・下駄箱・車・押し入れなどに置いてください。
 ※ご使用の際は、洗って乾かしてからご使用ください。

竹炭①
写真は「たちばな竹の里フェスティバル」会場で、無料で配られた竹炭です。
「たちばな竹の里フェスティバル」の竹炭部会で焼いた竹炭です。
この竹炭は昨年の竹と光のページェントで使用した竹を再利用したものと北橘町の竹で作成したものです。



緑の羽根募金で緑の羽根を頂きました。
緑の羽根募金③







                 
        

鴻巣おおとりまつり ‐3‐

2014/ 10/ 21
                 
  鴻巣市は人口12万人ほどの都市ですが、地方の大都市にもその類例を見ない、とても特徴的な事業を運営しています。

 その一つは、「アンサンブル鴻巣ヴィルトゥオーゾ〈Ensemble KONOSU Virtuoso〉」です。
 市内に在住する演奏家の人たちが結成した弦楽合奏団だとばかり思っていたのですが、あにはからんや、全国ネットでの高い芸術性を持った人たちのプロ集団だということが判ったのは、比較的最近のことでした。

 鴻巣市文化センターの公式ページから、その概要をお伝えしましょう。
『平成12年(2000年)10月、鴻巣市文化センター<クレアこうのす>オープンと同時に、当ホールをフランチャイズホールとして生まれたのが「アンサンブル鴻巣ヴィルトゥオーゾ」です。埼玉県内外に多くの合奏団が存在しますが、フランチャイズホールを持つ弦楽合奏団としては、県内では初めて。国内楽壇第一線で活動中のベテランプレイヤー、そして、厳しいオーディションを通じて選ばれた若いプレイヤーにより、構成され、その音楽性は極めて高く、まさに「ヴィルトゥオーゾ」の名前どおりのクオリィティを持っています。数々の音楽集団が「ヴィルトゥオーゾ」を冠する中、鴻巣の多くの方へ聴いていただくために、そして広く鴻巣を知っていただくために創設された「アンサンブル鴻巣ヴィルトゥオーゾ」は、県央・鴻巣で極めて高い芸術性を追求し、発信しています。
〈ヴィルトゥオーゾ(Virtuoso)とは?
イタリア語で、有徳・高潔な・音楽、芸術の大家;ラテン語の「男らしさ、美徳、至高」といった意味をもつ「VIRTUS」という言葉が語源。元来芸術性に優れた、徳の高い人を指したが、現在では音楽的に抜きん出た優れた技量の持ち主(達)のことを表す。〉』

『鴻巣市文化センター〈クレアこうのす〉の舞台面積は、284.24㎡。間口19m、奥行14.96m、高さ22.4m。舞台設備は音響反射板が編成に合わせて変えることができます。
通常の座席数は、1,122席(※+車椅子席/4席 (最大席数/1,292席 最小席数/800席、D列増席時1,132席)となっています。』


 もう一つは、「こうのすシネマ」です。
 市が映画館を所有しているというとてもユニークな、日本初の市民ホール融合型シネマコンプレックスです。シアターとしては9つの会場で、1,536人が映画を見ることのできる人数となっています。
 開館当時を、2013年7月5日の鴻巣市公式ページからみてみましょう。

 『「待望の映画館が本日オープンしました」の見出しに続き、「東日本大震災で閉館を余儀なくされ、再開が待望された映画館「こうのすシネマ」が7月5日(金)にオープンしました。お得な市民カードを劇場窓口で発行していますので、皆さんご利用ください。・・・」』と記載されています。
ウイキペディアでは、『「こうのすシネマ」の開業日は2013年(平成25年)7月5日。日本初の市民ホール融合型シネマコンプレックスであり、構成は、多目的ホールA、兼用のシアター1兼多目的ホールB、営業専用のシアター2-8となっている。
映画館の前身は、2009年(平成21年)7月15日に開業した「シネマックス鴻巣」である。シネマックス鴻巣は、2011年(平成23年)3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)により施設に被害を受けて休止となり、同年12月15日に閉館していた。その後、鴻巣市が映画館を取得し、東映系のシネコン会社ティ・ジョイへ運営を委託する形で合意し、2013年(平成25年)7月5日に開業した。・・・』と記載されています。


