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豚の三枚肉が届きました

2016/ 12/ 30
                 

 豚の角煮をこれから作り始めます。

①豚の三枚肉 20161230


 このように出来上がるはずの「豚の角煮」です。
③豚の角煮完成2012年12月30日
 (2012年12月30日〈日〉に調理した時の「豚の角煮」写真です。)






豚の角煮

 ・私が豚の角煮をつくるときは、豚バラ肉のブロック(1本1㎏ほど)を一つの単位として使います。(フライパンのサイズ、、鍋のサイズによっては1本を500gほどに切り分けて使います。)
 ・調理の手順は、ネット検索レシピ記載のものを概ね基本としたいと思っていますが、それぞれ調理方法が異なっているということもとあり、父から受け継いだやりかたをベースにして厨房での時間にかけています。(父は台湾時代〈※〉にこの料理を覚えました。)
 ・豚の角煮はその三枚肉(=バラ肉)を調理するという特性のために、如何にして身崩れせず、かつ中の肉を柔らかくして仕上げるかが大切です。
 ・豚肉のくさみを消すという一手間を加えるためにも食材選びは大切です。
 ・食材それぞれの分量を適切にすることを心がけています。


 今まで豚の角煮を作る時は、それぞれの食材を目分量で使っていましたが、ブログで紹介する以上、それではまずいと思いましたので、「はじめての和食」(発行所:株式会社主婦の友社.平成17年1月30日発行)に載っている「豚バラ肉の角煮」の食材の量をここに記しましたので、ご参考ください。

「豚バラ肉の角煮」
◇材料(4人分)
 ・豚バラ肉・・・400g
   /下ゆで・・・ねぎの青い部分1本分、しょうがの薄切り3枚、酒大さじ3
・しょうゆ・・・大さじ4
・砂糖・・・大さじ4
・酒・・・1/2カップ
・ゆで卵・・・4個


〈※〉台湾では、それぞれの料理に「八角」を使うのが一般的です。豚の角煮もその例にもれませんが、その味の特性ゆえに日本の正月用食材として馴染まないのではと思っています。
〈☆メモ〉私は、ゆで卵は使いません。香りづけに柑橘類(酢橘、柚子など)の皮をアクセントにのせる程度です。
 糖分は主体を黒糖ととして、はちみつも少々使いますが、使うタイミングにタイムラグがあります。
 お酒は紹興酒が主体(ときには日本酒も使っています)ですが、調理の後半に入ってから、みりんをそこそこ使います。(調理の後の方になってみりんを使う理由ですが、中の肉身を柔らかいままとじこめながら、肉の外側を適度に引き締めさせ、かつ照りをつけるためです。)
 下茹でのときに、こんぶも使っています。
 なお、鍋に入れるときの水の量ですが、肉が被るくらいまでそそぎます。
 

 「はじめての和食」との比較で、調理方法で大きく違うところが幾つかありますが、その最も違うところは、「はじめての・・・」では、フライパンを使いませんが、私のやりかたは父に教えてもらった通り、フライパンを使って四面をきつね色に焦げない程度に焼き色をつけます。
 
 
それでは、これから調理に取り掛かります。
 先ず、ブロックのままの豚の三枚肉を熱湯で2~3分茹でてから水けをきり、フライパンで肉の両面をきつね色になるくらいまで焼きます。
②四面キツネ色に焼く20161230

・・・   ・・・   ・・・

これからが時間がかかります・・・
今調理している最中です。



                 
        

季節の風物詩 焼き芋屋の声

2016/ 12/ 27
                 
 県庁所在地の繁華街からちょっと離れた路地では、寒くなり始めた頃からも、様々な声が行き交いしていました。
 秋も遅くなったころから聞こえ始める、おでんやうどんを商う音色です。昼間リヤカーを改造した屋台を人力で引っ張ってくるのがおでん屋でした。お昼前や夕方自転車に乗って屋台で売りにくるのがうどん屋でした。
 チャリン、チャリン、チャリンと響く鐘を鳴らしてくるのがうどん屋で、もう少し響く音が小さくチリン、チリンと聞こえる鈴の音がおでん屋でした。
 木枯らしが吹き始め、冬の訪れが肌に感じる頃には、シナソバ屋のチャルメラの音が夜のしじまをぬって聞こえてきます。

 思い出は尽きることがありません。
 焼き芋屋の声は全国津々浦々、どこでも聞えていた時代もあったのではないでしょうか。
 あなたの街の路地々には、どんな季節の風物詩模様が織りなしていましたか。

 
 昨年まではこのあたりの路地にも、時折焼き芋屋の声が聞こえていたのですが、この冬はまだ耳にしていません。



 杉浦日向子著の、「一日江戸人」の中の「江戸の屋台」の文中に次の件(くだり)があります。
 ・・・
 江戸の街には、あらゆる種類の行商人が路上を行き来しています。幕末に来日した外国人は「一歩も戸外に出ることなく、いっさいの買物の用を足すことができる」と、江戸の町の便利さを言っています。これらの行商のうち、飲食物に関しては、終夜、行われていました。
 ・・・
 今でも、夜中に仕事をしていると、チャルメラが聞えてくることがあります。屋台の食べ物は、なにかしら郷愁があって、さほど空腹でなくとも食べたいような誘惑にかられます。
 ・・・




                 
        

信州安曇野 こねこねハウス めん処穂高

2016/ 12/ 26
                 
 新そばが出始めたころのことです。
 家人が、のぼりを見て、「こねこね」と書いてあるのだから器の焼きものを作っている家だろうと思っていたとのこと。
 ここは安曇野だから、手打ちそばを供するお店だろうと私は思っていました。

⑥安曇野そば 20161018

 「こねこねハウス めん処穂高」。
 「信州そば」(発行:株式会社まちなみカントリープレイス.発行日平成27年9月)~名店一挙掲載300件!~の92㌻の「そばコラム」に載っている手打ちそば屋さんです。
 「信州そば」編集部のスタッフが、「こねこねハウス」でそば打ち体験のレポートを書いています。
 ①水まわし
 ②菊練り
 ③のばし
 ④そば切り
 ⑤完成
5つの作業手順それぞれの写真には、丁寧な説明文が添えられています。
 「そば打ち体験(2時間ほど)」、「個別指導そば打ち体験(全5回)」、そして「おやきの体験」ができる、「こねこね体験道場」です。

 私たちは「・・・体験」の方はパスして、お品書きの中から新そば〇△食限定「十割そば」を選んで、この日の昼食としました。

⑤新そば 貼り紙 20161018

①こねこねハウス 20161018

②十割蕎麦 20161018 こねこねハウス ③ つゆ 20161018 こねこねハウス ③ そば湯 20161018 こねこねハウス


 安曇野には手打ちそば処が何十軒(60軒以上点在しています)とありますが、また伺いたいなと思ったお店の一つです。
 つゆも麵も味は肩ひじを張っていません。そば湯も写真を見ての通りさっぱり系です。
 ふだんおそばを口にしない人でも、信州安曇野にお越しの折は、手打ちそばを一度は味わってみてください。

⑦ こねこねハウス 20161018

穂高の名水で打つ
 こだわりの麺

こねこねハウス めん処穂高

長野県安曇野市穂高3029-1
tel 0263-82-0431
時間 11:00~15:00(L.O)
休 木曜


◇体験道場
⑬ こねこねハウス 体験道場 20161018

⑫ こねこねハウス 体験道場 20161018

⑪ こねこねハウス 体験道場 20161018

⑫ こねこねハウス 20161018

⑩ こねこねハウス 体験道場 20161018







                 
        

豚の角煮 圧力鍋

2016/ 12/ 25
                 
  いつのころだったかに圧力鍋(フランス製)を購入したことがあるのですが、一度も使わずじまいのまま、かなり以前に処分してしまったことがあります。

 年末に入りましたので、豚の角煮を作る準備を整えつつありますが、圧力鍋を使って作ると随分と時間の節約になると思い、ネットで「人気圧力鍋」を検索してみました。
 コメントされている10社ほどの中から幾つかをピックアップして、レシピに載っている豚の角煮の作り方を見てみました。
 まず驚くのは、何といっても調理時間の短さです。

 これはと思う2社(日本製とフランス製)から一つの圧力鍋を選んで、手元に取り寄せようと思いつつありますが、今回ばかりは従来通りのテマヒマかかる手順で「豚の角煮」を仕上げようと思っています。
 何となれば、父が台湾時代に覚えた「豚の角煮」の味を踏襲したものを作りたいということにほかならないからです。
 ですが、台湾料理につきものの「八角」は使いません。私たちにとって、日ごろ馴染みのない特徴のある味は、お正月料理として一般的でないように思えるからです。
 
 父も、私たちのために豚の角煮を作った時は、ハッカクは使いませんでした。田舎に住んでいたこともあり、黒糖を入手するのもままならなかったので、通常はサトウを用いていました。お酒も普段は日本酒を用いていましたが、本当のところは紹興酒も時には使いたかったのではないでしょうか。




〈※〉「圧力鍋」について:
 「時間も短く調理も簡単」ということと合わせ、調理後の「手入れも簡単」な、「圧力鍋」は、どこのメーカーのどのタイプのものがいいのか調べているのですが、そのあたりがイマイチ判然としません。
 勿論、値段とか、圧力値とか、重さとか、容量(サイズ)とか、いろいろな判断材料にも目を向けたうえでのことですが。
 あなたはどのメーカーの何という製品を使っていますか。日常の使い勝手はいかかですか。





                 
        

鎮魂

2016/ 12/ 23
                 
 昨年50年ぶりに前橋キリスト教会を訪れ、内田和彦牧師と話す機会を得ました。私が高校時代3年間通ったこの教会は、星野冨弘氏が1974年に舟喜拓生牧師により洗礼を受けた教会としても知られています。
 今日「パイプオルガンとクリスマスメッセージ」と題したコンサートが午後2時から礼拝堂で開かれましたので、その生演奏を初めて聴きに行ってきました。全16曲です。


 (12月2日のアメリカオークランド史上最悪級の火災事故に巻き込まれ、レイブパーティに仲間と共に加わっていたうちの一人の女性は、家人の姪の子供でした。
 彼女も炎の犠牲になりました。大学(UC バークレー)の在学生で間もなく22歳を迎えようとしている矢先の哀しい出来事となりました。)

パイプオルガン(奏者:植木紀夫氏)が奏でる楽曲を聴きながら静かに指を組み合わせ、彼女の冥福を祈りました。

《 プログラム
 〈ごあいさつとお祈り〉
① J.S.バッハ:プレリュードとフーガ ハ長調(BWV545)
② J.S.バッハ:愛するイエスよ(BWV730)
③ J.S.バッハ:愛するイエスよ(BWV731)
④ V.リューベック:プレリュードとフーガ  ト長調(LübWV9)
  〈お話し:讃美歌とキリスト教歴/オルガン奏者植木紀夫)
⑤ K.ヘッセンベルク:いかにしてわれ主を迎える
⑥ J.G.ヴアルター:もろびと声をあげ
⑦ J.ブラームス:血潮したたる Op.122-7
⑧ R.モーザー:喜び祝え、わが心よ
  〈お話し:オルガンは頼もしい助け手/オルガン奏者植木紀夫)
⑨ J.パッヘルベル:トッカータ ハ長調、フーガ ハ長調
⑩ D.ブクステフーデ:救いは我らに来たれり(BuxWV186)
⑪ D.ブクステフーデ:天にいます我らの父よ(BuxWV219)
⑫ D.ブクステフーデ:トッカータ ヘ長調(BuxWV157)
  〈クリスマス・メッセージ「罪から救ってくださる方」/前橋キリスト教会牧師内田和彦)
⑬ J.ヴァイマン:パストラーレ Op.12-6
⑭ J.G.E.シュティーレ:神の御子は今宵しも
⑮ A.フィッシャー:「高きみ空から」によるプレリュード
⑯ 会衆賛美「高きみ空から」(教会福音讃美歌88番) 》



前橋キリスト教会 20161223





                 
        

天皇陛下の記者会見  天皇陛下お誕生日に際し(平成28年)

2016/ 12/ 23
                 
(宮内庁ホームページ掲載)

天皇陛下お誕生日に際し(平成28年)


天皇陛下の記者会見

会見年月日:平成28年12月20日

会見場所:宮殿 石橋の間


宮内記者会代表質問
問 今年は五輪・パラリンピックが開催され,天皇陛下にはフィリピンや東日本大震災,熊本地震の被災地などを訪問される一方,三笠宮さまやタイのプミポン国王とのお別れもあり,8月には「象徴としての務め」についてお気持ちを表明されました。
  この1年を振り返って感じられたことをお聞かせください。

天皇陛下



今年1年を振り返ると,まず挙げられるのが,1月末,国交正常化60周年に当たり,皇后と共にフィリピンを訪問したことです。アキノ大統領の心のこもった接遇を受け,また,訪れた各地でフィリピン国民から温かく迎えられました。私が昭和天皇の名代として,初めてフィリピンを訪問してから,54年近くの歳月が経たっていました。この前回の訪問の折には,まだ,対日感情が厳しい状況にあると聞いていましたが,空港に到着した私どもを,タラップの下で当時のマカパガル大統領夫妻が笑顔で迎えてくださったことが,懐かしく思い出されました。