鴻巣おおとりまつり -3-
 
 「鴻巣おおとりまつり」は、いつから始まったのでしょうか。
 「こうのす花火大会」は今年で13回目を迎え、主催者発表では、50万人の人出を記録したそうです。
 旧中山道の凡そ3kmほどを歩行者天国にして、「おおとりまつり」の行列は続きました。

 今年はお天気に恵まれ、殊の外賑わったお祭りとなりました。

中山道鴻巣宿 屋台①

古い街並み 鴻神社⑦

鴻神社② 大蛇③

屋台② お囃子①

お囃子② 屋台お囃子③

旧中山道歩行者天国の賑わい






                 
        

ミユは美人です

2014/ 10/ 21
                 
 
 ミユの写真をA4判にして、ゴルフ練習場のオーナーご夫妻にお持ちしました。

ミユ 2014年9月2日②



 久しぶりのゴルフの練習です。
 近々、地元の皆とのゴルフコンペを近場でやります。
 反省会は、地元に戻って、夕刻からやります。
 ゴルフ参加人数と飲み会参加人数は、いつも数が揃ったためしはありません。

 
 もう一つのゴルフ愛好会にも名前を連ねていますが、11月下旬に開かれる今年3回目のGCも、都合により不参加となります。今年は皆勤賞ならぬ皆欠賞とならざるを得ません。夜地元で開かれるであろうと思われる飲み会には参加したいとは思うのですが。

 ゴルフコンペには、幹事は必要不可欠です。
 勤めていた会社のOBのメンバーによるゴルフ会は、当初4つのゴルフコンペがありましたが、今は一つに束ねられています。
 それぞれゴルフコンペの、それぞれの幹事の、その折々の紆余曲折があって、こんにちに至っています。

 幹事さん、いつもお世話様です。お疲れ様です。
 そして、ありがとうございます。



                 
        

鴻巣おおとりまつり -2-

2014/ 10/ 20
                 
鴻巣おおとりまつり -2-

 おおとりまつりを見に行ったのは、今回が初めてです。
 昨年は荒天で催しも簡素化を余儀なくされたけれど、今年は好天に恵まれ・・・と、市長をはじめとした皆さんが挨拶されていました。
 
 「こうのとり伝説パレード」は、鴻神社を正午ちょっと過ぎてからのスタート、「まとい振りとはしごのり」は、午後1時30分を前後した頃から、本部前近くをスタートとなりました。

 露店は、「まとい振りとはしごのり」の会場となる旧中山道の通りだけに限定されています。
車を使わずに高崎線を使って鴻巣駅東口を降りましたので、生ビールを飲むことが出来ました。おまつりのときの立ち飲みというのはいいですね。旨さが弥増します。
トルコ料理のケバブをおつまみにしながらでしたので、あっという間に飲み干してしまいました。紙コップ入りでしたので、私にとってはほどよい量となりました。
 
鴻巣市キャラクター① 踊り

ひなちゃん2-1ひなちゃん(鴻巣市メインキャラクター)ひなちゃん2-2
2004年8月1日生,性・身長・体重不明,好きな食べ物は川幅うどん、いが饅頭



「まとい振りとはしごのり」    

まとい①

はしごのり③

はしごのり②

はしごのり④

はしごのり⑤



                 
        

渋川市「たちばな竹の里フェスティバル」 -4-

2014/ 10/ 20
                 
渋川市「たちばな竹の里フェスティバル」 -4-

ブルーベリーの苗木①

 小学生の男の子二人が、緑の羽根募金を呼び掛けています。 コインを二つ箱に入れました。その募金活動の呼びかけの前で、午後3時半から、苗木のプレゼントがありました。ミカンとブルーベリーです。先着順でした。私はブルーベリーを選びました。竹炭も先着順無料配布です。
 竹の葉に願い事を書いた短冊をつけると、ポップコーンを頂けます。私は二つ願い事を書きましたので、ポップコーンを二つ渡してもらいました。苗木もポップコーンもそれぞれポケットティッシュつきです。

ポップコーン①


  無料の焼肉(上州豚)が提供されるのも、午後3時半からです。
 テントの下では、日本赤十字の募金箱が置いてあります。ワンコインを入れました。ジューシーで、味加減もほどよく整っています。
  隣には牛乳も無料で振る舞われています。冷たくあっというまに喉を通って行きました。