今回の滞在中に,近年訪日したフィリピン人留学生や研修生と会う機会を持ち,また,やがて日本で看護師・介護福祉士になることを目指して,日本語研修に取り組んでいるフィリピンの人たちの様子に触れながら,この54年の間に,両国関係が大きく進展してきたことを,うれしく感じました。



両国の今日の友好関係は,先の大戦で命を落とした多くのフィリピン人,日本人の犠牲の上に,長い年月を経て築かれてきました。この度の訪問において,こうした戦没者の霊の鎮まるそれぞれの場を訪ね,冥福を祈る機会を得たことは,有り難いことでした。また,戦後長く苦難の日々を送ってきた日系2世の人たちに会う機会を得たことも,私どもにとり非常に感慨深いことでした。



今後とも両国の友好関係が更に深まることを祈っています。





東日本大震災が発生してから5年を超えました。3月には,福島県,宮城県の被災地,そして9月には岩手県の被災地を訪問し,復興へ向けた努力の歩みとともに未いまだ困難な状況が残されている実情を見ました。その中で岩手県大槌町では,19年前に滞在した宿に泊まりましたが,当時,はまぎくの花を見ながら歩いたすぐ前の海岸が,地震で海面下に沈んで消えてしまっていることを知り,自然の力の大きさ,怖さをしみじみと思いました。



この5年間,皆が協力して復興の努力を積み重ね,多くの成果がもたらされてきました。しかし同時に,今なお多くの人が困難をしのんでおり,この人々が,1日も早く日常を取り戻せるよう,国民皆が寄り添い,協力していくことが必要と感じます。





4月には熊本地震が発生しました。14日夜の地震で,多くの被害が出ましたが,16日未明に本震が発生し,更に大きな被害が出ました。その後も長く余震が続き,人々の不安はいかばかりであったかと思います。



5月に現地を訪れましたが,被害の大きさに胸を痛めるとともに,皆が協力し合って困難を乗り越えようと取り組んでいる姿に,心を打たれました。



今年はさらに8月末に台風10号による大雨が岩手県と北海道を襲い,その中で高齢者グループホームの人たちを含め,多くの人が犠牲になったことも痛ましいことでした。



このような災害に当たり,近年,個人や様々な団体と共に,各地の県や市町村などの自治体が,被災地への支援の手を差し伸べ,さらにそれを契機として,全国で様々な地域間の交流が行われるようになってきていることを,うれしく思っています。





8月には,天皇としての自らの歩みを振り返り,この先の在り方,務めについて,ここ数年考えてきたことを内閣とも相談しながら表明しました。多くの人々が耳を傾け,各々の立場で親身に考えてくれていることに,深く感謝しています。





8月から9月にかけて,リオデジャネイロでオリンピックとパラリンピックが開催されました。時差があったこともあり,毎朝テレビで,日本人選手の活躍する姿が見られたことは,楽しいことでした。オリンピックと同様に,パラリンピックにも多くの人々の関心が寄せられていることをうれしく思いました。





10月中旬にタイのプミポン国王陛下が崩御になりました。昭和38年に国賓として訪日された時に初めてお目に掛かり,その翌年に,昭和天皇の名代として,皇后と共にタイを訪問し,国王王妃両陛下に温かく迎えていただき,チェンマイなど,タイの地方にも御案内いただきました。即位60周年のお祝いに参列したことを始め,親しく交流を重ねてきた日々のことが,懐かしく思い出されます。





10月下旬には,三笠宮崇仁親王が薨去こうきよになりました。今年の一般参賀の時には,手を振って人々に応えていらしたことが思い起こされます。戦争を経験された皇族であり,そのお話を伺えたことは意義深いことでした。





11月中旬には,私的旅行として長野県阿智村に行き,満蒙開拓平和記念館を訪れました。記念館では,旧満州から引き揚げてきた人たちから話を聞き,満蒙開拓に携わった人々の,厳しい経験への理解を深めることができました。





また,その際訪れた飯田市では,昭和22年の大火で,市の中心部のほぼ3分の2が焼失しています。その復興に当たり,延焼を防ぐよう区画整理をし,広い防火帯道路を造り,その道路には復興のシンボルとして,当時の中学生がりんごの木を植えた話を聞きました。昭和20年代という戦後間もないその時期に,災害復興を機に,前より更に良いものを作るという,近年で言う「ビルド・バック・ベター」が既に実行されていたことを知りました。





12月には,長年にわたるオートファジーの研究で,大隅博士がノーベル賞を受賞されました。冬のスウェーデンで,忙しい1週間を過ごされた博士が,今は十分な休養をとられ,再び自らが望まれているような,静かな研究生活に戻ることができることを願っています。





年の瀬が近づき,この1年を振り返るとともに,来年が人々にとって良い年となるよう願っています。





この1年のご動静


天皇陛下には,本日,満83歳のお誕生日をお迎えになりました。

陛下は,今年8月,象徴としてのお務めについてのお考えをビデオを通して国民にお話しになりましたが,この1年,国事行為に関して,国務大臣10名を始め,副大臣20名,大使48名を含む97名の認証官任命式,新任外国大使36名の信任状捧呈式,大綬章及び文化勲章の親授式に臨まれたほか,内閣から上奏のあった1,031件の書類にご署名,ご押印をなさいました。また,宮殿や御所では,文化勲章受章者及び文化功労者,勲章・褒章受章者や各種の表彰受賞者,日本学士院会員,日本芸術院会員,新認定重要無形文化財保持者夫妻,青年海外協力隊帰国隊員及び日系社会青年ボランティアの代表,シニア海外ボランティア及び日系社会シニアボランティア,両陛下のご成婚を記念して創設された皇太子明仁親王奨学金の奨学生,みどりの学術賞受賞者及び緑化推進運動功労者内閣総理大臣表彰受賞者等にお会いになり,その労をねぎらわれ,栄誉を祝されました。その回数は75回を数えました。

このほか,各省庁の事務次官,外務省総合外交政策局長等からのご進講を8回,行幸啓や行事に関するご説明を44回お受けになったほか,皇居勤労奉仕団延べ7,921人に51回にわたってお会いになりました。秋の園遊会及び毎年恒例の新嘗祭献穀者のご会釈は,崇仁親王殿下薨去こうきょに伴うご服喪中のためお取りやめになりました。

なお,宮殿や御所における行事のうち,全国警察本部長等の拝謁,全国検事長及び検事正会同に出席する検事正等の拝謁,地方裁判所長及び家庭裁判所長の拝謁,自衛隊高級幹部会同に出席する統合幕僚長等の拝謁,全国市議会議長会総会に出席する市議会議長等の拝謁等,国・地方の行政機関等の長らが全国会議で上京した際などに定例的に行われてきた拝謁については,今年5月,両陛下のご公務の在り方を改めて検討し,今年度から取りやめることにしました。また,総務大臣始め知事のお話・午餐については,行幸啓等の機会を通じて多くの知事とお会いになっていることから,同様に取りやめとしました。隔年行事として行われていた中学校長会総会に出席する中学校長の拝謁,小学校長会理事会に出席する小学校長の拝謁及び不定期の行事である国際緊急援助隊員及び国際平和協力隊員のご接見については,皇太子殿下にお譲りになりました。

今年1月には,国交正常化60周年を迎えるフィリピン国大統領閣下からの招請により,国際親善のため,両陛下で同国をご訪問になりました。昭和37年に昭和天皇のご名代としてお訪ねになって以来54年ぶりのご訪問で,国賓として,歓迎式典,ご会見,晩餐会に臨まれ,フィリピンの国民的英雄ホセ・リサールの記念碑に参られたほか,かつて日本に留学生,研修生として滞在した人々や日本で介護福祉士,看護師として働くことを目指して日本語を学ぶ人々など,フィリピン国の多くの人々とお会いになり,友好を深められました。さらに,現地で活躍する青年海外協力隊員やフィリピン在住日系人とご懇談になったほか,アジア最大規模の国際農業試験研究機関である国際稲研究所(IRRI)をご訪問になりました。

また,フィリピン人戦没者が眠る英雄墓地をお参りになった後,ルソン島カリラヤにある日本人戦没者を悼む「比島戦没者の碑」に参られました。海外にある日本人戦没者慰霊碑のお参りは,戦後60年に当たる平成17年のサイパン島「中部太平洋戦没者の碑」,戦後70年に当たる昨年のパラオ国・ペリリュー島「西太平洋戦没者の碑」に続いて3度目でした。ご訪問前にも御所にフィリピン戦没者の遺族をお招きになりましたが,「比島戦没者の碑」でも集まった多くの遺族とお話しになり,その苦労を慰められました。

東日本大震災の関係では,今年3月,両陛下で5周年追悼式にご臨席になったほか,同月,震災復興状況ご視察のため福島県及び宮城県に行幸啓になりました。福島県では,三春町の葛尾かつらお村役場三春出張所で,葛尾村長や被災者から復興状況や帰村に向けた準備の様子等をお聴きになり,葛尾村を支援する三春町長等をおねぎらいになりました。宮城県では,女川町をご訪問になり,町長から復興状況等をご聴取になるとともに,復興した商店街や水産加工会社をご視察になりました。途中お立ち寄りの石巻市の宮城県水産会館では,震災の犠牲となった漁業関係者の慰霊碑に参られ,その後,県漁業協同組合会長から話をお聴きになりました。また,仙台市では,東北大学で震災と医療に関する展示をご覧になりました。

さらに,9月末に第71回国民体育大会ご臨場のため5日間のご日程でご訪問になった岩手県では,北上市及び盛岡市における国体行事へのご臨席に先立ち,東日本大震災の復興状況を視察されるため,皇后さまと共に片道約110kmの道のりを自動車で移動され,沿岸部の大槌町及び山田町をご訪問になり,両町長から説明をお受けになったほか,復興した大槌町魚市場や復興のシンボルとして建設された山田町ふれあいセンターをご視察になりました。経由地の遠野市,釜石市でも,それぞれの市長,議長から,その後の後方支援や復興の状況をご聴取になりました。

多数の死傷者,避難者が発生した4月の熊本地震では,発生の翌朝,犠牲者に対するお悼みと被災者へのお見舞い,災害対策に従事する関係者へのおねぎらいのお気持ちを侍従長を通じて熊本県知事にお伝えになり,翌5月に皇后さまと被災地を日帰りでご訪問になりました。現地では,自衛隊ヘリコプターにて南阿蘇村と益城町にご移動になり,南阿蘇村長,西原村長,益城町長及び熊本市長から被災状況等を聴取され,避難所で被災者をお見舞いになるとともに,災害対応関係者にお会いになり,おねぎらいになりました。

8月に,台風10号による大雨災害で岩手県及び北海道で多数の死傷者,避難者が発生した折にも,それぞれの知事に対し,侍従長を通じてお見舞いのお気持ちをお伝えになりました。

このほか,地方へのお出ましは,いずれも皇后さまとご一緒に,今年4月,神武天皇二千六百年ご式年に当たり,奈良県の神武天皇陵及び橿原神宮をご参拝になり,その折,奈良県立橿原考古学研究所,橿原神宮宝物館,高松塚古墳,高松塚壁画館をご視察になりました。6月には,第67回全国植樹祭ご臨場のため長野県をご訪問になり,お泊所で平成23年の長野県北部地震による栄村の被災者とご懇談になったほか,唱歌「ふるさと」の作詞家・高野辰之の記念館,信州大学国際科学イノベーションセンター,アファンの森をご視察になりました。9月には,第36回全国豊かな海づくり大会にご臨席のため,山形県酒田市及び鶴岡市をご訪問になり,鶴岡市立加茂水族館,松ヶ岡開墾場をご視察になりました。10月には,第40回国際外科学会世界総会の開会式,レセプションご臨席のため京都府をご訪問になり,その折,賀茂御祖神社,賀茂別雷神社をご参拝,京都国立博物館及び京都府立医科大学をご視察,京都御所の曝凉ばくりょうをご覧になったほか,宮内庁職員による両陛下傘寿奉祝茶会に臨まれました。

平成25年からお始めになった私的ご旅行では,11月,皇后さまと愛知県及び長野県をご訪問になり,愛知県では江戸時代に築造された日本有数の農業用ため池で,世界かんがい施設遺産にも登録されている犬山市の入鹿池を,また,帰路には小牧市のメナード美術館にお立ち寄りになりました。長野県では,戦前,旧満州に最も多くの開拓団員を送り出した長野県の南信州阿智村に建設された「満蒙開拓平和記念館」をお訪ねになり,旧満州からの引揚者3名から話をお聴きになりました。また,47年ぶりのご訪問となった飯田市では,天龍峡をご覧になった後,昭和22年の「飯田大火」の復興過程で,当時の飯田東中学校の生徒たちの提案により,防火帯道路に植えられ,育てられてきた「りんご並木」で飯田東中学校の生徒たちによる収穫作業をご覧になり,お帰りがけには生徒たちによる「りんご並木Forever(フォーエバー)」の合唱をお聴きになりました。