焼肉を焼いているところ①

テントを上から見たところ①


 コーヒーが飲みたくなったので、館内の一角でしばし休憩。うどん、おいなりさんなどを売っています。コーヒーは紙コップで一杯100円でした。お代わりしました。

 無料の豚汁は、午後4時40分からと書かれていました。10分ほど並んで、アツアツのを頂きました。日赤(群馬支部)の募金箱に、ワンコインを入れました。何か気に入ったものをお一つどうぞといわれたので、お手製の可愛らしい折り紙で作ったビニール袋入れを選びました。ニコニコして受け取ったところ、「奥様にどうぞ」という前置きで、更にこれも手作りのちっちゃな楊枝入れを手渡してくれました。

ビニール袋入れ表 ビニール袋入れ裏

爪楊枝入れ表 爪楊枝入れ裏


                 
        

キウイフルーツの実

2014/ 10/ 20
                 
 キウイフルーツの花は咲きましたが、実はつきませんでした。

 このところ、ヒヨドリが我が家の庭を毎日訪れます。
 数日前には、犬小屋のサークルの柵にじっと佇み、ガラス戸越しに家の中をじっと15分ほど見入っていたとのことです。

 今年は、キウイフルーツの実がつきませんでした。

 ヒヨドリが我が家の庭を毎日訪れるようになっています。
 枝につかまりながら、独特の鳴き声をして、家の中を覗きます。

 今年は、キウイフルーツの実が生っていません。
 メジロたちも我が家の庭を訪れることがなくなるのでしょう。

 今年から、キウイフルーツの実がつかなくなりました。

 今も、ヒヨドリが何事かを訴えるように繰り返し々様々な声を出して鳴き続けています。


  ヒヨドリ⑪




                 
        

広田のささら -7-

2014/ 10/ 19
                 
  広田のささら -7-


 「かわさとの民俗・第一巻」、第五章、第四節

 「獅子舞の演目」

 獅子舞は、ニワと奉謝ずりで行うものでは異なる。
 ニワのものは、前半で「すり込みの唄」「花かかりの唄」「花ちらしの唄」などがあり、"女獅子隠し“をテーマとした物語が展開される。後半で「茂ひの唄」「切り拍子の唄」「お暇の唄」など歌舞を中心とした舞があり、「茂ひの唄」の後に余興的な”仮装行列” が入る。
 奉謝ずりでは、「切り拍子の唄」と「お暇の唄」は行われ、舞う場所によりうたう歌が決まっている。「天神様の梅の花」は天神宮、「松山兔、何見てはねる」は稲荷社と八幡社でうたう。


 《昼間の組鎮守「八幡社」前で》
八幡社前獅子舞①

八幡社前獅子舞②

八幡社前獅子舞③

八幡社前仮装行列①


 《夜の「鷺栖神社」獅子舞奉納》
鷺栖神社花籠と獅子舞⑥

鷺栖神社獅子舞⑦

鷺栖神社獅子舞⑧

《夜の鷺栖神社》
夜の鷺栖神社⑧


鷺栖神社獅子舞奉納「法眼・女獅子・後獅子」


―――「広田のささら」シリーズ終了―――

                 
        

鴻巣おおとりまつり ‐1‐

2014/ 10/ 19
                 
鴻巣おおとりまつり -1-


 きょうは、「鴻巣おおとりまつり」です。
 鴻神社で神主よりお祓いを受けて、いよいよ行列の出立となります。

鴻神社お祓い


行列出発①

行列出発②

行列出発③

こうのとり伝説出発④

 

 抑々(そもそも)の由来となった地名の「鴻巣」と「鴻神社」についての理解を深めるために、鴻神社の公式ページを紐解いてみることに致します。

  鴻巣(こうのす)の地名の由来と鴻神社

 「こうのす」という地名は、古代に武蔵国造(むさしのくにのみやつこ)である笠原直使主(かさはらのあたいおみ)が現在の鴻巣市笠原のあたりに居住したとされ、また、一時この近辺に武蔵の国の統治を行う機関(国府)があったのではないかと推測されることから、「国府の洲(中心) こくふのす」が「こうのす」となり、後に「こうのとり」の伝説から「鴻巣」の字をあてるようになったと思われます。
 国府のことを「こう」と呼ぶのは、他の地名(国府台[こうのだい]、国府津[こうづ]など)からも類推され、国府のお宮を国府宮(こうのみや)と呼ぶのは、愛知県稲沢市にある尾張大国霊神社、別名国府宮(こうのみや)など、全国でも例があります。
 このことからこうのとりのお宮「鴻の宮」は「国府の宮(こうのみや)」であったのではないでしょうか。