ご静養としては,両陛下で葉山御用邸,御料牧場及び那須御用邸にお出ましになりました。御料牧場では,ご滞在中に農林水産祭天皇杯を受賞した畜産農家のハム工房をご訪問になり,那須御用邸では,例年どおり農家をご訪問になったほか,陛下のお考えからご即位20年の機会に御用邸用地の一部を宮内庁から環境省に移管して整備された「那須平成の森」を散策されました。8月下旬は,皇后さまとご一緒に長野県軽井沢町,群馬県草津町でお過ごしになりました。

私的ご旅行を含む地方へのお出ましは,ご静養のための御用邸,御料牧場等へのお出ましを除き,1府10県21市9町3村でした。

都内の行幸啓としては,国会開会式,全国戦没者追悼式,恒例となっている日本国際賞,日本芸術院賞,日本学士院賞,国際生物学賞の授賞式などの式典にお出ましになったほか,4月に春のお彼岸に合わせて昭和天皇の武蔵野陵,香淳皇后の武蔵野東陵をご参拝になり,帰路,福生市の玉川上水と酒造場をご視察になりました。これにより,両陛下は都内の23区及び多摩地方の全ての市町村を訪問されたことになります。また5月には,学習院中等科ご入学後の昭和21年5月から3年半余をお過ごしになった小金井市をご訪問になり,終戦直後の様子を思い出されながら,東宮御仮寓所の跡地及び周辺を整備した江戸東京たてもの園や小金井公園を散策された後,当時から続く農家をご訪問になりました。かつて小金井におけるご生活の様子を折々に陛下からお伺いになっていらした皇后さまは,昭和49年宮中の月次歌会のお題「麦の穂」に対し,「思ひゑがく小金井の里麦の穂揺れ少年の日の君立ち給ふ」という御み歌をご詠進になっています。

これら都内へのお出ましは41回を数えました。

外国との関係では,この10月にベルギー国国王陛下及び王妃陛下を国賓としてお迎えになり,初日に歓迎行事,ご会見,宮中晩餐に臨まれ,翌日にベルギー国メッヘレン市と姉妹都市である茨城県結城市をご案内,3日目にはベルギー国国王王妃両陛下ご主催の答礼コンサートにお出ましになり,その後,別室にてお別れのご挨拶をなさいました。翌11月末にはシンガポール国大統領閣下及び令夫人を国賓としてお迎えになり,歓迎行事,ご会見に臨まれ,宮中晩餐をお催しになったほか,離京前に改めてお別れのご挨拶のため迎賓館赤坂離宮をご訪問になりました。

国賓以外のご接遇では,ジンバブエ国大統領閣下及び令夫人とのご会見,午餐に臨まれたほか,フィンランド国大統領閣下及び令夫人,東ティモール国大統領閣下及び令夫人,ウクライナ国大統領閣下及び令夫人,パナマ国大統領閣下及び令夫人,クウェート国首相,ガーナ国大統領閣下及び令夫人,サウジアラビア国副皇太子殿下,ブラジル国大統領閣下,カザフスタン国大統領閣下,ドイツ国大統領閣下及びシャート女史とご会見になりました。これまで公式実務訪問賓客としてご来日の元首については,ご会見・午餐を催されてきましたが,本年5月以降はご公務の見直しにより,ご会見のみとなりました。

パレスチナ大統領,ノルウェー国国会議長,アンゴラ国国会議長,ハンガリー国国会議長夫妻,カナダ国首相夫妻,救世軍万国総督夫妻,国際オリンピック委員会会長,国際パラリンピック委員会会長夫妻,ミャンマー国国家最高顧問及びインド国首相をご引見になりました。

さらに,スウェーデン国国王陛下を御所でのご夕餐に,パラオ国大統領閣下,シンガポール国首相夫妻及びヨルダン国国王陛下,タイ国王女チュラポン殿下を御所でのご昼餐に,ブータン国前王妃陛下及び王妹殿下,赤十字国際委員会総裁,レソト国国王陛下及び王妃陛下を御所でのお茶に,第14回G7下院議長会議に出席する各国下院議長等を宮殿での茶会に,それぞれお招きになりました。

また,10月,半世紀以上にわたる長いご親交のあったタイ国プミポン・アドゥンヤデート国王陛下崩御の報に接せられた折には,深くお悲しみになり,直ちにシリキット王妃陛下にご弔意をお伝えになるとともに,侍従長をご弔問使として在京タイ国大使館に差し遣わされました。両陛下にはお気持ちとして3日間の喪に服されました。

在京外交団とは,この1年間に着任後間もない15か国の大使夫妻をお茶に,着任後3年を経過した20か国の大使夫妻を午餐にお招きになり,離任する20か国の大使夫妻をご引見になりました。日本から赴任する50か国の大使夫妻にも出発前にお会いになり,帰国した11か国の大使夫妻をお茶に招いて任地の様子をお聴きになりました。

10月27日,昨年百歳をお迎えになった崇仁親王殿下が薨去されました。両陛下はお悲しみのうちに7日間の喪に服され,ご遺族と悲しみを共にされました。ご生前中の6月には聖路加国際病院に殿下をお見舞いになりましたが,薨去後は4回にわたり三笠宮邸を訪問されたほか,斂葬の儀の後にご拝礼のため豊島岡墓地へ行幸啓になりました。また,ご高齢であられるご服喪中の三笠宮妃殿下を案じられ,11月末に両陛下でお見舞いに三笠宮邸をご訪問になりました。

宮中祭祀については,恒例の祭祀等に19回お出ましになり,天長祭及び歳旦祭はご代拝とされました。また,新嘗祭神嘉殿の儀につきましては昨年同様,夕よいの儀はお出ましの時間を短縮して儀式の半ばより出御され,暁の儀はご健康への影響を考慮して,儀式終了までの間,御所でお慎みになりました。

陛下は今年も例年どおり,皇居内生物学研究所の一画で種籾たねもみのお手まき,お田植えをなさり,お手刈りをなさいました。また,陸稲と粟あわをお子様及びお孫様方とご一緒に種をまかれ,刈り取られました。粟は新嘗祭の折にお手刈りになった水稲と共にその一部をお供えになりました。神嘗祭に際しては,お手植えになった根付きの稲を神宮にお供えになりました。

ご研究に関しては,平成20年に論文を発表された2種類のハゼ類について更に研究をお進めになり,今年2月,前回と同じく秋篠宮殿下を始めとする専門研究者とご一緒に,論文「ハゼ科魚類キヌバリとチャガラの核DNAとミトコンドリアDNAを用いた種分化の解析」をオランダの学術雑誌「GENE」に発表されました。

また,今年8月には,タヌキの食性に関する論文「皇居におけるタヌキの果実採食の長期変動」を国立科学博物館研究報告A類(動物学)に共著でご発表になりました。これは,平成21年1月から平成25年12月までの5年間にわたって,皇居内の同一のタヌキの溜糞場ためふんばで採集した糞ふんに含まれる植物の種子から,タヌキの季節的な果実採食の変動を分析したもので,1か所のタヌキの溜糞場を5年間にわたり継続して調査した研究論文は内外を通じ初めてのものでした。天皇陛下のタヌキに関する論文は,平成20年に「皇居におけるタヌキの食性とその季節変動」を共著で発表されたのに続き2本目となります。

ご健康面では,2月末よりA型インフルエンザによる発熱を伴うお風邪の症状がおありで,2月29日から3月3日までの行事をお取りやめになりました。また,12月にも,発熱を伴うお風邪の症状がおありのため,一部の行事をお取りやめになりました。

12月23日のお誕生日当日は,午前中は御所で侍従職職員から祝賀をお受けになった後,宮殿で皇族方を始め宮内庁職員等による祝賀を5回にわたりお受けになります。また,この間に3回にわたり長和殿ベランダに立たれて国民の参賀にお応えになります。午後からは内閣総理大臣,衆参両院議長,最高裁判所長官の祝賀をお受けになった後,皇族方もお加わりになって,三権の長,閣僚,各界の代表等との祝宴に臨まれます。その後,外交団を招かれての茶会,元側近奉仕者等との茶会,次いでご進講者等との茶会に臨まれます。夕刻には未成年の内親王,親王殿下のご挨拶をお受けになり,夜にはお子様方ご夫妻とお祝御膳を囲まれます。





Press Conference on the occasion of His Majesty's Birthday (2016)


His Majesty's Answers to the Question by the Press on the Occasion of His 83rd Birthday 2016, and the Activities of the Emperor over the Past Year


(Imperial Household Agency Press Club)
Question
This year the Olympic and Paralympic Games took place in Rio de Janeiro. Your Majesty travelled to the Philippines and visited many parts of Japan, including places affected by the Great East Japan Earthquake and the Kumamoto Earthquakes. You also bade farewell to your uncle, the younger brother of Emperor Showa, His Imperial Highness Prince Mikasa, and to His Majesty King Bhumibol Adulyadej of Thailand. In August, Your Majesty delivered a message expressing Your thoughts regarding “Your duties as the symbol of the state.”
Would you tell us Your thoughts and impressions as You look back on the last 12 months?


Answer


Looking back on the past 12 months since my last birthday, the first thing that comes to mind is the visit to the Philippines with the Empress at the end of January on the occasion of the 60th anniversary of the normalization of diplomatic relations between our two countries. We received a most gracious welcome and hospitality from His Excellency President Benigno Aquino III and we were warmly welcomed by the people of the Philippines at all of the places that we visited. It was almost 54 years since we first visited the Philippines as a representative of Emperor Showa, and I recalled that visit with fondness. At that time, we had been told that sentiments towards Japan were still bitter, but when we landed at the airport and walked down the boarding ramp, I recalled we were welcomed with warm smiles by then President Diosdado Pangan Macapagal and the First Lady.

During our stay this time, we had the opportunity to meet the Filipino students and trainees who had been in Japan in recent years. We also observed the young Filipino people taking Japanese language lessons in the hope of one day aiding the people of Japan as nurses and care workers. I was happy to see how our bilateral relations have greatly progressed over the last 54 years.

The friendly relations that our two countries enjoy today have been built over the course of many years and on the sacrifices of numerous Filipino and Japanese people who lost their lives in World War II. During this visit, I was grateful that we had the opportunity to travel to the sites where the war dead of both countries rest and pray for the repose of their souls. It was also a deeply moving experience for us to meet second-generation Japanese-Filipinos who have lived through many hardships in the years since the end of the war.

I pray that the friendly relations between Japan and the Philippines will continue to deepen further.

Five full years have passed since the Great East Japan Earthquake. The Empress and I visited affected areas in Fukushima and Miyagi Prefectures in March and in Iwate Prefecture in September, where we were able to observe the effort and progress made towards reconstruction, as well as the harsh reality of difficult conditions still faced by the people. In the town of Otsuchi in Iwate Prefecture, we stayed at the same lodging where we stayed 19 years ago but learned that the beach right in front of the hotel where we had then walked, admiring the Montauk daisies in bloom, was no longer there, having submerged in the earthquake, and this brought home to me the sheer magnitude and terror of natural forces.

In the past five years since the disaster, everyone has made continuous efforts together toward reconstruction, resulting in much progress. At the same time, however, many people still live under difficult conditions, and I hope those people can return to their normal lives as soon as possible. I feel it is important that the hearts and thoughts of everyone be with the afflicted and that everyone continue to work hand in hand towards that end.

In April, the Kumamoto Earthquakes struck. The tremor on the evening of April 14 caused extensive damage, but the main quake in the early hours of April 16 wreaked even greater damage. This was followed by a long period of aftershocks, and I can only imagine how anxious the people must have felt.

The Empress and I visited the affected areas in May. While it broke my heart to see the extent of the damage, I was also touched to see how the people were helping one another as they strove to overcome adversity together.

Also this year, heavy rains brought on by Typhoon 10 (Typhoon Lionrock) hit Iwate and Hokkaido Prefectures at the end of August, and tragically many people, including those living in a nursing home for the elderly, lost their lives.

At times of disasters like these, along with individuals and various groups, municipalities across Japan, from prefectures to towns and villages, have come to offer their support to afflicted areas in recent years. It makes me glad to see that this is leading to more exchanges between different regions throughout the country.

In August, in consultation with the Cabinet Office, I delivered a message expressing what has been on my mind over the last few years, reflecting on my years as the Emperor and contemplating on my role and my duties as the Emperor in the days to come. I am profoundly grateful that many people have lent an ear to my words and are giving sincere thought to the matter in their respective positions.

The Olympic and Paralympic Games took place in Rio de Janeiro in August and September. Thanks to the time difference, I was able to enjoy seeing Japanese athletes competing on television every morning. I was happy that many people were interested in the Paralympics as much as in the Olympics.

In mid-October, His Majesty King Bhumibol Adulyadej of Thailand passed away. I first met the King in 1963 on his visit to Japan as a state guest. The following year, when the Empress and I visited Thailand as a representative of Emperor Showa, His Majesty, together with Her Majesty Queen Sirikit, welcomed us warmly and escorted us to Chiang Mai and other provincial towns. I fondly recall the many occasions over the years on which we deepened our friendship, such as when the Empress and I attended the 60th anniversary celebrations of his accession to the throne.

In late October, His Imperial Highness Prince Mikasa passed away. I am reminded of how, at this year’s New Year Greeting, he was waving his hand in response to the well-wishers. The Prince was one of the Imperial Family members who had experienced World War II firsthand, and it meant much to me to be able to hear him talk of his experience.

In mid-November, the Empress and I took a private trip to the village of Achi in Nagano Prefecture, where we visited the Manmo Kaitaku Heiwa Kinenkan (peace memorial museum on the settlement of Manchuria and Inner Mongolia). At the museum, we listened to the people who were repatriated from Manchuria, allowing us to deepen our understanding of the harsh experience of those who were involved in settling Manchuria and Inner Mongolia.

During this trip, we also visited the city of Iida, where two-thirds of the central area burned down in the great fire of 1947. In the process of reconstruction, the city was rezoned to prevent fires from spreading, a spacious avenue was created as a firebreak, and we were told that junior high school students at the time planted apple trees as a symbol of recovery along that road. So I learned that in the late 1940s, soon after the end of the war, creating something better than before in post-disaster reconstruction, a concept known today as “build back better,” was already being practiced.

In December, Dr. Yoshinori Osumi was awarded the Nobel Prize for his years of research on autophagy. I hope that Dr. Osumi, who just spent a busy week in wintry Sweden, will now be able to take some rest and then return to the quiet life as a researcher that he desires.

As the end of the year approaches, I look back over the past year and sincerely hope that next year will be a good year for all the people.




The Activities of His Majesty the Emperor over the Past Year


Today His Majesty the Emperor celebrates His 83rd birthday in good health.

In August, His Majesty delivered a video message to the Japanese people conveying His thoughts on His duties as the symbol of the State. With regard to His official duties of state, this year His Majesty attended the accreditation of 97 officials including 10 Ministers of State, 20 Vice Ministers, 48 Ambassadors, and other senior officials, the presentation of Letters of Credentials by 36 newly arrived foreign ambassadors, and the awards and decoration ceremonies for the Order of the Grand Cordon and the Order of Culture. He signed or affixed His official seal to a total of 1,031 documents submitted by the Cabinet. At the Imperial Palace and the Imperial Residence, His Majesty met with a number of people, including the recipients of the Order of Culture and Persons of Cultural Merit, recipients of various orders, medals of honor, and awards, members of the Japan Academy, members of the Japan Art Academy, persons newly recognized for maintaining Japan’s intangible cultural properties and their spouses, representatives of the Japan Overseas Cooperation Volunteers returning from their overseas posts, representatives of the youth Volunteers for Nikkei Communities, Senior Overseas Volunteers, and senior Volunteers for Nikkei Communities, recipients of the Crown Prince Akihito Scholarship, established to commemorate Their Majesties’ wedding, recipients of the MIDORI Academic Prize and recipients of the Prime Minister’s commendations for contribution to the National Greening Campaign. His Majesty expressed His appreciation to those individuals and groups, and offered them congratulations on a total of 75 occasions.

His Majesty also heard eight lectures from administrative vice-ministers of government ministries and agencies and the Director-General of the Foreign Policy Bureau of the Ministry of Foreign Affairs. He received explanatory briefings on 44 occasions regarding His official visits and attendances at various events. He also met with a total of 7,921 members of the Palace voluntary workforce on 51 occasions. Their Majesties canceled the Imperial Garden Party and Their meeting with the offerers of first-crop rice for the Niinamesai ritual as They were in mourning following the demise of His Imperial Highness Prince Mikasa.

In May of this year, a review of Their Majesties’ official duties was conducted. Of the events held at the Imperial Palace and the Imperial Residence, it was decided to discontinue, starting this fiscal year, Their regular audiences with heads of national and regional administrative organs and others visiting Tokyo from across the country for national conferences, such as the heads and other officials of prefectural police headquarters, the superintendent public prosecutors, chief public prosecutors and others participating in the National Chief Public Prosecutors Meeting, the chiefs of district courts and family courts, the Joint Chiefs of Staff and others attending the Self-Defense Forces Executive Staff Meeting, and the city council chairpersons and others attending the General Meeting of the National Association of Chairpersons of City Councils. Discussions and luncheons with the Minister of Internal Affairs and Communications and prefectural governors were also discontinued, as Their Majesties meet with many governors during Their visits around the country. Their Majesties have passed on to His Imperial Highness the Crown Prince the biennial audience with junior high school principals attending the General Assembly of the National Association of Junior High School Principals and elementary school principals attending the Meeting of the Board of Directors of the Association of Elementary School Principals, and the audience with the members of the Japan Disaster Relief Team and the International Peace Cooperation Corps, which have been held on an irregular basis.

In January of this year, on the occasion of the 60th anniversary of the normalization of diplomatic relations between the Republic of the Philippines and Japan, Their Majesties made a state visit to the country for international goodwill at the invitation of His Excellency President Benigno S. Aquino III. This was Their first visit to the Philippines in 54 years since They visited the country as the representative of Emperor Showa in 1962. As State Guests, Their Majesties attended the welcoming ceremony, met with the President, and attended the state banquet held in Their honour. They visited the monument of Dr. José Rizal, a national hero of the Philippines, and deepened Their friendly relations with many Filipino people including those who had studied or trained in Japan, and those studying Japanese now with a view to eventually working in Japan as care workers or nurses. They also met members of the Japan Overseas Cooperation Volunteers and Japanese expatriates residing in the Philippines and visited the International Rice Research Institute (IRRI), the largest agricultural experiment and research institution in Asia.

After paying Their respects at the Heroes’ Cemetery entombing the Filipino war dead, Their Majesties paid Their respects at the monument at Caliraya, on the island of Luzon, dedicated to the souls of the Japanese war dead who perished in the Philippines. This was Their third visit to pay Their respects at monuments to the Japanese war dead erected overseas, following the Monument of the War Dead in the Mid-Pacific on the island of Saipan, which They visited in 2005, the 60th year since the end of World War II, and the Monument of the War Dead in the Western Pacific on the island of Peleliu of the Republic of Palau, which They visited last year, the 70th anniversary of the end of the war. Prior to Their visit to the Philippines, They invited to the Imperial Palace families of Japanese soldiers who lost their lives in the Philippines during the war. At the monument in Luzon as well, They spoke with many of the bereaved families who had gathered there and offered Their words of sympathy and comfort for the hardships they had suffered.

With regard to the Great East Japan Earthquake of March 2011, His Majesty, together with Her Majesty the Empress, attended in Tokyo the Memorial Service to Commemorate the Fifth Anniversary of the Great East Japan Earthquake in March. Also in March, They traveled to Fukushima and Miyagi Prefectures to observe the status of the recovery efforts. In Fukushima Prefecture They visited the Miharu branch office of Katsurao village, established in Miharu town, where They heard about the status of recovery efforts and preparations to return to the village from the mayor and residents of Katsurao village. Their Majesties offered Their appreciation to the mayor of Miharu village and others for supporting the people of Katsurao village. In Miyagi Prefecture They visited Onagawa town, where They were briefed by the mayor about the status of recovery efforts and visited a shopping complex and a seafood processing plant, both of which were reconstructed after the massive earthquake and tsunami. During the visit, They stopped by the Fisheries Centre of Ishinomaki city, where They paid Their respects at a cenotaph erected to commemorate the members of the fishing industry who lost their lives in the disaster, after which They conversed with the head of JF Miyagi Prefectural Fisheries Cooperative. In Sendai city, They visited Tohoku University and viewed an exhibition on disaster and medical care.

At the end of September, Their Majesties visited Iwate Prefecture for five days for the 71st National Sports Festival. Prior to attending the festival events in the cities of Kitakami and Morioka, They traveled about 110 kilometers each way by car to visit the coastal towns of Otsuchi and Yamada to observe the status of recovery efforts from the Great East Japan Earthquake. After receiving briefings from the mayors of both towns, They visited the reconstructed Otsuchi Fish Market and the Yamada Fure-ai Centre, built as a symbol of the town’s recovery. Along the way to these towns, in the cities of Tono and Kamaishi, They received briefings from the mayors and chairpersons of the town councils on the status of backup support and recovery efforts since Their last visit.

Following the Kumamoto earthquakes in April, which resulted in many casualties and forced numerous people to evacuate their homes, the morning after the disaster, Their Majesties conveyed to the governor of Kumamoto Prefecture, through the Grand Chamberlain, Their condolences to those who lost their lives, sympathies for those affected, and appreciation for those engaged in disaster control. The following month in May, They took a day trip to the affected areas. On Their arrival in Kumamoto, Their Majesties took a Self-Defense Forces helicopter to Minami-aso town and Mashiki town, where They visited evacuation centres to offer comfort to those staying there. They also met with those engaged in disaster response and expressed Their appreciation for their hard work.

In August, Typhoon 10 (Typhoon Lionrock) hit Iwate and Hokkaido Prefectures, where heavy rains caused flooding and resulted in many casualties, and many people were forced to evacuate. Their Majesties conveyed Their condolences and sympathies to the governors of those prefectures through the Grand Chamberlain.

In April of this year, on the occasion of the ceremonies to honour the 2,600th anniversary of the demise of Emperor Jinmu, Their Majesties paid Their respects at the Imperial Mausoleum of Emperor Jinmu and Kashihara Shrine in Nara Prefecture. While there, They also visited the Archaeological Institute of Kashihara, the Treasure Repository of Kashihara Shrine, Takamatsuzuka Tomb, and Takamatsuzuka Mural Hall. In June, They traveled to Nagano Prefecture to attend the 67th National Arbor Day Festival. During Their stay, They invited to Their lodging some residents of Saka-e village who were afflicted by the 2011 northern Nagano Prefecture earthquake and conversed with them. They also visited the Takano Tatsuyuki Memorial Hall dedicated to the lyricist of the well-known song “Furusato,” or hometown, the International Centre for Science and Innovation at Shinshu University, and Afan Woodland. In September, They visited the cities of Sakata and Tsuruoka in Yamagata Prefecture to attend the 36th National Convention for the Development of an Abundantly Productive Sea. Their itinerary also included Tsuruoka Municipal Kamo Aquarium and Matsugaoka Kaikonjo (reclamation field), both in Tsuruoka city. In October, Their Majesties traveled to Kyoto Prefecture to attend the opening ceremony and reception of the 40th World Congress of the International College of Surgeons. While there, They paid Their respects at Shimogamo Shrine and Kamigamo Shrine, visited Kyoto National Museum and the Kyoto Prefectural University of Medicine, viewed the airing of treasures at Kyoto Imperial Palace, and attended a tea held by the Imperial Household Agency staff to celebrate Their Majesties’ sanju (80th birthdays).

With regard to the private trips which Their Majesties started taking in 2013, Their Majesties visited Aichi and Nagano Prefectures in November. In the city of Inuyama, Aichi Prefecture, They visited Lake Iruka, one of the largest agricultural reservoirs in Japan. It was constructed during the Edo period and is included in the World List of Heritage Irrigation Structures of the International Commission on Irrigation and Drainage. On Their way back to Tokyo, They visited the Menard Museum of Art in Komaki City. In Nagano prefecture, Their Majesties visited Manmo Kaitaku Heiwa Kinenkan (peace memorial museum on the settlement of Manchuria and Inner Mongolia), built in the village of Achi in southern Nagano, where They conversed with three of the returnees from Manchuria. In the years prior to World War II, the village sent off more settlers to Manchuria than anywhere else. In the city of Iida, Nagano Prefecture, which They visited for the first time in 47 years, Their Majesties viewed Tenryu Gorge, followed by a visit to a firebreak road lined with apple trees, which were planted at the proposal of students of Iida Higashi Junior High School as the city recovered from the “Great Iida Fire” of 1947. There They observed the current students harvesting apples. When They were leaving, the students sang for Them the song “Ringo Namiki Forever,” or “apple-tree-lined road forever.”

For rest and recuperation, Their Majesties visited the Hayama Imperial Villa, the Imperial Stock Farm, and the Nasu Imperial Villa. While staying at the Imperial Stock Farm, They visited the ham factory of a livestock farm that won the Emperor’s Prize in the Agriculture, Forestry, and Fisheries Festival. During Their stay at the Nasu Imperial Villa, Their Majesties visited local farms, as They have in other years. They also took a stroll in the Nasu Heisei-no-Mori forest, which was created by transferring part of the Imperial Villa grounds from the Imperial Household Agency to the purview of the Ministry of the Environment on the occasion of the 20th anniversary of the Enthronement in accordance with His Majesty’s wishes, and conversed with the visitors who were there at the time. Their Majesties spent late August in the towns of Karuizawa, Nagano Prefecture, and Kusatsu, Gunma Prefecture.

During the past year, Their Majesties made regional visits, both official and private, to twenty-one cities, nine towns, and three villages in eleven prefectures in all, excluding Their visits to the Imperial Villas, the Imperial Stock Farm, and other locations for rest and recuperation.