※笠原直使主(かさはらのあたいおみ)
 6世紀に活躍した豪族で行田市の埼玉古墳群の中の稲荷山古墳にまつられています。そこから出土した大和朝廷から拝領したとされる金象眼銘の鉄剣は国宝に指定されています。

 鴻神社は氷川社・雷電社・熊野社をはじめ、多くの神々をまつる鴻巣総鎮守で社殿の脇にそびえる大いちょうの下、四季折々に様々な祭りが行われます。   


 「こうのとり伝説」についても、同じく鴻神社の公式ページから理解を深めることに致しましょう。

 こうのとり伝説①

 こうのとり伝説②

 こうのとり伝説③

 こうのとり伝説④


                 
        

たちばな竹の里フェスティバル -3-

2014/ 10/ 19
                 
 たちばな竹の里フェスティバル -3-

第8回渋川市たちばな竹の里フェスティバル挨拶①
 フェスティバル開会セレモニー「竹と光のページェント」受賞式

平成26年度「群馬ふるさとづくり賞」受賞団体決定
 ≪群馬県公式ページより≫
 群馬県地域づくり協議会では、「群馬ふるさとづくり賞」を設け、活力ある地域づくりに取り組んでいる、優れた団体等を顕彰しています。
 本年度は、群馬ふるさとづくり賞審査会において、「主体性」「地域性」「継続性」等を総合的に審査し、「群馬ふるさとづくり賞」1団体、「群馬ふるさとづくり奨励賞」2団体を決定しました。

群馬ふるさとづくり奨励賞:渋川市たちばな竹の里フェスティバル実行委員会 
実行委員会代表:爲谷 賢司
会員:30名 発足:平成19年
 平成19年から毎年「渋川市たちばな竹の里フェスティバル」を開催し、年々参加者を増やしている。小中学生による竹太鼓の演奏会や竹工芸品の作成体験会など、地域の資源である竹を活用した数々の取組により、地域文化の創造、発展に貢献している。

竹と光のページェント入口昼⑥
 会場入り口

会場づくり入口④
 会場づくり入口

会場づくり竹で灯そう2014② 
 2014 竹と光のページェント会場づくり

会場づくり正面③
 2014 竹と光のページェント会場づくり

竹工芸品展示会場②
 竹工芸作品展覧会会場

竹と光のページェント入口夜⑤
 夜の会場入り口







<参考>「ぐんまふるさとづくり賞」について
県内各地において、住みよい地域社会の創造を目指し、個性豊かで、活力ある地域づくり・くらしづくり・ひとづくり活動に取り組み、成果を挙げている団体、企業等を顕彰することにより、地域づくりの一層の促進を図る。
主催:群馬県地域づくり協議会・読売新聞前橋支局・NHK前橋放送局
後援:群馬県・群馬県市長会・群馬県町村会
応募の対象: 地域住民が自主的に結成し運営している団体、または、地域活動団体と積極的に連携して地域づくりに取り組む商店街、学校等、地域に即した発想・リーダーシップ・方法などにより、地域づくり・ひとづくり活動に2年以上取り組み、大きな成果を挙げて活動している団体。



                 
        

たちばな竹の里フェスティバル -2-

2014/ 10/ 18
                 
第8回渋川市 たちばな竹の里フェスティバル  -2-

 「竹工芸作品展」   

竹の里フェスティバル 幟

と き 平成26年10月18日(土)~19日(日)
ところ 渋川市北橘総合支所市民ギャラリー

竹細工作品展 ⑥





 出品者一覧の作品目録を見るまでは、てっきり地元の人たちの竹細工が展示されているのだろうと思っていたのですが、あにはからんや、富山県からも栃木県からも、そして県内13市町からの竹工芸品が並べられていました。一般申込み作品は111点に及んでいます。これだけ立派な作品の数々に出会えるとは思ってもみなかったので、全ての作品を被写体として写真に撮りました。

竹素材展示

竹工芸品コーナー


群馬県伝統工芸士 特別招待展示 
 小林 良夫 沼田市 根利のスズしょうぎ 4作品
 八木三四郎 藤岡市 日野竹細工 4作品
 前島 美江 高崎市 西上州竹皮編 4作品