As part of His official duties, His Majesty made visits in and around Tokyo on 41 occasions, including the opening of the National Diet and the Memorial Ceremony for the War Dead and His customary attendance at the award ceremonies for the Japan Prize, the Japan Art Academy Award, the Japan Academy Prize, and the International Prize for Biology. In April, Their Majesties paid Their respects at the mausoleums of Emperor Showa and Empress Kojun for the spring higan (week centred around the spring equinox when people pay their respects to their ancestors), and on that occasion They visited the Tamagawa Aqueduct and a sake brewery in Fussa city. With this visit, Their Majesties have now visited all the municipalities in western Tokyo, as well as all 23 special wards of Tokyo. In May Their Majesties visited the city of Koganei in Tokyo, where His Majesty lived for three and a half years from May 1946 soon after enrolling in Gakushuin Boys’ Junior High School. Their Majesties reminisced about the period immediately following the end of the war as They strolled through the Edo-Tokyo Open Air Architectural Museum and Koganei Park, which were established on the site of the Crown Prince’s temporary residence and its surroundings. They then stopped by a farm which has been there since that time. Her Majesty the Empress, having heard stories of His Majesty’s life in Koganei from time to time, presented a waka poem in 1974 to the Palace tsukinami no utakai, or monthly waka presentation, under the given title, “Ears of Wheat”:

     Omoi egaku          In my mind’s eye

     Koganei no sato        I see ears of wheat swaying

     Mugi no ho yure       And You, a young boy

     Shonen no hi no       Standing there in its midst

     Kimi tachitamou.       In Koganei village.

With regard to Japan’s relations with other countries, Their Majesties welcomed as state guests to Japan Their Majesties King Philippe and Queen Mathilde of the Belgians in October this year. On the first day, Their Majesties attended the welcoming ceremony, had a meeting, and held a banquet at the Palace for the guests. On the next day, They escorted Their guests to the city of Yuki in Ibaraki Prefecture, which is a sister city of the city of Mechelen in Belgium, and on the third day, They attended a reciprocal concert hosted by Their royal guests, after which They bid farewell to them in a separate room, privately. At the end of November, Their Majesties welcomed as state guests to Japan His Excellency President Tony Tan Keng Yam and Her Excellency Mrs. Mary Tan of Singapore. Their Majesties attended the welcoming ceremony, had a meeting, and held a banquet at the Palace for the guests and, before the guests’ departure from Tokyo, They visited the State Guest House, Akasaka Detached Palace, to bid them farewell.

As for guests other than state guests, Their Majesties met and held a luncheon for His Excellency President Robert Gabriel Mugabe and the First Lady of Zimbabwe. They also met His Excellency President Sauli Niinistö and the First Lady of Finland, His Excellency President Taur Matan Ruak and the First Lady of Timor-Leste, His Excellency President Petro Poroshenko and the First Lady of Ukraine, His Excellency President Juan Carlos Varela Rodriguez and the First Lady of Panama, His Highness Sheikh Jaber Al-Mubarak Al-Hamad AL-Sabah, Prime Minister of Kuwait, His Excellency President John Dramani Mahama and the First Lady of Ghana, His Royal Highness Deputy Crown Prince Mohammed bin Salman bin Abdulaziz of Saudi Arabia, His Excellency President Michel Miguel Elias Temer Lulia of Brazil, His Excellency President Nursultan Abishevich Nazarbayev of Kazakhstan, and His Excellency President Joachim Gauck of Germany and Ms. Daniela Schadt. Their Majesties have hitherto received foreign heads of state on official working visits by holding meetings and hosting luncheons for them, but since May, following adjustments to Their official duties, They have only held meetings.

Their Majesties received in audience President Mahmoud Abbas of Palestine, the President of the Storting (Parliament) of Norway Mr. Olemic Thommessen, the National Assembly Speaker of Angola Mr. Fernando da Piedade Dias dos Santos, the Speaker of the National Assembly of Hungary Mr. László Kövér and Ms. Mária Bekk, the Right Honourable Prime Minister of Canada Mr. Justin Trudeau and Mrs. Sophie Grégoire-Trudeau, the General of the Salvation Army Mr. André Cox and Mrs. Silvia Cox, the President of the International Olympic Committee Mr. Thomas Bach, the President of the International Paralympic Committee Sir Philip Craven, State Counsellor of Myanmar Ms. Aung San Suu Kyi, and His Excellency Prime Minister of India Mr. Narendra Modi.

At the Imperial Residence, Their Majesties hosted a dinner for His Majesty King Carl XVI Gustaf of Sweden and luncheons for His Excellency President Tommy E. Remengesau Jr. of Palau, for Prime Minister Lee Hsien Loong and Ms. Ho Ching of Singapore, and for Her Royal Highness Princess Chulabhorn Walailak of Thailand. They held teas at the Imperial Residence for Her Majesty Queen Mother Tshering Yangdon Wangchuck and Her Royal Highness Princess Dechen Yangzom Wangchuck of Bhutan, for the President of the International Committee of the Red Cross Dr. Peter Maurer, and Their Majesties King Letsie III and Queen Masenate Mohato Seeiso of Lesotho. His Majesty also held a tea at the Imperial Palace for speakers of the lower houses of the G7 countries who were visiting Japan to attend the 14th G7 Speakers’ Meeting.

In October, upon learning of the demise of His Majesty King Bhumibol Adulyadej of Thailand, with whom They enjoyed a long and close relationship spanning more than half a century, Their Majesties were deeply saddened and immediately conveyed Their condolences to Her Majesty Queen Sirikit and sent the Chief Chamberlain to the Royal Thai Embassy in Tokyo as Their envoy of condolence. Their Majesties went into mourning for three days as a token of Their sentiments.

As for ties with the diplomatic corps in Tokyo, during the past year Their Majesties invited to tea newly appointed foreign ambassadors representing 15 countries after the presentation of the Letters of Credentials, along with their spouses; held luncheons for ambassadors representing 20 countries who had been in Japan for more than three years, together with their spouses; and gave farewell audiences to ambassadors from 20 countries and their spouses upon completion of their assignments in Japan. His Majesty, together with Her Majesty, also met with newly appointed Japanese ambassadors and their spouses departing for overseas posts in 50 countries and invited to tea Japanese ambassadors and their spouses returning to Japan from 11 countries, and listened to the accounts of their places of assignment.

His Imperial Highness Prince Mikasa, who celebrated his 100th birthday last year, passed away on October 27. In deep sorrow, Their Majesties went into mourning for seven days, sharing in the grief of the bereaved family. Their Majesties visited His Imperial Highness in June at St. Luke’s International Hospital where he was receiving treatment, and in the period immediately following his passing, They visited his home four times and, after the funeral rites, They paid an official visit to Toshimagaoka Cemetery. Concerned about the aging Imperial Highness Princess Mikasa, who is in mourning, Their Majesties visited her at her residence at the end of November.

As for the ritual ceremonies of the Imperial Palace, His Majesty attended 19 annual ceremonies, while two ceremonies, Tenchosai and Saitansai, were handled by court officials standing in His place. In this year’s Niinamesai Shinkaden-no-gi ceremony, His Majesty took part in the Evening Ritual for a shorter length of time, attending the ceremony halfway through the ritual, as He did last year. For the Morning Ritual, in consideration of His Majesty’s health, His Majesty remained in the Imperial Residence for the duration of the ceremony.

As He does every year, His Majesty himself hand-sowed seed rice, transplanted it, and hand-reaped the grain in the paddy field of the Biological Laboratory on the Imperial Palace grounds. Together with His children and grandchildren, He also sowed upland rice and millet and later harvested the grain. Some of the millet was added to the hand-reaped crop of rice used as an offering in the Niinamesai ritual. His Majesty also made an offering of rice plants with roots still attached, which He had planted, to the Ise Shrine on the occasion of the Kannamesai ritual there.

As for His research, His Majesty has further advanced His study of two gobioid species which was the subject of a paper that He co-authored in 2008. In February of this year, His Majesty published in Gene , the Dutch scientific journal, another paper titled “Speciation of two gobioid species, Pterogobius elapoides and Pterogobius zonoleucus revealed by multi-locus nuclear and mitochondrial DNA analyses,” which, as with the previous paper, He jointly wrote with a number of scholars including His Imperial Highness Prince Akishino.

His Majesty also co-authored a paper on the food habits of Japanese raccoon dogs under the title “Long-term trends in food habits of the raccoon dog, Nyctereutes viverrinus, in the Imperial Palace, Tokyo,” in August in the Bulletin of the National Museum of Nature and Science, Series A (Zoology). This paper reported on the results of a study conducted over a five-year period from January 2009 to December 2013, in which the feces of raccoon dogs living in the Imperial Palace grounds were collected at a single latrine and used to analyze the seasonal variations in the food habits of raccoon dogs based on plant seeds found in the feces. It was the first academic paper both in Japan and worldwide to examine the same raccoon dog latrine over a five-year period. It was the second paper on raccoon dogs by His Majesty, the first being “Food habits of the raccoon dog, Nyctereutes viverrinus, in the Imperial Palace, Tokyo, and seasonal changes,” which He co-authored in 2008.

With regard to His Majesty’s health, He showed cold symptoms accompanied by a fever, caused by the influenza A virus, at the end of February, and His attendance at events were canceled from February 29 to March 3. He also showed cold symptoms accompanied by a fever in December, and His attendance at some events were canceled.

On December 23, His Majesty’s birthday, He will receive felicitations from members of the staff of the Board of Chamberlains in the morning. Following this, His Majesty will attend five separate events at the Imperial Palace to receive felicitations from the members of the Imperial Family, the staff of the Imperial Household Agency, and others. During the day, His Majesty will appear on the balcony of the Chowa-den three times to receive congratulations from the public. In the afternoon, He will receive felicitations from the Prime Minister, the Speaker of the House of Representatives, the President of the House of Councillors, and the Chief Justice of the Supreme Court. After this He will be joined by other members of the Imperial Family at a celebratory luncheon attended by the heads of the three powers, member of the Cabinet, and representatives of various fields. This will be followed by tea with members of the diplomatic corps, tea with former senior officials of the Imperial Household Agency, and tea with lecturers and other guests. In the evening, He will receive birthday greetings from the young Prince and Princess. Later, His Majesty will sit down to a celebratory birthday dinner with Her Majesty, the children, and their spouses.
 




                 
        

ムッちゃん  ローマ人への手紙8章20節

2016/ 12/ 22
                 
 じゅん子さん 如何お過ごしですか。
 
 あなたのおじい様が今年永眠されたことを、あなたの伯父様からの便りで知りました。

 じゅん子さん、今はどちらにお住まいですか。
 じゅん子さん 今は何をされていますか。
 
年の瀬となりました。
 ムッちゃんが生まれてこのかた、いつのまにか30年が過ぎています。
 ムッちゃんがあなたとの初対面の時のあの喜びよう。いまだもって忘れることができません。
 じゅん子さんは、どんな動物をも慈しんでいましたね。私たちもあなたとの出会いはたったのひとときだけでしたけれども、そのときのじゅん子さんの動物たちとのめぐり合わせの語り草、仕草は、今も鮮明に思い出すことができます。怪我をしている野生のエゾモモンガ―を見つけたときは、遠くの旭川の動物病院まで車を駆って、その命を助けることができたことなど、あなたの動物たちへの想いが私たち二人にオブラートに優しく包んだように伝わってきました。

 じゅん子さん
 お元気のことと思います。
 いつの日か、あなたとまたどこかでお会いできるかも知れませんね。
 再会を楽しみにしている私たちです。


 そうそう、今もあのときのことで忘れられない思いが鮮明に残っているのです。
 我が家にじゅん子さんが近づいてきたのをみかけるやいなや、ムッちゃんが駐車場の門扉を飛び越しそうな勢いでピョンピョンと飛び跳ね、その喜び様を仕草であらわすのです。
 そして扉を開けた途端に、ムッちゃんはからだ全体であなたにとびつきました。
 じゅん子さんはそんなムッちゃんを昔から知っているかのように抱きかかえました。

 そう、そのときが初対面だったのです。
 そのあと幾許かの時が過ぎて、フッとわたしの心に嫉妬に似た気持ちがじわじわと湧き起ってくるのを禁じ得なかったのです。
何しろ、二人は初対面なのにもかかわらず、そのMUCCHANの欣喜雀躍する様を間近にみているのです。ムッちゃんは私よりもずっとじゅん子さんが好きなのかと思ったからにほかなりません。

  
  ムッちゃんが大好きだったじゅん子さん。
  お元気のことと思います。
 

  ムッちゃんが永遠の旅に出てから16年半の年月が経っています。

在りし日のきみ mucchan
 在りし日のきみ




 ロマ書8章20節

 造(つく)られたるものの虚無(むなしき)に服(ふく)せしは己(おの)が願(ねがひ)によるにあらず、服(ふく)せしめ給(たま)ひし者(もの)によるなり。
 
 
 ・創3・17~19、
 ・詩39・5,6.・伝1・2、
 ・創3・17、5・29、



                 
        

わたしのスパークリングワイン モマンドール ブリュット サントリーとフレシネとの共同開発 & 佐藤陽子

2016/ 12/ 19
                 
 わたしのこのところ十年ほどのワイン歴ですが、赤も白もロゼもときにはのどを潤しますが、傾向としてはスパークリングワインに目が向いています。
 シャンパンも何度か口にはこぶ機会も頂きました。フランス産、イタリア産、スペイン産、チリ産、アメリカ産、日本産など、それぞれ醸造場所、メーカー、品種によって味が当然の如くに違いがあります。
 当たり前のことではありますが、百人が百人の好みがあります。
 例えば、チリ産ですが、あちこちで名の通った人のおすすめワインという触れ込みで、一頃随分と人気になり売れ筋も絶好調のようでしたので、そのリーズナブルな値段にも目が向き、私もその気になって幾つかの品種の味比べをしてみました。
 やはり人それぞれ好みは違うんだなと、飲んだ時の感想となりました。

と言う前置きとなりましたが、気に入ったスパークリングを見つけましたので、お届けします。
スペイン在住の日本人女性醸造家の佐藤陽子さんが開発に携わったのが、「モマンドール ブリュット」です。サントリーとフレシネの共同開発スパークリングワインとして、2015年8月25日(火)に世に出ました。サントリーワインインターナショナル(株)から、2015年7月14日、プレスリリースされました。
マカベオ、チャレロ、パレリャーダのブドウを使っています。

モマンドール ブリュット サントリー共同開発スパークリングワイン


 佐藤陽子氏は、ワインソムリエとして、現在、フレシネグループのワインメーカーとして活躍しておられます。
 東京生まれで、メキシコ育ち。日本の大学を卒業後、スペイン・ペネデスでワイン醸造学を学びました。
 佐藤氏が開発醸造した「アシュツリーエステート」〈※〉が2012年に日本で発売されて以来、彼女の名前が知る人ぞ知るようにワイン通の間に浸透していきました。

(注記:〈※〉“アシュツリー”とは、フレシネ社の社名の由来である「ラ フレシネーダ」(トネリコの木)の意味で、ラベルデザインにもなっています。
 個性豊かな“スペイン原産品種”と、シャルドネ、メルロなど“欧州高級品種”をブレンドし、クリア&スムースのやさしい味わい「フェミニン・テイスト」です。)


 それでは、佐藤陽子氏が開発に携わったスパークリング 「モマンドール ブリュット」とは、どんなワインなのでしようか。サントリーからのメッセージを紐解いてみましょう。(まるで「宣伝」のようになってしまいましたが、やはり文章が練れていますので、転記することにしました、)

 《サントリーと、世界№1スパークリングワインメーカーのフレシネ社が、年間を通して日本の食卓で愉しめるスパークリングを開発しました。

 スペイン在住の日本人女性醸造家が季節の旬を愉しむ日本の食卓を意識して設計。

 「ごちそう辛口」スパークリングを実現しました。

 モマンドール(MOMENT D'OR)とは、、カタルーニャ語(スペイン、カタルーニャ州)で、“金のひととき“ を意味します。

 レモンを思わせるすっきりした辛口の味わい、金色をベースにロイヤルブルーのリボンをデザインしたラベルは、いつもの食卓を華やかな“金のひととき“ に演出します。》

補足注記:(※) 「MOMENT D'OR」は、カタルーニャ語でも、フランス語でも同じスペルです。


モマンドール ブリュット サントリー共同開発スパークリングワイン ラベル


 このキャッチコピーを見て思ったことがあります。
 先ず、”辛口 ”という言葉が目に飛び込んできました。それも二度も辛口という文字が書いてあります。
 日本人のワイン志向でみると、「辛口」というメッセージは、知らずのうちにその商品から遠ざけてしまうのではないかなとフッと思いました。
 私が飲んだかぎり(2回)においては、この辛口という表現は適切ではないと感じました。
 昨夜は、スモークチキンをメインにした食卓でしたが、むしろ“ご馳走すっきりスパークリングワイン”としたキャッチコピーの方が、食が進んでいくのでは・・・というイメージが湧き起ってきました。
 




 ♪補筆です。
 日本人で世界のあちこちで活躍しているワイン醸造家は、たくさんいらっしゃいます。そのうちの何人かの現役の方を、ほんのちょっとご紹介致します。

 ◇大岡弘武氏
  ~フランス・ローヌ地方 ル・カノン グランド・コリーヌ~ 
  ・「カノン」とは、フランス俗語の「一杯」という意味
  ・ボルドー大学醸造学科を卒業後、ギガルなど著名な生産家で働いた後に、独立。
 ・出身は、東京駒沢。

 ◇篠原麗雄氏
  ~フランス・ボルドー地方 クロ・レオ~ 
  ・年間僅かに900本の生産という、まさに幻のレア・ワイン。
  ・ボルドー最高峰ヴァランドローのテュヌヴァン氏とオーゾンヌのヴォーティエ氏に直接ワイン造りを学び、サンテミリオンと地続きのカスティヨンで新しくシャトーを興す。
 ・マボロシ ピノ・ノワール キュヴェ・エイミー ロシアン・リヴァー・ヴァレー赤

 ◇私市友宏(きさいち ともひろ)氏
  ~カリフォルニアでレベッカ夫人と共に造り出す、『幻』のワイン!~
 ・実家が酒類販売をする私市氏は、ワイン造りに思いを寄せて、1991年、ブルゴーニュ、ジブレシャンベルタンの名門、アルマン・ルソーの下でワイン造りを学んだ後に渡米。カリフォルニアのワイナリーで働くかたわら、遂に1999年から自らのブランドとして、まず『マボロシ メルロー』を発売。
 ・しかしブルゴーニュのピノ・ノワールに対する憧れは強く、彼の夢はピノ・ノワールの自分自身の畑を持ち、育てること。その夢は、2004年4月にソノマのセバストポールに念願のピノ・ノワールの畑を12エーカー購入することにより実現。
 ・ワイナリー創設10周年を記念して愛娘エイミーの名前でリリースした特別キュヴェは、 果実の凝縮度が高く、アルコール度も約14%とピノ・ノワールとしては高く、味わいにもストラクチャがしっかりと感じられ一品。上品さも常に伴われていて余韻が心地よく感じられるワイン。

◇中井章恵(ナカイ・アキヨシ)氏
 ~カリフォルニア  ナカイ・ヴィンヤード~
 ・アメリカ在住40年にして、第二の人生として、25年前からソノマでブドウ栽培を開始。最近になり、ワイン醸造も始めた、老練の生産家。
 ・ ナカイ・ヴィンヤード シャルドネ ロシアン・リヴァー・ヴァレー白:
  冷涼なソノマのロシアンリヴァー・ヴァレーで自家農園生産される、大変にフレッシュで爽やかなシャルドネ。  
  ・ナカイでは、過熟をさせずに、青リンゴのような素直な果実香と柔らかな樽香を感じさせる素直な心地よいシャルドネとなる。
  ・中井氏は、1980年にソノマのロシアン・リヴァーに20エーカー(約8ヘクタール)の土地を購入。
  ・ほど良い柔らかさと重すぎない飲み心地、爽やかな果実香がバランス良く感じられのが、特徴のワイン。


                 
        

関東の石舞台 八幡山古墳石室 埼玉県行田市 

2016/ 12/ 16
                 
 皆さんは、奈良県明日香村の「石舞台古墳」を良くご存知のことと思います。そして目の当たりに見た方も何人もいらっしゃることと思います。
 今回は、その「奈良の石舞台」〈※〉に匹敵する、「関東の石舞台」〈※〉をお披露目することに致します。

注記:「奈良の石舞台」=「奈良県明日香村の石舞台古墳=「前者」。
   「関東の石舞台」=「埼玉県行田市の八幡山古墳石室」=「後者」。


 その1.「築造」
      前者は7世紀初め頃と推定。
      後者は7世紀中頃と推定。
 その2.「古墳の規模」
      前者は、元々は1辺約55メートルの方墳だったとされている。
      後者は直径約80mの円墳と推定。
 その3.「石室の大きさ」
      前者は、高さおよそ2間(約3.6m)、周囲およそ10間(約18m)。 
      後者は、前・中・後室の3室からなる全長16.7m。
 その4.「被葬者」
      前者の被葬者は明らかではありませんが、7世紀初頭の権力者で、大化の改新で滅ぼされた蘇我入鹿の祖父でもある蘇我馬子の墓ではないかといわれている。
     後者の被葬者は、「聖徳太子伝暦(しょうとくたいしでんりゃく)」に登場する武蔵国造物部連兄磨(むさしのくにのみやつこもののべのむらじあにまろ)の墓と推測する説もあります。

 いろいろと両者の異なるところを並べてみましたが・・・
 身近なところにも、ちょっと足をのばせば新たな発見がある、そんな思いを今回はメッセージさせて頂きました。



『関東の石舞台 八幡山古墳石室』 (行田市教育委員会)

 《発掘調査では最高級の棺である漆塗木棺(うるしぬりもっかん)の破片や銅鋺(どうわん)など豪華な遺物が発見されており、この古墳に葬られた人物がかなりの権力者であったと考えられることから、「聖徳太子伝暦(しょうとくたいしでんりゃく)」に登場する武蔵国造物部連兄磨(むさしのくにのみやつこもののべのむらじあにまろ)の墓と推測する説もあります。奈良県明日香村の石舞台古墳(いしぶたいこふん)に匹敵する巨大な石室であることから、「関東の石舞台」とも呼ばれています。
 ・読み はちまんやまこふんせきしつ
 ・区分 県指定記念物
 ・種別 史跡
 ・所在地 行田市藤原町1-27-2
 ・時代 古墳
 ・形状 石室全長16.7m
 ・公開/非公開 公開( 石室内の公開は土曜日・日曜日・祝日〔年末年始を除く〕)
 ・指定年月日 昭和19年3月31日  》



「八幡山古墳石室」(2016年12月1日)

②全景 20161201八幡山古墳石室

①入口 20161201 八幡山古墳石室

③ 八幡山古墳石室 20161201 側面

④ 八幡山古墳石室 20161201 側面

⑥ 八幡山古墳石室 20161201 下から上を見る

⑤ 八幡山古墳石室 20161201  上から下を見る




                 
        

カワセミ 野良猫 水鳥 銀杏の落ち葉 アオサギ 

2016/ 12/ 15
                 
 12月14日は、カワセミを見ることができました。
 八丁湖での出来事でした。
 目の前の枝にとまったのは瑠璃色の羽をした野鳥です。
 アレッと思った途端にすぐ飛びたって行ってしまいました。
 カワセミでした。

 その八丁湖の周りで、猫をたくさん見かけました。
 人を見ても逃げようとしませんが、どうみてもノラです。
 あちこちで日向ぼっこをしていました。
 クロネコが多く、見目形を見ても家族のように思えました。

①20161214 八丁湖 ノラネコ

②20161214 八丁湖 ノラネコ

 湖面には、カモなどのいろいろな種類の水鳥が羽を休めていました。

③水鳥 八丁湖 20161214

⑤倒木 八丁湖 20161214

④水鳥 八丁湖 20161214



 12月も半ばになっていますが、まだ銀杏の葉っぱを見ることができた場所もあります。

⑥ 銀杏 20161214

⑦ 銀杏 20161214



 さすがに吉見総合運動公園の木々は葉っぱを落としていました。

⑧ 吉見総合運動公園 20161214



 帰りも公園の横の道を通りましたが、アオサギが一羽舞い降りているのをみることができました。
 今手元にあるのはポケットデジカメだけです。望遠力も解像度もほどほどが判っていますので、遠くから眺めるだけにしました。

⑩ アオサギ 20141204 吉見総合運動公園
アオサギ(吉見総合運動公園.2014年12月4日〈木〉)





                 
        

ジョウビタキ一羽 庭の歳時記 メジロのつがい すずめたち

2016/ 12/ 14
                 
 今朝も、尉鶲(ジョウビタキ)〈オス〉が一羽、キウイフルーツの枝にとまっているのをみかけました。
 フンをしたと思った途端、飛びたっていきました。

 今朝も、メジロが二羽、(樹勢が衰えて実がつかなくなっている)キウイフルーツの枝のあちこちを移動しています。

 スズメたちも、キウイフルーツの枝えだをとびまわっていましたが、いつのまにか庭に野鳥たちの姿は消えていました。

 近くの家の庭からでしょうか、シジュウカラの鳴き声が聞こえてきました。


 色鳥の声なきままに枝移る  隠岐久美子



⑤ ジョウビタキ オス 20150203
 ジョウビタキ・オス(2015年2月3日・節分) 〈ガラス戸越し〉

③ジョウビタキ メス 小寒 20160106
 ジョウビタキ・メス(2016年1月6日・小寒)



                 
        

さくらねこ 不妊手術 

2016/ 12/ 13
                 
 <猫ブーム>不妊手術は本当にかわいそうなのか

毎日新聞 12/3(土) 9:30配信

 捨て猫は大量に繁殖して、悲惨な死に方をします。この不幸の連鎖を止めるには不妊手術しかないのが実情ですが、「かわいそうだ」と二の足を踏む人も多いのです。だが、そういう人ほど、不妊手術がどんなものなのか、知らないのではないでしょうか。猫の保護活動を続けるジャーナリストが不妊手術の現場を報告します。