NPO法人 工房あかね (前島美江氏活動団体)
 高屋敷直子 高崎市 4作品

一般申込み作品者
 安中市   8名
 邑楽町   2名
 太田市   8名
 桐生市   3名
 渋川市   7名
 高崎市  15名
館林市   2名
栃木県   1名
富岡市   2名
富山県   4名
藤岡市   1名
前橋市  18名
みどり市  2名
吉岡町   6名
北橘竹親会16名
渋川市  14名(竹工芸教室)
太田市   2名
                 
        

広田のささら -6-

2014/ 10/ 18
                 
  「かわさとの民俗」で書かれている組鎮守、三ケ谷戸の八幡宮は、八幡社とも記述されていますが、御社の鳥居の額は「八幡神社」となっています。

 八幡神社

 この八幡社の前での花棒と獅子舞が演じられるのを、今か今かと待っていましたところ、予定時刻をかなり遅れて行列が到着しました。


 「かわさとの民俗・第一巻」、第五章第四節
    「演目と内容」 ②

 花棒の演目:
 花棒には、初めに「太刀さばき」と「打ち出し」がある。これは太刀のいわれを述べ、気合とともに場の邪気をはらう棒使いである。

 次は、「通りすがい」で、花棒の基本といわれ、子供たちによって演じられる。これに続き、「木の葉返し」「霞落し」「逆さ落し」「発火」「笠外し」「鎌六尺」などがあり、さらに「逆はらい」「清浄(しょうじょう)」「扇の手」「六尺同志」「真木(しんき)棒」「三人棒」「四人棒」「水引き」「八天」「鎌通し」「薙刀」などがある。

 「八天」「鎌通し」「薙刀」は三役といわれ、師匠格の人が行う。
 八幡宮花棒⑥

八幡宮花棒①
 この三役の間に他の演目を入れたり、この後に飛び入りで棒の演技をしてはいけないといわれている。


 八幡宮花棒② 八幡宮花棒③

 八幡宮花棒④ 八幡宮花棒⑤ 

 八幡宮花棒②

                 
        

広田のささら -5-

2014/ 10/ 17
                 
  広田のささら -5-



 広田のささらには「口上」があります。
 組鎮守の前でも、鷺栖神社境内でも同じ順に従います。
  昼の組鎮守の三ケ谷戸の八幡宮(八幡神社)〈三ケ谷戸公民館〉前では、古老が「太刀の謂われ」を滔々と述べていました。夜の鷺栖神社の土俵上では、後継者の一人が大音声でその役割を担っていました。何れもマイクを担当する人が、片膝ついた太刀持ちの口元に近づけて並み居る人に聞こえるようにしていました。
 
太刀さばき 八幡宮前

鷺栖神社 太刀さばき


 「かわさとの民俗・第一巻」、第五章第四節
    「演目と内容」

 花棒の演目:
 花棒には、初めに「太刀さばき」と「打ち出し」がある。これは太刀のいわれを述べ、気合とともに場の邪気をはらう棒使いである。次は、「通りすがい」で、花棒の基本といわれ、子供たちによって演じられる。これに続き、「木の葉返し」「霞落し」「逆さ落し」「発火」「笠外し」「鎌六尺」などがあり、さらに「逆はらい」「清浄(しょうじょう)」「扇の手」「六尺同志」「真木(しんき)棒」「三人棒」「四人棒」「水引き」「八天」「鎌通し」「薙刀」などがある。
 「八天」「鎌通し」「薙刀」は三役といわれ、師匠格の人が行う。
 この三役の間に他の演目を入れたり、この後に飛び入りで棒の演技をしてはいけないといわれている。