【動物愛護施設に引き取られた猫たち】

 ◇新潟市で野良猫の一斉不妊手術

 国内のあちこちに出かけ、野良猫の一斉不妊手術を無料で行っている団体がある。公益財団法人「どうぶつ基金」(兵庫県芦屋市)だ。

 どうぶつ基金は、11月24、25日の2日間、新潟市で一斉不妊手術を行い、計59匹を手術した。今回の対象は、新潟市の東のはずれ、新潟東港釣り公園に住む猫たちだ。県の指定を受けている釣り場管理団体「ハッピーフィッシング」と、新潟の動物保護団体「あにまるガード」が、同基金に依頼して一斉手術が実現した。

 11月25日。一斉手術の2日目に現場を訪れた。新潟市南西部の山すそにある、「あにまるガード」の活動拠点の小屋で手術が行われた。新潟東港の公園で捕獲された猫が、ケージや捕獲器に入れられ、車で次々と運ばれてきた。そのほとんどが子猫だった。

 手術にあたるどうぶつ基金の獣医師は2人、それにあにまるガードのスタッフら数人が補助を行う。猫の不妊手術が可能になる目安は、生後半年以降か体重2キロ超とされる。ただ、医師の腕次第では、もっと早くても大丈夫だ。

 ◇捕獲器の外から麻酔を注射

 まずはケージや捕獲器の外から、体格に応じた量の麻酔薬を数回に分けて注射していく。逃げられたりかまれたりしないようにするためだ。完全に麻酔が効いたら外に出す。

 次に不妊手術の証しである耳カットを行う。地域や団体、医師によって先端を平らに切ったり、オスは右耳、メスは左耳の先を切ったりするなどの違いがある。どうぶつ基金の場合は性別を問わず右耳の先端をV字にカットする。その耳の形から、手術後の猫を「さくらねこ」と呼ぶ。

 切った後ははんだごてを使って傷口を消毒。合わせて手術を行う下腹の部分の周囲の毛を、バリカンで注意深くそる。

 手術の日は、朝から食事させないのが通例だ。全身に麻酔が効くと嘔吐(おうと)することが多く、胃に固形物が残っていると逆流してのどに詰まり、死んでしまいかねないからだ。一斉手術の場合は野良猫なので、そうした管理も難しく、ときには糞尿(ふんにょう)を漏らしている猫もいる。その場合は、腹をマッサージしてすべて排出させる。

 いよいよ手術台に向かう。オスの場合はカミソリで睾丸の間に切れ込みを入れ、精巣ふたつを取り出して切除。メスは下腹部に消毒液を塗り、スプーン状の器具で子宮と卵巣を注意深くかき出して切り離す。傷口に薬を注入し、溶ける糸で縫合する。オスは数分、メスは10分もあれば手術が完了する。

 ◇漁師にも見守られる猫たち

 不妊手術が終わると、一晩静養させた後、もとの港に放される。これから冬本番の新潟で、猫は大丈夫なのかとも思う。だが、あにまるガードの本多明代表によると、港の近くに液化天然ガス(LNG)施設があって身を隠すところがあり、冬場でも生きていけるという。漁師たちも売りものにならない魚を分け、猫たちを常に見守っているという。

 次々に猫が手術を受けるそばで、県動物愛護センター主査の獣医師が手術の様子を熱心に動画撮影していた。名刺の裏には「新潟県動物愛護センターは毎日が譲渡会! たくさんの犬や猫が新しい飼い主を待っています」との文字と、猫の写真が印刷されていた。

 センターは、保護している動物の情報をインターネットで詳細に見られるようにしている。その情報に携帯電話ですぐアクセスできるよう、名刺の表にQRコード(二次元バーコード)が。ここまでの情報が記載された名刺は初めて見た。「新潟県は動物の愛護意識が高いですよ」との言葉に納得する。

 どうぶつ基金は全国で出張不妊手術を行っている。NHKの「クローズアップ現代+」で11月半ば、大量繁殖した猫が飼い主の手に負えなくなる「多頭飼育崩壊」が取り上げられた。その番組でも、この団体が80匹の不妊手術をした例が紹介された。






弁護士ドットコム 12/4(日) 9:37配信

あさイチ「毒餌で野良猫駆除した人に同情」発言が物議...どんな法的問題がある?

11月24日に放送されたNHK朝の情報番組「あさイチ」で、猫の糞尿被害に悩まされた視聴者から「毒餌をやった人に同情します」というFAXが寄せられたことが、インターネット上で話題になった。

番組ではこの日、千葉県浦安市における、飼い主がいない「地域猫」を管理する活動について紹介。地域猫の避妊去勢手術などを行う活動員の女性が、飼い猫が脱走した際、仕掛けられた毒入りのエサを食べて死んでしまったエピソードを語った。すると番組に、猫の糞尿被害に悩まされたという視聴者から「毎日糞の始末をし、気が狂いそうでした」「毒餌をやった人に同情します」というFAXが届き、番組内で紹介された。

ネット上では「迷惑でも毒エサ仕掛けるなんて犯罪だ!」といった反応が見られた。野良猫を撃退するために毒餌を仕掛けることは法的にどのような問題があるのか。弁護士に聞いた。

●愛護動物を「みだりに」殺傷すると処罰の対象に

「飼い主がいない猫でも、みだりに殺傷すると、動物愛護管理法の動物殺傷罪に該当し、2年以下の懲役または200万円以下の罰金に処せられます(同法第44条1項)。ただし処罰の対象となるのは、『みだりに』殺傷した場合だけです。

ここでいう『みだりに』とは、合理的な理由なくという意味です。野良猫が糞尿被害を与えている場合に毒餌で殺処分することは、動物に対する生命尊重という同法の目的(同法1条)、他の方法を取り得ることを考えれば、合理的な理由があるとは言えないでしょう」

弁護士はこのように指摘する。

「この処罰の保護の対象になるのは、生き物の中でも愛護動物に限られます。愛護動物は、牛、馬、豚、めん羊、山羊、犬、猫、いえうさぎ、鶏、いえばと及びあひるの11種類の動物と、人が占有している動物で哺乳類、鳥類又は爬虫類に属するものに限られます。

人と結びつきの深い家畜など、猫を含む11種類の動物については、飼い主がいない野生の動物である場合を含めて保護の対象になっています。当然、野良猫であっても愛護動物に含まれることになります。

害虫や飼い主のいないネズミは、愛護動物には含まれませんので、駆除しても違法とはなりません。もっとも、ネズミであっても人が占有している場合には愛護動物となり、保護の対象となります」

飼育されている猫が毒餌を食べて死亡した場合、毒餌を仕掛けた人は、飼い主に対して慰謝料の支払などの責任を負うのだろうか。

「飼育されている猫が室外に出て毒餌を食べることは、通常予測できますから、毒餌を仕掛けた人は、不法行為責任(民法第709条)として慰謝料などの損害賠償を支払う責任を負うことになります」

糞尿被害などに悩まされた場合に、法律に抵触しない対処法として、何が考えられるのだろうか。

「無責任な餌やりに伴う糞尿被害は、深刻な問題に発展します。ところが、この問題を簡単に解決することは難しいと言えそうです。

基本的には、餌やりしている人との話し合いでの解決が望ましいのですが、関係がこじれてしまうと先に進みません。動物愛護センターなどの行政機関に苦情を申し出ても、強制的に餌やりをやめさせるようなことはできない場合が多く、抜本的な解決にならないようです。

京都市や和歌山県には、無責任な猫への餌やりを禁止する条例も存在しますので、地方議員に働きかけて条例を制定してもらうという方法も考えられます。裁判所に、餌やり禁止の仮処分を求めるというやり方もあるでしょう。

無責任な餌やりに関しては、餌やりをしている人に対し数十万円の損害賠償を命じた裁判例があります(平成15年6月11日神戸地方裁判所判決)。また、餌やり自体を禁止した裁判例もあります(平成22年5月13日東京地方裁判所立川支部判決)ので、弁護士などに依頼して裁判を提起することも考えられます」

弁護士ドットコムニュース編集部





                 
        

ビックリ巨大わらアート 埼玉・行田に出現 [週刊新潮]に載っていました!

2016/ 12/ 12
                 
 「巨大なわらアート 2016」
 人気のファミコンゲーム『ドラゴンクエスト』に登場するモンスター、『キングスライム』と『スライム』が、今年の巨大わらアートになりました。
 
 行田市の名物、田んぼアート(ギネス世界一)で刈りとった稲わらを使って、武蔵野美術大学が協力して製作しました。
 スライムは100㎏のわら(高さ2㍍、幅2.1㍍)を使い、2つつくられています。、
キングスライムは1トンのわらが使われ、高さ9.3㍍、幅8.8㍍の大きさです。
 普段は内部も見学できますが、今日月曜日は、『古代蓮の里』公園が休館日で補修作業をしていたため、見物に来た子どもたちは中に入れず、がっかりしていました。
 午後5時からはライトアップされますので、昼間の雰囲気とは異なった「スライム」達を見ることができます。〈※〉ライトアップの写真は、2016年12月11日(日)撮影 展望タワーは高さ50㍍。蓮池にイルミネーションが映し出されています。月も展望タワーに寄り添っていました。

☆古代蓮の里プレミアムイベント&イルミネーション2016☆
 ・古代蓮の里プレミアムイベント期間中(12月3日.4日.10日.11日.17~25日)は、古代蓮会館を午後9時まで延長開館します!
 ・園内点灯期間   平成28年11月25日(金)~平成29年1月9日(月・祝)
 ・園内点灯時間   午後5時~午後9時30分
☆古代蓮の里うどん店☆
営業時間
・通常期  11:00~14:00
・蓮の開花期  9:00~14:00  
休業日
・通常期   月曜日、火曜日(祝日の場合は営業)、祝日の翌日(土および日曜日の場合は営業)、年末年始
・蓮の開花期   月曜日(祝日の場合は営業)、祝日の翌日
【古代蓮の里】 住所:〒361-0024 埼玉県行田市大字小針2375番地1
電話:048(559)0770 

②わらアート 20161212 古代蓮の里  

①わらアート 20161212 古代蓮の里

③ライトアップ 巨大わらアート 20161211

⑤ 展望タワー イルミネーション 20161211 古代蓮の里

⑥ 展望タワー イルミネーション 20161211 古代蓮の里



                 
        

離れざる

2016/ 12/ 11
                 
 先日のゴルフ場でのできごとでした。
 「猿だよ!」という同じ組のAさんの声。
 私たちの後方を一匹の猿がコースを横切っているところでした。

①離れざる

 二十数年前に都幾川の天文台近くの山林の中で一匹のさるを見たことを思い出しました。まだ子ザルのようで集団から逸れてしまったありていそのままでしたが、ゴルフ場で見たその姿は図体も立派で「離れざる」そのものの雰囲気を漂わせていました。
 ポケットデジカメで撮りましたので、望遠効果も、解像度も期待通りとはなりませんでした。

②離れざる



                 
        

“巫女の舞”:神前神楽「浦安の舞」

2016/ 12/ 10
                 
  9月14日のNHKトピックスを何気なく見ていましたら、女子小学生(4年生)による「巫女の舞」の奉納舞姿が映し出されていました。
 毎年9月14日に吹上鎌塚八幡神社で奉納(午後5時~)される 神前神楽「浦安の舞」〈※〉です。
 同神社での奉納は台風で損壊した社殿の再建を契機に、1971年から始まったそうです。
 今年で45回を数えていますから『私の鴻巣歳時記』に加えて申し分ない行事と映りました。
 来年は、是非この奉納舞を見に行きたいと思います。

 
〈※〉“巫女の舞”は、文化庁で採択。神前神楽の正式名称は「浦安の舞」:
昭和15(1940)年11月10日午前10時、全国の神社で一斉に紀元〈※〉二千六百年の奉祝式典が執り行われました。その式典の中で、神に祈ると共に世界平和の祈りを込めて「浦安の舞」が同じく全国の神社で一斉に奉奏され、以来今日まで全国津々浦々の神社、祭礼で奉奏されるようになりました。
◇作詞・作曲について
 当時宮内省の楽長だった多忠朝(おおのただとも)〈1883.4.5-1956.10.21〉氏の作曲振付によります。
  昭和8(1933)年の歌会始め(勅題は「海」)に昭和天皇がお詠みになられた御製の和歌(「天地(あめつち)の 神にぞいのる朝なぎの 海のごとくに 波たたぬ世を」)を歌詞にしています。

(〈※〉“うら”は心を指す古語で、“うらやす”で心の中の平穏を表す語とされています。平和を願う意味が込められています。
 〈※:紀元〉=神武天皇が畝傍橿原の宮にて即位されてからの年号をいい、別名皇紀ともいいます。)


来年の行動予定表に前以てキチンと記しておこうと思ったのは、もう一つあります。
行ってみたいなと思っていてまだ足を運んでいない、毎年11月14日に執り行われる勝願寺の「お十夜」〈※・関東三大十夜〉です。

(〈※〉「念仏会」です。稚児行列や、全国から送られる人形を供養する人形供養が行われます。)



                 
        

万両の実 庭の歳時記 万両 千両 百両 十両 一両

2016/ 12/ 09
                 
 前橋の父が新築祝いにと持ってきた庭木の一つに、万両がありました。
 一本は白色の、一本は紅色の実をつけました。
  いつのまにか30年が経ち、そして知らずのうちに白色の実をつける万両は姿を消していました。

  万両がいつもと違った場所に実をつけているのを、家人が見つけました。
 ヒヨドリなどの野鳥の糞の中に入っていた種が地面に落ち、いつのまにか生え出したのかも知れません。

①万両 20161209


 葉っぱの下に実をつけるのが万両で、葉っぱの上に実をつけるのが千両です。

 万両、千両はよく聞く名前ですが、百両も十両も、そして一両もあります。
 百両がカラタチバナで、十両がヤブコウジで、一両がアリドオシです。

 百両も十両も葉っぱの下に実をつけます。一両は枝先などに実をつけます。その枝には棘が出ています。

   ②マンリョウ 20161209②マンリョウ 20161209
   ②マンリョウ 20161209②マンリョウ 20161209







                 
        

手打ちそば屋 雑感

2016/ 12/ 08
                 
 杉浦日向子さんが、ソバの味をあれこれいうなら、そのソバ屋に4回通ってからもの申せ・・・と、おっしゃっていたことを思い出しながら、書いています。



  ◇「手打ちそば屋さんの其の一」

 観光案内にも載っていて名の通ったお店のようでした。店構えもどっしりしていていかにも昔ながらのソバ屋さんという体(てい)をなしています。

 先客が支払いをこれからするようです。二人連れのうちの奥様と思われる方がお店の奥様と思われる方を呼び出して何か苦情をいっています。連れの旦那様と思われる方も同じようなことをお話しされているようです。

 その後暫し経って私たちも食べ終わって、支払いを済ませました。何かがおかしいなとは思ったのですが、レシートを受け取ってお店をあとにしました。何かが心にひっかかっています。

 それからちょっと経ってから、目的地に着きました。念のためにと思いレシートを見直してみました。注文していない料理が印字されていました。どうりで支払った額が思いのほか高かったということがこれで納得できました。

 観光地は一見(いちげん)の客が多いです。私のような客も結構おられるかも知れません。



  ◇「手打ちそば屋さんの其の二」

 「そばガイド」にも載っている人気店の一つです。お店の出入り口の横には作業場が設けられています。窓ガラスを通して手打ちの実演をみることができます。
 このお店の人気の一つは、直径〇×cmの大きななざるに山と盛られた△人前のそばです。△人で食べきることはとても困難に思える嵩(かさ)です。
 一人前のざるは530円となっています。こちらはそこそこの量です。
 出てきたそばをみましたところ、タテヨコのサイズすべて綺麗に整っていて、寸分の狂いのない製麺所製そのものの品行方正な麺が登場しました。
 
 観光シーズンになると、いつも行列ができていると評判の「手打ちそば屋」さんです。



  ◇「手打ちそば屋さんの其の三」

 目的地のちょっと手前に、「手打ちそば」と書かれた看板と幟を出していたそば屋が営業していました。
 お昼時です。暖簾をくぐりました。

 手打ちそばを注文しました。

 ちょっと時が経ちました。先客の家族連れだと思います。大勢の中の一人の男性の方が大きな声を出していました。
 どうも、このソバは手打ちでもなんでもない。スーパーマーケットに並べられているそばそのものだというようなことをお話しされていたようです。
 憤懣やるかたない雰囲気が、お店を出た後も男の人の後ろ姿に現れていました。

 観光地は一見(いちげん)の客が多いです。私たちもその一人になりました。


 
 ◇「手打ちそば屋さんの其の四」

 あちこち行くあちこちの通りでは、「手打うどん ・そば」と書かれた幟がめにつきます。

 「手打うどん ・そば」と書かれた幟がはためいているお店の暖簾をくぐりました。

 手打ちはうどんでしたが、蕎麦は規格品そのものでした。
 幟には、確かに「手打ちうどん・そば」と書かれてあり、「手打ちうどん・手打ちそば」とは書かれてありませんでした。



 ◇「手打ちそば屋さんの其の五」

 「手打ちそば」と書かれた幟がはためいています。

 お店に入りました。
 手打ちそばですね、地元産のそば粉を使っているのですかと、店主にお聞きしましたところ、幟は市販品の出来合いのものを使っているだけで、そばは手打ちではありません、という素直な言葉が店の奥から返ってきました。

 そういえば「そば」とだけ書かれた幟は、今までの記憶にないなあ・・・と、妙に感心したことを思い出しました。
 (「蕎麦」の幟は、どこぞの観光地で見たことがあったかも知れません。)



 お粗末、手打ちそば五題でした。



 




                 
        

映画「沈黙」 遠藤周作小説「沈黙・死海のほとり・深い河」におけるキリスト教

2016/ 12/ 07
                 
 遠藤周作の著作物は、出版された本のうちのほんの一握りしか読んでいません。
 やはり一番最初に読んだのがご多分に漏れず『海と毒薬』(初出:1958年文藝春秋社刊)でした。
 『白い人・黄色い人』(初出:1955年講談社)、『月光のドミナ』(初出:1958年東京創元社)、『おバカさん』(初出:1959年中央公論社)、『狐狸庵閑話』(初出:1965年桃源社)などは、文庫本も含めて読んだ記憶はあるのですが、先ほど久しぶりに開けてみたダンビール箱の中には入っていませんでした。

 『沈黙』の初版は、1966(昭和41)年に、『死海のほとり』は、1973(昭和47)年に、そして『深い河』〈副題:ディープ・リバー〉の初版は、1993(平成5)年にそれぞれ刊行されています。
 『沈黙』(1975〈昭和50〉年2月5日.49刷.新潮社刊)と、『深い河』(1996〈平成8〉年10月23日.22刷.講談社刊)は出てきましたが、『死海のほとり』は見当たりませんでした。


 遠藤周作は、キリスト教をテーマにした小説など多くの作品を残しています。現在、作品が翻訳されている国は20ヶ国以上にも及び、刊行された作品は100冊を超えるとも言われています。

 日本人にとってのキリスト教の意味を問い続けた作家であることは、周知のとおりです。
 「週刊文春」の昭和45(1970)年11月2日号をみると、バチカン市国より、サン・シルベストリ勲章(通称:騎士勲章)を、昭和45年10月17日、遠藤周作氏が、三浦朱門氏、阪田寛夫氏とともに、駐日バチカン大使・ブーステンベルグ大司教の手により受章。という記事が掲載されています。
 ちょっと回り道をしますが、同じ「週刊文春」の昭和48(1973)年6月13日号には、「陛下が招いた文壇一のほら吹き男」のタイトルで、同年5月24日(火)に、遠藤周作氏がご婦人順子さんと共に「春の園遊会」に招かれたことが書かれています。この5月22日(日)から5月28日(土)までの一週間日記は、「狐狸庵先生行状記」とした、氏の筆によるものを一括編集した一部となっています。


 本線に戻ります。
 小説『沈黙』が発表された当時、長崎県と鹿児島県のカトリック教会は、この書を発禁本にさせています。
 何故か。

 その前に。

 グレアム・グリーンや、デイヴィット・ミッチェルなど、『沈黙』を絶賛する海外の作家は多く、同作品が2009年の英ガーディアン紙が選ぶ「死ぬまでに読むべき必読小説1000冊リスト」に選出されており、また、海外の読書好きが投票形式で決定する「日本文学ランキング100」では37位(2016年4月現在)にランクインしていることもその証と言えるでしょう。

沈黙 遠藤周作 新潮社刊 -
  手元にある新潮社刊の函入り本の中に、16ページに及ぶ小冊子が挟み込まれています。
 「長編小説「沈黙」の問題点 ――私は『沈黙』をこう読んだ――」というタイトルになっています。
 亀井勝一郎、江藤淳、会田雄次、川上徹太郎、竹山道雄、アルマンド・マルティンスの諸氏が執筆しています。
 
 「沈黙」の問題点とは何かと問う、その理由の一つに、発禁本となった背景があることが伺われます。

~~以下、別掲~~


〈※〉マーティン・スコセッシ監督によるハリウッド映画『沈黙』:日本での上映は、2017年1月21日。
 



深い河 遠藤周作 講談社刊






                 
        

紅葉狩り

2016/ 12/ 06
                 
 りんご狩り、ぶどう狩り、みかん狩り、きのこ狩り、紅葉狩りと、秋の風物詩になる寸景が、フェイスブックの友だちの皆さんのあちこちに写真アップされていました。

 今年の秋の味覚狩りは何一つ実現しませんでした。


 ときおり通る道すがらのご近所のお寺の境内には、大銀杏が三本聳え立っています。
 今シーズンの葉っぱの見ごろは終わってしまったかなとも思ったのですが、すぐ近くの場所なので歩いて様子を見に行くことにしました。

 奥様と思われる方が、境内を掃き清めていました。
 私がおはようございますと挨拶をし、境内の写真を撮らせてくださいと声を懸けましたら、どうぞ、どうぞと言う言葉が直ぐかえってきました。
 毎年、この時期になると銀杏の葉がたくさん敷き詰められてしまって、掃除するのに難儀します。というお話と合わせ、三本のイチョウの葉の色づくのが少しづつ違うので、葉っぱを片付けるのも随分と長い時間がかかって大変です。というご苦労話もお聞きしました。。

 2016年12月3日の紅葉愛(め)では、同じお寺に朝昼晩と三度お邪魔することにもなりました。
 同じ境内の片隅に植わっているモミジの紅葉も、朝昼晩のお日様の照る光加減にあわせ、趣きが異なる風情をみせていました。

紅葉狩り 2016年12月3日




                 
        

12月4日(日) 鴻神社の酉の市

2016/ 12/ 04
                 
 「初詣」とか「初市」などは今までの人生の中でそれなりにお馴染みだったのですが、「酉の市」に出かけたのは今回が初めてです。

①鴻神社酉の市ポスター20161204

 「鴻(こう)神社の師走恒例の酉の市。大小様々な熊手が売られ、威勢のいい掛け声と景気のいい手締めの音が鳴り響きます。境内では和太鼓演奏や富くじ、餅つきなども行われます。」と公式サイトには載っていましたが、午後7時ちょっと過ぎたあたりから、小さな雨粒が幾つか顔にあたりはじめたのをきっかけに家路に向かいましたので、お仕舞まで見届けることはできませんでした。

⑤熊手 鴻神社酉の市 20161204

⑥熊手

~~ 「来る年の開運、授福、殖産、除災、商売繁昌をお祈りするお祭です。」と、鷲(おおとり)神社の公式サイトで「酉の市」のことが書かれていました。
 それではその酉の市に欠かせない熊手の由来を幾つか引用してみましょう。
「鷲が獲物をしっかりと捕らえることになぞらえて、運を鷲づかみすると言われるように、鷲の4本ツメのうち3本を熊手の手に、1本を柄とした3本ツメの熊手が後に5本ツメになり、「運をかっこむ」熊手守りになったと言われます。」
という表記もありますし、また、
「 戦場に赴く武将が神仏に戦勝を祈願する際に軍扇を奉納し、めでたく勝ち戦にて帰陣したさいには、軍扇は熊手のように反り返った骨だけになっていたことから、その故事にあやかって「開運を招く」熊手守りになったとされます。」
という表記もあります。  ~~

②鴻神社酉の市20161204 宮地お囃子
  宮地お囃子

③雷電お囃子 20161204 鴻神社酉の市
 雷電お囃子太鼓

⑦もちつき
 もちつき

子どもたちも参加の餅つき
  子どもたちも順番待って餅つき参加

⑨餅をふるまわれました
 ついた餅が皆に振舞われました。

矢切の渡し
 矢切の渡し

⑪
 


                 
        

海賊とよばれた男 キャッチコピー コンテスト 結果発表 

2016/ 12/ 03
                 
大賞

     日本人よ胸を張れ。
この男と同じ血が流れていることに。


海賊とよばれた男
2016年12月10日 映画公開記念
キャッチコピー コンテスト 結果発表
 主催:読売新聞社
 共催:講談社
 協力:2016「海賊とよばれた男」製作委員会

 審査員・総評  山﨑貴監督からのコメント
 「 さすがに最後まで残っただけあって、皆迫力のあるキャッチコピーでした。甲乙付けがたい中で、特に新たな気付きを感じさせてくれた物を中心に選ばさせていただきました。」
〈プロフィール/1964年生まれ。2000年「ジュブナイル」で映画監督デビュー後、「ALWAYS三丁目の夕日」(2005年)をはじめヒット作品を連発。「永遠の0」(2013年)では、2014年年間邦画興行収入№1を記録するなど、まさに日本を代表する映画監督の一人として、幅広い支持を集めている。


     日本人よ胸を張れ。
この男と同じ血が流れていることに。

     受賞者コメント
ただただ感動した。真っ直ぐで熱い男の一生が私の中に流れ込んできた気がした。彼が愛し、導いたこの国。日本に生まれてよかった。
  篠崎愛莉さん 10代(群馬県)


2016年(平成28年)12月4日(日曜日) 讀賣新聞


                 
        

きょうから師走

2016/ 12/ 01
                 
 きょうは、12月1日です。
 
 スタッドレススタイヤにはきかえました。

 年内に車を使って数回遠出する予定を立てていますので、冬用タイヤを装着でき、ホッとしています。