 『太刀さばき』
 太刀のいわれについては、大木刀と六尺棒を地面に交差させておき、一人が中央に進み出て太刀を抜き片膝をついて、次の「太刀さばき」を読み上げる。

 
 抑々(そもそも)此の御太刀と申し奉るは一派泰けなくも天竺(てんじく)にては漢波久羅漢(はんはくらかん)、五大山大聖文殊(もんじゅ)、阿比羅雲健(あひらうんけん)の五字よりも出生し給う御太刀なり。大唐にては降伏利剣我が朝にては神支宝剣内侍所(しんしほうけんないじどころ)の三つ也。
 抑々日本へ拡め始まる根本は清和天皇九代の後胤征夷大将軍佐間神(さまのかみ)源朝臣義朝の八男御曹司牛若丸十四歳の時承安二年の頃丹波比叡鞍馬此の三の御山にて遣い出し給う御太刀也。
 鞘(さや)に志津波利治まる時は素戔男尊(すさのうのみこと)大海の底に引籠りたる如斯也(かくのごとくなり)。
 正しくは日本総社津島牛頭天王(ごずてんのう)と仰し給う、然れば是を抜き放てば面は鏡の如く朝日大海に来光し給う。故に大海の底に大日如来の印も有りと唱うる也。即ち太刀の形をば金色大師太刀連の剣を兵する也。
 然れば文殊の作りし大刀なれば切先三寸は三社八幡大神宮両の三頭は摩利子(まりし)天威多(えだ)天を兵する也。焼は久利加羅不動明王左の鍔(つば)は勢多加童子(せいたどうじ)右の鍔は古無加羅(むから)童子、峯は阿弥陀利剣の各号を兵する也。切羽鎺(きりはかね)〈※〉は阿呍(あうん)の二字。鍔(つば)の丸は十五満月を兵する也。柄は紅葉九重を兵する也。目釘丁と打ちたるは揺げ共四方や抜けずの要石親鮫は宇佐々摩明王惣佐とは空に連なる星の軍勢を兵する也。縁は増長天柄頭(えがしら)は広目(こうもく)天柄糸(からいと)は飯綱大権現即ち八つ菱九つ菱に巻きたるは八菱は中天竺大峯山八大金剛(こんごう)童子、九つ菱は九字九尊九曜摩無多羅(くようまむたら)を兵する也。両の目貫は両部の大日(だいにち)、鞘(さや)は春日(かすが)大明神鯉口は天照皇大神の天の逆鉾(さかほこ)を兵する也。鐺(こじり)は大聖歓喜大多聞天鴣(こ)とは印(いん)の行者、木口は智恵の文殊、小柄は持国天、小刀櫃は愛染明王、下げ緒は不動三惣番の縛の縄を三尺二寸にて切落し下緒とは名付け給う也。
 抑々恐れ謹しみ敬って此御太刀と申し奉るは常には有らず三の御山にて日天の光前より御無双に受け奉る太刀なれば神前にては神支宝剣(しんしほうけん)、仏前にては公支阿比羅雲剣(こうひあひらうんけん)それに向って寿命の院を切結ぶ。天摩外道(てんまげどう)に向う時は清浄霊剣として遣い分け奉る。恐れみ恐れみ申す。


※切羽(せっぱ)
 刀身の刃区部分に装着したハバキと、柄の縁金具に両側を押さえられて鐔を挟む位置に装着される薄い金具のことをいいます。 柄口部分の締まり(鐔のガタつき)の微調整をするためのものです。
 多くは素銅に金着とされ、鐔から刀身を保護するためにありますが、一方で鐔や縁を傷付けない用としてもあります。
 「切羽詰まる」という、どうにもならない局面に追い込まれることを意味する言葉の語源が、鐔が固定されて動かないところからきていることを知ることが出来ました。

※鎺(はばき)
  せっぱ‐はばき 【切羽鎺】
 「切羽」も「鎺」も、刀剣の鍔元(つばもと)の金具の名称の一つです。
 《刀に手をかけて談判するところから》ひざづめ談判をすることをさします。
 『さっきにから切羽鎺する通り、銀(かね)渡したら御損であらう』〈浄・歌念仏〉


                 
        

かわさとフェスティバル2014開催

2014/ 10/ 17
                 
 市制施行60周年記念
 かわさとフェスティバル2014

 11月9日(日)  9時~15時
 川里中央公園及び川里農業研修センター
 問い合わせ/実行委員会事務局 (川里支所内地域グループ内・☏048-569-1111)


かわさとフェスティバル2014
                 
        

第16回 コスモスフェスティバル

2014/ 10/ 17
                 
 市制施行60周年記念
コスモスフェスティバル  

 10月25日(土)・26日(日)
 コスモスアリーナふきあげ周辺
 JR高崎線吹上駅南口よりシャトルバス運行

コスモスフェスティバル①

コスモスフェスティバル②

                 
        

鴻巣おおとりまつり

2014/ 10/ 17
                 
 市制施行60周年記念
鴻巣おおとりまつり 

 歩行者天国:10月19日(日)12時~20時
 中山道の加美(河野タイヤ前)~人形(深井2丁目交差点)
 JR鴻巣駅東口下車

鴻巣おおとりまつり②